ザ・ダイハード・マスターピース 作:EXTERMINATION
白銀禁止区域は、夜の中で燃えていた。
それは施設というより、巨大な炉だった。
黒煙が山間の空へ立ち上り、赤い炎が研究棟の窓を内側から舐め、
爆発のたびに白い外壁が砕けて闇へ飛び散っていく。
かつて失敗者たちを閉じ込め、再利用し、実験し、選別してきたブラックルーム。
その心臓部だった中央制御区画は、すでに崩壊の連鎖から逃れられなくなっていた。
綾小路清隆たちは走っていた。
背後から迫る爆炎。
頭上から落ちる瓦礫。
床下を走る振動。
もう誰かを振り返る余裕はない。
堀北鈴音は息を切らしながら走っていた。
七瀬翼は彼女の少し後ろを守るように進み、
二階堂麗華は朝霧海斗の腕を掴んでいた。
海斗は満身創痍だった。
雅樹との戦い。
月城たちとの撃ち合い。
中央制御区画での最後の掃射。
その全てが身体に蓄積している。
それでも、彼は笑っていた。
「おい麗華、そんなに掴むな。腕取れるだろ」
「取れないわよ」
「分かんねぇぞ。今日だけで何回死にかけたと思ってんだ」
「なら黙って支えられて」
「命令口調が板についてきたな、お嬢様」
「あなた相手にはこれくらいでちょうどいいの」
海斗は小さく笑った。
その軽口は、いつもより少し弱い。
それでも、麗華を安心させるために言っていることは誰の目にも明らかだった。
綾小路は最後尾で、崩れかけた通路を確認しながら進んでいた。
道はすでに半分塞がっている。
中央制御区画から脱出したとはいえ、出口まではまだ距離がある。
しかも施設全体が自爆に近い状態で連鎖崩壊を起こしている。
どの通路が残っているか。
どの扉が開くか。
どこが崩れるか。
予測し続けなければ、一瞬で全員が炎に呑まれる。
その時だった。
通路の奥から、別の足音が聞こえた。
全員が足を止める。
海斗が反射的に前へ出ようとするが、身体が揺れた。
麗華が支える。
「無理しないで」
「してねぇよ」
「してる」
足音はゆっくり近づいてきた。
炎の向こうから、一人の男が現れる。
朝霧雅樹。
海斗の父。
先ほど海斗に敗れたはずの男だった。
額には血が滲み、戦闘服は破れ、足取りも完全ではない。
それでも、雅樹は立っていた。
海斗の目が鋭くなる。
「親父……てめぇ、まだ動けんのかよ」
雅樹は海斗を見た。
「お前ほどではない」
「笑えねぇ冗談だな」
「冗談ではない」
雅樹はそれだけ言うと、綾小路たちの背後へ視線を向けた。
燃え盛る中央制御区画。
そこに残された坂柳有栖。
堀北の顔が強張る。
「まさか……」
雅樹は静かに言った。
「可能性は残っている」
綾小路の目が動いた。
「坂柳を回収するつもりか」
「ああ」
海斗が一歩前へ出る。
「今さら何をする気だ」
「助ける」
短い答えだった。
海斗は眉を寄せる。
「お前が?」
「俺にはその設備と知識がある」
「都合よく父親面してんじゃねぇよ」
海斗の声には怒りが混じっていた。
雅樹は否定しなかった。
「そうだな」
その一言で、海斗は黙った。
雅樹は続ける。
「俺は多くを間違えた。
だが、可能性が残っている人間を見捨てる理由にはならない」
堀北は炎の向こうを見た。
坂柳有栖。
あの少女は最後に綾小路へ思いを告げ、意識を失った。
置いていくしかなかった。
そう判断するしかなかった。
だが、もしまだ可能性があるなら。
「本当に……助けられるんですか」
堀北の声は震えていた。
雅樹は即答しない。
「保証はできない」
それは誠実な答えだった。
「だが、ゼロではない」
綾小路は雅樹を見た。
そして、短く言った。
「頼む」
海斗がわずかに目を見開いた。
雅樹も少しだけ目を細める。
綾小路は続けた。
「今のオレたちでは坂柳を連れて脱出できない。
だが、お前なら可能性があると言うなら、任せる」
雅樹は頷いた。
「承知した」
海斗は歯を食いしばる。
「親父」
雅樹は足を止めた。
「死ぬなよ」
その言葉は、憎しみではなかった。
許しでもなかった。
ただ、息子として出てしまった言葉だった。
雅樹は振り返らない。
「お前もだ」
それだけ言うと、雅樹は炎の中へ進んでいった。
黒煙が彼の姿を包む。
天井が崩れ、赤い火花が舞う。
その向こうで、雅樹は坂柳のいる場所へ向かっていく。
やがて、炎の奥で人影がかがんだ。
坂柳を抱き上げたのだろう。
堀北は祈るように唇を結んだ。
麗華も声を出せない。
綾小路は一度だけ、その光景を見た。
そして背を向けた。
「行くぞ」
堀北が顔を上げる。
「綾小路くん……」
「ここに残れば全員死ぬ」
それは前と同じ判断だった。
だが、今度は完全な絶望ではない。
坂柳には、まだ可能性が残った。
だから進める。
進まなければならない。
通路の先から、外気が流れ込んできた。
黒煙の中に、夜の冷たい風が混じる。
出口が近い。
同時に、ヘリのローター音が響いてきた。
海斗が顔を上げる。
「尊だ」
外へ出た瞬間、視界が一気に開けた。
白銀禁止区域の敷地は、地獄のように燃えていた。
研究棟の上層は崩れ、地下区画からは炎が噴き出し、
山肌には爆発でえぐられた跡が走っている。
その直後だった。
研究棟の下層で何かが臨界を迎えたように、地面そのものが跳ね上がった。
轟音と共に巨大な火柱が噴火のように噴き上がり、
建物の外壁が内側から引き裂かれながら吹き飛ぶ。
爆炎は山肌を舐めるように駆け上がり、鉄骨、コンクリート、
瓦礫のすべてを巻き込みながら夜空へ散乱させた。
地下施設の崩落は連鎖し、
白銀禁止区域の各所で次々と爆発が発生する。
まるで山そのものが燃えながら崩れ落ちていくかのような光景だった。
その上空に、一機のヘリが旋回していた。
サーチライトが黒煙を切り裂く。
ロープ梯子が揺れながら降りてくる。
無線越しに、宮川尊徳の怒鳴り声が響いた。
『お前ら、生きてるか!?』
海斗が片手を上げる。
「見りゃ分かんだろ!」
『分からないから訊いてる!早く乗れ!この施設、あと数分で全部吹っ飛ぶぞ!』
海斗は麗華をロープ梯子へ押し出した。
「先に行け」
麗華は海斗を見る。
「あなたは?」
「後から行く」
「またそれ?」
「今回は本当に後から行く」
「信用できない」
海斗は苦笑した。
「じゃあ上で見張ってろ。オレが来なかったら怒鳴れ」
「絶対怒鳴る」
「なら行け」
麗華は一瞬迷ったが、梯子を掴んだ。
尊徳が上から補助し、麗華を引き上げる。
次に堀北。
七瀬。
堀北は梯子へ手をかける前に、綾小路を見た。
「あなたもすぐ来なさい」
「ああ」
「それ、本当に分かっているの?」
「分かっている」
堀北はまだ何か言いたそうだったが、爆発音に遮られた。
彼女は梯子を上る。
七瀬も続いた。
ヘリが大きく揺れる。
地上では炎がさらに広がっていた。
綾小路と海斗だけがまだ残っている。
その時だった。
夜空の奥から、低い轟音が近づいてきた。
ヘリの音ではない。
もっと鋭く、もっと重い音。
綾小路が顔を上げる。
黒煙の向こう。
夜空を滑る黒い影。
ステルス攻撃機。
海斗が呟いた。
「嘘だろ……」
機体は燃える施設の上空を旋回し、ヘリへ向かって高度を下げてくる。
そして通信回線が割り込まれた。
ノイズ混じりの声。
だが、聞き間違えるはずがなかった。
『綾小路ィィィ!!』
山内春樹。
死んだように消えたはずの男。
ブラックルーム最高傑作として投入され、敗れ、そして姿を消していた男。
その山内が、ステルス攻撃機を操縦していた。
『終わってねぇぞ!俺はまだ終わってねぇ!お前ら全員、ここで燃え尽きろ!!』
堀北がヘリの中で目を見開いた。
「山内くん……!」
麗華も息を呑む。
七瀬は顔面蒼白になっていた。
「あの機体……月城さんが最終手段として準備していたものです」
尊徳が操縦桿を握りしめる。
『冗談じゃない!こんな近距離で戦闘機に狙われたら逃げ切れないぞ!』
ステルスの機体下部が開く。
ミサイル。
綾小路が叫んだ。
「伏せろ!」
直後、施設の一角にミサイルが着弾した。
ミサイルが着弾した瞬間、大地そのものが悲鳴を上げた。
凄まじい爆発が地下施設を内側から引き裂き、
研究棟の半分が爆炎と共に空中へ吹き飛ぶ。
連鎖的に燃料タンクと薬品庫が誘爆し、
無数の火柱が噴火のように夜空へ突き上がった。
衝撃波は周囲の建物を次々となぎ倒し、
窓ガラスや外壁を吹き飛ばしながら空間全体を揺さぶる。
赤黒い爆煙は巨大なキノコ雲となって広がり、
崩壊するホワイトルームを完全に飲み込んだ。
ローターが悲鳴を上げる。
尊徳が怒鳴る。
『掴まれ!落ちるぞ!』
ヘリが大きく傾く。
麗華が座席にしがみつく。
堀北が七瀬を支える。
地上では、綾小路と海斗が爆風に煽られていた。
ロープ梯子が激しく揺れる。
海斗が叫ぶ。
「綾小路、先に行け!」
「同時だ」
「この状況で仲良しこよしかよ!」
「口を動かす余裕があるなら登れ」
「へいへい!」
二人は梯子に飛びついた。
ヘリはすでに上昇し始めている。
地上との距離が開く。
直後、地下施設そのものが噴火したかのような爆炎が背後から噴き上がった。
赤黒い火柱は数十メートルの高さまで伸び上がり、
二人が掴まる梯子を飲み込もうと獰猛に追いかけてくる。
熱風だけで皮膚が焼けるように痛み、海斗は思わず歯を食いしばった。
梯子の金属部分は赤熱し始め、
握る手袋越しにも灼けるような熱が伝わってくる。
さらに爆発で吹き上がった瓦礫と鉄骨の破片が弾丸のように空を裂き、
二人のすぐ脇を掠めながら飛び去っていった。
海斗の手が一瞬滑った。
「っ……!」
麗華がヘリの中で叫ぶ。
「海斗!」
綾小路は片手で梯子を掴んだまま、もう片方の手を伸ばした。
海斗の腕を掴む。
海斗の身体が宙で揺れる。
足元では紅蓮の爆炎が荒れ狂い、
あと数メートル落ちれば骨すら残らない熱量が口を開けて待っていた。
綾小路も片腕だけで全体重を支えている状態であり、
指先からは限界を訴えるような痛みが走っている。
上空では救出ヘリが激しく揺さぶられ、
梯子そのものが暴風に煽られて振り子のように大きく振れた。
さらに遠くを旋回していたステルス攻撃機が再び機首を向け、
黒い死神のように二人へ接近してくる。
落ちても終わり、手を離しても終わり、撃たれても終わり――
まさに生と死の境界線へぶら下がっているような状況だった。
「放すなよ!」
海斗が叫ぶ。
「放さないと言った」
「言ったか?」
「今言った」
「なら信用してやる!」
綾小路は全身の力で海斗を引き上げる。
海斗も残った力で梯子を掴む。
ヘリの中から堀北と七瀬が手を伸ばす。
尊徳が必死に機体を安定させる。
麗華が身を乗り出そうとして堀北に止められる。
「危ない!」
「でも海斗が!」
「分かってる!」
綾小路が先にヘリの縁へ届く。
堀北が腕を掴む。
七瀬も補助する。
綾小路は上がりきる前に、海斗の腕をさらに引いた。
海斗の身体がヘリの床へ転がり込む。
直後、爆炎がロープ梯子を焼いた。
梯子の一部が千切れ、炎の中へ落ちていく。
全員が荒い息を吐いた。
麗華が海斗へ飛びつく。
「馬鹿!」
「生きてるだろ」
「本当に馬鹿!」
「さっきから馬鹿しか言ってねぇぞ」
「馬鹿だからよ!」
海斗は何か返そうとしたが、言葉の代わりに咳き込んだ。
綾小路もヘリの床に片膝をつく。
堀北が肩を掴む。
「大丈夫?」
「問題ない」
「その返事は信用できないって言ったはずよ」
「覚えている」
「なら別の返事をしなさい」
「まだ動ける」
「もっと悪いわ」
その時、尊徳が叫んだ。
『喜んでる場合じゃない!まだ来るぞ!』
ステルス攻撃機が再び旋回していた。
山内の声が通信に乗る。
『逃がさねぇ……逃がさねぇぞ綾小路……!お前だけは、俺が落とす!』
機関砲が火を噴いた。
弾丸がヘリの周囲を切り裂く。
尊徳が機体を急降下させる。
全員の身体が浮く。
麗華が悲鳴を上げる。
堀北が歯を食いしばる。
七瀬は座席にしがみついた。
海斗はヘリの後部を見た。
そこには、長いケースが固定されていた。
彼の目が細くなる。
「尊!」
『何だ!』
「あのケース何だ!」
『二階堂家の緊急装備だ!
中身は狙撃銃と対装甲装備!佐竹先生が積ませた!』
海斗が笑った。
「あのハゲ、最後に気が利くじゃねぇか」
麗華が目を見開く。
「まさか撃つ気?」
「他にどうすんだよ」
「相手は戦闘機よ!」
「だから面白ぇ」
「面白くない!」
海斗はケースを開けた。
中には大型のドラグノフ狙撃銃が収められていた。
長い銃身。
高倍率スコープ。
専用弾倉。
本来なら地上で固定して撃つべき重量だ。
だが、海斗はそれを抱え上げた。
綾小路が言う。
「揺れるヘリから、旋回する機体のコックピットを撃つのか」
「できると思うか?」
「普通なら無理だ」
「普通じゃねぇだろ、オレたち」
綾小路は一瞬だけ海斗を見た。
「ああ」
海斗はヘリの側面へ移動する。
尊徳が叫ぶ。
『撃つなら一回だ!次の旋回でこっちを正面に捉えられる!』
海斗は狙撃銃を構えた。
ヘリが揺れる。
風が叩きつける。
熱気が吹き上がる。
ステルスは黒煙の向こうから現れる。
視界は悪い。
標的は速い。
時間はない。
それでも、海斗の呼吸は静かになった。
麗華は息を呑む。
普段の軽口が消えている。
海斗が本気になると無口になる。
それを彼女は知っていた。
スコープの中。
ステルスの操縦席。
そこに山内の姿が見えた。
山内は笑っていた。
いや、笑っているように見えた。
憎悪と執着に飲まれた顔。
自分が敗れた事実を受け入れられず、
最後まで綾小路を壊すことだけを見ている顔。
海斗は小さく呟いた。
「悪いな、山内」
指が引き金に触れる。
「ここで終わりだ」
銃声。
ヘリの中に重い反動音が響いた。
狙撃弾は黒煙を裂き、夜空を走り、ステルスのコックピットを貫き、
山内の脳天を撃ち抜いた――。
彼の声が途切れる。
ステルスが大きく揺れる。
通信にノイズが走る。
『……ぁ……』
それきりだった。
堀北は目を閉じた。
七瀬は俯いた。
海斗はスコープから目を離す。
「倒した」
麗華が震える声で言う。
「終わったの?」
尊徳が叫んだ。
『いや、待て!機体がまだこっちへ来る!』
ステルスは止まらなかった。
山内を失っても、機体はなおヘリを追尾している。
自動操縦。
攻撃プログラム。
月城が仕込んだ最後の悪意。
無人になった機体が、なお綾小路たちを殺そうとしていた。
次の瞬間、ステルスの腹部が開いた。
「ミサイル!」
尊徳が叫ぶより早く、一発目が放たれた。
白い尾を引いた弾頭が、黒煙を切り裂いてヘリへ迫る。
「掴まれ!」
尊徳が操縦桿を右へ倒した。
ヘリが急激に横滑りする。
麗華が座席に叩きつけられ、堀北が七瀬の腕を掴み、
海斗が壁に肩をぶつけながら狙撃銃を抱え込む。
ミサイルが突き刺さった地点を中心に内側から爆ぜた。
砕けた岩盤が何十トン単位で吹き飛び、
燃え上がる土砂と共に巨大な火柱が夜空へ突き上がる。
爆発で生じた閃光は一瞬だけ周囲全体を昼のように照らし出し、
黒いステルス機の機影を白く浮かび上がらせた。
遅れて襲った衝撃波は空気そのものを圧縮した壁となり、
ヘリを木の葉のように激しく揺さぶる。
背後では崩れた瓦礫が土石流のように流れ落ち、
炎と岩石の濁流が大地を飲み込んでいった。
機体が大きく傾き、ローターが悲鳴のような音を立てた。
「まだ来るぞ!」
尊徳の声が裏返った。
ステルスはすでに二発目を撃っていた。
今度は上空から回り込むような軌道で、ヘリの逃げ道を塞ぐ角度だった。
「左へ!」
綾小路が叫ぶ。
「分かってる!」
尊徳は操縦桿を左へ叩き込み、同時に高度を落とした。
ヘリは燃え盛る施設の屋上すれすれまで沈む。
窓の外いっぱいに炎が広がった。
崩壊した研究棟の裂け目から、巨大な火柱が噴き上がる。
まるで施設そのものが、最後の呼吸で炎を吐いたようだった。
二発目のミサイルはヘリの上をかすめ、背後の監視塔を直撃した。
監視塔が根元から折れ、爆炎を纏ったままゆっくり倒れていく。
その瓦礫が、ヘリの進路へ雪崩れ込んできた。
「くそっ、今度は瓦礫かよ!」
尊徳がさらに機体を傾ける。
ヘリは右へ、左へ、不安定に揺れながら崩れ落ちる鉄骨の隙間をすり抜けた。
火の粉が窓を叩く。
熱で機体の外装が軋む。
堀北は歯を食いしばり、麗華は海斗の腕にしがみつき、
七瀬は座席の縁を握りしめていた。
海斗は荒い息のまま笑った。
「尊……お前、運転荒すぎんだろ……!」
「文句あるなら代われ!」
「今のは褒めてんだよ!」
ヘリは黒煙の中から飛び出した。
だが、ステルスはなお背後にいた。
山内を失ってなお、機械の悪意だけが空に残っている。
綾小路はロケットランチャーを手に取り、静かに立ち上がった。
「次で終わらせる」
綾小路はヘリ後部のケースを見た。
狙撃銃の横。
もう一つの固定具。
そこに対装甲ロケットランチャーがあった。
堀北が綾小路を見る。
「まさか」
「そのまさかだ」
綾小路はロケットランチャーを持ち上げた。
海斗が荒い息のまま笑う。
「お前、本当にそれ似合わねぇな」
「さっきも言われた」
「今後も言われるぞ」
「構わない」
尊徳が叫ぶ。
『次の十秒で正面に来る!外したら終わりだ!』
ヘリが大きく旋回する。
尊徳はわざと機体をステルスの進路へ合わせた。
逃げるためではない。
撃つために。
綾小路はヘリの開いた側面に立った。
風が吹きつける。
熱気が肌を焼く。
黒煙が視界を遮る。
その向こうから、ステルスが迫ってくる。
巨大な黒い影。
山内の執念。
月城の悪意。
ブラックルームの最後の牙。
綾小路は照準を合わせた。
「イピカイエー……悪いな、こっちは二人だ」
呼吸を止める。
引き金を引く。
ロケット弾が発射された。
炎を引きながら夜空を走る。
ステルスが回避しようと機体を傾ける。
だが遅い。
ロケット弾は機体中央へ命中した。
爆発は一瞬だった。
だが、その一瞬で勝負は決した。
機体中央に命中したロケット弾が内部構造を貫き、
ステルス攻撃機の胴体が内側から膨れ上がるように裂ける。
黒い装甲板が次々と吹き飛び、灼熱の破片となって夜空へ四散した。
右翼が根元からもぎ取られ、燃え盛る炎を引きながら虚空へ回転していく。
続いて燃料へ引火した火炎が機体全体を飲み込み、
巨大な火球が大空で花開いた。
爆風は雷鳴のような轟音と共に周囲へ広がり、
ヘリを激しく揺さぶりながら熱風を叩きつける。
空を支配していた黒い怪鳥は、
燃え落ちる流星となって墜落していった。
爆風がヘリを揺らす。
尊徳が必死に機体を立て直す。
そして、数秒後。
夜空に残ったのは、燃え落ちていく破片と、朝へ向かう薄い光だけだった。
誰も言葉を発しなかった。
終わった。
今度こそ、本当に。
白銀禁止区域事件は、終わった。
やがてヘリは山間部を抜け、警察と消防が包囲する臨時着陸地点へ降りた。
夜は明け始めていた。
空の端が薄い青に変わり、黒煙の向こうから朝日が滲み始めている。
地上には無数の赤色灯が並んでいた。
警察車両。
消防車。
救急車。
防護服を着た隊員たち。
その中に、保護された生徒たちの姿もあった。
佐倉愛里。
真鍋志保。
ほかにも、白銀禁止区域に囚われていた者たち。
佐倉は毛布にくるまれ、救急隊員に支えられていた。
真鍋は呆然と燃える山の方を見ていた。
彼女たちは生きていた。
全員が無傷ではない。
心に残ったものも大きい。
だが、少なくとも、戻ってきた。
七瀬はヘリから降りると、警察官の前へ自分から歩いていった。
堀北が呼び止める。
「七瀬さん」
七瀬は振り返った。
疲れ切った顔だった。
それでも、どこか晴れていた。
「私は、自首します」
堀北は何も言わなかった。
止めることはできない。
それが七瀬の選んだ責任の取り方だった。
七瀬は続ける。
「私が知っていることを全部話します。月城さんが何をしていたのか。
ブラックルームで何が行われていたのか。誰が関わっていたのか」
綾小路が言った。
「それがお前の選択か」
「はい」
七瀬はまっすぐ頷いた。
「逃げません」
堀北は静かに言った。
「戻ってきなさい」
七瀬の目が揺れた。
「はい」
警察官に付き添われ、七瀬は歩いていく。
その背中は小さかった。
だが、もう月城の駒ではなかった。
自分の意思で歩く一人の少女だった。
海斗はヘリの横に座り込み、麗華に手当てを受けていた。
「痛ってぇ」
「我慢して」
「もうちょい優しくできねぇのか」
「できます」
「じゃあ」
「しません」
「ひでぇ」
麗華は包帯を巻きながら、ふと小さく笑った。
海斗はその笑みに気付き、少しだけ黙る。
「何だよ」
「生きてるなって思っただけ」
海斗は視線を逸らした。
「そりゃまあ、生きてる」
「本当に、よく生きてたわね」
「オレを誰だと思ってんだ」
「馬鹿」
「またそれかよ」
「でも、私だけの愛しいボディガード」
海斗は一瞬だけ言葉を失った。
それから、照れ隠しのように笑った。
「今さらかよ」
「今さらよ」
少し離れた場所で、堀北は綾小路の横に立っていた。
二人は燃える白銀禁止区域を見ている。
黒煙はまだ上がっている。
だが、空は明るくなり始めていた。
「終わったのね」
堀北が言った。
「おそらくは」
「おそらく?」
「完全に終わったと言うには、まだ確認すべきことが多い」
「あなたらしい答えね」
堀北は息を吐いた。
「坂柳さんは……」
綾小路は燃える施設を見た。
雅樹が坂柳を回収した。
可能性はある。
だが、確証はない。
「生きている」
綾小路は言った。
堀北は彼を見る。
「根拠は?」
「ない」
「あなたが根拠のないことを言うなんて珍しいわね」
「そうかもしれない」
堀北は少しだけ目を伏せた。
「なら、私も信じるわ」
朝日が少しずつ山の端から昇ってくる。
長い夜が終わる。
その時、尊徳が海斗たちのそばで
何か書類を確認していた警察関係者と話し終え、戻ってきた。
「そういえば、お前たちに一つ言い忘れてたことがある」
海斗が顔を上げる。
「あ?」
尊徳はにやりと笑った。
「海斗と麗華様、戸籍上は18歳だって話、まだしてなかったよな」
堀北の動きが止まった。
「……18?」
麗華が「あ」と小さく声を漏らす。
海斗は悪びれもなく頭をかいた。
「あー、そういや言ってなかったな」
堀北がゆっくり振り向く。
「待って。あなたたち、私たちより年上なの?」
麗華は少し気まずそうに頷いた。
「一応ね。いろいろ事情があって、学年的には曖昧だけど、年齢だけなら18」
海斗が得意げに笑う。
「敬えよ、後輩」
堀北は即答した。
「絶対に嫌よ」
「だろうな」
綾小路は静かに言った。
「年上には見えなかった」
海斗が眉を上げる。
「お前、地味に失礼だな」
「事実だ」
「なお悪いわ」
麗華がくすくす笑う。
その笑いにつられるように、堀北もわずかに肩の力を抜いた。
すべてが終わった直後とは思えない会話だった。
だが、だからこそ必要だった。
死と炎と銃声に塗り潰された夜を、人間の時間に戻すために。
海斗は大きく伸びをした。
傷だらけの身体で無理に動いたせいで、すぐに顔をしかめる。
「痛って……」
麗華が呆れる。
「馬鹿」
「今日だけで何回言うんだよ」
「何回でも言うわよ」
海斗はそれでも笑った。
「さて」
そして、わざと明るい声で言った。
「さっさと帰って、一緒に風呂に入ろうぜ!麗華!」
麗華の顔が一瞬で赤くなった。
「もうっ……がっつかないの」
その言い方が、完全な拒絶ではなかった。
堀北は硬直した。
数秒。
完全に思考が止まった。
そして、彼女の顔がみるみる赤くなる。
「あ、あなたたちそんな関係だったの?」
海斗がにやりと笑う。
麗華は少し誇らしげに胸を張る。
堀北はさらに赤くなった。
「は、破廉恥だわ!」
麗華は得意げに堀北を見る。
「あら、あなたも綾小路くんと一緒に入ればいいじゃない」
堀北の顔が限界まで赤くなった。
「絶対にしないわよっ!」
海斗が腹を抱えて笑おうとして、傷が痛んで悶絶した。
「痛ってぇ……でも面白ぇ……」
麗華が慌てて支える。
「だから無理に笑わないで」
堀北はまだ顔を赤くしている。
「そもそも、どうしてそこで綾小路くんの名前が出てくるのよ!」
麗華は涼しい顔で言う。
「だって、ずっと一緒にいたじゃない」
「それは状況的に仕方なく!」
「ふうん」
「何よその顔は!」
綾小路は深く息を吐いた。
「やれやれ……勘弁してくれ」
その言葉に、海斗がまた笑った。
今度は少しだけ控えめに。
やがて、警察と救急隊が本格的に動き始め、
保護された者たちはそれぞれ搬送されていった。
佐倉は救急車に乗る直前、遠くから綾小路たちを見た。
真鍋もまた、何かを言いたげにこちらを見ていた。
だが、今は言葉を交わす時間ではない。
全員がそれぞれの場所へ戻っていく。
ある者は学校へ。
ある者は警察へ。
ある者は病院へ。
そして、ある者はまだ見えない未来へ。
海斗は歩き出す前に、綾小路の前へ立った。
二人の間に、長い言葉はなかった。
白銀禁止区域で起きた全てが、二人の間を通り過ぎていく。
海斗が拳を軽く上げた。
「またな、綾小路」
綾小路も拳を上げる。
二つの拳が、軽くぶつかった。
乾いた小さな音。
それだけだった。
だが、それで十分だった。
「またな」
綾小路が答える。
海斗は笑った。
「次会う時は、もっと平和な場所がいいな」
「同感だ」
「まあ、お前といると無理そうだけどな」
「それはお互い様だ」
海斗は肩をすくめた。
「違いねぇ」
麗華が海斗の隣へ並ぶ。
「行くわよ」
「へいへい」
「返事が軽い」
「これが平常運転だ」
堀北は綾小路の横に立った。
「私たちも行きましょう」
「ああ」
朝日が昇る。
山の向こうから差し込む光が、燃え尽きた白銀禁止区域を照らしていた。
黒煙はまだ消えない。
失われたものも戻らない。
それでも、夜は終わった。
海斗と麗華は歩いていく。
綾小路と堀北も、別の道を歩き出す。
七瀬は警察車両へ向かう。
佐倉と真鍋たちは保護される。
坂柳の行方は、まだ誰にも分からない。
だが、可能性は残っている。
白銀禁止区域。
ブラックルーム。
人工的に作られた地獄。
そこから生きて戻った者たちは、傷を抱えながらも、
それぞれの居場所へ帰っていく。
綾小路清隆は暁の中で、一度だけ空を見上げた。
そこにはもう、ステルスの黒い影はない。
あるのは、燃え尽きた夜の向こうに広がる朝の光だけだった。
そして彼は歩き出す。
堀北鈴音と共に。
朝霧海斗は、二階堂麗華と共に。
二人のマスターピースは、拳を交わし、
再会を約束し、それぞれの未来へ帰っていった。
長い夜が終わる。
物語は終わる。
だが、彼らの人生はまだ続いていく。
朝焼けの中で。
静かに。
確かに。
第二部 完
■あとがき
第二部も完結です。
最後まで読んでくださりありがとうございました。
大好きな朝霧海斗と綾小路が書けて満足しています。
2人がいないところで堀北と麗華が交流しているのが好きです。
龍園や宝泉も綾小路とは違う海斗の戦い方に翻弄されてました。
強いて難点を挙げるなら中盤の山内戦が長かったことくらいで、
自分の中では90点くらいの満足度で仕上がりました――しかし、
その満足も長く続かず、また書いてしまいました!
ええ、第三部があるんです!
ヒロインは交代して似た者同士の森下藍とツキが活躍します。
終盤のクライマックスでは僕の作品随一の迫力かも知れません。
カーストルーム・オブ・ザ・デッドやカーストリング・インフェルノを超える、
大破壊を描けたと思うので、最後までお楽しみください。