ザ・ダイハード・マスターピース   作:EXTERMINATION

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第25話 暴力の壁

宝泉和臣の拳が振り下ろされた瞬間、

朝霧海斗は真正面から受けるという選択を捨てた。

 

受ければ折れる。

 

避ければ進める。

 

その判断は一瞬だった。

 

海斗は左足を半歩だけ外へ逃がし、

上体を斜めに沈めることで、宝泉の拳を肩先すれすれに通過させた。

 

直後、拳が床に叩きつけられた。

 

鉄板で補強された通路の床が鈍い音を立て、細かな粉塵が跳ね上がる。

 

普通の人間の拳ではない。

 

ただ殴るだけで、周囲の空気ごと押し潰すような重さがあった。

 

「逃げんの上手いじゃねえか」

 

宝泉は笑った。

 

その笑みは龍園のものとは違っていた。

 

龍園の笑みには相手を試す知性があった。

 

相手の反応を見て、恐怖を煽り、

精神を削り、勝利へ近づいていく狡猾さがあった。

 

だが宝泉の笑みは違う。

 

もっと単純で、もっと厄介だった。

 

殴れる。

 

壊せる。

 

潰せる。

 

だから楽しい。

 

その一点だけで成立しているような暴力だった。

 

「お前みたいなトラックに正面から轢かれたら死ぬからな」

 

海斗は構え直しながら、背後の扉を確認した。

 

扉の向こうには二階堂麗華がいる。

 

月城の映像では拘束されていた。

 

意識はあるように見えた。

 

だが、時間はない。

 

この施設全体はすでに複数箇所で損傷している。

 

冷却系統の異常。

 

電源設備の不安定化。

 

火災報知器の誤作動と本物の火災。

 

そして、地下深部から響く断続的な爆発音。

 

ここで長期戦になればなるほど、救出の成功率は下がる。

 

宝泉はそれを分かっていて、扉の前に立っている。

 

「どけよ、アンドレ」

 

海斗は短く言った。

 

宝泉は首を傾けた。

 

「命令してんのか?」

 

「警告だ。ヒガンテには難しかったか」

 

「ハッ」

 

宝泉の笑みが深くなる。

 

「龍園を倒して、ちょっと調子乗ってんじゃねえのか?」

 

次の瞬間、宝泉が踏み込んだ。

 

速い。

 

巨体からは想像できない初速。

 

龍園のようなフェイントはない。

 

ただ、前へ出る。

 

ただ、殴る。

 

ただし、その単純さが異常な圧力になっていた。

 

海斗は右へ動いた。

 

宝泉の拳が壁を叩く。

 

壁面のパネルが外れ、内部の配線が火花を散らした。

 

海斗はその隙に宝泉の脇腹へ拳を打ち込む。

 

一撃。

 

二撃。

 

三撃。

 

人体の急所に正確に入った。

 

普通なら呼吸が止まる。

 

普通なら膝が落ちる。

 

だが宝泉は、わずかに顔をしかめただけだった。

 

「軽いな」

 

宝泉の左手が海斗の腕を掴んだ。

 

握力が骨に食い込む。

 

海斗は即座に手首を返そうとした。

 

しかし、動かない。

 

技術で外せる角度ではなかった。

 

単純な力で、逃げ道ごと握り潰されている。

 

宝泉は海斗を壁へ叩きつけた。

 

背中に衝撃が走る。

 

肺から空気が抜ける。

 

視界が一瞬、白く滲んだ。

 

だが海斗は意識を飛ばさない。

 

龍園戦で受けたダメージが、ここで重く響いていた。

 

腕の痺れ。

 

背中の痛み。

 

太腿の鈍い熱。

 

呼吸の浅さ。

 

すべてが、宝泉の一撃ごとに表面へ浮かび上がってくる。

 

宝泉はそれを見逃さなかった。

 

「なんだ、もう壊れかけてんじゃねえか」

 

海斗は答えず、宝泉の手首へ肘を落とした。

 

掴む力が一瞬だけ緩む。

 

その一瞬で海斗は身体を滑らせ、宝泉の間合いから抜けた。

 

だが完全には逃げ切れない。

 

宝泉の膝が腹部へ入る。

 

鈍い衝撃。

 

海斗の身体が浮いた。

 

宝泉はそのまま襟を掴み、床へ叩きつけようとする。

 

海斗は空中で身体を捻った。

 

床に片手をつき、衝撃を逃がす。

 

完全には逃がせない。

 

肩から床へ滑り、痛みが走る。

 

それでも海斗は立ち上がった。

 

宝泉は少しだけ目を細めた。

 

「しぶてえな」

 

「……仕事だからな」

 

「仕事?」

 

宝泉は鼻で笑った。

 

「女一人守るために、そこまでやんのかよ」

 

海斗の目が静かに鋭くなる。

 

「一人じゃねえ」

 

「何?」

 

「麗華は一人の人間だ」

 

海斗は呼吸を整えた。

 

「てめぇたちが駒として扱っていい相手じゃない」

 

宝泉は一瞬だけ無言になった。

 

そして、笑った。

 

「気に入らねえな」

 

「安心しろ。オレもお前の顔は気に入ってない」

 

空気が変わった。

 

宝泉の表情から、遊びの色が少し消えた。

 

「そういう綺麗事を言う奴ほど、殴った時にいい顔すんだよ」

 

海斗は龍園同様、宝泉のことも自分より格下だと見ている。

 

格下の相手に対しては、多少攻撃を受けても前に出た方が効率が良い。

 

同格か格上相手なら慎重に攻撃と防御をバランスさせるが、

 

龍園や宝泉相手なら、多少の傷を無視して攻め続けるのが海斗の戦法だった。

 

宝泉が再び踏み込む。

 

今度は拳ではない。

 

掴み。

 

海斗の首元を狙う腕。

 

海斗は後退する。

 

だが通路は狭い。

 

背後には破損した制御盤。

 

横には配管。

 

前には宝泉。

 

逃げ場は少ない。

 

なら作るしかない。

 

海斗は床に落ちていた消火器を蹴り上げた。

 

消火器が回転しながら宝泉の顔面へ向かう。

 

宝泉は片手で払い落とした。

 

その瞬間、海斗は消火器の安全ピンを抜いていた。

 

床に落ちた消火器から白い粉末が噴き出す。

 

視界が白く染まる。

 

宝泉の視線が一瞬だけ塞がれた。

 

海斗はその白煙の中へ踏み込んだ。

 

狙うのは顎でも腹でもない。

 

膝。

 

巨体を支える軸。

 

海斗の足払いが宝泉の膝裏へ入る。

 

同時に肘を胸へ当てる。

 

上半身を押し、下半身を崩す。

 

技としては完璧だった。

 

だが、宝泉は倒れなかった。

 

片足が浮きかけた瞬間、反対の足で床を踏み砕くように耐えた。

 

そして、白煙の中から腕が伸びる。

 

海斗の肩を掴んだ。

 

「捕まえたぞ」

 

海斗は反応した。

 

だが遅い。

 

宝泉の額が海斗の顔面近くへ迫る。

 

直撃は避けた。

 

だが衝撃は避けきれない。

 

海斗の視界が揺れる。

 

宝泉は続けて腹部へ拳を入れた。

 

一撃。

 

重い。

 

海斗の身体が折れる。

 

二撃目。

 

肋骨に響く。

 

三撃目。

 

海斗は腕で受けた。

 

腕が痺れる。

 

だが倒れない。

 

倒れれば、扉の向こうには届かない。

 

その頃、地下中央制御区画では、綾小路清隆と司馬の戦いが続いていた。

 

司馬の攻撃は淡々としていた。

 

無駄がない。

 

感情がない。

 

怒りも、興奮も、焦りもない。

 

ただ、綾小路清隆を止めるために最適な動きを選び続けている。

 

拳が来る。

 

綾小路は受け流す。

 

膝が来る。

 

綾小路は半歩下がる。

 

掴みが来る。

 

綾小路は手首を返す。

 

だが、司馬は崩れない。

 

崩れかけた瞬間に重心を戻し、次の攻撃へ繋げてくる。

 

月城は少し離れた位置で、その攻防を眺めていた。

 

まるで劇場の観客のように。

 

「面白いですね」

 

月城が言った。

 

「あなたは堀北さんを助けに来たはずなのに、今は彼女を見ることすらできない」

 

綾小路は答えない。

 

司馬の拳をかわし、逆に脇へ打撃を入れる。

 

司馬の身体がわずかに揺れる。

 

だが次の瞬間、司馬の肘が綾小路の肩へ落ちた。

 

衝撃。

 

綾小路は距離を取る。

 

月城は続ける。

 

「あなたが朝霧くんを信じたことは理解します。

ですが、信じるという行為は危険です。

なぜなら、自分の手の届かない場所に結果を預けることになる」

 

綾小路は司馬を見据えたまま、静かに言った。

 

「預けたわけじゃない」

 

「では?」

 

「役割を分けただけだ」

 

月城は微笑んだ。

 

「言い方の違いですね」

 

ガラス越しの隔離室で、堀北鈴音はその会話を聞いていた。

 

拘束具で手足を固定されている。

 

口は塞がれていない。

 

それでも堀北は叫ばなかった。

 

助けを求めれば、綾小路の集中を乱す。

 

それが分かっているからだった。

 

堀北は悔しかった。

 

自分が守られる側にいることが。

 

自分が足を引っ張る可能性になっていることが。

 

だが同時に、理解もしていた。

 

今、自分がすべきことは感情で暴れることではない。

 

状況を見ること。

 

月城の発言を聞くこと。

 

司馬の動きを観察すること。

 

そして、綾小路が動く瞬間に、自分ができる最小限の協力をすること。

 

堀北は息を整えた。

 

この場所に連れてこられた時点で、彼女はすでに多くの情報を得ていた。

 

隔離室の扉は外部認証式。

 

内部からは開かない。

 

ただし、緊急解除用の手動レバーが壁の右側にある。

 

拘束された状態では届かない。

 

だが、床に落ちている割れたプラスチック片を使えば、

拘束具のロックに干渉できる可能性がある。

 

時間はかかる。

 

だが不可能ではない。

 

堀北は指先をわずかに動かした。

 

誰にも気づかれないように。

 

その頃、海斗は宝泉の圧力に押され続けていた。

 

殴られるたびに、身体の内部へ重さが蓄積していく。

 

宝泉の攻撃は派手だ。

 

だが雑ではない。

 

喧嘩慣れした人間の距離感がある。

 

相手が嫌がる場所へ立つ。

 

逃げたい方向へ先に身体を置く。

 

反撃のための間合いを潰す。

 

そのうえで、圧倒的な力を押しつけてくる。

 

龍園が心理と暴力を混ぜる敵なら、

宝泉は暴力そのもので心理を破壊してくる敵だった。

 

「どうしたよ」

 

宝泉が笑う。

 

「守るんだろ?」

 

「うるせえ。筋肉まで喋るな」

 

「余裕が感じられねえぜ?」

 

「語彙力まで筋肉に持っていかれたのか?」

 

海斗は壁際へ追い込まれていた。

 

背後の配管から蒸気が漏れている。

 

右には崩れた機材。

 

左には宝泉の拳。

 

正面突破しかない。

 

海斗は息を吐いた。

 

そして、前へ出た。

 

宝泉の拳が来る。

 

海斗は避けない。

 

肩で受けた。

 

衝撃が全身を貫く。

 

だが、その代わりに距離を詰めた。

 

宝泉の懐。

 

もっとも危険で、もっとも攻撃が届く場所。

 

海斗は拳を打ち込む。

 

腹部。

 

胸部。

 

喉元の手前。

 

顎下。

 

連続で入れる。

 

宝泉の身体が揺れる。

 

今度は効いていた。

 

正確に、同じ箇所へ蓄積させている。

 

宝泉は笑みを消した。

 

「てめえ」

 

宝泉の腕が振られる。

 

海斗は低く潜る。

 

そして、宝泉の足元へ滑り込むように動き、足首を刈った。

 

同時に肩で膝を押す。

 

巨体が傾く。

 

宝泉が初めて大きく体勢を崩した。

 

海斗は追撃に入る。

 

だが、宝泉は倒れながらも拳を振った。

 

異常な反応だった。

 

普通なら受け身を取る場面。

 

普通なら手をつく場面。

 

宝泉は倒れることより、殴ることを優先した。

 

拳が海斗の脇腹へ入る。

 

海斗の身体が横へ飛ばされた。

 

壁に叩きつけられる。

 

宝泉も片膝をついた。

 

通路に一瞬だけ静寂が落ちる。

 

白い粉末。

 

赤い非常灯。

 

火花。

 

蒸気。

 

その中で、二人は同時に息を整えていた。

 

宝泉の口元が歪む。

 

「いいな」

 

海斗は痛む脇腹を押さえず、構えを崩さなかった。

 

「やっと面白くなってきた」

 

宝泉が立ち上がる。

 

海斗も立ち上がる。

 

「遊んでばっかいねえで国語の教科書読め、かーちゃんが泣くぜ……っと」

 

その瞬間、施設全体が大きく揺れた。

 

天井の照明が落下する。

 

通路の奥で爆発音。

 

熱風が流れ込んでくる。

 

宝泉の背後、隔離区画の扉の上にある表示灯が赤く点滅した。

 

『ロック解除準備中』

 

海斗の目が動いた。

 

宝泉も気づいた。

 

「なるほどな」

 

宝泉は背後の扉をちらりと見た。

 

「時間稼ぎか」

 

海斗は答えない。

 

実際、その通りだった。

 

龍園戦の直後、海斗はこの区画へ向かう途中で、

壁面端末の一つに細工をしていた。

 

本来なら正規認証が必要な隔離区画のロックを、

施設損傷時の緊急解除手順に乗せて開かせる。

 

強引な解除。

 

成功する保証はなかった。

 

だが、戦いながら待つ価値はあった。

 

宝泉は笑った。

 

「やっぱり気に入らねえ」

 

そして、宝泉は扉へ向かった。

 

海斗は即座に反応する。

 

宝泉が扉を破壊する気だと分かったからだ。

 

扉が壊れれば、解除も意味がない。

 

麗華が中で巻き込まれる可能性もある。

 

海斗は走った。

 

宝泉の背中へ飛びかかる。

 

宝泉は振り返らず、肘を後ろへ打った。

 

海斗は受ける。

 

腕に痛み。

 

それでも離れない。

 

宝泉の肩を掴み、体重をかけて引き戻す。

 

宝泉の足が止まる。

 

「邪魔だ」

 

宝泉が海斗を振り払う。

 

海斗は床を転がりながらも、すぐに立つ。

 

「そのセリフ、脳みそ使わない奴はみんな好きだよな」

 

宝泉が扉へ拳を向ける。

 

海斗は床の破片を蹴った。

 

破片が宝泉の顔面へ飛ぶ。

 

宝泉は首を傾けた。

 

その一瞬。

 

海斗は宝泉の右腕へ飛び込んだ。

 

拳を止めるのではない。

 

肘の内側を押し、軌道を逸らす。

 

宝泉の拳は扉ではなく、横の壁を打った。

 

壁がへこむ。

 

火花が散る。

 

その瞬間、表示灯が青に変わった。

 

『緊急ロック解除』

 

扉が開く。

 

中に、二階堂麗華がいた。

 

手首と足首を拘束され、椅子に固定されている。

 

顔色は悪い。

 

だが、意識はある。

 

「海斗……!」

 

麗華の声が通路へ届いた。

 

その声を聞いた瞬間、海斗の呼吸が変わった。

 

ここから先は、ただ勝つだけではない。

 

守りながら勝たなければならない。

 

宝泉もそれを理解した。

 

「出てきたな」

 

宝泉は笑った。

 

「これで、もっと面白くなる」

 

海斗は麗華と宝泉の間に立った。

 

身体は限界に近い。

 

龍園戦の傷。

 

宝泉戦の衝撃。

 

呼吸の乱れ。

 

視界の揺れ。

 

それでも、海斗は下がらなかった。

 

麗華は椅子に拘束されたまま、必死に言った。

 

「海斗、無理しないで……!」

 

「無理はしてねえよ」

 

海斗は振り返らずに答えた。

 

「必要なことをしているだけだぜ」

 

宝泉はその言葉を聞いて、苛立ったように舌打ちした。

 

「またそれかよ」

 

宝泉が踏み込む。

 

今度は麗華ごと圧力で押し潰すような突進。

 

海斗は受けない。

 

避けない。

 

真正面から、宝泉の進路に入った。

 

宝泉の拳が来る。

 

海斗は左腕で外へ流す。

 

完全には流れない。

 

衝撃で腕が跳ねる。

 

だが、右手が動いていた。

 

狙うのは宝泉の顔ではない。

 

先ほど何度も打ち込んだ腹部。

 

同じ一点。

 

海斗の拳が深く入る。

 

宝泉の身体が一瞬止まった。

 

海斗はさらに踏み込む。

 

肘。

 

膝。

 

掌底。

 

すべて同じ方向へ力を集める。

 

宝泉の重心が後ろへ流れる。

 

宝泉は耐えようとした。

 

だが、床が濡れていた。

 

破損した配管から漏れた水。

 

白い粉末。

 

火花の熱で滑りやすくなった鉄板。

 

海斗はそこへ誘導していた。

 

宝泉の足が滑った。

 

巨体が崩れる。

 

海斗は最後に、宝泉の胸元へ掌底を叩き込んだ。

 

全身の力を乗せた一撃。

 

空気が爆ぜるような衝撃音が響く。

 

宝泉の巨体が宙へ浮いた。

 

そのまま数メートル後方へ吹き飛び、壁へ激突する。

 

壁面パネルが砕け散り、金属片とコンクリート片が周囲へ飛び散った。

 

宝泉の身体が床へ崩れ落ちる。

 

それでも反射的に立ち上がろうとした。

 

腕に力を込める。

 

脚へ力を入れる。

 

だが、身体が動かない。

 

思うように力が入らない。

 

視界が揺れる。

 

呼吸が乱れる。

 

海斗は荒い息を吐きながら立っていた。

 

顔中傷だらけ。

 

服は破れ。

 

血に塗れている。

 

それでも倒れない。

 

宝泉は薄れゆく視界の中で、その姿を見た。

 

不思議だった。

 

その姿が、別の男と重なって見えたからだ。

 

綾小路清隆。

 

どれだけ叩いても折れない男。

 

何度挑んでも立ち続ける男。

 

そして今。

 

目の前にいる朝霧海斗もまた、同じだった。

 

傷だらけになっても。

 

何度倒れても。

 

最後には立っている。

 

宝泉はかすかに笑った。

 

「……ハッ」

 

血の混じった息が漏れる。

 

「なんだよ……」

 

視界がさらに霞む。

 

海斗と綾小路。

 

まるで正反対なのに。

 

なぜか同じ場所へ辿り着いているように見えた。

 

一人は理性。

 

一人は本能。

 

一人は静寂。

 

一人は激情。

 

だが、その芯だけは変わらない。

 

決して折れない。

 

決して諦めない。

 

宝泉は最後に二人の姿を見た。

 

そして小さく呟く。

 

「化け物が……二人もいやがるのかよ……」

 

口元に笑みを浮かべたまま。

 

宝泉和臣の意識は、ゆっくりと闇へ沈んでいった。

 

完全に動かなくなった宝泉を見て、海斗はようやく息を吐く。

 

「やっと寝たか」

 

海斗はすぐに麗華へ駆け寄った。

 

拘束具を確認する。

 

手首。

 

足首。

 

椅子の背面。

 

ロックは電子式。

 

だが解除された扉と連動して、拘束も一部緩んでいる。

 

海斗は壊れた金属片を使い、ロック部分をこじ開けた。

 

一つ。

 

二つ。

 

三つ。

 

麗華の手が自由になる。

 

麗華は震える手で海斗の袖を掴んだ。

 

「怪我……」

 

「後でいい」

 

「でも」

 

「今は出るのが先だ」

 

海斗は麗華を立たせた。

 

麗華の足は少しふらついていた。

 

長時間拘束されていた影響だ。

 

海斗は彼女の身体を支えながら、通路の奥を見た。

 

宝泉がゆっくり立ち上がろうとしている。

 

完全には倒れていない。

 

だが追撃は遅れる。

 

それで十分だった。

 

「走れるか」

 

海斗が聞いた。

 

麗華は唇を噛み、頷いた。

 

「走る」

「そりゃ助かる」

 

その返答を聞き、海斗は表情を緩めた。

 

だが、その直後だった。

 

管制室側から、施設全体に月城の声が響いた。

 

『素晴らしいですね、朝霧くん』

 

海斗は足を止めた。

 

壁面スピーカーから、月城の穏やかな声が流れてくる。

 

『龍園くんを越え、宝泉くんの足止めも突破した。

二階堂さんの救出も成功。見事です』

 

宝泉は壁にもたれながら、忌々しそうにスピーカーを睨んだ。

 

月城の声は続く。

 

『ですが、これで終わりではありません』

 

通路奥の防火シャッターが降り始めた。

 

海斗は麗華の手を引いて走る。

 

シャッターが閉じる。

 

間に合わない。

 

海斗は近くの保守用扉へ飛び込んだ。

 

麗華を先に押し込み、自分も滑り込む。

 

背後で防火シャッターが完全に閉じた。

 

宝泉は向こう側に残された。

 

分断。

 

月城は最初から、海斗が麗華を救出するところまで想定していた。

 

海斗は暗い保守通路で立ち止まり、息を整えた。

 

麗華は不安そうに彼を見る。

 

「海斗……これ、罠だよね」

 

「そうだな」

 

「じゃあ」

 

「いまは進むしかない」

 

海斗は短く答えた。

 

保守通路の奥には、別の明かりがあった。

 

静かな、異様に整った白い光。

 

戦場の赤ではない。

 

病室のような白。

 

チェス盤のような冷たさ。

 

その先に待つのが誰なのか、海斗はまだ知らない。

 

だが、管制室のモニターでその様子を見ていた月城は、満足そうに笑っていた。

 

「では、次は坂柳さんにお願いしましょうか」

 

綾小路は司馬の攻撃を受け流しながら、その言葉を聞いた。

 

坂柳有栖。

 

月城側にいる、次の駒。

 

だが、坂柳は龍園や宝泉とは違う。

 

力ではない。

 

暴力でもない。

 

あれは、盤面で人を殺すタイプの人間だ。

 

綾小路は一瞬だけ、モニターの中の海斗と麗華を見た。

 

そして、すぐに司馬へ視線を戻した。

 

今、自分がやるべきことは一つ。

 

この場を突破し、堀北を救出すること。

 

その堀北は、隔離室の中でついに拘束具の一つを緩めていた。

 

右手がわずかに動く。

 

まだ自由ではない。

 

だが、届く。

 

床の破片へ。

 

緊急解除レバーへ。

 

堀北は綾小路を見た。

 

声は出さない。

 

だが、その目だけで伝える。

 

私は、ただ助けられるだけでは終わらない。

 

綾小路はその視線を一瞬だけ受け取った。

 

そして、司馬の次の一撃に合わせて、初めて前へ踏み込んだ。

 

一方、保守通路の奥で、海斗と麗華は白い光へ向かっていた。

 

宝泉戦は終わった。

 

だが勝利ではない。

 

突破しただけだ。

 

龍園は海斗を認めた。

 

宝泉は海斗を壊しきれなかった。

 

しかし、月城の盤面はまだ崩れていない。

 

次に待つのは、力ではなく知略。

 

暴力の壁を越えた先に、静かな罠が広がっている。

 

白銀禁止区域の奥で、坂柳有栖が静かに微笑んでいた。

 

「ようこそ、朝霧さん」

 

その声は、戦場に似合わないほど穏やかだった。

 

「ここから先は、力だけでは進めませんよ」




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