ザ・ダイハード・マスターピース 作:EXTERMINATION
高度育成高等学校の冬は、静かだった。
春休みや夏休みのような開放感はない。
文化祭前夜のような熱もない。
ただ冷たく、白く、空気だけが澄んでいる。
校舎の外では細かな雪が降っていた。
積もるほどではない。
けれど、地面を濡らし、窓ガラスを曇らせ、
普段見慣れた校舎の輪郭を少しだけ曖昧にしている。
生徒の姿は少なかった。
廊下に響く足音も、いつもより遠く聞こえる。
教室から聞こえる声もない。
部活動の掛け声もない。
高度育成高等学校という巨大な箱の中から、人の熱だけが抜け落ちたようだった。
オレ――綾小路清隆は、図書館の奥の席に座っていた。
机の上には一冊の本がある。
特別な本ではない。
どこにでもある推理小説だった。
殺人事件が起きる。
探偵が現れる。
容疑者が揃う。
証言が食い違い、嘘が重なり、最後に真相が明かされる。
普通の物語だ。
だが、最近のオレはそういう普通の物語を読む時間を、
以前より少しだけ悪くないものだと思うようになっていた。
ホワイトルームでは、本は知識を得るための道具だった。
記憶する。
理解する。
利用する。
それ以上でも、それ以下でもない。
だが外の世界では違う。
本を読む理由は、必ずしも効率だけではない。
退屈だから読む者もいる。
好きだから読む者もいる。
誰かと話すために読む者もいる。
読み終えた後、特に何かの役に立たなくても、満足できる者もいる。
それは、ホワイトルームの価値基準では測れないものだった。
ページをめくる。
紙の音が静かに響く。
図書館の暖房は効きすぎているわけではないが、外の寒さを忘れる程度には暖かい。
窓際の席には数人の生徒がいる。
試験対策だろうか。
あるいは単純に静かな場所を求めて来たのか。
オレにとっては、どちらでもよかった。
ただ、今日は本の内容が頭に入りにくい。
理由は分かっている。
数日前から、妙な感覚が続いていた。
誰かに見られている。
そう表現するのが一番近い。
視線。
監視。
気配。
そういうものに鈍いわけではない。
むしろ、普通の生徒よりは敏感な方だろう。
だが今回の感覚は、敵意や殺気とは少し違っていた。
こちらを傷つけようとしている気配ではない。
試している。
待っている。
観察している。
そんな静かな圧があった。
月城。
司馬。
篤臣。
ホワイトルーム。
思い当たる名前はいくらでもある。
だが、どれも微妙に違う。
ページをめくる指が止まった。
図書館の入口付近で、誰かが立ち止まった。
それだけなら珍しくない。
図書館には人が出入りする。
けれど、その足音は奇妙だった。
軽すぎるわけではない。
重すぎるわけでもない。
普通だった。
あまりにも普通すぎた。
気配を消す者は、消しすぎる。
訓練された人間ほど、無音に近づこうとする。
だが、本当に厄介な人間は違う。
自然に紛れる。
そこにいても違和感を与えず、気づいた時にはすでに間合いの内側にいる。
その足音は、そういう種類のものだった。
オレは本を閉じた。
向かいの席に、一人の少年が座った。
断りはない。
音もない。
まるで最初からその席にいたかのように、自然に。
同年代の少年だった。
黒髪。
整った顔立ち。
目立つ特徴はない。
制服も乱れていない。
特別背が高いわけでも、低いわけでもない。
街中ですれ違えば、そのまま記憶から抜け落ちるような外見。
けれど。
一目で分かった。
同じだ。
同じ場所の匂いがする。
ホワイトルーム。
「久しぶりだな」
少年は言った。
声は穏やかだった。
懐かしさを含んでいるようにも聞こえる。
オレは数秒だけ沈黙した。
記憶の奥を探る。
ホワイトルームの記憶は、日常的に思い返すものではない。
必要があれば引き出す。
必要がなければ触れない。
だが、その名前はすぐに出てきた。
「志朗か」
少年は、少しだけ嬉しそうに笑った。
「覚えてたか」
「忘れる理由がない」
「嬉しいな」
「そうか」
「冷たいな。昔からそうだったけど」
「お前も昔からそういうことを言う奴だった」
志朗。
ホワイトルーム同期生。
数少ない、記憶に残っている存在。
ホワイトルームでは、誰もが競争相手だった。
隣にいる人間は、友人ではない。
比較対象であり、排除対象であり、乗り越えるべき数字だった。
能力。
成績。
適性。
反応速度。
記憶力。
判断力。
身体能力。
あらゆるものが数値化され、評価され、順位づけされる。
その中で志朗は異質だった。
強かった。
間違いなく強かった。
成績も上位。
身体能力も高い。
判断も早い。
思考も柔軟。
それだけなら、ホワイトルームには他にもいた。
だが志朗は、ある日突然、自分から落ちた。
いや。
落ちた、という表現は正しくないのかもしれない。
あいつは失敗したのではない。
逃げたわけでもない。
壊れたわけでもない。
自分の意思で、そこを出た。
「自由が欲しい」
そう言った。
「友達が欲しい」
そうも言った。
当時のオレには、理解できない言葉だった。
自由。
友達。
どちらもホワイトルームには存在しない概念だったからだ。
どうやってこの学校に忍び込んだかは知らないが、
彼の能力ならば容易く可能にできたことだろう。
志朗は、向かいの席で静かにオレを見ていた。
「外はどうだった?」
「急だな」
「ずっと聞きたかった」
「お前の方が先に外へ出ただろ」
「だからこそだ」
志朗は窓の外を見た。
雪が降っている。
細かく、白く、音もなく。
「俺が見た外と、お前が見た外が同じとは限らない」
「外の世界に種類があるのか」
「あるだろ」
志朗は笑った。
「少なくとも、ホワイトルームよりは」
それは否定できなかった。
ホワイトルームは単一の世界だった。
目的も、価値も、答えも、すべてあらかじめ決められている。
そこに迷いはない。
だが、外の世界は違う。
堀北鈴音。
軽井沢恵。
一之瀬帆波。
龍園翔。
坂柳有栖。
朝霧海斗。
森下藍。
外で出会った人間たちは、誰一人として同じではなかった。
合理的に動く者もいる。
感情で動く者もいる。
勝利に執着する者。
他人を守ろうとする者。
退屈を嫌う者。
本を好む者。
口は悪いが、危険な場所へ迷わず踏み込む者。
ホワイトルームでは不要とされるものが、外の世界では意味を持っていた。
「悪くない」
オレはそう答えた。
志朗は、目を細めた。
「それは良かった」
その言い方は本心に聞こえた。
敵意ではない。
皮肉でもない。
本当に、そう思っているようだった。
「お前はどうだった」
オレは尋ねた。
志朗は少しだけ考えた。
「大変だった」
「だろうな」
「でも、悪くなかった」
「同じ答えだな」
「そうかもな」
志朗は机に肘を置かず、背筋を伸ばしたまま座っている。
姿勢が良い。
良すぎる。
ホワイトルームの癖だ。
外に出ても消えないものはある。
オレも、おそらく同じなのだろう。
「外に出て、最初に困ったことは何だと思う?」
志朗が聞いた。
「金か」
「違う」
「身分証明か」
「それも困った」
「なら何だ」
「コンビニだ」
オレは一瞬、返答に困った。
「コンビニ?」
「商品が多すぎる」
志朗は真面目な顔で言った。
「飲み物を一本買うだけで、選択肢が多すぎる。
水だけでも何種類もある。お茶もある。コーヒーもある。炭酸もある。
甘いものも、苦いものも、よく分からない栄養ドリンクもある」
「……それで?」
「30分悩んだ」
「迷いすぎだ」
「ホワイトルームでは、必要なものは与えられるだけだった。
選ぶという行為に、あんなに時間がかかるとは思わなかった」
志朗は少しだけ苦笑した。
「自由は、思っていたより面倒だった」
その言葉は、意外と重かった。
自由が欲しい。
そう言ってホワイトルームを出た男が、自由の面倒さを知った。
それでも戻らなかった。
その事実が、志朗という人間を示している。
「友達はできたのか」
オレが聞くと、志朗は今度こそ少し驚いた顔をした。
「お前がそれを聞くのか」
「聞いてはいけない理由があるのか」
「いや」
志朗は笑った。
「できたよ」
「そうか」
「少ないけどな」
「少ないのか」
「お前よりは多いと思う」
「なぜそう思う」
「勘だ」
「当てにならないな」
「じゃあ聞くけど、お前の友達は何人だ」
オレは黙った。
志朗が笑う。
「その沈黙が答えだ」
「数えていただけだ」
「本当に?」
「……」
「変わったな、綾小路」
志朗は柔らかく言った。
「昔のお前なら、そんな返しはしなかった」
「そうかもしれない」
「外に出て良かったな」
「まだ判断中だ」
「それもお前らしい」
会話だけを切り取れば、昔の知人との再会に近い。
だが、空気はそうではなかった。
穏やかでありながら、張り詰めている。
相手が誰であるか。
何をしに来たのか。
それを互いに理解している。
だからこそ、無駄に踏み込まない。
「志朗」
「何だ」
「何をしに来た」
図書館の空気が、ほんの少しだけ冷えた。
志朗は笑みを消さなかった。
しかし、目の奥が変わった。
「会いに来た」
「それだけか」
「それだけなら良かったんだけどな」
志朗は懐から白い封筒を取り出した。
机の上に置く。
真っ白な封筒。
差出人の名前はない。
封もされていない。
オレはそれを見た。
嫌なほど見覚えのある白だった。
ホワイトルームの白。
何も混じらない。
何も許さない。
清潔で、冷たい白。
「招待状だ」
志朗が言った。
「誰からだ」
「場所から、と言った方が正しい」
オレは封筒を開けた。
中には一枚の写真が入っていた。
雪山。
断崖。
吹雪。
そして、その奥に建つ巨大な白い施設。
航空写真のようにも見える。
だが、おそらく通常の地図や衛星画像には映らないよう処理されている。
施設の外壁には、薄く文字が見えた。
WHITE ROOM。
「本部か」
「そうだ」
志朗は頷いた。
「お前の父親もいる」
篤臣。
その名前を、志朗は出さなかった。
だが、言わなくても分かる。
「今のホワイトルームは、昔ほど単純じゃない」
志朗は写真へ視線を落とした。
「人が増えた。組織も増えた。利害も増えた。
あの白い箱の中にも、今は色んな思惑がある」
「お前はその中の一つか」
「そう見えるか?」
「見える」
「半分正解だ」
志朗は静かに言った。
「俺はホワイトルームの味方じゃない」
「なら敵か」
「それも違う」
「便利な立場だな」
「自分でもそう思う」
志朗は笑った。
「ただ、俺には俺の目的がある」
「オレと戦うことか」
志朗は頷いた。
ためらいはなかった。
「お前と戦いたい」
声は静かだった。
だが、その奥には、熱があった。
「今のお前がどれだけ強くなったのか見たい」
「ホワイトルーム時代と大して変わらないかもしれない」
「嘘だな」
「なぜ分かる」
「顔が違う」
志朗はまっすぐにこちらを見た。
「昔のお前は、勝つことにも負けることにも興味がなかった。
目の前に課題があるから処理する。それだけだった」
「今も大きくは変わらない」
「違う」
志朗は即答した。
「今のお前には、戻りたくない場所がある」
その言葉は、否定しなかった。
戻りたくない。
そうなのだろう。
ホワイトルームへ戻るつもりはない。
少なくとも、自分の意思で戻ることはない。
「お前はどうなんだ」
オレは聞いた。
「戻りたいのか」
志朗は首を振った。
「戻りたくない」
「ならなぜそこにいる」
「終わらせるためだ」
初めて、志朗の声から柔らかさが消えた。
「俺は先に外へ出た。自由も知った。友達もできた。
普通の生活も知った。けど、ホワイトルームは終わっていなかった」
「当然だろうな」
「俺たちが外へ出ても、あそこは残る。次の子供が入れられる。
次の完成品を作ろうとする。失敗した子供は捨てられる。
壊れた人間は記録から消える」
志朗の指が、写真の端に触れた。
「お前も知っているだろ」
「……」
知っている。
知らないわけがない。
ホワイトルームとはそういう場所だ。
成功だけを価値とし、失敗を存在しないものとして処理する。
人間を人間として扱わない。
素材。
数字。
結果。
それがすべてだった。
「綾小路」
志朗が言った。
「お前は外へ出た」
「そうだな」
「俺は先に外へ出た」
「それも事実だ」
「でも、俺たちはたぶん違う」
「何がだ」
「俺は外を逃げ場にした」
志朗は笑った。
少しだけ自嘲するように。
「ホワイトルームが嫌で、自由が欲しくて、友達が欲しくて、外へ逃げた」
「それは悪いことなのか」
「悪くはない。今でもそう思っている」
志朗は続ける。
「でも、お前は違う。お前は外へ出てから、少しずつ何かを選び始めた」
「選んだ覚えは少ない」
「それでも選んでいる」
「そう見えるか」
「ああ」
志朗の声は確信に満ちていた。
「だから戦いたい」
「理屈が飛んだな」
「そうでもない」
志朗は立ち上がった。
椅子がわずかに鳴る。
図書館の奥にいた生徒が一瞬こちらを見たが、すぐに視線を戻した。
誰も気づいていない。
この静かな図書館で、ホワイトルームの過去と未来が向き合っていることに。
「ホワイトルームが作った最高傑作」
志朗は言った。
「外の世界を知ったお前」
「そして、先に外へ逃げた俺」
一拍。
「どちらが自由に近いのか、確かめたい」
オレは封筒を机に置いた。
「自由に勝敗があるのか」
「ないかもしれない」
「なら戦う意味もない」
「それでも、俺たちは戦うことでしか確かめられないことがある」
志朗は笑った。
「ホワイトルーム育ちだからな」
その言葉には皮肉があった。
自分たちは結局、そういう場所で育った。
会話で分かり合うより先に、勝敗で測ろうとする。
その滑稽さを、志朗自身も理解している。
「来るよな」
「行かない理由はある」
「来る理由の方が多いだろ」
志朗は背を向けた。
「待ってる」
「志朗」
呼び止める。
志朗は振り返った。
「お前は篤臣側か」
志朗は少しだけ考えた。
「違う」
「信用できる答えではないな」
「だろうな」
「ならもう一つ聞く」
「何だ」
「お前は敵か」
志朗は、今度はすぐに答えなかった。
数秒の沈黙。
図書館の暖房の音が聞こえる。
外では雪が降っている。
そして志朗は、静かに言った。
「敵になる」
それは正直な答えだった。
「でも、悪い敵にはならないつもりだ」
「それは助かるな」
「皮肉か?」
「判断は任せる」
志朗は笑った。
昔と同じ笑い方だった。
少しだけ寂しそうで。
少しだけ楽しそうで。
どこか、自由という言葉にまだ憧れているような笑み。
「会えて良かった」
そう言って、志朗は歩き出した。
入口へ向かう。
途中、一度も振り返らなかった。
彼の足音は、図書館の静けさの中へ自然に溶けていった。
最初からそこにいなかったかのように。
オレはしばらく封筒を見ていた。
ホワイトルーム本部。
雪山奥地。
篤臣。
志朗。
そして、おそらくこれは単なる招待ではない。
終わらせるための呼び出し。
あるいは、戻すための罠。
どちらにせよ、行かないという選択肢は薄かった。
オレがこの学校を卒業しようが、社会へ出ようが、
篤臣がいる限りホワイトルームは終わらない。
何度も刺客を送り込まれ、その度に周囲を巻き込まれる。
そんな人生は平穏とは程遠く、御免だった。
一度、向き合う必要がある。
「面倒なことになったな」
小さく呟いた。
その直後。
背後から声がした。
「本当に面倒そうですね」
オレは振り返らなかった。
振り返らなくても分かった。
森下藍だった。
「いつからいた」
「最初からです」
「正直だな」
「嘘をついても、綾小路清隆にはバレそうなので」
森下は何食わぬ顔で隣の席へ腰掛けた。
図書館に来る格好としては不自然ではない。
本を一冊持っている。
栞も挟まっている。
だが、目的が読書ではなかったことは明らかだった。
「盗み聞きか」
「人聞きが悪いですね。偶然です」
「偶然、志朗が来る前から近くにいたのか」
「はい」
「偶然、会話が聞こえる距離にいたのか」
「はい」
「偶然、途中で席を立たなかったのか」
「面白かったので」
「偶然じゃなくなったな」
森下は微笑んだ。
まるで反省していない。
「綾小路清隆」
「何だ」
「友達、少ないんですね」
最初にそこを拾うのか。
「少なくはない」
「何人ですか?」
「……」
「また沈黙しました」
「数えていただけだ」
「先ほども同じ言い訳をしていましたよ」
「聞いていたのか」
「偶然です」
「便利な偶然だな」
森下は楽しそうだった。
本当に楽しそうだった。
危険な話を聞いた人間の反応ではない。
ホワイトルーム。
篤臣。
志朗。
雪山。
普通なら関わるべきではない単語がいくつも出てきた。
それなのに、森下は怯えていない。
むしろ興味を持っている。
それが一番厄介だった。
「来るな」
オレは先に言った。
森下は即答した。
「嫌です」
「まだ詳しい説明をしていない」
「必要ありません。危険な場所へ行くから来るな、でしょう?」
「その通りだ」
「なら嫌です」
「会話が成立していない」
「成立していますよ。綾小路清隆が拒否して、私が拒否しました」
「お前が拒否する側なのか」
「はい」
森下は本を閉じた。
「面白そうじゃないですか」
「遠足じゃない」
「知っています」
「死ぬ可能性がある」
「綾小路清隆でも?」
「可能性はある」
「なら、なおさら見てみたいですね」
「発想がおかしい」
「よく言われます」
森下はまったく動じない。
綾小路清隆という人間を、彼女は観察対象として見ている。
それは以前から分かっていた。
だが、その興味がここまで深いとは思っていなかった。
「私は戦闘員ではありません」
森下は自分から言った。
「足手まといになる可能性もあります」
「分かっているなら来るな」
「ですが、情報整理と観察くらいはできます」
「それでホワイトルームに行く理由にはならない」
「なりますよ」
「ならない」
「綾小路清隆」
森下の声が少しだけ変わった。
ふざけているようで、その奥に真面目なものが混じる。
「あなたは、何でも一人で処理しようとしますよね」
「その方が効率的なことも多い」
「それは否定しません」
森下は頷く。
「でも、それが最善とは限りません」
「森下が来れば最善になるのか」
「少なくとも、退屈はしないと思います」
「退屈の心配はしていない」
「私はしています」
会話の主導権を握られている気がした。
面倒だ。
森下は続ける。
「綾小路清隆の根っこを見てみたいんです」
「根っこ?」
「はい」
彼女は窓の外を見た。
雪が降っている。
「ホワイトルームで育った綾小路清隆、外の世界へ出た綾小路清隆、
そして、自分の意思でどこへ行くのかを選ぶ綾小路清隆」
一拍。
「そこに興味があります」
「観察目的か」
「否定しません」
「正直だな」
「綾小路清隆の前では、下手な嘘は逆効果ですから」
森下は少しだけ首を傾げた。
「それに、たぶん私は役に立ちます」
「根拠は」
「私は戦わないからです」
普通なら矛盾している。
だが、森下の言いたいことは分かった。
戦闘員ばかりでは見落とすものがある。
ホワイトルームという場所に対して、綾小路は過去の当事者として向き合う。
海斗はツキの救出を目的として向き合う。
志朗は決着を求めて向き合う。
その中で森下は、外部の観察者として立てる。
感情に飲まれず、盤面を見る。
そういう意味では、確かに役に立つ可能性はある。
問題は危険すぎることだ。
「森下」
「はい」
「本当に死ぬかもしれない」
「そうですね」
「後悔するぞ」
「それは行ってみないと分かりません」
「行かなければ後悔しない」
「それは違います」
森下は即答した。
「行かなかった後悔もあります」
その言葉は軽くなかった。
綾小路は何も言わなかった。
森下藍という人間もまた、ただの好奇心だけで動いているわけではないのだろう。
ふざけた口調。
鋭い観察眼。
毒のある言葉。
それらの奥に、自分なりの意思がある。
「勝手にしろ」
オレは言った。
森下は微笑んだ。
「許可が出ました」
「出していない」
「今のは実質的に許可です」
「都合のいい解釈だな」
「得意です」
森下は立ち上がった。
「では、準備します」
「何を持っていくつもりだ」
「防寒具と記録用具と、非常食と、あと本を一冊」
「本?」
「移動中、暇かもしれませんので」
「朝霧海斗と同じことを言うな」
森下は目を細めた。
「朝霧海斗も本を持っていきそうですね」
「持っていくだろうな」
白銀禁止区域事件の詳細はそれなりに知れ渡っており、
森下も海斗のことは耳に入れていた。
「面白い人ですね」
「否定はしない」
「綾小路清隆も本が好きなんですよね」
「嫌いではない」
「では、道中で本の話でもしてください」
「なぜそうなる」
「友達作りの第一歩です」
「余計なお世話だ」
森下は笑った。
図書館の空気は、さっきより少しだけ緩んだ。
だが、机の上の白い封筒が、その緩さを許さない。
ホワイトルームは待っている。
雪山の奥で。
オレは封筒を手に取り、席を立った。
モチベ維持のために感想・評価をもらえると幸いです。