毒蝶と巨躯   作:kamiomiya

20 / 21
20話 鬼喰い

珠世の研究所――

外界から完全に隔絶された一室で、

一本の試験管が静かに"異変"を告げていた。

 

珠世の視線が試験管に吸い寄せられる。

 

「拒絶反応が……ない?」

 

顕微鏡の下でも観察されるはずだった、

"拒絶反応"が起きていない。

 

鬼の血と人の血が触れ合えば必ず生じるはずの破壊反応。

それが存在しなかった。

 

"下弦の伍・累の血"

"ジャック・ハンマー。範馬の血"

 

試験管の中で範馬と鬼の闘争。

目に見えぬ"殺し合い"が始まっていた。

 

珠世の指が止まる。

 

「……取り込んでいる!」

 

顕微鏡と試験管での反応は明確な捕食の構図だった。

 

累の血――鬼の再生因子が周囲から侵食されていく。

しかし、浸食しているのは鬼の血ではない。

人間の血のはずだ。

 

無惨の血に抗える人間がいる事実に

珠世の中で何かが崩れた。

 

「……あり得ない!」

 

珠世の声が僅かに掠れた。

 

鬼の血は人の血を喰らい尽くし鬼へと変貌させる。

無惨の血に連なる限り、それは絶対の法則だった。

鬼の因子は支配者であり捕食者である。

 

だが――

試験管の中では、その法則が裏返っていた。

ジャックの血が、

累の血を分解吸収し己の糧として取り込んでいる。

 

拒絶ではない。

排除でもない。

 

――捕食。

 

鬼を"上位素材"として喰らっていた。

 

しのぶは無言でその光景を見つめていた。

微笑はない。

研究者としての仮面すら、すでに外れている。

その光景に驚きはなかった。

 

「……累を喰う気ですね」

 

しのぶの声だけが静かに落ちた。

 

珠世の表情は微動だにしないが、

その奥で驚愕だけが膨らんでいた。

 

「どちらの血が……ではありません」

 

珠世の眼は僅かな変化すら逃さない。

 

「どちらが鬼かでもない」

「これは――」

 

一瞬の沈黙。

 

「生存競争です!」

 

試験管の中で累の血は必死に再生を繰り返し、

糸のような構造を模した因子が分裂し絡みつき抵抗を試みる。

 

だが――

ジャックの血は、それを敵とすら認識していなかった。

ただ淡々と壊し、取り込み、喰い、取り込んでいく。

 

"使える部分だけを喰らう"

 

それは捕食ではない。

選別だった。

太古の捕食者ですら、ここまで合理的ではない。

 

人が鬼を喰らい、その力を取り込む。

 

天地がひっくり返るような光景を前に、

珠世は静まり返っていた。

 

「鬼の再生能力を……」

「人間の血が奪っている…」

 

珠世は声が出せずにいたが、

しのぶの声が静寂を裂く。

 

「彼の血は鬼になる気がありません」

「鬼を――素材として扱っている」

 

珠世の眼が試験管に釘付けになる。

 

試験管の中で蠢く"血"を前に、

しのぶがジャックの覚悟を語り始める。

 

「ジャックは以前私に話してくれました」

「何故、ここまでして"強さ"を求めるのか」

 

珠世の眼に探究の光が宿る。

 

「理由は一つ、」

「実父――」

「地上最強の生物」

「"範馬勇次郎"を倒すためだと」

 

珠世の知識に、その名はない。

 

――地上最強の生物!?

 

そんなものが、この世にいるのか。

 

しのぶが僅かに間を置く。

父から告げられた言葉は、さらに冷酷だった。

 

「ですが、父からはこう言われたそうです」

「――お前は"範馬の血"が薄いと…」

 

更にしのぶが語った、

"地上最強の生物"、"範馬勇次郎"の説明は常軌を逸していた。

 

「アメリカ合衆国の軍隊ですら圧倒する戦闘力。」

「大統領が交代する度に、」

「友好条約を再締結する事が最重要引継ぎ事項」

「云わば、災害の化身。暴力の極致」

 

アメリカの力を知る珠世だからこそ、

その異常さが理解でき絶句する。

 

しのぶの言葉が静かに落ちる。

 

「――その一部だけでも、」

「"無惨"を超越する生物です」

 

珠世の眼に僅かな希望の光が宿るが、

すぐに押し殺した。

 

「それでも……」

「それでもです」

「ジャックの"範馬の血"が薄いとはいえ――」

 

試験管の中から眼が離れない。

 

「無惨の血を、ここまで圧倒するとは……」

 

試験管の中で血が蠢く。

 

赤でもない。

黒でもない。

 

濁った深紅が、ゆっくりと脈打つ。

まるで、血そのものが意思を持つかのように――

 

珠世の指先と声が僅かに震える。

 

「……しのぶさん、」

「これは、上弦に対抗する"薬"ではありません」

 

しのぶの眼も試験管を捉える。

 

「ええ」

「これは――」

 

一拍。

 

「鬼を喰らう"範馬の血"です」

 

その瞬間――濁った深紅が蠢く。

 

最後まで抗っていた"何か"が、

ゆっくりと血の奥へ沈んでいき、

やがて、動きが止まる。

 

残されたのは――

鬼の再生を喰らい己の力として抱え込んだ血。

 

"範馬の血"

 

鬼でもない。

人でもない。

 

ただ、異形だけがそこにある。

 

しのぶは、そっと試験管を手に取る。

 

「……やはり」

 

しのぶの唇から息が零れる。

 

「彼は私たちが思っている以上に――」

 

珠世の眼が見開かる。

 

「鬼を喰らう存在ですね」

 

二人の視線が試験管に吸い寄せられる。

 

その中で―濁った深紅が蠢いている。

 

"鬼を殺すための薬"

 

そのはずだったが、

そこにあるのは鬼を凌駕する力を宿した異形。

 

地下研究所の灯りが揺れる。

 

まるで―生きているかのように。

試験管の中で"対鬼薬-禍-"が脈打つ。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。