ザ・ダイハード・マスターピース 作:EXTERMINATION
白銀禁止区域の搬送ホールに、静かな駆動音が響いていた。
それは銃声ではない。
爆発音でもない。
だが、綾小路清隆と朝霧海斗にとって、
その音はどんな銃声よりも厄介だった。
床に刻まれた黒いラインが青白く光り、
巨大なコンテナがゆっくりと動き、
天井のレールに吊られた銃座が角度を変えていく。
坂柳有栖の盤面。
それは単なる罠ではなかった。
このホール全体が、彼女の思考そのものだった。
「見事でした」
坂柳の静かな声が響く。
杖を手にした彼女は、穏やかに微笑んでいた。
「異なる護衛対象。異なる武器。異なる判断。
それでもあなた方は合流地点へ辿り着いた」
綾小路はマシンガンを低く構えたまま。
海斗はショットガンを手に、麗華と堀北の位置を確認している。
堀北鈴音は足首の痛みを隠し、二階堂麗華は海斗の背中を見ていた。
四人とも理解していた。
合流は終点ではない。
むしろ、ここからが坂柳の本題だ。
坂柳は微笑んだまま、端末へ指を置いた。
「ですが、私はまだ確かめたいことがあります」
ホールの照明が一段暗くなる。
非常灯の赤が床を染めた。
左右の退路が閉じる。
分厚い隔壁がゆっくりと降りていく。
麗華が息を呑む。
「また……?」
堀北も身構えた。
「坂柳さん、まだ何をする気なの?」
坂柳は堀北には答えなかった。
彼女の視線は、綾小路と海斗へ向けられていた。
「綾小路くん」
「何だ」
「私はあなたを知っています」
坂柳は静かに言った。
「正確には、知ろうとしてきました。ホワイトルーム最高傑作。
人工的に作られた天才。私が否定したい存在」
綾小路は表情を変えない。
坂柳の言葉は、彼にとって今さら驚くものではなかった。
坂柳は次に、海斗を見た。
「ですが、朝霧さん。あなたは違います」
海斗は答えない。
いつものような軽口もない。
ショットガンを構えたまま、ただ坂柳を見ている。
坂柳は続けた。
「あなたは護衛です。戦闘者です。粗野で、直線的で、
けれど不思議なほど盤面の外側へ手を伸ばしてくる」
海斗の目が少しだけ細くなる。
「私はあなたを、まだ測り切れていません」
「測る必要があるのか」
海斗の声は低かった。
ふざけた調子ではない。
相手の挑発に乗る気配もない。
ただ、必要なことだけを確認する声だった。
坂柳は嬉しそうに微笑んだ。
「あります」
彼女は端末を操作した。
ホール中央の床が開く。
そこから、円形の黒い台座がせり上がってきた。
同時に、ホールの外周に並んだ銃座が一斉に堀北と麗華へ向いた。
麗華の顔色が変わる。
海斗の銃口がわずかに動いた。
綾小路も視線を走らせる。
銃座の数。
角度。
堀北と麗華との距離。
遮蔽物。
制御装置の位置。
全てを瞬時に計算する。
坂柳はそれを待っていたように言った。
「これより、綾小路くんと朝霧さんに戦っていただきます」
麗華が目を見開いた。
「は……?」
堀北も言葉を失った。
坂柳は穏やかに続ける。
「勝者が決まるまで。どちらかが戦闘不能になるまで。
あるいは私が十分だと判断するまで」
海斗は睨みつける。
「断る」
短い言葉だった。
怒鳴らない。
笑わない。
ただ拒絶した。
坂柳は予想していたように目を細める。
「でしょうね」
次の瞬間。
堀北と麗華の足元に赤い照準光が落ちた。
二人の身体が強張る。
銃座の駆動音。
安全装置が外れる音。
麗華が海斗を見る。
「海斗……」
海斗は動かなかった。
いや、動けなかった。
ここで銃座を撃てば、別の銃座が動く。
綾小路が動いても同じだ。
坂柳は、二人が人質を守るために動くことを前提に盤面を組んでいる。
「戦わなければ、堀北さんと二階堂さんを処分します」
坂柳は淡々と言った。
その声に嘘はなかった。
堀北が叫ぶ。
「坂柳さん!」
「これは私にとって重要な確認です」
「あなた、本気で言っているの?」
「ええ」
坂柳は即答した。
「綾小路くんと朝霧さん。異なる環境で生まれた二人の完成形。
どちらが盤面の上で優位に立つのか」
麗華の唇が震えた。
「本当に……戦うことになるなんて……」
堀北は綾小路を見た。
そして海斗を見る。
二人とも表情を変えていない。
だからこそ、怖かった。
怒りに任せて拒絶してくれた方が、まだ分かりやすかった。
だが二人は違う。
状況を理解している。
坂柳の脅しが有効であることも、今すぐ破壊できる盤面ではないことも。
そして、戦うしかないことも。
綾小路が静かにマシンガンを床へ置いた。
海斗もショットガンを下ろし、床へ置く。
武器が離れた。
金属音がホールに響く。
麗華が叫びかける。
だが、声にならなかった。
堀北も拳を握る。
「綾小路くん……」
綾小路は堀北を見ない。
見る必要がないからではない。
見れば、堀北の不安が自分の判断に混ざる可能性があるからだ。
海斗も麗華を見なかった。
普段なら、軽く笑って安心させたはずだった。
「大丈夫だ」
「すぐ終わる」
「あとで怒れ」
そう言いそうな男だった。
だが今は何も言わない。
それが麗華には逆に苦しかった。
海斗が本気になると、軽口が消える。
彼女はそれを知っていた。
だから今、海斗がどれほど真剣なのか分かってしまった。
綾小路と海斗は、ホール中央へ歩いた。
黒い台座を挟むように向かい合う。
距離は五メートル。
近すぎず、遠すぎない。
格闘に移れる距離。
逃げるには遅い距離。
坂柳の声が響く。
「武器の使用は禁止しません」
海斗は答えなかった。
綾小路も答えない。
二人は銃を拾わない。
互いに理解していた。
銃を使えば、人質へ流れ弾が向かう可能性が生まれる。
坂柳はそれを狙っている。
ならば、格闘で終わらせる。
あるいは。
格闘の形を取りながら、別の答えへ辿り着く。
坂柳は微笑んだ。
「それでは」
短い沈黙。
「始めてください」
最初に動いたのは海斗だった。
踏み込みは速い。
しかし、いつものような荒さはない。
宝泉へ向かった時のような獣じみた圧もない。
相手を壊すためではなく、測るための一歩。
それでも、相当な手練れでも反応し切れない速度だった。
拳が綾小路の顔面へ向かう。
綾小路は半歩だけ下がった。
紙一重。
拳が空を切る。
次の瞬間、綾小路の手が海斗の肘へ伸びる。
関節を制し、体勢を崩す動き。
だが海斗は腕を引かない。
逆に肩を沈め、肘を取られる前に踏み込む。
綾小路の手が空を掠める。
海斗の膝が低く入る。
綾小路は足を引いて避ける。
避けた先に、海斗の左が来る。
綾小路は腕で受け流す。
鈍い音。
堀北は息を呑んだ。
麗華も口元を押さえる。
一瞬の攻防。
たった数秒。
それだけで分かった。
二人とも、まだ本気ではない。
だが、それでも常人の戦いではない。
海斗が一歩下がる。
綾小路も距離を取る。
互いに無言。
表情も変わらない。
だが、二人の内側ではすでに情報が積み上がっていた。
海斗は思った。
速い。
綾小路は力で押す相手ではない。
受けるのではなく、力の流れをずらす。
拳の重さを殺し、次の動きを封じる。
宝泉とは違う。
龍園とも違う。
司馬とも違う。
相手がこちらの動きを見てから動いているのではなく、
動く前に選択肢を削っている。
厄介だ。
だが、退く理由にはならない。
同時に綾小路も思っていた。
朝霧海斗は単純な戦闘者ではない。
踏み込みの癖が薄い。
攻撃の前兆が読みにくい。
力は宝泉ほどではないが、体重移動が上手い。
速度は天沢ほど軽くないが、反応の切り替えが速い。
そして何より、こちらの誘導に対して素直に乗らない。
経験で戦っている。
理屈ではなく、身体に刻み込まれた判断。
厄介だ。
一瞬の判断ミスが命取りになる。
再び海斗が動く。
今度は正面ではない。
右へ回り込むように見せ、途中で重心を落とす。
足払い。
綾小路は跳ばない。
跳べば空中で読まれる。
軸足をずらし、海斗の足を踏み込ませない位置へ置く。
海斗は足払いを途中で止め、拳へ切り替える。
綾小路の肩へ掌底。
綾小路は肩を落とし、衝撃を逃がす。
同時に海斗の手首を取ろうとする。
海斗はあえて掴ませた。
堀北の目が見開かれる。
「わざと……?」
その瞬間、海斗は掴まれた手首を軸に身体を回転させ、
逆の肘を綾小路の脇腹へ叩き込もうとした。
綾小路はそれを読んでいた。
片足を引き、肘の軌道をずらす。
海斗の肘が制服を掠める。
次に綾小路の膝が上がる。
海斗は腹部を固めて受ける。
衝撃。
海斗の身体が半歩下がる。
だが倒れない。
麗華が小さく声を漏らした。
「海斗……」
海斗はまだ無言だった。
普段なら、ここで何か言っただろう。
「痛ぇな」
「やるじゃねぇか」
「綾小路、意外と足癖悪いな」
そんな軽口が出たはずだった。
だが出ない。
海斗は一言も喋らない。
それが、この戦いの異様さを強くしていた。
綾小路も同じだった。
彼もまた、感情を出さない。
ただ淡々と、海斗の動きを読み、処理し、返す。
堀北は息を詰めながら見ていた。
「完全に……互角……」
麗華も震える声で言う。
「海斗が……押していない」
「綾小路くんも、押していないわ」
二人の少女は、同時に理解した。
これは、どちらかが手を抜いている戦いではない。
かといって、殺し合いでもない。
互いが互いを壊さない範囲で、しかし確実に勝ち筋を探している。
限界近くまで踏み込みながら、最後の一線だけは越えない。
それがどれほど難しいか。
堀北にも麗華にも分かった。
麗華は思わず息を呑んだ。
視線は戦う二人から離れない。
拳が交差する。
足が動く。
一瞬ごとに攻防が入れ替わる。
どちらが優勢なのか。
それすら判別できない。
「ねえ」
麗華がぽつりと呟いた。
「こんな時に無粋かもしれないけれど」
堀北は小さく苦笑した。
「たぶん、私もあなたと同じことを考えているわ」
麗華はわずかに目を見開く。
そして再び視線を前へ戻した。
「どっちが勝つのかしら……?」
堀北は答えなかった。
答えられなかった。
綾小路清隆。
朝霧海斗。
二人とも規格外だった。
どちらかが勝つ未来も想像できる。
どちらかが負ける未来も想像できる。
だが、そのどちらも決定的には思えなかった。
「不思議ね」
堀北が静かに言った。
「どうして?」
「こんな状況なのに」
堀北は二人の戦いを見つめる。
「不思議と、あの二人の戦いに目が離せない……」
麗華は小さく笑った。
その気持ちは痛いほど分かる。
心配しているはずなのに。
止めたいはずなのに。
それでも見てしまう。
見届けなければならないと思ってしまう。
それほどまでに、二人の戦いは異質だった。
麗華はふっと息を吐いた。
「私、間違っていたのかもしれないわ」
「何が?」
「さっきの賭けよ」
堀北が目を瞬かせる。
麗華は苦笑した。
「あの二人の戦いは、パフェ一つを賭けるにはあまりにも釣り合ってない」
堀北は数秒沈黙した。
そして。
珍しく、少しだけ顔を赤くした。
「同感ね」
「でしょう?」
「冗談だったとしても、自分が恥ずかしいわ」
麗華はくすりと笑った。
堀北もつられるように小さく笑う。
だが次の瞬間。
二人の表情は再び真剣なものへ戻った。
視線の先では。
綾小路清隆と朝霧海斗が、なおも一歩も譲らず拳を交わしていた。
まるで勝敗そのものよりも。
互いの存在を確かめ合うように。
綾小路は理解していた。
宝泉と戦う時とは違う。
龍園と戦う時とも違う。
朝霧海斗は力だけの相手ではない。
一瞬の判断。
反応。
経験。
どれも異常な水準に達している。
純粋な戦闘能力だけなら、自分以上かもしれない。
同時に海斗も理解している。
宝泉なら押し潰せる。
龍園なら読み切れる。
だが綾小路は違う。
攻撃が通る未来が見えない。
格闘技の技術と経験に関しては、自分以上かも知れない。
綾小路は最小限の動きで攻撃を捌く。
海斗は被弾を前提に踏み込み、相手を崩す。
戦うスタイルがそもそも違う。
だからこそ、二人は最初から理解していた。
この戦いに、明確な勝者は生まれないと。
坂柳は目を細めていた。
「見事です」
彼女は小さく呟いた。
綾小路が動く。
今度は彼から仕掛けた。
低く踏み込み、海斗の右側へ入る。
拳ではない。
肩。
体勢を崩すための接触。
海斗は半歩引き、綾小路の肩を受けない。
だが綾小路はさらに踏み込む。
足をかける。
海斗の重心が崩れる。
一瞬。
ほんの一瞬だけ、海斗の身体が浮いた。
綾小路は投げに入る。
だが海斗は空中で身体を捻った。
普通ならありえない角度。
床に叩きつけられる前に片手をつき、衝撃を逃がす。
そのまま蹴りを返す。
綾小路は後退する。
蹴りは胸元を掠める。
海斗は床から跳ね起きる。
間髪入れずに踏み込む。
拳。
掌底。
膝。
肘。
連撃。
綾小路は受け流す。
だが全てを完全には消せない。
肩に衝撃。
腕に痛み。
脇腹に圧。
綾小路の足が半歩下がる。
麗華が息を呑む。
だが次の瞬間、綾小路の手が海斗の襟を取っていた。
海斗の勢いを利用し、体勢を反転させる。
今度は海斗が壁際へ流される。
だが、壁にぶつかる前に靴底を壁へ当てた。
そのまま蹴って戻る。
綾小路の間合いへ再突入。
二人の拳が交差する。
綾小路の拳は海斗の頬を掠める。
海斗の拳は綾小路の肩を打つ。
どちらも決定打ではない。
だが、互いに一歩も譲らない。
海斗が低く言った。
初めての言葉だった。
「分かってたか」
綾小路は答える。
「ああ」
「最初からか」
「最初からだ」
「オレじゃ、お前に勝ち切れない」
綾小路はわずかに間を置いた。
「オレも、お前に勝ち切れない」
海斗の目が少しだけ細くなる。
「だろうな」
それは諦めではない。
怒りでもない。
互いの力量を認めた者だけが出せる声だった。
海斗は肩をすくめた。
「綾小路はずるいよな。綾小路と戦わなくて済むんだから」
綾小路は少しだけ考えるように視線を上げた。
そして、静かに言う。
「海斗は海斗を過小評価している」
海斗が眉を上げる。
「あ?」
「海斗に謝れ」
数秒、沈黙が流れた。
海斗は思わず吹き出した。
「何だそれ」
「事実だ」
「自分で自分に謝れってか?」
「ああ」
「めんどくせぇ奴だな、お前」
「お前ほどじゃない」
海斗は笑った。
「違いねぇ」
堀北はその会話を聞いて、背筋に震えが走った。
そこにあるのは勝敗ではない。
優劣でもない。
自分と同じ場所に立つ存在を見つけた者同士だけが共有できる不思議な信頼だった。
敵にもなれる。
味方にもなれる。
それでも最後には、互いを認め合ってしまう。
そんな関係性が、綾小路清隆と朝霧海斗には確かに存在していた。
麗華も同じだった。
二人は、今やっと分かった。
綾小路と海斗は、戦いながら互角だと気づいたのではない。
最初から分かっていた。
だからこそ、戦う前から余計な言葉を捨てた。
勝てないわけではない。
負けるわけでもない。
だが、決着をつけようとすればどちらが沈んでもおかしくない。
そして、その瞬間を坂柳は狙っている。
坂柳の声が響いた。
「素晴らしいですね」
彼女は本当に楽しそうだった。
「これほど美しい均衡は、そう見られるものではありません」
綾小路と海斗は同時に坂柳を見た。
坂柳は微笑む。
「ですが、まだ終わっていません。どちらかが倒れるまで――」
その言葉の途中で、綾小路が動いた。
海斗も同時に動く。
互いに向かってではない。
床へ置いた銃へ。
綾小路はショットガンを拾う。
海斗はマシンガンを拾う。
坂柳の目がわずかに動いた。
「何を――」
二つの銃口が、互いではなく別方向へ向いた。
綾小路は天井の銃座制御ユニットへ。
海斗はホール中央の黒い台座へ。
銃声。
二つ。
ほぼ同時だった。
綾小路の弾丸が制御ユニットを破壊する。
火花が散る。
銃座の照準光が消える。
同時に、海斗のマシンガンが黒い台座の側面を撃ち抜いた。
内部の制御基板が砕け、青白い光が弾ける。
ホールの床を走っていたラインが消えた。
コンテナの駆動音が止まる。
隔壁の動きも止まる。
銃座が沈黙する。
堀北と麗華へ向いていた赤い照準光も消えた。
坂柳の盤面が、完全に停止した。
沈黙。
煙の匂い。
焦げた金属の匂い。
綾小路は銃を下ろした。
海斗も銃を下ろす。
そして互いの銃を再び交換する。
坂柳はしばらく何も言わなかった。
彼女は、珍しく完全な沈黙を見せていた。
やがて、ゆっくりと笑みを浮かべる。
「なるほど」
その声は、敗北を認める声ではなかった。
だが、明らかに興味を深めた声だった。
「私の盤面で戦うふりをして、盤面そのものを壊す」
海斗は静かに答えた。
「相手を間違えたな」
綾小路も言った。
「オレたちは駒じゃない」
坂柳は目を細めた。
「ええ」
彼女は微笑む。
「そのようですね」
堀北はようやく息を吐いた。
麗華も膝から力が抜けそうになる。
「本当に……」
麗華は小さく呟く。
「本当に戦ってたのに……」
「最初から、別の目的も見ていたのね」
堀北が言った。
綾小路は答えない。
海斗も答えない。
だが、その沈黙が答えだった。
坂柳は海斗を見る。
「朝霧さん」
海斗は視線を上げる。
「あなたは、盤面の上で勝つことにこだわらないのですね」
坂柳の笑みが深くなる。
綾小路は坂柳へ言った。
「これで終わりか」
「いいえ」
坂柳は微笑んだ。
「むしろ、ここからです」
坂柳は杖をつきながら、静かに四人の前へ進んだ。
綾小路は銃を下げすぎない。
海斗も同じだ。
堀北と麗華はそれぞれの位置で、息を整える。
坂柳は二人の男を見比べた。
「綾小路くん。朝霧さん。あなた方は確かに私の読みを外しました」
彼女の声は穏やかだった。
「いえ、違いますね」
坂柳は少しだけ楽しそうに訂正した。
「読みを外したのではなく、読むための盤面を壊した」
海斗はようやく短く言った。
「御託はいい」
坂柳は微笑む。
「失礼しました」
そのやり取りに、麗華が少しだけ安心したように息を吐く。
海斗が戻ってきた。
完全にふざけているわけではない。
だが、さっきまでの無言の海斗とは違う。
戦いが終わったのだ。
少なくとも、綾小路との戦いは。
坂柳は杖を鳴らした。
「では、次の盤面へ進みましょう」
床の奥で、別の機構が動く音がする。
綾小路の目が細くなる。
海斗も表情を変えた。
堀北が身構える。
麗華が海斗の袖を掴む。
巨大な隔壁が、ゆっくりと開き始めた。
白銀禁止区域の空気が変わる。
綾小路清隆は一歩前へ出た。
朝霧海斗も一歩前へ出た。
今度は、互いに向かってではない。
同じ方向へ。
堀北鈴音と二階堂麗華は、その背中を見ていた。
つい先ほどまで拳を交えていた二人が、もう並んでいる。
決着はつかなかった。
だが、必要なものは得た。
互いの力。
互いの限界。
互いに背中を預けられるかどうか。
それらを、言葉ではなく拳で確かめた。
そして、綾小路清隆と朝霧海斗は、初めて本当の意味で並び立った。
モチベ維持のために感想・評価をもらえると幸いです。