毒蝶と巨躯   作:kamiomiya

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4話 戦場の論理

しかし――

 

それ以上は、立合いではなかった。

 

「死合い」

 

確実に命が零れ落ちる段階へ踏み込んでいる。

 

胡蝶しのぶは、静かに一歩前へ出た。

 

「――そこまでです!」

 

声は小さい。

 

だが、刃のように場を断ち切った。

 

「これ以上は立合いではなく、」

「死合いになります。」

「両者、立合い終了を命じます」

 

ジャックは肩を竦め、炭治郎から視線を外した。

 

「まあ、そうだな。」

 

そして、炭治郎にだけ低く告げる。

 

「小僧!」

「初っ端から真剣を使ってりゃ、もう少し俺も本気になった!」

 

炭治郎の喉が鳴る。

 

「しのぶからは、」

「"完膚なきまでに敗北させろ"」

「"殺せ" って言われてただろ?」

 

しのぶは何も否定しなかった。

ただ、視線だけが僅かに細くなる。

 

その後の朝食は、

蝶屋敷の空気をさらに異質なものへ変えた。

 

卓上の光景は、静けさとは程遠い。

 

炭治郎の前には焼き魚と味噌汁。

しのぶの前には紅茶と軽食。

 

文明の食生活から境界線を越えた先。

 

ジャックの前には――

野生動物の背骨と、

山のように積まれたレアステーキ。

 

ジャックは背骨をためらいもなく掴み――

齧った。

 

「サクッ」

「サクッ」

 

音は、まるで果物を噛むそれだった。

骨が砕ける抵抗音は、一切ない。

 

しのぶの視線が止まり、

炭治郎の箸が宙で固まる。

 

ジャックは笑った。

 

「骨ってよりよ……」

 

無造作に言う。

 

「この髄が一番のご馳走だ。」

「他の野生動物じゃ、ここを食える奴はそうはいねえ!」

「ライオンでも顎が弱いからな!」

 

笑いながら、次に彼が掴んだのは――

椰子の実だった。

 

繊維が複雑に絡み合った堅牢な殻。

それを無造作に口元へ運び、歯を突き立てる。

 

繊維が裂ける音。

まるで林檎へ噛りつくように、側面へ穴を開けた。

そして、そこから流れ出る液体を、

平然と、当たり前のようにグラスへ注ぐ。

 

しのぶは驚愕し、

炭治郎は目を見開き、完全に唖然としていた。

 

(……顎で?)

(まるで……林檎に噛りついたみたいに……)

(人間が……?)

 

人間の咬合力は、鍛えるとここまで到達するのか。

 

「小僧。」

 

ジャックは炭治郎を見た。

 

「お前が木刀だったから、」

「この噛みつきをしなかった。」

 

淡々と。

 

「真剣だったら、」

「俺は迷わず噛みついて、」

「お前を千切ってたよ」

 

金属光沢を帯びた歯を覗かせる。

 

「冗談ではない」

 

炭治郎は、そう理解した。

 

そして、ずっと引っかかっていた疑問を口にする。

 

「……ジャックさん」

「……その歯は」

「金属ですか?」

 

ジャックは一瞬、視線を落とした。

 

「ああ」

 

静かに、短く答える。

 

「ある立合いでな……」

「根こそぎ歯を抜かれた」

 

炭治郎の息が止まり、胸がざわつく。

 

「背格好はな、」

「小僧……」

「お前より少しデカいくらいの、」

「冴えねえおっさんに敗北したよ……」

 

悔しさの色はない。

 

「忘れられねえ過去であり事実だ……」

 

指で歯を叩く。

鈍い金属音。

 

「それからだ。」

「特殊な手術で歯を全部チタン製に入れ替え、」

「噛みつきを徹底的に鍛えた。」

 

ジャックは炭治郎を見据える。

 

「小僧。」

「刀は確かに優れた武器だ。」

「だがよ……」

「その最大の武器が折れた時、どうする?」

 

炭治郎は答えられない。

 

「この“噛みつき”は、世間でいうところの――」

「卑怯な行為の代名詞。」

「女子供の緊急避難。」

「大の大人が使う卑怯技で、情けない。」

「みっともない。」

「格好悪い。」

「何故、そんな“技”とも呼べねえ低級な行為を磨く?」

 

一つ一つ、吐き捨てる。

 

「……そう思うだろ?」

 

だが、次の言葉が空気を変えた。

 

「だがな――小僧!」

 

声が低くなる。

 

「女子供の緊急避難。」

「肝は正に、そこなんだ!」

 

力弱き者でさえ、逃げ込める安全地帯。

 

「例えばだ、小僧。」

「十歳程度のガキに鍛え抜かれた格闘家や柱を、」

「好き放題に殴らせる。」

「まあ、耐えられるだろ。」

「……じゃあ、噛みつきならどうだ?」

 

炭治郎の背筋が凍る。

 

「五分間、好き放題噛ませる。」

「指先、」

「鼻、」

「耳、」

「瞼、」

「太腿、」

「喉、」

「そして――頸動脈だ。」

「狙われたら格闘家でも柱でも死ぬ。」

 

ジャックは淡々と結論づける。

 

「女子供でも、鍛え抜かれた格闘家を殺せる。」

「だから噛みつきは強え!」

「だから俺は、敢えて噛みつく。」

 

最後に、低く言った。

 

「噛みつきってのはな……」

「人類最大の武器なんだよ!」

 

しのぶは静かに、その言葉を受け止めていた。

 

炭治郎は、戦士としての覚悟を垣間見ていた。

これは残酷な思想でも、善悪でもない。

矜持でも、品格でもない。

生き残るために削ぎ落とされた末の、

冷たく純粋な合理。

 

――“戦場の論理”。

 

胡蝶しのぶは無言で、それを胸に刻む。

 

この男は、薬の被験体である以前に――

戦争そのものだった。

 

庭先の蝶が舞う。

平和な朝の光の中で。

 

だが、この邸宅の食卓にだけは――

確かに、戦場の匂いが残っていた。

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