Fate/Divine Brush──桜花浄界──   作:一般ガス会社社員

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Rule Breaker

 

 キャスターの短剣が、影の中から伸びた。

 

 それは、殺すための刃には見えなかった。

 

 細く、短く、装飾も少ない。戦場で振るわれる剣というより、何かを切り取るための道具に近い。だが、その刃に宿る紫の光を見た瞬間、凛の顔色が変わった。

 

「セイバー、避けて!」

 

 叫びは間に合わなかった。

 

 セイバーは葛木の拳を受け止めていた。

 

 キャスターの強化を受けた葛木宗一郎の拳は、ただの人間のものではない。踏み込みは無音で、軌道は読みにくく、打撃は重い。セイバーは不可視の剣で受け流そうとしたが、葛木はその一瞬だけ、さらに深く踏み込んだ。

 

 距離が詰まる。

 

 体勢が崩れる。

 

 そこへ、キャスターの短剣が届いた。

 

 刃が、セイバーの脇腹の鎧に触れた。

 

 深くは刺さっていない。

 

 血が噴き出したわけでもない。

 

 だが、士郎はその瞬間、胸の奥で何かが切れる音を聞いた。

 

「──っ!」

 

 息が詰まる。

 

 痛みではない。

 

 けれど、胸の内側から何かが引き抜かれたような感覚があった。そこにあったはずの細い繋がりが、突然消える。セイバーの存在が、すぐ目の前にいるのに、遠くなる。

 

 令呪のある手が、急に冷たくなった。

 

「セイバー!」

 

 士郎は叫んだ。

 

 セイバーの体がぐらつく。

 

 葛木の拳を弾き返し、後ろへ下がろうとする。だが、その足取りは一瞬だけ乱れた。不可視の剣の風が揺れ、セイバーの表情に、今までにない動揺が浮かぶ。

 

「マスター……?」

 

 セイバーの声もまた、揺れていた。

 

 彼女自身も気づいたのだ。

 

 士郎との契約が切られたことに。

 

 キャスターは短剣を引いた。

 

 その顔には、静かな勝利の笑みがあった。

 

破戒すべき全ての符(ルールブレイカー)

 

 キャスターの声が、夕暮れの路地に響く。

 

「契約も、誓約も、魔術による縛りも、この刃の前では意味を失う。どれほど強い剣でも、握る手を切り離してしまえば、それで終わりよ」

 

 凛が歯を食いしばる。

 

「契約破りの宝具……!」

 

 士郎には、凛の言葉の意味を全部理解できたわけではない。

 

 だが、分かることはあった。

 

 セイバーとの繋がりがない。

 

 今まで不安定でも、細くても、確かにあったはずの線が消えている。

 

 セイバーは、もう自分のサーヴァントではない。

 

 その事実が、頭ではなく体に突き刺さった。

 

「ふざけるな……!」

 

 士郎は一歩踏み出しかける。

 

 だが、セイバーが叫んだ。

 

「来ないでください、マスター!」

 

 その声に、士郎の足が止まった。

 

 契約は切れた。

 

 それでもセイバーは、士郎をマスターと呼んだ。

 

 それが、余計に胸を締めつけた。

 

 セイバーは苦しげに息をしながらも、剣を構え直す。葛木は無表情のまま一歩退き、キャスターの前に立つでもなく、凛とアーチャーの位置を見ている。次に誰が動くか、それだけを観察しているようだった。

 

「私は……マスターを裏切らない」

 

 セイバーが言った。

 

 声には力があった。

 

 だが、体は揺れていた。

 

 士郎からの魔力供給が断たれた。元から不安定だったパスが完全に消え、セイバーの霊基そのものが一瞬、不安定になっている。

 

 キャスターは楽しげに目を細めた。

 

「意思は立派ね。でも、契約は意思だけでは保てない」

 

 キャスターの足元から、紫の糸が伸びた。

 

 赤い糸とは違う。

 

 慎二を絡め取っていたものよりも、もっと直接的で、もっと冷たい魔術の糸。契約を上書きするための術式だった。

 

 それが、セイバーへ向かう。

 

「さあ、こちらへ来なさい、セイバー」

 

「させるか!」

 

 アーチャーが姿を現した。

 

 両手には干将・莫耶。黒と白の双剣が夕暮れの光を受けて鈍く光る。アーチャーは葛木へ踏み込み、双剣を交差させるように斬りかかった。

 

 葛木が動く。

 

 拳が双剣の間をすり抜ける。

 

 常人の動きではない。

 

 アーチャーは身を捻り、黒い干将で拳の軌道を逸らす。白い莫耶が葛木の胴を狙うが、葛木は紙一重でかわした。さらに足元から紫の強化線が走り、葛木の動きを押し上げる。

 

「ちっ……」

 

 アーチャーが舌打ちする。

 

「また強化を重ねているな」

 

 キャスターは薄く笑う。

 

「同じ失敗を繰り返すほど、私は愚かではないわ」

 

 凛が宝石を投げる。

 

 光が弾け、キャスターへ向かう紫の糸を断とうとした。

 

 だが、その手前に薄い壁が現れる。

 

 小さな結界。

 

 凛の宝石はそれを砕いたが、勢いを失った。キャスター本体にも、セイバーへ伸びる糸にも届かない。

 

「準備してきたってわけね……!」

 

「ええ。慎二くんの時は、あの白い荒神に不意を突かれた。でも、今度は違う」

 

 キャスターの視線が士郎へ向く。

 

「あなたたちが何を大切にしているか、もう分かっているもの」

 

 紫の糸がセイバーの腕へ絡みつく。

 

 セイバーは剣で斬ろうとするが、動きが鈍い。

 

 契約が切れた直後の空白。

 

 そこを、キャスターは逃さなかった。

 

「セイバー!」

 

 士郎はもう一度駆け出そうとした。

 

 凛が叫ぶ。

 

「士郎、行くな! 今行ったらあなたも切られる!」

 

「でも!」

 

「でもじゃない!」

 

 凛の声には焦りがあった。

 

 怒りもあった。

 

 けれど、士郎は止まれなかった。

 

 セイバーが目の前で奪われようとしている。

 

 自分との繋がりが切られ、キャスターの糸に絡め取られようとしている。

 

 その光景を見て、立っていられるはずがなかった。

 

 士郎が一歩踏み出した瞬間、セイバーの声が飛ぶ。

 

「来ないでください!」

 

 その声は、先ほどより強かった。

 

 セイバーは紫の糸に腕を取られながらも、士郎を見ていた。

 

「マスターは、下がってください……!」

 

「セイバー……」

 

「あなたを守ることが、私の意思です。契約が切れても、それは変わりません」

 

 士郎は足を止めた。

 

 止められてしまった。

 

 セイバーにそう言われて、それでも飛び込むことはできなかった。

 

 その一瞬の遅れを、キャスターは待っていた。

 

「美しい忠誠ね」

 

 キャスターの声が冷たく響く。

 

「だからこそ、利用しやすい」

 

 紫の糸がセイバーを包む。

 

 セイバーは抵抗する。

 

 不可視の剣が風を巻き、糸を散らそうとする。

 

 だが、士郎とのパスはない。魔力の巡りは途切れ、足元は不安定。そこへ葛木がアーチャーを押さえ、キャスターが凛の宝石を遮断する。

 

 全てが、セイバーを奪うために組まれていた。

 

 ◇

 

 衛宮邸で、ライダーが突然立ち上がった。

 

 縁側にいた桜は、その動きにすぐ気づく。

 

「ライダーさん?」

 

 白い神狼の背の神鏡が強く光っていた。

 

 朝や昼の穏やかな光ではない。

 

 警戒。

 

 怒り。

 

 そして、遠くで何かが切られたことへの反応。

 

 庭に満ちていた神気が、ざわりと揺れる。

 

 桜は胸を押さえた。

 

 理由は分からない。

 

 けれど、嫌な予感がした。

 

 その時、奥の部屋から物音がした。

 

 慎二が起きていた。

 

 凛の結界越しに、かすれた声が聞こえる。

 

「……また、あいつか」

 

 桜は廊下の方を見る。

 

「兄さん?」

 

 慎二の声は弱かった。

 

 だが、確かに焦りが混じっていた。

 

「キャスターだ……あいつ、今度は……」

 

 言葉が詰まる。

 

 慎二はまだ体を起こすことも難しい。それでも、キャスターの術式の残滓が体に残っているせいか、何かを感じ取っているらしかった。

 

「セイバーを……狙ってる」

 

 桜の顔から血の気が引く。

 

「セイバーさんを?」

 

「契約を……切るつもりだ。あの短剣で……」

 

 慎二は苦しげに息を吐く。

 

「くそ……まだ、あいつの気配が分かるなんて……最悪だ……」

 

 桜はライダーを見た。

 

 ライダーはすでに門の方を向いている。

 

 だが、動かない。

 

 桜がいる。

 

 慎二もいる。

 

 衛宮邸を守る役目がある。

 

 だから、ライダーは迷っていた。

 

 桜は震える手を握った。

 

 怖い。

 

 慎二が同じ家にいることも怖い。

 

 キャスターがまた何かを仕掛けてきたことも怖い。

 

 ライダーがいなくなることも怖い。

 

 でも、士郎たちも怖いはずだった。

 

 セイバーが狙われているなら、今、誰かが助けに行かなければならない。

 

「ライダーさん」

 

 桜は言った。

 

 白い神狼が振り返る。

 

「行ってください」

 

 ライダーの目が、桜を見る。

 

「ここは……私が守ります」

 

 声は震えていた。

 

 それでも、桜は言い直さなかった。

 

「怖いです。兄さんがいることも、キャスターさんがまた来るかもしれないことも、怖いです。でも……先輩たちも、セイバーさんも、今きっと怖いはずです」

 

 桜はライダーの背に手を置いた。

 

「だから、行ってください。セイバーさんを、助けてください」

 

 ライダーは桜をじっと見つめた。

 

 その視線には、確かめるような静けさがあった。

 

 本当にいいのか。

 

 そう問われているようだった。

 

 桜は頷いた。

 

「私はここにいます。逃げません」

 

 ライダーの神鏡が光った。

 

 金色の光が、衛宮邸の庭と縁側、茶の間、奥の部屋へ広がっていく。桜を包み、慎二の部屋を包み、家全体に薄い朝の気配を残していく。

 

 守りを残したのだ。

 

 完全ではない。

 

 ライダー本人がいる時ほど強くはない。

 

 それでも、低級の使い魔や呪いなら近づけない。

 

 ライダーは一度だけ桜の手に鼻先を寄せた。

 

 そして、門へ向かって走り出した。

 

 白い神狼が、夕暮れの街へ飛び出す。

 

 背の神鏡が残光を引き、まるで沈みかけた太陽の欠片が地上を駆けているようだった。

 

 桜はその背を見送った。

 

 胸はまだ震えている。

 

 だが、足は動かなかった。

 

 逃げなかった。

 

 ◇

 

 紫の糸が、セイバーの体を縛る。

 

 セイバーは抵抗していた。

 

 意識はある。

 

 意思もある。

 

 だが、体の深い部分に、キャスターの契約術式が入り込もうとしていた。

 

「私は……!」

 

 セイバーは歯を食いしばる。

 

「あなたに従うつもりはありません……!」

 

「つもり、では契約は拒めないわ」

 

 キャスターの声は冷たい。

 

「あなたはもう、衛宮士郎のサーヴァントではない。なら、空いた契約の席に私が座るだけ」

 

 凛が宝石をさらに投げる。

 

 アーチャーが葛木を押し返し、キャスターへの射線を作ろうとする。

 

 だが、葛木は下がらない。

 

 セイバーが契約を切られたことで、戦場の形が変わっていた。アーチャーは葛木を止めながら、凛と士郎を守らなければならない。凛はキャスターを妨害しながら、士郎を前に出さないようにしなければならない。

 

 そして士郎は、ただ立っているしかなかった。

 

 自分のサーヴァントが奪われていくのに。

 

 何もできない。

 

「セイバー……!」

 

 その時、白い光が夕暮れの道を裂いた。

 

 ライダーだった。

 

 神鏡が金色に輝き、キャスターの紫の糸へ向かって光を放つ。

 

 キャスターの顔が歪む。

 

「来たのね、白い荒神」

 

 ライダーは低く唸った。

 

 神鏡の光が、紫の糸を焼こうとする。

 

 だが、その手前で、黒い膜のようなものが広がった。

 

 小型の結界。

 

 キャスターが用意していた、太陽の神気を一瞬だけ鈍らせるための遮断術式だった。

 

 完全には防げない。

 

 ライダーの神気はその膜を焼き破る。

 

 だが、一拍遅れた。

 

 その一拍で、キャスターは勝利を掴んだ。

 

「遅いわ」

 

 キャスターが笑う。

 

「白い荒神」

 

 紫の契約術式が、セイバーの霊基へ深く沈む。

 

 セイバーの体がびくりと震えた。

 

 不可視の剣を握る手から力が抜ける。

 

 風の結界が揺らぎ、足元の影が伸びる。

 

 士郎は胸の奥が冷えるのを感じた。

 

 セイバーが、遠くなる。

 

 今度は感覚ではない。

 

 目の前のセイバーが、本当に自分たちから離れていく。

 

「セイバー!」

 

 士郎が叫ぶ。

 

 セイバーは顔を上げた。

 

 その目には意識があった。

 

 士郎を見ていた。

 

 だが、体は動かない。

 

 キャスターが静かに命じる。

 

「下がりなさい、セイバー」

 

「私は……」

 

 セイバーは抗おうとした。

 

 だが、足が動いた。

 

 一歩。

 

 士郎から離れる。

 

 セイバーの顔が苦痛に歪む。

 

「マスター……」

 

 声が震えていた。

 

 士郎は飛び出した。

 

「セイバー!」

 

 凛が止めようとした。

 

 アーチャーも叫んだ。

 

 だが、士郎は聞こえていなかった。

 

 その前に、白い影が立ち塞がった。

 

 ライダーだった。

 

 白い神狼が、士郎の前に立っていた。

 

「どけ、ライダー!」

 

 士郎は叫ぶ。

 

「セイバーが!」

 

 ライダーは動かない。

 

 低く唸ることすらしなかった。

 

 ただ、士郎を進ませなかった。

 

 その背中は大きかった。

 

 今ここで士郎が飛び込めば、キャスターの短剣に届く。

 

 葛木の拳に届く。

 

 セイバーを取り戻すどころか、士郎まで奪われる。

 

 ライダーはそれを分かっている。

 

 だから止めている。

 

 士郎は拳を握った。

 

「どけよ……!」

 

 ライダーは振り返らない。

 

 ただ、神鏡の光を広げ、士郎を守る。

 

 その光が、士郎の足を止めた。

 

 キャスターはその光景を見て、満足そうに笑った。

 

「よく躾けられているのね。白い荒神」

 

 ライダーの背の毛が逆立つ。

 

 キャスターはすぐに距離を取った。

 

 セイバーを背後に置き、葛木がその横に立つ。

 

 アーチャーが追撃の体勢を取るが、キャスターは指を鳴らした。

 

 路地の奥に、紫の霧が広がる。

 

「追ってくるならどうぞ」

 

 キャスターは言った。

 

「けれど、その時は衛宮邸が空になるわ。あそこには、桜も、まだ不安定な間桐の少年もいるのでしょう?」

 

 ライダーの神鏡が強く光る。

 

 だが、動けない。

 

 桜がいる。

 

 慎二がいる。

 

 衛宮邸には守りを残してきたとはいえ、ライダー本人が離れ続ければ危険は増す。

 

 キャスターはそれを分かっていた。

 

「剣はいただいたわ」

 

 キャスターの声が、夕暮れの路地に響く。

 

「次は、どちらを守るかよく考えなさい。白い荒神」

 

 士郎はセイバーを見た。

 

 セイバーも、士郎を見ていた。

 

 口を開こうとする。

 

「マスター……」

 

 しかし、キャスターの糸が揺れる。

 

 セイバーの声が途切れた。

 

 彼女は唇を噛むようにして、言葉を飲み込まされた。

 

 次の瞬間、紫の霧が濃くなる。

 

 キャスター、葛木、そしてセイバーの姿が霞む。

 

「待て!」

 

 士郎が叫ぶ。

 

 だが、霧が晴れた時、三人の姿は消えていた。

 

 残されたのは、夕暮れの静かな道と、切られた契約の冷たさだけだった。

 

 ◇

 

 誰もすぐには動かなかった。

 

 凛は宝石を握ったまま、肩で息をしていた。

 

 アーチャーは双剣を下ろさず、周囲を警戒している。

 

 ライダーは士郎の前に立ったまま、消えたキャスターの気配を追うように路地の奥を見ていた。

 

 士郎は、そこに立ち尽くしていた。

 

 セイバーがいない。

 

 ついさっきまで隣にいた。

 

 マスターと呼んでいた。

 

 守ると言っていた。

 

 そのセイバーが、キャスターに連れて行かれた。

 

「追わないと」

 

 士郎が呟く。

 

「今すぐ追わないと、セイバーが」

 

「駄目よ」

 

 凛が言った。

 

 士郎は振り返る。

 

「何でだよ!」

 

 凛は士郎を睨み返した。

 

「今追ったら全員死ぬ!」

 

 その声は鋭かった。

 

 士郎は言葉に詰まる。

 

 凛は続ける。

 

「セイバーを奪われた。契約も切られた。キャスターは罠を張ってる。ライダーを動かせば衛宮邸が危ない。桜も慎二くんもいる。今、感情だけで追えば、キャスターの思うつぼよ!」

 

「でも、セイバーが!」

 

「分かってる!」

 

 凛の声も震えていた。

 

 怒りだけではない。

 

 悔しさ。

 

 自分が止められなかったことへの苛立ち。

 

 それが凛の声に混じっていた。

 

「分かってるわよ……!」

 

 アーチャーが静かに言った。

 

「剣を取り戻したいなら、まず生きて帰れ」

 

 士郎は拳を握る。

 

 何も言えなかった。

 

 その通りだ。

 

 今追えば、たぶん全員が死ぬ。

 

 それでも、足は前に出ようとする。

 

 ライダーが、もう一度士郎の前に立った。

 

 静かに。

 

 強く。

 

 士郎はその背を見た。

 

 自分を止めている。

 

 責めるためではない。

 

 守るために。

 

 それが分かってしまったから、士郎は動けなかった。

 

「……帰るわよ」

 

 凛が言った。

 

「衛宮邸で立て直す」

 

 士郎は、消えたセイバーの気配を見つめたまま、頷くしかなかった。

 

 ◇

 

 衛宮邸に戻るまでの道は、ひどく長く感じた。

 

 誰もほとんど話さなかった。

 

 凛は状況を整理しようとしている。アーチャーは周囲を警戒している。ライダーは士郎の少し前を歩いていた。士郎がまた飛び出さないように、さりげなく道を塞ぐ位置だった。

 

 士郎はそれに気づいていた。

 

 気づいていたが、何も言わなかった。

 

 言えなかった。

 

 衛宮邸の門をくぐると、桜が縁側に立っていた。

 

 ライダーが戻ってきたことに気づき、ほっとした顔をする。

 

 だが、次の瞬間、その表情が変わった。

 

 セイバーがいない。

 

 桜はすぐにそれに気づいた。

 

「先輩……セイバーさんは……?」

 

 士郎は答えられなかった。

 

 喉が塞がる。

 

 言葉が出てこない。

 

 代わりに、凛が言った。

 

「キャスターに奪われた」

 

 桜の顔が青ざめる。

 

「奪われた……?」

 

「ルールブレイカー。契約を切る宝具よ。セイバーと士郎の契約を断たれて、そのままキャスターに契約を上書きされた」

 

 凛は淡々と説明しようとしていた。

 

 だが、その声は硬かった。

 

「止められなかった」

 

 茶の間に沈黙が落ちる。

 

 奥の部屋から、慎二の声が聞こえた。

 

「……あいつ、本当にやりやがったのか」

 

 慎二は壁越しに話を聞いていたらしい。

 

 声には、皮肉よりも恐怖が混じっていた。

 

「キャスターは、そういう奴だ。使えると思ったものは、何でも使う」

 

 誰も慎二を責めなかった。

 

 今は、それどころではなかった。

 

 士郎は茶の間に座り込む。

 

 体から力が抜けていた。

 

「俺が……」

 

 言葉が零れる。

 

「俺が、ちゃんとマスターだったら」

 

 凛が顔を上げる。

 

「士郎」

 

「俺のパスがもっと強かったら。俺がもっとちゃんとセイバーに魔力を送れてたら。キャスターにあんな隙を突かれなかったんじゃないのか」

 

「それは」

 

「俺が未熟だったからだ」

 

 士郎は拳を握った。

 

「俺が、守れなかった」

 

 誰もすぐには否定しなかった。

 

 簡単に否定していいことではなかった。

 

 士郎の責任だけではない。

 

 でも、士郎が何も背負わなくていいわけでもない。

 

 その重さを、凛も分かっていた。

 

 ライダーが士郎の前へ来た。

 

 白い神狼は、静かに士郎を見ている。

 

 責めてはいない。

 

 慰めてもいない。

 

 ただ、そこにいる。

 

 背の神鏡が淡く光った。

 

 そして、その光の奥で、一瞬だけ白金の剣の気配が揺れた。

 

 慎二を救った時に見せた、三つ目の神器。

 

 救うために断つ剣。

 

 士郎は顔を上げる。

 

 セイバーを取り戻すには、ライダーの力が必要だ。

 

 けれど、ライダーは桜のサーヴァントだ。

 

 桜を守るためにいる。

 

 士郎が勝手に頼んでいいものではない。

 

 その時、桜が一歩前へ出た。

 

 桜の顔は青ざめていた。

 

 手も震えている。

 

 でも、目は逸らしていなかった。

 

「ライダーさん」

 

 桜は言った。

 

 白い神狼が振り返る。

 

「セイバーさんを、助けてください」

 

 士郎は桜を見る。

 

「桜……」

 

「怖いです」

 

 桜は正直に言った。

 

「キャスターさんも怖いです。ライダーさんが家を離れるのも怖いです。兄さんがまだこの家にいることも、全部怖いです」

 

 それでも、桜は続けた。

 

「でも、セイバーさんは先輩を守ってくれました。私のことも、何度も気にかけてくれました。だから……助けたいです」

 

 ライダーは桜をじっと見つめた。

 

 それから、静かに頷くように頭を下げた。

 

 神鏡が光る。

 

 茶の間に、柔らかな光が広がる。

 

 その光は、慰めではなかった。

 

 次へ進むための光だった。

 

 セイバーは奪われた。

 

 士郎の剣は、魔女の手に落ちた。

 

 だが、衛宮邸にはまだ太陽がいた。

 

 桜の声に応えるように、白い神狼が一歩前へ出る。

 

 今度は、奪われた剣を取り戻すために。

 





そんな……セイバーが……

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