ソウガが選んだ店は鉄の縁に囲われた白樺の看板がかかった食事処も兼ねた宿場だった。
「きれいなお店…」
「気に入ってくれたなら何よりだよ。この国では店の看板の材質、作りは大抵店の質を表している。この宿はネストより心地よいと思うよ」
「へえ…」
ソウガの話に、カディナは感嘆符で答える。
「今日も日が落ちる前までにはネストに戻らないとって思ってたんです…あ、でもネストにいかないと衛兵さんに捕まっちゃう。」
「その心配はいらない。冒険酒場のマスターがキミたちの冒険者登録を届け出るからね」
にわかに慌てたカディナを、ソウガはなだめる。
「ネスト…お金がかからないのは良かったんですが、ずっと誰かの声と物音がしてて、風は吹き込んでくるし…不安だったんです。」
カディナはにわかに暗い声色で話す。
「なるほど、ネストで休んだのはこの国に入ってからかい?」
「はい、工廠国では村にいましたし…ハルちゃんとあってからは野宿だったので。ネストってユンニアラにしかないんですか?」
「いや、数の多少はあれ工廠国にもあるよ。この三大陸にはほぼあるんじゃないだろうか…渡りへの救済は国同士の取り決めだからね」
受付が空き、ソウガは話を切り、宿の店主と話を始める。
「部屋は…二つは厳しいかい。なら中でふた部屋になってるところをお願いするよ。仮にも男女なので同衾はちょっとね」
カディナは遣り取りをする男の背中を見て安堵の息を吐く。
「ネスト、ボクは慣れてるからカディナも大丈夫だと思ってた。ごめんな」
ハルに謝られたカディナは首を大きく横に降った
「ハルちゃんのせいじゃないよ、わたしも慣れれば平気だったんだと思う…あと」
「あと?」
「冒険者になろうとしたのは、こうやって、宿に泊まるためだったんでしょ?…ありがとうね」
照れたように笑う顔に、ハルは心が暖かくなるような心地を覚える。
「…あぁ」
顔まで火照っている気がして、ハルはそのまま顔をそむけた。
「あと泊まる前にご飯をいただきたいんだが…」
「それでしたらお食事の間に、ソウガ様のお部屋にベッドを作らせますよ」
「それは助かるよ」
宿の主とのやり取りが終わると、男は振り返る。
「じゃあ部屋の支度が終わるまでご飯でも食べていようか」
男に促され、二人は窓際の席へ歩く。
席は宿の角にあり、店側の二方向も衝立で囲われている。
「個室みたいなところだね、話をするにはちょうどいい。」
二人が席に座ったことを見守った男は、店側に背を向ける形で座る。
「はい、二人の冒険者証。オニヘラジカを仕留めた実績も加味して黒檀からの入門にしてもらったよ。」
「こくたん…?」
そして説明をしながら、この店の看板の様な、刻印された木の証に銀枠が施された冒険者証を二人の手に載せた。
「木と石のうちはとにかく色が黒いものが強いから、木級の最高位ってことだよ。証に書いてあることに間違えないか確認しておくれ」
「…多分大丈夫です」
カディナは、印字を触ったり眺めたりしながら曖昧に頷く。
内容より木の硬さやかすかな木の香りを嗅いでいる。
珍しい品に心を惹かれているのだ。
「それならよかった」
カディナの言葉にハルも首を縦に振る。
二人の反応に男は満面の笑みを浮かべる。
男はその顔のまま、香り高い茶の入ったカップを口に近づけた。
「改めて挨拶させてもらうよ。私の名前はソウガ、独り冒険者をやっている物好きな魔導師だよ」
茶を飲みながら、ソウガは二人にも自己紹介を促す。
男の前では全く喋らなくなった相方を思ったのか、褐色肌の少女が口を開いた。
「わたしはカディナっていいます…さっき話したとおり村がなくなって、渡りになって…えっと」
「カディナは今、祓い子の修行のために旅をしている。」
言葉が詰まったカディナをかばうように、口を開いたハルに男は問う。
「祓い子、魔導師にとって穢れは魔法を阻害するからいてくれると助かるが…修行?」
「…ボクも詳しくは知らない。祓い子は人とか物とかたくさん祓えって聞いたことがあるくらいだ」
ハルは顔をしかめる。
「とにかく、ボクはカディナの護衛をしていて、渡りだと不便もでてくるから、選択肢を増やすために冒険者になろうとしていた」
ハルは自身の無知に苦しくなりながらも、身の上を説明した。
「なるほど…にしても妙だね。」
「なにがだよ」
男は茶器を机に置くと、左手を顎にあてて考え始める。
視線の先のハルを注視しながら男は口を開いた。
「狼の狩人が、難民を護衛するっていうのが引っかかるんだよ」
狼の狩人、その言葉を聞いた少女2人は目を見開く。
「ハルちゃんのこと知ってるんですか?」
「数年前に世話になった老夫がそれだったんだよ。」
ソウガは顎のかけた手を指差す形にし、ハルが鳥にも載せないで背負っている長細い荷物を指した。
「銀狼の毛皮マントに、その荷物、獣狩の銀筒だろ?老夫とは知り合いかい?」
「そのおっさんはボクの師匠だ、師匠は二年前に大神のもとに帰ったよ。」
「…そうか。辛くなることを聞いたね、すまない。」
三人の間を、冷えた空気が流れる。
空気は三人の視線を泳がせ、茶の湯気を移ろわせた。
「あの、この子のホントの名前はハル…」
「カディナいい、やめろ。ボクはハルでも狼の狩人でも良い、あと師匠のことは別に気にしてない。」
「おまたせしましたー」
話の間に給仕の女がスープとパンを運んでくる。
この街に来て十分な食事が取れなかった二人は空腹で逆に胃痛を覚えるほどだ。
「焼きたてのパン…!いいんですか!?」
目を輝かせたカディナに、ソウガは柔らかく微笑む。
「好きなだけお食べ。」
「いただきます!」
「…いただきます」
手を合わせて食べ始めた二人を、男はまず眺めた。
食べ進める姿を確認すると、男は二人に話しかけた。
「それはそうと、君たちを補助員にしたのは理由があるんだ。」
「理由?」
「そう。獣のことは狼の狩人に任せるのが丸いからね。老夫が見つからないので探したら君に当たったというわけだ。カディナくんが祓い子というのも評価が高い。」
男は鼻から誇らしげに呼気を吐き出すと、説明を続けた。
「物流の要所で東部に抜ける唯一の道である南の山道、そこで厄介な魔獣が出て困ってるんだよ」
「魔獣ですか?」
その言葉に、カディナは食べる手を止める。
「そう、装甲熊(アーマーベア)といってね。熊が騎士の鎧を着たような姿をしている。それに普通の熊より二倍ほどでかい。」
ソウガの説明に相槌をうつカディナと対象的に、ハルは冷ややかな目線を向ける。
「アンタ強いだろうに一人で狩れないのかよ」
ハルはで運ばれてきた炙り肉の薄切りに手を付けながら喋る。
「そこなんだよ、獣とはいえあいつは知性と魔力感知能力があるらしい。強いものが近づいたら隠れ、弱いものが来たら食い殺す――そんなもんだから強い私だけではまず会えないんだよ」
「それは厄介…ですね」
カディナは考えこみながらスープを口に含む。
「そう、装甲熊は賢しく、そして強い。相対しても石級より上、晶石級の冒険者複数人でなんとか…ってところだろうね。」
スープを三回口に流し込んだハルが首を横に振った。
「ボクは獣しか狩らない、魔獣は専門外だ…まさか囮とかいうんじゃないだろうな」
それに答えるようにソウガも首を振る。
「まさか! せっかくの狩人と祓い子をそんな使い方しないよ。二人ともちゃんと働いてもらう」
「わたしも? …一体何をすれば?」
「うん、まず狩人くんには装甲熊を探して欲しい。そしてそれを山道途中の高原まで追い立てる…魔獣は専門外だから難しいかい?」
荷物から参道の地図を取り出したソウガは、高原の場所を指さしてハルに見せた。
「賢しいとはいえ熊は熊なんだよな…なら、出来るさ」
「頼もしいね、祓い子くんは追い立てた熊が来るまで私と討伐の準備をしてもらう。準備といっても一帯の穢れを取り除くくらいだ。」
「はい…頑張ります。」
一旦の説明を終えた男は地図を丸める、荷物からそれをしまうついでに皮の入れ物を手に取った。
「あと、これは君たちへの相応の対価だね」
その入れ物から白い金属の貨幣を一枚ずつ二人の前においた。
「…! 銀貨!?」
「…どういうことだよ」
それを手に取った二人は驚きの声を上げる。
「狩人くんが納品していたあれ、齢十年以上のオスだったからね。群れのボスだったことは明白だし、軽く見積もっても銅150枚…銀三枚はつく。あのマスターからも追加報酬として受け取ったよ。」
ハッとした顔になった男はこうも付け加えた。
「あ、差額は宿代でもらっただけだからね」
「でも渡されたのは銅30だったぞ」
ハルは脇にしまっていた麻袋に目を落とした。
中の銅は外の光を受けてくすんだ光を放っている。
曇りのない光沢をもつ卓上のものとはたった一枚でも格の違いを感じてしまう。
「渡りにとっての銅貨10枚でも大金なのは街の連中も知っているのさ。仕事の話に戻るが狩人くん、熊はどれくらいで見つかりそうだい?」
「…二日、ただ人を襲うくらい増長してるやつなら半日かな」
「余裕持って二日として、明日は祓い子くんの装具でも見繕おうか」
目配せをする男に、カディナは座ったままで深く礼をする。
「ソウガさん、その、助けてくれてからその、ありがとうございます…!」
「今日は遅いし、買い物は朝にしようね。」
二人の温かな談笑とは異なり、ハルの心中はいささか冷たい。
先程の金のことだろうか。
しかしハルにはそれとは違う何かが引っかかるのだと感じられた。
「これが宿場の部屋」
「キレー…」
食事を終えて、三階の部屋に通された二人はまたしても感嘆の声を上げた。
「ここは鉄枠の店だから、外からの吹き込みはないよ。入ってすぐの所に蛇口もあるから体を拭くなり、すきにつかうといい。」
入り口近くの戸を指さしてそう言ったあと、ソウガは窓近くの戸を指す。
「奥に部屋があるから、君たちがそっちを使ってくれ」
「はーい」
小走りで奥の部屋に向かったカディナが再び感嘆の声を上げるが、ハルは窓際の机を見ながら男に許可を取る。
「ここ、使わせてもらっても?」
「構わないよ」
鳥から降ろした荷物を無造作に置くと、ハルは最後に銀筒を椅子の背もたれにかけた。
「ハルちゃん! ベッドすごいふかふかだよ…ハルちゃん?」
「悪いカディナ、明日の準備があるから先に寝ててくれ」
「でも…」
「疲れただろ、ちゃんと寝て、初めての仕事に備えて欲しい」
「はーい…」
ハルは少女をなだめると、荷をほどいて机に荷物を並べ始めた。
「罠に武器に魔法スクロールか…あんな小さい荷物によく詰まってるものだね」
ソウガは感嘆しながら、ハルの座る対面に座った。
「非力な人間が獣に勝つにはなんだって使う…あんたも寝てていいよ」
昼より語気を弱めたような言い方で、ハルは男に促す。
「そうもいかない。補助員の監督も冒険者の責務だからね」
そう返すと、ソウガは自身の荷物から分厚い本を取り出した。
ハルが道具をいじる音を聞きながらソウガはそれをめくり始める。
奥の部屋ではしゃぐ声が消えた頃、罠の手入れをするハルが口を開いた。
「その、朝は悪かった。」
外では風が唸りを上げる声を上げている。
それに呼応するように、窓の枠が乾いた音を立てた。
「構わない、いきなり押し売りをしたのは私の方だ。君の怒りは理解できる」
「…、暗くなってきたな火でも付けるか」
「待ってくれ…、…」
暮れていく窓際で、ハルを制してソウガは二、三言口に出して光の玉を出した。
「こっちのほうが明るいだろ」
「あぁ、昼かってくらいだ、魔法って便利だな」
手入れの終わった罠を置くと、ハルは長細い荷物の封を解いた。
「獣狩…老夫のものと同じかい?」
「あぁ、これもマントも師匠からもらったから、今はボクが狼の狩人だ。」
ハルが席につくと、ちいさな気流に煽られた蝋燭のように、魔法の灯が揺らいだ。
「疑問なのだが、それだけ立派な銃器があるなら石級の冒険者なんて軽くあしらえたのではないか?」
銀色で長細い猟銃が姿を表すと、ソウガは本を閉じてハルに話しかける。
「これは獣を狩るために狼の獣神(けものがみ)が人間に与えたもの。人を壊すためのものじゃない…から」
「なるほど、」
銃器の手入れから目を離さない男はハルに問いをぶつけた。
風の唸りは衰えず、静寂の間を甲高い音とともに流れていく。
「狼の狩人は、基本単独行動だと思ったが、なぜ村娘の護衛を?」
「この子の村を魔族が燃やした現場に、ボクが居たから。別に変じゃないだろ」
「それこそ疑問だ。ノルデンは渡りに厳しいが、子供の難民なら国境沿いの村くらいで受け入れるだろう。狩人のきみが連れ歩く必要があるかい?」
ハルは手を止めて深く息をついた。
そして、ゆっくりと、整理するように話し始める。
「カディナの父親が東の大陸で生きているかもしれないと、前の村で聞いたんだ。親族が居るなら、そこまで連れていきたいと思って、カディナに渡りをしてもらっていた」
「…」
ソウガは数度口を開こうとする顔を動かしたが、しばらくしてそれをやめた。
「なあ…渡りの、しかも子供ってなんでこうなんだ」
「こうとは?」
布で手入れの終わった銃身を拭きながら、ハルは口を動かす。
「向けられるのは悪意混じりの言葉と感情で、仕事をしても単に金のためだと言われる。その金も、冒険者のようにちゃんと貰えるわけじゃない。」
拭き上げが終わった銃は魔法の光を反射して白く輝く。
それを袋の中に戻しながらハルは続けた。
「冒険者になるのも、渡りでは決して届かない力を求められる。届いたとしても…ボク達にとってのあんたみたいに、誰かに引き上げてもらわないといけない。」
ハルは再び座って、ナタの鞘に手をかけた。
「渡りから冒険者になって、増えた報酬金に思うことがあったかい?」
ソウガの問いかけにハルは頷く。
ソウガは宙に浮かぶ灯火に声をかけ、衰える光を盛り上がらせた。
「難民、流民であれ人なのだからできる限りの施しをしよう…これがユンニアラ、はたまた三大陸にある渡りに対する建前だ。」
ソウガは絶えず音を立てていた窓の締りを直すと、本音を話す。
「しかし戦火、魔族の活性化で住処を失った人間すべてを受け入れられるほど豊かな国は、存在していない。食料があり、土地もあり、人もいる…大国のユンニアラでさえ渡りを邪険に扱うことでもわかるだろう。その結果が、今の渡り制度の本質になる」
「渡りには最低限の衣食住と、直接は殺さない、事なかれ主義か」
ハルが唾棄した言葉に、ソウガは目を伏せる。
「そうとも言うね、私も君たちが有用だから、使えるから補助員にしたまで。可哀想とか、同情から手を差し伸べたわけではないよ。」
「…。」
刀身を磨きながらハルはため息を吐く。
「わかってる。カディナは純粋にあんたをいい人って思ってるだろうが、ボクはまだ、そう思えてない。」
「わかるよ、きみの態度わかりやすいし。」
ソウガは苦笑する。
「…ただ冒険者なら、もの知ってるってなら教えてほしいことがある。」
ナタを鞘に戻したハルはまっすぐソウガを見据えた。
ハルの表情は動かないが、確かに思うところのある熱を感じさせた。
「なんだい」
「あんた、ヒスイって名前の魔法使いを知らないか…年はボクと同じくらいの、紺碧色の髪で…耳の上の髪だけ黄色くて…月色の目をしたした娘なんだ。」
「ヒスイ…?知らないね。寧ろなぜ私が知ってると?」
ソウガは首を横に振る。
「通りで呼び止められたとき、あんた…ソウガからヒスイの物言いみたいなのを感じたんだ。ボク、ソウガの顔、見てただろ」
ソウガは合点の言ったような声を上げたが、なお首を振る。
「魔法使いは実利的な思考の人間が多い。多分どの魔法使い、魔導師もそう答えるだろうね。」
「そう…だよな」
相槌を打った後、ハルは目を机の下に向けた。
ヒスイへの手がかりを失い、明らかに落ち込んでいるのがわかる。
「勘違いは誰にでもあるよ、気にしないことだ」
男は励ましの言葉を口にしながら部屋の出口へと向かう。
「どこへ行くんだ?」
「下の共同浴場に湯を浴びに行く。きみは女だし夜だしで、やめといたほうが良い。」
顔だけをソウガに向けたハルに、男は行き先を告げる。
「鍵は魔法で強化しとくから、安心して寝ると良い。おやすみハル。」
その言葉とともに、ハルの目前の灯火は消える。
「おやすみ…」
ハルの言葉をと同時に、出口のドアが閉まる音がした。
硬い錠の音が聞こえたのを確かめると、ハルは奥の部屋の扉を開ける。
風の叫びは、いつの間にか収まっていた。
翌朝、日が地平から登るより早くハルは起きた。
―二人共寝ていたけど、これも仕事だしな
ここから山道中ほどの高原まで、日が出てから歩いては昼になってしまう。
―宿の人には声かけたし、こっちにはこいつも居る。
走鳥をなでつつ、繋いでいた紐を解いた。
「荷物無しで走れるぞ、いつぶりだろうな」
鳥は嬉しそうに喉を鳴らすと、足を折り曲げて体を低く下げた。
「乗れってか?街出るまで待てって」
数度体を叩くと、立ち上がって軽くハルを引っ張った。
城壁の門の中でも、夜間から早朝開いている小さな木の扉まで行くと門番に証を確認される。
「…どうぞ、お気をつけて」
「どうも」
渡りと冒険者で、兵士たちの対応も若干柔らかくなっているようにハルには感じられた。
城壁を出ると、ハルは鳥に乗って荒れた大地を軽やかに蹴り出した。
一方のカディナが目を覚ましたのは、太陽が地面を十分に照らし出した頃だった
「よく寝れたかい?」
「ごめんなさい…。寝坊しちゃってましたよね…」
かわいい失態に落ち込んでいるカディナにソウガは笑いながら応対する。
「ハルちゃんは暗いうちに出てったって…恥ずかしい」
「さすが狼の狩人を継ぐだけはあるよね。とはいえ、私達はものを買ったり、体を休めるのが仕事だ。気にせず、朝ごはんでも食べようじゃないか。」
小さくはぁい、と返したカディナだったがこのあとの食事は完食したのだった。
食事のあと、二人はノルデンの市場を歩いていた。
「ほんとうに、いろんなものがたくさんありますね」
「本来ならもっと物が多いはずだよ。装甲熊のせいで特に衣服と香辛料…魔法関連の品が少ないかな」
ソウガの真面目な答えに、カディナは嘆息する。
「祓い子の装具も、良いものがないかもしれないけど今よりマシなものを見繕ってもらおう」
ソウガが馴染みのありそうな衣服屋を探していると、カディナが尋ねてきた。
「あの、ソウガさん。こっちのものが少ないってことは…東もご飯がなくなってたりします?」
「良い疑問だね。そう、こっちがこれだけ動いてるんだ、東部も国もこんな状態のまま野放しにはしないと思う。それだけ熊の品定めがうまいってことかもしれない。狩人くんも、数日で見つかるかな」
「ハルちゃん…大丈夫かな」
カディナが不安を口にしていると、表に服の刻印のある店についた。
「ここで揃えていこう…彼女は狼の狩人だ、獣を見つけるだけなら造作もないはず」
「気になってたんですが、狼さんって…普通の狩人と違うんですか?」
店員に促されて更衣室に入ったカディナは、外にいるソウガと話し続ける。
「彼らは狼の獣神から加護を受けてるんだよ。読み替えて大神と呼ぶくらいには信仰は深く、獣神もまた彼らを愛し加護を与えている」
狼と大神の下りに首を傾げつつも、カディナは問いを返す。
「加護って、例えば?」
「老師が教えてくれたのは、環境に気配を同化させたり、獣の弱点を看破したりだね。森歩きや射撃、狙撃、山野草の知識にも若干の加護があるそうだけど…そこは自前かわからないと笑われたっけ」
「へえ…」
カディナはあてがわれた服と金色の装飾をつけると、更衣室にかかった布の仕切りをのけた。
「うん、いい感じだね。踊り子のように見えなくもないが…祓いに舞踏は使うかい」
「はい。」
短く答えたカディナに、ソウガは大きく頷いた。
「じゃあこれで頼むよ」
ソウガは店員に白い貨幣を数枚渡して、カディナ外へと促した。
「…やっぱりモノはマシ程度だったね。熊をどうにかしたらもう少し良いものを買おう」
「銀貨ってあんな簡単に使うものだっけ…?」
男の背中を見たカディナはため息混じりに独りごちった。
「あ、」
客室に帰ったソウガが、ドアを開けて発したのはたった一音だった。
「よお、遅かったな」
太陽が南から落ち始める昼下がり、昼食を摂った二人が帰って来るとそこにはすでにハルがいた。
「いや狩人くんはその、早かったな」
「やっぱりつけあがってるなあの熊…気使ってる人間より楽だった。」
ソウガの後ろからカディナが飛び出す。
「見てハルちゃん、新しいの買ってもらったの…どうかな」
手早く外套を脱いで先程買った服と装具を見せる。
「…前のより鮮やかでキラキラしてて…きれいだよ」
一拍見惚れる間が入った後の感想に、カディナは顔を真赤にする。
いたたまれない気持ちになったソウガは咳払いの後、口を挟んだ。
「…まさか宣言通り半日で見つけてくるとはね。どんな感じだった?」
「聞いた通り図体は大きくて、青銅の鎧を着てるみたいだった。あと額には一本角があったな」
「角…そんな事聞いたことないから変種かもしれないな。追い込みは?独りで出来そうかい?」
ハルが座っていた机の対面に座り、ソウガは話を進める。
「問題ない…って言いたいけど、ソウガ、ボクの持っているスクロールにあんたの魔力を込めてくれないか?」
「魔力? そんなで良いのかい、なんなら魔法にしたほうが」
言いかけたところでハルは首を横に振る。
「いや、戦うわけじゃない。あいつの魔力探知を利用して追い立てる。そのために強いやつの魔力が居る。」
「…なるほどね」
ハルは用意していた白紙の魔法スクロールを三枚ソウガに渡す。
「これだけトントンだと、討伐は明日で良さそうだな。二人とも、湯でも浴びて休んでていいよ。ここの浴場、昼は婦人専用になるらしい。」
ソウガは三枚を前に腕を組んでいる。
「そうなのか、じゃあ言葉に甘えるよ…カディナ」
「うん、行ってきます。」
ソウガを一瞥して、カディナはハルについて行った。
山道から深い森の中、岩と岩の間の空洞をねぐらに、その獣は居た。
獣は生まれつき強かった。
人間の振りかざす剣は強い毛や、金を着たような甲殻が受け付けない。
――ヨワイ、ヒト。コロス、エサ、オトス。
獣は学ぶ。
弱い人間を襲い、殺すと近くに食物が落ちていること。
複数人で向かってくる弱い人間は、叩き殺せば良いこと。
――ムカッテクル、ヒト、クウ、キブン、イイ。
獣は感じる。
進んで自分と戦う人間を殺し食べると、その後の力がみなぎるということ。
弱い人間より、食べるならこれらの人間だということ。
――イタイ、アタマ、コイツ、ツヨイ
獣は覚える。
自身の額の、甲殻で最も長くせり上がった器官が獣に痛みを与えるとき、近くに自分より強い個体がいること。
――ツヨイ、オレ、コロサレル…ニゲル
獣は怯える。
強いものは自分を殺しにくるということ。
出会ってしまっては死ぬということ。
「……」
ねぐらの中に暖気を感じ、獣は目を覚ました。
暗い夜が明け、あたりに光が届きはじめる。
外から漂ってくる温かさは、獣がねぐらからでる合図でもある。
起きたら水場に行き、その後は狩り場で待ち「食料」を食らう。
いつも通りの朝、装甲熊もそう感じているだろう。
パァン!…パパパパ、パン!
「ガォ…!?」
しかしその日は違った。
ねぐらを出た瞬間、四方八方からけたたましい音が響く。
「オ…ォオアアアア!」
声に抗うように、熊は吠える。
しかし、威嚇も虚しく再度炸裂音が鳴り響く。
今度は明らかに先程より熊に近い。
「…ファ!、…ぁ!?」
熊は音と同時に知覚する。
頭の痛み、角が近くに強者がいることへの警告をしている。
山の麓から、自分を超える魔力の塊が来る。
「ガアアアア!! オアアアア!?」
怒号と恐怖、両方をたたえた鳴き声を上げながら、獣は重量のある四肢で山を駆け上がっていった。
「…、うまく行ったな。」
熊の気配が山側へ消えたことを確かめると、ハルは山道へと出た。
「炸裂の魔法とソウガの魔力、思った以上に効いたみたいだ」
山道に散らばる落ち葉を踏みながら、ハルは独り振り返る。
「スクロールの起動をするくらいの魔力はボクにもあるから、熊を怖がらせて、走らせて…逃げ道の先が高原になっていればそれで良い。」
あたりの木々を見る。先程驚かせたリスや鳥たちが戻ってきているのが見えた。
「ボクも高原に行くけど、気配遮断は切るか。どうせ走ってる間に獣に気づかれるから本末転倒だ」
そう言って息をつくと、間近に居た小動物たちは一斉にハルを見た。
そして捕食者から逃れるように、全力で駆け出していく。
「…追い立ては済んだ。あとはソウガ、が…?」
ふと、ハルは後ろから何かの気配を感じた。
逃げていった動物たちとは異質の、こちらめがけて走ってくるようなそれにハルは身構える。
「まさか、熊…いやちがう。」
熊の気配が、遠ざかっていく─のに、別の足音が近づいてくる
振り返った瞬間、『それ』はハルめがけて腕を振り上げ、
下ろすと同時に鈍い音が鳴った。
その頃、朝の高原には男と少女が居た。
傍らにはハルの鳥が、茂みに立った枯れ木に手綱を括られて座らされている。
「祓い…済みました。」
若干足をふらつかせながら、カディナはソウガのもとに帰ってきた。
「ありがとう、相当頑張ってくれたみたいだね」
「はい…結構…この高原広くて…」
ソウガはというと、その場に座って何かをしている。
「…? ソウガさん、何をしてるんですか?」
「この辺一帯に魔法陣を書いている。ハルが熊をここにつれて来たら、高原全体に稲妻を呼んでとどめを刺す。そんな陣だよ」
白墨で大きな円状に字を書き続けるソウガは、カディナに説明する。
「稲妻…魔法ってすごいもの呼べるんですね」
「魔力さえあればね。…これでよし、と。カディナくんが祓ってくれたおかげで穢れが邪魔にはならないし、そろそろ鳥の近くで待機しようか」
ソウガは円を閉じるように最後の字を書いた。
立ち上がったソウガはカディナとともに周囲から目立たないように、鳥の近くへ移動を始めた。
「お疲れ様です、ハルちゃん…早くこないかな」
「カディナは、父さんを探して旅をしているそうだね」
熊が来るまで、ソウガはカディナと話をすることにした。
「はい、お父さんは東の大陸で冒険者だったって…ハルちゃんが聞いてくれたんです。」
「東というとオリエンシオだね。あそこは面白いよ、陸が宙に浮いているのを始めて見た」
ソウガの話に、カディナは軽く叫んだ
「土が浮いてるんですか!?」
「あぁ、土着の獣神がやっているんだそうだ…それはそうと」
ソウガは熊が出てくるだろう茂みからカディナへと目を移した。
「カディナくんは、獣神と縁とかあるのかい?」
「わたしですか…? ソウガさんはあるんですか?」
話を返して、ソウガは再度茂みを見ながら答える。
「私は神を信じるというより、龍の血が流れているよ。魔法は龍の因子そのものだから」
ソウガが答えるのを聞いたカディナは二、三うなづくと答えた。
「わたしは…鳥様ですね」
「神鳥か、獣神の信仰者ではメジャーだね。とするときみは、癒やしの魔法とかも心得が?」
「それは…」
ソウガが聞いた途端、カディナが声をふるわせる。
疑問に思いソウガが名前を呼ぼうとしたその時、木が倒されるような音が聞こえた。
「来たか…」
しかし茂みの様子がおかしい。
通常の二倍もある熊なら、すぐにでも高原に突進してきておかしくないはずだ。
「カディナくんはここで隠れていたまえ」
ソウガは鳥とカディナを待たせて、ノルデン側を見た。
「誰か居るのか!」
ソウガが叫ぶと、「それ」はゆっくりと高原へと歩み出てきた。
「へへへ…、誰なんて酷いんじゃねえか。麗しの銀級様よお!」
「ハル…!」
それは二日前、カディナに乱暴を働こうとしていた男、ケネスだった。
右手には麻の紐で縛られたハルが、意識を失った状態で持ち上げられている。
「おまえらがコソコソ依頼受けてやってんのは知ってたんだこっちはよお…」
「それでなんだ、恥をかかされたから私の補助員をいたぶって弱いものいじめか?恥をしれよ」
ソウガに罵倒され、ケネスはいきなり叫び散らかす。
「恥をかかされたのはこっちなんだよ! しかもコイツは渡りのくせに! オレに剣向けてきやがった!」
高々と掲げられ、ハルは開きづらそうに目を開けた。
「う…」
「ハル!」
ハルと目が会い、ソウガが少々の安堵を感じたのもつかの間だった。
男はハルの顔を自身の顔近くまで持ってくると下卑た笑いを見せた。
「捕まえてみたら女じゃねぇか。銀級様に見せてやるよ」
―その直後、世界が暗くなった。
「え?なん―」
何事かを言おうとしたとき、その影はケネスの腹部を鋭利な爪で貫いていた。
そして刹那、体を垂らしたまま頭部を口で咥え込っむ。
「装甲熊…!」
ソウガの両目が、獣のそれと確かに合う。
目があった瞬間、熊は口中のものをすり潰す鈍い音を立てた。
頭から下は不自然に痙攣し、赤い液体を吹き出し続けていた。
「ハル…ハルマ!」
舌でたぐりながら体を食べている獣の隙を突き、ソウガは少女のもとに走る。
「…う、ソウガ…?」
朦朧とする意識の中、ハルは明瞭な違和感に顔をしかめた。
「ハルマ、起きたか。いま縄を解く…立てるか」
抱きかかえられ、ハル、正しくはハルマの意識は急速に戻っていく。
ソウガは小さな火を起こして紐を焼き切った。
「…走るさ、じゃなきゃ死んじまう」
「ならいい、それじゃあ」
何かを伝えようとするがすぐ背後には巨大な影が迫っている。
狙いは、強い男ではなく、弱い少女。
「があああ!」
熊が腕で少女を貫こうとしたところを男はかばうため前に立った。
「ソウガ!?」
思った以上の硬質な音に阻まれ、二つの物体の放った衝撃に吹き飛ばされながら、ハルマは無事だった。
「…こんなことでは死なないさ、早く、逃げろ」
「…っ」
声を殺して、ハルマは高原の奥へと逃げる。
ソウガは熊の腕を捕まえたまま至近距離から、長めの詠唱に入った。
「ガ…!?」
即座に地面には橙色の陣が広がり、その場で爆炎が広がった。
「ぎゃあああ!?」
炎は熊の胸のなかで弾け、装甲のない胸や腹を焦がした。
「…魔法耐性もあるか、それなら」
もんどり打ち、体についた火を消そうとしている熊に背を向け、ソウガは作成した陣手前まで走る。
「があああ! おあああ!」
熊も格上など関係なく先程逃げた『餌』を取られたことに激昂し、ソウガを追った。
「ハルちゃん! 無事!?」
その頃、ハルマは茂みの中に隠れていたカディナを見つける。
「なんとかな…、鳥はここに居るんだな。」
ふらつく意識で、ハルは一人と一羽を視界に入れる。
「うん。だから長いのもあるよ」
「あぁ。」
頭を抑えながら、鳥に運ばせていた荷物に手を伸ばした。
うまく行ったなら無用の長物になると思ったが、カディナに任せたそれを出して、ハルマは考える。
「あいつ、なんでボクの名前を…?」
最善の行動のために、受け答えしか出来なかった。
しかし確かに、ソウガは自身を「ハルマ」と呼んだのだ。
「ボクは行く、あいつも熊にやられてるんだ」
嫌な風が吹いている、高原をなめるような気色の悪いそれは茂みの中も通り過ぎていく。
「でも…ハルちゃんだって怪我してるんだから…無理しちゃ駄目だよ」
「大丈夫。気配遮断はする…、じゃあなんかあってからじゃ遅いから」
出ていく寸前でカディナから手を握られ、体全体に温かな気が巡るのを感じる
「…これくらいしか出来ないけど、頑張って。」
「ありがとう」
ハルマは短く礼を言うと、風の中へと進んでいった。
「…、…」
陣の近くで手を前に突き出し、ソウガは杖を構える。
―装甲熊は装甲の堅牢さとともに、胸部の魔石によって魔法の耐性も高い。
短く詠唱をし、小さな水球を三つ、熊へと放った。
熊がそれを飲み込む。
―やはりな、水魔法に反応して取り込む癖がある。…それなら。
ソウガは足元に青い文字で陣を展開し、杖の前に大きな水球を作った。
「これは、どうかな!」
その球をソウガは杖で打ち出した。
球は勢いよく疾駆する獣に向かい、獣は先程と同じくその球を飲み込む。
「!?」
しかし飲み込んだ瞬間、熊の足が格段に鈍る。
一歩一歩、後ずさりながらソウガはかすかに笑った。
「水は水でも、塩基を豊富に含んだ水だそれは。」
獣はソウガに迫るも、寸前のところで足が止まり、体の内部を襲う激痛に胸をかきむしり始めた。
「塩基は肉を溶かす以外に、胃にためている酸とくっつき瘴気を発生させる…その痛みは想像したくもないね」
「ァガ、がががががっ…」
口から黄緑の呼気を吐き散らしながら、熊は男を見た。
覚束ない足でなんとか近づこうとすると、獣の足元が眩く光り始める。
「賢しくても、所詮は獣だな」
ソウガが杖を掲げると、上空に垂れ込めた黒雲から青白い閃光が熊めがけて降り注いだ。
その衝撃は地を揺らし、光が止むと獣は黒焦げになって地に伏した。