ザ・ダイハード・マスターピース   作:EXTERMINATION

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第二部 ザ・ガンスリンガー・マスターピース
第19話 白銀の招待状


冬休みの校舎は、静かだった。

 

人の気配が消えた高度育成高等学校は、普段とは別の施設のように見えた。

 

廊下には生徒たちの声もなく、教室には誰かが置き忘れたプリントが一枚、

窓から入り込む弱い風に揺れているだけだった。

 

堀北鈴音は、その静けさを嫌いではなかった。

 

騒がしい日常の中では聞こえないものが、静寂の中ではよく聞こえる。

 

自分の足音。

 

時計の針。

 

遠くで鳴る校舎の軋み。

 

そして、自分の胸の奥に残っている違和感。

 

前回の事件が終わってから、まだ時間はほとんど経っていない。

 

高度育成高等学校を舞台にした、あの悪夢のような一日。

 

銃声。

 

爆炎。

 

裏切り。

 

死。

 

そして、綾小路清隆という存在の異常性。

 

堀北はそれらを忘れたわけではない。

 

忘れられるはずがなかった。

 

あの事件後、黒幕であった月城は忽然と姿を消した。

 

警察に捕まったはずの龍園、坂柳、宝泉、七瀬、天沢、八神と共に。

 

だが、学校は何事もなかったかのように修復され、

教師たちは通常業務に戻り、生徒たちもまた自分たちの日常へと戻ろうとしていた。

 

まるで、あの日が巨大な悪夢だったかのように。

 

しかし、堀北は知っている。

 

悪夢は、覚めたから終わるものではない。

 

目を覚ましたあとも、暗闇の奥でこちらを見ている。

 

そんな気がしてならなかった。

 

「……考えすぎね」

 

堀北は小さく呟いた。

 

自分に言い聞かせるように。

 

今の彼女は、図書館へ向かっていた。

 

冬休み中とはいえ、必要な資料があった。

 

新学期に向けて確認しておくべきことも多い。

 

自分が立ち止まっている間にも、状況は変わっていく。

 

綾小路清隆の周囲も。

 

学校の裏側も。

 

そして、自分自身も。

 

図書館へ向かう渡り廊下に差しかかった時だった。

 

堀北は足を止めた。

 

前方に、誰もいないはずの場所に、男が一人立っていた。

 

黒いスーツ。

 

整った姿勢。

 

柔らかい微笑。

 

だが、その笑みは温度を持っていなかった。

 

「お久しぶりです、堀北鈴音さん」

 

月城だった。

 

堀北の背筋に、冷たいものが走った。

 

「あなたは……」

 

「警戒するのは当然でしょうね」

 

月城は穏やかに言った。

 

まるで、放課後に偶然顔を合わせた教師のような口調だった。

 

「ですが安心してください。今ここであなたを傷つけるつもりはありません」

 

「その言葉を信じる理由がないわ」

 

「ええ。正しい判断です」

 

月城は笑みを深めた。

 

堀北は後退しようとした。

 

だが、その瞬間、背後から別の気配が生まれた。

 

振り向くより早く、彼女の腕が掴まれる。

 

鋼のような握力だった。

 

「っ……!」

 

堀北は肘を入れようとした。

 

しかし、動きを読まれていた。

 

身体の重心を崩され、抵抗の形を作る前に壁際へ押し込まれる。

 

目の前にいたのは、司馬だった。

 

無表情。

 

無駄のない動き。

 

人間というより、命令を遂行するためだけの装置に近い。

 

「乱暴はしないでください」

 

月城が言った。

 

「彼女は大切な招待状ですから」

 

「招待状……?」

 

堀北は月城を睨んだ。

 

「目的は綾小路くんね」

 

「やはり話が早い」

 

月城は軽く拍手をするように指を合わせた。

 

「彼には戻ってきてもらいます。あるべき場所へ」

 

「彼がそれを望むと思っているの?」

 

「望む望まないの問題ではありません」

 

月城の声から、わずかに温度が消えた。

 

「完成品は、完成品として管理されるべきなのです」

 

その言葉を聞いた瞬間、堀北は理解した。

 

この男は、何も諦めていない。

 

あの事件が終わっても。

 

どれほど犠牲が出ても。

 

綾小路清隆という存在を、自分たちの管理下へ戻すことしか考えていない。

 

堀北は奥歯を噛みしめた。

 

「あなたたちは、本当に救いようがないわね」

 

「よく言われます」

 

月城は微笑んだ。

 

「ですが、その言葉は我々にとって褒め言葉でもあります」

 

司馬の手が堀北の首元に触れた。

 

冷たい感触。

 

注射器。

 

堀北は息を呑む。

 

「綾小路くんは来るわ」

 

意識が薄れる直前、堀北はそう言った。

 

月城は静かに首を傾けた。

 

「ええ。だからこそ、あなたを選びました」

 

視界が歪む。

 

足元が消える。

 

最後に見えたのは、春休みの校舎に差し込む、あまりにも穏やかな光だった。

 

そして堀北鈴音は、音もなく闇へ落ちた。

 

 

一方、その頃。

 

二階堂邸。

 

東京から少し離れた国内有数の都市、暁東市に建つその屋敷は、

屋敷というより一つの要塞に近かった。

 

高い外壁。

 

監視カメラ。

 

敷地内を巡回する警備員。

 

最新式のセキュリティ。

 

そして、金と権力を持つ者だけが漂わせる、独特の静けさ。

 

二階堂源蔵。

 

高度育成高等学校の設営にも多大な資金を出した大物資産家。

 

その一人娘である二階堂麗華は、

広い自室のソファに座り、退屈そうに紅茶を眺めていた。

 

「海斗は?」

 

麗華が尋ねると、メイドのツキが小さく頭を下げた。

 

「朝霧様は、庭園の方で読書をされているようです」

 

「護衛対象を放って読書?」

 

麗華は呆れたように息を吐いた。

 

「本当にあの男は、ボディガードという自覚があるのかしら」

 

口調は冷たい。

 

だが、本気で怒っているわけではない。

 

朝霧海斗という男は、昔からそうだった。

 

粗野で、無遠慮で、怠け者で、言葉遣いも悪い。

 

授業態度も最悪。

 

護衛候補生としての評価も低い。

 

だが、いざという時だけは誰よりも早く動く。

 

理屈より先に身体が動く。

 

危険の中へ、まるで散歩にでも行くような顔で踏み込んでいく。

 

麗華はそれを何度も見てきた。

 

だからこそ腹が立つ。

 

あの男は、普段からもっと真面目にしていればいいだけなのだ。

 

「呼んできて」

 

麗華がそう言った直後だった。

 

屋敷全体に、低い警報音が鳴り響いた。

 

ツキの顔色が変わる。

 

麗華も立ち上がった。

 

「何?」

 

窓の外で、警備員の一人が倒れた。

 

悲鳴は聞こえなかった。

 

ただ、倒れた。

 

次の瞬間、通信機から慌ただしい声が飛び交う。

 

『東門突破!』

 

『何者かが侵入!』

 

『人数不明!』

 

『警備班、応答しろ!』

 

麗華は眉を寄せた。

 

ただの強盗ではない。

 

二階堂邸の警備を突破するには、相応の技量と準備が必要だ。

 

扉が開いた。

 

護衛の一人、宮川尊徳が駆け込んでくる。

 

「麗華様、避難を!」

 

その言葉が終わる前に、廊下の向こうから銃声が響いた。

 

尊徳の肩が跳ねる。

 

「お逃げください……」と呻きながら膝をついた。

 

麗華は息を呑む。

 

そして、廊下の奥から一人の男が現れた。

 

司馬だった。

 

黒い服。

 

冷たい目。

 

無駄のない足運び。

 

彼は倒れた護衛を見下ろすこともなく、麗華へ視線を向けた。

 

「二階堂麗華様ですね」

 

「……あなた、誰?」

 

「迎えに来ました」

 

「頼んだ覚えはないわ」

 

「頼まれる必要はありません」

 

司馬が一歩踏み出す。

 

麗華は後退した。

 

その時、窓の外から別の影が飛び込んできた。

 

ガラスが砕ける。

 

着地したスーツ姿の男は、肩に積もったガラス片を面倒くさそうに払った。

 

「おい」

 

朝霧海斗だった。

 

手には本を持っていた。

 

本当に読書中だったらしい。

 

麗華は一瞬だけ安心しかけて、すぐに怒りが湧いた。

 

「遅いわよ」

 

「うるせぇな。今いいところだったんだよ」

 

「この状況で本の心配?」

 

「読みかけを邪魔されるのは嫌いなんだ」

 

海斗はそう言いながら、司馬を見た。

 

その目が、わずかに変わる。

 

普段の眠たげな目ではない。

 

獲物を見つけた獣の目でもない。

 

ただ、目の前の相手を正確に測っている目だった。

 

「お前、強いな」

 

司馬は答えない。

 

一瞬の沈黙。

 

次の瞬間、二人が同時に動いた。

 

海斗が踏み込む。

 

司馬の拳が伸びる。

 

海斗はそれを首の角度だけで外し、肘を叩き込もうとする。

 

だが司馬は半歩ずれた。

 

互いの攻撃が空を切る。

 

床板が軋む。

 

麗華には、二人の動きがほとんど見えなかった。

 

ただ分かったのは、海斗がいつもの海斗ではないということだけだった。

 

本気ではない。

 

だが、遊んでもいない。

 

そして司馬もまた、人間離れしていた。

 

数秒の攻防。

 

それだけで部屋の空気が変わった。

 

海斗が笑う。

 

「面白ぇ」

 

司馬は無表情のまま言った。

 

「朝霧海斗。あなたは今回は対象外です」

 

「あ?」

 

「用があるのは彼女です」

 

「だったら余計に通すわけねぇだろ」

 

海斗が本を投げ捨てた。

 

その瞬間、廊下の奥で爆発音が響いた。

 

屋敷の照明が一瞬落ちる。

 

視界が揺れる。

 

麗華が体勢を崩した。

 

海斗が手を伸ばす。

 

だが、その一瞬を司馬は逃さなかった。

 

足元に転がった小型装置から白い煙が噴き出す。

 

催涙ではない。

 

もっと重い。

 

意識を鈍らせる薬品。

 

海斗は咄嗟に息を止めた。

 

麗華も口元を押さえる。

 

しかし、遅かった。

 

身体から力が抜ける。

 

「麗華!」

 

海斗が叫ぶ。

 

その声を聞きながら、麗華は床に膝をついた。

 

霞む視界の中で、司馬が自分へ近づいてくる。

 

海斗は動こうとした。

 

だが、背後から複数の銃口が向けられる。

 

「動けば撃ちます」

 

司馬の声。

 

海斗は止まった。

 

それは恐怖ではない。

 

迷いでもない。

 

麗華を撃たせないための停止だった。

 

「海斗……」

 

麗華は掠れた声で呼んだ。

 

海斗は笑っていた。

 

こんな状況なのに。

 

本当に腹が立つほど、いつも通りに。

 

「寝てろ」

 

その声を最後に、麗華の意識は途切れた。

 

次に海斗が目を開けた時、屋敷は半壊していた。

 

燃えているわけではない。

 

だが、警備システムは完全に沈黙し、

東門は破壊され、護衛たちは全員行動不能にされていた。

 

二階堂源蔵は、広間の中央に立っていた。

 

年齢を感じさせない鋭い目。

 

その視線は、海斗を真っ直ぐに射抜いていた。

 

「朝霧海斗」

 

源蔵の声は低かった。

 

「お前は何をしていた」

 

海斗はソファに腰かけ、額から流れる血を袖で拭った。

 

「読書」

 

周囲の使用人たちが息を呑む。

 

源蔵の眉が動いた。

 

「麗華の護衛であるお前が、読書だと?」

 

「そうだ」

 

「その結果、娘は連れ去られた」

 

「そうだな」

 

海斗は立ち上がった。

 

「だから助けに行く」

 

あまりにも単純な言葉だった。

 

謝罪もない。

 

弁明もない。

 

反省の言葉すらない。

 

だが、その目だけは違った。

 

源蔵は黙って海斗を見た。

 

「相手は誰だと思っている」

 

「知らねぇ」

 

「何処へ連れて行かれたかも分からん」

 

「探す」

 

「警察に任せるという考えはないのか」

 

「ねぇな」

 

海斗は壊れた窓の外を見た。

 

夜に近づきつつある空。

 

その向こうに、何かを見ているようだった。

 

「麗華はオレのプリンシパルだ」

 

源蔵は目を細めた。

 

「今さらか」

 

「今さらだ」

 

海斗は悪びれもせずに言った。

 

「連れて行かれたなら、取り返せばいい」

 

源蔵はしばらく黙っていた。

 

怒りは消えていない。

 

だが、この男が止まらないことも理解していた。

 

朝霧海斗は、命令で動く男ではない。

 

責任感で動く男でもない。

 

もっと単純で、もっと厄介な何かで動く。

 

「一つだけ訊く」

 

源蔵は言った。

 

「麗華を助けられるのか」

 

海斗は振り返った。

 

笑っていた。

 

「任せろ」

 

その言葉に、根拠はなかった。

 

だが、不思議と嘘には聞こえなかった。

 

 

その頃。

 

高度育成高等学校の寮。

 

綾小路清隆は、自室で一通の封筒を見つめていた。

 

差出人の名前はない。

 

封筒は白い。

 

何の特徴もない。

 

だが、机の上に置かれていた時点で異常だった。

 

部屋の鍵は閉めていた。

 

監視カメラもある。

 

それでも、誰かがこの部屋に入った。

 

綾小路は封を切った。

 

中には一枚の写真が入っていた。

 

堀北鈴音。

 

椅子に座らされている。

 

手足は拘束されていない。

 

意識もあるように見える。

 

だが、そこが学校ではないことは明らかだった。

 

壁は白く、無機質で、病院とも研究施設ともつかない。

 

写真の裏には、短い文字。

 

――白銀禁止区域へ来い。

 

綾小路は写真を机に置いた。

 

感情は表に出ない。

 

だが、状況は即座に整理された。

 

堀北が誘拐された。

 

犯人は月城、あるいはその周辺。

 

目的は自分。

 

要求はおそらく一つ。

 

ホワイトルームへの帰還。

 

拒否した場合、堀北は殺される。

 

いや、殺すかどうかは問題ではない。

 

堀北を人質にした時点で、相手は自分が動くと判断している。

 

その判断は間違っていない。

 

綾小路は写真を見た。

 

堀北鈴音。

 

彼女は強い。

 

ただ守られるだけの人間ではない。

 

だが、今回の相手は普通ではない。

 

月城が本気で動いたなら、学校内のルールも、社会のルールも、意味を持たない。

 

綾小路は携帯を手に取った。

 

その時、画面が勝手に点灯した。

 

非通知。

 

綾小路は通話を押した。

 

『お久しぶりです、綾小路清隆くん』

 

月城の声だった。

 

「堀北を返せ」

 

『用件が早いですね』

 

「無駄な会話をするつもりはない」

 

『こちらも同じです』

 

月城の声は穏やかだった。

 

『あなたには白銀禁止区域へ来ていただきます』

 

「白銀禁止区域」

 

『ご存じないでしょうね。表向きには存在しない場所です』

 

「目的は何だ」

 

『あなたの帰還です』

 

予想通りだった。

 

『ホワイトルームはあなたを必要としています。

あなたは外の世界に置いておくには、あまりにも価値が高すぎる』

 

「拒否したら?」

 

『堀北鈴音さんは処分されます』

 

月城はあっさりと言った。

 

『そして、あなたも処分対象となります』

 

「随分と単純だな」

 

『単純な手段ほど効果的です』

 

「学校はどうする」

 

『今回は学校を舞台にはしません。

前回のような騒ぎは、こちらとしても好ましくありませんから』

 

「それで白銀禁止区域か」

 

『ええ』

 

月城は少しだけ楽しそうに言った。

 

『そこには面白いものがありますよ。あなたのよく知る人間もいる』

 

綾小路は沈黙した。

 

『退学者たちです』

 

その言葉で、空気がわずかに変わった。

 

『高度育成高等学校から消えた者たち。

社会からも、記録からも、都合よく忘れられた者たち。

彼らがどこへ行ったのか、気になりませんか?』

 

「……」

 

『白銀禁止区域は、別名ブラックルームと呼ばれています』

 

ブラックルーム。

 

綾小路はその言葉を記憶に刻んだ。

 

ホワイトルーム。

 

ブラックルーム。

 

偶然の命名ではない。

 

『あなたは完成品です。ですが、完成品を生み出す方法は一つではありません』

 

月城の声は、まるで講義のようだった。

 

『教育による完成。実験による完成。改造による完成。

人間という素材は、まだ多くの可能性を残している』

 

「悪趣味だな」

 

『褒め言葉として受け取っておきます』

 

通話の向こうで、月城が笑った気配がした。

 

『一人で来てください』

 

「守ると思うか?」

 

『思いません』

 

月城は即答した。

 

『だからこそ、あなたが誰を連れてくるのかも含めて、楽しみにしています』

 

通話が切れた。

 

綾小路は携帯を机に置いた。

 

部屋の中は静かだった。

 

だが、静けさの質が変わっていた。

 

日常の静けさではない。

 

戦場の前の静けさ。

 

綾小路は写真をもう一度見る。

 

堀北の視線は、こちらを見ていない。

 

だが、どこかで信じているように見えた。

 

自分が来ることを。

 

「……面倒なことになったな」

 

綾小路は呟いた。

 

その声に焦りはない。

 

恐怖もない。

 

だが、動かないという選択肢もなかった。

 

 

同じ頃。

 

二階堂邸の地下ガレージ。

 

海斗は黒い車の前に立っていた。

 

手にはグロック19と呼ばれる拳銃が一丁。

 

肩からはバッグ。

 

中には弾薬、工具、簡易医療キット、そしてなぜか文庫本が一冊入っていた。

 

宮川尊徳が呆れた顔でそれを見ていた。

 

「お前、遠足にでも行くつもりか」

 

「遠足に銃は持っていかねぇだろ」

 

「本は持っていくのか」

 

「暇な時に読む」

 

「麗華様が誘拐されてるんだぞ」

 

「だから行くんだろ」

 

尊徳は大きく息を吐いた。

 

海斗の同僚であり、腐れ縁でもある男。

 

口は悪いが、腕は立つ。

 

操縦技術に関しては、二階堂家でも随一だった。

 

「場所は掴めたのか」

 

「白銀禁止区域」

 

海斗が言うと、尊徳の顔色が変わった。

 

「おい、それ本気で言ってんのか」

 

「知ってるのか」

 

「名前だけはな。行った奴が帰ってこない場所だ」

 

「ちょうどいい」

 

「何がだ」

 

「退屈しなさそうだ」

 

尊徳は海斗を睨んだ。

 

「お前な」

 

「麗華を助ける」

 

海斗は短く言った。

 

それだけで、尊徳は黙った。

 

普段なら軽口で返すところだった。

 

だが、今の海斗は違う。

 

目の奥に、奇妙な静けさがあった。

 

怒りではない。

 

焦りでもない。

 

ただ、行くと決めた人間の目だった。

 

「分かった」

 

尊徳は車のキーを投げた。

 

「途中まで送る。だが、空からの脱出が必要になったら呼べ」

 

「ヘリ出せるのか」

 

「誰に言ってる」

 

「頼りにしてるぜ」

 

「お前に言われると腹立つな」

 

海斗は笑った。

 

その時、海斗の携帯に一通のメッセージが届いた。

 

差出人不明。

 

内容は短い。

 

――朝霧海斗。白銀で待つ。

 

その下に、たった一つの名前。

 

雅樹。

 

海斗の表情が止まった。

 

尊徳はその変化を見逃さなかった。

 

「どうした」

 

「いや、なんでもない」

 

海斗は携帯を握りしめた。

 

笑っている。

 

だが、その笑みは先ほどまでとは違っていた。

 

「面白くなってきやがった」

 

日が沈んだ頃、白銀禁止区域。

 

地図には存在しない山間部。

 

高いフェンスに囲まれた広大な土地。

 

監視塔。

 

地下施設。

 

廃墟のような居住区。

 

そして、その中心に建つ巨大な黒い研究棟。

 

通称、ブラックルーム。

 

その最深部。

 

暗い部屋の中で、堀北鈴音は目を覚ました。

 

手足は自由だった。

 

だが、扉は開かない。

 

窓もない。

 

監視カメラだけが、天井の隅からこちらを見下ろしている。

 

「目が覚めたのね」

 

声がした。

 

堀北は振り向いた。

 

部屋の隅に、もう一人の少女がいた。

 

長い髪。

 

整った顔立ち。

 

品のある立ち姿。

 

だが、その瞳には強い警戒が宿っていた。

 

「あなたは?」

 

「二階堂麗華」

 

少女は名乗った。

 

「誘拐された者同士、ということになるのかしら」

 

堀北は周囲を見回した。

 

「どうやらそうみたいね」

 

麗華は堀北をじっと見た。

 

「あなたが堀北鈴音?」

 

「私を知っているの?」

 

「月城という男から聞いたわ。綾小路清隆に近い人間だと」

 

堀北はわずかに眉を動かした。

 

「……そう」

 

「そして私も同じ。朝霧海斗という男を誘き出すために連れて来られたみたい」

 

「朝霧海斗?」

 

「私のボディガードよ。もっとも、本人にその自覚があるかは怪しいけれど」

 

麗華の表情が少しだけ変わる。

 

「あの男、普段は怠け者で、口も悪くて、

護衛対象を放って読書しているような最低の男よ」

 

「随分な評価ね」

 

「事実だもの。でも……」

 

麗華は少しだけ視線を伏せた。

 

「来るわ。あの男は、こういう時だけは必ず来る」

 

堀北はその言葉を聞いて、わずかに目を細めた。

 

「似たようなものね」

 

「あなたも?」

 

堀北は少し考えた。

 

そして、静かに答えた。

 

「ええ。たぶん、似たようなものよ」

 

麗華は堀北を見つめたあと、小さく笑った。

 

「変な男に関わると苦労するのね」

 

「否定できないわ」

 

二人の間に、わずかな沈黙が落ちた。

 

敵地。

 

誘拐。

 

閉ざされた部屋。

 

絶望してもおかしくない状況。

 

それでも、二人は泣かなかった。

 

叫びもしなかった。

 

ただ、互いを見た。

 

この状況で冷静でいられる相手だと理解した。

 

「来ると思う?」

 

堀北が再び尋ねた。

 

「その朝霧さんは」

 

麗華は即答した。

 

「来るわ」

 

堀北も言った。

 

「綾小路くんも来る」

 

麗華は少し驚いたように堀北を見た。

 

「あなたも随分と信じているのね」

 

「信じているというより、分かっているだけよ」

 

「それ、すごく面倒な言い方ね」

 

「あなたも似たようなものだったわ」

 

麗華は肩をすくめた。

 

二人はまだ笑えない。

 

だが、絶望だけではなかった。

 

その時、部屋の外から足音が聞こえた。

 

ゆっくりと。

 

規則正しく。

 

扉の向こうで、誰かが立ち止まる。

 

スピーカーから月城の声が流れた。

 

『お二人とも、お目覚めのようですね』

 

堀北と麗華は同時に顔を上げた。

 

『ようこそ、白銀禁止区域へ』

 

月城の声は、どこまでも穏やかだった。

 

『ここは、失敗した者たちが集められる場所です』

 

壁の一部がスクリーンになる。

 

映像が映し出された。

 

そこには、無機質な廊下を歩く人影があった。

 

見覚えのある顔。

 

堀北の目が細くなる。

 

佐倉愛里。

 

その後ろに、真鍋志保。

 

さらに別の区画には、龍園翔。

 

坂柳有栖。

 

宝泉和臣。

 

天沢一夏。

 

八神拓也。

 

堀北の拳が強く握られた。

 

麗華も黙って画面を見つめている。

 

『まもなく、二人のマスターピースがここへ来ます』

 

月城は楽しそうに言った。

 

『綾小路清隆』

 

一拍。

 

『朝霧海斗』

 

その名前を聞いた瞬間、堀北と麗華の視線が交差した。

 

片方は冷静な少年を知っている。

 

もう片方は粗野な少年を知っている。

 

まるで違う二人。

 

だが、きっと来る。

 

来てしまう。

 

そして、この地獄のような場所で戦う。

 

白銀禁止区域。

 

ブラックルーム。

 

失敗者と完成品と怪物が集められた場所。

 

その扉が、今、開こうとしていた。

 

同じ夜。

 

別々の道を進む二人の男がいた。

 

一人は、静かに。

 

一人は、笑いながら。

 

綾小路清隆は写真を懐にしまい、学校の闇へ消えた。

 

朝霧海斗は拳銃を腰に差し、壊れた屋敷を背に歩き出した。

 

目的地は同じ。

 

白銀禁止区域。

 

まだ誰も知らない。

 

この夜に始まった事件が、ただの誘拐では終わらないことを。

 

ただの救出劇では終わらないことを。

 

これは、人工的に作られた天才と、

戦場の中で完成した男が、失敗者たちの地獄へ踏み込む物語。

 

そして。

 

二人のマスターピースが、白銀の闇を撃ち抜く物語だった。




いつも読んでくださり、ありがとうございます。
今回は僕から執筆作業と文字構成に関する報告です。

僕はいつも一文と一文の間にはあまり行間を使いませんでした。
しかし、執筆しているとどうしても行間を開けた方が作業効率が上がるのです。
なので今後は、文章に行間や空白を多く使っていきたいと考えております。

なお、文章が一行に収まるように改行するのは継続して行っていきます。
よろしくお願いします。
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