みーつけた、をもう一度。   作:虚憂

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白布ひらりと、大鷲へと至る

「まずは貴女が私の背後を取った、という事実から解明していかねばなりませんね」

「ふふ、頑張ってくださいね」

 

 

 私が(たもと)に手を隠してのんびりと微笑むと、屋根の上の天狗様は、手帖の新しい(ページ)へと煤けた墨の筆を走らせ始めました。

 どうやら彼女は、絡み合った糸を一本ずつ解きほぐすように、一つ一つの因果をはっきりさせながら謎を解き明かすおつもりのようです。

 こういった実に几帳面で生真面目なところは、事実を右から左へと右筆(ゆうひつ)する、風聞屋という職を損なわないための宿命なのでしょうかね。

 

 

「私、これでも幻想郷最速の看板を掲げさせてもらっていますからね。この私の背後を、羽音一つ立てずに取るなど、通常の移動法では絶対に不可能です。つまり貴女は――」

 

 

 瓦を小さく踏み鳴らし、文様は手帖から鋭い視線をこちらへと落としました。

 路地裏に差し込む朝日の光が、二人の間でまるで目に見えぬ境界線のように揺らめいています。

 

 

「音を消す、あるいは音を私が認識できなくなるカラクリ。そして同時に気配を消す、あるいは――認識そのものを狂わせる何かを、貴女は引き起こすことができる」

「ふむふむ」

 

 

 私は相槌(あいづち)を打ちながら、なるほどと内心で小さく感心していました。

 

 

 認識できなくなる、ですか。

 ……うーん、確かに概念的な要素として捉えるならば、彼女の推察は的を射ていると言えるでしょうか。

 私の持つ『揺らぐ程度の能力』。

 この身の異能として定義した私の力は、その実、言葉にするのも(いささ)躊躇(ためら)われるほど、ひどく単純な(ことわり)を動かしているに過ぎません。

 

 そう――ただ、相手が「認識している場所」から、実際の「意識」をほんの少しだけずらしている。

 私が天狗様に近付く足音を、あの時の彼女は、目の前にいる私の残像がその場で地面を蹴っている音だと錯覚していたに違いありません。

 気配だって同じこと。私を感じるべき場所が、実際の所在とはまるで的外れな方向へ、ゆらりと傾いていただけなのです。

 

 

 ――認識しているのに、見えない。

……という一文のみを切り取るならば、私の力はあの無邪気な愛を叫ぶ少女の異能と、ひどく似通っていると言えるでしょう。

 まあ、実際のところは、本質からしてあまり似てなどいないのですけれど。

 

 あの子の力は、そこに在ると認識しているということすら、相手に『無自覚』にさせてしまう、閉じられた心の力。

 対して私の力は、無意識下に隠れるのではなく、ただ「見当外れの場所にいる」と相手の五感に『錯覚』を覚えさせているだけ。

 無意識と錯覚。土台となっている(ことわり)が、端から違うのですよ。

 

 

「――よし、ふふん。できましたよ」

「おや、もうよろしいので? 何もお聞きになっておりませんけれど」

 

 

 煤けた筆を走らせる音がピタリと止まり、屋根の上の文様は、まるで特ダネを掴んだ時のように不敵な笑みをその唇に(たた)えました。

 私が何も答えを明かさぬうちに、手帖を片手でパチンと小気味よく叩いてみせる。その表情には、先ほどまでの悔しそうな色など微塵も残ってはいません。

 

 

「ふふ、ああは言いましたけれど。最初から当たりはつけてましたからね」

 

 

 そう言って、彼女は手にした羽扇(うせん)を、私の鼻先へと真っ直ぐに突きつけてきました。

 屋根の上から見下ろすその赤き瞳。そこから放たれる射すような視線は、人里の朝の生ぬるい空気を一瞬で切り裂き、大妖怪としての恐るべき鋭利さを取り戻しています。

 

 

「最高速度で答えをぶち抜かせていただきますよ!」

 

 

 一陣の鋭い風が、彼女の背後から巻き起こり、黒い髪を大きく揺らしました。

 外堀を埋めるような問答など、この最速の天狗には必要なかったのです。

 確信に満ちた声が、路地裏の狭い空に響き渡ります。いよいよ彼女の放つ言葉の弾丸が、私の『ゆらぎ』の核心へと向かって放たれようとしていました。

 

 ……さて、天狗様は本当に私の核心を突けるのか、それとも否か。

 私の知る世界(かいわい)というものが、人里周辺のひどく狭い範囲に留まっていることは重々承知しておりますからね。

 ともすれば、外の広い世界には私と同質、あるいは似通った異能の持ち主が、この幻想のなかに既にいらっしゃるのやも知れません。

 大妖怪の知識というものに、少しばかりの緊張を覚えながら、私は彼女の言葉を待ちました。

 

 

「ずばり、貴女の能力は!」

「……」

 

 

 そうして、天狗様がこれ以上ないほど自信ありげに紡がれた言の葉は――。

 

 

「認識のオンオフ……ああ失礼。いわゆる『聞こえる聞こえない』を操る類のものだと予想します!」

「……」

 

 

 ……少々、いや、中々どうして、返答の判断に困るものでした。

 顔布の奥で、私の表情が完全に固まってしまったのは言うまでもありません。

 

 確かに、当たってはいないのですけれどね?

 けれど、天狗様が感じた「音が消えた」という現象そのものは事実。ここで「違いますよ」と無下に否定してしまえば、「じゃあ音じゃなくて意識の方か!」と、あの聡敏な新聞記者にすぐさま正解の尻尾を掴まれてしまいかねません。

 

 本当に、返答の仕方を一つ間違えれば、すぐに本質が暴れてしまいそうで――実に嫌な、そして絶妙に惜しい答えを持ってこられたものです。

 

 この問いには、「正解ではないですね」などという生温い否定も、きっと駄目でしょう。そんな曖昧な返しをすれば、あの聡い風聞屋のこと、余計な勘繰り(おまけ)を増やして正解へ近づくだけです。

 で、あるのでしたら。

 選ぶべき道は、ただ一つ。

 

 

「残念ですが、私は音や気配を認識できなくするわけではありませんよ」

「えっ」

 

 

 私はさも心苦しそうに、首をほんの少し横に振ってみせました。

 彼女が提示した『聞こえない(音の遮断)』という部分のみを明確に否定しつつ――それがさも、彼女の推察が「根底からすべて間違っている」かのように錯覚させる。

 真実のなかに、ほんの少しのミスディレクションを混ぜ込む。これこそが、私の十八番(おはこ)たる『ゆらぎ』……つまり、錯覚の本領です。

 

 

「自信ありげにお答えしてもらったのに、何だか申し訳ありません。……ですので、今回は不正解とさせていただきますね」

 

 

 顔布の奥で、私はこれ以上ないほどお上品で、そして底意地の悪い微笑を浮かべていました。

 屋根の上の天狗様は、突きつけた羽扇を向けたまま、まるで狐につままれたかのような顔で完全に固まっています。

 まさか自分の放った「最高速度の答え」が、かすりもせずに虚空をぶち抜いてしまったと錯覚している彼女の姿は、可哀想であり、同時に最高に滑稽でございました。

 

 確かに私は、天狗様に対して「お話くらいはお聞きします」と発言し、その矜持(きょうじ)には賛同いたしました。

 ――けれど、貴女の思い込みという間違いを、さも大仰に誇張して話してはならない、などとは一言も申しておりませんからね?

 私は私の能力について、ただの一言も嘘は吐いておりません。音を消す能力ではないのは紛れもない真実。それをどう解釈するかは、受け手である風聞屋様の自由というものです。

 それに……ふふ、最速の天狗様を前にして、本当に私の声が届かなかった(聞こえなかった)ことになど、この場でされては堪りませんから。

 

 

「あ、あややー……? 私も、少々焼きが回りましたかねぇ……?」

「ふふ、天狗様の内情(こと)に関しては、私如きには(いささ)か計りかねますね」

 

 

 屋根の上の文様は、ガックリと肩を落とし、手帖を握りしめたまま自分の頭を小さく小突いておられました。

 先ほどまでの暴風のような威圧感はどこへやら、今の彼女は、ただの「特ダネを逃して途方に暮れる少女」そのものです。

 

 

「う、うう……なんだか、さっきの(くすぐったい)ことも思い出して、また恥ずかしくなってきましたよ……っ」

「おや、それはそれは」

 

 

 羽扇で真っ赤になった顔を隠し、瓦の上でもじもじと身を縮める天狗様。

 思いの外、先ほど彼女の漆黒の翼を念入りに撫で回したという行為が、深く効いておられたようです。

 どれほど長い年月を生き、数多の修羅場を潜り抜けてきた歴戦の天狗様であろうとも、一度その心に生じてしまった水面の揺らぎを取り除くことは、そう容易なことではないのでしょう。

 特に、その揺らぎを与えた張本人が、目の前でこうして何食わぬ顔で佇んでいるのですから。

 

 

「――答えに困った、というのでしたら。私、もう一度だけその身でお見せすることもやぶさかではありませんが」

「……おや、いいのですか?」

 

 

 ガックリと項垂(うなだ)れる天狗様を見上げながら、私はわざとらしく首を傾げ、あえて甘やかな声音でそう提案してみました。

 すると、それまで恥ずかしさに身悶えていた文様が、まるで冷水を浴びせられたかのようにビクリと背筋を伸ばし、顔布越しでも分かるほど私の目を凝視してきたのです。

 

 

「ええ。もう一度、天狗様のあの立派で大きな翼の、ふわふわとした感触を心ゆくまで楽しめる。それを他ならぬ天狗様のお言葉でお許しをいただけるのでしたらーー」

 

 

 私は袖からそっと白皙(はくせき)の指先を覗かせ、パタパタと、先ほどの『妙な触り方』を再現するかのように小刻みに動かしてみせました。

 いつでも、その背後へ『ゆらり』と滑り込む準備はできていますよ、という、私からのお上品な親愛の情(きょうはく)です。

 

 

「ちょ、それは本当にやめてくださいっ!?」

 

 

 屋根の上の少女は、まるで本当に鴉の天敵たる大鷲(おおわし)にでも睨まれたかのように、自身の黒い翼をきゅっと強く抱きしめて、大慌てで瓦の上を二、三歩後退(すさ)りました。

 山の猛者(もさ)をも身悶えさせる、人里の怪異の創意工夫。

 どうやら彼女のなかで、私の存在は「掴みどころのない煙」から「迂闊に触れてはならない、ひどく恐ろしくて憎らしい怪異」へと、見事に書き換えられたようです。

 ……とはいえ、私自身は満更でもないのですけれどね?

 触り心地が良かったというのは本心ですし。

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