Fate/Divine Brush──桜花浄界── 作:一般ガス会社社員
ライダーの出番が……無い……!
山門の空気が止まった。
アサシンの長刀が、月明かりを受けて静かに光る。
それまでの剣とは違った。
速さでも、力でもない。
構えそのものが変わった瞬間、セイバーの直感が強い警鐘を鳴らしていた。
来る。
避けなければならない。
受ければ、ただでは済まない。
「秘剣──」
アサシンの声が、夜の石段に落ちた。
「燕返し」
次の瞬間、刃が走った。
一本の刀だったはずだ。
アサシンが握っているのは、間違いなく一本の長刀だった。
だが、セイバーの目には、三つの刃が同時に迫ってくるように見えた。
上から。
横から。
斜め下から。
逃げ場を潰すように、三方向の斬撃が同時に重なる。
魔術ではない。
分身でもない。
ただの剣技。
ただ剣を振るという行為が、人の領域を踏み越え、魔法に近い場所へ届いている。
セイバーの体は、考えるより先に動いていた。
不可視の剣を引き寄せ、上段の刃を弾く。
次いで、横から迫る斬撃を体を捻ってかわす。
だが、三つ目が残る。
斜め下から跳ね上がる刃。
セイバーは咄嗟に足を引き、鎧の端でそれを逸らした。
金属音が鳴る。
風の結界が裂け、金の髪が一房、夜風に舞った。
細い傷が、セイバーの腕に走る。
深くはない。
だが、確かに届いていた。
セイバーは数歩後ろへ下がり、剣を構え直した。
呼吸が少し乱れている。
柳洞寺の結界で、体が重い。
魔力の巡りも鈍い。
その状態で、今の剣を受けた。
致命傷を避けられたのは、ほとんど直感と経験によるものだった。
「今のは……」
セイバーが低く呟く。
アサシンは長刀を静かに構え直した。
「燕返し。名ほどには大層なものではない。ただ、燕を斬ろうとして、届いた剣だ」
「魔術ではないのですね」
「魔術など知らぬ。これはただ、剣を振り続けた果ての余技にすぎん」
セイバーは目を細める。
余技。
アサシンはそう言った。
だが、今の剣が余技であるはずがない。
神秘によるものではない。
宝具でもない。
純粋な技量だけが、あり得ない領域へ届いている。
それは、セイバーが知る戦士たちの中でも、極めて異質な剣だった。
「あなたは、本当に何者です」
「名乗ったはずだ。佐々木小次郎、と」
「その名が真であるかは別として」
セイバーは不可視の剣を握り直す。
「あなたが剣士であることは、疑いようがありません」
アサシンは楽しげに笑った。
「その言葉、光栄に受け取ろう」
山門の石段に、再び剣気が満ちる。
セイバーは前へ出る。
今の秘剣は、完全に見切れていない。
だが、何も分からなかったわけではない。
あれには間合いがある。
構えがある。
斬撃を重ねるための、ほんのわずかな呼吸がある。
次は、完全には通さない。
その思いを込めて、セイバーは剣を構えた。
◇
寺の奥では、紫の術式が境内全体を覆うように広がっていた。
石畳に刻まれた線が光る。
灯籠の影が歪む。
本堂の柱に貼り付いていた魔術陣が、次々と目を覚ましていく。
キャスターの工房。
その内側に足を踏み入れた士郎たちは、今、その全てを敵に回していた。
影の兵が石畳から立ち上がる。
一体、二体ではない。
黒い染みが膨らむたび、人の形をした影が湧き上がる。学校の竜牙兵より輪郭は曖昧だが、そのぶん倒しにくい。腕は刃になり、足は石畳に溶け込み、斬られても核を砕かなければまた湧き上がる。
凛が宝石を投げた。
光が弾け、影の一体を吹き飛ばす。
アーチャーの矢が別の影の核を射抜く。
だが、次の瞬間、士郎の足元から紫の鎖が伸びた。
「士郎!」
凛が叫ぶ。
士郎は飛び退こうとした。
だが、鎖の方が速い。
絡みつかれる。
そう思った瞬間、アーチャーが弓を消した。
次の瞬間、両手に剣が現れる。
片方は黒。
片方は白。
陰と陽を思わせる夫婦剣。
干将・莫耶。
アーチャーは一歩で士郎の前へ入り、黒い剣で鎖を受け、白い剣で断ち切った。
紫の鎖が霧のように散る。
「後ろへ下がれ」
「アーチャー、その剣……」
「見惚れている暇があるなら足元を見ろ」
アーチャーは振り返らずに言った。
影の兵が三体、同時に迫る。
アーチャーは弓兵とは思えない動きで前へ出た。
黒い干将が一体の腕を受ける。
白い莫耶がその胴を裂く。
体を反転させ、背後から伸びる刃をかわしながら、黒い剣を投げた。
干将が弧を描き、影の兵の核を貫く。
その直後、アーチャーの手元へ黒い剣が戻る。
まるで、白い莫耶に引かれるように。
士郎は、その動きに目を奪われた。
速い。
無駄がない。
弓兵の戦いではない。
いや、弓兵でありながら、近接でも戦える。
剣を投げ、戻し、受け、斬り、また投げる。
黒と白の双剣が、夜の境内で交差するたび、影の兵が崩れていく。
胸の奥に、妙な感覚が残った。
どこかで見たことがあるような気がした。
いや、違う。
見たことがあるのではない。
あの剣の在り方が、妙に胸に引っかかる。
黒と白の双剣。
作られた武器。
手の中に現れる刃。
士郎は無意識に、自分の手を見た。
「士郎!」
凛の声で我に返る。
士郎の足元で、赤い線が動いていた。
凛に補助された視界の中で、慎二へ繋がる赤い糸が脈打っている。その一本が、やはり他より太い。慎二の足元から本堂の柱へ、そしてさらに奥へと伸びている。
キャスターはその線を守るように、術式を重ねていた。
「見えてるなら教えて!」
凛が叫ぶ。
「どこへ流れてる!?」
「あそこだ!」
士郎は本堂の奥の柱を指差した。
「慎二の足元から、柱を通って奥に流れてる。前に切ったところとは別の線が、下に潜ってる!」
「床下?」
「たぶん!」
凛は即座に判断した。
「アーチャー、前を押さえて! 士郎、私の補助!」
「了解した」
アーチャーは干将・莫耶を構え直し、影の兵の前へ出た。
キャスターが眉を上げる。
「弓兵が剣を振るうなんて、ずいぶん器用なのね」
「生憎、器用貧乏でね」
アーチャーは影の兵を斬り伏せながら答えた。
「矢が届かん距離なら、剣で払うだけだ」
「面白いわ。あなたも、ずいぶん歪な英霊なのね」
「お互い様だろう、魔女」
キャスターの目が冷える。
紫の魔力弾が複数、アーチャーへ放たれた。
アーチャーは干将・莫耶で二つを斬り払い、三つ目を身を屈めてかわす。かわした先に影の兵が待ち構えていたが、彼は白い莫耶を投げつけ、その核を砕いた。
その隙に、凛は床へ手を伸ばす。
「士郎、流れを押さえて」
「ああ」
「切ろうとしない。押さえるだけ。私が切る」
「分かった」
士郎は息を整えた。
痛みを探さない。
回路を作らない。
凛に言われた通り、赤い糸の流れを押さえる。
学校でやった時よりも重い。
桁が違う。
キャスターの工房の中で、敵の術式に触れているのだ。
赤い糸から感情が流れ込んでくる。
慎二の怒り。
嫉妬。
恐怖。
それに混じって、キャスターの冷たい魔力がある。
慎二の感情を絡め取り、燃料に変え、逃げ道を塞いでいく魔女の糸。
士郎は歯を食いしばった。
飲まれるな。
見るだけだ。
押さえるだけだ。
「そこ!」
凛が宝石を打ち込む。
光が床下へ沈み、赤い糸の流れを一瞬だけ乱す。
キャスターの表情が変わった。
「また、そこを」
「当然でしょ。嫌がる場所を狙うのが基本よ」
凛が次の宝石を構える。
キャスターが手を振った。
紫の鎖が凛へ向かって伸びる。
アーチャーが割り込む。
干将で鎖を受け、莫耶で断つ。
だが、その背後から影の兵が迫った。
「アーチャー!」
士郎が叫ぶ。
アーチャーは振り返らない。
黒い干将を背後へ投げた。
剣は影の兵の核を貫き、そのまま弧を描いてアーチャーの手へ戻る。
その一瞬の間に、アーチャーは白い莫耶で正面の鎖を切り払っていた。
凛が短く笑う。
「腹立つくらい器用ね」
「褒め言葉として受け取っておこう」
「褒めてないわよ」
軽口を叩きながらも、二人の動きは噛み合っていた。
凛が術式を乱す。
アーチャーが守る。
士郎が流れを見る。
少しずつ、慎二へ繋がる赤い主線が露出していく。
キャスターの視線が、士郎へ向いた。
「あなた、本当にただの素人?」
士郎は答えない。
「魔術回路の扱いは未熟。起動も歪。けれど、その目は妙ね。遠坂の補助があるにしても、ただ見るだけではない。流れの急所を嗅ぎ分けている」
キャスターの声が、少しだけ興味を帯びる。
「不格好で、ひどく歪。でも、妙なものが通っている」
「士郎に興味を持たないでくれる?」
凛が鋭く言った。
「気分が悪いわ」
「あなたが隠したがるなら、ますます気になるわね」
キャスターが微笑む。
その笑みが、士郎には気持ち悪かった。
自分の中を覗かれているような不快感。
凛が一歩前に出る。
「士郎、集中。あいつの言葉を聞かない」
「分かってる」
「次で切るわ」
士郎は赤い糸を見る。
慎二の足元から伸びる太い主線。
床下へ潜り、本堂の柱へ絡みつき、さらに奥へ続く線。
これを全部切ることはできない。
だが、今見えている部分を切れば、慎二への支配は弱まる。
「遠坂、今だ!」
「分かってる!」
凛が宝石を二つ同時に投げた。
一つは床下へ。
一つは柱へ。
同時に、アーチャーが干将・莫耶を交差させる。
剣が光を帯びた。
彼は前方の影の兵をまとめて斬り払い、そのまま黒い干将を柱へ投げる。
白い莫耶を握る手に引かれるように、黒い剣が赤い糸を裂いて走った。
宝石の光と、双剣の軌跡が重なる。
赤い主線が大きく揺れた。
慎二の体が跳ねる。
「慎二!」
士郎は叫んだ。
赤い糸の一部が千切れる。
完全ではない。
だが、さっきより深く切れた。
慎二の肩が震える。
俯いていた顔が、ゆっくりと上がった。
「……衛、宮……?」
かすれた声。
士郎の胸が強く鳴った。
「慎二、聞こえるか!」
慎二の目はまだ虚ろだった。
だが、さっきより焦点が合っている。
「ここ……どこだよ……」
「柳洞寺だ。キャスターに連れてこられたんだ」
「キャスター……」
慎二の顔が歪む。
記憶が戻りかけているのか、苦しげに息を吐いた。
「桜は……」
士郎は答えた。
「桜は来てない」
慎二の指が動く。
「……来て、ない?」
「ああ。来させなかった」
慎二はしばらく黙っていた。
それから、かすかに笑ったように見えた。
「……そうかよ」
その声が、安堵なのか、失望なのか、士郎には分からなかった。
ただ、慎二の中にまだ本人の意識が残っている。
それだけは分かった。
キャスターが低く呟く。
「余計なことを」
赤い糸が再び蠢いた。
切れた部分を補うように、細い糸が何本も慎二へ伸びていく。
慎二の顔が苦痛に歪む。
「やめろ!」
士郎が叫ぶ。
だが、足は動かさなかった。
動けば罠にかかる。
それでは慎二を助けられない。
凛が士郎をちらりと見る。
今度は、止める必要がなかった。
士郎は踏みとどまっていた。
「よし」
凛が小さく言う。
キャスターはそれを見て、目を細めた。
「本当に、我慢を覚えたのね。つまらないわ」
「俺だって、何度も同じ失敗はしない」
「あら。人は同じ失敗をするものよ。特に、あなたのような人間は」
キャスターが指を鳴らす。
慎二の周囲の術式が変わった。
足元の魔術陣が沈み込む。
床そのものが影に変わり、慎二の体を下へ引き込もうとする。
「何をする気!」
凛が叫ぶ。
「このまま置いておくと、面倒そうだもの。少し奥へ下げるわ」
「逃げるのか」
士郎が言う。
キャスターは微笑む。
「工房の中で位置を変えるだけよ。逃げる必要なんてないわ。ここは私の場所だもの」
慎二の体が影へ沈んでいく。
士郎は一歩踏み出しかけた。
だが、止まった。
床に、黒い線が見えた。
追えば、分断される。
自分だけが奥へ引き込まれる。
凛が叫ぶ前に、士郎は自分で足を止めていた。
キャスターが笑う。
「いつまで我慢できるかしら」
慎二の姿が消えた。
赤い糸の一部だけが、床に残る。
凛がすぐにしゃがみ込んだ。
「痕跡は残ってる。完全に切られたわけじゃない」
「追えるのか」
「今すぐは無理。追ったら分断される。けど、さっきよりは繋がりが見える」
凛は悔しそうに唇を噛む。
「少なくとも、慎二くんへの支配は弱めた。完全じゃないけど、こっちの攻撃は通る」
「なら、次は」
「ええ。次はもっと深く切れる」
その言葉に、士郎は頷いた。
◇
一方、山門では、セイバーとアサシンが再び剣を交えていた。
燕返しの一撃を受けたセイバーは、動きを変えていた。
真正面から踏み込みすぎない。
アサシンの間合いの端に留まり、長刀の軌道を読もうとする。
秘剣には構えがある。
呼吸がある。
発動するための間合いがある。
それを見極めなければならない。
アサシンの長刀が閃く。
セイバーはそれを受け流し、半歩だけ前へ出る。
アサシンは笑った。
「もう踏み込まぬのか」
「踏み込みます。ただし、あなたの望む間合いには入らない」
「よい判断だ」
アサシンは楽しそうだった。
「では、こちらから招こう」
長刀が走る。
セイバーは不可視の剣で受ける。
刃と刃がぶつかる。
石段に火花が散る。
柳洞寺の結界は相変わらず重い。
だが、セイバーはその重さに少しずつ慣れ始めていた。
完全ではない。
しかし、最初よりは動ける。
「次は、完全には通しません」
セイバーが言う。
アサシンは嬉しそうに口元を緩めた。
「よい。ならば次こそ、どちらかの首が落ちよう」
その時、寺の奥から魔力の揺れが伝わってきた。
キャスターの工房が大きく動いたのだ。
山門の空気にも、紫の光が一瞬だけ反射する。
アサシンがわずかに境内の方を見た。
「魔女め。少し騒がしいな」
その一瞬、隙があった。
セイバーなら踏み込めた。
だが、踏み込まなかった。
アサシンは視線を戻し、少しだけ目を細める。
「斬らぬのか」
「あなたはまだ、私を見ていました」
「律儀な騎士だ」
「あなたも、その一瞬で斬られるほど油断はしていなかったでしょう」
アサシンは笑った。
「違いない」
再び、二人の剣士が構える。
山門の戦いは、まだ終わらない。
◇
寺の奥では、キャスターの魔力がさらに濃くなっていた。
慎二を奥へ下げたことで、人質としての圧力は少し減った。
だが、工房そのものはまだ生きている。
影の兵が再び立ち上がる。
紫の鎖が地面を這う。
アーチャーは干将・莫耶を構え、士郎と凛の前に立っていた。
凛は宝石を握り、次の一手を探っている。
士郎は赤い糸の残滓を見ていた。
繋がりは、まだある。
慎二は完全には遠ざかっていない。
キャスターが本堂の奥で微笑む。
「今夜はここまで、でもよかったのだけれど」
その声が、少しだけ柔らかくなる。
不自然なほどに。
「ちょうど、戻られたようね」
凛の表情が変わった。
「戻られた?」
アーチャーがわずかに体勢を変える。
弓ではない。
双剣を構えたまま、警戒を強める。
その反応を見て、士郎は本堂の奥を見た。
何も聞こえない。
足音はない。
衣擦れもない。
気配さえ、ない。
なのに、誰かがいる。
闇の奥から、気配も、足音すらも一切なく、一人の男が滑るように歩いてくる。
地味な服装。
無駄のない姿勢。
見慣れているはずの輪郭。
月明かりが、その男の顔を照らし出した瞬間、士郎は自分の目を疑った。
「……葛木、先生……!?」
それは、見間違いようのない姿だった。
学校で教壇に立っている、穂群原学園の世界史教師。
生徒会の顧問で、一成とも親しい。
いつも無駄のない言葉で生徒を見ている、あの葛木宗一郎だった。
凛も息を呑んでいた。
「嘘……葛木先生……?」
驚きは、サーヴァントが現れた時よりも大きかった。
敵が現れることは、予想していた。
キャスターが罠を張っていることも分かっていた。
だが、そこにいるのが、日常の中で何度も見てきた学校の教師だとは、考えていなかった。
だが、何かがおかしい。
いつも見ているはずの男が、そこに現れるまで、存在していなかったかのようだった。
気配を殺していたのではない。
最初から空気の一部だったものが、急に人の形を取ったように見えた。
石畳の上を歩いているはずなのに、足音はない。
衣擦れもない。
呼吸の気配すら、ひどく薄い。
学校で見ている葛木先生と同じ顔。
同じ姿。
なのに、今この場でキャスターの隣に立つその姿は、どの影の兵よりも不気味だった。
キャスターは、その男へ向けて静かに微笑んだ。
「宗一郎様」
葛木は答えなかった。
ただ、士郎たちを見た。
その視線には、怒りも迷いもない。
淡々としている。
それが逆に、ひどく不気味だった。
士郎は声を絞り出す。
「どうして……先生が、ここに」
葛木は答えない。
代わりに、アーチャーが双剣を構え直した。
「下がれ、凛」
「アーチャー?」
「奴は人間だ。だが、ただの人間と思うな」
葛木が一歩、前へ出る。
それでも、足音はなかった。
夜の境内で、彼だけが音から切り離されている。
キャスターの工房。
魔女の術式。
そして、日常の中にいたはずの教師。
新たな戦場が、静かに開こうとしていた。
ら、乱入ダァーー!!
皆さまの感想をお待ちしております!