ザ・ダイハード・マスターピース 作:EXTERMINATION
地下搬送路は、白い照明に照らされていた。
だが、その白さは清潔さではなく、むしろ冷たさを強調していた。
壁も床も天井も、無機質なコンクリートで覆われている。
一定間隔で監視カメラが設置され、
天井のスピーカーは沈黙したままこちらを見下ろしていた。
綾小路清隆は先頭を歩き、その少し後ろを朝霧海斗が続く。
その後ろに佐倉愛里。
さらに最後尾に真鍋志保。
奇妙な組み合わせだった。
元同級生。
元退学者。
誘拐された少女たちを救うために侵入した二人。
そして、ブラックルームの中で生き延びてきた二人。
誰かがこの光景を見れば、敵味方の区別などすぐにはつかなかっただろう。
「この先が居住区」
佐倉が小さく言った。
声はまだ震えていた。
だが、彼女は逃げ出さなかった。
綾小路は振り返らずに尋ねる。
「退学者たちがいるのか」
「うん」
「人数は?」
「正確には分からない。でも、私が見た限りでは何十人もいる」
「全員が元高育生か」
「たぶん、そう」
その言葉は重かった。
高度育成高等学校。
退学すれば終わり。
そう思われていた。
少なくとも、表向きには。
だが、実際には違った。
退学した者の一部は、社会へ戻ることなく、
この白銀禁止区域へ運び込まれていた。
失敗者。
不要になった者。
利用価値が残っている者。
月城の言葉が、綾小路の中で再び浮かぶ。
ホワイトルームが成功例を作る場所なら、
ブラックルームは失敗例を再利用する場所。
それは、言葉にすれば簡単だった。
だが、その意味はあまりにも悪質だった。
「ここでは、どうやって生活している」
綾小路が尋ねた。
佐倉が答える前に、真鍋が鼻で笑った。
「生活っていうか、飼育だよ」
佐倉は真鍋を見る。
真鍋は構わず続けた。
「部屋は与えられる。食事も出る。服も支給される。
でも全部ポイント制。協力すれば良いものがもらえる。
逆らえば減らされる。さらに逆らえば、処分区画」
「月城に協力すると優遇されるのか」
「そう」
真鍋は短く答えた。
「だからみんな従う。従わなきゃ生きられないから」
海斗が振り返った。
「それでお前は協力者になったのか」
真鍋の表情が険しくなる。
「悪い?」
「悪いかどうかは知らねぇ」
海斗は淡々と言った。
「でも、好きでやってる顔には見えねぇな」
真鍋は黙った。
その沈黙が答えだった。
綾小路は何も言わない。
真鍋志保は加害者だった。
佐倉を傷つけていた。
この場所でも、同じように弱い者を踏んできたのだろう。
だが、それは真鍋だけの問題ではない。
この施設そのものが、人間をそうさせるように作られている。
誰かを踏めば食事が増える。
従えば待遇が良くなる。
逆らえば消える。
そういう環境に長く置かれれば、人は簡単に変わる。
あるいは、変わらなければ壊れる。
「嫌な仕組みだな」
海斗が言った。
「ええ」
佐倉が小さく頷いた。
「でも、みんな最初から悪い人だったわけじゃないと思う」
「佐倉」
真鍋が苛立ったように言った。
「そういうの、やめなよ」
「でも……」
「みんな怖いだけ、とか言いたいんでしょ?」
真鍋は吐き捨てるように言った。
「そういう綺麗事が一番ムカつく」
佐倉は俯いた。
だが、以前のように何も言えなくなるわけではなかった。
「綺麗事かもしれない」
佐倉は言った。
「でも、そう思わないと、ここでは何も残らないから」
真鍋は言葉を詰まらせた。
海斗は二人のやり取りを横目で見ていた。
綾小路もまた、佐倉の変化を感じ取っていた。
弱いままではない。
強くなったとも言い切れない。
だが、佐倉愛里はこの場所で、
自分の中に残ったものを必死に守ってきたのだろう。
地下搬送路の先に、広い空間が見えてきた。
鉄製の扉。
その上には第三区画居住ブロックと表示されている。
扉の横には監視端末。
だが、ロックは解除されていた。
明らかに、入れと言っている。
海斗が笑う。
「また招待か」
「そうだな」
綾小路は扉の向こうを見た。
「ここからは、今までより危険だ」
「今さらだろ」
海斗が扉を押した。
重い音を立てて、扉が開く。
その向こうに広がっていたのは、奇妙な街だった。
地下空間の中に作られた居住区。
天井は高く、人工の照明が昼のように空間を照らしている。
左右には小さな個室が並び、中央には食堂のような広場があった。
壁際には自動販売機。
古びたソファ。
机。
監視カメラ。
そして、人。
何十人もの退学者たちがいた。
ある者は壁にもたれて座っている。
ある者は食堂の机に突っ伏している。
ある者はカードゲームのようなものをしている。
ある者は、こちらを見てすぐに目を逸らした。
年齢はほとんど同じ。
高校生。
本来なら学校にいるはずだった者たち。
だが、その目は高校生のものではなかった。
諦め。
警戒。
敵意。
空腹。
退屈。
恐怖。
それらが混ざり合った目で、彼らは綾小路たちを見ていた。
「……何だ、あいつら」
誰かが呟いた。
「外の人間?」
「いや、あれ綾小路じゃね?」
「本物か?」
「月城が言ってた奴だ」
ざわめきが広がる。
退学者たちの視線が集まる。
綾小路は周囲を観察した。
武器を持っている者がいる。
拳銃を腰に差している者。
長物を壁に立てかけている者。
明らかに銃器だった。
全員が武装しているわけではない。
だが、月城が必要に応じて武器を配っているのは間違いなかった。
「高校の退学者が銃持ってるとはな」
海斗が呟く。
「ここでは、もう生徒ではないということだろう」
綾小路は答えた。
「面倒だな」
「同感だ」
佐倉は周囲の視線に怯えながらも、前へ出た。
「みんな、聞いて」
その声は大きくなかった。
だが、居住区の一部が静かになった。
佐倉愛里。
彼女はここで目立つ存在ではなかったはずだ。
だが、それでも何人かは彼女を見た。
「この人たちは敵じゃない」
佐倉は言った。
「堀北さんと二階堂さんを助けに来ただけなの」
退学者の一人が笑った。
「だから何?」
別の一人が言った。
「助けに来た?じゃあ俺たちは?」
「俺たちも助けてくれんの?」
「無理に決まってんだろ」
「外の奴はいつもそうだ。自分の知り合いだけ助けて終わり」
言葉が広がる。
敵意が増していく。
佐倉は言葉を詰まらせた。
真鍋が舌打ちする。
「だから言ったじゃん。こんなの無理だって」
「真鍋さん」
「ここにいる連中は、みんな何かを失ってる。そんな簡単に信じるわけない」
その言葉は冷たかった。
だが、正しかった。
綾小路は周囲の退学者たちを見る。
彼らは月城に支配されている。
同時に、外の世界にも見捨てられたと感じている。
その状態で突然現れた綾小路たちを、
救いとして見る者もいれば、敵として見る者もいる。
そして今、月城が動いた。
居住区全体にスピーカー音が響く。
退学者たちが一斉に顔を上げた。
『皆さん』
月城の声だった。
穏やかで、よく通る声。
『突然の訪問者に驚いていることでしょう』
居住区の大型モニターに月城の姿が映る。
退学者たちは黙ってそれを見た。
『彼らは綾小路清隆くんと朝霧海斗くん。
現在、ブラックルーム特別実験の対象となっています』
海斗が顔をしかめる。
「勝手に対象にすんなよ」
月城は当然聞いていない。
『ここで一つ、皆さんに機会を与えましょう』
その言葉に、退学者たちの空気が変わった。
機会。
この場所では、その言葉には重みがある。
待遇改善。
食料。
居住区の移動。
処分回避。
あるいは、自由。
『綾小路清隆くん、あるいは朝霧海斗くんのどちらかを捕らえた者には、
特別免除を与えます』
ざわめきが生まれる。
『協力者ランクの引き上げ。処分履歴の抹消。そして、外部移送の権利』
その瞬間、空気が完全に変わった。
外部移送。
つまり、ここから出られる可能性。
それが本当かどうかは分からない。
月城が約束を守る保証もない。
だが、ここに閉じ込められた者たちにとって、その言葉はあまりにも強すぎた。
退学者たちの目が、綾小路と海斗へ向く。
先ほどまでの敵意とは違う。
獲物を見る目。
助かるための手段を見る目。
『なお、殺害は推奨しません』
月城は続けた。
『ですが、状況によっては不問とします』
海斗が低く笑った。
「最悪だな、あいつ」
綾小路は冷静に周囲を見る。
退学者たちの何人かが立ち上がった。
拳銃を抜く。
長物を手に取る。
中には手製の火炎瓶のようなものを持つ者もいた。
訓練された兵士ではない。
構えも甘い。
呼吸も乱れている。
だが、数が多い。
そして、必死だった。
必死な素人ほど厄介なものはない。
予測できないからだ。
佐倉が叫んだ。
「やめて!」
だが、誰も止まらない。
「佐倉、下がれ」
綾小路が言った。
「でも……!」
「撃たれる」
その一言で、佐倉は息を呑んだ。
最初の銃声が鳴った。
弾丸が壁に当たり、火花が散る。
それを合図に、居住区は戦場になった。
綾小路は佐倉の腕を引き、近くのコンクリート柱の陰へ押し込んだ。
海斗は真鍋を片手で掴み、同じく遮蔽物の裏へ放り込む。
「ちょっと!」
「文句は後にしろ」
海斗は拳銃を抜いた。
だが、すぐには撃たない。
相手は元生徒たち。
武装しているとはいえ、訓練された兵士ではない。
この距離で本気で撃てば、簡単に死ぬ。
「殺すな」
綾小路が言った。
「分かってる」
海斗は即答した。
「佐倉に怒られそうだからな」
「理由はどうでもいい」
「だろうな」
銃声が続く。
退学者たちは一斉に撃っているわけではない。
恐怖に任せて引き金を引いている者。
狙いをつけようとしている者。
味方の射線を塞いでいる者。
混乱している者。
その混乱は、綾小路にとって利用できる要素だった。
「右の照明」
綾小路が言った。
海斗は見もせずに撃った。
銃弾が照明を砕く。
居住区の一角が暗くなる。
その瞬間、綾小路が動いた。
柱の陰から低く飛び出し、近くにいた退学者の手首を蹴り上げる。
拳銃が宙へ舞う。
そのまま肘を相手の胸元へ入れ、呼吸を止める。
殺さない。
だが動けなくする。
次の相手が銃口を向ける前に、
綾小路は倒れた男の身体を遮蔽物に使い、距離を詰めた。
手首。
肘。
膝。
武器を落とさせ、動きを止める。
一つ一つの動きに無駄がない。
まるで、戦闘ではなく作業をしているようだった。
一方、海斗はまったく違っていた。
遮蔽物から飛び出し、真正面から突っ込む。
「うおおっ!」
退学者の一人が恐怖で銃を乱射する。
海斗は横へ跳び、壁を蹴り、相手の懐へ入った。
拳銃のグリップで手首を叩く。
銃を落とす。
そのまま膝を腹に入れて沈める。
次の相手には脚を撃つ。
太腿の外側。
動脈を外した位置。
殺さず、走れなくする。
三人目には肩。
四人目には銃を持つ手の甲すれすれ。
海斗の動きは荒い。
だが、撃つ場所は妙に正確だった。
「何なんだよ、こいつら!」
退学者の一人が叫ぶ。
「撃て!撃てって!」
恐怖がさらに銃声を生む。
弾丸が食堂の机を砕く。
ガラスが割れる。
壁のモニターが火花を散らす。
佐倉は柱の陰で身を縮めていた。
だが、ただ震えているだけではなかった。
「やめて!」
佐倉は叫んだ。
「月城さんを信じちゃ駄目!」
その声は銃声にかき消されそうだった。
それでも、何人かは彼女を見た。
「外に出られるなんて嘘だよ!」
佐倉は必死に続けた。
「月城さんは、誰も助けてくれない!私たちを利用してるだけ!」
「黙れ!」
銃を持った退学者が佐倉へ銃口を向けた。
綾小路がそれより早く動いた。
テーブルの上に転がっていた金属製のトレーを蹴り上げる。
トレーが回転しながら飛び、銃口に当たる。
発砲。
弾は天井へ逸れた。
次の瞬間、海斗がその退学者の顔面すれすれに拳を止めた。
風圧だけで相手の髪が揺れる。
退学者は腰を抜かした。
海斗は低く言った。
「佐倉を撃とうとすんな」
その声には、先ほどまでの軽さがなかった。
退学者は震えながら頷く。
海斗はそのまま銃を奪い、弾倉を抜いて床へ放った。
真鍋はその様子を見ていた。
信じられないものを見るように。
「何で……」
真鍋が呟く。
「何で殺さないのよ」
海斗は振り返らない。
「殺す必要がねぇから」
「向こうは撃ってきてる!」
「下手だ」
「そういう問題じゃないでしょ!」
真鍋の声には苛立ちと混乱が混ざっていた。
ここでは、先に踏みつけなければ踏みつけられる。
そのルールで生きてきた真鍋にとって、海斗と綾小路の戦い方は理解できなかった。
相手を倒している。
だが、必要以上に壊さない。
それは甘さではなく、圧倒的な余裕だった。
「真鍋さん」
佐倉が言った。
「お願い、手伝って」
「は?」
「みんなを止めたい」
「何言ってんの?あんた、まだそんなこと……」
その時、流れ弾が柱を削った。
佐倉が小さく悲鳴を上げる。
真鍋は舌打ちした。
「本当に馬鹿」
そう言いながら、真鍋は床に落ちていた館内放送用の小型端末を拾った。
協力者として使っていたものだろう。
操作方法を知っている。
真鍋はスイッチを入れた。
「聞きなさいよ!」
居住区のスピーカーから真鍋の声が響いた。
退学者たちの一部が動きを止める。
「月城なんか信じても無駄!外部移送なんて、今まで誰もされたことない!」
その言葉に、ざわめきが広がった。
「協力者ランクが上がったって、ここからは出られない!
食事が少しマシになって、部屋が少し広くなるだけ!」
真鍋は叫んだ。
「それでもいいなら撃てば!?でもその先には何もない!」
退学者たちの動きが鈍る。
真鍋志保。
彼女はこの場所で協力者として振る舞ってきた。
だからこそ、その言葉には重みがあった。
月城を信じるな。
外には出られない。
その事実を、彼女は知っている。
「真鍋さん……」
佐倉が驚いたように見た。
真鍋は顔を逸らした。
「勘違いしないで。あいつらの言いなりになるのがムカついただけ」
だが、その声は震えていた。
綾小路はその隙を逃さなかった。
「海斗」
「ああ」
二人は同時に動いた。
綾小路は左へ。
海斗は右へ。
混乱して動きの止まった退学者たちの武器を次々に奪う。
銃を蹴り飛ばす。
弾倉を抜く。
腕を取って床へ伏せる。
机を倒して遮蔽物を作る。
数分後、銃声は止んでいた。
床には弾薬。
壊れた椅子。
割れた食器。
倒れた退学者たち。
だが、死者はいない。
呻き声はある。
痛みに顔を歪めている者もいる。
だが、誰も命を奪われてはいなかった。
海斗は奪った拳銃を確認し、使えそうなものだけを二丁腰に差した。
綾小路も弾薬を拾い、必要な分だけ確保する。
「海斗、撃ち方が雑なようで正確だな」
綾小路が言った。
「褒めてんのか?」
「評価している」
「似たようなもんだろ」
海斗は笑った。
「綾小路こそ、動きが気持ち悪いな。
最初から相手の関節がどっちに折れるか分かってるみてぇだった」
「折ってはいない」
「だから気持ち悪いんだよ」
二人の会話を、佐倉は呆然と聞いていた。
真鍋も同じだった。
この二人は、今しがた数十人の武装した退学者を相手に戦った。
それなのに、息一つ大きく乱していない。
まるで、本番前の準備運動だったかのように。
「……本当に何なのよ」
真鍋が呟いた。
「マスターピース」
突然、倒れていた退学者の一人が言った。
綾小路が視線を向ける。
その退学者は笑っていた。
恐怖と興奮が混ざった顔で。
「月城が言ってた。お前らは完成形だって」
海斗が眉をひそめる。
「完成形ねぇ」
「ブラックルームにもいるんだろ?」
別の退学者が呟いた。
その瞬間、佐倉の表情がわずかに強張った。
綾小路はそれを見逃さなかった。
「ブラックルームにも、とはどういう意味だ」
退学者は口を閉じた。
恐怖。
月城への恐怖ではない。
もっと別の何かへの恐怖。
真鍋が小さく言った。
「その話は、今はしない方がいい」
「なぜ」
「あれは……」
真鍋は言いかけて、やめた。
佐倉も俯いている。
綾小路は追及しなかった。
今ここで聞き出しても、時間を失うだけだ。
だが、情報としては残る。
ブラックルームにも完成形がいる。
月城がまだ見せていない何か。
それは、いずれ必ず現れる。
居住区の大型モニターが突然点灯した。
壊れたはずのモニターとは別のものだった。
画面に月城が映る。
彼は拍手をしていた。
『素晴らしい』
海斗が舌打ちした。
「出たな、観客野郎」
『お見事です。武装した退学者29名を相手に、死者ゼロ。
綾小路くんも朝霧くんも、期待以上の制圧能力です』
「実験結果でも記録しているつもりか」
綾小路が言った。
『もちろんです』
月城は悪びれもせず答えた。
『ここはブラックルームですから』
「退学者を使い捨てにするのが実験か」
『使い捨てではありません。彼らにも選択肢を与えました』
「自由を餌にしただけだろ」
海斗が言う。
月城は微笑む。
『餌に食いつくかどうかも、立派な観察対象です』
佐倉が唇を噛む。
真鍋は拳を握りしめていた。
月城は画面の中で静かに視線を動かした。
『佐倉愛里さん。真鍋志保さん。あなた方の行動も記録されています』
佐倉の肩が震える。
真鍋は強がるように笑った。
「だから何?」
『協力者からの逸脱行為。および観察対象の誘導。通常なら処分区画行きです』
真鍋の顔色が変わる。
だが月城は続けた。
『ですが今回は特別実験中です。もう少し泳がせましょう』
「趣味悪いわね」
真鍋が吐き捨てる。
『よく言われます』
月城は微笑んだまま、モニターの表示を切り替えた。
そこに映ったのは、別の通路だった。
薄暗い廊下。
その中央に、一人の男が立っている。
龍園翔。
彼はモニター越しにこちらを見ているように笑っていた。
『では、次の実験に移りましょう』
月城の声が響く。
『龍園翔くん』
画面の中で、龍園が首を鳴らした。
『待ちくたびれたぜ』
その声が居住区のスピーカーから流れる。
佐倉が息を呑む。
真鍋が一歩後退する。
綾小路は無言でモニターを見た。
海斗は笑った。
「こいつが龍園か」
「知っているのか」
綾小路が尋ねる。
「名前だけな。お前に復讐したがってるって聞いた」
「そうか」
「随分と楽しそうじゃねぇか」
「本人はな」
モニターの中の龍園は、明らかに高揚していた。
復讐。
執着。
破滅。
それらを全部抱えたまま、なお笑っている。
月城が言った。
『中央搬送路を抜ければ、人質管理区画へ近づけます。
ですが、その道は龍園くんが担当しています』
「分かりやすい案内だな」
海斗が言った。
『分かりやすい方が、お互い楽しめるでしょう』
「オレは楽しみに来たわけじゃねぇ」
『ですが、楽しむ才能はありそうです』
海斗の目が少しだけ細くなった。
月城は続ける。
『綾小路くん。あなたにとっても、彼は無視できない相手でしょう』
「必要なら排除する」
『冷静ですね』
「それ以外に言うことはない」
龍園が画面の向こうで笑った。
『クク……相変わらずムカつく野郎だな、綾小路』
その声は、直接こちらに届いていた。
『来いよ。今度こそ、てめぇの顔を歪ませてやる』
画面が切れる。
居住区に沈黙が落ちた。
退学者たちは誰も動かない。
先ほどまで綾小路たちを撃っていた者たちも、
今はただ怯えたように道を開けている。
彼らは理解したのだ。
自分たちでは、この二人を止められない。
そして、ここから先は自分たちが踏み込める領域ではない。
佐倉が不安そうに言った。
「龍園くんは……危険だよ」
「知っている」
綾小路は短く答えた。
「今の龍園くんは、前と違う」
佐倉の声は震えていた。
「あの事件のあと、ずっと綾小路くんのことを……」
「分かっている」
綾小路は佐倉を見た。
「お前たちはここに残れ」
佐倉が驚く。
「でも、案内が……」
「ここから先は戦闘になる」
海斗も言った。
「ついてきたら巻き込まれるぞ」
真鍋は悔しそうに顔を歪めた。
「足手まといってこと?」
「そうだ」
海斗は遠慮なく言った。
真鍋が睨む。
だが、否定はできない。
佐倉は拳を握った。
「私は……」
言いかけて、止まる。
行きたい。
助けたい。
何かしたい。
だが、今の自分がついて行けば、綾小路たちの負担になる。
その事実を、佐倉は理解していた。
綾小路は言った。
「ここで退学者たちを止めてくれ」
佐倉が顔を上げる。
「え?」
「この先で戦闘が起きれば、また月城は彼らを使う。
お前と真鍋がここに残れば、少なくとも一部は抑えられる」
真鍋が目を細めた。
「私も?」
「お前は協力者として顔が利く」
「利用するわけね」
「そうだ」
綾小路は隠さなかった。
真鍋は一瞬だけ呆れた顔をしたあと、少し笑った。
「ほんと、嫌な奴」
「よく言われる」
佐倉は綾小路を見つめた。
そして、小さく頷いた。
「分かった」
その声は弱くなかった。
「ここは私たちが何とかする」
真鍋が隣で舌打ちする。
「勝手に私を入れないでよ」
「真鍋さん」
「……分かったわよ」
真鍋は腕を組んだ。
「ここで月城の言いなりになってる連中を止めればいいんでしょ」
海斗が笑った。
「頼りになるじゃねぇか」
「うるさい」
綾小路は頷いた。
「行くぞ、海斗」
「ああ」
二人は居住区の出口へ向かった。
退学者たちは道を開ける。
誰も撃たない。
誰も止めない。
ただ、見ている。
恐怖と期待が混ざった目で。
綾小路と海斗が扉を抜ける直前、佐倉が声をかけた。
「綾小路くん」
綾小路は振り返る。
佐倉は少しだけ迷ったあと、言った。
「堀北さんを、助けて」
「ああ」
佐倉は次に海斗を見た。
「二階堂さんも」
海斗は軽く手を振った。
「任せろ」
扉が閉まる。
居住区の喧騒が遠ざかる。
二人は中央搬送路へ続く暗い通路に立っていた。
綾小路は奪った拳銃の残弾を確認する。
海斗も同じように武器を確認し、弾倉を差し替えた。
「次は龍園か」
海斗が言った。
「ああ」
「お前の因縁だろ」
「そうだな」
「なら邪魔しねぇ方がいいか?」
綾小路は少しだけ考えた。
「状況次第だ」
「つまんねぇ答えだな」
「だが正しい」
海斗は笑った。
「気に入った」
二人は歩き出した。
通路の奥から、かすかに金属音が響く。
誰かが待っている。
龍園翔。
綾小路への復讐を望む男。
白銀禁止区域の中で、その執着はさらに濃くなっているはずだった。
綾小路は静かに前を見る。
海斗は口元に笑みを浮かべる。
失敗者たちの楽園を抜けた先で、次の地獄が待っていた。
モチベ維持のために感想・評価をもらえると幸いです。