書き入れ時となったお茶屋を離れて、人里を散策しているときのことです。
遠くからは、
そんな人間の営みの温かさから、一歩外れた影のなか。そこが、私たち怪異の、本当の通り道なのです。
前方の塀の上から、赤いものが飛び出しているのが見えました。
「おや、あれは……」
間違いありません、あれは、小傘ちゃんのいたずら傘です。
大きい舌の部分が、塀から出てしまっています、あれでは待ち伏せの意味がありませんね。
ふふ、せっかくの可愛い悪戯です、少しだけ手助け――いえ、悪ノリといきましょうか。
私は自身の『ゆらぎ』の能力を使い、気配ごと自身の存在を霧の向こうへ隠します。そして、塀の裏でどきどきしながら通行人を待っているであろう小傘ちゃんの、そのすぐ真後ろへと、ふらりふらりと回り込みました。
「……もし、よろしければ」
「ひゃああっ!?」
すぐ耳元で囁いて差し上げると、驚かせる側だったはずの小傘ちゃんが、自分の唐傘を放り出して飛び上がりました。
「おや、待ち伏せをしていたのは私の方ですよ、小傘ちゃん?」
「ゆ、ゆらっ!? もう、お化けを驚かせるなんて、うらめしや〜だよぉ!」
「ふふ、素晴らしい待ち伏せではありましたが。舌先がちょろりと出てしまっていましたよ?」
「えっ……あっちゃー、だめだったかぁ……」
私の前で、尻餅をついたまま残念がっているのは多々良小傘ちゃん、唐傘の妖怪、付喪神と呼ばれる存在ですね。
故にいつも、傘を主体とした『驚かし』を人里で行っているのですが……これがまあ、中々うまくいかないみたいでして。
「またゆらが人々を驚かしてお腹を満たしたって聞いて、私も負けてられないっ! って思ってたのに」
「焦りは禁物、ですよ?」
「わかってる。でも蛮奇もたまに噂聞くくらいだしさ〜?」
私たち人里に潜む妖怪というのは、妖怪の中では新参という扱いに該当します。
そこに在るだけで畏れられるのではなく、人々に驚きという刺激を与えることで、妖怪としての飢えを満たすタイプの妖怪ということですね。
……あ、美宵ちゃんは別ですよ? 彼女はどちらかというと守り神に近い存在ですから。
私が能力で誤魔化すまで、屋敷の外にすら出られませんでしたからね〜。
「ふふ、お赤ちゃんは、頭が外れるというだけで人間にとっては十分な劇薬ですからね。それに比べて小傘ちゃんの驚かしは……少しばかり、健気が過ぎるのですよ」
私は地面に座り込んだままの彼女に手を差し伸べ、ひょいと立たせてあげました。
「うう、健気じゃなくて怖がらせたいの!」
「では、少しだけ怪異の先輩として、手本を見せて差し上げましょう。……おや、ちょうどあちらから、店じまいを終えた人間の足音が聞こえてきましたよ?」
私は小傘ちゃんを自分の後ろに隠し、ふっと顔布の奥で微笑むのでした。
「ゆ、ゆら? 何をするの?」
「驚かしの基本は、相手の意識の外を突くことです。小傘ちゃんはおっちょこちょいですから、そういう類の技術と相性が悪いんです」
「ぅ……お淑やかな正論で殴ってくる……」
ここは同僚として、一歩先に進んだ技術を持つものとして。
……ちょっと、お手伝いしてあげましょうね?
「私の後ろから出ないようにしてくださいね、小傘ちゃん」
「うん……あ、もしかして」
「そうです、今私とその背後を揺らがせて、認識しにくくさせています」
お赤ちゃんのことをああは言いましたけれど、私は私で随分とやりやすい方の妖怪ではありますからね。
その分、妖怪としてのサガを満たすためには、少々工夫が必要にはなりますが。
コツ、コツ、と人間の足音が塀のすぐ傍まで迫ります。
……さあ、今です。私はそっと一歩横へ
「うらめしやーーーーっ!!」
「うわあああっ!? か、傘のお化けぇ!?」
突如として目の前に現れた青い髪の少女に、人間は尻餅をついて驚きました。小傘ちゃんは「えへへ、うらめしや〜!」と満面の笑みです。
サガを満たして満足げな彼女の後ろから、私はふらりと人間の前に進み出ました。
「おや、お怪我はありませんか? ……さあ、今夜の楽しい悪戯は、ここまでですよ」
ふっと私の『ゆらぎ』が人間の頭を包み込みます。立ち上がった人間は、ぽかんとした顔のまま「あれ、俺ここで何してたんだっけ……」と首を傾げて去っていきました。
「あーっ! また記憶消しちゃったの!?」
「ふふ、これで小傘ちゃんの驚かしは、人間の間で『大傘のお化けの怪談』として、語り継がれるのですよ。感謝してくださいね?」
「え、ええー?」
「……というより、周りはまだまだ明るいですから。こんな状況で成功したって、『いつものいたずら好きの傘の少女が、今日は成功した』って、伝わるだけですよ?」
「あ」
「なので、私の能力で今回は怪奇風に仕上げました。今後はお昼に驚かす時と、深夜に驚かす時で手法を変えてみるのもいいかもしれませんね」
こうして、小傘ちゃんもまた怪談としての一歩を、ようやく踏み出しました?