静寂が戻った。
焦げた匂いだけが、風に流れていく。
「…しかしさすがは好き勝手やっていた獣ではあるよ」
ソウガは自身の背を軽く触る。
背中には少女を庇った際、縦一文字に割かれた真紅の痕があった。
触れた革手袋が、その紅を吸うほどの量が出続けている。
「防護の魔法を貫通してくるなんてね…こんなことなら援軍を待っておけば―」
獣から目を離した瞬間、黒焦げのそれは頭から男めがけて突進を始めた。
「ソウガ! あぶない!」
「え…!?」
それは一瞬の出来事だった。
熊の焼け残った一角が、男の腹を容赦なく貫く。
「かはッ…」
衝撃とともにソウガは腹に灼熱と激痛を感じた。
知覚したことのないそれに、男は顔を歪ませる。
その衝撃で体は宙へと突き上げられた。
『ボクは獣しか狩らない、魔獣は専門外だ』
不意に、かつて自身が言った言葉がハルマの頭に響く。
すでにボロキレのようになった魔獣はいずれ死ぬ。
「…っ」
それでもハルマは走り込みに黒焦げのそれ銀砲を向ける。
獣では感じない恐怖を感じ、ハルマの体は震えた。
「もう好き放題やっただろ…大神のもとに、帰れ!」
自身に暗示をかけるように呟き、ハルマは引き金を引いた。
炸裂とともに銀砲から放たれた金属球は、熊の後頭部から喉を貫く。
それが絶命寸前の獣の致命傷となって、獣は再び地面に伏せた。
「ソウガ!」
空から地面に迎えられた男に、ハルマは叫ぶように声を掛ける。
「ソウ…ガ? いや…そんな。」
地面に落ちた、その場所にたどり着いたハルマは言葉を失う。
そこに居たのは男ではない。
紺碧色の髪に、月色の瞳――
かつてハルマとともにあった少女、ヒスイだったのだ。
「ヒスイ…だっんだな、おい、ヒスイ!」
血を見た瞬間、膝が折れた。
声が勝手に出た。
駆け寄るより早く、名を呼んでいた。
「ハルちゃん…!」
銃声と走るハルマを見つけたカディナが追いつくと、血まみれの少女を抱えるハルマの姿があった。
「…ハルマ、無事だったか。良かっ…」
「良いはずないだろ!? どうして、こんな」
血と砂で汚れたヒスイは力なく笑う。
「これは…報いだよハルマ。きみのことを見捨てて、姿を見せることを怖がって逃げ続けた、素直になれなかった私への、報い。」
吐き出すような笑いを繰り返すと、ヒスイはなんとか動く手をハルマの胸元まで伸ばした。
「でも、この姿であえただけ良かった…きみの助けになれたなら…よか、った…」
「ヒスイ! …やだ! やっと会えたのに、こんな終わり方…! ボクは絶対認めないぞ! このままじゃ…ボクはお前を許さない…おい、ヒスイ…、…!」
最後の言葉が出る前に、ヒスイの頬に水滴が落ちる。
声を失い、うめき始めたハルマの肩に手が落とされた。
「まだ諦めちゃ駄目だよ、ハルマ」
「…カ、ディナ…」
涙でぐちゃぐちゃになったハルマを抱きしめるように、少女はその先の少女に手を差し伸べる。
「わたしも、このままお別れは嫌だよ。まだ、会ったばかりだもん。」
「…でもその力を使うのは、」
ハルマは止めるが、カディナは聞く耳を持たない。
「このまま、ハルマがこのことを悔い続けて生きるのもわたしは嫌。だから、使うね?」
カディナが触った頬から、金色の燐光がヒスイを包む。
「隠せって言われたけど、本当にごめん。それでもわたしは、ヒスイちゃんに生きてほしいの」
「…、そういうことなら」
ハルマは言いかけたあと静かに目を閉じた。
カディナの力は神鳥の加護によるもの。
それに愛された彼女は死の淵に居る魂さえ現世に連れ戻せる。
「…」
その強すぎる力を知っているからこそ、ハルマはカディナの加護が公に知れることを恐れているのだ。
カディナの背中から、燐光と同じ色の翼が見える。
「ボクは、二人を、ボクの加護で守るだけ。」
二人の温度をその間で感じるハルマは、二人の気配を切り取ろうとしていた。
自分が気配遮断を使い、周囲から隔絶させるように。
「…カディナを、ボク達を、誰にも見つけさせない。」
風が、三人に気づかず通り過ぎていった。
光が消えた瞬間、時間が逆流するように、記憶がひらいた。
きっかけは、ただなんとなくだった。
「私はヒスイ、色々あって渡りしているんだ。きみは?」
「ボクは…ハルマ。狩人をしてる」
大人数での仕事の時、ヒスイは基幹になる人員の中にハルマを見つけた。
その土地に初めて来たヒスイは、土着の渡り達から信頼を置かれたハルマに、なんとなく興味を抱いたのだった。
「ハルマは、なにかしたいとかあるの?」
「別に、というかついてくんなよ。渡りなら、自分の思うように渡れよ。」
「えー…いいじゃん。群れるのだって渡りらしいじゃんか。」
仕事が終わったあと、ハルマはすぐ次の街へ行こうとするから、ヒスイはそのままついて行った。
―最初はすごく嫌がられたっけ…思えば、ハルマとの旅はそこから始まったんだ。
「獣の討伐、半日で銅貨10枚は流石に安いよ。」
「そういうお前はその半日で何やってたんだよ」
ダメ出しをするヒスイを、ハルマは睨みつける。
「農地に雨を降らせましたー銀10枚でーす、ハルマくんの50倍稼ぎましたー。」
明らかに悔しそうな顔を作りながら、ハルマは荷物を広げ始める。
「魔法使うのはズルだろ、正々堂々働いて稼げよ」
「ハルマはわかりやすいなぁ。っていうかさ、冒険酒場で仕事を受注しないで金持ちに直接仕事もらえば良いんだよ。そっちのほうが稼げるよ」
「だめだ。それをしたら獣を狩りすぎちまう。均衡は守ったうえで獣は間引いていくものだ」
「へえー…」
ヒスイは笑いながらも、ハルマの不器用な言い方が少し好きだった。
仕事終わりには決まって罠や武具の面倒を見るハルマを、ヒスイは本を読みながら見守っていた。
「雨が吹き込んで布団がべチャベチャだ…」
「じゃあ、ドア際の、私の布団使う? 働いたハルマがベッドで寝るべきでしょ?」
窓なんて大きく穴のあいているだけのネストでは、にわか雨になるとよくこんな事があった。
「ヒスイも働いてるんだからいいよ。ボクが床に寝る。」
ところどころ底が抜けている床で寝ようとするハルマを、ヒスイは無理やりベッドの前まで引きずった。
「いやぁー私は魔法でズルしてるからさ。ささ、お疲れのハルマくんがちゃんと寝て…」
そう言いかけると、ハルマは乱暴にヒスイを自分の横に寝かせた。
「なら、こうすれば文句ないな。」
何が起きたかわからなかったが、一つのベッドを分け合っているとわかった瞬間ヒスイの顔は熱を帯びた。
「これじゃ添い寝じゃん…はっずかしい」
ハルマの寝息と体温を感じながら、ヒスイは両手で顔を覆った。
粗野で、真面目で、頑固者のハルマ。
男(ソウガ)に化けてやってる冒険者との兼ね合いもあるから、早く離れないとなって考えることは何回もあった。
でも、ハルマと渡りをしているときが一番自分らしく居られて、楽しくて。
もう一月、もう一月って伸ばして、結局半年、ハルマの近くに居たんだった。
でも、それも調子に乗った私のせいで崩れてしまった。
「毒蛇狩り余裕だったね、これ30匹狩って銀10なら全然ありだし」
「あんまり気を抜くなよ…! あぶない、ヒスイ!」
ハルマはヒスイを庇うと、腕を毒蛇に噛まれた。
黄色と黒の、シマシマした毒蛇だった。
ハルマは噛み付いてきた頭と胴体をナタで切り離して傷口に口をつけた。
「ハルマ…ごめん。私が気を抜いたから」
「…、平気だ。」
その場で毒を吸い出したけど、様態が急変したのはその夕方だった。
急に倒れたハルマを、ヒスイはソウガに化けて医者に見せた。
「ノルデンタイパンの毒だね。一噛みで百人は殺すという殺人ヘビだから、渡りの仕事でも払いが良かったんだろう…。寧ろ噛まれてよく動けたね」
「解毒薬はないのですか?」
ソウガの姿で、ヒスイはどうにかハルマを救おうとした。
「うちでは持ってないし、これの血清もなかなか入ってこないんだよ。ほら噛まれると血清取る前に死んじゃうからね。」
「…そんな」
うなだれるソウガに、ネストから出ていく医者はかすかな希望をちらつかせた。
「ただここはノルデンブルグ…市場の何処かにあるかもしれないね。」
それは風前の灯火だったが、ヒスイにとっては縋るべき藁だった。
ネストから冒険者の証を持って市場まで一心不乱に走る。
ノルデンタイパンの血清または獣特効の解毒薬、といっては店の人間に首を横に振られる。
それを見ては他の店へと向かった。
「…」
しかし、どの店にもそれは見当たらなかった。
行き先を失ったソウガは、ふらりとなんとなく冒険酒場にむかった。
すると酒場には何やら人だかりができている。
「これとか見てくれよこの薬、東の名薬師が作った解毒薬さ。」
それを聞いたソウガはすぐに振り返った。
「何の毒だって抜いちまう。みんなー値段知りたくないかぁー?」
「もー何回目だよー!」
いい加減周囲からうざがられる行商の男に、ソウガはにじり寄った。
「貨幣何枚だ、教えろ。」
ソウガの叫びに、酒場の空気がいきなり動きを止めた。
「な、なんだい兄さん…随分ワケアリ顔じゃないか…」
「仲間が死にそうなんだ、何枚だ。言い値を出そう。」
「そんな必死になっちまってまあ…随分惚れ込んでるんだな。そうさな、こっちも商売なんでね、金2枚でどうだい?」
ソウガの介入で、行商人への人だかりは更に大きくなる。
ソウガは商人から体を離すと、皮の財布から貨幣を並べた。
「…金1枚、あと銀50だ。数えてくれ」
「…毎度あり、助かると良いな」
金と引き換えた薬瓶を持って、ソウガは再び走る。
ネストまで走り、切れた息と姿を戻しながらハルマのもとに座った。
「…ハルマ、薬を買ってきたよ。…飲める?」
「ヒスイ…」
絞り出したような声を出していたがハルマはまだ意識があるようだった。
体を起こして、ゆっくりと薬を飲ませる。
「…、…」
飲ませたあとは、またべッドにハルマを寝かせた。
ヒスイも行商人がただの水を売っていたのではないかではないかと疑いはした。
飲ませたあと一時間ほどはハルマも呻いていたが、汗が引いてくると顔色がとたんに良くなる。
「本物…だったんだ。」
落ち着いた寝息になったことを確かめると、ヒスイは安らいだ息を漏らした。
ハルマは無事だと思うと次に、この先ハルマはしばらく動けないんじゃないかと思った。
「ハルマ、私の全財産置いていくから。これでしばらく食いつないでね」
熟睡しているだろうハルマに、ヒスイは淡々と今後のことを話す。
「私のせいで、苦しい思いさせてゴメン…」
ハルマは規則足しく寝息を立てる、その様子にヒスイの心は痛み続ける。
「私が、一緒に居たいなんて思ったから悪いんだ。だから元の場所にもどるよ」
数度ハルマの頭を撫でたヒスイは、思いついたように紙とペンを荷物から取り出した。
「手紙も書いておくから、読んでね」
数枚の手紙を便箋に詰め、枕元に置く。
手紙を書き終えた窓からは大陸の先に太陽が覗く。
「朝…、ハルマが起きたら引き止められちゃうかも。」
ヒスイは荷物を手早くまとめると、寝息を立てるハルマを無視するようにドアノブに手をかけた。
「ヒ、スイ…」
後ろからハルマに呼び止められているような気がした。
それを振りほどくように、ヒスイは外へと出た。
「私も渡りらしく、好きに渡るね…ばいばい。」
ハルマと別れたあと、ヒスイは冒険者ソウガとして名をあげていった。
「ソウガさん久しぶりです、青銅証返せって受付嬢が怒ってましたよ」
冒険者の若者と、ソウガの姿で話すヒスイは苦笑する。
「半年間好きにやってたんだ、銅級戻りだって。晶石にならなかっただけ良かったよ」
「好き勝手ねえ…ソウガさんなにしてたんすか?親孝行っすか?」
若者の焦点のズレた考察に吹き出したあと、ソウガは短く答える。
「ずっと続いてほしいような一時さ。それ以上はいわないよ」
「…まぁソウガさん強いンスから、またトントン拍子でいけますってー」
他愛のないこと、流行りの仕事をして笑い合う仲間。
級を上げて喜んでくれる人、すり寄ってくる人、一緒に仕事してくれる人、妬んでくる人。
単独最上位、銀級になった後は本当に沢山の人に出会った。
――色んな人が居るな…、ハルマは今何してるんだろうな。
それでもふと独りになると、ハルマのことばかり考えていた。
ハルマはユンニアラ北東で今も渡りをしていると人づてに聞いた。
いつも仕事を受ける場所は決まっていたから、ヒスイはふとノルデンの冒険酒場を覗いた。
そこでハルマが冒険者になろうとしていたから、ソウガとして近づいて助けてあげようとした。
『助けてとも、冒険者にしてくれとも、ボクがアンタに言ったか?言ってってないだろ!』
もちろん、私はソウガだったし、ハルマは頑固者だから、こういうやり方はすごく嫌そうだったけど。
「助けになれたよね…? それなら私に…悔いは…、…」
「…え? 私…いきて…」
「あ…! ヒスイちゃんおきた…!」
横にはカディナが、ヒスイの顔を眺めている。
「カディナだよ…覚えてる? ヒスイちゃんとは、はじめましてだね。」
「うん…、ここは?」
陽の光で明るい空間。
初めて寝るベットに、初めての部屋。
ヒスイが状況を飲み込めないことを察し、カディナは話す。
「あ、ここはノルデンブルグのネストだよ。ソウガさん居ないから宿と迷って…ここの一番きれいな部屋を貸してもらったの」
「…そう」
ヒスイは生きている状況さえ飲み込みきれずにいる。
確かに自分は死んだはずだ。
体は冷えて、胸をあげないと息が吸えなくなっていった。
それなのに、今それが嘘のようだとヒスイは感じていた。
「…ハルマは?」
「あっちのベッドの上。」
指さされた先を見ると、ヒスイの腕に管が繋がれている。
管の中には赤い液体が入っていて、それ越しのベッドでハルマがヒスイに背を向け眠っていた。
「ハルマ…寝てるのかい?」
「ハルちゃん、疲れてるんだと思う。」
カディナが息をついて説明を続けた。
「熊にやられたヒスイちゃんの傷、なんとか塞いだんだ。
でもね、お医者さんに血が足りないって言われて―」
「ん…、確かに。心当たりある。」
ヒスイは説明しようとするカディナの言葉をできる限り拾う。
背中の傷と、そして腹部に受けた致命傷で失血での絶命に足りるものだった。
「で、輸血っていうんだってそれ。ヒスイちゃんの血と近いのを入れてるからじっとしてて。」
「ん…」
自分はこの二人に生かされた、それを飲み込んだヒスイは小さく頷いた。
「確認だけど、ソウガさんはヒスイちゃん…なんだよね」
その問いに、ヒスイは深くうなづく。
「高原で話した続きになるけど、私は他の人より龍の血が濃いんだって。龍の血は魔導の血。その中でも私は変化の魔法が得意なの」
「変化…それでソウガさんに?」
「大人の男でいるのは結構便利だし、元気なら一週間はソウガで居られるんだ。」
ヒスイの話に、カディナは輝くような笑顔を向けた。
「すごい…しかもすごく強かったし、あの腕ひねって助けてくれたときは本当にかっこよかったよ!」
目を輝かせるカディナに、ヒスイはバツが悪そうな顔をする。
「私も、カディナに聞きたいのだけど…あの時私に傷を塞いだ以上の事したよね?」
「やっぱ魔導師、わかるんだね…わたしは神鳥の加護がすごく強いんだって。癒す以上に、蘇生に近い事ができるみたい。」
「みたい…?自分でもわかんなかったんだ」
言葉の端を捕まえているようだが、カディナはそれにも優しく答えた。
「あれやったの二度目で、今回でできるって分かった感じかな。」
「その初めては…ハルマ?」
ヒスイは横で寝ているハルマに顔を向けた。
「ヒスイちゃん鋭いね。わたしを連れて逃げてくれたときにハルちゃんが、大怪我を負って」
「うん、それで納得した。ハルマが連れてるなら何かあるなとは思ってたよ」
ヒスイは寂しそうな顔をしているカディナの目線まで体を起こす。
「ヒスイちゃん…体起こしたら…!」
そして管の繋がれていない手でカディナの手を取った。
「実感なさそうだけど、傷を治す魔法は体にすごい負荷をかけるの。あまり使いすぎないようにね…助けてもらったうえ、その魔法使えない私が言っても説得力ないんだけど。」
「あ…ありがとう…」
はにかむカディナを見て目を細めたヒスイは呟くように続ける。
「あとハルマ、起きてるんでしょ?寝返り打たないの、逆に不自然だよ」
「え?」
驚いたように、カディナはヒスイ越しのハルマを見た。
言葉の後、ハルマは面倒くさそうに上体を起こす。
「…ヒスイ、久しぶり。」
ハルマは一度目を合わせたが、挨拶とともに目線を外してしまう。
「まず、ごめん。今思えばすぐにでもソウガは私だっていうべきだった」
「…その後も。ボクが聞いたときに言ってくれたら良かったんだ」
ハルマは小声で呟く。
いつもの強い語気ではなく、どこかしら甘えるようだとカディナは感じた。
「あとはありがとう。きみたちのお陰で、私は生きていられてる」
「…、それもだ。逃げただけで死ぬ報いなんて受ける必要ない」
二人の雰囲気にヤキモキしたカディナは口を挟んだ。
「ハルちゃん、それだけなの?」
「なんだよ、それだけって」
「ずっと探してたヒスイちゃんが居るんだよ? …なのにハルちゃん、全然嬉しそうじゃ、素直じゃない」
カディナは知っている。
死に瀕したヒスイに、ハルマが言った言葉、とった行動の全部を。
「血がないって言われたときだって!」
「おいバカやめろ!」
「やだ、やめない!」
部屋に風が通り抜けた。誰も言葉を足せず、ヒスイのまつげがわずかに揺れた。
「ヒスイちゃんの輸血だって、ハルちゃんから取れるだけ取って渡せって言ったじゃん! そのくらい、素直に喋ってよ…」
ヒスイは管の先を見た。
そこには赤いものがついた大きな瓶が二本ぶら下げられている。
今は一本を飲み干したあと、最後の半分を体へと注いでいるのだった。
「ハルマ…」
「毒ヘビの時の借りを返しただけで…」
苦い顔をしたハルマはまた流す気でいたが、
「ハルちゃん!」
「…!!」
カディナからものすごい剣幕で一喝され、観念したハルマは、ベッドから起き出す。
四角に開けただけの窓からは、涼しい風が吹き込んでくる。
風が歩くハルマの髪を静かに揺らした。
「…ヒスイ。」
そしてヒスイの目の高さまで自身の身体を下げる。
「あの時…死にかけたボクは、ヒスイに見捨てられたんだと思っていた。」
ハルマが最後に見たヒスイは、荷物をまとめて出ていった背中だけだった。
「捨てられたなら、会ったところで仕方ないのにな。多分そのまま、探しているままでいたかったのがボクの本音なんだろう…だから今何言っていいか全然まとまらない」
言い終えたハルマは頭を横に振る。
一度目を伏せ、再度ヒスイを見た。
「でもボクはまた会いたいともずっと思ってた…」
「ハル…、」
床が軋む音とともに、ヒスイは近づくハルマと、軽い衝撃を感じた。
「また会えて、話ができた…生きててくれて、よかった…」
ヒスイの耳元でハルマの声が聞こえる。
落ち着いたような、震えているような不思議な声だった。
「…、私を恨んでないの?」
「恨むはず、ないだろ。」
ヒスイの体を抱くハルマの腕に力がこもる。
言葉にしない答えを受け取ったヒスイは、自由な腕を背中に回した。
「私も…きみを捨てれるはず、ないじゃんか。」
助けになったから悔いはない、そう納得しようとしていた。
本心を言うなら、助けただけじゃ足りない。
会えただけじゃ満足じゃない。
もっと一緒に居たい、ヒスイはそう考えた。
「…飲み物とってくるね」
その様子を見て安堵したカディナは、静かにドアを開いた。
ヒスイの輸血が終わってからは、ゆっくりでも確実に事後の応対をしていく。
ソウガとして討伐の達成手続きをし、鳥に乗せて持ち帰っていた素材を精査し、冒険酒場のマスターから金を受け取った。
「丸一日かかってしまったね」
「討伐と素材報酬で金貨10枚…金銭感覚が馬鹿になりそうだ。」
その他のことを一通りした三人は、宿屋の一室に戻る。
「お金もだけどさ、証を石にしてもらえるなんて思わなかったね。」
「一体とはいえまがりなりにも魔獣の討伐だ。昇級の実績としては十分すぎるよ。」
カディナは改めて灰白色の石細工を取り出して手のひらで転がしている。
「カディナくん、実は酒場できみの父のこと、聞いてきたんだ」
「お父さん!? なにかわかりましたか!」
眩い金貨と白と黒の斑石でできた証を眺めていたハルマも、二人の方を見た。
「まず彼が生きてるというのは本当らしい、冒険者の中では有名な男だ、酒場での目撃談が何個か聞かれた。」
「…よかったぁ…!」
カディナは胸に両手を当てている。
ソウガはため息混じりに次の情報を明かした。
「ただここからが残念な話で…東のオリエンシオに居るが、誰もどこに住んでいるかはわからないらしい。」
「ボクらとおなじく定住してない?」
「多分そうだね、冒険者として健在とのことだよ」
ソウガは地図を広げ、二人に見せる。
広大なユンニアラとその横にあるのがオリエンシオだろう。
「ここにいくならどのみち海を渡ることになる。二人は工廠国から逃げてきたなら、北から行く道は使えないと考えると…今より厳しい旅だと考えておいてくれ」
「うん。」
「カディナがいくなら、もちろんボクも行く。」
二人の目は、期待と決意の熱に溢れている。
ソウガは、この二人にできるという確信を見た。
「ならよし…、さて、冒険者としては一旦店じまいするね」
ソウガは手を叩き、その体を少女に戻した。
「…本当にヒスイちゃんなんだ」
一瞬のうちに姿を変えたヒスイに、二人は目を皿のようにした。
言われるより、見たほうが実感はするし、驚きもするものだ。
「ははは、病み上がりもあるけどやっぱりこの体のほうが楽だね」
「なあ、ヒスイ。ヒスイもソウガの補助員って登録にすれば変化を使わなくても良くならないか?」
ハルマからの提案に、ヒスイは首をひねった。
「んー…、難しいかな。登録しようにも私自身がソウガかヒスイでなくてはだめで、酒場に2人が居なきゃだから」
「代わりとかでできないんだな…」
「逆に2人は嫌じゃない?補助員なんてソウガとの主従のようなものだよ?」
ヒスイは改めて2人に尋ねる。
成り行きとはいえ、そうなってしまったことを申し訳なく思うのだろう。
「わたしは、このままが良いかな。むしろ、こうして三人で居られるもん」
カディナの笑顔に、ヒスイの心は不意に温まる。
「ボクも、肩書が変わっても狩人をする自分は居なくならない。」
「…そっか。」
屈託のない笑顔を浮かべている2人を見て、ヒスイは息をついた。
「それじゃあ、これからも2人と海を渡っても、一緒でもいいん…だよね」
「当たり前だよ。一緒に行こう」
カディナは満面の笑みを浮かべた。
「ここで降りるって言ったら、それこそ許さないからな」
歩み寄ってきたハルマはヒスイに手を出す。
「…うん。」
その手を取るよう促され、ヒスイは手を取った。
風が流れるように、渡る旅の中で世界も少しずつ変わる。
その風は、かつての二人の孤独を、そっと撫でて通り過ぎていった。
独りたちの旅路は、これから3人の旅路になって続いていく。