魘夢は――抗えなかった。
精神の核を砕くはずが逆に砕かれ廃人と化した人間。
"何か"を見て精神崩壊をした事実。
術者としての純粋な好奇心。
そして、鬼としての傲慢。
――覗いてみたい。
魘夢は慎重に…
だが、確実に潜行した。
ジャック・ハンマーの夢の奥底へ。
その瞬間――理解した。
見てはいけないものを見た…と。
夢とは本来は歪んだ安息だ。
現実から逃げるための偽りの楽園。
甘美な幸福。
母の温もり。
叶わぬ願望。
拭えぬ後悔。
英雄の未練。
敗北への恐怖。
死を拒む執念。
魘夢は、それらを喰らい続けてきた。
だが――ジャックの夢には逃げ場がなかった。
そこにあったのは、ただ一つ。
"鍛錬"
否…そんな生易しい言葉では到底足りない。
常識を破壊し肉体を死の淵まで追い込み、
生存本能すら敵に回した行為。
夢の中でさえジャックは動いていた。
血管は破裂寸前まで膨張し、
心臓は限界を超えた拍動を刻み続ける。
筋繊維は断裂し、
神経は焼け焦げ、
悲鳴を上げる。
それでも――止まらない。
常人なら耐えられぬ量の薬物を摂取し、
肉体は異常なトレーニングを続け、
そして、耐えきれず失神する。
だが、それすらも――想定内
魘夢は凍りつく。
この男は自分が敗北した瞬間を自分の身体に刻み込んでいた。
どの体勢で失神したのか。
どこが遅れたのか。
どの筋肉が止まり、
どの神経が反応しなかったのか。
それを、細胞一つ一つに叩き込んでいる。
意識が断たれても思考が止まっても、
身体が勝手に――殺しに行くように。
"常在戦場"
"行住坐臥"
寝ても覚めても夢の中でさえ戦いは終わらない。
魘夢の背筋を冷たいものが這い上がった。
――その時!
視線が交差した。
あり得ない。
術者が夢の主に"見られる"など。
存在し得ないはずの現象。
だが――
ジャックの無意識は魘夢の干渉を
"外敵"として検知し、
夢の闇の奥で…
魘夢を――見ていたのである。
ジャックは、
そこに"獲物"がいることを理解したように、
金属歯を覗かせ、笑ったのである。
獣のように。
捕食者のように。
魘夢は恐怖に叩き落とされる。
慌てて精神世界から離脱し現実へと逃げ帰った。
「……あ、あれは……」
喉が震える。
「……人間じゃない……」
鬼でもない。
少なくとも自分たちとは違う。
「わ、我々とは……、」
「違う"鬼"だ……」
恐怖に支配され魘夢は下を向いて震えた。
――その刹那。
視界に見慣れぬ"足"が入り込む。
白地に炎の紋様が躍る羽織。
揺るがぬ気迫。
炎柱――煉獄杏寿郎。
たった一呼吸。
いや瞬き一つも無い油断。
ジャックという理解不能な狂気に当てられ、
戦場から意識を逸らした代償は、
あまりにも重かった。
炎柱はその好機を――決して逃さない。
炎が咆哮し、
灼熱が夜を裂く。
魘夢の悲鳴は蒸気の音に掻き消えた。
首が宙を舞い夢を喰らう鬼は現実の中で完全に断たれ、
夢を操る鬼は消えた。
主を失った無限列車は
夜の闇を引き裂くように狂乱し脱線する。
その車体は深い傷痕を晒し咆哮は沈黙した。
その夜、魘夢が最後に見た"夢"は、
それは鬼ですら震え上がる人間の狂気の結晶だった。
その男は、今も列車の中で
――静かに呼吸している。
地獄を酸素のように吸い込みながら。