ザ・ダイハード・マスターピース   作:EXTERMINATION

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第42話 雪山のホワイトルーム

白ノ峰。

 

地図に存在しない雪山。

 

そこには、風の音しかなかった。

 

夜が近づいていた。

 

吹雪は強くなり、視界は数メートル先すら怪しくなっている。

 

山肌は白く染まり、断崖は闇に沈み、谷底から吹き上げる風が雪を巻き上げていた。

 

その奥に、巨大な施設があった。

 

白い壁。

 

白い塔。

 

白い通路。

 

山の斜面に埋め込まれるように建てられた複合施設。

 

外から見れば、研究所にも、軍事施設にも、監獄にも見える。

 

いや。

 

そのすべてなのだろう。

 

ツキは、その門の前に立っていた。

 

メイド服ではない。

 

厚手の防寒具。

 

雪用のブーツ。

 

髪は後ろでまとめている。

 

頬は寒さで赤くなり、睫毛には雪が付いていた。

 

それでも、彼女は震えていなかった。

 

寒さではなく、別のものが身体の奥を震わせていたからだ。

 

怒り。

 

恐怖。

 

不安。

 

そして、知りたいという衝動。

 

ツキは門の上に刻まれた文字を見た。

 

WHITE ROOM。

 

白い部屋。

 

綾小路清隆を生んだ場所。

 

そして。

 

自分と海斗の故郷を奪ったかもしれない場所。

 

「……悪趣味ですね」

 

ツキは小さく呟いた。

 

声は吹雪に消える。

 

門の脇にある監視カメラが、こちらを見ている。

 

最初から気づかれている。

 

ここまで来る途中も、何度も視線を感じた。

 

それでも妨害はなかった。

 

つまり、通された。

 

誰かが、自分をここまで来させた。

 

ツキはカードキーを取り出した。

 

二階堂邸から持ち出したものではない。

 

数日前、匿名で届いた封筒に入っていたものだった。

 

カードには何も書かれていない。

 

ただ白いだけ。

 

ツキはそれを認証端末へかざした。

 

短い電子音。

 

門が開いた。

 

重い金属の扉が、吹雪の中でゆっくりと左右へ開いていく。

 

その先には長い通路があった。

 

白い照明。

 

白い壁。

 

白い床。

 

外の雪とは違う、人工的な白。

 

ツキは一歩踏み出した。

 

扉が背後で閉まる。

 

吹雪の音が途切れた。

 

静寂。

 

暖房の効いた空気。

 

消毒液の匂い。

 

わずかな機械音。

 

ここは山の中ではない。

 

外界と切り離された、別の世界だった。

 

ツキは歩いた。

 

通路の両側には、窓のない扉が並んでいる。

 

番号。

 

認証パネル。

 

監視カメラ。

 

無機質。

 

人の気配はある。

 

だが、生活の匂いはない。

 

施設そのものが、人間を拒んでいるようだった。

 

やがて、通路の先に一人の男が現れた。

 

三十代後半。

 

整ったスーツ。

 

迫力のある表情。

 

冷静な立ち姿。

 

一見すれば、紳士だった。

 

だがツキは、その紳士な空気を信用しなかった。

 

この場所で冷静に立っていられる人間が、普通であるはずがない。

 

「久しぶりだな」

 

男は言った。

 

「ツキ」

 

ツキは足を止めた。

 

「雅樹さん」

 

男――雅樹は、静かに微笑んだ。

 

「大きくなったな」

 

「そういう挨拶をするほど、親しいつもりはありません」

 

「手厳しい」

 

「あなたに聞きたいことがあります」

 

「だろうな」

 

雅樹は最初から分かっていたように頷いた。

 

「禁止区域のことか」

 

ツキの拳が、わずかに握られた。

 

「知っているんですね」

 

「知っている」

 

「なら答えてください」

 

「ここでは寒いだろう。奥へ」

 

「答えてください」

 

ツキの声は強かった。

 

礼儀正しい彼女には珍しい、刺すような声。

 

海斗なら、ここで茶化したかもしれない。

 

落ち着け、と言ったかもしれない。

 

あるいは黙って前に立ったかもしれない。

 

だが今、海斗はいない。

 

だからツキは、自分で聞くしかなかった。

 

雅樹は少しだけ目を伏せた。

 

そして、静かに言った。

 

「おまえ達の故郷は、ホワイトルーム建設候補地だった」

 

言葉は、廊下に落ちた。

 

ツキは目を閉じなかった。

 

逸らさなかった。

 

受け止めた。

 

予想していた。

 

ここへ来るまでに、何度も考えた。

 

写真。

 

資料。

 

白ノ峰。

 

建設候補地。

 

計画変更。

 

廃棄。

 

繋がりすぎていた。

 

それでも、実際に聞くのとは違う。

 

胸の奥が、静かに冷えていく。

 

「なぜ」

 

ツキは聞いた。

 

「なぜ壊したんですか」

 

雅樹はすぐには答えなかった。

 

「計画が変更されたからだ」

 

「計画が変わっただけで、街を壊したんですか」

 

「街ではない」

 

雅樹は言った。

 

「記録上、あそこに街は存在していない」

 

その瞬間。

 

ツキの表情が変わった。

 

怒鳴りはしなかった。

 

泣きもしなかった。

 

ただ、目の奥に宿る温度が変わった。

 

「存在していなければ」

 

静かな声。

 

「消してもいいんですか」

 

雅樹は答えなかった。

 

それが答えだった。

 

ツキは笑った。

 

小さく。

 

冷たく。

 

海斗が見たら、珍しい顔をしていると言っただろう。

 

「私たちは最初から、いなかったことにされていたんですね」

 

雅樹は静かに言った。

 

「お前と海斗は生き残った」

 

「そういう話をしていません」

 

「分かっている」

 

「分かっていません」

 

ツキは一歩踏み出した。

 

「家がありました」

 

もう一歩。

 

「人がいました」

 

さらに一歩。

 

「名前がありました」

 

雅樹との距離が縮まる。

 

「海斗も、私も、そこで生きていました」

 

雅樹は動かなかった。

 

「それを、計画変更と証拠隠滅で片づけないでください」

 

廊下に沈黙が落ちた。

 

遠くで機械音が鳴っている。

 

どこかの扉が開き、また閉まる音がする。

 

この巨大な施設は、今も動いている。

 

何事もなかったように。

 

「海斗には」

 

雅樹が言った。

 

「話していないんだな」

 

「話せるわけないでしょう」

 

ツキの声が少しだけ震えた。

 

「海斗は、前に進もうとしていました」

 

「そうだな」

 

「あの人は過去を見ないようにしているだけです。

忘れたわけじゃない。でも、掘り返さないようにしている」

 

ツキは俯かなかった。

 

「だから私が来ました」

 

「一人で?」

 

「はい」

 

「危険だとは思わなかったのか」

 

「思いました」

 

「ならなぜ」

 

「知りたかったからです」

 

ツキは即答した。

 

「そして、海斗に黙って来た理由も同じです」

 

雅樹が目を細める。

 

ツキは続けた。

 

「あの人は知ったら必ず来ます」

 

「だろうな」

 

「だから、先に私が来る必要がありました」

 

「海斗は怒るだろうな」

 

「知っています」

 

「かなり怒る」

 

「知っています」

 

「説教もする」

 

「それは嫌です」

 

「そこは嫌なのか」

 

ツキは初めて少しだけ顔をしかめた。

 

「海斗の説教は雑なんです」

 

「雑?」

 

「お前馬鹿か、で始まって、お前馬鹿だろ、で終わります」

 

雅樹は小さく笑った。

 

「仲が良いことだな」

 

「良くありません」

 

即答だった。

 

だが、その即答は少しだけ海斗に似ていた。

 

「ただ」

 

ツキは小さく息を吐いた。

 

「迎えに来るとは思います」

 

「信用している」

 

「違います」

 

「では?」

 

「そういう人なんです」

 

それ以上の説明はなかった。

 

だが、十分だった。

 

雅樹は廊下の奥へ視線を向けた。

 

「なら、時間はあまりないな」

 

「どういう意味ですか」

 

その瞬間、施設内に低い警報音が鳴った。

 

赤いランプが廊下を染める。

 

白かった壁が、一瞬で血のような色に変わった。

 

ツキは反射的に周囲を見た。

 

雅樹は壁の端末へ近づき、画面を確認する。

 

そこには外部カメラの映像が映っていた。

 

吹雪。

 

山道。

 

黒い大型車。

 

雪を巻き上げながら、施設へ向かっている。

 

運転席の顔までは見えない。

 

だが、ツキには分かった。

 

分かってしまった。

 

「……早すぎる」

 

ツキは呟いた。

 

雅樹は微笑んだ。

 

「迎えが来たな」

 

「来なくていいのに」

 

「本心か?」

 

「半分くらいは」

 

「残り半分は?」

 

ツキは答えなかった。

 

代わりに、少しだけ口元を緩めた。

 

「帰ったら怒られますね」

 

「だろうな」

 

「でも」

 

ツキはモニターの中の車を見た。

 

吹雪の中、迷いなく進んでくる黒い車。

 

無茶苦茶で。

 

乱暴で。

 

雑で。

 

それでも、絶対に来る人。

 

「少しだけ、安心しました」

 

 

雪山の道路は、ほとんど道とは呼べなかった。

 

白い。

 

ただ白い。

 

アスファルトの境界も。

 

ガードレールの位置も。

 

崖の縁も。

 

すべてが吹雪に溶けていた。

 

黒い大型車が、その白を切り裂くように進んでいく。

 

運転席には朝霧海斗がいた。

 

片手でハンドルを握り、もう片方の手で暖房の温度を上げる。

 

「寒ぃな」

 

誰も答えない。

 

助手席は空だった。

 

後部座席も空だった。

 

バッグだけが揺れている。

 

中には銃器。

 

工具。

 

医療キット。

 

防寒具。

 

そして文庫本。

 

海斗は一瞬だけ助手席を見た。

 

いつもなら、ツキが何か言っていただろう。

 

「運転が荒い」

 

「雪道を舐めるな」

 

「本当に免許持ってる?」

 

「海斗、前を見て」

 

そんな声が聞こえそうだった。

 

「うるせぇな」

 

海斗は誰もいない車内で呟いた。

 

「まだ何も言ってねぇだろ」

 

当然、返事はない。

 

それが少しだけ気に入らなかった。

 

海斗はアクセルを踏む。

 

車体が雪に取られかける。

 

ハンドルを切り、立て直す。

 

崖側のタイヤが一瞬だけ滑った。

 

普通なら減速する場面。

 

だが海斗は笑った。

 

「面白ぇ道だな」

 

その瞬間、通信機が鳴った。

 

二階堂邸からの回線。

 

麗華だった。

 

『海斗』

 

「何だ」

 

『今どこ』

 

「雪山」

 

『それは知っているわ』

 

「じゃあ聞くな」

 

『もっと具体的に言いなさい』

 

「白い」

 

『殴りたいわね』

 

「遠隔で殴るな」

 

『できるものならしているわ』

 

海斗は少しだけ笑った。

 

通信の向こうで、麗華は息を吐いた。

 

『ツキは?』

 

「まだ見つけてねぇ」

 

『施設は?』

 

「見えてきた」

 

『無茶はしないで』

 

「無茶って何だ」

 

『あなたが今からすること全部よ』

 

「なら無理だな」

 

『でしょうね』

 

麗華の声には呆れが混じっていた。

 

けれど、その奥には隠しきれない不安がある。

 

海斗はそれに気づいた。

 

気づいていながら、触れなかった。

 

「麗華」

 

『何』

 

「ツキに伝言あるか」

 

少しの沈黙。

 

そして麗華は言った。

 

『心配した、と』

 

海斗は口元を上げた。

 

「素直だな」

 

『うるさいわね』

 

「分かった。伝えとく」

 

『それと』

 

「まだあるのか」

 

『あなたも帰ってきなさい』

 

海斗は前方を見た。

 

吹雪の奥に、白い施設の影が浮かんでいる。

 

巨大だった。

 

山を削り、崖に縫い付け、雪の中に埋めた白い要塞。

 

ホワイトルーム。

 

「努力する」

 

『努力じゃなくて約束しなさい』

 

「約束は嫌いだ」

 

『知っているわ』

 

「でもまあ」

 

海斗はハンドルを握り直した。

 

「帰る」

 

通信の向こうで、麗華が息を止めた気配がした。

 

『……頼んだわよ』

 

「ああ」

 

通信が切れる。

 

車内に再び静寂が戻る。

 

海斗は施設を見た。

 

白い壁。

 

監視塔。

 

外周フェンス。

 

赤い警報灯。

 

そのすべてが、こちらを拒んでいる。

 

だが。

 

そんなことはどうでもよかった。

 

ツキがいる。

 

なら行く。

 

理由はそれだけで十分だった。

 

海斗はアクセルを踏み込んだ。

 

黒い車が吹雪の中を加速する。

 

その頃。

 

高度育成高等学校の正門前。

 

綾小路清隆と森下藍もまた、雪の中へ歩き出していた。

 

森下は防寒具を整えながら、白い息を吐く。

 

「寒いですね」

 

「雪山はもっと寒い」

 

「帰っていいですか?」

 

「今なら間に合う」

 

「冗談です」

 

「本気でも構わない」

 

「綾小路清隆は優しいですね」

 

「合理的な提案だ」

 

「そういうところですよ」

 

森下は小さく笑った。

 

オレは封筒を内ポケットにしまう。

 

白い招待状。

 

志朗の言葉。

 

ホワイトルーム本部。

 

すべてが繋がっていく。

 

森下が横から覗き込むように言った。

 

「ところで綾小路清隆」

 

「何だ」

 

「朝霧海斗とは、本の話をするんですか?」

 

「なぜ今その話になる」

 

「移動中の話題として」

 

「ホワイトルームへ向かう途中にする話題ではない」

 

「では、どんな話題ならいいんですか?」

 

「作戦」

 

「つまらないですね」

 

「楽しい必要はない」

 

「でも、朝霧海斗は本の虫なんですよね」

 

「らしいな」

 

「綾小路清隆も読書好き」

 

「嫌いではない」

 

「では共通の趣味です」

 

「趣味と呼べるかは分からない」

 

「友達作りの第一歩です」

 

「さっきも聞いた」

 

「大事なことなので」

 

森下は楽しそうだった。

 

オレは息を吐く。

 

白い息が、雪の中へ消える。

 

「森下」

 

「はい」

 

「お前は本当に、危険を理解しているのか」

 

「しています」

 

「そのわりには楽しそうだ」

 

「楽しそうにしていないと、怖くなるので」

 

その返答に、オレは少しだけ黙った。

 

森下は相変わらず微笑んでいる。

 

けれど、その言葉は冗談だけではなかった。

 

彼女も理解している。

 

自分が向かおうとしている場所が、普通ではないことを。

 

それでも来る。

 

好奇心だけではない。

 

恐怖を抱えた上で、選んでいる。

 

「そうか」

 

オレはそれだけ言った。

 

森下は少し意外そうにこちらを見る。

 

「止めないんですね」

 

「止めても来るだろ」

 

「はい」

 

「なら無駄だ」

 

「綾小路清隆らしいですね」

 

「褒めているのか」

 

「半分くらいは」

 

「残り半分は」

 

「秘密です」

 

面倒な同行者だ。

 

だが。

 

悪くないとも思った。

 

雪は強くなっていた。

 

白い世界の向こうに、ホワイトルームがある。

 

綾小路清隆の過去。

 

朝霧海斗の過去。

 

志朗の決着。

 

ツキの真実。

 

篤臣との終わり。

 

すべてがそこに集まろうとしている。

 

そして。

 

白ノ峰の奥。

 

ホワイトルーム本部の最上階。

 

一人の男が、巨大な窓の前に立っていた。

 

オールバックの黒髪。

 

鋭い目。

 

一切の迷いを許さない表情。

 

綾小路篤臣。

 

彼は吹雪の中に浮かぶ監視映像を見ていた。

 

黒い車。

 

雪山を登る海斗。

 

別ルートから動き出す綾小路。

 

その二つの点を見比べる。

 

背後に立つ職員が言った。

 

「対象が動きました」

 

篤臣は答えない。

 

職員は続ける。

 

「朝霧海斗も接近中です」

 

篤臣の目がわずかに細くなる。

 

「外の世界の強者、か」

 

低い声だった。

 

「清隆が何を見てきたのか、確かめるにはちょうどいい」

 

窓の外では吹雪が荒れている。

 

白い世界。

 

白い施設。

 

白い牢獄。

 

その中心で、篤臣は静かに告げた。

 

「始めろ」

 

次の瞬間。

 

ホワイトルーム全域に、警報が鳴り響いた。

 

白き牢獄が、目を覚ました。




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