庭に満ちていたのは殺意の気配だった。
"伊黒小芭内――蛇柱"
その動きは速く変則的で理に縛られない。
砂利庭を滑り砂利を蹴り刃は曲線を描いて迫り、
常人の視界を置き去りにする。
庭に落ちる影は蛇のように歪んでいた。
袴の裾が翻るたび"死"がすれ違う。
ジャックは追いつけなかった。
視線は常に半拍遅れ、
斬撃は空気だけを裂いて通り過ぎる。
確かに斬られている。
皮膚は裂け、血は流れ、骨に刃が触れた感覚すらある。
――それでも致命に至らない。
理由は一つ。
体内に残留する薬物。
神経伝達は異様なほど鋭敏で殺気が筋肉に伝わり、
"直前"を嗅ぎ取る。
見切りではない。反射。獣のそれに近い。
本来なら切り落とされているはずの一線を、
"死なない深さ"で止めていた。
(……妙だ)
伊黒は胸中で違和感を反芻する。
確実に"殺し"の斬撃を重ねている。
鬼であれば、すでに首が落ちている。
だが目の前の男は血を滴らせながら立っている。
その瞳が――
人のそれから獣の眼になった瞬間。
「蛇さんよ……」
血を滴らせながらジャックは笑った。
「真剣で素手の俺を相手に……」
「ちょいとばかし…時間……」
「かかりすぎじゃァねェか?」
その一言が刃より深く刺さる。
苛立ちが伊黒の眼を細めさせる。
「……黙れ」
低く毒を含んだ声。
「鬼殺隊の柱だろ?」
「倒せねえのは柱としてどうなんだ?」
「俺が鬼だったら、」
「もうあんた死んでても不思議じゃねェよ……」
伊黒の斬撃が、さらに鋭くなる。
だが、ジャックは――
避け始めた。否、正確には読んでいる。
「俺はな……こうまで斬られりゃ……」
「全部じゃねェが――」
「あんたの動き…何となく読めてきた。」
「変則だが根っコは同じだ!」
ジャックの細胞が本能のまま応えた。
「そこだッ!!!!」
瞬間!!!
伊黒の袴にジャックの小指が掛かり、
掴まれ引き込まれ補足される。
背後。
「……しのぶの顔を立てて、」
「首の噛みつきは、やめといてやる」
へその下――"丹田"
ジャックの両腕が絡み合い万力のように締まる。
否――それ以上。
骨が悲鳴を上げる前に内臓が潰れる感覚が先に来た。
「――っ!!」
息が抜ける。
耳元でジャックが囁いた。
「俺を刺しても構わんが…」
「次で終わるぞ」
「刀…離しな……」
「後頭部だけは守れ!」
「俺の狙いは、そこだ!」
「いいな……死ぬ気で守れ!」
低く穏やかで静かな声だが、
それは命令だった。
力が抜け日輪刀が地に落ちる。
次の瞬間。
高速で世界が裏返り伊黒は空を見た。
青空。反転。庭石。
上下が反転し地面が迫る。
"ジャーマン・スープレックス"
大正の日本には存在しない、
西洋の投げ技。
見たことも、聞いたこともない、
"破壊" "投壊"
対処など存在しない。
背中が、
首が、
守っていたはずの後頭部にまで、
地面の硬さが叩きつけられる。
意識が白く弾ける。
拘束は解かれない。
ジャックの人外の筋力で掴まれたまま、
二発目。――再び反る。
三発目。
後頭部を守っていたはずの伊黒の意識が、
糸のように細くなり完全に闇へ沈みかけた……
その時!
四発目に入る直前で――
「やめなさい!!!」
声は刃のように鋭い。
しのぶが身を投げ出し羽織が翻る。
その小さな身体が、
伊黒を捕獲しているジャックの両拳の上に舞い降り
見下ろすように告げる。
「立会い終了です!!!」
ジャックは舌打ちし、ようやく動きを止めた。
「……立会い、終了だな」
意識を失った伊黒を静かに地に下ろし、
しゃがみこむ。
斬撃で流れた自身の血を指に取り……
伊黒の――両瞼に横一線。
スッ、と引いた。
「……戦士への礼儀だ」
炭治郎は "首と喉と心臓"
伊之助は "腹"
そして伊黒は―― "両目"
意味を理解した瞬間、
空気が凍り、柱たちの殺意が一斉に噴き上がる。
研ぎ澄まされた純粋な死の意思。
ジャックは両手を大きく広げ、
その殺意を――
まるでコンサート会場の大声援のように浴びながら笑った。
「で?、しのぶ!!!」
挑むように愉快そうに。
「どうする?」
血に濡れた体で肩をすくめる。
「柱相手に、まだ続けるならば!」
「お前の見立てで好きな薬を投与しな!!」
柱を相手に実地試験。
血に濡れた口元で歯を剥き出しにする。
「俺はよ……」
「――まだまだ、元気いっぱいだ!!!」
庭に落ちた沈黙は終わりの静けさではなかった。
その場にいた全員が理解した。
この男は味方でも鬼でもない。
ただ――戦場そのものなのだと。