ザ・ダイハード・マスターピース   作:EXTERMINATION

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第43話 白き要塞

吹雪は、さらに強くなっていた。

 

白ノ峰の山道は、もはや道路ではなく、雪に埋もれた一本の傷跡のようだった。

 

ガードレールは半分以上が雪に隠れ、標識は風に揺れ、

ヘッドライトの光は数メートル先で白い壁に吸い込まれていく。

 

黒い大型車は、その白い世界を切り裂くように進んでいた。

 

運転席には、朝霧海斗がいる。

 

片手でハンドルを握り、もう片方の手でシフトを操作する。

 

車体が横に滑る。

 

海斗は舌打ちしながらハンドルを切り、

タイヤの噛み方を足裏の感覚で読むようにアクセルを踏み直した。

 

「雪道ってのは面倒だな」

 

車内には誰もいない。

 

返事もない。

 

けれど海斗は、助手席に誰かが座っているかのように続けた。

 

「お前なら今頃、運転が荒いだの、死にたいんですかだの、うるさかっただろうな」

 

言ってから、海斗は黙った。

 

助手席は空だった。

 

そこにいるはずのツキはいない。

 

それが、少しだけ気に入らなかった。

 

海斗はバックミラーを見る。

 

後続車はない。

 

二階堂家の支援も、今は届かない。

 

通信は不安定になり始めている。

 

標高が上がるにつれ、電波は乱れ、衛星端末も時折ノイズを吐くようになっていた。

 

普通なら引き返す判断をする。

 

普通なら。

 

だが、海斗は普通ではない。

 

「待ってろよ」

 

低く呟く。

 

「帰ったら説教だ」

 

その時、前方に光が見えた。

 

赤い光。

 

吹雪の向こうで、ゆっくりと回転している。

 

警告灯だった。

 

白い世界の中に、巨大な影が浮かび上がる。

 

ホワイトルーム本部。

 

それは、山の斜面に埋め込まれた要塞だった。

 

外壁は白い。

 

だが雪の白とは違う。

 

人工物の白。

 

拒絶する白。

 

人間の温度を許さない白。

 

高い外壁。

 

監視塔。

 

外周フェンス。

 

崖に沿って伸びる連絡通路。

 

山肌を削って造られた搬入口。

 

吹雪の中でも、施設の輪郭は異様なほどはっきりしていた。

 

まるで雪山そのものが、施設を守る壁になっているようだった。

 

海斗は車を減速させる。

 

正面ゲートの手前。

 

道路を塞ぐように、金属製のバリケードが下りていた。

 

監視カメラがこちらを向く。

 

スピーカーからノイズが走る。

 

『停止してください』

 

機械的な声。

 

海斗は止まらなかった。

 

『停止してください。これ以上の接近は――』

 

海斗はアクセルを踏み込んだ。

 

車体が唸る。

 

バリケードが迫る。

 

スピーカーの声が警告に変わる。

 

『停止――』

 

衝撃。

 

黒い大型車がバリケードへ突っ込んだ。

 

金属が曲がり、火花が散り、車体が大きく揺れる。

 

エアバッグは開かない。

 

防弾仕様の車体が、バリケードを押し潰すように突破する。

 

海斗は白い歯を見せて笑った。

 

「止まれって言われて止まる奴が、こんなとこ来るかよ」

 

ゲート内部に警報が鳴り響く。

 

赤いランプが雪を染める。

 

海斗は車を横付けし、素早く降りた。

 

寒気が全身へ突き刺さる。

 

防寒具の襟を立て、バッグを肩にかける。

 

腰には拳銃。

 

ポケットには工具。

 

内側にはピッキングツール。

 

そして胸元には、古い写真。

 

幼い自分とツキ。

 

壊された故郷。

 

海斗は外壁を見上げる。

 

「さて」

 

正面入口は当然ロックされている。

 

監視カメラは動いている。

 

数十秒以内に警備が来る。

 

なら、正面から入る必要はない。

 

海斗は施設の側面へ回った。

 

吹雪の中を進みながら、外壁の構造を確認する。

 

換気口。

 

メンテナンス用ハッチ。

 

非常用の細い階段。

 

排水管。

 

雪で埋もれているが、完全には隠れていない。

 

ホワイトルームは完璧に見える。

 

だが、どんな施設にも隙間はある。

 

人間が作ったものだからだ。

 

「綾小路なら、もっと静かに入るんだろうな」

 

海斗は小さく笑った。

 

「オレはこっちでいい」

 

メンテナンスハッチの前にしゃがむ。

 

電子ロック。

 

暗証番号式。

 

カード認証付き。

 

さらに物理キーもある。

 

面倒な構造だ。

 

だが、海斗の顔には不満よりも楽しさが浮かんでいた。

 

「久々だな」

 

ピッキングツールを取り出す。

 

手袋を外す。

 

指先が一瞬で冷える。

 

だが、感覚は鈍らせない。

 

金属の中へ細い工具を差し込み、内部の感触を探る。

 

同時に、電子パネルの配線カバーを外す。

 

赤。

 

青。

 

黒。

 

白。

 

配線を見て、海斗は眉を寄せた。

 

「性格悪いな」

 

普通に切れば警報。

 

順番を間違えても警報。

 

そもそも既に警報は鳴っているが、内部ロックが落ちれば厄介だ。

 

海斗は工具を咥え、指先で配線を押さえながら、鍵穴の中のピンを上げる。

 

風が背中を叩く。

 

雪が頬に当たる。

 

数秒。

 

十数秒。

 

カチリ。

 

小さな音。

 

海斗は口元を上げる。

 

「開いた」

 

ハッチが少しだけ浮いた。

 

その瞬間、背後から足音が聞こえた。

 

一人ではない。

 

三人。

 

いや、四人。

 

海斗は振り返らずに、ハッチを開ける。

 

背後から声が飛ぶ。

 

「動くな!」

 

海斗は動いた。

 

ハッチの影へ身体を滑り込ませるのではなく、逆に雪の上を横へ跳ぶ。

 

銃声。

 

弾がハッチに当たり、火花を散らす。

 

海斗は雪の上を転がりながら拳銃を抜いた。

 

警備兵は四人。

 

全員、防寒装備と防弾ベスト。

 

構えは訓練されている。

 

普通の警備員ではない。

 

ホワイトルームの外周警備。

 

つまり、前座としては十分だった。

 

「侵入者を拘束する!」

 

「無理だろ」

 

海斗は短く言った。

 

次の瞬間、雪を蹴る。

 

距離を詰める。

 

一人目の銃口を外側へ払う。

 

発砲音。

 

弾は空へ逸れる。

 

海斗は相手の腕を捻り、膝を入れ、体勢を崩す。

 

二人目が撃とうとする。

 

海斗は倒れかけた一人目を盾にするように動き、直接弾道から外れた。

 

雪上では足を止めた方が負ける。

 

止まれば狙われる。

 

動けば滑る。

 

だが、海斗はその滑りすら利用した。

 

足を取られたように見せて低く沈み、三人目の足元へ滑り込む。

 

足首を払う。

 

相手が倒れる。

 

その手から銃が離れる。

 

海斗はそれを蹴り飛ばした。

 

四人目がナイフを抜く。

 

近接に切り替えた判断は悪くない。

 

だが遅い。

 

海斗は相手の手首を掴み、肘を叩き、ナイフを落とさせる。

 

そのまま肩からぶつかり、外壁へ押しつけた。

 

鈍い音。

 

警備兵が息を詰まらせる。

 

「悪いな」

 

海斗は言った。

 

「急いでる」

 

最後の一人が無線へ手を伸ばす。

 

海斗は拾ったナイフを投げた。

 

ナイフは無線機だけを弾き飛ばし、雪の中へ突き刺さる。

 

警備兵が固まった。

 

海斗は笑う。

 

「次は手に当たるぞ」

 

警備兵は動かなかった。

 

海斗は再びハッチへ向かう。

 

その時。

 

スピーカーから別の声が流れた。

 

『乱暴な入り方だな、朝霧海斗』

 

男の声。

 

低く、威圧感がある。

 

海斗は足を止めた。

 

その声には聞き覚えがあった。

 

「雅樹か」

 

『来るとは思っていた』

 

「なら玄関開けとけ」

 

『犬でも入れるつもりはない』

 

「口悪くなったな」

 

『昔からだ。お前が忘れてるだけだ』

 

海斗はスピーカーを見上げた。

 

声だけで分かる。

 

雅樹は笑っていない。

 

優しくもない。

 

こちらを試している。

 

あるいは、上から見下ろしている。

 

「ツキは」

 

『中にいる』

 

「無事か」

 

『今はな』

 

海斗の目が細くなる。

 

『怒るな。怒っても扉は開かない』

 

「開けるさ」

 

『できるものならやってみろ』

 

通信が切れた。

 

海斗は舌打ちした。

 

「上等だ」

 

ハッチを開け、内部へ入る。

 

狭いメンテナンス通路。

 

暗い。

 

冷たい。

 

金属の匂い。

 

遠くで機械が唸っている。

 

海斗はライトをつけずに進んだ。

 

暗闇には慣れている。

 

施設の内部構造を頭の中で描く。

 

外周。

 

搬入口。

 

管理区画。

 

訓練棟。

 

地下研究棟。

 

中心管制。

 

ツキがいるなら、普通の監禁室ではない。

 

雅樹が直接対応したなら、もっと奥だ。

 

「ったく」

 

海斗は低く呟く。

 

「面倒なとこに入りやがって」

 

その声は怒っていた。

 

けれど、少しだけ安心もしていた。

 

ツキは生きている。

 

なら十分だ。

 

今はそれだけでいい。

 

 

同じ頃。

 

白ノ峰へ向かう別ルート。

 

綾小路清隆と森下藍は、山道の途中にいた。

 

二階堂家の車とは違う。

 

こちらは目立たない一般車両だった。

 

運転手は学校側の関係者ではない。

 

手配したのは森下だった。

 

どこから調達したのかは聞いていない。

 

聞けば面倒な答えが返ってきそうだったからだ。

 

「綾小路清隆」

 

助手席の森下が言った。

 

「何だ」

 

「今、私の手配方法を怪しみましたね」

 

「していない」

 

「嘘ですね」

 

「なぜ分かる」

 

「顔がほんの少しだけ、面倒そうでした」

 

「いつもと同じだ」

 

「つまりいつも面倒だと思っているんですね」

 

「否定はしない」

 

森下は楽しそうに笑った。

 

「朝霧海斗は、もう入った頃でしょうか」

 

「正面から騒ぎを起こしている可能性が高い」

 

「なぜ分かるんですか」

 

「性格だ」

 

「便利ですね、性格判断」

 

「外れてはいないと思う」

 

「確かに朝霧海斗は正面から突っ込みそうです」

 

「いや、正面から行くように見せて別口から入る」

 

森下は少し目を細めた。

 

「評価が高いですね」

 

「低く見積もる理由がない」

 

「友達ですか?」

 

「違う」

 

「ライバルですか?」

 

「それも違う」

 

「では何ですか?」

 

綾小路は少しだけ考えた。

 

朝霧海斗。

 

白銀禁止区域で共に戦った男。

 

互角に近い戦いをした男。

 

ホワイトルームではない場所で完成した男。

 

本を読み、軽口を叩き、平気で無茶をし、必要な時だけ誰よりも早く動く男。

 

「外で出会った強者だ」

 

綾小路は答えた。

 

森下はその答えを聞いて、少しだけ満足そうに頷いた。

 

「なるほど。綾小路清隆がそう評するなら、かなり特別ですね」

 

「そうかもしれない」

 

「ところで」

 

「何だ」

 

「本の話はいつしますか?」

 

「今ではない」

 

「残念です」

 

森下は膝の上に置いた本を軽く叩いた。

 

本当に一冊持ってきていた。

 

雪山へ向かう車内で。

 

ホワイトルームへ向かう途中で。

 

彼女は本を持ってきた。

 

朝霧海斗と同じ発想だ。

 

「森下」

 

「はい」

 

「その本は何だ」

 

「小説です」

 

「それは見れば分かる」

 

「人間観察に役立つかと思いまして」

 

「小説がか」

 

「はい。人間は嘘をつきますが、物語は嘘をつくことで本当のことを見せます」

 

「妙な言い方だな」

 

「綾小路清隆はそういう言い方が嫌いですか?」

 

「嫌いではない」

 

「では、朝霧海斗と三人で読書会ができますね」

 

「ホワイトルームでか」

 

「場所としては最悪ですね」

 

「ならやめろ」

 

「ですが面白そうです」

 

森下は相変わらずだった。

 

綾小路は窓の外を見た。

 

雪が強くなっている。

 

このまま進めば、車で近づける限界が来る。

 

施設へは徒歩で接近する必要があるだろう。

 

志朗は待っていると言った。

 

篤臣もいる。

 

ホワイトルーム本部。

 

綾小路にとって、そこは過去の中心だった。

 

だが不思議と、恐怖はなかった。

 

嫌悪はある。

 

警戒もある。

 

面倒だとも思う。

 

しかし戻るわけではない。

 

終わらせるために行く。

 

その感覚が、以前とは違っていた。

 

「綾小路清隆」

 

森下が再び呼んだ。

 

「何だ」

 

「怖いですか?」

 

「お前は?」

 

「怖いです」

 

即答だった。

 

綾小路は少しだけ森下を見た。

 

彼女はいつも通りの表情をしている。

 

だが、その答えは本当だった。

 

「怖いのに来たのか」

 

「怖くない人間だけが行く場所ではないでしょう」

 

「そうだな」

 

「それに」

 

森下は窓の外を見る。

 

「怖いものほど、見たくなることがあります」

 

「危険な性格だ」

 

「よく言われます」

 

「誰に」

 

「自分に」

 

綾小路は何も言わなかった。

 

森下は戦えない。

 

だが、弱くはない。

 

少なくとも、自分の恐怖を認識した上で前に進んでいる。

 

それはホワイトルームでは評価されにくい強さだった。

 

「到着です」

 

運転手が言った。

 

車が止まる。

 

前方は雪で塞がっている。

 

これ以上は進めない。

 

綾小路と森下は車を降りた。

 

外気が身体を刺す。

 

風が強い。

 

視界は悪い。

 

遠くに、赤い警報灯が見える。

 

ホワイトルーム本部。

 

森下はそれを見上げた。

 

「すごいですね」

 

「戻りたいなら今だ」

 

「綾小路清隆」

 

「何だ」

 

「それ、三回目です」

 

「三回言っても足りない」

 

「では四回目も聞くことになりそうですね」

 

森下は歩き出した。

 

綾小路も続く。

 

二人の足跡が雪に刻まれる。

 

だが、すぐに吹雪がそれを消していく。

 

まるで、ここへ来た者の痕跡をすべて消そうとしているかのようだった。

 

 

ホワイトルーム内部。

 

ツキは雅樹の前に立っていた。

 

警報は鳴り続けている。

 

赤いランプが白い廊下を染めている。

 

モニターには、外周から侵入した海斗の位置が表示されていた。

 

雅樹はそれを見て、低く笑った。

 

「相変わらずだな、あの男は」

 

ツキは眉を寄せる。

 

「海斗に何をするつもりですか」

 

「するつもり、じゃない」

 

雅樹はツキを見た。

 

その目には、先ほどまでの余裕とは違うものがあった。

 

威圧。

 

支配。

 

そして、試す者の目。

 

「ここに入った時点で、何かをされる側ではなくなる。生き残るか、潰れるかだ」

 

「海斗は潰れません」

 

「知っている」

 

雅樹は即答した。

 

「だから面白い」

 

ツキは不快そうに目を細めた。

 

「人を試すのが好きなんですね」

 

「試されずに生きてきた人間がいると思うか」

 

「少なくとも、あなたの試し方は悪趣味です」

 

「褒め言葉か」

 

「褒めていません」

 

雅樹は歩き出した。

 

「来い」

 

「どこへ」

 

「お前が知りたがっていた真相の続きだ」

 

ツキは一瞬だけ迷った。

 

海斗が来ている。

 

ここで動けば、合流が遠ざかるかもしれない。

 

だが、ここまで来た理由は真相を知ることだ。

 

今引き返せば、何のために一人で来たのか分からない。

 

雅樹は振り返らない。

 

「怖いならそこで待っていろ」

 

その言葉に、ツキは歩き出した。

 

「怖くないとは言いません」

 

雅樹の背中へ向けて言う。

 

「でも、待っているだけは嫌です」

 

「いい答えだ」

 

「あなたに褒められても嬉しくありません」

 

「なら怒れ」

 

雅樹は淡々と言った。

 

「怒りは使い方を間違えなければ力になる」

 

「海斗みたいなことを言いますね」

 

雅樹は足を止めた。

 

少しだけ振り返る。

 

「海斗は怒りで動く男じゃない」

 

「……」

 

「怒っているように見えても、あいつの根っこは別にある」

 

「分かっているような口ぶりですね」

 

「お前よりはな」

 

ツキの表情が強張る。

 

雅樹は言った。

 

「お前は海斗に近すぎる。近すぎる人間は、逆に見落とす」

 

「知ったようなことを」

 

「知っているんだよ」

 

雅樹の声が低くなる。

 

「お前たちの故郷が壊された日、何が起きたのかもな」

 

ツキは言葉を失った。

 

雅樹は再び歩き出す。

 

「来い。途中で目を逸らすな」

 

二人は廊下を進んだ。

 

途中、何人もの職員とすれ違う。

 

白衣の者。

 

黒い制服の警備員。

 

無表情な研究員。

 

誰もツキを止めない。

 

雅樹が連れているからだ。

 

それだけで、彼がこの施設内で特別な立場にいることが分かる。

 

やがて、二人は巨大なエレベーターの前に着いた。

 

雅樹がカードをかざす。

 

認証。

 

扉が開く。

 

中は広い。

 

貨物用にも使える大きさだ。

 

ツキが乗り込むと、雅樹は地下のボタンを押した。

 

B7。

 

地下七階。

 

エレベーターが静かに下降を始める。

 

機械音だけが響く。

 

ツキは拳を握った。

 

「地下には何があるんですか」

 

「研究棟だ」

 

「ホワイトルームの?」

 

「その前身と、失敗と、隠したもの全部だ」

 

雅樹は淡々と言った。

 

「お前たちの禁止区域に関する記録もそこにある」

 

ツキの呼吸がわずかに乱れる。

 

「海斗にも見せるつもりですか」

 

「来ればな」

 

「来ます」

 

「だろうな」

 

雅樹は笑った。

 

「なら、あいつにも見せてやる」

 

エレベーターが止まった。

 

扉が開く。

 

その先に広がっていたのは、白ではなかった。

 

灰色だった。

 

古いコンクリート。

 

錆びた配管。

 

無数の保管庫。

 

ホワイトルームの上層とは違う。

 

清潔な白に覆い隠される前の、剥き出しの過去。

 

地下研究棟。

 

ツキは一歩踏み出した。

 

足音が冷たく響く。

 

雅樹は奥へ進む。

 

「ここから先は、綺麗な話じゃない」

 

「分かっています」

 

「分かっていない」

 

雅樹は言い切った。

 

「お前はまだ、奪われた側の怒りしか知らない」

 

ツキは黙る。

 

「だが真相ってのはな、怒って終われるほど単純じゃない」

 

「どういう意味ですか」

 

雅樹は扉の前で止まった。

 

そこには古いプレートが貼られていた。

 

旧計画資料室。

 

雅樹は認証を通し、扉を開ける。

 

「見れば分かる」

 

中には、紙の資料とデータ端末が並んでいた。

 

古い写真。

 

地図。

 

住民リスト。

 

開発計画書。

 

そして、黒塗りされた大量の書類。

 

ツキは一枚の資料へ目を落とした。

 

白銀禁止区域。

 

旧居住区。

 

建設候補地。

 

住民移送計画。

 

計画変更。

 

処理。

 

その文字を見た瞬間、ツキの指先が震えた。

 

「処理……?」

 

雅樹は言った。

 

「そう書いた奴がいる」

 

「人間を?」

 

「そうだ」

 

「ふざけないでください」

 

ツキの声が震えた。

 

怒りで。

 

「ふざけているのはこの資料を書いた連中だ」

 

雅樹は冷たく言う。

 

「俺じゃない」

 

「あなたは無関係なんですか」

 

雅樹は答えなかった。

 

その沈黙だけで、ツキは理解した。

 

「関わっていたんですね」

 

雅樹は否定しない。

 

「全部ではない」

 

「一部ではある」

 

「そうだ」

 

ツキは雅樹を睨んだ。

 

「なら、あなたも同じです」

 

「そうだな」

 

あまりにもあっさりと認めた。

 

だからこそ、ツキは言葉に詰まった。

 

雅樹は威圧するようにツキを見る。

 

「綺麗な大人だと思ったか」

 

「思っていません」

 

「ならその目で見ろ」

 

雅樹は資料を机へ叩きつけた。

 

紙の束が重い音を立てる。

 

「お前が知りたいと言った過去だ。海斗に黙ってまで来た真実だ。途中で逃げるな」

 

ツキは唇を噛む。

 

逃げない。

 

そのために来た。

 

「……読みます」

 

「そうしろ」

 

その時。

 

天井のスピーカーが鳴った。

 

『外周侵入者、メンテナンス区画へ侵入。警備班二班、応答なし』

 

ツキが顔を上げる。

 

雅樹はモニターへ視線を向ける。

 

映像には、暗いメンテナンス通路を進む海斗の姿が映っていた。

 

海斗はカメラの位置に気づいたのか、少しだけ顔を上げた。

 

そして、口を動かした。

 

音声はない。

 

だが、ツキには分かった。

 

馬鹿。

 

おそらくそう言った。

 

ツキは小さく笑ってしまった。

 

こんな場所で。

 

こんな状況で。

 

それでも、海斗らしすぎた。

 

雅樹がそれを見て言う。

 

「あいつは来る」

 

「知っています」

 

「そして怒る」

 

「知っています」

 

「お前はどうする」

 

ツキは資料を握りしめた。

 

「謝ります」

 

「それだけか」

 

「それから、ちゃんと話します」

 

雅樹は少しだけ満足そうに目を細めた。

 

「なら生き残れ」

 

警報がさらに大きくなった。

 

白い要塞の中で、複数の扉がロックされる音が響く。

 

ホワイトルームは、侵入者を迎えるために姿を変え始めていた。

 

 

メンテナンス通路の中で、海斗は立ち止まった。

 

前方に扉。

 

電子ロック。

 

右手には換気ダクト。

 

左手には縦の配管スペース。

 

背後からは足音。

 

追手が近づいている。

 

「面倒だな」

 

海斗はポケットから小型工具を取り出す。

 

扉のパネルを開ける。

 

配線を見る。

 

先ほどより複雑だ。

 

ホワイトルームの内部ロック。

 

通常の施設とは違う。

 

「いい趣味してるぜ」

 

背後の足音が近づく。

 

五人。

 

いや六人。

 

全員、足音が軽い。

 

警備兵よりも訓練されている。

 

ホワイトルームの実働部隊。

 

海斗は配線を繋ぎ替えながら、口元だけで笑った。

 

「急げってか」

 

カチリ。

 

ロックが外れる。

 

扉が開く。

 

その瞬間、背後に銃口が向く。

 

「止まれ」

 

海斗は振り返った。

 

六人の男たち。

 

黒い戦闘服。

 

顔の半分を覆うマスク。

 

全員が銃を構えている。

 

射線が重なっている。

 

隙は少ない。

 

海斗は両手を軽く上げた。

 

「迷子なんだが、受付どこ?」

 

誰も笑わなかった。

 

「武器を捨てろ」

 

「嫌だね」

 

「撃つぞ」

 

「撃てば?」

 

一瞬の沈黙。

 

海斗はその一瞬で動いた。

 

上げていた手を下ろすのではなく、天井の配管へ伸ばす。

 

指先にかけていた小型フックを引く。

 

配管に仕掛けていたワイヤーが外れ、頭上の消火設備が作動した。

 

白い煙。

 

いや、消火剤が通路に噴き出す。

 

視界が潰れる。

 

銃声。

 

海斗はすでに床へ滑り込んでいた。

 

弾は通路の壁を叩く。

 

海斗は一人目の足を払う。

 

倒れた相手の銃を蹴る。

 

二人目が接近。

 

海斗は肘を受け、肩で弾き、膝を入れる。

 

三人目の銃口が向く。

 

海斗は倒れた一人目の身体を押し出し、射線を塞ぐ。

 

「撃てねぇよな」

 

撃てば味方に当たる。

 

その一瞬の迷いで十分だった。

 

海斗は配管スペースへ身を滑り込ませる。

 

縦穴を蹴り、手すりを掴み、一段下へ落ちる。

 

背後で怒号。

 

銃声。

 

だが、もう遅い。

 

海斗は下層の通路へ着地した。

 

膝に衝撃が走る。

 

「いってぇ」

 

だが止まらない。

 

腰の無線機を取り出す。

 

先ほど倒した警備兵から奪ったものだ。

 

チャンネルを合わせる。

 

そして、海斗は喉を鳴らした。

 

声帯模写。

 

『侵入者を第三区画で確認。全班、第三区画へ向かえ』

 

声は、先ほどの警備隊長とほぼ同じだった。

 

無線の向こうがざわつく。

 

『了解』

 

『第三区画へ移動する』

 

海斗は無線を切る。

 

「単純で助かる」

 

もちろん長くは持たない。

 

だが、数分稼げれば十分だ。

 

海斗は走り出す。

 

通路の先に表示が見えた。

 

射撃訓練場。

 

その文字を見て、海斗は笑った。

 

「おいおい」

 

扉の向こうから、機械音が聞こえる。

 

ターゲットレール。

 

銃器保管庫。

 

広い空間。

 

武器がある。

 

敵もいる。

 

そしておそらく、罠もある。

 

「面白くなってきたじゃねぇか」

 

海斗は扉を押し開けた。

 

その先には、巨大な射撃訓練場が広がっていた。

 

白い壁。

 

長い射線。

 

無数の標的。

 

天井から吊られた可動式ターゲット。

 

そして奥に立つ、数人のホワイトルーム生。

 

年齢は綾小路と同じくらいか、少し下。

 

全員が無表情でこちらを見ていた。

 

その中の一人が言った。

 

「朝霧海斗」

 

「有名人かよ、オレは」

 

「外部完成体。実戦型。危険度A」

 

「誰がつけたんだ、そのダサい評価」

 

少年は答えない。

 

代わりに銃を構えた。

 

他の生徒たちも同時に動く。

 

海斗は口元を上げた。

 

「いいぜ」

 

腰の拳銃を抜く。

 

「遊んでやる」

 

その頃。

 

ホワイトルーム外周の別ルート。

 

綾小路清隆と森下藍は、施設の裏手へ到達していた。

 

そこには崖に沿った細い通路があった。

 

風が強い。

 

一歩踏み外せば、下は白い闇。

 

森下が下を見て、すぐに視線を戻す。

 

「綾小路清隆」

 

「何だ」

 

「高いですね」

 

「見れば分かる」

 

「落ちたらどうなりますか」

 

「助からない可能性が高い」

 

「聞かなければよかったです」

 

「聞いたのはお前だ」

 

森下は小さく息を吐いた。

 

だが、足は止めない。

 

綾小路は彼女の歩幅に合わせながら、周囲を見る。

 

警備は正面と外周ゲートに集まっている。

 

海斗が派手に動いたおかげで、こちらのルートは薄い。

 

予想通りだ。

 

「朝霧海斗は役に立っていますね」

 

森下が言った。

 

「本人はそのつもりではないだろうがな」

 

「囮にされていると知ったら怒りますか?」

 

「怒らないだろう」

 

「なぜです?」

 

「利用できるものは利用するタイプだからだ」

 

「綾小路清隆と似ていますね」

 

「似ていない」

 

「即答ですね」

 

「海斗の方が雑だ」

 

「そこですか」

 

森下は笑った。

 

その時、通路の先に人影が現れた。

 

一人。

 

黒髪。

 

静かな立ち姿。

 

志朗だった。

 

吹雪の中で、彼はまるで最初からそこにいたかのように立っていた。

 

「来たな」

 

志朗が言った。

 

綾小路は足を止める。

 

森下も隣で止まった。

 

志朗は森下を見る。

 

「同行者か」

 

森下は微笑んだ。

 

「森下藍です。観察に来ました」

 

「観察?」

 

「はい。綾小路清隆の根っこを」

 

志朗は少しだけ笑った。

 

「面白い人だな」

 

「よく言われます」

 

「危険だぞ」

 

「それもよく言われます」

 

志朗は綾小路を見る。

 

「お前の周りには変わった人間が増えたな」

 

「否定はしない」

 

「いいことだ」

 

「そうか」

 

「ああ」

 

志朗は背を向けた。

 

「案内する」

 

「罠ではないのか」

 

「罠だ」

 

即答だった。

 

森下が目を丸くする。

 

志朗は振り返らずに続けた。

 

「でも、案内でもある」

 

「便利な言い方だな」

 

「ホワイトルーム流だ」

 

綾小路は志朗の背中を見た。

 

戦うのは今ではない。

 

少なくとも、志朗は今ここで始めるつもりはない。

 

なら進むべきだ。

 

「行くぞ」

 

綾小路が言うと、森下は小さく頷いた。

 

「はい、綾小路清隆」

 

三人は吹雪の中、白い施設の内部へ向かった。

 

ホワイトルーム。

 

その名を持つ白き要塞は、すでに全員を飲み込み始めていた。

 

そして。

 

射撃訓練場では、最初の銃声が鳴り響いた。




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