俯いているカナヲの様子に、ジャックはふと気付いた。
骨を噛み砕く音が止まる。
「……お嬢さん」
低く、だが不思議と穏やかな声だった。
「さっきからだ、」
視線がカナヲの握りしめられた右手に落ちる。
「その手の中にある、コインは何だ?」
一瞬、食卓の空気が張り詰めた。
カナヲの肩が、びくりと揺れる。
無意識だった。
気付けば、
指先が白くなるほど小さな金属片を握り込んでいた。
カナヲは、ゆっくりと顔を上げる。
しのぶが、何か言おうとしてやめた。
炭治郎も息を呑んだ。
カナヲはそっと手を開いた。
掌の上に現れたのは使い込まれた一枚のコイン。
「……選ぶ、ための……ものです」
声は小さい。だが、確かだった。
「どうするか……自分で……決められない時……」
ジャックは、しばらくそのコインを見つめていた。
笑わない。否定もしない。
ただ、観察するような目。
「なるほど」
短く、そう言った。
「選択の代行か」
カナヲの指が、わずかに震える。
「お前は運に委ねてる」
静かに、だが鋭く。
「自分で決めるのが怖え時の手段だ」
その言葉は責めでも嘲りでもなかった。
ただの、事実確認。
「だがな、お嬢さん」
ジャックの視線がカナヲの目を捉える。
「そのコインは――まだ、お前を人間の側に繋ぎ止めてる」
カナヲの喉が鳴る。
「俺はもう、それを捨てた」
静かな断言。
「裏が出ようが、表が出ようが俺は進む方向を変えねェ」
少しだけ、口角が上がる。
「……だが、お前は違う」
コインへと視線を戻す。
「そのコインを握ってる限り、お前はまだ選ぼうとしてる」
沈黙。
カナヲは、ゆっくりとコインを握り直した。
ジャックがコインへと視線を落とし、ぽつりと言った。
「見せてくれないか」
カナヲは、一瞬だけ迷い――
それでも、差し出してしまった。
ジャックは、掌に乗せられた小さな金属を眺めた。
まるで本当に "興味本位" のようだった。
「……俺の国のコインとは違うデザインだな」
光を受けて、かすかに鈍く光る。
使い込まれ、縁は丸く、温度を帯びている。
次の瞬間だった。
ジャックは、何の前触れもなく、そのコインを口に放り込んだ。
「――っ」
金属が歯に触れる音。
そして。
ギリッ、ギリ、
耳障りな、あり得ない音。
顎が動き、噛み締められる。
ギギギッ……
コインが悲鳴を上げる。
炭治郎が、思わず立ち上がった。
「や、やめ――」
言葉は、間に合わなかった。
ジャックは口を開き、掃き出した。
卓の上に転がる金属片。
元の形を完全に失い、
歪み、曲げ折り重なり球体と成れ果てた。
ジャックは感想のように言った。
「柔らけえな」
その瞬間。
カナヲの中で、何かがぷつりと切れた。
「……っ」
呼吸が止まる。目が見開かれ、喉が震え、
言葉にならない音が漏れた。
(……壊された)
(……あれは……)
思い出。選択。
生きるために、自分を縛り守ってきた――唯一の拠り所。
それが、目の前で、音を立てて壊された。
「……ぁ……」
感情が一気に溢れ出す。
悲しみ。屈辱。怒り。
全部が堰を切ったように噴き出した。
「……っ!!」
カナヲは、椅子を蹴るように立ち上がった。
手が、震える。唇が噛み締められる。
涙が止まらない。
だが――泣き声は出なかった。
代わりに初めて見る表情で、ジャックを睨みつける。
炭治郎が、叫ぶ。
「ジャック!!」
「何てことを……!!」
しのぶも、さすがに声を荒げた。
「……やり過ぎです」
だが、ジャックは動じなかった。
カナヲを真正面から見据える。
「……そうだ」
低く、言った。
「それが、お前の "怒り" だ!」
「いい貌だ!」
一拍。
「今まで、溜め込んでたもんだろ」
カナヲの胸が、激しく上下する。
「俺はな」
静かに続ける。
「お嬢さんの大事な運命のコインを壊した!」
「お前の "代行" をな」
卓の上の、歪んだ金属片を見る。
「選択を運に預けるための道具だ」
そして、はっきりと告げた。
「……だが今の貌は」
カナヲの目を、まっすぐに見て。
「コインに決めさせた顔じゃねえ」
沈黙。
カナヲの涙が、ぽろりと卓に落ちる。
悔しい。許せない。戻らない。
それでも胸の奥で何かが確かに動いていた。
(……私が……)
(……私が、怒ってる……)
選ばされた怒りじゃない。
裏でも表でもない。
自分の感情。
カナヲは理解した。
あのコインは破壊された。
だが代わりに自分の中に眠っていたものが壊れずに残った。
それが何かを、まだ言葉にはできない。
ただ一つだけはっきりしている。
―― "無感情な継子"では、もういられない。
そしてジャックは卓に残った金属片を一瞥し、
静かに言った。
「……いい貌だ」
それは、褒め言葉とも、呪いともつかない声だった。