Fate/Divine Brush──桜花浄界──   作:一般ガス会社社員

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先程は間違ったのを投稿してしまいました



Snow and the Giant

 

 教会を出たあと、士郎はしばらく言葉を失っていた。

 

 冬木の街には、夜の気配が戻り始めている。空は暗く、街灯の光が坂道を白く照らしていた。昼間の喧騒は遠ざかり、通りを歩く人影も少ない。さっきまでいた教会の冷えた空気が、まだ背中にまとわりついているようだった。

 

 十年前の火災。

 

 聖杯戦争。

 

 願いを叶えるための戦いが、あの炎に繋がっているかもしれない。

 

 言峰綺礼は、可能性が高いと言った。断定ではない。けれど、士郎にとってはそれだけで十分だった。

 

 あの日の赤い空。燃える街。助けを求める声。手を伸ばしても届かなかった誰か。どうして自分だけが生き残ったのか分からないまま、ただ息をしていた夜。

 

 それが、魔術師たちの戦いの果てだったかもしれない。

 

 そう考えるだけで、胸の奥が熱くなる。

 

「衛宮くん」

 

 隣を歩く凛が言った。

 

「考え込むなとは言わないけど、今は周りを見て」

 

「……ああ」

 

「教会を出たからって安全とは限らないわ。むしろ、監督役に会った帰りを狙われることだってある」

 

 凛の声は淡々としていた。だが、その目は笑っていない。路地、屋根、塀の上、建物と建物の隙間。歩きながらも、凛は周囲の気配を細かく探っていた。

 

 士郎は右手を軽く握る。

 

 包帯の下には令呪がある。

 

 マスターになった証。

 

 降りる道もあると言われた。

 

 それでも、士郎は降りなかった。

 

 自分だけが助かっても、聖杯戦争は続く。桜も、凛も、藤ねえも、この街の人たちも危険に晒されるかもしれない。だったら、見ないふりはできない。

 

 その思いは、まだ形になったばかりだった。強い決意というより、火傷の跡が疼くようなものに近い。

 

「マスター」

 

 少し後ろを歩くセイバーが声をかけた。

 

「足が止まりかけています」

 

「あ、悪い」

 

「謝る必要はありません。ただ、今は移動中です。反応が遅れれば危険です」

 

「分かった。気をつける」

 

 セイバーは静かに頷いた。

 

 彼女は凛が持ってきた服を着たままだ。甲冑ではない。現代の街を歩いても、少し目立つ外国人の少女程度に見える。だが、その歩き方には隙がなかった。

 

 士郎の位置を把握し、凛との距離を測り、いつでも前に出られるようにしている。

 

 普通の服を着ていても、セイバーは騎士だった。

 

 士郎はその背を見る。

 

 自分のサーヴァント。

 

 自分の剣。

 

 だが、士郎にはまだ、その意味がうまく飲み込めていない。

 

 彼女を戦わせること。

 

 彼女に守られること。

 

 そのどちらにも、胸の奥に引っかかるものがあった。

 

「ねえ」

 

 声がした。

 

 それは、あまりに唐突だった。

 

 三人の足が止まる。

 

 坂道の先。

 

 街灯の下に、白い少女が立っていた。

 

 雪のような髪。赤い瞳。人形のように整った顔。幼い少女に見える。だが、士郎は一目で普通ではないと分かった。

 

 そこだけ、夜の街から切り離されている。

 

 凛の表情が変わった。

 

「アインツベルン……!」

 

 少女は楽しそうに笑った。

 

「あなたがシロウ?」

 

 士郎は眉をひそめる。

 

「俺を知ってるのか」

 

「知ってるわ。キリツグの子だもの」

 

 その名前に、士郎の体が強張った。

 

 切嗣。

 

 言峰に続いて、またその名が出た。

 

 少女は士郎の反応を見て、嬉しそうに目を細める。

 

「ふうん。やっぱり反応するんだ」

 

「お前は誰だ」

 

「イリヤ。イリヤスフィール・フォン・アインツベルン」

 

 凛が小さく舌打ちした。

 

 その名前だけで、状況が悪いことは士郎にも分かった。

 

 セイバーが一歩前に出る。

 

「マスター、下がってください」

 

「セイバー」

 

「彼女はマスターです。そして、近くにサーヴァントがいる」

 

 その言葉が終わる前に、空気が重くなった。

 

 地面が沈むような圧力。

 

 街の音が遠ざかる。

 

 イリヤの背後に、巨大な影が現れた。

 

 人の形をしている。

 

 だが、人とは呼べなかった。

 

 巨体。獣のような気配。手には、人間が扱うにはあまりにも大きすぎる斧剣。

 

 ただ立っているだけで、そこにある空間が軋んでいるようだった。

 

「バーサーカー……」

 

 凛が低く呟く。

 

 イリヤは無邪気に笑った。

 

「そう。わたしのバーサーカー」

 

 セイバーが見えない剣を構える。

 

 空気が張り詰めた。

 

 イリヤは小さな手を上げる。

 

「やっちゃえ、バーサーカー」

 

 次の瞬間、巨人が動いた。

 

 速い。

 

 あの巨体からは想像できない速度で、バーサーカーが踏み込んだ。

 

 地面が砕ける。

 

 斧剣が振り下ろされる。

 

 セイバーが前へ出た。

 

 見えない剣と巨大な斧剣がぶつかる。

 

 音ではなく、衝撃が来た。

 

 士郎の足元まで震える。凛が士郎の腕を掴んで後ろへ引いた。

 

「下がって!」

 

「でも、セイバーが!」

 

「今のあなたが前に出ても死ぬだけよ!」

 

 凛の声が鋭く飛ぶ。

 

 士郎は言い返せなかった。

 

 目の前で、セイバーはバーサーカーの一撃を受け流していた。受け止めているわけではない。受け止めれば潰される。だから角度をずらし、半歩踏み替え、刃の軌道を逸らす。

 

 セイバーの動きは鋭かった。

 

 衛宮士郎からの魔力供給は少ないが、召喚されてから一度も戦闘しておらず体そのものに大きな損傷はない。だから、その剣筋は鮮烈だった。

 

 だが、それでもバーサーカーの力は異常だった。

 

 斧剣が地面に触れるたび、石畳が割れる。塀が砕ける。セイバーが避けた後の空間を、暴風のような一撃が通り過ぎる。

 

 技量ではセイバーが上回っている。

 

 だが、力の差があまりにも大きい。

 

「くっ……!」

 

 セイバーが後ろへ飛ぶ。

 

 バーサーカーの斧剣が、直前まで彼女のいた場所を叩き潰した。

 

 凛が宝石を取り出す。

 

「下がってなさい!」

 

 宝石が光る。

 

 圧縮された魔力が弾け、バーサーカーの横腹へ撃ち込まれた。

 

 爆ぜる光。

 

 だが、バーサーカーはわずかに体を揺らしただけだった。

 

「嘘でしょ……!」

 

 凛の顔が歪む。

 

 セイバーはその隙を逃さない。

 

 踏み込む。

 

 見えない剣がバーサーカーの腕を斬りつける。

 

 確かに入った。

 

 だが、浅い。

 

 バーサーカーは傷を気にした様子もなく、セイバーへ斧剣を振り払った。

 

 セイバーはそれをかわし、距離を取る。

 

 士郎は拳を握った。

 

 何もできない。

 

 ただ見ているだけ。

 

 さっき、教会で決めたばかりだ。

 

 もう被害者を出さない。桜を守る。街を守る。聖杯戦争を止める。

 

 そう決めたばかりなのに、目の前でセイバーが怪物と戦っている。

 

 自分は何もできない。

 

「アーチャー!」

 

 凛が叫ぶ。

 

 返事はなかった。

 

 だが、次の瞬間、夜空の向こうが光った。

 

 遠くの建物の上から放たれた何かが、空間を裂くように飛んでくる。

 

 矢というには重すぎる。

 

 砲弾というには鋭すぎる。

 

 それはバーサーカーの背に直撃し、爆炎を上げた。

 

 夜が一瞬、昼のように明るくなる。

 

 士郎は腕で顔を庇った。凛が防御の魔術を展開し、破片と熱を受け止める。セイバーは爆発の隙に距離を取った。

 

「やったのか……?」

 

 士郎が呟く。

 

 煙が晴れる。

 

 バーサーカーは立っていた。

 

 何事もなかったかのように。

 

 焦げ跡はある。

 

 だが、それだけだ。

 

 倒れていない。

 

 膝もついていない。

 

 イリヤが楽しそうに笑う。

 

「すごいでしょ、わたしのバーサーカー」

 

 凛の顔が青ざめる。

 

「冗談じゃないわよ……」

 

 セイバーは剣を構え直した。

 

「マスター、決して前へ出ないでください」

 

 士郎は頷くしかなかった。

 

 戦いは、近くの墓地へ移っていった。

 

 開けた道路では、バーサーカーの一撃が周囲を巻き込みすぎる。セイバーはあえて障害物の多い方へ誘導した。墓石、木々、塀。そのすべてを利用して、巨体の動きを制限しようとする。

 

 バーサーカーの斧剣は強大だが、大振りだ。

 

 墓石を砕き、木を薙ぎ、塀を壊す。

 

 その一瞬の隙に、セイバーは踏み込んだ。

 

 見えない剣が、バーサーカーの胸元を斬った。

 

 深い手応えがあった。

 

 士郎にも分かった。

 

 今のは、入った。

 

 バーサーカーの巨体がわずかに揺らぐ。

 

 凛が息を呑む。

 

「止まった……?」

 

 だが、次の瞬間だった。

 

 バーサーカーは何事もなかったように腕を上げた。

 

 傷が塞がっていく。

 

 異常な速さで。

 

 セイバーの目が細くなる。

 

「再生……いえ、これは……」

 

 言葉を続ける余裕はなかった。

 

 バーサーカーの斧剣が横薙ぎに振るわれる。

 

 セイバーはかわした。

 

 だが、衝撃だけで体勢が崩れる。

 

 士郎の目の前で、セイバーが地面に膝をついた。

 

「セイバー!」

 

「来ないでください!」

 

 セイバーが叫ぶ。

 

 その声は鋭かった。

 

 士郎の足が止まる。

 

 バーサーカーは止まらない。

 

 斧剣を引き戻し、さらに踏み込む。

 

 セイバーは立ち上がろうとする。だが、士郎からの魔力供給は不安定だ。剣士としての技量はあっても、サーヴァントとして万全に動けているわけではない。

 

 動きが一瞬だけ遅れた。

 

 たった一瞬。

 

 それで十分だった。

 

 バーサーカーの斧剣が振り下ろされる。

 

 セイバーは剣で受けようとした。

 

 だが、力が違いすぎる。

 

 見えない剣が弾かれ、セイバーの体勢が崩れた。

 

 凛が魔術を放とうとする。

 

 だが間に合わない。

 

 士郎の頭の中が真っ白になった。

 

 考えたわけではない。

 

 勝算があったわけでもない。

 

 自分が何をできるか、理解していたわけでもない。

 

 ただ、目の前でセイバーが倒れると思った。

 

 それだけで、体が動いた。

 

「衛宮くん、だめ――!」

 

 凛の声が聞こえた。

 

 セイバーが目を見開く。

 

「マスター!」

 

 士郎は、セイバーの前に飛び出していた。

 

 巨大な斧剣が迫る。

 

 避けられない。

 

 防げない。

 

 それでも、士郎は立っていた。

 

 次の瞬間、衝撃が走った。

 

 体が宙に浮いたような感覚があった。

 

 地面に落ちる。

 

 冷たい土の感触。

 

 凛の叫び声。

 

 セイバーの声。

 

 どちらも遠い。

 

 痛みは、遅れてやってきた。

 

 だが、それすらすぐに薄れていく。

 

 視界の端で、イリヤが士郎を見下ろしていた。

 

 その顔は、どこかつまらなそうだった。

 

「もう壊れちゃった。つまんないの」

 

 士郎は答えられない。

 

 呼吸がうまくできない。

 

 セイバーが駆け寄ろうとする。

 

 だが、バーサーカーがその前に立ちはだかる。

 

 イリヤは士郎をしばらく見つめていた。

 

 それから、興味を失ったように背を向ける。

 

「帰るわ、バーサーカー」

 

 巨人が動きを止める。

 

 イリヤは最後に、凛とセイバーを見た。

 

「セイバーは思ったより強いのね。でも、そのマスターじゃ大変そう」

 

 セイバーの表情が険しくなる。

 

 イリヤはくすりと笑う。

 

「また遊びましょう。次は、シロウのお家にいる眩しい子も見てみたいな」

 

 その言葉に、凛の顔が変わった。

 

 イリヤはそれ以上何も言わず、バーサーカーとともに夜の中へ消えていった。

 

 後に残ったのは、壊れた墓地と、冷たい空気と、倒れた士郎だけだった。

 

「衛宮くん!」

 

 凛が駆け寄る。

 

 セイバーも膝をついた。

 

「マスター、しっかりしてください!」

 

 士郎は返事ができない。

 

 目を開けているのか、閉じているのかも分からなかった。

 

 凛の手が士郎に触れる。

 

 その顔が凍りついた。

 

「嘘……こんなの……」

 

 セイバーが唇を噛む。

 

 彼女の手が、士郎のそばで震えていた。

 

 その時だった。

 

 士郎の体から、淡い金色の光が漏れた。

 

 凛が息を呑む。

 

「何……?」

 

 光は温かかった。

 

 炎ではない。

 

 魔術の光とも違う。

 

 静かで、遠く、どこか懐かしい輝き。

 

 傷が塞がっていく。

 

 ありえない速度で。

 

 士郎の呼吸が、かすかに戻る。

 

 セイバーはその光を見つめ、目を見開いていた。

 

「これは……」

 

 凛も言葉を失っていた。

 

 士郎の体に何が起きているのか、誰にも分からない。

 

 だが、確かなことが一つだけあった。

 

 士郎は、まだ生きている。

 

 ◇

 

 その頃、衛宮邸では、ライダーが突然立ち上がっていた。

 

 桜は庭にいた。

 

 ライダーが描いた小さな花の光は、まだ足元に残っている。静かな時間だった。士郎たちが帰ってきたら、教会で聞いたことを全部話してもらう。そう思っていた。

 

 だが、ライダーの様子が変わった。

 

「ライダーさん?」

 

 白い神狼は、遠くを見ていた。

 

 衛宮邸の外。

 

 街の向こう。

 

 桜には何も見えない。

 

 けれど、胸の奥が急に冷たくなる。

 

「先輩……?」

 

 ライダーの背の神鏡が淡く光る。

 

 しかし、ライダーは走り出さなかった。

 

 桜のそばから離れない。

 

 その理由を、桜はすぐに理解してしまった。

 

 ライダーは、自分を守っている。

 

 桜を置いて、遠くへ行くことはできない。

 

 たとえ士郎に何かが起きているとしても、ライダーの第一は桜なのだ。

 

「私がいるから……」

 

 桜は小さく呟いた。

 

 自分が守られているから、ライダーは動けない。

 

 その事実が胸に刺さった。

 

 守られることは、温かい。

 

 けれど、それだけでは誰かを助けに行けない。

 

 桜は拳を握った。

 

 やがて、門の外に気配が戻ってきた。

 

 凛。

 

 セイバー。

 

 そして、士郎。

 

 士郎はセイバーに支えられていた。顔色は悪い。服も汚れている。だが、呼吸はしていた。

 

 桜は駆け出した。

 

「先輩!」

 

 士郎は薄く目を開けた。

 

「……桜」

 

「喋らないでください」

 

「大丈夫だ」

 

「大丈夫じゃありません!」

 

 桜の声が、思ったより強く響いた。

 

 士郎は驚いたように目を開ける。

 

 桜は震えていた。

 

 けれど、目を逸らさなかった。

 

「約束しましたよね。帰ってきたら、全部話すって」

 

「……ああ」

 

「なら、話してください。教会で聞いたことも、今起きたことも、全部」

 

 士郎は黙った。

 

 凛も、セイバーも、何も言わない。

 

 庭のライダーが静かに伏せる。

 

 衛宮邸には、太陽の気配が満ちている。

 

 だが、その外には、太陽の届かない夜がある。

 

 士郎はその夜で、怪物を見た。

 

 桜はこの家の中で、自分が守られるだけでは誰かを守れないのだと知った。

 

 聖杯戦争は、もう遠い世界の話ではない。

 

 誰かの傷が、誰かの決意を呼ぶ。

 

 その夜、衛宮邸の茶の間に戻った彼らの間には、朝とは違う沈黙が落ちていた。





衛宮士郎はそう簡単に変わらない

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