ザ・ダイハード・マスターピース   作:EXTERMINATION

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第33話 最高傑作の敗因

白銀禁止区域が、低く唸っていた。

 

それは警報音だけではなかった。

 

壁の奥を走る配管が震え、床下の設備が軋み、

天井に埋め込まれた照明が赤く明滅するたびに、

施設そのものが巨大な生き物のように呼吸しているように見えた。

 

遠くで爆発音が響いた。

 

一度ではない。

 

二度。

 

三度。

 

そのたびに通路の床がわずかに跳ね、天井から白い粉塵が落ちてくる。

 

白銀禁止区域は、もう安全な場所ではなかった。

 

いや、最初から安全などなかった。

 

だが今この瞬間、この場所でもっとも危険なのは、

崩壊しかけた施設でも、鳴り止まない警報でも、月城の仕掛けた罠でもない。

 

山内春樹だった。

 

山内は片膝をついていた。

 

直前までの攻防で、綾小路清隆と朝霧海斗は確かに山内を崩した。

 

海斗が偽の癖を見せ続け、綾小路が偽の指示を混ぜ、

山内に間違った正解を覚えさせた。

 

その結果、山内の予測は一瞬だけ鈍り、海斗の攻撃は山内に届いた。

 

けれど。

 

山内はまだ倒れていない。

 

片膝をついているだけだ。

 

山内の呼吸は大きく乱れていなかった。

 

目も死んでいない。

 

むしろ、その瞳は先ほどよりも静かに澄んでいた。

 

余計な感情が削ぎ落とされ、

戦闘に不要なものがさらに排除されていくようだった。

 

「なるほど」

 

山内が呟いた。

 

かつての山内春樹なら、こんな場面で何かを叫んでいたかもしれない。

 

悔しがり、怒り、怯え、誰かに助けを求めていたかもしれない。

 

だが今の山内は違う。

 

自分が片膝をついた事実すら、ただの情報として処理していた。

 

「綾小路の指示は信用できない」

 

山内の視線が綾小路へ向く。

 

「朝霧海斗の動きも信用できない」

 

次に海斗を見る。

 

「嘘を覚えさせられていた」

 

海斗がショットガンを肩に担ぎ、鼻で笑った。

 

「ようやく気付いたかよ。授業料、高かっただろ」

 

山内は笑わない。

 

挑発に乗らない。

 

海斗の軽口も、山内の中ではただの音声情報として処理されていく。

 

その反応のなさが、逆に異様だった。

 

海斗の目から、薄い笑みが消えた。

 

「……やっぱ気味悪いな、お前」

 

山内はゆっくり立ち上がる。

 

床に片手をつき、膝を戻し、身体を起こす。

 

その動きに無駄がない。

 

痛みを感じていないわけではないはずだ。

 

攻撃は入っている。

 

身体のどこかに損傷もある。

 

それでも山内は、痛みを表情へ出さない。

 

「方針を変える」

 

山内が言った。

 

綾小路はその一言で、次に何が起こるかを予測した。

 

山内はもう、海斗の癖だけを追わない。

 

綾小路の指示だけを追わない。

 

二人の連携を崩すために、もっと直接的な手段を選ぶ。

 

つまり。

 

盤面そのものを壊す。

 

山内の身体が沈んだ。

 

次の瞬間、山内は消えた。

 

速い。

 

今までで最も速い。

 

床を蹴る音よりも、風圧の方が先に来た。

 

だが山内が向かった先は、綾小路ではなかった。

 

海斗でもなかった。

 

堀北鈴音だった。

 

「っ……!」

 

堀北は反応した。

 

決して遅くはない。

 

普通の生徒なら、山内が動いたことにすら気付けなかっただろう。

 

だが堀北は、山内の視線の変化を見ていた。

 

自分が狙われたと理解し、咄嗟に足を引いた。

 

それでも足りない。

 

山内の速度は、その程度の反応を簡単に上回る。

 

山内の手が堀北へ伸びる。

 

捕まれば終わる。

 

綾小路は一歩踏み出そうとした。

 

しかし、その前に海斗がいた。

 

轟音が響く。

 

発砲音ではない。

 

海斗が床を蹴った音だった。

 

海斗の身体が山内の横へ飛び込み、肘が山内の頬を打った。

 

山内の顔がわずかに逸れる。

 

堀北へ伸びていた手の軌道がずれた。

 

海斗はそのまま山内の進路に入り、

ショットガンの銃身を横へ流すように使って山内を押し戻す。

 

「……」

 

海斗は何も言わなかった。

 

いつもの軽口がない。

 

粗野な笑みもない。

 

相手を煽る余裕も、場を茶化す癖も、全部消えていた。

 

そこにいるのは、麗華のボディガードとしての朝霧海斗だった。

 

堀北は息を呑んだ。

 

麗華も目を見開いている。

 

「海斗……」

 

その声には、恐怖だけではなく、彼をよく知る者だけが抱く不安が混じっていた。

 

海斗が本当に怒っている時。

 

海斗が本当に危険な時。

 

彼は喋らない。

 

麗華はそれを知っていた。

 

坂柳有栖は壁際で杖を握りながら、静かにその様子を見ていた。

 

「なるほど」

 

坂柳が小さく言う。

 

「朝霧さんの沈黙は、怒りの裏返しなのですね」

 

堀北が眉を寄せる。

 

「今それを分析している場合?」

 

「分析しなければ、彼を見誤ります」

 

坂柳は山内を見たまま言った。

 

「山内くんは、今まさに見誤ろうとしている」

 

山内は海斗を見ていた。

 

「やはり、君は分かりやすい」

 

海斗は答えない。

 

「堀北鈴音を狙えば、君は動く」

 

山内の視線が、今度は麗華へ向く。

 

「二階堂麗華を狙えば、もっと速く動く」

 

麗華の身体が強張る。

 

海斗の指がショットガンのグリップを握り直した。

 

わずかな動き。

 

だが山内はそれを見逃さない。

 

「そこが君の弱点だ」

 

山内は淡々と言った。

 

「守るものがある人間は、行動を制限される。予測しやすい。壊しやすい」

 

海斗はしばらく黙っていた。

 

それから、低い声で言った。

 

「違うな」

 

山内の眉がわずかに動く。

 

「それは仕事だ」

 

その一言には、怒鳴り声よりも重い響きがあった。

 

麗華は唇を噛んだ。

 

堀北は麗華の腕を軽く掴み、後ろへ下がらせる。

 

「麗華さん、もう少し後ろへ」

 

「うん……分かってる」

 

麗華は頷いた。

 

だが視線は海斗から離れない。

 

「海斗、無茶しないでよ」

 

海斗は振り返らなかった。

 

けれど、少しだけ肩が動いた。

 

聞こえている。

 

それで十分だった。

 

綾小路は山内を見ていた。

 

山内の動き。

 

視線。

 

呼吸。

 

反応。

 

先ほどから積み上がっていた違和感が、ようやく一つの形になる。

 

山内は速い。

 

強い。

 

異常なほどに対応が早い。

 

しかし、それは反射神経の怪物だからではない。

 

単純な学習能力の怪物でもない。

 

山内の本質は、予測依存だ。

 

相手の動作を拾い、直前の情報から次の行動を割り出し、最適解を出す。

 

その精度が異常に高い。

 

だから初見の攻撃にも対応する。

 

だから海斗の癖を短時間で掴む。

 

だから綾小路の指示にも反応する。

 

だが、それは裏を返せば。

 

山内は、相手が何かの規則に従って動くことを前提にしている。

 

人間は癖を持つ。

 

守る対象があれば動きが縛られる。

 

怒れば判断が荒くなる。

 

恐れれば反応が遅れる。

 

山内はそれらを拾って、戦闘に変換している。

 

だが、規則そのものが消えたらどうなる。

 

癖がないのではない。

 

癖がその場その場で壊れる相手。

 

理屈ではなく、現場の感覚で動く相手。

 

考えるより先に、必要なことだけを選ぶ相手。

 

山内にとって、それは最も処理しにくい。

 

そして、そんな人間が今ここにいる。

 

朝霧海斗だ。

 

山内が動いた。

 

狙いは綾小路。

 

綾小路へ向かって最短距離で踏み込む。

 

当然、海斗は割り込む。

 

だからこそ山内はそう予測した。

 

だが海斗は割り込まなかった。

 

右へ動く。

 

いや、途中で止まる。

 

次に左へ動く。

 

と思わせて、半歩だけ前へ出る。

 

そこでショットガンを構える。

 

撃つのか。

 

撃たないのか。

 

山内の目が初めて迷った。

 

海斗自身も、次に何をするかを完全に決めていない。

 

それは戦術としては粗い。

 

計算された動きではない。

 

だが、その場の空気、山内の重心、綾小路の位置、

麗華たちとの距離、壁の反響、床の破片。

 

そうした情報を理屈ではなく身体で拾い、最も嫌な動きを選んでいる。

 

山内の予測がずれる。

 

海斗の拳が飛ぶ。

 

山内は避ける。

 

次に膝が来る。

 

山内は受ける。

 

さらに肘。

 

山内は流す。

 

だが海斗は、その流された勢いを利用して肩からぶつかる。

 

山内の身体がわずかに揺れた。

 

「なんだ……」

 

山内が初めて困惑を声に出した。

 

「その動きは」

 

海斗は笑った。

 

「知らねぇよ」

 

ショットガンの銃床が山内の腕を打つ。

 

「オレも考えてねぇ」

 

山内の予測がまた外れる。

 

海斗は右に逃げる癖を見せていた。

 

だが逃げない。

 

綾小路の指示を待つように見せていた。

 

だが待たない。

 

麗華を狙われれば一直線に守るように見せていた。

 

だが今は、その守る動きすら攻撃の起点に変えている。

 

山内の中に積み上がっていた正解が、次々と崩れていく。

 

綾小路はその瞬間を見ていた。

 

山内の視線が一瞬だけ遅れる。

 

海斗の肩を見るのが遅れる。

 

銃口を見るのが遅れる。

 

足の向きを拾うのが遅れる。

 

その遅れはほんのわずかだ。

 

普通の人間なら気付かない。

 

だが綾小路には十分だった。

 

「そこだ」

 

海斗は返した。

 

「言われなくても分かる」

 

ショットガンが火を噴いた。

 

狙いは山内の胴体ではない。

 

足元。

 

姿勢を崩すための一撃。

 

轟音が通路に響き、山内の足場が砕ける。

 

山内の重心が落ちた。

 

その瞬間、綾小路が踏み込む。

 

今まで後方で読んでいた綾小路が、自ら前へ出る。

 

山内の目が見開かれる。

 

山内は綾小路を読む。

 

綾小路は読みに徹する。

 

海斗を使う。

 

指示を出す。

 

そう学習していた。

 

だからこそ、綾小路自身が前に出る一手が刺さる。

 

綾小路は山内の腕を取った。

 

関節を完全に極める必要はない。

 

一秒。

 

いや、半秒でいい。

 

山内の肩の可動域を制限し、回避方向を一つ潰す。

 

山内はすぐに反応する。

 

身体をひねり、綾小路の制御を外そうとする。

 

だがその時には、海斗が入っていた。

 

海斗の銃床が振り抜かれる。

 

山内の脇腹へ叩き込まれた。

 

鈍い衝撃音が通路に沈む。

 

山内の身体が折れる。

 

綾小路はすぐに離れる。

 

海斗がさらに踏み込む。

 

今度は銃床ではない。

 

肘。

 

肩。

 

拳。

 

山内の反撃を許さないように、細かく、乱暴に、連続して打ち込む。

 

山内は受ける。

 

避ける。

 

流す。

 

だが遅れている。

 

海斗の自由な動きに、山内の予測が追いついていない。

 

「山内」

 

綾小路が言った。

 

山内の視線が綾小路へ向く。

 

その瞬間、海斗の拳が入る。

 

山内の顔が横へ弾かれた。

 

「おいおい」

 

海斗が低く笑う。

 

「綾小路ばっか見てんじゃねえよ」

 

山内は踏み止まる。

 

その目に、初めて怒りが浮かんだ。

 

「朝霧海斗……!」

 

「やっと名前呼んだな」

 

海斗はショットガンを構え直す。

 

「覚えとけ。オレは添え物じゃねえ」

 

山内が突っ込む。

 

今度の狙いは海斗。

 

山内は綾小路から一度意識を外し、海斗を先に潰そうとした。

 

それもまた、綾小路の狙いだった。

 

山内が綾小路だけを見れば、海斗が崩す。

 

山内が海斗だけを見れば、綾小路が刺す。

 

二人の間で意識を分散させる。

 

それが山内の予測依存をさらに鈍らせる。

 

綾小路は横へ動いた。

 

銃口を向ける。

 

撃たない。

 

山内は一瞬だけ反応する。

 

その一瞬で、海斗が山内の懐へ入る。

 

山内は海斗を掴もうとする。

 

海斗は掴ませた。

 

麗華が小さく声を上げる。

 

「海斗!」

 

海斗の腕が山内に捕まる。

 

普通なら危険な状況だ。

 

山内の力なら、そのまま関節を折ることも、床へ叩きつけることもできる。

 

だが海斗は最初からそれを狙っていた。

 

掴まれた腕を軸に、身体を低く沈める。

 

山内の力の向きがずれる。

 

綾小路が山内の背後へ回る。

 

山内は反応しようとする。

 

しかし海斗が腕を抜かず、逆に身体ごと山内へ押し込んだ。

 

山内の動きが詰まる。

 

「今だ」

 

綾小路が山内の肩を制限する。

 

海斗が片足を山内の膝裏へかける。

 

山内の体勢が崩れる。

 

だが山内は倒れない。

 

異常な体幹で踏み止まる。

 

綾小路はそれも予想していた。

 

「海斗」

 

「ああ」

 

短いやり取り。

 

海斗はショットガンを手放した。

 

金属音が床に響く。

 

山内の目が動く。

 

武器を捨てた。

 

なぜ。

 

山内の処理が一瞬だけ止まる。

 

その一瞬で、海斗の両手が空く。

 

海斗は山内の襟を掴み、額をぶつけるような近距離で低く言った。

 

「終わりだ、最高傑作」

 

そして膝を叩き込んだ。

 

山内の身体が折れる。

 

綾小路が同時に腕を引く。

 

山内の重心が完全に崩れた。

 

海斗が落ちたショットガンを足で蹴り上げ、空中で掴む。

 

そのまま銃床を振り抜いた。

 

今度は山内の肩口。

 

骨を砕くような音はしない。

 

だが山内の身体は大きく傾いた。

 

綾小路が最後に踏み込み、山内の手首を取り、床へ引き落とす。

 

山内の膝がつく。

 

片膝ではない。

 

両膝が床についた。

 

山内は動こうとする。

 

だが海斗の銃口が額の前にある。

 

綾小路の制御が腕を封じている。

 

山内の予測は、もう追いついていなかった。

 

長い沈黙。

 

警報音だけが響く。

 

山内春樹は、敗北していた。

 

堀北は息を吐いた。

 

麗華はその場に座り込みそうになり、堀北が支える。

 

坂柳は静かに目を細めていた。

 

「……人工的な天才の限界」

 

坂柳が呟く。

 

その声は、勝利を喜ぶものではなかった。

 

むしろ、どこか冷たく、哀れみすら含んでいた。

 

山内は床に膝をついたまま、綾小路を見上げる。

 

「どうしてだ」

 

声がかすれていた。

 

「どうして、俺が負ける」

 

綾小路は答えた。

 

「お前が弱かったからじゃない」

 

山内の目が揺れる。

 

「お前は強い。異常なほどに」

 

「なら、なんで……」

 

「お前は、オレだけを見すぎた」

 

山内は黙る。

 

綾小路は続けた。

 

「お前はオレを倒すために作られた。だからオレの動きを読み、

オレの指示を読み、オレの思考を追った」

 

山内の指が床を掴む。

 

「それが間違いだった」

 

「違う」

 

山内が低く言った。

 

「俺は完成したんだ」

 

「違う」

 

綾小路は即座に否定した。

 

「完成させられたんだ」

 

山内の表情が初めて大きく揺れた。

 

その言葉は、山内の奥に残っていた何かへ届いた。

 

山内春樹という人間。

 

ブラックルーム最高傑作という役割の下に押し込められていた、

かつての不完全な自分。

 

「お前は答えを探した」

 

綾小路は静かに言った。

 

「だが、海斗は答えで動いていない」

 

海斗が銃口を下げずに、少しだけ眉を動かす。

 

「海斗は守るために動いた。麗華を守る。堀北を守る。

必要ならオレの指示にも従う。だが最後は、自分で選んで動く」

 

麗華は海斗の背中を見ていた。

 

「堀北は逃げるだけではなく、残る判断をした。

坂柳は戦えなくても盤面を見続けた。麗華は海斗を信じていた」

 

山内は小さく呟く。

 

「それが……何になる」

 

「人間だ」

 

綾小路は言った。

 

「お前には、それがなかった」

 

沈黙。

 

山内の目から、戦闘用の冷たさが少しずつ抜けていく。

 

代わりに浮かんだのは、怒りでも悔しさでもなかった。

 

空白だった。

 

自分が何だったのか。

 

何のために戦っていたのか。

 

誰に認められたかったのか。

 

それすら分からなくなった人間の目だった。

 

「俺は……」

 

山内は何かを言おうとした。

 

だが、言葉は続かなかった。

 

その時だった。

 

施設全体が激しく揺れた。

 

今までとは比較にならない衝撃。

 

天井の一部が崩れ、破片が床に落ちる。

 

遠くで爆炎が噴き上がったような音がした。

 

通路の奥から熱風が流れ込んでくる。

 

麗華が堀北の腕を掴む。

 

「今の、やばくない?」

 

「かなりまずいわ」

 

堀北はすぐに周囲を確認した。

 

退路。

 

隔壁。

 

火の回り。

 

坂柳の位置。

 

麗華の状態。

 

綾小路と海斗。

 

考えるべきことが多すぎる。

 

それでも堀北は、恐怖に飲まれなかった。

 

「綾小路くん、ここに長くはいられないわ」

 

「ああ」

 

綾小路が答えた直後、通路のスピーカーからノイズが走った。

 

ざらついた音。

 

そして、拍手。

 

乾いた拍手の音が、警報の中に混じって響いた。

 

『お見事です』

 

月城の声だった。

 

海斗が舌打ちする。

 

「出たな、黒幕」

 

スピーカー越しの月城は、いつものように落ち着いていた。

 

施設が崩壊しかけているにもかかわらず、その声には焦りがない。

 

『山内くんまで突破するとは。やはり綾小路くん、あなたは非常に価値がある』

 

綾小路は何も言わない。

 

『朝霧海斗くんも想定以上でした。

二階堂麗華さんの護衛という枠に留めておくには惜しい人材ですね』

 

海斗の目が細くなる。

 

「気安く麗華の名前出すんじゃねえよ」

 

麗華が小さく息を呑む。

 

海斗の声は静かだった。

 

だが、その静けさが逆に危険だった。

 

月城は気にした様子もなく続ける。

 

『さて、時間です』

 

スピーカーのノイズが強くなる。

 

『白銀禁止区域の自爆シーケンスを開始します』

 

堀北の顔が強張る。

 

「自爆……?」

 

麗華が声を震わせる。

 

「そんなの、完全に口封じじゃん」

 

坂柳は静かに目を閉じた。

 

「証拠隠滅ですね。いかにも月城理事長代理らしい手です」

 

『綾小路くん』

 

月城の声が、まっすぐ綾小路へ向けられる。

 

『最後の提案です。こちらへ戻りなさい』

 

警報が鳴り続ける。

 

天井から粉塵が落ちる。

 

通路の奥で炎が揺れる。

 

『拒否するなら、あなたを含め、この場の全員を処理します』

 

海斗が笑った。

 

「ほら来た。悪役のテンプレ台詞だ」

 

堀北が睨む。

 

「今、冗談を言っている場合?」

 

「言ってねえと腹立つだろ」

 

麗華が海斗を見た。

 

「海斗」

 

「大丈夫だ」

 

海斗は振り返らずに言う。

 

「戻るって言ったろ」

 

その言葉だけで、麗華の表情がわずかに緩む。

 

綾小路はスピーカーを見上げた。

 

「断る」

 

返答は短かった。

 

迷いはなかった。

 

月城は少しだけ沈黙した。

 

そして、低く笑う。

 

『そうですか』

 

次の瞬間、通路の奥で隔壁が下り始めた。

 

重い金属音。

 

逃げ道が一つ塞がる。

 

さらに別の方向から炎が走る。

 

白銀禁止区域の破棄が始まった。

 

月城の声が続く。

 

『では、次の試験へ進みましょう』

 

通信が切れる。

 

警報だけが残った。

 

山内は床に膝をついたまま、スピーカーを見ていた。

 

月城は山内に一言もかけなかった。

 

山内が敗れたことへの怒りもない。

 

ねぎらいもない。

 

惜しむ言葉もない。

 

山内ですら、ただの駒だった。

 

使い終われば捨てる。

 

それだけ。

 

山内の目がゆっくりと伏せられる。

 

「山内」

 

綾小路が呼んだ。

 

山内は反応しない。

 

「立てるか」

 

海斗が綾小路を見た。

 

「おい。まさか連れてく気か」

 

「情報を持っている可能性がある」

 

「それだけか?」

 

綾小路は一瞬だけ沈黙した。

 

「置いていく理由にはならない」

 

山内の目がわずかに動く。

 

海斗は呆れたように息を吐いた。

 

「ったく」

 

ショットガンを片手に持ち替え、海斗は山内の腕を掴んだ。

 

「立てよ、最高傑作」

 

山内は抵抗しない。

 

「……なんで」

 

かすれた声。

 

「俺を助ける」

 

海斗は乱暴に山内を引き上げた。

 

「勘違いすんな。助けるっていうか、荷物として運ぶだけだ」

 

麗華が海斗を見た。

 

「海斗、怪我してるのに」

 

「平気じゃねえよ」

 

海斗はすぐに答えた。

 

「でも、文句言いながらやるのがオレの仕事だ」

 

麗華は少しだけ笑った。

 

「じゃあ、ちゃんと戻ってきて」

 

「命令か?」

 

「命令」

 

「偉くなったな、お前」

 

「海斗が戻らないと怒るから」

 

海斗は一瞬だけ振り返り、口元を少し上げた。

 

「なら戻るしかねえな」

 

堀北はそのやり取りを見て、小さく息を吐いた。

 

「本当に、こんな状況でも調子が崩れないのね」

 

「崩れてるよ」

 

麗華は堀北を見た。

 

「でも海斗は、崩れてる時ほどふざけるから」

 

「分かりにくい人ね」

 

「うん。かなり」

 

麗華は頷いた。

 

その声には、不安と信頼が混ざっていた。

 

坂柳が杖をつき、ゆっくりと前へ進む。

 

「綾小路くん」

 

「何だ」

 

「山内くんの敗北は、非常に興味深いものでした」

 

山内の視線が坂柳へ向く。

 

坂柳は穏やかに続ける。

 

「教育によって作られた天才は、確かに強い。

ですが、作られた目的に縛られる。あなたは綾小路くんを倒すために作られた。

だから綾小路くんから自由になれなかった」

 

山内は何も言わない。

 

坂柳の言葉は鋭かった。

 

だが、そこには勝者の嘲笑はなかった。

 

「人工的な天才を否定するには、十分な結末です」

 

坂柳はそう言った。

 

綾小路は坂柳を見る。

 

「満足したか」

 

「いいえ」

 

坂柳は微笑む。

 

「あなた自身の答えは、まだ見えていませんから」

 

その時、通路の奥から足音が聞こえた。

 

軽い足音だった。

 

崩壊しかけた施設の中で、場違いなほど軽やかな足音。

 

まるで廊下を散歩しているような、楽しげな気配。

 

綾小路はその足音に覚えがあった。

 

海斗も気付いたらしく、山内を支えたまま顔をしかめる。

 

「おいおい」

 

「まだ来んのかよ」

 

堀北が前を見る。

 

麗華が海斗の後ろへ下がる。

 

坂柳が静かに杖を握る。

 

非常灯の赤い光の向こうから、人影が現れた。

 

天沢一夏。

 

彼女は崩壊する通路の中を、まるで放課後の校舎を歩くように進んでくる。

 

口元には笑み。

 

目には狂気に近い好意。

 

その視線は、最初から綾小路だけを見ていた。

 

「お疲れさまです、綾小路先輩」

 

天沢は楽しそうに言った。

 

「山内先輩、負けちゃったんですね」

 

山内は何も言わない。

 

天沢は山内に興味がないように、すぐ綾小路へ視線を戻す。

 

「でも、さすがです」

 

その声は甘い。

 

そして危険だった。

 

「やっぱり先輩は、ホワイトルームの最高傑作なんかじゃ収まらない」

 

海斗が低く呟く。

 

「綾小路」

 

「何だ」

 

「お前の周り、面倒な女も多いな」

 

堀北が即座に言う。

 

「今それを言う?」

 

麗華も小さく頷いた。

 

「でも、ちょっと分かる」

 

綾小路は答えなかった。

 

天沢は笑う。

 

「安心してください。私は月城さんのためだけに来たわけじゃありません」

 

彼女は一歩進む。

 

「私は、綾小路先輩を信じてるんです」

 

さらに一歩。

 

「先輩なら、私も乗り越えてくれますよね?」

 

その言葉は、敵意であり、信仰だった。

 

愛情に似ている。

 

だが、歪んでいる。

 

崇拝しているからこそ、敵として立つ。

 

綾小路は天沢を見た。

 

山内戦は終わった。

 

ブラックルーム最高傑作は敗れた。

 

だが白銀禁止区域は、まだ終わらない。

 

月城は自爆シーケンスを開始した。

 

退路は塞がれつつある。

 

山内を抱え、堀北と麗華を守り、坂柳を連れて、

この施設から脱出しなければならない。

 

その前に。

 

天沢一夏が立ちはだかる。

 

海斗が山内を壁際に座らせ、ショットガンを構え直した。

 

「次はこいつか」

 

綾小路は静かに答える。

 

「ああ」

 

天沢は嬉しそうに笑った。

 

「では、次の試験を始めましょうか」

 

崩壊する白銀禁止区域の赤い光の中で、

山内春樹との戦いは終わり、次の敵が姿を現した。

 

最高傑作の敗因は、明確だった。

 

綾小路清隆だけを見すぎたこと。

 

そして、朝霧海斗という不合理な人間を、最後まで読み切れなかったこと。

 

だがその敗北は終わりではない。

 

月城の計画は、まだ続いている。

 

綾小路は天沢を見据えた。

 

海斗は隣で悪態を飲み込むように息を吐いた。

 

堀北と麗華は互いに頷き、坂柳は静かに盤面の続きを見ていた。

 

白銀禁止区域の奥で、また新たな爆発が起きる。

 

炎が赤い光をさらに濃く染めた。

 

そしてその中で、天沢一夏は嬉しそうに笑っていた。




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