ザ・ダイハード・マスターピース   作:EXTERMINATION

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第三部 ザ・ホワイトアウト・マスターピース
第40話 メイドの失踪


雪が降っていた。

 

二階堂邸の広い庭園に、音もなく白が積もっていく。

 

都心から離れた丘陵地に建つその屋敷は、

普段であれば外壁と監視カメラと警備員の巡回によって、

ひとつの小さな要塞のように見える。

 

だが、この日の屋敷は少し違っていた。

 

冷えた空気。

 

白く濁った空。

 

庭木の枝に積もる雪。

 

厚い雲に覆われた午後の光。

 

そのすべてが、二階堂邸からいつもの硬質な威圧感を少しだけ奪い、

代わりに静かな不吉さを与えていた。

 

屋敷の一室。

 

二階堂麗華は、窓際に立っていた。

 

いつものように整った服装。

 

乱れのない髪。

 

無駄のない姿勢。

 

だが、その表情には、わずかな苛立ちが浮かんでいた。

 

「……遅いわね」

 

呟きは、誰に向けたものでもなかった。

 

本来なら、この時間にはツキが紅茶を運んでくるはずだった。

 

二階堂家に仕えるメイドとして、ツキは仕事に抜かりがない。

 

控えめで、礼儀正しく、必要以上に喋らず、しかし気配りは細かい。

 

麗華が一言も命じなくても、紅茶の濃さも、

室温も、書類の置き方も、すべて自然に整えている。

 

だからこそ、遅れることは珍しかった。

 

いや。

 

珍しいというより、ほとんどあり得ない。

 

麗華はテーブルの上に置かれたベルに指を伸ばしかけ、途中で止めた。

 

何となく。

 

呼ぶべきではない気がした。

 

その時、廊下から慌ただしい足音が近づいてきた。

 

二階堂邸の使用人たちは、基本的に足音を立てない。

 

まして麗華の部屋の前で走ることなど、通常ならあり得なかった。

 

扉が叩かれる。

 

「麗華様」

 

声は執事のものだった。

 

「入りなさい」

 

扉が開いた。

 

初老の執事は、いつもより明らかに表情を硬くしていた。

 

それだけで、麗華は事態が普通ではないことを理解した。

 

「何があったの」

 

「ツキが、屋敷内におりません」

 

麗華は一瞬、何も言わなかった。

 

言葉の意味は理解できた。

 

だが、それが現実として頭の中へ入ってくるまでに、わずかな時間が必要だった。

 

「外出許可は?」

 

「出ておりません」

 

「警備記録は」

 

「正門、裏門、通用口、いずれにも記録はありません」

 

「では屋敷内にいるのでしょう」

 

「全館確認しました」

 

執事は静かに首を振った。

 

「現在、警備班も含めて捜索中ですが、見つかっておりません」

 

麗華の眉がわずかに動いた。

 

「監視カメラは」

 

「一部、映像が抜けています」

 

「抜けている?」

 

「はい。午前4時12分から4時19分までの7分間。

庭園側と地下通路側のカメラが同時に停止していました」

 

麗華は窓の外を見た。

 

白い雪。

 

足跡は、もう消えかけている。

 

「……自分で消したのね」

 

「その可能性が高いかと」

 

麗華は小さく息を吐いた。

 

怒りではない。

 

不安でもない。

 

その中間。

 

いや、もっと厄介な感情だった。

 

ツキが何者かに連れ去られたのであれば、怒ればいい。

 

敵を見つけ、潰せばいい。

 

だが、ツキが自分の意思で消えたのなら、話は違う。

 

「海斗は」

 

「庭園の書庫に」

 

麗華は目を細めた。

 

「また本?」

 

「はい」

 

「呼びなさい」

 

「かしこまりました」

 

執事が下がろうとした瞬間、廊下の向こうから欠伸混じりの声が聞こえた。

 

「呼ばなくても来た」

 

朝霧海斗だった。

 

黒いコートを肩に引っかけ、片手には分厚い本を持っている。

 

髪には雪が少し付いていた。

 

どうやら本当に庭園側の小書庫にいたらしい。

 

麗華は海斗を見るなり、冷たい声で言った。

 

「あなた、護衛対象の屋敷で何をしているの?」

 

「読書」

 

「見れば分かるわ」

 

「なら訊くなよ」

 

「殴っていい?」

 

「雇い主が護衛を殴るな」

 

海斗は悪びれもせずに部屋へ入ってきた。

 

足取りはいつも通り。

 

眠たげな目。

 

やる気のなさそうな声。

 

だが、麗華は気づいていた。

 

海斗の視線だけは、部屋に入った瞬間から少しも緩んでいない。

 

執事の表情。

 

麗華の立ち位置。

 

窓の外の雪。

 

廊下の空気。

 

それらを一瞬で拾っている。

 

この男は、普段どれほど怠け者に見えても、危険の匂いだけは絶対に見落とさない。

 

「ツキが消えたわ」

 

麗華が言うと、海斗の足が止まった。

 

ほんの一瞬。

 

本当に一瞬だけだった。

 

だが、止まった。

 

「いつ」

 

「午前4時頃。カメラの映像が抜けている」

 

「連れ去られたのか」

 

「自分で消した可能性が高いわ」

 

海斗は黙った。

 

本を閉じる。

 

その音が、やけに大きく響いた。

 

「部屋は見たのか」

 

「まだよ」

 

「行くぞ」

 

「命令しているのはこちらなのだけれど」

 

「じゃあ命令しろ」

 

麗華は海斗を睨んだ。

 

だが、言い返さなかった。

 

今は言葉遊びをしている場合ではない。

 

二人は廊下へ出た。

 

ツキの部屋は、使用人棟の二階にあった。

 

質素だが、整っている。

 

机。

 

ベッド。

 

小さな本棚。

 

必要最低限の衣類。

 

仕事用の制服。

 

私物は少ない。

 

それはメイドとしての質素さというより、

彼女自身があまり多くのものを持たない人間であることを示していた。

 

海斗は部屋に入ると、真っ先に窓を見た。

 

鍵は内側から開いている。

 

窓枠にはわずかな雪。

 

床には水滴。

 

そこから出たのは間違いない。

 

「足跡は?」

 

「降雪でほとんど消えています」

 

執事が答えた。

 

海斗は窓の外を見下ろした。

 

二階。

 

地面まではそれなりに高さがある。

 

普通の人間なら飛び降りるには危険だ。

 

「馬鹿だな」

 

海斗が呟いた。

 

麗華は横から見る。

 

「心配しているの?」

 

「してねぇ」

 

「嘘が下手ね」

 

「お前よりマシだ」

 

「私は嘘なんてつかないわ」

 

「今のが嘘だろ」

 

麗華は言い返そうとして、やめた。

 

海斗は机の上を見た。

 

そこには一枚の紙が置かれていた。

 

白い封筒。

 

宛名はない。

 

封もされていない。

 

海斗はそれを取る。

 

中には、短い文章があった。

 

――探さないでください。

 

それだけだった。

 

海斗は紙を見たまま、無言だった。

 

麗華が横から覗き込む。

 

「……随分と雑な置き手紙ね」

 

「ツキらしくねぇ」

 

「そうね」

 

ツキなら、もっと丁寧に書くはずだった。

 

麗華様へ。

 

朝霧様へ。

 

ご迷惑をおかけして申し訳ありません。

 

そういう前置きをしてから、理由を並べる。

 

少なくとも、こんな一文だけ残して消えるような少女ではない。

 

つまり。

 

これは、ツキが焦っていた証拠だった。

 

あるいは、詳しく書けなかった理由がある。

 

海斗は封筒の中をさらに確認した。

 

もう一枚。

 

小さな紙片が入っていた。

 

そこには、地名のような文字が書かれている。

 

白ノ峰。

 

麗華が眉を寄せる。

 

「白ノ峰?」

 

「知ってるか」

 

「聞いたことはあるわ。地図には載っていない山域よ」

 

「また地図にない場所かよ」

 

海斗は嫌そうに言った。

 

「白銀禁止区域の次は雪山か。観光案内くらい用意しとけ」

 

「文句を言う相手が違うでしょう」

 

「じゃあ誰に言えばいい」

 

「帰ってきたツキに言いなさい」

 

その言葉に、海斗は少しだけ麗華を見た。

 

麗華は視線を逸らさなかった。

 

「連れ戻すわよ」

 

「命令か」

 

「お願いよ」

 

麗華は即答した。

 

その言葉に、部屋の空気が少し変わった。

 

二階堂麗華は、命じることに慣れている。

 

生まれた時から、人を動かす側にいた。

 

使用人。

 

護衛。

 

警備員。

 

企業の人間。

 

大人たち。

 

彼女が「やりなさい」と言えば、多くの人間は従う。

 

だが今、麗華は命令ではなく、お願いと言った。

 

海斗は何も言わなかった。

 

麗華は続ける。

 

「ツキを頼んだわよ」

 

その声は、普段より少しだけ低かった。

 

「あなたしかいないの」

 

海斗は紙片を折りたたみ、ポケットへ入れた。

 

「分かった」

 

「軽い返事ね」

 

「重く返せば満足か」

 

「いいえ。あなたが重く返すと気持ち悪いもの」

 

「ぶっ飛ばすぞ」

 

「護衛対象に暴言?」

 

「元気そうで安心したよ」

 

麗華は小さく息を吐いた。

 

少しだけ、いつもの二人に戻った。

 

だが、その空気は長く続かなかった。

 

海斗はツキの本棚の前で足を止めた。

 

小さな本棚。

 

数は少ない。

 

礼儀作法の本。

 

医療知識の本。

 

古い地図帳。

 

そして、一冊だけ、表紙の擦り切れた小説があった。

 

海斗はそれを手に取る。

 

ページの間に、何かが挟まっていた。

 

古い写真。

 

焼け焦げた建物。

 

崩れたフェンス。

 

瓦礫の中に立つ、小さな二つの影。

 

片方は海斗だった。

 

もう片方は、幼いツキ。

 

麗華が息を呑む。

 

「これは……」

 

「特別禁止区域」

 

海斗の声が低くなった。

 

「オレとツキがいた場所だ」

 

写真の裏には、手書きの文字があった。

 

――建設候補地、計画変更により廃棄。

 

麗華はその文字を読んだ。

 

「建設候補地……?」

 

海斗は答えなかった。

 

答えられなかったのではない。

 

まだ答えを持っていない。

 

だが、分かったことはある。

 

ツキはこの写真を見つけた。

 

そして、白ノ峰へ向かった。

 

理由はおそらく一つ。

 

写真の意味を知るため。

 

自分たちの故郷が、なぜ壊されたのかを知るため。

 

海斗は写真を見つめた。

 

瓦礫。

 

煙。

 

焼けた空。

 

忘れたわけではない。

 

ただ、深く考えないようにしていただけだ。

 

過去を掘り返しても、飯は食えない。

 

失った場所は戻らない。

 

死んだ人間も帰ってこない。

 

だから海斗は、前だけを見ることにしていた。

 

本を読み、軽口を叩き、誰かを守り、必要なら殴る。

 

それで十分だと思っていた。

 

だが、ツキは違ったのかもしれない。

 

あいつは、ずっと見ていたのかもしれない。

 

自分が見ないようにしていたものを。

 

「海斗」

 

麗華が声をかける。

 

「行くぞ」

 

海斗は短く言った。

 

「今すぐ」

 

「準備は」

 

「車と銃と工具があればいい」

 

「また雑ね」

 

「あと本」

 

「いらないでしょう」

 

「いる」

 

「何に使うの」

 

「読む」

 

麗華は本気で頭が痛そうな顔をした。

 

「あなた、ツキを助けに行くのよね?」

 

「だから行くまでの間に読むんだろ」

 

「本当に最低ね」

 

「褒めるな」

 

「褒めてないわ」

 

その時、廊下から別の足音が聞こえた。

 

宮川尊徳だった。

 

前回の白銀禁止区域事件でも海斗を支えた男。

 

肩には上着を引っかけ、片手に車のキーを持っている。

 

「話は聞いた」

 

尊徳は部屋に入るなり言った。

 

「場所は白ノ峰だって?」

 

「ああ」

 

「よりによって、あそこか」

 

海斗が視線を向ける。

 

「知ってるのか」

 

「名前だけな。昔から妙な噂がある」

 

「どんな」

 

「雪山の奥に、存在しない施設がある」

 

麗華の表情が変わる。

 

尊徳は続けた。

 

「政府関係者も、企業関係者も、地元の人間も近づかない。

遭難者の捜索ですら途中で打ち切られる。

表向きは雪崩危険区域。実際は何かを隠している」

 

「何かって何だ」

 

尊徳は海斗を見た。

 

「ホワイトルーム」

 

その名が出た瞬間、室内の温度がさらに下がったように感じられた。

 

ホワイトルーム。

 

綾小路清隆を生み出した施設。

 

人間を教育によって極限まで完成させる場所。

 

外の世界には存在しないはずの、白い牢獄。

 

海斗は笑った。

 

「ようやく本丸か」

 

「笑い事じゃないぞ」

 

尊徳は真顔だった。

 

「相手は前の白銀禁止区域どころじゃない。

あそこはたぶん、月城や司馬みたいな連中の根元だ」

 

「だから何だ」

 

「死ぬぞ」

 

「人はいつか死ぬ」

 

「そういう話をしてない」

 

「じゃあどういう話だ」

 

尊徳は舌打ちした。

 

「ツキを助けたいなら、もう少し真面目に考えろって話だ」

 

海斗は尊徳を見た。

 

だが、その目だけは笑っていなかった。

 

「真面目に考えた結果だ」

 

短く言う。

 

「ツキがそこにいるなら、行く」

 

尊徳は黙った。

 

麗華も黙った。

 

その言葉に、それ以上の理屈はなかった。

 

海斗は思想で動かない。

 

正義で動かない。

 

ホワイトルームを潰すためでもない。

 

世界を救うためでもない。

 

ツキが危険な場所へ行った。

 

だから迎えに行く。

 

それだけだった。

 

麗華は静かに言った。

 

「車はこちらで用意するわ」

 

「四駆にしろ」

 

「当然よ」

 

「雪道用の装備も」

 

「準備させる」

 

「弾は」

 

「二階堂家を何だと思っているの」

 

「金持ち」

 

「間違ってはいないわね」

 

麗華は執事へ指示を出した。

 

屋敷が一気に動き始める。

 

車両準備。

 

通信機材。

 

防寒具。

 

医療キット。

 

携行食。

 

銃器。

 

弾薬。

 

地図。

 

衛星端末。

 

それらが短時間で地下ガレージへ運ばれていく。

 

海斗は自室へ向かった。

 

荷物は少ない。

 

拳銃。

 

ナイフ。

 

ワイヤー。

 

小型工具。

 

ピッキングツール。

 

予備の弾倉。

 

応急処置セット。

 

そして文庫本を二冊。

 

一冊は古い海外小説。

 

もう一冊は、まだ読みかけの推理小説。

 

荷物を見た尊徳が呆れた。

 

「お前、本当に本を持っていくのか」

 

「読むって言ったろ」

 

「ホワイトルームに旅行気分で行くな」

 

「旅行ならもっといい本を持っていく」

 

「そこじゃねぇ」

 

海斗はバッグを閉じた。

 

地下ガレージには、黒い大型車が用意されていた。

 

雪道用のタイヤ。

 

補助ライト。

 

強化ガラス。

 

防弾性能を持つ車体。

 

二階堂家の資金力が、こういう時だけは分かりやすく役に立つ。

 

麗華は車の前に立っていた。

 

その姿を見て、海斗は眉を寄せる。

 

「お前は来るなよ」

 

「分かっているわ」

 

「本当に分かってるか?」

 

「私は足手まといになる場所へ自分から行くほど愚かではないわ」

 

「ならいい」

 

「ただし」

 

麗華は海斗の前へ歩み寄った。

 

「ツキを連れて帰ってきなさい」

 

「分かってる」

 

「それと」

 

「まだあるのか」

 

「あなたも帰ってきなさい」

 

海斗は少しだけ目を細めた。

 

麗華は視線を逸らさない。

 

「ツキだけ戻ってきても意味がないわ」

 

「お前、そういうこと言うタイプだったか」

 

「うるさいわね」

 

麗華は少しだけ頬を赤くした。

 

寒さのせいかもしれない。

 

そういうことにしておくべきだった。

 

「ツキに伝えなさい」

 

「何を」

 

「勝手に消えた罰として、帰ってきたら一週間休みなしよ」

 

「ブラック企業か」

 

「冗談よ」

 

「お前の冗談は冗談に聞こえねぇ」

 

麗華は少しだけ笑った。

 

本当に少しだけ。

 

「本当は、こう言って」

 

海斗は黙って聞いた。

 

麗華は静かに言った。

 

「心配した、と」

 

海斗は一瞬だけ意外そうな顔をした。

 

それから、いつものように笑う。

 

「素直じゃねぇな」

 

「あなたに言われたくないわ」

 

「伝えとく」

 

「頼んだわよ」

 

海斗は運転席へ乗り込んだ。

 

尊徳が助手席に乗ろうとする。

 

だが海斗はそれを止めた。

 

「お前は残れ」

 

「は?」

 

「麗華を守れ」

 

尊徳は顔をしかめた。

 

「一人で行くつもりか」

 

「途中までは一人でいい」

 

「雪山だぞ」

 

「車は運転できる」

 

「18歳になったからって調子に乗るな」

 

「免許はある」

 

「そういう問題じゃない」

 

「追ってきたかったらヘリでも出せ」

 

「天候次第だ」

 

「なら祈っとけ」

 

尊徳は舌打ちした。

 

だが、無理には止めなかった。

 

止めても無駄だと分かっているからだ。

 

麗華が最後に言った。

 

「海斗」

 

「何だ」

 

「ツキは、あなたにだけは本音を言うわ」

 

「そうか?」

 

「ええ。あなたが気づいていないだけ」

 

海斗は少しだけ黙った。

 

それからエンジンをかける。

 

低い駆動音が地下ガレージに響いた。

 

「帰ったら聞く」

 

「そうしなさい」

 

車が動き出す。

 

地下ガレージのシャッターが開く。

 

外は雪だった。

 

白い道。

 

白い空。

 

白く霞む世界。

 

海斗はハンドルを握り、アクセルを踏んだ。

 

二階堂邸が背後へ遠ざかっていく。

 

助手席には誰もいない。

 

後部座席にも誰もいない。

 

ただ、バッグの中には武器と工具と本がある。

 

そしてポケットには、古い写真。

 

幼い自分。

 

幼いツキ。

 

壊された故郷。

 

建設候補地。

 

白ノ峰。

 

ホワイトルーム。

 

言葉が繋がっていく。

 

嫌な予感しかしない。

 

だが、行かないという選択肢はなかった。

 

海斗は雪の降る道路を見据えた。

 

「待ってろ」

 

白い息が、車内で小さく漏れる。

 

「今行く」

 

黒い車は雪の中へ消えていった。

 

その頃。

 

白ノ峰。

 

地図に存在しない雪山の奥。

 

吹雪の中、ひとりの少女が白い施設を見上げていた。

 

メイド服ではない。

 

防寒具に身を包んだツキだった。

 

彼女の髪には雪が絡み、頬は寒さで赤くなっている。

 

それでも、目だけは揺れていなかった。

 

巨大な施設。

 

断崖に囲まれた白い建物。

 

外壁に埋め込まれた監視カメラ。

 

山肌へ伸びる無数の通路。

 

地下へ続く搬入口。

 

そして、雪の奥で鈍く光る文字。

 

WHITE ROOM

 

ツキはその文字を見つめた。

 

「ここにいるんですね」

 

彼女は誰にともなく呟いた。

 

「朝霧雅樹さん」

 

その声は、吹雪に飲まれて消えた。

 

次の瞬間。

 

施設の扉が、音もなく開いた。




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