ザ・ダイハード・マスターピース 作:EXTERMINATION
校門前の白いサーチライトと
赤色灯の明滅が夜の校庭と校舎外壁を激しく塗り分ける。
警官隊の怒号と龍園側の連射火器の乾いた咆哮と、
倒れた照明ポールからなお散発的に弾ける火花と
ショート音が複雑に重なり合う中で、
高度育成高等学校という巨大な閉鎖空間はついに試験場でも学校でもなく、
校門を挟んだ内と外の論理が真正面から衝突する。
そこへ個人の執念と殺意と意地が最後まで噛み合わないままねじ込まれた、
完全な終局空間へと変質していた。
綾小路は教室棟側の外周へ堀北とともに滑り込みながら思考する。
背後の校門前で警官隊が本格的に陣形を広げ始めていること。
龍園側の武装班が警官隊そのものを狙う愚は犯していないものの、
依然として校内側の進路制圧を最優先にしていること。
坂柳がすでにこの夜の勝ち負けから、
ここでどう抜けるかへ思考を切り替えつつあること。
七瀬が制止と救済の両立をほぼ不可能な形で背負わされていること。
そして宝泉だけが最後までまっすぐこちらを追う意志を捨てていないことを、
乱れた音の層の中からほとんど反射的に読み取っていた。
「まだ来るわよ!」
堀北が息を抑えながら言う。
声に疲労はあったが、判断はまだ鈍っていない。
「分かってる」
綾小路は短く返す。
「校門前で止まる連中じゃない」
「龍園も、宝泉も、坂柳も、天沢もな」
その名が出た瞬間、
まるで待っていたように右手の植え込みの上から軽い笑い声が降ってきた。
「呼ばれた気がしましたぁ~」
天沢一夏だった。
彼女は低い花壇の縁へ片足をかけたまま、
煙とライトのまだらな光の中で妙に楽しそうな顔をしており、
その手には相変わらず拳銃があるにもかかわらず、
引き金へすぐ指をかける気配はなく、
むしろこの局面そのものを一枚の絵として眺めているような余裕すら漂わせていた。
「あなた、本当に最後まで嫌な位置にいるわね」
堀北が鋭く言う。
天沢は肩をすくめる。
「だって一番面白い位置だし」
「どいて」
「やだ」
その軽い応答の直後、背後から再びマシンガンの連射が走った。
乾いた掃射音が夜気を裂き、植え込みと外周路の床を火花と破片で削り取る。
だが、その瞬間だった。
上空から、今度はまったく別種の轟音が降ってくる。
重低音。
空気そのものを震わせる回転音。
全員が反射的に視線を上げた。
夜空の低い位置を、強烈なサーチライトを照射しながら
一機の警察ヘリが旋回している。
ローターの爆音が校門前の煙を吹き飛ばし、
炎に濁っていた空気が渦を巻きながら大きく揺れる。
白いライトが外周路を舐めるように走り、その中心で天沢の姿を捉えた。
『そこの生徒!止まりなさい!』
拡声器越しの声。
『武器を捨ててその場に伏せろ!』
だが、天沢は止まらない。
むしろ、そのライトに照らされた瞬間、口元を楽しそうに歪めた。
「うわ、映画みたい」
次の瞬間、彼女は地面を蹴った。
一直線ではない。
左右へ細かく軌道を変えながら、
燃え上がる資材置き場の陰へ向かって一気に駆け出す。
『止まれ!』
警告。
そして直後、ヘリ側面から火線が走った。
機載機銃だった。
重い連射音。
地上のマシンガンとは比べ物にならない密度の弾幕が、
外周路のコンクリートを一直線に削り取りながら天沢へ迫る。
火花が爆ぜる。
地面が砕ける。
植え込みが吹き飛ぶ。
弾丸の雨が、逃げ場そのものを潰すように薙ぎ払っていく。
だが天沢は止まらない。
笑っている。
まるで遊園地のアトラクションでも楽しむように、
爆ぜる火花と跳ねる破片の隙間を縫い、
異常な反応速度で射線の切れ目だけを踏み続ける。
弾丸が背後を裂く。
頬の横を掠める。
髪が風圧で激しく乱れる。
それでも天沢は転ばない。
「わっ、危なっ――!」
笑い声混じりの叫び。
そのまま彼女は、崩れた資材ケースの陰へ滑り込んだ。
そして次の瞬間。
ケースのロックを乱暴に蹴り飛ばす。
中に収められていた黒い筒状の兵器が露わになる。
ロケットランチャー。
月城が極秘裏に校内へ持ち込ませていた武装の一つだった。
綾小路の目が僅かに細くなる。
「まさか……!」
堀北が息を呑む。
だが、天沢に躊躇いはない。
彼女はランチャーを肩へ担ぎ上げると、
なおも上空で旋回しながら掃射を続ける警察ヘリへ狙いを定めた。
サーチライトが再び彼女を捉える。
『武器を捨てろ!』
叫び。
だが、その瞬間にはもう遅かった。
天沢が引き金を引く。
爆炎。
ロケット弾が白い噴煙を尾のように引きながら夜空へ一直線に飛び出し、
次の瞬間、警察ヘリの胴体中央へ真正面から突き刺さった。
凄まじい爆発音。
夜空そのものが燃え上がる。
赤橙色の爆炎が一気に膨れ上がり、
ヘリの機体が火花と黒煙を撒き散らしながら大きく傾く。
ローターが吹き飛ぶ。
砕けた金属片が火を引きながら校庭上空へ散乱し、
爆発の衝撃波が校門前の炎と煙をさらに激しく揺らした。
『うわぁぁぁっ!?』
無線混じりの悲鳴。
機体は完全に制御を失い、
そのまま炎を噴き上げながら遠くの校舎脇へ墜落していく。
直後、二度目の爆発。
巨大な火柱が夜空を赤く染めた。
その光景を見上げながら、天沢は肩のランチャーを投げ捨てる。
そして――
「アハハハハハッ!!」
高く、楽しそうな笑い声を夜へ響かせた。
炎に照らされたその笑顔は、
もはや恐怖よりも先に「壊れている」という印象だけを全員へ刻みつけていた。
「なんてことを……」
堀北は立ち止まり、その凄惨な光景に絶句している。
天沢はまるで映画のクライマックスでも眺めているかのように肩を震わせて笑っている。
だが、その背後から低い声が飛んだ。
「……もうやめてください」
七瀬だった。
彼女は炎と煙の向こうからゆっくり歩み寄り、その目を真正面から天沢へ向ける。
そこには怒りもあった。
だがそれ以上に、これ以上壊させてはいけないという強い意志があった。
「これ以上続ければ、本当に戻れなくなります」
天沢は笑ったまま振り返る。
「え?」
首を傾げる。
「もう十分戻れなくない?」
軽い。
あまりにも軽い。
まるで人が死に、学校が燃え、
ヘリが墜落した現実そのものへ重みを感じていないような声だった。
七瀬の眉が僅かに寄る。
「天沢さん」
「なに?」
「あなたは楽しみすぎです」
その瞬間だった。
七瀬が一気に踏み込む。
速い。
無駄がない。
一直線に距離を潰し、最短軌道で天沢の手首を取りにいく。
制圧。
まず武器と動きを奪う。
七瀬の戦い方は徹底していた。
だが天沢は笑う。
「わ、七瀬ちゃんも遊んでくれるの!?」
その声と同時に、天沢の身体がふっと揺れた。
だがそれは、さきほどまでの変則機動とも少し違った。
軽い。
まるで音楽に合わせて踊るような足運び。
右足が滑る。
左肩が沈む。
重心が上下する。
一定のリズムを刻んでいるように見えた。
七瀬が眉を寄せる。
読めない。
天沢は笑ったまま両腕を軽く広げる。
「文化祭なんだし、楽しまなきゃね!」
次の瞬間。
天沢の身体が横回転するように流れた。
ジャズダンスのターンに近い滑らかな回転。
だが、その回転の途中から拳が飛んでくる。
七瀬は咄嗟に腕で受ける。
鈍い衝撃。
「っ……!」
さらに止まらない。
天沢はそのままステップを踏むように細かく床を蹴り、
リズムを刻みながら七瀬の側面へ回り込む。
一歩。
二歩。
三歩。
まるで踊っている。
だが、その全てが攻撃軌道だった。
七瀬が掴みにいく。
しかし天沢の身体は途中で沈み、そのまま床を擦るような低姿勢へ変わる。
ブレイクダンスに近い回転。
脚が円を描く。
その回転蹴りが七瀬の足首を狙った。
七瀬は跳ぶ。
だが跳んだ先へ、今度は天沢の拳が来る。
フェイント。
回転。
ステップ。
動きが音楽的だった。
だから逆に読めない。
「ほらほら、テンポ遅れてるよ七瀬ちゃん!」
天沢は笑う。
そのままリズムを崩さず、今度は後ろ向きのまま肘打ちを放つ。
七瀬が辛うじて防御する。
だが直後、天沢は片手を床へつき、そのまま身体を跳ね上げるように反転した。
高速回転。
ブレイクダンスのウインドミルにも近い動き。
そこから突然、膝蹴りが飛び出す。
「っ……!」
七瀬の腹部へ衝撃が走る。
半歩下がる。
だが七瀬は止まらない。
即座に間合いを詰め、今度は喉への掌底を狙う。
合理的。
最短。
無駄がない。
だが天沢はその正しさを笑うように身体を揺らした。
右へ流れるかと思えば途中で軸を反転。
肩が滑る。
腰が沈む。
そして次の瞬間には七瀬の背後側へ回り込んでいた。
「ほらほら、真面目すぎるってば!」
天沢の蹴りが飛ぶ。
七瀬は腕で受ける。
だが重い。
七瀬は横へ身体を捻って追撃を避ける。
同時に腕を絡め取り、そのまま関節を極めようとする。
合気道にも近い流れ。
だが天沢は止まらない。
遊んでいるように見えるのに、一撃一撃の威力は本物だった。
ホワイトルーム。
そこで鍛え抜かれた異常な身体制御能力が、
そのダンスめいた動きの中へ完全に溶け込んでいる。
七瀬が再び制圧へ入る。
腕を取る。
関節を極める。
重心を崩す。
だが天沢は笑いながら、その掴みそのものを利用して身体を回転させる。
「それ待ってた!」
肩がぶつかる。
重心がズレる。
七瀬の体勢が僅かに浮く。
そこへ、今度はターンの勢いを利用した回し蹴りが鋭く走った。
七瀬がガードする。
だが衝撃で後退する。
優勢なのは天沢だった。
七瀬は確かに強い。
だが天沢は、そんな七瀬を格下と見て舐めながら戦って圧倒している。
そしてその不規則なリズムが、七瀬の合理的な制圧術を少しずつ乱し始めていた。
天沢がさらに距離を詰めようとした、その時だった。
乾いた発砲音。
一発。
二人の間の床へ弾丸が突き刺さり、火花が散る。
七瀬も天沢も同時に動きを止めた。
「……内輪もめを始めないでください」
静かな声。
坂柳有栖だった。
小型拳銃を片手で構えたまま、炎と煙の向こうから二人を見ている。
その目は冷たい。
「これ以上戦線を崩されるのは困ります」
天沢が笑う。
「えー、いいところだったのに」
七瀬は荒く息を吐きながら坂柳を見る。
坂柳は表情を変えない。
「遊びは後にしてください、天沢さん」
その声だけで、場の空気が再び試験へ引き戻される。
龍園がまたマシンガンを手に取った。
今度は校門前ではなく、教室棟外周の資材置き場と
植え込みの境目を切り裂くような角度で、
綾小路と堀北が次に取りそうな進路へ弾を散らしてくる。
木片が飛ぶ。
花壇の縁が削れる。
鉄製フレームへ当たった弾が甲高い音を返し、
破片と火花が白いライトの中に細かく散った。
「チッ……!」
龍園の舌打ち混じりの声が少し離れた位置から飛ぶ。
「まだ詰めきれねえか!」
坂柳の落ち着いた声が、その苛立ちを撫でるように返す。
「撃ち方が雑だからですよ」
「だったらテメェが取れ」
「そのつもりです」
その会話が成立している時点で異常だった。
誰も外の警官隊に完全には降っていない。
誰もこの場を終了として受け取っていない。
だからこそこの夜は終わらない。
綾小路は天沢がまだ動いていないのを見て、その存在を無視して前へ出た。
天沢は撃たない。
少なくともこの一拍では。
彼女は自分が撃つより、誰がどう崩れるかを見たがっている。
ならば一瞬だけ風景として使える。
「堀北、左へ」
「ええ!」
二人は同時に動いた。
天沢の正面を抜けるのではなく、その斜め外側、
文化祭用に積まれた長机と木製パネルの間の細い隙間へ身体を滑らせる。
直後、天沢が本当に楽しそうに笑った。
「うわ、そこ通るんだ」
そしてその一秒遅れで発砲。
単発。
狙いは当てるためではなく、通路の出口を読ませないための一発。
弾は長机の脚を叩き、机が大きく傾く。
だが綾小路と堀北は止まらない。
机の下をすべるように抜ける。
次の瞬間、正面から重い足音。
宝泉だった。
「見えてんだよ!」
その咆哮とともに、宝泉は机ごと押し潰すような勢いで突っ込んでくる。
綾小路は瞬時に理解する。
逃げながらでは間に合わない。
ここで一度、本気で止めるしかない。
「先に行け」
綾小路が言う。
堀北が振り返る。
「また一人で――」
「今はそういう話じゃない」
その声の硬さで、堀北も理解したのだろう。
今ここで食い下がれば二人とも止まる。
だから彼女は唇を噛み、一瞬だけ迷いを見せながらも、すぐに横の資材陰へ走った。
それを見届けるより早く、宝泉の拳が来る。
一直線。
重い。
速い。
綾小路は半身で受け流し、さらに一歩深く内側へ入る。
宝泉の体重が前へ乗る。
そこへ肩で軸をずらす。
だが宝泉は止まらない。
二撃目、三撃目と連続で圧をかけ、狭い通路ごと綾小路を押し潰そうとする。
木製パネルが背後で軋む。
長机がさらに傾く。
夜の戦場の中でも、この一角だけは純粋な近接戦の圧で空気が詰まっていた。
「終わりにしようぜぇ!」
宝泉が吠える。
綾小路は答えない。
言葉より先に、足の位置を変える。
宝泉の踏み込みが深い時だけ、真正面ではなく斜め下へ力を流す。
浅い時には逆に押し返して間合いを狂わせる。
疲労はある。
肩の傷もある。
だが、それでもここまでの戦いで宝泉の癖は十分に読んでいた。
「……お前、本当にしつこいな」
綾小路が低く言う。
宝泉が笑う。
「テメェもなぁ!」
その直後、綾小路は初めて明確に前へ出た。
宝泉の四度目の踏み込み、その重心が完全に乗った瞬間だけを狙い、
真正面から受けるのではなく、体幹の軸へ短く、しかし深く圧を差し込む。
宝泉の上体がわずかに浮く。
一瞬。
それで十分だ。
綾小路はさらに半歩踏み込み、横へ流す。
宝泉の肩が傾いた長机へぶつかる。
机が耐えきれずに崩れ、上に積まれていた金属フレームと木板が一気に雪崩れた。
派手な破壊音。
ただ重い物量が宝泉の進路を一瞬だけ呑み込み、その動きを止める。
「っ……!」
宝泉が初めて明確に体勢を崩した。
その隙を待っていたように、龍園が横から姿を見せる。
「ようやく隙できたか」
龍園の目は苛立ちと興奮で鋭く光っていた。
自分で取る。
その意思だけが剥き出しだ。
彼の後ろでは連射班が再び構えを上げ、
今度は綾小路の逃走経路を扇状に制圧するために位置を変えている。
坂柳も遠巻きにその布陣を見ながら、
橋本と神室へわずかな角度調整を指示していた。
つまり今この場は、宝泉との格闘、龍園側の銃撃による制圧、
坂柳側の横取り挟撃、の三層構造に変わっている。
綾小路にとっては最悪だ。
だが同時に、三層あるということは三者が邪魔し合うということでもある。
龍園が一歩前へ出る。
「テメェはここで終わりだ!綾小路!」
「そう思ってるのはお前だけじゃない」
綾小路が返す。
龍園は笑う。
「だったら全員ぶち抜いて俺が取るだけだろ!」
その台詞と同時に、龍園側のマシンガンが再び火を吹いた。
長い、だが鋭い掃射。
綾小路ではなく、その背後と左右の遮蔽物を砕くための射撃。
木片が弾ける。
鉄パイプが鳴る。
机の残骸が跳ねる。
その破片の嵐の中で、綾小路は逆に低く沈み込み、
地面を転がるように位置をずらした。
龍園が舌打ちする。
「ちっ、見失うな!」
だがその直後、龍園側の射線を横から坂柳側の単発が切った。
橋本だった。
鋭い一発が連射班の足元近くを叩き、撃ち手が反射的に身を引く。
「今の位置で連射を続けると、こちらの進路も潰れます」
坂柳の声があくまで穏やかに飛ぶ。
龍園が怒鳴り返す。
「だからテメェが邪魔なんだよ!」
「お互い様でしょう」
二人のやり合いは、もはや協力関係の仮面すら被っていなかった。
そしてその間に、宝泉が瓦礫の中から再び起き上がる。
完全には止まっていない。
むしろ怒りでさらに圧が増していた。
「今のはよかったぜ……!」
宝泉は笑う。
その笑いの中には、
ようやく本当に自分を揺らした相手への本気の歓喜が混ざっていた。
「もう一回だ!」
そして突っ込む。
龍園も同時に前へ出る。
二人の進路が再び被る。
今度は明確だった。
宝泉は横から入ろうとする龍園の肩を乱暴に押しのける。
龍園も引かない。
「邪魔してんのはテメェだ!」
「黙って後ろで見てろ!」
その瞬間、天沢の笑い声が弾ける。
「最悪。ほんとに取り合ってる」
だがその軽い一言の直後、彼女自身も動いた。
横から植え込みを飛び越え、綾小路の右側へ回り込む。
完全に観察だけでは終わらせないつもりだ。
そして七瀬もまた、これ以上の崩壊を防ぐために前へ出ざるを得なかった。
「やめてください!ここで撃ち合えば警官隊も巻き込みます!」
その叫びは正しい。
だが、正しいから止まる相手ならここまで来ていない。
その時だった。
倒れた照明ラックの根元で燻っていた火が、
近くへ積み上げられていた暗幕ロールへ触れた瞬間、
黒い布地の内部へ一気に燃え広がり、
赤橙色の炎が空気を吸い込むように膨れ上がった。
最初は小さな火だった。
だが、布とケーブルと木板と発電機用バッテリーが密集した
文化祭資材置き場では、その小ささは何の意味も持たない。
火は一瞬で走った。
燃え上がるというより、まるで赤い獣が地面を這うように、
暗幕の表面を一直線に駆け抜ける。
さらに溶け始めたケーブル被膜へ燃え移ったことで、
青白いスパークが無数に弾けながら周囲の電源系統を次々と巻き込み始める。
炎が長く伸びる。
帯のように。
いや、むしろ巨大な火蛇が外周路を這い回っているようだった。
その熱量に炙られた予備バッテリーの表面が異様な音を立てながら膨張し、
内部で圧力が限界まで高まっていくのを、綾小路は一瞬で察知する。
まずい。
そう理解した瞬間にはもう遅かった。
「堀北!」
綾小路が鋭く叫ぶ。
少し離れた資材陰から、堀北が即座に顔を上げる。
「分かってる!」
彼女もまた、炎の走り方を見ていた。
次の瞬間。
予備バッテリーの一つが限界を迎えた。
凄まじい爆発音。
ただの破裂ではない。
圧縮されていた熱と電流が一気に解放され、
赤白い閃光が校門脇の外周路を真正面から塗り潰した。
爆炎が膨れ上がる。
真正面へ。
壁のように。
吹き飛んだ金属片と砕けた照明フレームが火の尾を引きながら宙を舞い、
熱風が爆圧となって周囲へ叩きつけられたことで、
積み上げられていた木製パネルや資材箱が一斉に吹き飛び、
地面へ激突する轟音が連鎖的に響き渡る。
さらに遅れて、隣接していた別系統のバッテリーまでもが誘爆した。
二度目の爆発。
今度はさらに大きい。
青白いスパークが爆炎の内部で無数に炸裂し、
そのたびに赤橙色の火柱が脈打つように膨れ上がり、
熱で歪んだ空気が校門前の景色そのものを揺らして見せる。
暗幕ロールは完全に炎へ呑み込まれる。
燃え上がった布が巨大な火の幕のように通路上へ広がり、
溶けたプラスチックと焼けた木材も黒煙を噴き上げながら崩れ落ちていく。
爆発で持ち上がった煙と粉塵は渦を巻く暇もなく熱圧に押されて前方へ膨れ上がり、
外周路の一角を白灰色と赤黒い炎が入り混じる灼熱の壁へ変えてしまった。
「っ――!」
龍園が思わず顔を庇う。
宝泉も一瞬だけ動きを止める。
天沢が楽しそうに「うわ」と声を上げる。
七瀬が目を細め、警官隊の側からも怒号が飛ぶ。
その一瞬を、綾小路は逃さない。
まず宝泉の肩へ短く体当たりを入れて進路をわずかに外へ流し、
次に龍園の前へ倒れた照明スタンドを蹴り込む。
龍園が咄嗟に足を止める。
そこへ綾小路自身は煙の内側へ深く入り込み、
堀北の手首を掴んでさらに外周の裏導線へ走った。
「今だ!」
「ええ!」
二人は煙の幕の中を抜ける。
背後でマシンガンの連射が乱れる。
視界不良の中での牽制射だ。
弾は暗幕の残骸と鉄柵を叩き、火花と布片が舞う。
だが狙いは粗い。
坂柳側も簡単には撃てない。
宝泉は煙を切り裂いて追ってくるが、
龍園や倒れた資材が邪魔で最短距離を取れない。
今度こそ距離が開く。
綾小路は教室棟外周のさらに奥、搬入用の短いスロープへ出た。
そこは校門の正面から少し外れ、警官隊の主視線も、
龍園と坂柳の横射線も通りにくい、
しかし同時に一歩判断を誤れば行き止まりに近い場所だった。
「ここ、抜けられるの?」
堀北が問う。
「抜けるしかない」
綾小路は即答する。
背後ではまだ音がする。
龍園の怒声。
宝泉の重い足音。
坂柳の短い指示。
七瀬の制止。
天沢の笑い。
そして警官隊のさらに強い介入。
全部が一つの嵐になって迫っている。
だが流れは変わっていた。
これまでのように誰が綾小路を取るかで追ってきた連中は、
今や警官隊と火災と爆発と互いの妨害に足を取られ、
綾小路だけへ全力を注ぎ込める状態ではなくなっている。
それこそが終局だった。
綾小路はスロープの上で一度だけ振り返った。
煙の向こう、白いライトと赤色灯と火花に塗れた校門前で、
龍園はまだこちらを睨み、宝泉はまだ前へ出ようとし、坂柳は静かに次の手を探り、
七瀬はそれら全部を止めようとし、天沢は最後まで笑っていた。
だがもう、彼らは最初の意味では追手ではない。
終わり方を奪い合う者たちだ。
「行くぞ」
綾小路が言う。
堀北が隣で頷く。
「ええ」
二人は再び走り出す。
夜の学校の最後の外周路を。
銃撃と爆発と格闘が混じり合ったこの地獄から、
本当に外へ抜けるための、最後の数10メートルを。
モチベ維持のために感想・評価をもらえると幸いです。