ザ・ダイハード・マスターピース 作:EXTERMINATION
轟音が、白銀禁止区域の地下格納区画を震わせた。
それは銃声ではなかった。
鉄骨の軋み。
崩れた足場。
破裂した配管。
そして、龍園翔の拳が朝霧海斗の防御を強引に押し潰した音だった。
「どうしたよ、ボディガード」
龍園は口元を歪めた。
「守る相手がいねえと、そんなもんか?」
「お前みたいな面倒臭ぇ不良の相手してやってるだけ感謝しろよ」
海斗は後方へ滑るように下がり、片膝を落としかけた身体を無理やり立て直した。
頬には薄く傷が走り、制服の袖は破れ、拳の皮膚は擦れていた。
だが、その目だけは揺れていなかった。
龍園はそれが気に入らなかった。
綾小路清隆と同じだった。
殴っても、蹴っても、脅しても、挑発しても、奥底が見えない。
恐怖で動くわけでもない。
怒りで我を失うわけでもない。
ただ、必要なことをするために、そこに立っている。
「……似てるな」
龍園が低く呟いた。
海斗は短く息を整えながら、龍園を見据えた。
「あ?誰にだよ」
「決まってんだろ」
龍園は床に唾を吐き捨てるように笑った。
「綾小路だよ」
その名が出た瞬間、海斗の表情がわずかに変わった。
龍園は見逃さなかった。
「知ってる顔だな」
「……知らないとは言ってねえよ」
「へえ」
龍園の笑みが深くなる。
「面白え。お前もあいつを知ってる側の人間か」
海斗は答えなかった。
答える必要がなかった。
龍園はすでに理解していた。
朝霧海斗は、ただの二階堂麗華の護衛ではない。
ただ戦闘訓練を受けた学生でもない。
あの綾小路清隆という異物を知り、
その異物と比較されるだけの何かを持っている人間だった。
だからこそ、龍園の中で熱が上がった。
「いいぜ。なら証明してみろよ」
龍園は首を鳴らした。
「お前が綾小路に似てるだけの偽物か、それとも別物の怪物か」
次の瞬間、龍園が踏み込んだ。
直線的な突進。
だが単純ではない。
肩を揺らし、視線をずらし、拳の軌道を最後まで読ませない。
喧嘩慣れした人間だけが持つ、野生のフェイント。
海斗は一歩だけ横へ動いた。
拳が頬の横を通過する。
風圧が髪を揺らした。
海斗はそのまま龍園の肘を取ろうとした。
だが龍園は読んでいた。
空振りした拳をそのまま振り抜かず、途中で肘を畳み、肩から体当たりを入れる。
海斗の胸に衝撃が走った。
息が詰まる。
それでも海斗は後退しない。
龍園の体重が乗った瞬間、軸足をずらし、相手の力を斜めへ流す。
龍園の身体が半歩だけ崩れた。
その半歩で十分だった。
海斗の膝が龍園の腹部へ入る。
鈍い音。
龍園の身体がわずかに浮いた。
だが龍園は笑っていた。
「軽いな」
龍園の左手が海斗の襟を掴んだ。
引き寄せる。
同時に頭突き。
海斗は額を逸らして直撃を避けたが、こめかみの近くに衝撃が走った。
視界が一瞬だけ揺れる。
その隙に龍園の右拳が飛んだ。
海斗は腕で受けた。
骨が軋むような痛み。
それでも、腕を下げなかった。
龍園は獰猛に笑った。
「いい防御だ。だが防いでばかりじゃ勝てねえぞ」
「防いでいるだけに見えるなら」
海斗は静かに言った。
「お前の目も、まだ完全じゃねえよ」
龍園の眉が動いた。
その瞬間、海斗の足が動いた。
蹴りではない。
龍園の軸足の外側を軽く払うだけの動き。
威力はない。
だが、龍園の体勢を一瞬だけ乱すには十分だった。
海斗はその隙に襟を掴む龍園の手首を返し、肘を押さえ込む。
関節技。
龍園の腕が不自然な角度に曲がりかけた。
だが龍園は引かなかった。
むしろ前へ出た。
痛みを無視して、海斗の間合いへさらに踏み込む。
普通なら腕を守る。
普通なら距離を取る。
だが龍園は違う。
壊される前に、壊す。
その発想だけで動く。
龍園の膝が海斗の太腿を打った。
海斗の足がわずかに沈む。
その一瞬で関節の固定が緩んだ。
龍園は腕を強引に抜き、海斗の肩を掴んで鉄柱へ叩きつけた。
背中に衝撃。
肺から空気が押し出される。
天井の照明がちらついた。
火花が落ちる。
地下格納区画には、すでにまともな明かりなど残っていなかった。
赤い非常灯。
白い蒸気。
黒い影。
そして、その中で殴り合う二人。
まるで、学校の地下ではなく、戦場の廃墟だった。
一方その頃。
綾小路清隆は、別の通路で退学者たちの銃撃を受けていた。
「いたぞ!」
「撃て!」
乾いた銃声が連続した。
壁に穴が空き、コンクリート片が床へ散る。
綾小路は走らない。
必要以上に慌てない。
銃口の向き。
相手の呼吸。
発砲前の肩の動き。
それらを淡々と読み取り、最小限の動きで弾道から外れていく。
もちろん、銃弾を見て避けているわけではない。
撃たれる前に、撃たれる場所から消えているだけだ。
それは常人から見れば同じことだった。
「なんで当たらねえんだよ!」
退学者の一人が叫んだ。
綾小路はその声の位置を確認し、床に落ちていた金属片を蹴った。
金属片は床を滑り、壁に当たって甲高い音を立てた。
退学者たちの視線が一瞬そちらへ向く。
その一瞬で、綾小路は距離を詰めていた。
まず一人目。
銃を持つ手首を打つ。
銃が床へ落ちる。
二人目。
肘を押さえ、体勢を崩す。
三人目。
足を払って壁へ押し付ける。
誰も致命傷は負っていない。
だが、立ち上がることもできない。
綾小路は落ちた銃を拾わなかった。
代わりに、弾倉だけを抜き、遠くへ滑らせた。
「……月城はどこだ」
誰も答えない。
恐怖で口が動かない者。
悔しさで歯を食いしばる者。
綾小路はその反応だけで十分だった。
月城はまだ奥にいる。
司馬もいる。
そして、おそらく堀北と麗華もまだ生きている。
ならば進むだけだった。
その頃、龍園と海斗の戦いはさらに激しさを増していた。
龍園が鉄パイプを蹴り上げた。
床を転がっていたそれが跳ね、龍園の手に収まる。
「素手でやると思ったか?」
「武器持たないと落ち着かねえのか。かわいいな」
海斗は短く答えた。
「ハッ、分かってんじゃねえか」
龍園は笑いながら鉄パイプを横薙ぎに振った。
海斗は身を低くして避ける。
直後、龍園は軌道を変え、上から叩きつけた。
海斗は横へ跳ぶ。
鉄パイプが床に激突し、火花が散った。
その破片が海斗の頬をかすめる。
海斗は距離を詰めようとする。
だが龍園はそれを許さない。
鉄パイプのリーチを使い、一定の間合いを保つ。
ただ振り回しているだけではない。
壁。
柱。
床の段差。
壊れた機材。
すべてを利用して、海斗の進路を削っている。
龍園翔は馬鹿ではない。
暴力的なだけではない。
勝つためなら、地形も武器も心理も使う。
だから厄介だった。
「どうした。守るだけか?」
龍園が笑う。
「綾小路なら、もう少し面白え返し方をするぜ」
「そりゃ悪かったな。オレはお前を笑わせるために来たわけじゃねえ」
その挑発に、海斗は乗らなかった。
だが、龍園は感じていた。
海斗の呼吸が変わった。
怒りではない。
焦りでもない。
決断。
何かを切り替えた人間の呼吸だった。
海斗は龍園を自分より格下だと見ていた。
侮っているわけではない。
龍園翔という男が危険であることも、執念深く、
地形も心理も武器も使う厄介な相手であることも理解している。
龍園の攻撃は荒く、強引で、読みにくい。
だから完全に避け続けるより、多少の被弾を織り込んででも前へ出た方が早い。
真正面からすべてを受ければ危険。
だが、要所だけを外し、致命打だけを避け、浅い傷を許容して距離を潰す。
それが、この相手に対する最短の答えだった。
格上を相手にする時ほど、人は慎重になる。
一撃のミスが敗北に直結するからだ。
だが、自分より下にいる相手なら、多少削られても構わない。
最後に崩せばいい。
海斗は、そう判断していた。
だから受けた。
だから踏み込んだ。
そして今、決めに行く。
海斗は床に落ちていた小さなボルトを踏んだ。
そのまま蹴る。
ボルトが龍園の顔面へ飛ぶ。
龍園は首を傾けて避けた。
その瞬間、海斗は前へ出ていた。
龍園が鉄パイプを振る。
海斗は左腕で受ける。
直撃ではない。
角度をつけて滑らせる。
鉄パイプの軌道が逸れる。
海斗はその下を潜り、龍園の懐へ入った。
拳。
一撃目は腹部。
二撃目は胸部。
三撃目は顎の下。
龍園の身体が揺れた。
だが倒れない。
龍園は笑いながら、海斗の肩を掴んだ。
「捕まえたぜ」
龍園の膝蹴り。
海斗は肘で受けた。
衝撃が腕に走る。
龍園はさらに力任せに押し込んだ。
二人の身体がもつれ、近くの制御盤へ突っ込む。
火花が散った。
警報音が鳴る。
赤いランプが回転し始めた。
『冷却系統、異常発生』
機械音声が響いた。
『第三区画、温度上昇』
龍園は笑った。
「いいじゃねえか。盛り上がってきた」
海斗は制御盤から身体を離し、周囲を一瞬だけ確認した。
冷却管。
燃料管。
破損した電源ケーブル。
このまま戦えば爆発する。
龍園もそれを理解している。
理解した上で、止める気がない。
海斗は眉をわずかに寄せた。
「ここで爆発すれば、お前も巻き込まれるぜ」
「だからどうした」
龍園は即答した。
「勝つか負けるかだろ」
「違うな」
海斗の声が低くなる。
「生きて戻るかどうかだ」
龍園の目が細くなった。
「それはお前の役目か」
「そうだ」
海斗は言った。
「オレは麗華を守るためにここにいる。だが、それだけじゃねえ」
龍園は黙って聞いた。
「綾小路が堀北を助けるなら、オレは麗華を助ける。
ここにいる人間を、必要以上に死なせるつもりもねえ」
龍園は一瞬、つまらなそうに見えた。
だが次の瞬間、笑った。
「綺麗事だな」
「悪党に言われると褒め言葉だな」
「嫌いじゃねえよ」
龍園は鉄パイプを捨てた。
重い音が床に響く。
「なら、綺麗事を通してみろ」
龍園が素手で構えた。
「やってやるさ」
海斗も構え直す。
非常灯が二人を赤く照らした。
次で決まる。
二人とも、それを理解していた。
龍園は全身の力を抜いた。
それは意外な構えだった。
力任せに突っ込むのではない。
相手に先に動かせるための構え。
海斗は動かない。
龍園も動かない。
数秒。
だが、その数秒が異常に長かった。
火花が落ちる。
警報が鳴る。
遠くで銃声が響く。
そして、同時に動いた。
龍園は右に見せかけて左へ踏み込んだ。
海斗はそれを読んでいた。
だが龍園はさらにその読みを外した。
左へ踏み込んだ足を途中で止め、上体だけを前に飛ばす。
拳ではない。
掴み。
海斗の腕を捕まえ、崩すための動き。
海斗は腕を引かない。
逆に差し出した。
龍園の指が海斗の袖を掴む。
その瞬間、海斗の身体が沈んだ。
龍園の力の方向が下へ流れる。
海斗は龍園の手首を固定し、肩を支点にして身体を回した。
投げ。
龍園の体が宙に浮きかける。
だが龍園は床を蹴った。
無理やり重心を戻す。
投げは失敗した。
しかし海斗の狙いは投げではなかった。
龍園が踏ん張る。
その瞬間、腹部が開く。
海斗の拳が入った。
一撃。
深く、短く、逃げ場のない一撃。
龍園の呼吸が止まった。
続けて、海斗の肘が龍園の胸元へ入る。
龍園の身体が後ろへ流れる。
それでも倒れない。
海斗は最後の一歩を踏み込んだ。
掌底。
龍園の顎ではない。
胸の中心。
心臓の上でもない。
呼吸を奪い、身体の軸を崩す位置。
龍園の足が床から離れた。
背中から鉄柱へ叩きつけられる。
重い音。
鉄柱が震える。
龍園は膝をついた。
それでも、笑っていた。
「……やるじゃねえか」
海斗は構えを解かなかった。
龍園はゆっくり顔を上げる。
「今のは、綾小路とは違うな」
海斗は無言だった。
「綾小路はもっと冷てえ。お前は……面倒くせえくらい守る側の人間だ」
龍園は立ち上がろうとした。
だが身体が動かなかった。
限界だった。
龍園自身が誰よりも理解していた。
これ以上は、気合では埋まらない。
敗北。
その二文字が、龍園の中で静かに形を取った。
だが、不思議と不快ではなかった。
「朝霧海斗」
龍園は初めて、名前をはっきり呼んだ。
「お前、綾小路の偽物じゃねえ」
海斗はわずかに目を細めた。
龍園は笑った。
「別の厄介者だ」
その瞬間、区画の奥で爆発が起きた。
破裂した冷却管から白い蒸気が噴き上がり、天井の一部が崩れ落ちる。
海斗は反射的に龍園の襟を掴み、崩落地点から引きずり出した。
龍園は目を見開いた。
「敵を助けるのかよ」
「死なれると後味が悪いからな」
「甘いな」
「お前は逆に人生が辛口カレーすぎるんだよ」
海斗は龍園を壁際へ放るように座らせた。
龍園は咳き込みながらも笑った。
「行けよ。女を助けに来たんだろ」
海斗は龍園を見た。
「月城の目的を知っているか」
龍園はしばらく黙った。
そして、吐き捨てるように言った。
「あいつは綾小路を壊す気だ。堀北も、二階堂も、俺たちも、そのための駒だ」
龍園は低い声で言った。
「月城があそこまで余裕こいてる理由が、俺や宝泉や坂柳だけのはずがねえ」
海斗は頷いた。
「分かった」
「それと」
龍園は壁にもたれながら言った。
「綾小路に伝えろ」
海斗は振り返る。
龍園は血の混じらない笑みを浮かべた。
「次は、あいつとやる」
海斗は少しだけ息を吐いた。
「伝えるかどうかは分からねえぞ」
「チッ。そこは似てねえな」
海斗は背を向けた。
爆煙の向こうへ進む。
二階堂麗華を助けるために。
そして、綾小路清隆が進む地獄へ近づくために。
その頃。
綾小路はついに、地下中央制御区画の扉前まで到達していた。
扉の前には、退学者たちが倒れている。
全員、戦闘不能。
だが命に別状はない。
綾小路は扉の認証装置を見た。
ロックがかかっている。
当然だった。
月城が簡単に通すはずがない。
だが、綾小路は焦らない。
倒れている退学者の一人からカードキーを抜き取り、認証装置に通した。
エラー。
次のカード。
エラー。
三枚目。
認証。
扉が低い音を立てて開いた。
その先に、広い管制室があった。
無数のモニター。
破壊された通信装置。
壁に映し出された施設全体の見取り図。
そして、その中央に月城が立っていた。
月城は拍手をした。
「さすがですね、綾小路くん」
綾小路は無言で月城を見る。
月城の隣には司馬がいた。
さらに奥。
ガラス越しの隔離室。
そこに、堀北鈴音が座らされていた。
拘束されている。
だが意識はある。
堀北は綾小路を見た。
叫ばない。
助けを求めない。
ただ、強い目でこちらを見ていた。
その目を見て、綾小路は状況を確認した。
堀北はまだ折れていない。
なら、まだ間に合う。
「堀北を解放しろ」
綾小路が言った。
月城は笑った。
「それはできません」
「理由は?」
「あなたに選ばせるためです」
月城が手元の端末を操作した。
別のモニターに映像が映る。
そこには、二階堂麗華がいた。
別の区画で拘束されている。
その近くには、数名の退学者。
そして、カウントダウン。
海斗はまだそこへ到達していない。
月城は楽しそうに言った。
「堀北鈴音さんを助けるか」
別のモニターが切り替わる。
麗華の映像が拡大される。
「二階堂麗華さんを助けるか」
綾小路は表情を変えなかった。
月城は続ける。
「あなたはいつも合理的です。だからこそ見てみたいのです。あなたが誰を選ぶのか」
司馬は何も言わない。
ただ静かに立っている。
月城の悪趣味な実験を止める気はないらしい。
綾小路はモニターを見た。
堀北。
麗華。
海斗。
龍園。
退学者。
月城。
司馬。
すべての位置情報を頭の中で組み立てる。
そして言った。
「選ぶ必要はない」
月城の笑みが少し止まった。
「と言いますと?」
「海斗は麗華を助ける」
綾小路は月城を見た。
「オレは堀北を助ける」
その声には迷いがなかった。
堀北の目がわずかに揺れる。
月城は一瞬だけ沈黙した。
そして、楽しそうに笑った。
「信頼ですか」
「計算だ」
綾小路は答えた。
「朝霧海斗は、そのために動いている」
月城は肩をすくめた。
「では、その計算が外れることを祈りましょう」
その瞬間、管制室の照明が落ちた。
非常灯だけが赤く光る。
司馬が動いた。
一瞬で綾小路との距離を詰める。
速い。
重い。
迷いがない。
綾小路は司馬の拳を受け流した。
だが衝撃は殺しきれない。
司馬の一撃は、人間を倒すために最適化されている。
綾小路は後退しながら距離を測った。
司馬は追う。
月城は笑っている。
「さあ、ここからが本番です」
一方、海斗は爆煙の中を走っていた。
龍園から得た情報。
月城の目的。
それらを頭の片隅に置きながら、今は麗華の位置だけを追う。
通路の先に退学者が現れた。
銃口が向く。
海斗は壁を蹴って横へ跳んだ。
銃声。
弾丸が背後の壁を削る。
海斗は床を滑り込み、退学者の足元へ入る。
銃を持つ手首を蹴り上げる。
武器が飛ぶ。
続けて腹部へ掌底。
相手が崩れる。
二人目が発砲しようとする。
海斗は倒れた相手を盾にはしない。
代わりに、落ちた銃を足で蹴り飛ばした。
銃が二人目の手に当たり、照準がずれる。
発砲。
弾は天井へ逸れた。
その隙に海斗は距離を詰め、肘で相手の胸を打つ。
退学者は床へ倒れた。
海斗は銃を拾わなかった。
弾倉だけを抜き、遠くへ投げる。
綾小路と同じ判断。
だが理由は違う。
綾小路は合理性で拾わない。
海斗は守るために拾わない。
その違いが、二人を似ているようで違うものにしていた。
通路の先に、隔離区画が見えた。
麗華がいる。
海斗は足を止めなかった。
その頃、管制室では綾小路と司馬の攻防が続いていた。
司馬の攻撃は単純に見えて隙がない。
拳。
肘。
膝。
掴み。
壁際への追い込み。
すべてが無駄なく繋がっている。
綾小路はそれを受け、流し、避ける。
だが完全には崩せない。
司馬は強い。
それは白銀禁止区域にいる誰よりも、戦闘の完成度が高いという意味だった。
月城はその様子を眺めながら、静かに言った。
「綾小路くん。あなたは本当に優秀です」
綾小路は答えない。
司馬の拳をかわし、肘を返す。
だが司馬は腕を引き、逆に綾小路の肩を掴んだ。
投げ。
綾小路の身体が床へ叩きつけられかける。
直前、綾小路は身体を捻り、衝撃を逃がした。
床に片手をつき、即座に立つ。
月城は続けた。
「ですが、優秀すぎる人間は孤立します」
綾小路は司馬を見る。
「何が言いたい」
「あなたが誰かを信じるという選択をしたことが、どれほど危ういか」
月城はモニターを指差した。
そこには海斗が映っていた。
隔離区画へ向かっている。
その先に、麗華。
そして、さらにその奥。
別の扉の前に立つ影。
宝泉和臣。
月城は笑った。
「朝霧くんが龍園くんを越えたことは称賛しましょう」
綾小路はモニターを見た。
宝泉が首を鳴らしている。
その表情には、待ちきれない暴力の気配があった。
「ですが、次は宝泉くんです」
月城は穏やかに言った。
「あなたの計算は、どこまで保つでしょうか」
綾小路は表情を変えなかった。
だが、視線だけがわずかに鋭くなった。
海斗は龍園に勝った。
しかし、次の相手は宝泉。
戦闘能力だけなら龍園以上。
真正面から受ければ危険だ。
だが、それでも綾小路は動かない。
動けないのではない。
動かない。
堀北を救うのは自分の役目。
麗華を救うのは海斗の役目。
ここで揺れれば、月城の思う壺だった。
綾小路は司馬へ向き直った。
「問題ない」
月城が目を細める。
「なぜそう言えるのです?」
綾小路は静かに答えた。
「朝霧海斗は、まだ底を見せていない」
同時刻。
海斗は隔離区画の扉の前に到達した。
だが、その扉の前に立つ男を見て、足を止めた。
宝泉和臣。
分厚い体躯。
圧倒的な威圧感。
その場に立っているだけで、通路が狭く感じるほどの存在感。
宝泉は海斗を見下ろし、楽しそうに笑った。
「よう」
海斗は呼吸を整えた。
龍園戦の疲労は残っている。
腕も痛む。
背中も重い。
だが、止まるわけにはいかない。
宝泉の背後には扉がある。
その奥に麗華がいる。
宝泉は拳を鳴らした。
「龍園を倒したんだってな」
海斗は答えない。
宝泉は笑みを深める。
「なら、次は俺だ」
通路の非常灯が赤く点滅する。
遠くで爆発音。
施設全体が揺れる。
海斗は口端を釣り上げながら拳を握った。
「どいつもこいつも蟻のように湧いてきやがる」
さっきの戦いは終わった。
だが、地獄はまだ終わらない。
龍園翔は敗れた。
しかし、朝霧海斗を認めた。
綾小路清隆は月城の選択を拒んだ。
しかし、司馬との戦いに拘束された。
堀北鈴音はまだ隔離室にいる。
二階堂麗華もまだ救出されていない。
そして、海斗の前には宝泉和臣が立ちはだかる。
白銀禁止区域の奥で、次の扉が開く。
暴力そのもののような男が、笑っていた。
「倒れんなよ、ボディガード」
海斗も笑いながら構えた。
「倒してえなら全力で挑んできな」
その言葉と同時に、宝泉の巨拳が振り下ろされた。
モチベ維持のために感想・評価をもらえると幸いです。