みーつけた、をもう一度。   作:虚憂

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ゆらぎ、されど風は吹く

「わぁ、ふわふわ……!」

 

 

 張り詰めた沈黙を破ったのは、そんな私の、どこまでも間の抜けた感嘆の声でした。

 

 

「……あややっ!?」

 

 

 いつの間に、背後に。

 そう言いたげに、鴉天狗の少女の身体がびくりと硬直するのが、指先を通して伝わってきます。

 千年の大妖怪が放つ暴風のような威圧のなか、私はほんの少しだけ自身の境界を『ゆらげて』みせたのです。

 目の前にいる私の残像に彼女の意識が向いた一瞬、本体をその背後へと滑り込ませる。これぞまさに、私が先ほど豪語した「怖れへの創意工夫」に他なりません。

 ふむ、思っていたよりさらさらで触り心地がいいんですね。

 驚きのあまり手帖を落としそうになっている天狗様を余所に、私は彼女の背中から生える漆黒の翼へとお上品に手を伸ばし、その見事な風切羽を優しく撫で上げていました。

 

 

「どうですか、天狗様。力任せに畏れさせるばかりでは、このように、背後の小妖怪の羽音(あしおと)すら聞き逃してしまうものですよ?」

「……んや、ちょ、くすぐった!?」

 

 

 先ほどまでの冷徹な気配はどこへやら、天狗の少女は首をすくめ、大きな黒い翼をごわごわと波打たせて身悶(みもだ)えしました。

 幻想郷最速と謳われるその身体が、私の指先一つで完全に動きを封じられている。

 人里を脅かす大妖怪をこうも簡単に手玉に取るなど、おばあちゃんが見たら「上品じゃないねぇ」と苦笑いされてしまうでしょうか。

 

 

「ふふふ、さすが天狗様です、大きな翼のお手入れもお手のものなんですね」

 

 

 私は顔布の奥で目を細め、まるでお茶屋で常連客の長話を相槌で受け流す時のように、のほほんとした声音で告げました。

 けれど、その指先だけは容赦なく、黒い風切羽の隙間へと滑り込ませ、念入りにふわふわとした毛並みを(くすぐ)り続けます。

 力による『畏れ』しか知らぬ天狗様へ、これこそが、人里の片隅で磨き上げられた怪異の『創意工夫』――その、ほんの御挨拶です。

 

 ……まあ、生まれ持った能力ありきの悪戯だと、他者に揶揄(やゆ)されて仕舞えばそれまでなのですが。

 ふふ、とはいえ純粋な肉体の頑強さや速さという面では、私は彼女に圧倒的な不利をとります。このくらいの小細工は許されて然るべきでしょう。

 なにより、せっかく人里へ紛れ込む際、人間の目を欺くために隠しておられたであろう見事な翼を、私如きに(あつ)をかけるためとはいえ、自ら広げてみせた天狗様が悪いのです。

 と、言うよりも――。

 

 

「ほんとに触り心地いいですね?」

「て、手を離してもらえませんかねっ!?」

 

 

 天狗の少女は顔を真っ赤にして振り返ろうとしますが、私の指先が羽の根元の『妙なところ』を捉えているせいで、どうにも体に力が入らないようです。

 

 

「おや、最速を誇る天狗様なのですから、強引に私を振り解けば良いのでは?」

「あなたの触り方が妙と言いますかっ、その――本当に、憎らしいですね!」

「お褒めに預かり光栄です?」

 

 

 私が顔布の奥で小首を傾げると、彼女はついに、手にした手帖で自身の顔を隠すようにして、小さく「うう……」と唸ってしまいました。

 山を統べる大妖怪を、人里の路地裏でここまで形無しにしてしまうなんて。

 これなら、明日の文々。新聞の一面を飾るのは、私の噂ではなく、風聞屋の敗北の記事のほうに違いありませんね。

 

 

「この――いい加減にしなさいっ!」

「あら」

 

 

 ひゅう、と鋭い風切り音が路地裏を吹き抜けた、まさにその刹那(せつな)

 私の指先が触れていたはずの黒い羽は、まるで最初から幻だったかのように掻き消えていました。

 見上げれば、朝日に照らされた瓦屋根の頂に、一羽の大きなカラスのように軽々と、天狗様が立ち姿で移動しておられます。

 

 

「さすがは最速を誇る鴉天狗様、瞬きの間にそんな所にまで」

 

 

 私は顔布の奥で目を細め、屋根の上を仰ぎ見ながら、パタパタと自分の指先についた羽の感触を払うようにお上品に動かしました。

 本当に、天狗の速度というのは大したものですね。私がほんの一瞬、指先の力を緩めた隙を突いて、風のように逃げ果せるのですから。

 

 

「うむむ……まだむずむずしますね……じゃなくて!」

 

 

 屋根の上の天狗様は、己の翼をきゅっと抱きしめるようにして身震いし、涙目で私を睨みつけてきました。

 先ほどまでの冷徹な威圧感はどこへやら。赤くなった耳を隠そうともせず、地団駄を踏むように瓦を小さく鳴らすその姿は、山の風聞屋というよりは、悪戯(いたずら)に失敗して怒っている子供のようで、なんとも微笑ましいものでした。

 

 

「そんなに睨まないでくださいませ。私はただ、天狗様に触れただけですよ」

 

 

 私は袖を上品に合わせ、屋根の上の天狗様へ向けて、のほほんと小首を傾げてみせました。

 怪異が怪異に触れただけ。そこに悪意も敵意もございません。ただの、お上品なご挨拶にすぎないのですから。

 

 

「煙に巻くかのようなその立ち振る舞い……全く、噂は過小評価でしたか」

「噂?」

 

 

 私の問いかけに、天狗の少女は手にした羽扇(うせん)で自身の顔を半分ほど隠し、探るような視線を落としてきました。

 

 

「ん……貴女、人里の外の妖怪たちの間でも少々噂になってますよ。掴みどころのない煙のような妖怪がいると」

「おやおや」

 

 

 思わぬ言葉に、私は顔布の奥で、今度こそ本当に驚きを覚えました。

 人里に馴染み、人里の人間たちに向けてだけ『ゆらぎ』を紡いできたつもりでしたが、あろうことか、外の妖怪たちにまで私の輪郭が届き始めていたとは。

 

 

「ま、こうしてしてやられてしまった感覚から察するに、それも貴女の残した『仕掛け』なのでしょうけどね」

 

 

 さすがは山の風聞屋(ふうぶんや)、天狗様と言うべきでしょうか。

 私がこれ以上、人里で自身の境界線を溶かしてしまわぬよう、あえて『外の妖怪の噂』になるよう仕向けたのではないか――彼女は、そう邪推したようです。

 

 実際は、そのような意図はないのですけれど。

 私がしたことなんて……そう、ほんの些細な意識のゆらぎだけ。

 人も妖怪も、万人が全く同じ想像をするわけではありません。故に私は、私を想像する際のその齟齬(そご)の振れ幅を大きくなるように能力を働かせているのです。

 ……そのせいで小傘ちゃんは神様になったり大男になってしまわれたのですが、申し訳ない限りです。

 

 それでも瓦屋根を背にした天狗様は、どこか悔しそうに、けれど先ほどまでのトゲを引っ込めて、ニヤリと不敵な笑みを浮かべておられました。

 

 

「……ふふ、さて。どうでしょうかね?」

 

 

 私はあえて肯定も否定もせず、ただ、朝の心地よい風に自身の袖をゆらりと預けるだけにとどめました。

 真実の中に、ほんの少しの嘘や曖昧さを混ぜ込んで、煙に巻く。

 噂話はあくまで噂。その答え合わせを私がして差し上げる必要なんてものは、どこにもないのですから。

 

 

「とはいえ、私もブン屋としての意地がありますからね。何かしら手がかりは持って帰りたいところですが」

「黙秘の立場は変わりませんよ?」

「でしょうね。しかし、妄想や嘘偽りを書くと言うのは記事の沽券(こけん)に関わりますからねぇ……」

 

 

 天狗の少女は屋根の上で、ふう、と小さく溜息をつきました。

 おどけた様子は消え失せ、その手にある羽扇が、朝日に照らされて静かに揺れています。

 一度は形無しにされたとはいえ、流石は山を代表する風聞屋。ただ手ぶらで追い返されることを良しとするほど、彼女の誇りは安くはないようです。

 

 

「ここは一つ、貴女の『能力』についての推察をさせていただきましょうか」

「推察ですか?」

 

 

 私は袖の中でそっと指先を重ね、顔布の奥から、彼女の真意を測るように見上げました。

 力による脅しが通じぬと悟るや否や、今度は記者としての『観察眼』でこちらの本質を暴きにくる。実に油断のならない天狗様です。

 

 

「ええ、貴女が語る必要はありません。ただ、私が一方的に語るだけ――まあ、返答くらいは欲しい所ですが」

「……まあ、お話くらいはお聞きします。実力行使をされるのは遠慮願いたいですからね」

 

 

 私がのほほんと微笑みながら首を傾げると、屋根の上の彼女は「それはこちらの台詞です」とでも言いたげに、苦笑いを浮かべました。

 お互いに本心を覆い隠したまま、路地裏の狭い空を挟んで視線が交錯します。

 彼女がどこまで私の『ゆらぎ』の正体に近づいているのか。

 朝の静寂のなか、私は背筋をしゃんと伸ばし、天狗の紡ぐ言葉を迎え撃つ支度を整えるのでした。

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