ザ・ダイハード・マスターピース 作:EXTERMINATION
海斗と同じ頃、別のルートから綾小路清隆も白銀禁止区域へ近づいていた。
彼は一人だった。
少なくとも、表向きには。
綾小路は山中の細い道を歩きながら、
事前に集めた情報を頭の中で整理していた。
白銀禁止区域。
正式な地名ではない。
行政記録にも曖昧な処理がされている。
民間の地図では空白。
衛星写真には不自然な加工。
そして、過去数年にわたり、高度育成高等学校の退学者の一部が、
その後の足取りを完全に消している。
佐倉愛里。
真鍋志保。
その他にも数名。
偶然ではない。
月城は言った。
失敗者を回収していると。
退学者。
失敗者。
素材。
成果。
綾小路はその言葉を思い出す。
ホワイトルームとは違う。
だが根底にある思想は似ている。
人間を目的のために加工する。
環境を作り、観察し、追い込み、何かを抽出する。
白銀禁止区域は、おそらく実験施設だ。
そして月城は、そこに自分を呼び込もうとしている。
つまり、罠であることは間違いない。
問題は、罠だと分かっていても行く必要があることだった。
堀北鈴音がいる。
さらに、朝霧海斗という男を誘き出すために二階堂麗華も連れ去られている。
綾小路は朝霧海斗の情報も確認していた。
二階堂麗華のボディガード。
特別禁止区域出身。
粗野で怠惰。
だが、生命を賭けた戦闘においてはボディガードの中で最強と評されるほどの実力。
特技はピッキングと声帯模写。
趣味は読書。
情報だけ見れば、奇妙な男だった。
だが、月城が同時に呼び出した時点で、その存在は軽視できない。
綾小路は足を止めた。
前方にフェンスが見える。
監視カメラ。
赤外線センサー。
地中センサー。
通常の侵入者なら、この時点で捕捉される。
綾小路は周囲を見た。
警備には穴がある。
意図的な穴だった。
月城は入らせるつもりなのだ。
拒絶ではなく、誘導。
綾小路はその穴を使うべきか考えた。
使えば早い。
だが、相手の想定内を進むことになる。
その時、遠くで小さな物音がした。
枝が折れる音。
動物ではない。
綾小路は視線を向けた。
暗闇の中から、一人の男が現れた。
朝霧海斗だった。
海斗も綾小路を見た。
数秒間、二人は黙って向かい合った。
初対面。
だが、お互いに相手が誰なのかは理解していた。
「お前が綾小路か」
海斗が先に言った。
「朝霧海斗だな」
「話が早いな」
「調べた」
「オレもだ」
海斗は綾小路を上から下まで見た。
「もっといかにも化け物みてぇな奴かと思った」
「期待外れか?」
「いや」
海斗は笑った。
「逆だ。見た目で分からねぇ奴ほど面白い」
綾小路は海斗を観察した。
無駄な力がない。
立ち方は自然。
だが、どの方向にも動ける。
隙があるように見えて、踏み込めば即座に反応するだろう。
そして何より、目が普通ではなかった。
警戒している。
だが敵意はない。
楽しんでいる。
だが油断はない。
確かに、月城が呼び込むだけの理由はある。
「目的は同じだな」
綾小路が言った。
「堀北と二階堂を助ける」
「順番が違ぇ」
海斗は言った。
「麗華と堀北だ」
「どちらでもいい」
「よくねぇだろ」
「なら、両方助ける」
海斗は少し笑った。
「それでいい」
二人はフェンスの方を見た。
「正面から行くか?」
海斗が尋ねた。
「避ける」
「つまんねぇな」
「効率の問題だ」
「オレは派手なのが好きなんだが」
「なら一人で正面へ行けばいい」
「冷てぇな」
海斗はそう言いながら、フェンス脇の制御盤へ近づいた。
「開けられるのか」
綾小路が尋ねる。
「得意だ」
海斗は工具を取り出した。
手つきは雑に見えた。
だが、動きに迷いがない。
数十秒後、電子ロックが小さく音を立てた。
フェンスの一部が開く。
綾小路はそれを見ていた。
「早いな」
「褒めても何も出ねぇぞ」
「褒めてはいない」
「面倒くせぇ奴だな」
海斗は先に中へ入った。
綾小路も続く。
二人が白銀禁止区域へ足を踏み入れた瞬間、
遠くの監視塔のライトが一瞬だけ点滅した。
まるで、入場を歓迎する合図のように。
施設最上階。
監視室。
月城は巨大なモニターの前に立っていた。
画面には、別々のルートから侵入したはずの二人が、
すでに合流している姿が映っている。
綾小路清隆。
朝霧海斗。
月城は微笑んだ。
「予定より早いですね」
隣に立つ司馬は無言だった。
別のモニターには、堀北と麗華。
さらに別のモニターには、龍園、坂柳、宝泉、天沢、八神、七瀬。
そして、施設の奥深く。
まだ誰にも見せていない区画があった。
月城はそこには触れない。
まだ早い。
最後の成果を見せるには、舞台が整っていなければならない。
「始まりましたね」
月城は静かに言った。
「ホワイトルームの最高傑作」
モニターの中で、綾小路が歩いている。
「特別禁止区域の完成形」
別の画面で、海斗が笑っている。
「そして、ブラックルーム」
月城は目を細めた。
「どの完成形が、最も人間に近いのか」
誰に向けた言葉でもなかった。
だが、その声には確かな愉悦があった。
白銀禁止区域の闇の中。
綾小路清隆と朝霧海斗は並んで歩き出した。
まだ銃声はない。
まだ爆発もない。
だが、戦いはすでに始まっていた。
復讐に燃える龍園。
人工の天才を否定しようとする坂柳。
決着だけを求める宝泉。
狂信の果てに敵となる天沢。
超越を望む八神。
迷いを抱えた七瀬。
綾小路を奪還しようとする月城。
海斗を見極めようとする雅樹。
そして、囚われた堀北と麗華。
それぞれの思惑が、白銀の闇の中で交差し始める。
ここは学校ではない。
試験でもない。
退学も、ポイントも、クラスの勝敗も関係ない。
あるのはただ、生き残るか、消えるか。
綾小路は前を見た。
海斗も前を見た。
二人のマスターピースは、まだ互いを知らない。
だが、この夜。
二人は同じ地獄へ踏み込んだ。
そして白銀禁止区域は、静かに牙を剥き始めていた。
足を踏み入れた瞬間、空気の質が変わった。
それは単に山の中だからというだけではなかった。
木々の匂い。
土の湿り気。
夜の冷たさ。
そういった自然の気配の奥に、人工的な無機質さが混ざっていた。
監視カメラ。
地中センサー。
遠くに見える監視塔のライト。
フェンスの内側に敷かれた整備用道路。
そこは山奥でありながら、明らかに誰かの意思によって管理された空間だった。
綾小路清隆は、周囲の地形と警備配置を確認しながら歩いていた。
隣には朝霧海斗がいる。
海斗は緊張しているようには見えなかった。
むしろ、夜の散歩でもしているような足取りだった。
「妙な場所だな」
海斗が言った。
「警備が厳しいように見えて、穴が多い」
「誘導されている」
綾小路は答えた。
「だろうな」
海斗は笑った。
「入ってくださいって言ってるようなもんだ」
「なら、乗るしかない」
「分かってるじゃねぇか」
海斗はそう言いながら、腰の拳銃を軽く確認した。
綾小路もまた、自分の装備を確認していた。
今はまだ最小限。
目立つ武装はない。
だが、この施設内には必ず武器庫がある。
月城が龍園たちを使うつもりなら、銃器を用意していないはずがない。
問題は、いつ、どこで、何を奪うかだった。
「綾小路」
海斗が不意に名前を呼んだ。
「何だ」
「お前、月城って男に狙われてるんだろ」
「そうだな」
「ホワイトルームの最高傑作ってやつか」
綾小路はわずかに海斗を見た。
「知っているのか」
「仲間から聞いた。麗華を誘拐した連中の本命はお前だってな」
「なら、朝霧は巻き込まれた側だ」
「違う」
海斗は即答した。
「麗華を連れて行かれた時点で、オレの問題だ」
その声には迷いがなかった。
綾小路は少しだけ沈黙する。
朝霧海斗という男は、事前情報と一致しているようで、どこか違った。
粗野。
怠惰。
無遠慮。
だが、行動原理は単純ではない。
「朝霧は、なぜ麗華を助ける」
「ボディガードだからな」
「それだけか」
「それだけで十分だろ」
海斗は答えた。
「難しい理由が必要なのか?」
「場合による」
「面倒くせぇな」
海斗は笑った。
「助ける。だから助ける。それでいい」
綾小路は前を見る。
単純な言葉だった。
しかし、その単純さは弱さではない。
むしろ、迷いの少なさに直結している。
海斗は考えていないわけではない。
考えた上で、余計なものを捨てている。
その点では、少しだけ自分と似ているのかもしれない。
ただし、方法は正反対だ。
綾小路は無駄を削る。
海斗は無駄ごと突き破る。
二人は森の中を進んだ。
しばらくすると、前方に小さな建物が見えた。
監視小屋。
外壁は白。
窓は黒く塗り潰されている。
扉の横には電子ロック。
周囲には人影がない。
「開けるか」
海斗が言った。
「罠だろう」
「分かってる」
「それでも開けるのか」
「中に情報があるかもしれねぇ」
「同感だ」
海斗は電子ロックの前にしゃがみ込んだ。
工具を取り出し、配線部分に手を伸ばす。
その動きは雑に見える。
だが、迷いがない。
数十秒後、ロックが外れた。
「早いな」
綾小路が言う。
「だから得意だって言ったろ」
海斗は扉を開けた。
中は暗い。
だが、電源は生きていた。
壁には監視用の端末。
机には資料。
棚には制服のようなものが畳まれている。
綾小路は端末へ向かった。
海斗は部屋の隅を確認する。
「ここ、ただの監視小屋じゃねぇな」
「外部巡回者の中継地点だ」
綾小路は端末を操作しながら言った。
「記録が残っている」
画面には、白銀禁止区域内の通行記録が並んでいた。
コードネーム。
区画番号。
移送履歴。
その中に、見覚えのある名前があった。
佐倉愛里。
真鍋志保。
綾小路は指を止めた。
海斗が横から覗き込む。
「知り合いか」
「元クラスメイトだ」
「退学者ってやつか」
「ああ」
記録によれば、佐倉愛里は第三区画。
真鍋志保は同じく第三区画。
ただし分類が違う。
佐倉は観察対象。
真鍋は管理協力者。
その文字を見て、綾小路は状況を推測した。
退学者たちは、全員が同じ扱いではない。
実験対象。
協力者。
監視役。
そして、おそらく処分対象。
白銀禁止区域の中でも、立場は分けられている。
「第三区画に行くか」
海斗が言った。
「堀北と麗華の位置が先だ」
「分かってる。だが退学者って連中が情報を持ってるなら、会って損はねぇ」
「危険もある」
「危険がない場所なんかねぇだろ」
綾小路は海斗を見た。
海斗は笑っていた。
だが、適当に言っているわけではない。
情報源として退学者を使う。
それは合理的だった。
「分かった」
綾小路は端末から簡易地図を抜き出した。
「第三区画へ向かう」
「決まりだな」
その時だった。
端末の画面が勝手に切り替わった。
月城の顔が映る。
『順調ですね』
綾小路と海斗は同時に画面を見た。
『そこまで早く中継地点に辿り着くとは、やはりお二人とも優秀です』
「見ていたのか」
綾小路が言った。
『もちろんです。ここでは全てが記録されます』
海斗が端末を睨む。
「麗華はどこだ」
『無事ですよ。堀北さんも同じです』
「会わせろ」
『まだ早い』
月城は穏やかに言った。
『せっかくですから、白銀禁止区域を少し見学していただきたい』
「観光に来たわけじゃねぇ」
『分かっています。ですが、あなたにも関係のある場所ですよ、朝霧海斗くん』
海斗の目が少しだけ細くなる。
『あなたの出身である禁止区域とは別の場所ですが、思想は似ています。
人間を極限環境に置き、何が残るかを観察する』
「悪趣味だな」
『よく言われます』
月城は笑った。
『第三区画へ向かうのは良い選択です。そこには懐かしい顔がいますから』
綾小路は何も言わない。
『佐倉愛里さん』
月城がその名を口にした。
『そして、真鍋志保さん』
画面が消える。
部屋に静けさが戻った。
海斗は肩を鳴らした。
「わざわざ案内してくれるとは親切だな」
「罠だ」
「罠でも情報はある」
「そうだな」
二人は監視小屋を出た。
第三区画へ向かう道は、施設の外周を避けるように森の奥へ続いていた。
途中、何度か監視ライトが二人をかすめた。
だが、警報は鳴らない。
月城は完全に二人を誘導している。
綾小路はそれを理解した上で進む。
海斗もまた、理解した上で楽しんでいるようだった。
「お前、ずっと冷静だな」
海斗が言った。
「焦っても状況は変わらない」
「つまんねぇ答えだ」
「朝霧は楽しそうだな」
「楽しくはねぇよ」
海斗は前を見た。
「麗華を連れ去られてるからな」
「そうは見えない」
「顔に出す必要がねぇだけだ」
綾小路は、その言葉に少しだけ納得した。
海斗は感情的に見える。
だが、本当に重要な感情は表に出さない。
あるいは、出しているように見せかけて、核心だけは隠している。
その点も、事前情報とは少し違う。
第三区画の入口は、地下へ続く階段だった。
コンクリートの壁。
錆びた手すり。
古い蛍光灯。
研究施設というより、放棄された避難施設のようだった。
下へ降りるほど、空気が重くなる。
人の生活臭が混ざり始める。
消毒液。
湿気。
古い布。
食事の匂い。
そして、諦めの匂い。
海斗が鼻を鳴らした。
「嫌な場所だ」
「そうだな」
階段を降りきると、長い廊下があった。
左右に小さな部屋が並んでいる。
扉には番号。
一部の扉は開いていた。
中には簡素なベッド。
机。
備え付けの洗面台。
ここは収容区画だった。
ただの実験施設ではない。
人間を長期間置いておくための場所。
「誰もいねぇな」
海斗が言った。
「いや」
綾小路は前方を見る。
廊下の奥に人影があった。
一人の少女。
長い髪。
細い身体。
地味な服装。
その姿を見た瞬間、綾小路は足を止めた。
佐倉愛里だった。
以前より少し大人びて見えた。
少なくとも外見だけなら、綾小路の記憶にある佐倉愛里のままだった。
ただし、目が違った。
怯えている。
だが、それだけではない。
人に期待することを諦めたような、静かな暗さがあった。
「佐倉」
綾小路が声をかけた。
佐倉は肩を震わせた。
ゆっくりと振り向く。
そして、綾小路の顔を見た。
「綾小路……くん」
小さな声だった。
懐かしさ。
驚き。
恐怖。
安堵。
いくつもの感情が混ざっていた。
だが、佐倉はすぐに一歩後退した。
「どうして……ここに」
「堀北が連れ去られた」
「堀北さんが?」
「二階堂麗華もだ」
海斗が言った。
佐倉は海斗を見る。
「あなたは……?」
「朝霧海斗。麗華のボディガードだ」
「ボディガード……」
佐倉は少し困惑したように呟いた。
綾小路は佐倉を観察していた。
明らかに疲弊している。
だが、薬物投与や身体改造の痕跡は見えない。
少なくとも表面上は。
「佐倉、ここで何が起きている」
綾小路が尋ねた。
佐倉は答えようとした。
だが、その前に廊下の奥から声が響いた。
「あれぇ?誰かと思ったら」
軽い声。
だが、そこに含まれた棘は鋭かった。
真鍋志保だった。
真鍋は腕を組み、壁にもたれながら歩いてくる。
見た目は大きく変わっていない。
だが、その顔つきは以前よりも荒んでいた。
「綾小路じゃん。何しに来たの?」
真鍋は笑った。
その笑みは、歓迎ではない。
「佐倉と知り合いか」
海斗が小さく言った。
「元同級生だ」
綾小路は答えた。
真鍋は佐倉をちらりと見た。
「よかったね、佐倉。王子様が助けに来てくれたみたいで」
佐倉は何も言わなかった。
ただ、拳を小さく握っている。
海斗がその様子を見て、目を細めた。
「おい」
「何?」
真鍋が海斗を見る。
「あんた誰?」
「通りすがりのボディガードだ」
「は?」
「そいつ、いじめてたのか」
真鍋の表情がわずかに変わった。
「何それ。初対面で失礼じゃない?」
「当たりか」
海斗は一歩前に出た。
綾小路が軽く手で制する。
「今は情報が先だ」
「分かってる」
海斗は止まった。
だが、視線は真鍋から外さない。
真鍋は不快そうに舌打ちした。
「おお怖い。何なの、あんたたち」
「ここで何が起きている」
綾小路が尋ねた。
真鍋は笑った。
「知りたい?」
「答えろ」
「相変わらず偉そう」
真鍋は肩をすくめた。
「ここは退学者の墓場だよ」
その言葉に、佐倉の顔がわずかに曇った。
真鍋は続ける。
「学校から消えた人間が集められる。
行き場のない奴。都合の悪い奴。利用価値がある奴。そういう人間がここに来る」
「お前は管理協力者と記録されていた」
綾小路が言うと、真鍋の表情が固まった。
「見たんだ」
「中継地点の端末でな」
「じゃあ話が早いね」
真鍋は開き直るように笑った。
「ここで生き残るには、誰かの下につくしかないの。私は上手くやっただけ」
佐倉は黙っている。
海斗が低く言った。
「それで弱い奴を踏んでたわけか」
「弱い奴?」
真鍋は佐倉を見た。
「この子、ずっとそうだよ。学校にいた頃から何も変わらない。
誰かに守ってもらうだけ。黙って俯いて、被害者みたいな顔して」
「真鍋さん」
佐倉が小さく言った。
「何?」
「もう、やめて」
その声は震えていた。
だが、確かに真鍋へ向けられていた。
真鍋は一瞬だけ目を見開いた。
それから笑う。
「へぇ。言えるようになったんだ」
佐倉は唇を噛んだ。
綾小路は、その変化を見ていた。
佐倉は以前とは違う。
完全に強くなったわけではない。
だが、何も言えなかった頃のままでもない。
地獄のような場所で、彼女は彼女なりに生きていた。
「佐倉」
綾小路は言った。
「堀北たちはどこにいる」
佐倉は迷った。
監視カメラを見上げる。
ここで話せば、月城に知られる。
いや、既に知られている可能性が高い。
それでも、佐倉は小さく口を開いた。
「中央棟の上層区画。たぶん、人質管理室」
「道は?」
「第三区画から地下搬送路に出られる。そこから中央棟の下まで行けるけど……」
「けど?」
「途中に、龍園くんたちがいる」
綾小路は目を細めた。
海斗が笑った。
「ようやく出てきたか」
佐倉は不安そうに続ける。
「龍園くんだけじゃない。坂柳さん、宝泉くん、
天沢さん、八神くん、七瀬さんもいる」
「全員、月城側か」
「分からない」
佐倉は首を振った。
「でも、少なくとも今は逆らえない。ここでは月城さんが全部握ってる」
真鍋が口を挟む。
「逆らったら終わりだからね」
「終わりとは?」
綾小路が尋ねた。
真鍋は答えなかった。
代わりに、佐倉が小さく言った。
「処分区画に送られる」
その言葉で、廊下の空気が重くなった。
処分区画。
意味は一つではない。
だが、良い場所でないことは明らかだった。
海斗は廊下の奥を見た。
「麗華と堀北は、そこには送られてねぇんだな」
「今はまだ」
佐倉は答えた。
「人質だから」
「なら急ぐ」
海斗が言った。
「案内しろ」
佐倉は一瞬ためらった。
真鍋が笑う。
「やめときなよ、佐倉。あんたが案内したってバレたら、今度こそ終わりだよ」
佐倉の肩が震える。
その言葉は、彼女の恐怖を正確に突いていた。
綾小路は佐倉を見た。
「無理にとは言わない」
佐倉は顔を上げた。
「綾小路くん……」
「ここに残るなら、それでもいい」
綾小路は静かに言った。
「だが、オレたちは堀北と麗華を助ける。
その途中で、お前を助けられるなら助ける」
真鍋が鼻で笑った。
「助けられるなら、ね。便利な言い方」
海斗が真鍋を見る。
「じゃあ、お前はどうすんだ」
「は?」
「ここに残って、ずっと誰かの顔色見て生きんのか」
真鍋の表情が変わった。
「何も知らないくせに」
「知らねぇな」
海斗はあっさり認めた。
「だから訊いてる」
真鍋は睨んだ。
「外の人間は簡単に言うよね。逃げればいいとか、戦えばいいとか。
そんなの無理に決まってるじゃん」
「決まってねぇだろ」
「決まってる!」
真鍋の声が廊下に響いた。
「ここでは逆らったら終わりなの!良い子にしてないと、次の日には消えてる。
誰も助けてくれない。誰も覚えてくれない。だから……」
言葉が止まる。
真鍋は自分が感情を吐き出してしまったことに気づき、顔を歪めた。
佐倉は真鍋を見ていた。
その目に、少しだけ悲しみがあった。
真鍋もまた、ただの加害者ではない。
この場所に壊され、壊されないために誰かを踏んできた人間だった。
海斗は短く息を吐いた。
「面倒くせぇ場所だな」
「本当にね」
真鍋は小さく呟いた。
その時。
廊下の照明が赤く変わった。
警報音が鳴る。
佐倉の顔色が変わった。
「巡回班……!」
廊下の奥から足音が響く。
複数。
規則正しい。
武装した施設職員だ。
綾小路は即座に周囲を確認した。
隠れる場所は少ない。
正面から突破するには、武器が足りない。
海斗は拳銃を抜いた。
「撃つか」
「まだ早い」
綾小路は言った。
「佐倉、搬送路はどこだ」
「あっち」
佐倉が指差す。
だが、その方向にも足音が近づいていた。
真鍋が舌打ちする。
「最悪」
海斗は笑った。
「いいじゃねぇか。少しは退屈しなくなった」
「笑ってる場合?」
真鍋が言う。
「笑ってる方が動きやすい」
海斗は佐倉の方を見た。
「走れるか」
「う、うん」
「なら走れ」
綾小路が廊下脇の消火設備に目を向けた。
「海斗」
「あ?」
「三秒後に照明を落とす」
「分かった」
「まだ何も言ってない」
「大体分かる」
海斗は口角を上げた。
綾小路は消火設備のカバーを外し、内部配線に手を入れた。
二秒。
三秒。
照明が落ちる。
同時に非常灯だけが赤く点滅した。
廊下が暗闇に沈む。
巡回班が足を止める。
その瞬間、海斗が動いた。
発砲はしない。
距離を詰め、先頭の職員の腕を取り、壁へ叩きつける。
銃が床を滑る。
二人目が銃口を向ける前に、綾小路が横から踏み込み、手首を制圧した。
銃声は鳴らない。
骨が軋む音だけが短く響く。
佐倉は息を呑んだ。
真鍋も言葉を失った。
綾小路と海斗。
二人の動きはまるで違う。
綾小路は静かだった。
必要最低限の力で、相手の動きを奪う。
海斗は荒々しかった。
だが、雑ではない。
正面から叩き潰しているように見えて、急所だけを正確に外している。
殺す必要がない相手は殺さない。
しかし、殺す必要があると判断すれば迷わない。
そんな危うさがあった。
数十秒後、巡回班は全員床に倒れていた。
海斗は奪った拳銃を確認する。
「弾は少ねぇな」
綾小路も一丁拾った。
「十分だ」
真鍋が掠れた声で言った。
「あんたたち……何なの」
海斗は答えない。
綾小路も答えない。
佐倉だけが、二人を見ていた。
かつて自分が知っていた綾小路清隆。
そして今、初めて見た朝霧海斗。
二人は違う。
全く違う。
それなのに、どこか同じ場所に立っているように見えた。
「行くぞ」
綾小路が言った。
佐倉は頷いた。
真鍋は迷っていた。
残るか。
行くか。
ここにいれば、少なくとも今日までは生きられるかもしれない。
だが、この二人についていけば、全てが変わるかもしれない。
変わるということは、救いであると同時に破滅でもある。
「……本当に馬鹿みたい」
真鍋は吐き捨てるように言った。
それでも歩き出した。
「案内してあげる。途中までだから」
佐倉が驚いたように真鍋を見る。
真鍋は視線を逸らした。
「勘違いしないで。ここに残っても面白くなさそうなだけ」
海斗が笑った。
「素直じゃねぇな」
「うるさい」
綾小路は先へ進む。
海斗が続く。
佐倉と真鍋も、その後を追った。
第三区画の奥。
地下搬送路へ続く扉が開かれる。
その向こうには、さらに深い闇が広がっていた。
◯
同じ頃。
中央棟の監禁室。
堀北と麗華は、突然鳴り始めた警報音を聞いていた。
「何か起きたわね」
麗華が言った。
「おそらく、誰かが侵入した」
堀北は冷静に答える。
「誰か、ね」
麗華は小さく笑った。
「二人とも来たのかしら」
「可能性は高いわ」
「あなたの綾小路清隆と、私の朝霧海斗」
「私の、ではないわ」
堀北は即座に訂正した。
麗華は少しだけ意地悪く笑った。
「そういうところ、似ているのね」
「何が?」
「認めないところ」
堀北は返答しなかった。
その代わり、扉を見た。
警報が鳴っている。
月城が動く。
龍園たちも動く。
状況は確実に変わり始めている。
ただ待つだけではない。
堀北は部屋の中を見回した。
使えるものは少ない。
だが、何もないわけではない。
麗華も同じことを考えているようだった。
「私たちも、準備した方がいいわね」
麗華が言った。
「ええ」
堀北は頷いた。
「助けに来た二人に、文句を言うためにもね」
「それは大事ね」
二人は初めて、少しだけ笑った。
その頃。
白銀禁止区域、中央監視室。
月城はモニターを見つめていた。
第三区画の巡回班が倒され、
綾小路と海斗が佐倉と真鍋を連れて地下搬送路へ向かっている。
「早いですね」
月城は楽しそうに言った。
司馬は無言のまま立っている。
別のモニターでは、龍園が立ち上がっていた。
宝泉が笑っていた。
坂柳が杖を手に取っていた。
天沢が嬉しそうに髪を揺らしていた。
八神が資料を閉じていた。
七瀬が迷うように顔を上げていた。
白銀禁止区域が動き始めている。
月城はスピーカーのスイッチに手を伸ばした。
そして、施設全体へ向けて告げる。
『皆さん』
その声は、廊下にも、訓練室にも、収容区画にも響いた。
『お待たせしました』
龍園が笑う。
宝泉が拳を鳴らす。
天沢が目を輝かせる。
坂柳が静かに微笑む。
八神が立ち上がる。
七瀬は唇を結ぶ。
月城は続けた。
『綾小路清隆くんと朝霧海斗くんが、白銀禁止区域へ入りました』
その言葉が、全ての区画に落ちる。
『これより、ブラックルーム特別実験を開始します』
綾小路は地下搬送路の入口で、その放送を聞いていた。
海斗も足を止める。
佐倉の顔が青ざめる。
真鍋が小さく舌打ちする。
「特別実験?」
海斗が呟いた。
「悪趣味な名前だな」
綾小路は前を見た。
搬送路の奥には、白い照明が点々と続いている。
その先に、堀北と麗華がいる。
その途中に、龍園たちがいる。
そして、まだ見えていない何かがいる。
「行くぞ」
綾小路は言った。
海斗は笑った。
「ああ」
二人は地下搬送路へ踏み込んだ。
その先で待つのは、失敗者たちの地獄。
そして、完成形を巡る戦いだった。
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