ふと気付けばあの日のことを思い出す。
「サトシーとおくにいくとあぶないよー」
「わかってる」
その時だった。
「きゃっ!」
森の奥から小さな悲鳴が聞こえた。
「!?」
「わたし……どうしたら……」
「だいじょうぶさ! きっとなんとかなる! あきらめなかったらだいじょうぶなんだ!」
当時の私は皆の傍を逸れた男の子……サトシを探していた。サトシもサトシではぐれていたセレナと合流していた。見つけた時は良く分から無かったがセレナが顔を赤らめていたことは覚えてる。そして真っ先に反応したのはサトシだった。
「いまのこえ!」
声の方へ駆け出す。私も後を追った。茂みを抜けると、そこには一人の女の子がいた。その様子は転んだのか、膝を擦りむいていた筈だ。
「このこはたしか」
金色の髪。見たことのない顔。でも彼女はあとから知ったがサマーキャンプの参加者だった。
「あ、だいじょうぶ!?」
サトシは迷いなく駆け寄った。女の子は少し驚いたように顔を上げる。
「う、うん……」
「たてる?」
サトシが手を差し出す。女の子はその手を見つめたあと、恐る恐る握った。私も近づく。
「けがしてるじゃない。ちょっとみせて」
できるだけ優しく声をかけた。女の子はこくりと頷いた。
「うん。これなら」
表情は柔らかい。
(……誰?)
私の視線は女の子から離れなかった。
(サトシの手、見てた)
気のせいかもしれない。ただ助けてもらっただけ。
それだけの話……なのに。
「なんで?」
女の子の目がサトシを見上げるたび、胸の奥がざわつく。自分でも理由は分からない。
──-
なんとか女の子が落ちついてきた頃だった筈。
「わたしはセレナ」
女の子が小さく名乗った。
「わたしはリーフ。で、こっちがサトシ」
「よろしく!」
サトシはいつも通り満面の笑顔だった。セレナも少しだけ笑う。その瞬間。
(……いま、わらったよね?)
私は妙な違和感を覚えたことを覚えている。
サトシに向かって。ほんの一瞬……本当に一瞬だった。けれどあの日の私は見逃さなかった。
──-
サマーキャンプが無事に終わって私達は別れた。正確にはセレナがカロスに帰っただけだけど。
「これでよかった……」
その日の帰り道。サトシはもう別の話をしていた。
「こんどポケモンけんきゅうじょに行こうぜ!」
「またきゅうにはなしかわるわね……」
私は苦笑した。
この時会った女の子のことなど、サトシはいずれ忘れている……のだろう。
それがサトシだ。でも私は違った。
「セレナ……」
小さく名前を呟く。サトシは聞いていない……だから気付かない。
「あげないよ」
私が後ろを振り返っりながら告げたことに。誰もいない森の向こうを見つめていたことに。そして──
「だってサトシはわたしの……だもの」
胸の奥に生まれた、名前の付かない感情に。まだ十歳にも満たない私はその感情を知らなかった。知らないままただ一つだけ思った。
(もう会わないわよね)
そう。この時の私は知らなかった。
何年も後に。あの少女が再び現れ……自分の一番大切な人を巡る最大のライバルになることを。
サマーキャンプが終わってセレナがカロスに帰る前にそんな会話をしたのを思い出した。そしてあの日私は思い出した。ここがどんな世界で彼等がどんな人物かを。そして私が歩むとされる未来を。
「あれからもう1年……か」
そして現在のカントー地方。私はあの出来事からこの世界が【アニメ ポケットモンスター の世界】だと、そして私が前世でプレイしていたゲーム知識を思い出した。幸か不幸かアニメの記憶は朧げだがゲーム側の知識は鮮明だ。
「覚えてるなら……活用しないとね?」
マサラタウンから少し離れたトキワの森の中。夏の日差しが木々の隙間から差し込み、虫ポケモンたちの鳴き声が響いていた。
「サトシー! あんまり奥まで行かないでよー!」
私は少し呆れたように声を上げた。その前を走るのは幼馴染のサトシ。
「大丈夫だって!」
元気よく振り返ったサトシは、そのまま走り続ける。
「も〜……トキワの森に入ったら危ないんだけどなぁ……」
いつも通りだ。だけど言い出したら聞かない。無鉄砲で。考えるより先に体が動く。それでも──。
(私はサトシのそういうところが好きなんだけどね)
私は小さく笑った。
「それにサトシを守れるのも私だけ……だよ?」
私の記憶は誰にも言ったことのない秘密だった。
サトシ本人にも絶対に言わない。それだけの秘密
──ー
マサラタウン。十歳になればポケモントレーナーになれる。私達の旅立ちの日まで、あと一週間。それはこの町の子供たちにとって特別な意味を持っていた。そして当然──サトシも例外ではない。
──-
「よーし! 今度こそゲットだぜ!」
森の奥から元気な声が響く。
その数秒後。
ドサァッ!!
「いたたたたたっ!」
盛大な転倒音。
「だから言ったじゃない……」
少し離れた木陰から私が呆れたように顔を出した。
「案の定だったね」
サトシは野生のポッポを追いかけた結果、木の根に引っ掛かって転んでいる。
「惜しかったんだよ!」
「モンスターボールも持ってないのに?」
「気合で何とかなる!」
「ならないよ」
即答だった。サトシは不満そうに頬を膨らませる。だけど私は思わず笑った。
「昔から変わらないね」
無茶で。考えなしで。真っ直ぐで。だから放っておけないんだけど。
──-
「なあリーフ」
「なに?」
二人並んで歩く帰り道。
サトシは空を見上げながら言った。
「来週なんだよな」
「旅立ち?」
「ああ!」
急に顔が明るくなる。
「オレさ!」
「うん」
「絶対ポケモンマスターになる!」
言うと思った。私は小さく微笑む。
一週間後も。一年後も。十年後も。たぶんサトシは同じことを言うのだろう。根拠なんてなくていが無謀でも諦めないだろう。
「それがサトシだからね」
気付けば私は呟いていた。
「なれるわよ」
「即答!?」
「サトシだから」
「へへっ!」
照れたように頭を掻く。その笑顔を見ているだけで幸せだった。だからこそ私は言えない。
「ずっと好きだった……そう言いたい。でもまだその時じゃあ……ない」
旅立つ前から、サトシのことばかり考えていることも。
──-
その夜。自室。机の引き出しが静かに開いた。中にはノートが入っていた。
この普通のノートではない。
「ふふっ……書き込まないと」
私だけの秘密。表紙には何も書いていない。だけど中身は──
サトシの記録だった。
サトシの好きな食べ物……苦手な野菜。よく寝坊する曜日なんて当たり前。お気に入りの釣り場。森でよく通る道やケガしやすい場所までびっしりだ。
「コレはシゲルだって知らないことだもの……」
何年もかけて集めた情報。本人は知らないし、当然知られてはいけない。
「……私がおかしいのかな……?」
私は新しいページを開く。そして今日の記録を書き加える。
> ポッポ捕獲失敗。
>
> 木の根で転倒。
>
> 右膝に軽い擦り傷。
さらさらとペンが走る。書き終えるととても幸せな気分だ。
「うん」
何もおかしくない筈。だって幼馴染だから。
「心配だから……それ以上の理由は要らない」
その程度だ。少なくとも私はそう思っている。
──-
窓の外では夜風が吹いていた。私は机の上のカレンダーを見る。
「旅立ちまで。あと7日だね」
そして視線は自然と一枚の写真へ向かった。幼い頃の写真だ。その写真には自分とサトシが並んで写っている……が本当は【みんな】で撮った集合写真。でも私はその写真を切り取って2人の部分だけ拡大した写真。
「……私以外の女の子と関わる必要は無いから」
本当はシゲルだって映ってる。でも切り取った。私は宝物の写真を指先でサトシの姿をなぞる。
「うん。我ながら最高の笑顔」
誰が見ても表情は穏やかだと言ってくれるだろう。でも誰にも見せない感情は存在する。
【独占欲】と【執着】
私は優しい幼馴染の少女。今はまだソレだけで良い。
「もうすぐね、サトシ」
小さく呟く。旅が始まる。きっとサトシはたくさんの人と出会う。
「仲間も。ライバルも……」
そして……女の子も。
「辛いなぁ……その想像だけで胸の奥がざわついちゃう」
でも次の瞬間私は微笑み呟いていた。
「大丈夫だよ……ちゃんと見てるから」
自分でも驚く程感情と相反する程に静かな声だっただけどその言葉を聞く者は誰もいない。夜のマサラタウンだけが、私の秘密を知っていた。
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