男は駆けていた。地面を比喩ではなく飛ぶように駆けて、走っていた。
(一体、何が……?)
その胸中にあるのは突然発生した現象に対する困惑だった。仕立ての良いスーツに
包まれたその身は、困惑の原因である現場に辿り着こうとやっきになっている。
「……!?」
そしてその場に辿り着いた時、男は「それ」を見た。台風が具現したような風の奔流。圧倒的な精霊の暴走。それの前では人の身など塵芥にすぎないと思わせるほどの力の行使。それを前にして男――タカミチ・T・高畑は動きを止めていた。どんな行動を取れば良いのか分からなかったからだ。
(学園長を……!)
頭に浮かんだのは己が身を置く世界において強き力を持った存在の事だった。その人物を頼る事しか考えられなかった。その時だ。
「タカミチ君!」
自分の名を呼ぶ声。左後方からの呼びかけに振り返るとちょうどその人物が空を飛んで
やってきた。
「学園長!!」
相手の名を呼ぶ。今思う事はただ一つ。目の前の状況への対処だ。
「わしが対応する! 君は周囲の警戒と、不用意に余人を近づかせないように誘導を
頼む!」
その時タカミチの胸に浮かんだのは安堵であった。自分の手に余る状況に対応してくれる、という期待だ。責任逃れではないかという後ろめたい気持ちと共に、彼はその場を学園長に任せる
事にした。
(それにしても)
思う事はただ一つ。
(一体、何が?)
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
学園長と呼ばれた人物――近衛
状況は、一言で言うなれば「精霊の暴走」であった。今までそれに立ち会った事がないわけでは
ない。精霊が暴走するという事はある程度の経験を持つ者であれば知っているからだ。自分の属性と反する状況に、長く置かれた精霊――水中に放置された炎の精霊や、地中に封印された風の精霊など――が発狂する場合もある事は、確認された事実である。だが今目の前で起きている現象は
その規模があまりにも大きかった。それはまさに台風の如き風の精霊の暴走。
(風は五行思想において木気、ならば金気によって相克出来る筈じゃ)
頭に浮かんだのは長年染みついた東方の呪術だった。だが……
(この風の暴走は恐らく精霊術じゃ。であるならば適用されるのは四大、東方の五行思想では
どこまで対抗できるか……)
胸をよぎる弱気。それを無理矢理押さえ込んで奮起する。これを抑えられるのはこの場には自分しかいないのだ。弱気になるな。全力でもって対応しろ。
(木気を金気で押さえ込む、理屈は合わんかも知れんがそれしかない!)
老骨に鞭を打って力を振り絞る。抑えなければ目の前の暴走は規模を拡大していくかもしれないのだ。原因の分からない事象には全力でもって事に当たる。今までもそうしてきた。
一時間後、無事、風の暴走は治まった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「……ぁ」
小さな声と共に目が覚めた。最初に目に入ったのは真っ白な色。天井の色だった。
「あ、目が覚めた?」1
声がかかる。誰の声だろう。お母さんかな。
「……お母さん?」
自分の声に反応したその人物――二十歳ほどの女性はビクッと反応を示した。
「あ、ええと。その」
「しずな君。わしが代わろう」
そう言って歩み出て来たのは異様に頭部が長い老人だった。
「……だれ?」
その人物は自分の誰何の声に応えて名乗ってきた。
「わしの名前は近衛 近右衛門。麻帆良学園で学園長をしとる」
「学校の、がくえんちょうさん?」
そんな人物が一体自分に何の用だろう?
「まずは、落ち着いて聞いて欲しい」
近右衛門は自分に落ち着くように言うと、言葉を切った。そして、
「長谷川 千雨ちゃん。君のご両親は……死んだ。亡くなったのじゃ」
「え?」
その言葉を聞いても何を言っているのか分からなかった。しかし、
「……? ……! ……!?」
徐々に、徐々に……思い出してきた。目の前で鬼に殴り潰された父。鬼の爪に
切り裂かれた母。
「……はっはっ、はぁはっはぁ」
「む? いかん」
両親の死に様を思い出して、ぶわっと汗が吹き出した様子の千雨を見て近右衛門は
そっと近づいてきた。
「落ち着きなさい。千雨ちゃん」
そして近づいた後の近右衛門は小さな杖を取り出すと千雨の目の前で軽く振った。
するとどうだろう。千雨はゆっくりとだが落ち着きを取り戻していった。
「大丈夫かね」
「はぁっはぁっはぁっ」
声をかけてくる近右衛門を見る事が出来ない。千雨の目は数時間前の両親を追っていた。
(お父さん。お母さん)
ぎゅっと服の端を握りしめる。血に塗れた二人の姿が浮かんでは消える。千雨は怖くなって
ベッドの布団の上で丸まった。千雨が落ち着くまでに、幾ばくかの時間を要した。
「……落ち着いたかね」
「はぃ」
弱々しい声で、返事をする。落ち着いたかと言われれば微妙だが、話を聞くことは出来るようになった。
「もう、だい、じょうぶ。です」
切れ切れに言葉を押し出す。呼吸は楽になったが胸の辺りに沈む重い塊が、胸に詰まるような
感じがして苦しい。
「無理はせんことじゃ。水を飲みなさい」
傍らに置かれた水を勧められる。汗をかいて喉が渇いていたので素直に水を飲んだ。
「……はーっ」
水を飲んで、一息。
「君を苦しめるような事を言ってすまなんだな。じゃが、これから君とは話をしなければならんのじゃ」
「はな、し」
こちらの声に頷いてくる。
「そう。話じゃ」
それから数瞬の間をおいて、話を続ける。
「良いかな? まず始めに、君のご両親は亡くなった。死んでしまったのじゃ」
「――それ、は」
頭に浮かんだ両親の姿を懸命に振り払おうとする。
「何故、そんな事になったか。わしはあの現場を検分した所。分かった事を伝えよう。
君のご両親は悪い人に殺されたのじゃ」
ころ、された。
「その悪人は当初、別の人物を殺めようとしてこの麻帆良にやってきたらしい。だが偶然君達家族に遭遇し、君のご両親を傷つけたのじゃろう」
ころされた。ころされた。ころされた。おとうさんとおかあさんはころされた。
「そこで――。む?」
また具合が悪くなった千雨を見た近右衛門は千雨に向かって杖を振るった。
「はっはっはっ。すみ、ません。話、できなくて」
「何、気にする事はない。ゆっくり、気を落ち着けるんじゃ」
近右衛門は自分に向けて優しげに微笑んでくれた。
「…………」
「それで……ここからが重要なのじゃ。ご両親を目の前で殺された君はとある力を暴走させたのじゃ。覚えておらんかね? 自分の周りで起きた暴風を」
「…………」
そう言えば、何か、自分の周りをとてつもない力がとりまいていたような。でも、良く覚えていない。
「千雨ちゃん。魔法、というものについてどう思うかね」
「魔法、ですか」
何故、そんな事をいうのだろう。魔法なんて。
「魔法、なんて。そんな、漫画みたいなもの、じゃないですか」
「漫画みたいなもの、か。確かにのう。じゃがな、魔法というのは確かに存在するのじゃよ。先程から君を落ち着かせる為にわしは君に向けて魔法を使っておる。杖を振るっていたじゃろう?
あれがそうじゃよ」
そんな、ばかな。魔法なんて、存在しないよ。
「わしを含め、麻帆良には魔法使いが何名もおるのじゃ。内緒じゃが、な。」
魔法使いが、いる?
「次に君の話をしよう。先程君はとある力を暴走させたと言ったじゃろう? その力について説明させておくれ」
自分の、力?
「君が暴走させて操った力は、『精霊術』と呼ばれる力じゃ。その中でも君は風の精霊術を使えるようじゃな。今までは自覚しておらなんだその力を、ご両親を目の前で失ったショックで発動
させたのじゃろう。わしが現場に駆けつけた時、君を中心に竜巻のような風が吹き荒れておった」
……その後、近右衛門は言葉を尽くして説明してくれた。自分が風の精霊術を操れる存在だという事。その力はとても大きなもので、ふとした事でまた暴走してしまうかも知れない事。その力の制御を、これから学んでいかなければならないという事も。
その日を境に、千雨の日常は一変した。魔法、気、精霊術。様々な事象が渦巻く裏の世界に身を置く事となるのである。
ネギま! だけを知っている人に精霊術、風術というものを理解して貰う必要が
あるので、その力に無知な千雨と一緒に読者の人にも分かる形で情報を開示していく
つもりです。ただこういう事は長々とやっても駄目なので、次の一話だけでざっくりやります。後、幼い千雨を襲った事件についても、次の次くらいに簡単に説明します。