毒蝶と巨躯   作:kamiomiya

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7話 敗北の記憶と吐露

夕餉は静かだった。

 

那田蜘蛛山での血の饐えた匂いが、

まだ記憶の奥に残っているかのように、

皿に盛られた食事は妙に味気ない。

 

炭火の爆ぜる音だけが夜の帳に小さく響いていた。

 

その沈黙を破ったのはジャックだった。

 

「……しのぶ。」

 

低く擦れた声。

 

彼はフォークを置き、

炎の向こうを見つめたまま、

言葉を探すように間を置いた。

 

「俺はな……」

「この身体になってから……」

 

一度、喉を鳴らす。

 

「……五度……、敗北した……」

 

しのぶは視線を上げ何も言わず耳を傾けた。

彼の語りが軽い回想ではないことを

直感的に理解していた。

 

「一度目は、実弟だ。」

「腹違いだがな、」

「締め技で、失神した……」

 

巨躯の男の口から、

あまりに簡潔な言葉が落ちる。

だがその裏にある屈辱と無力感は

重く沈んでいた。

 

「二度目は……」

「実父だ。」

「"地上最強の生物"――」

「範馬勇次郎。」

 

炎がぱちりと爆ぜた。

 

「弟に敗北した直後。」

「戦うと約束してたんでな……」

「親父と対峙したら……」

「親父は汚物を見る目で吐き捨てたよ!」

「汚れた(敗北した)身体で舞い戻りおって……」

「消え失せいッ!」

「迷いなく殺しに行ったが……」

「逆に頸動脈を噛み切られ、」

「たった一撃だ……」

「何も出来ずに、完敗!」

 

自嘲するような笑み。

 

「挙句の果てに親父は吐き捨てたよ!」

「『日に二度、負ける馬鹿がいるか!!!』ってな!」

 

しのぶの指先が僅かに強張る。

 

「三度目は、」

「"太古の野生児"……」

「ピクル。」

「白亜紀最強。」

「恐竜を捕食してる怪物だ。」

 

彼の手が無意識に頬へと伸びる。

 

「顔の皮を、半分喰われた。」

「そいつの打撃を受けて、」

「全身が空中で回転してる時に――」

 

一拍。

 

「初めて神様に祈ったよ。」

 

声が微かに震えた。

 

「『どうか……勝たせて下さい』ってな」

 

炎の赤が彼の瞳に映る。

 

「目が覚めた時、俺はベッドの上だった。」

 

沈黙が重く落ちた。

 

「四度目……」

「病院を抜け出して再戦した。」

「だが、衆目の前で一撃。」

「即、失神……」

「人生二度目の……」

「"日に二度の敗北"」

 

しのぶは息を呑む。

 

「挙句にな……」

「失神した俺を……」

「ピクルは傷つけないように丁寧に扱ってな……」

 

彼の口元が歪む。

 

「保存食として吊るした。」

「早贄だ……」

 

それは敗北ですらなかった。

捕食者と獲物の冷酷な区別。

 

「五度目は……」

「チビで冴えない中年のおっさんだ。」

 

ジャックの口元から見えるチタン製の歯。

勝利の象徴ではない。

敗北の記念碑。

 

「今まで見てきた格闘家の中で恐らく最弱だ。」

「だがな武芸百般を自負してる、おっさんでな……」

「肩を噛んだら特殊な上着で――」

「歯を、根こそぎ抜かれた」

「衆目の前で緊縛、」

「匕首を地面に刺して、」

「『生殺与奪の権利を持つ者が勝者だ』って」

 

低く噛み締めるように。

 

「人生で初めてだ。」

「意識があるまま、勝者と敗者の違いを……」

「理解させられた。」

 

炎が揺れ彼の影が歪む。

 

「忘れられねェ」

「過去であり…事実だ」

 

次の言葉は意外なほど静かだった。

 

「だがな…しのぶ。」

「俺は運がいい!」

 

彼女は思わず目を見開いた。

 

「俺に勝った奴らは……」

「命までは獲らなかった。」

「もし、あれが戦場で、」

「相手が鬼だったら……」

 

短く断言する。

 

「俺は死んでた!」

 

その言葉の重みが、

しのぶの胸を強く打った。

これほどの力と巨躯を持ちながら

彼は常に死の縁に立ち、

敗北の泥を啜りながら

生き延びてきたのだ。

 

「……なぜ、私にそんな話を?」

 

しのぶの声は、いつになく低かった。

 

「さあな?」

ジャックは肩をすくめる。

 

「自分でも、わからねェ、」

「ただ...あんたも、以前、俺に話しただろ?」

「殺された両親と姉のこと…」

「柱も知らねェ復讐の覚悟。」

「お前も心境を俺に話をしたんだ。」

 

炎の向こうで視線が交わる。

 

「…お互い、失うものは何もない。」

 

「毒袋同士だ!」

 

ジャックが顔を上げ、

しのぶを真正面から見た。

その瞳には、狂気と渇望の奥に、

わずかな――

しかし確かな信頼が宿っていた。

 

しのぶは、その視線を受け止めながら、

胸の奥で何かが静かに

変質していくのを感じた。

 

彼は単なる実験体ではない。

鬼を倒すための道具でもない。

 

敗北を知り屈辱を糧とし、

それでもなお、

強さのみを求め続ける――

 

あまりにも人間臭い「求道者」

 

(…ああ)

(そうですね)

(私たち...本当に似ています)

 

しのぶは、静かに微笑んだ。

 

それは毒を隠すための仮面ではない。

 

同じ深淵を歩む者へ向けた、

初めての真摯な微笑みだった。

 

夜は深く、

炎だけが二人の影を並べて揺らしていた。

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