Fate/Divine Brush──桜花浄界──   作:一般ガス会社社員

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The Bond Redrawn

 

 夜明けの光が、衛宮邸の縁側に差し込んでいた。

 

 イッスンとウシワカの姿は、もうない。

 

 さっきまで茶の間を騒がせていた小さな旅絵師の声も、芝居がかった剣士の声も、朝の静けさの中に溶けて消えていた。残っているのは、座卓の上の湯呑みと、ほんの少しだけ散らかった座布団。それから、確かにここに誰かがいたという、不思議な温かさだけだった。

 

 桜は縁側に座り、ライダーの背に手を置いていた。

 

 白い神狼は伏せている。目は開いているが、動きは少ない。教会で宝具を解放し、さらにその余韻でイッスンとウシワカをこの家に招いた。その反動が、まだ体に残っているのだろう。

 

 士郎は茶の間の入口から、その光景を見ていた。

 

 ライダー。

 

 いや、大神アマテラス。

 

 昨夜、イッスンが何気ない調子で明かした真名は、今もまだ士郎の中で現実味を持ちきれていなかった。

 

 天照大御神。

 

 太陽の神。

 

 この国で最も大きな名を持つ神の一柱。

 

 そんな存在が、桜のそばで静かに伏せている。

 

 その事実は、何度考えても頭が追いつかなかった。

 

「まず確認するわ」

 

 凛の声が、茶の間に落ちる。

 

 いつもの優等生の声ではない。魔術師として、状況を整理するための声だった。

 

 座卓の周りには、士郎、桜、凛、セイバーが座っている。セイバーはまだ白いドレスのままだった。キャスターに奪われた時の姿。そのままでは落ち着かないだろうと桜が着替えを用意しようとしたが、凛が先に契約と霊基の状態を確認したいと言って止めたのだ。

 

 アーチャーは姿を見せていない。

 

 だが、近くにいる。慎二のいる奥の部屋も、屋敷の外も、彼の監視範囲に入っているらしい。

 

 凛は全員を見回した。

 

「今後、外でライダーの真名を口にしないこと」

 

 士郎は頷いた。

 

「ああ。真名が知られるとまずいんだよな」

 

「普通のサーヴァントでもそうよ。真名は弱点や逸話に繋がる。対策を立てられるし、呪いや術式の足場にもなる」

 

 凛は縁側のライダーを見る。

 

「まして、天照大御神なんて名前は重すぎる。神霊級どころじゃないわ。名前そのものが神秘の塊みたいなものよ。魔術師に知られれば、利用しようとする連中が必ず出てくる」

 

 桜の手が、ライダーの毛並みに触れたまま止まる。

 

「利用……」

 

「そう。だから、外では今まで通りライダー。ここでも、必要以上に真名を口にしない方がいい」

 

 凛の言葉は冷静だった。

 

 だが、その目にはまだ戸惑いが残っている。

 

 無理もない。

 

 凛は一晩のうちに、キャスターの工房崩壊、セイバー奪還、ライダーの宝具、イッスンとウシワカの一夜限りの召喚、そしてライダーの真名判明までを一気に浴びている。

 

 魔術師として整理しようにも、現象の方があまりにも規格外だった。

 

 士郎は桜を見た。

 

 桜は少しだけ考えた後、静かに言った。

 

「私は……ライダーさんと呼びます」

 

 ライダーがわずかに耳を動かす。

 

「アマテラス様だと知っても、私にとってはライダーさんなので」

 

 桜の声は小さい。

 

 けれど、迷いはなかった。

 

 士郎はその言葉に、少しだけ安心した。

 

 ライダーが神であること。

 

 それは確かに大きな事実だ。

 

 だが、桜にとってのライダーは、あの夜からずっとそばにいてくれた白い神狼でもある。

 

 その距離が、真名ひとつで遠くならなかったことが、士郎には嬉しかった。

 

 ライダーは、桜の手に鼻先を寄せた。

 

 それは、今までと何も変わらない仕草だった。

 

 凛は少しだけ表情を緩める。

 

「それでいいと思う。むしろ、その方がライダーも楽そうだし」

 

 ライダーは否定しなかった。

 

 ◇

 

 次に、凛は桜の右手を確認した。

 

 包帯をほどくと、令呪の一画が完全に消えている。

 

 薄くなった跡すら、もうほとんど見えない。

 

「一画は完全に消費されてる。残り二画ね」

 

 桜は自分の手を見つめた。

 

「はい」

 

「後悔してる?」

 

 凛の問いは、優しくも厳しかった。

 

 桜はしばらく黙った。

 

 昨夜のことを思い出しているのだろう。

 

 セイバーが奪われた。

 

 士郎たちが追えなかった。

 

 ライダーが迷っていた。

 

 その時、桜は震えながらも願った。

 

 セイバーを助けてください、と。

 

「後悔は、していません」

 

 桜は言った。

 

「怖かったです。今も、怖いです。でも、セイバーさんを助けたいと思ったことは、本当ですから」

 

 凛は黙って桜を見る。

 

 それから、小さく頷いた。

 

「ならいいわ。令呪は、使うべき時に使うものよ」

 

「使うべき時……」

 

「ええ。もちろん、むやみに使っていいものじゃない。でも、昨日のあれは必要だった。あの令呪がなければ、ライダーの宝具はあそこまで届かなかったかもしれない」

 

 桜の指が少しだけ震えた。

 

 だが、彼女は手を隠さなかった。

 

 士郎はその姿を見ていた。

 

 桜は怖がっている。

 

 けれど、もう自分の選択から目を逸らしていない。

 

 そのことが、士郎には強く胸に残った。

 

 ◇

 

「次はセイバーね」

 

 凛が言うと、セイバーは姿勢を正した。

 

 白いドレスのまま正座している姿は、どこか場違いで、痛々しくもあった。キャスターに奪われ、契約を上書きされ、無理やり剣を向けさせられた。その記憶は、簡単には消えない。

 

 それでも、セイバーの目は逃げていなかった。

 

「私は問題ありません」

 

「問題ありまくりよ」

 

 凛は即答した。

 

「士郎との契約は応急処置で繋ぎ直しただけ。パスは戻ったけど、接合部分が荒い。魔力供給も不安定。しかも、キャスターに契約を切られて上書きされた直後よ。霊基の深いところに負荷が残ってる」

 

 セイバーは少しだけ眉を寄せる。

 

「しかし、戦闘は可能です」

 

「可能かどうかじゃなくて、やらせないって言ってるの」

 

 凛の声が鋭くなる。

 

「今日一日は戦闘禁止。少なくとも、こちらから動くことはしない。あなたが無理をすれば、士郎とのパスにも負担がかかる」

 

 士郎は唇を噛んだ。

 

「俺のせいか」

 

「それもある」

 

 凛は容赦なく言った。

 

 だが、すぐに続ける。

 

「でも、今ここで自分を責める時間があるなら、魔術回路の扱いを改善しなさい。あなたが落ち込んだところで、セイバーの契約は安定しない」

 

「……分かってる」

 

「分かってない顔してるけどね」

 

 凛はため息をついた。

 

 セイバーは士郎を見る。

 

「マスター。私も、あなたに負担をかけました」

 

「セイバーは悪くない」

 

「そう言ってくださることは嬉しい。ですが、私が奪われたことも事実です。二度と同じことを許さないためにも、私は自分の状態を正しく知る必要があります」

 

 その言葉に、士郎は何も返せなかった。

 

 セイバーは強い。

 

 だが、強いからこそ、自分が利用されたことを軽く済ませようとはしない。

 

 それが彼女の誇りなのだと、士郎は思った。

 

 凛は士郎とセイバーの間に手をかざす。

 

 魔力の流れを探るように、慎重に指を動かした。

 

「やっぱり、繋がってはいる。でも不安定。細い糸を無理に結び直したみたいなものね。今は保ってるけど、強い負荷がかかればまた乱れる可能性がある」

 

「どうすればいい」

 

 士郎が聞く。

 

「時間をかけて調整するわ。私が補助して、士郎の魔力供給も訓練する。けど、すぐ完璧にはならない」

 

 凛の声に迷いはない。

 

 だが、焦りもあった。

 

 今の状態で次の敵が来れば危険だ。

 

 セイバーは万全ではない。

 

 ライダーも消耗している。

 

 アーチャーだけで全てを守るには限界がある。

 

 その時だった。

 

 縁側で伏せていたライダーが、ゆっくりと立ち上がった。

 

「ライダーさん?」

 

 桜がすぐに反応する。

 

 白い神狼は、桜を見た。

 

 それから、士郎とセイバーを見た。

 

 凛の顔が変わる。

 

「ライダー、まさかまだ何かする気?」

 

 ライダーは答えない。

 

 ただ、静かに茶の間へ入ってくる。

 

 桜が慌てて立ち上がった。

 

「だめです、ライダーさん。まだ休んでください。昨日、あんなに無理をしたばかりなのに」

 

 ライダーは立ち止まらなかった。

 

 士郎とセイバーの前まで歩いてくる。

 

 その背の神鏡が、淡く光った。

 

 強い光ではない。

 

 教会を朝へ塗り替えた時の神威とは比べものにならない。

 

 それでも、そこには確かな意思があった。

 

 士郎は、以前のことを思い出した。

 

 バーサーカーの斧剣を受け、体が壊れかけた時。

 

 ライダーは自分に筆を走らせた。

 

 傷を塞ぐというより、欠けたものを元の形に描き足すような、不思議な力。

 

 凛も気づいたらしい。

 

「これ……前に衛宮くんを治した時の、あの力?」

 

 ライダーの周囲に、墨のような線が浮かび上がった。

 

 空中に、見えない筆が走る。

 

 士郎には、自分とセイバーの間にある細い繋がりが見えた気がした。

 

 切られ、繋ぎ直され、ところどころがほつれている線。

 

 凛の応急処置でなんとか形を保っているが、継ぎ目が荒く、今にもほどけそうな道。

 

 そこへ、ライダーの筆跡が重なる。

 

 新しい契約を作っているのではない。

 

 まったく別の道を引いているのでもない。

 

 もともとあった線。

 

 士郎とセイバーが繋がっていた道の、欠けた部分を描き足している。

 

 凛が息を呑む。

 

「治癒じゃない……肉体でもない。契約の欠損を補ってる……? 前に衛宮くんの傷を塞いだ時と同じ種類の力を、パスに使ってるのね」

 

 セイバーの表情が変わった。

 

「マスターとの繋がりが……」

 

 士郎も同じ感覚を覚えていた。

 

 胸の奥で、乱れていた糸が整っていく。

 

 引っかかっていたものがほどけ、切れかけていた部分に線が足される。無理やり結ぶのではなく、欠けた形を本来の形に戻していくような感覚。

 

 温かい。

 

 だが、熱ではない。

 

 痛みでもない。

 

 静かに、道が整っていく。

 

 セイバーが、小さく息を呑んだ。

 

「……シロウ」

 

 士郎は顔を上げた。

 

 セイバー自身も、自分がそう呼んだことに気づいたのだろう。わずかに目を伏せる。

 

「いえ……マスター」

 

 言い直した声は、いつもより少しだけ柔らかかった。

 

 士郎は何かを言おうとして、言葉を失った。

 

 今、確かに名前を呼ばれた。

 

 ただのマスターではなく、衛宮士郎として。

 

 それだけで、胸の奥の繋がりが、もう一度確かめられたような気がした。

 

「すごい……」

 

 凛が呟いた。

 

「完全に新しいものを作ったわけじゃない。元々あった繋がりだから補える。だからできる。でも、こんなやり方……」

 

 言葉の途中で、ライダーの体が揺れた。

 

「ライダーさん!」

 

 桜が駆け寄る。

 

 士郎とセイバーの間の繋がりが安定した、その直後だった。

 

 ライダーの背の神鏡が、ふっと薄くなった。

 

 紅い隈取が、墨が水で滲むように消えていく。

 

 背の神鏡も、勾玉も、剣の気配も、音もなく消えた。

 

 そして。

 

 ぼふん。

 

 茶の間に、軽い音が響いた。

 

 そこにいたのは、白い神狼ではなかった。

 

 大きさは変わっていない。

 

 けれど、紅い隈取は消えている。背中に神鏡もない。神器の気配もない。礼拝堂を朝へ変えた神威も、今はほとんど感じられない。

 

 雪のように真っ白な毛並みだけが残っていた。

 

 大きな、大きな、ただの白い犬。

 

 茶の間が沈黙した。

 

 士郎は瞬きをする。

 

 凛も固まっている。

 

 セイバーも目を丸くしている。

 

 桜は両手を伸ばしたまま、動けなくなっていた。

 

「……ライダー?」

 

 士郎が恐る恐る呼ぶ。

 

 白い犬は、ふす、と鼻を鳴らした。

 

 返事のつもりらしい。

 

 だが、まったく迫力がない。

 

 凛がゆっくりと近づき、魔力を確認する。

 

「神気が……ほとんどない」

 

「えっ」

 

 桜の顔が青ざめる。

 

「ライダーさん、大丈夫なんですか?」

 

「待って。霊基が壊れたわけじゃない。存在が消えかけてるわけでもない。ただ、出力が底をついてる。神性もほとんど奥に引っ込んでるわね」

 

 凛は困惑した顔で白い大型犬を見る。

 

「これ、たぶん……力を使い切って、一時的にただの犬みたいな状態になってる」

 

「ただの犬……」

 

 士郎はもう一度ライダーを見る。

 

 白い犬は、少し不満そうに士郎を見返した。

 

 しかし、やはり迫力はない。

 

 アーチャーの声が、どこからともなく聞こえた。

 

「戦力としては、しばらく期待しない方がいいな」

 

「言い方!」

 

 凛が反射的に怒る。

 

 だが、否定はしなかった。

 

「でも、実際そうよ。今のライダーはほとんど戦えない。神気もかけらみたいなものしか残ってない。せいぜい……そばにいると少し落ち着くくらいね」

 

 桜は膝をつき、ライダーの首元にそっと腕を回した。

 

 抱き上げることはできない。

 

 大きさは変わっていないのだ。

 

 けれど、ライダーは抵抗しなかった。大きな白い犬は、桜に寄り添うようにその場へ伏せる。

 

 桜は抱きしめる力を強くしすぎないように気をつけながら、静かに言った。

 

「また、無理をしたんですね」

 

 白い犬は、桜の腕の中で鼻を鳴らした。

 

 桜は少しだけ眉を下げる。

 

「ありがとうございます。でも……次は、ちゃんと私にも止めさせてください」

 

 ライダーは答えない。

 

 ただ、桜のそばで目を細めた。

 

 それが了承なのか、聞き流しているのかは分からない。

 

 士郎はセイバーを見る。

 

「セイバー、どうだ?」

 

 セイバーは自分の胸元に手を当てる。

 

「安定しています。先ほどまでより、ずっと。マスターとの繋がりも、はっきり感じられる」

 

「よかった」

 

 士郎は息を吐いた。

 

 それから、桜に寄り添う白い犬に向き直る。

 

「ありがとう、ライダー」

 

 白い犬は、ふす、と鼻を鳴らした。

 

 やはり、威厳はなかった。

 

 それでも、士郎には分かった。

 

 この白い犬は、さっきまでと同じライダーだ。

 

 大神アマテラス。

 

 太陽神。

 

 そう呼ばれる存在でありながら、仲間のために力を使い切って、今は桜のそばでただの犬のようになっている。

 

 凛は腕を組んだ。

 

「この状態、どのくらい続くかしらね」

 

「分からないのか」

 

「分からないわよ。神様が力を使い切って犬になった前例なんて、遠坂の蔵にもないわ」

 

「それはそうか」

 

「ただ、悪い状態ではないと思う。霊基の芯は残ってる。休めば戻るはずよ」

 

 桜は安心したように息を吐いた。

 

「よかった……」

 

 白い犬は、その場で大きな体を丸めた。

 

 少しだけ眠そうに見えた。

 

 ◇

 

 奥の部屋から、小さな物音がした。

 

 慎二だ。

 

 凛が反応するより前に、士郎は立ち上がった。

 

「俺が見てくる」

 

「一人で?」

 

「すぐそこだろ」

 

 凛は少しだけ考え、それから頷いた。

 

「扉は開けたまま。何かあったら呼びなさい」

 

「分かった」

 

 士郎は廊下を進み、奥の部屋へ向かった。

 

 慎二は布団の上で上体を起こしていた。

 

 顔色はまだ悪い。だが、昨日よりは意識がはっきりしているように見えた。

 

「起きてたのか」

 

「起きるだろ、あんな騒ぎ」

 

 慎二は不機嫌そうに言った。

 

「今度は何だよ。神様だの、太陽だの、犬になっただの。ここは本当に衛宮の家か?」

 

「俺もそう思う」

 

 士郎は正直に答えた。

 

 慎二は少しだけ鼻で笑った。

 

「桜のサーヴァントが天照大御神って、何の冗談だよ。間桐の家、どんだけ厄ネタ抱え込んでたんだ」

 

「厄ネタって言うな」

 

「じゃあ何だよ。ありがたい神様ですって拝めばいいのか」

 

 慎二の声には皮肉があった。

 

 だが、以前のような棘だけではない。

 

 どこか疲れていて、どこか自分でも持て余しているような響きだった。

 

 士郎は少し黙る。

 

「桜は、ライダーさんって呼ぶってさ」

 

 慎二は目を細めた。

 

「……そうかよ」

 

「ああ」

 

 しばらく沈黙が落ちた。

 

 慎二は天井を見る。

 

「桜は」

 

「ん?」

 

「桜は、大丈夫なのか」

 

 その問いは、ひどく小さかった。

 

 士郎は慎二を見る。

 

 慎二は顔を逸らしている。

 

 桜を心配しているのか。

 

 それとも、自分がどう思えばいいのか分からないのか。

 

 士郎には判断できなかった。

 

 それでも、嘘はつきたくなかった。

 

「怖がってる」

 

 士郎は言った。

 

 慎二の指がわずかに動く。

 

「でも、逃げてない」

 

「……」

 

「ライダーを送り出したのも、セイバーを助けたいって願ったのも桜だ。怖いって言いながら、それでも逃げなかった」

 

 慎二は何も言わなかった。

 

 しばらくして、布団の端を握る。

 

「そうかよ」

 

 それだけだった。

 

 士郎は部屋を出ようとする。

 

 その時、慎二が小さく呟いた。

 

「……僕は、逃げたのにな」

 

 士郎は足を止めた。

 

 振り返る。

 

 慎二は顔を伏せていた。

 

「何でもない」

 

 そう言われて、士郎はそれ以上聞かなかった。

 

 今は、まだその時ではない気がした。

 

 ◇

 

 茶の間に戻ると、凛が簡単な作戦会議を始めていた。

 

「キャスターは退場した。少なくとも、あの工房と一緒に消えたと見ていい。葛木先生も同じ。けど、これで聖杯戦争が終わったわけじゃない」

 

 セイバーは頷く。

 

「アサシンはどうなったのでしょうか」

 

「キャスターが消えた以上、山門のアサシンも維持できない可能性が高い。でも、確認は必要ね」

 

 凛は指を折る。

 

「セイバーは士郎側に復帰。ただし、今日は休養。アーチャーは私のサーヴァントとして健在。ライダーは……」

 

 凛は桜のそばで丸くなっている白い犬を見る。

 

「しばらく戦力外」

 

 白い犬が不満そうに鼻を鳴らした。

 

「文句言っても駄目。今のあなた、どう見ても戦える状態じゃないから」

 

 桜がライダーを少し庇うように、その首元へ手を置く。

 

「ライダーさんは休ませます」

 

「それがいいわ」

 

 凛は続ける。

 

「残る大きな脅威は、バーサーカー。ランサー。それから、言峰綺礼」

 

「言峰?」

 

 士郎が聞く。

 

「教会はキャスターに占拠されていた。けど、言峰が死んだとは思わない方がいい。あの男が簡単に消えるなら苦労しないわ」

 

 アーチャーの声がした。

 

「同感だ。監督役が姿を消したままという状況は、むしろ不穏だ」

 

 士郎は教会のことを思い出す。

 

 キャスターの工房に変えられていた礼拝堂。

 

 そこに、言峰はいなかった。

 

 それが何を意味するのか、士郎には分からない。

 

 だが、凛とアーチャーが警戒するなら、楽観はできないのだろう。

 

「もう一つ」

 

 凛は表情を険しくする。

 

「キャスターという大きな陣営が消えた。これは、他のマスターにとっても分かることよ。今まで様子見していた相手が動き出す可能性がある」

 

「イリヤか」

 

 士郎は、白い少女と巨大なサーヴァントを思い出す。

 

 バーサーカー。

 

 あの斧剣。

 

 自分が一度、死にかけた相手。

 

 その時、セイバーの表情も固くなった。

 

「バーサーカーは危険です。万全の状態でも容易な相手ではありません」

 

 凛は頷く。

 

「だから、今日は動かない。まず休む。セイバーの契約を安定させる。ライダーを戻す。士郎の魔術回路の扱いを見直す。全部それからよ」

 

「分かった」

 

 士郎は素直に頷いた。

 

 前なら、すぐにでも動こうとしていたかもしれない。

 

 だが今は違う。

 

 セイバーを奪われた。

 

 ライダーが力を使い切った。

 

 桜が令呪を一画使った。

 

 誰かの無理の上に、自分たちはここに戻ってきた。

 

 なら、次は同じことを繰り返してはいけない。

 

 セイバーが士郎を見る。

 

「マスター」

 

「何だ」

 

「私も休みます。ですから、あなたも休んでください」

 

「……ああ」

 

 士郎は苦笑した。

 

「分かった」

 

 凛が少し意外そうに見る。

 

「素直ね」

 

「そう言われ続けるのも、そろそろまずい気がしてきた」

 

「いい傾向よ」

 

 凛はそう言って、少しだけ笑った。

 

 ◇

 

 その日の朝は、静かに過ぎていった。

 

 桜はライダーのそばに座ったまま、縁側で朝の光を浴びていた。

 

 白い犬になったライダーは、桜の隣で丸くなっている。大きさは変わらないから、膝の上に乗せることはできない。それでも、桜が身を寄せると、ライダーは少しだけ体をずらして寄り添った。

 

 神気はほとんどない。

 

 だが、そばにいると少しだけ心が落ち着く。

 

 それは太陽神の威光というには、あまりにも小さなものだった。

 

 けれど、桜には十分だった。

 

「ライダーさん」

 

 桜が呼ぶと、白い犬は片目だけ開けた。

 

「今は、ゆっくり休んでください」

 

 白い犬は、ふす、と鼻を鳴らした。

 

 桜は小さく笑う。

 

「本当に、ただの犬みたいです」

 

 その言葉に、ライダーは少しだけ不満そうに尻尾を動かした。

 

 だが、桜のそばから離れようとはしなかった。

 

 士郎はその光景を見ながら、茶の間の片付けをしていた。

 

 セイバーは別室で休んでいる。

 

 凛は魔術的な調整の準備をしている。

 

 アーチャーは外を警戒している。

 

 慎二は奥の部屋で眠っている。

 

 一晩で、あまりにも多くのことが起きた。

 

 ライダーの真名。

 

 イッスンとウシワカ。

 

 セイバーの契約修復。

 

 ただの白い大型犬になった太陽神。

 

 それらが全部、同じ朝に詰め込まれている。

 

 士郎は息を吐いた。

 

 戦争はまだ終わっていない。

 

 むしろ、ここからさらに危険になるのだろう。

 

 でも今だけは、この静かな朝を大事にしたかった。

 

 その願いは、長くは続かなかった。

 

 ◇

 

 衛宮邸から少し離れた屋根の上。

 

 白い少女が、朝の光の中で足を揺らしていた。

 

 イリヤスフィール・フォン・アインツベルン。

 

 その背後には、巨人の影が立っている。

 

 バーサーカー。

 

 朝の光を浴びても、その圧迫感は薄れない。

 

 イリヤは衛宮邸の方を見つめていた。

 

「キャスター、負けちゃったんだ」

 

 声は軽い。

 

 だが、その目は笑っていない。

 

「セイバーも戻ってる。ライダーは……ふうん。あんなになっちゃったんだ」

 

 イリヤは少しだけ首を傾げる。

 

「神様でも、疲れるんだね」

 

 バーサーカーは答えない。

 

 ただ、少女の背後に立っている。

 

 イリヤは楽しそうに笑った。

 

「じゃあ、次はわたしたちの番かな」

 

 朝風が、白い髪を揺らす。

 

 少女は衛宮邸を見下ろしたまま、小さく呟いた。

 

「ねえ、バーサーカー。シロウは、今度はちゃんと遊んでくれるかな」

 

 巨人の影が、わずかに動いた。

 

 衛宮邸の朝は、静かだった。

 

 だが、その静けさの外側で、次の足音はもう近づき始めていた。

 





らいだー(白くて大きな犬のすがた)

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