転生した悪の総統は異世界でも影から社会を支配する   作:悪役じゃない本物の悪人

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7話 三駒結集

 リンドブルムの経済中枢たる商業ギルドを、ギルド長ゴードンという完璧な傀儡を通じて掌握したこと。それはフォルグランの壮大な世界征服計画における、最初の領土を確保したに等しかった。

 ゴードンから吸い上げられる潤沢な資金は、フォルグランの血流となり、彼の策謀をあらゆる場所で具現化するための動力源となった。

 

 だが、私は書庫の奥、蝋燭の炎が揺れる玉座で、冷徹に次なる一手を見据えていた。

 

 経済は都市の生命線に過ぎない。

 どれほど強力な血流も、それを流す血管と骨肉が脆弱であれば、その肉体は自壊する。

 このリンドブルムにおける血管はアルトス本家の統治機構。

 そして骨肉は騎士団だ。

 

 アルトス辺境伯家の統治は、あまりにも武力という一点に偏重していた。

 彼らの論理は単純だ。

 魔物を討伐し、隣国を威圧する武力さえあれば、民は従い、統治は成立する。

 

 だがその結果、統治の血管であるべき文官機構は驚くほど硬直化し、腐敗し、非効率の極みに達していた。

 武力を持たない文官の仕事は武人たちから雑務として軽視され、才能ある人材は決して集まらない。

 

 武力による支配は往々にして行政を蔑ろにする。

 その傲慢さこそが、私の知略が入り込む最大の隙だ。

 

 私はメイド頭としての仕事を終えて、控えていたアンナに声をかけた。

 

「アンナ。ゴードンから吸い上げた資金の使途を、直ちにリンドブルム市民福祉・行政改善基金という名目で計上しろ」

 

 私は都市の地図を広げながら、一切の迷いなく指示を出す。

 

「市民福祉、でございますか?」

 

 アンナはこの冷酷な主が初めて口にした福祉という言葉に、わずかな戸惑いを隠さずに尋ねた。

 

「困窮者への施しでしょうか? それとも、教会への寄付という形で、彼らの歓心を?」

 

「愚かな。施しは一時の感情を満たすが、支配には繋がらん」

 

 私はアンナの思考の浅さを冷ややかに否定する。

 

「真の目的は情報の流通ルートと、末端行政の機能そのものを掌握することだ」

 

 私は地図の上に駒を置くように、指先で市庁舎をトントンと叩く。

 

「組織の名は、リンドブルム行政補佐官団とする」

 

「……補佐官団、ですか」

 

「そうだ。表向きの建前は文官不足と事務処理の遅滞に悩むアルトス辺境伯家を、市井の優秀な有志がボランティアとして補佐するという、耳当たりの良いものだ」

 

「なるほど。アルトス本家は無償、あるいは安価な労働力が手に入ると喜ぶでしょうね」

 

「その通りだ。だが、その実態は私が選抜し、私が教育し、私の金で動く行政官僚組織だ」

 

 私の計画は既存の腐敗した文官機構を攻撃するのではなく、その下に、より有能で、より忠実な第二の行政機構を寄生させ、いつしか本体の機能を乗っ取ってしまうというものだ。

 

「アンナ。お前の情報網を使い、選抜基準に合致する者を探せ」

 

「基準、と申しますと?」

 

「金でも血筋でもない。読み書き計算に長けながらも、身分や財力によって出世の道を閉ざされた者。それだけだ」

 

 フォルグランの論理は明快だった。

 

「金で動く者は、より多くの金で簡単に裏切る。ゴードンのようにな」

 

「……」

 

「だが、彼らは違う。彼らは人生で初めて地位と知識という自己の価値を与えられた。彼らにとって、この組織は命綱であり、唯一の光だ。お前がそうであったようにな、アンナ」

 

 アンナは静かに目を伏せた。

 かつて、物置部屋で薬と銀貨を与えられ、「価値がある」と言われたあの夜を思い出していた。

 

「……承知いたしました。彼らにとっての忠誠心は、顔すら見せない辺境伯ではなく、この価値を与えたフォルグラン様、貴方様へと向かう。必ずや、最適な人材を選抜してご覧にいれます」

 

「任せた。彼らは私の駒であると同時に、この都市を支配するための重要な血管となるのだから」

 

 ◇◇◇

 

 アンナの選抜作業は、迅速かつ的確だった。

 数週間後、私の元には十数名の候補者のリストが届けられた。

 

 一通り目を通していくとその中に、ひときわ私の目を引く経歴の男がいた。

 

 男の名はトマス。

 

 中堅商人の三男として生まれたが、剣も魔法も才能が無い。

 代わりに、一度見た数字を忘れないという驚異的な記憶力と、複雑な計算を瞬時に行う計数能力を持っているらしい。

 

 だが、この武力社会において、その才能は無価値と断じられた。

 

 父からは役立たずと罵られ、兄たちからは侮蔑され、今では家の勘当同然の扱いを受け、場末の酒場で日雇いの帳簿係として、その才能をすり減らしているようだ。

 

 ……素晴らしい。これ以上ないほどの逸材だ。

 私はトマスとの接触をアンナに命じた。

 

 ◇◇◇

 

 その夜、リンドブルム旧市街の古びた埃っぽい酒場。

 トマスは脂の浮いたテーブルでインクで汚れた指をこすりながら、店の主人が出す水増しされた帳簿と格闘していた。

 

(まただ。また在庫が合わない。小麦粉の仕入れが売上に対して三割も多い。こいつ、横領しているな)

 

 トマスはその不正に気づいていたが、彼にできることは何もない。

 指摘すれば、この日雇いの仕事すら失うだけだ。

 

「……役立たず、か」

 

 父に言われた言葉が思わず口からこぼれ出た。

 

(この世界は間違っている。なぜ、力こそがすべてなんだ? 俺のこの頭脳はあの騎士団の馬鹿どもより、よほど……)

 

「トマス殿、でいらっしゃいますね?」

 

 不意に背後から澄んだ声がかけられた。

 振り返るとそこに立っていたのは、場末の酒場にはあまりに似つかわしくない、清潔なメイド服をまとった女性、アンナだった。

 

「……誰だ、あんた。人違いじゃないか?」

 

 トマスは警戒心をあらわにする。

 

「いいえ、トマス様。貴方の才能に、ぜひお力添えをいただきたく参りました」

 

「才能、だと?」

 

 トマスは自嘲気味に笑った。

 

「俺にか? 冗談だろ。俺には剣も魔法も扱えん」

 

「私どもの主は剣や魔法を扱いません」

 

 アンナは静かに、しかしきっぱりと言い切った。

 

「私どもの主は貴方様の計数能力と記憶力こそが、このリンドブルムを救う真の力であると仰せです」

 

 トマスは息を呑んだ。

 

「……主だと? 誰なんだ? そいつは……」

 

「名乗ることはできません。ですが、その方はリンドブルム行政補佐官団という組織を設立されました。目的は腐敗したアルトス家の行政を市井の真の才能によって内側から改革すること」

 

 アンナはフォルグランに指示された通りの甘い言葉を並べたてる。

 

「私どもは貴方様に、その才能に見合った地位と報酬をお約束いたします。我々と共に、この間違った世界を裏側から正しませんか?」

 

 トマスは目の前のメイドが何を言っているのか、すぐには理解できなかった。

 だが、才能、地位、報酬、世界を正すという言葉が、彼の乾ききった自尊心に水のように染み込んでいく。

 

「……いいだろう」

 

 トマスは震える声で答えた。

 

「俺のこの力を認めてくれるというのなら……俺はなんだってやってやる」

 

 その目には確かな決意の炎が灯っていた。

 

 ◇◇◇

 

 私はトマスを始めとする、虐げられた知を持つ者たちを一か所に集めた。

 彼らを集めたのはリリアの鍛錬場である工房跡地のさらに地下。

 そこで私が直接教育をすることになっている。

 

 私はもちろん正体の分かるの姿では人前には出ない。

 顔を仮面で隠し、声色を変え、自らを補佐官団を統括する教授と呼ばせた。

 

「諸君ら、ようこそ。このリンドブルムで最も価値ある頭脳たちよ!」

 

 地下室に集められた十数名は、謎の仮面の男の登場に緊張していた。

 

「諸君らはこの武力社会において非力の烙印を押された。だが、それは間違いだ」

 

 私は前世の総統としてのカリスマを、その声に乗せ心に響かせるように話す。

 

「真の力とは何か? それは武力ではない、情報だ。そして情報を制するものは知略だ。諸君らの頭脳こそが、この都市の騎士団の剣よりも、遥かに強力な武器なのだ!」

 

 私は集まった者たちに、単なる事務処理のスキルではなく、アンナにも教えたような情報分析術と統治の穴を見つける方法を徹底的に教育した。

 その教えは前世の私が培った国家の内部崩壊を誘発するための戦略を行政レベルに落とし込んだものだ。

 

 

「トマス」

 

 しばらくして、私はこの中でも最も優秀なトマスを名指しする。

 

「はい、教授」

 

 既に私への疑いの視線はなく、皆、希望を宿した目で私を教授と呼ぶようになっていた。

 

「お前を市庁舎の会計監査室に送り込む。そこでお前は何を見るべきか分かるな?」

 

「……帳簿の数字のズレです」

 

「甘いわ!」

 

 私はトマスを一喝した。

 

 「お前が見るべきはズレていない数字だ。なぜ、これほど完璧に帳尻が合っているのか? 不正とは数字のズレではなく、完璧すぎる帳尻にこそ隠されているのだ!」

 

 強い口調、教育熱心な教授の仮面を被ったまま、私は続ける。

 

「市民の不満は放置すれば暴動という名の病になる。だが、制御すれば支配のための道具にもなろう。我々は市民の不満の矛先を我々が望む方向へ誘導するのだ!」

 

 虐げられてきた過去、それが最大の原動力となるように感情を煽るような発言で彼らの熱を高めていく。

 

 ……そうして十数名の補佐官たちはフォルグランの恐るべき知略とカリスマに、瞬く間に心酔していった。

 彼らにとって、この仮面の教授こそが、自分たちの価値を認めてくれた唯一の救世主だった。

 

 ◇◇◇

 

 数週間後。

 トマスを始めとする行政補佐官団は、辺境伯家の市庁舎の様々な部署の末端に、ゴードンのギルドからのほぼ圧力と同じような推薦という形で、ボランティア補佐官として潜り込むことに成功した。

 

 もちろん、アルトス本家の文官たちはこの申し出を歓迎した。

 

「おお! ギルドからの支援か。感心なことだ」

「面倒な計算はそこの補佐官にやらせておけ。我々は騎士団様との調整という重要な仕事があるからな!」

 

 仕事を楽できると、大いに顔をニヤつかせる彼らは、自分たちの最も重要な雑務をフォルグランの補佐官団たちに丸投げしたのだ。

 

 そうして派遣されたトマスといえば――

 彼は会計監査室の、埃をかぶった帳簿の山に埋もれていた。

 どれもこれも杜撰な数字ばかりだが、そんな資料には目もくれずトマスはフォルグランの教え通りに帳尻の完璧すぎる帳簿を探していた。

 

 そして見つけた。

 

(……これだ)

 

 それは騎士団の武器・食料補給に関する帳簿。

 毎月、寸分違わぬ数字で同量の物資が消費され、補充されている。

 

(馬鹿なことだ。魔物との戦闘回数も、騎士団の遠征回数も月によって違う。なのにどうしたら、ここまで均一な帳簿になるというのだ)

 

 トマスはその完璧な帳簿の裏にある本当の仕入れ台帳を、アンナの情報網の協力を得て探し出した。

 そして彼はそのあまりにも杜撰な管理体系に戦慄した。

 

(帳簿上では毎月千本の矢が消費されている。だが、実際の補充は百本。残りの九百本は……どこに消えた?)

 

 トマスはその差額が特定の商会に流れていることを突き止めた。

 ゴードンの情報によればどうやら騎士団長の乳母の親戚が経営している商会らしい。

 

「これは報告せねば」

 

 ――その夜。

 

 私の書庫にトマスからの暗号化された報告書が届けられた。

 

「……見事だ、トマス」

 

 私はその詳細な汚職の証拠を見て、満足げに呟いた。

 

「ヴァルドスめ。ゴードンの闇ルートが潰れて焦っているかと思えば、本家の軍備そのものを横流ししていたとは。救いようのないアホだ」

 

「フォルグラン様」

 

 アンナが次の報告を差し出してくる。

 

「トマスたちの補佐官団の働きにより、市井の行政サービスの効率が上がり、市民からの陳情が減り始めています」

 

「そうか。それは都合が悪いな」

 

「……え?」

 

 アンナは主の言葉が理解できなかった。

 市民福祉の効果が出ているのだから、都合の悪いことなんてないはず……アンナはそう思ったのだが、フォルグランの思考はさらに一歩先を行く。

 

「市民が満足しては、我々が介入する大義名分がなくなるだろう?」

 

 私は冷徹な笑みをこぼす。

 

「アンナ。補佐官団に新たな指示を出せ」

 

「市民の陳情処理はこれまで通り迅速に行え。市民の信頼は稼いでおく必要がある」

 

「はい」

 

「だが、アルトス本家、特に騎士団に関連する行政処理はすべて意図的に遅延させろ」

 

「……! それは」

 

「そうだ」

 

 私は即座に気が付いた様子のアンナに満足しながら、事の核心を語り始める。

 

「騎士団が武器の補充を申請してきたら、書類の不備を理由に差し戻せ。騎士団が遠征のための食料を要求したら、ギルドとの調整が難航していると報告させろ」

 

「しかし、それでは騎士団の怒りを買い、補佐官団が危険に……」

 

「構わん。狙いはそれだ」

 

 私は地図の上に、騎士団を示す黒い駒と、補佐官団を示す白い駒を置いた。

 

「市民は自分たちの生活が改善されているため、補佐官団に感謝する。一方で騎士団は自分たちの要求が通らないため、補佐官団を無能と罵るだろう」

 

 ここで一度言葉を区切り駒の位置を移動させながら続ける。

 

「一つの組織が市民からは希望と呼ばれ、権力者からは障害と呼ばれる。このねじれこそが、私の狙いだ」

 

 アンナは主の恐るべき策謀の全貌を理解し、背筋が凍る思いだった。

 フォルグランは自らが作った補佐官団を騎士団長という傲慢な武力の生贄に捧げることで、市民の怒りと同情を誘導しようとしているのだ。

 

「トマスたちには、しばらく苦労をかけることになる」

 

 私は申し訳なさそうな声を取り繕って言った。

 

「だが、彼らの犠牲によって、私はアルトス本家の統治能力の欠如と騎士団長の腐敗を、同時に白日の下に晒すことができる」

 

「……承知いたしました。トマスたちには試練であると伝えます」

 

「ああ。そして、リリア」

 

 私は正しく剣の如く、隣で音もなく立っている彼女を呼んだ。

 

「お前の出番も近い。腐敗した筋肉を、その骨から削ぎ落とす時が来た」

 

「かしこまりました」

 

 私はこうして商業ギルドの経済力、補佐官団による統治能力、そしてリリアという武力……都市を支配する三つの駒をついに盤上に揃えた。

 

 その知略は武力という傲慢な巨象の足元に、音もなく忍び寄る毒蛇のように、その牙を研ぎ澄ましていた。

 

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