ザ・ダイハード・マスターピース   作:EXTERMINATION

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第44話 射撃訓練場

銃声が鳴った。

 

白い射撃訓練場に、乾いた破裂音が反響する。

 

一発。

 

二発。

 

三発。

 

音は壁に跳ね返り、天井へ吸い込まれ、また床へ落ちる。

 

そのたびに、可動式の標的が揺れ、

金属フレームが震え、白い空間の中に一瞬だけ黒い緊張が走った。

 

朝霧海斗は、横へ跳んでいた。

 

撃たれてから避けたのではない。

 

撃つ前に動いた。

 

ホワイトルーム生の指が引き金に触れる瞬間。

 

視線の揺れ。

 

肩の角度。

 

重心の沈み。

 

そのすべてを読み、海斗は射線から外れていた。

 

弾丸が背後の壁を叩く。

 

海斗は床を転がり、訓練用の遮蔽物の影へ滑り込む。

 

「おいおい」

 

口元に笑みが浮かぶ。

 

「挨拶もなしかよ」

 

返事はなかった。

 

射撃訓練場にいたホワイトルーム生は五人。

 

年齢は綾小路と近い。

 

あるいは少し下。

 

全員が黒い訓練服を着ている。

 

表情は薄い。

 

呼吸は浅い。

 

無駄な動きはない。

 

銃の構えも安定している。

 

普通の警備兵とは違う。

 

さっきの外周警備より、明らかに精度が高い。

 

正規の訓練を受けた人間。

 

いや。

 

訓練しか知らない人間。

 

海斗は遮蔽物の影で拳銃の残弾を確認した。

 

多くはない。

 

施設内部で派手に撃ち続けるほどの余裕はない。

 

なら、撃たせればいい。

 

自分が撃つより、相手の弾を消耗させた方が早い。

 

「朝霧海斗」

 

五人のうち、中央にいた少年が言った。

 

声は冷静だった。

 

「外部完成体。実戦型。危険度A」

 

「そのダサい紹介、二回目だぞ」

 

海斗は遮蔽物の影から言った。

 

「評価基準は誰が作った」

 

「答える必要はない」

 

「だろうな」

 

海斗は床に落ちていた使用済みの薬莢を拾った。

 

指先で軽く弾く。

 

金属音。

 

その瞬間、右側の標的レールが動いた。

 

海斗は薬莢を左へ投げる。

 

小さな音が転がる。

 

ホワイトルーム生の一人が、ほんのわずかに視線を向けた。

 

その一瞬。

 

海斗は逆方向へ飛び出した。

 

銃声。

 

海斗がいた場所に弾が集中する。

 

だが、そこにはもういない。

 

海斗は低く走り、標的台の影へ滑り込みながら、

天井から吊るされた可動標的のワイヤーを撃った。

 

標的が落下する。

 

白い人型の板が、ホワイトルーム生の視界を一瞬塞いだ。

 

その隙に海斗は距離を詰める。

 

一人目。

 

相手は銃を引き戻しながら後退しようとした。

 

判断は早い。

 

だが、海斗の方が近かった。

 

銃口を外側へ押さえ、肘を叩く。

 

発砲音。

 

弾は床へ跳ねた。

 

海斗は相手の肩を掴み、体重を乗せて投げる。

 

ホワイトルーム生は受け身を取る。

 

綺麗だった。

 

綺麗すぎた。

 

海斗はその受け身の終わりへ蹴りを入れた。

 

相手の呼吸が止まる。

 

「実戦じゃ、綺麗に倒れてる暇なんかねぇぞ」

 

二人目が背後から接近する。

 

ナイフ。

 

海斗は半身で避ける。

 

刃がコートを裂く。

 

「おっと」

 

海斗は笑った。

 

「危ねぇな」

 

二人目は表情を変えない。

 

短く踏み込み、連続で斬り込んでくる。

 

速い。

 

手首が柔らかい。

 

足運びも無駄がない。

 

訓練された動き。

 

教本通りの最短距離。

 

海斗は後退しながらそれを避ける。

 

避ける。

 

また避ける。

 

そのたびに、刃が鼻先や頬の横を通る。

 

あと数センチずれていれば当たる。

 

だが、その数センチを海斗は外し続ける。

 

「悪くねぇ」

 

海斗は呟いた。

 

「でも、真面目すぎる」

 

ナイフが突き込まれる。

 

海斗は避けなかった。

 

左腕の袖で刃を受ける。

 

防刃繊維が火花のように裂ける。

 

完全には止まらない。

 

痛みが走る。

 

だが、致命傷ではない。

 

その瞬間、相手の目がわずかに揺れた。

 

当たったのに、止まらない。

 

それが実戦経験の浅い者には一瞬の違和感になる。

 

海斗はその一瞬を待っていた。

 

相手の手首を掴む。

 

肘を内側へ折る。

 

足を払う。

 

床へ叩きつける。

 

ナイフを奪い、遠くへ蹴る。

 

三人目と四人目が同時に銃を構えた。

 

海斗は倒した相手を盾にしない。

 

代わりに、床へ転がっていた標的板を蹴り上げた。

 

板が立ち上がる。

 

銃声。

 

板に穴が空く。

 

海斗はその裏を通って横へ抜ける。

 

射撃訓練場の構造は一瞬で把握していた。

 

射線。

 

遮蔽物。

 

標的レール。

 

壁面の制御盤。

 

弾薬庫らしき扉。

 

緊急停止ボタン。

 

そして天井の照明。

 

海斗は制御盤へ走る。

 

「止めろ!」

 

中央の少年が初めて声を強くした。

 

海斗は笑う。

 

「嫌だね」

 

制御盤へ拳銃を向ける。

 

撃つ。

 

火花。

 

訓練場の可動標的が誤作動を起こした。

 

左右のレールが動き、標的が次々と飛び出す。

 

白い人型。

 

黒い人型。

 

赤いマーカー付きの標的。

 

それらが不規則に動き、射線を遮り、空間を複雑に変える。

 

ホワイトルーム生たちは即座に陣形を変えようとした。

 

だが、訓練場の誤作動は想定外だった。

 

彼らは異常にも対応できる。

 

しかし、異常を遊び場に変える経験は少ない。

 

海斗は、その中を走った。

 

「ほら」

 

標的の陰から現れる。

 

「こっちだ」

 

銃声。

 

海斗は消える。

 

別の標的の裏から声がする。

 

「遅い」

 

また銃声。

 

さらに別の場所から足音。

 

三人目が焦りを見せる。

 

ほんのわずか。

 

だが十分だった。

 

海斗は背後から接近し、銃を持つ腕を押さえ、肩へ膝を入れた。

 

倒す。

 

意識は奪わない。

 

殺す必要はない。

 

邪魔をできなくすればいい。

 

残り二人。

 

中央の少年と、奥にいた少女。

 

少女の方は一度も撃っていない。

 

観察している。

 

海斗は視線だけを向けた。

 

「お前は来ねぇのか」

 

少女は答えない。

 

中央の少年が前へ出た。

 

「朝霧海斗」

 

「あ?」

 

「お前はホワイトルームの教育を受けていない」

 

「そうだな」

 

「なのになぜ、ここまで動ける」

 

「外にいたからだろ」

 

「答えになっていない」

 

「なってるさ」

 

海斗は拳銃を下げた。

 

「お前らは綺麗すぎる」

 

「何?」

 

「撃つのも、避けるのも、殴るのも、全部綺麗だ。練習した通りに動く。

訓練場なら強い。試験なら勝てる。数字ならいい点が出る」

 

海斗は笑った。

 

「でも、相手が汚い動きをした時に遅れる」

 

少年の目が細くなる。

 

「実戦を知っているつもりか」

 

「少なくとも、お前よりはな」

 

少年が踏み込んだ。

 

銃を捨てた。

 

格闘。

 

速い。

 

綺麗。

 

だが今度は、先ほどの二人とは違う。

 

実戦の揺らぎを少し取り入れている。

 

海斗の言葉を聞いて、即座に修正してきた。

 

「へぇ」

 

海斗は笑った。

 

「お前は少し面白い」

 

少年の拳が伸びる。

 

海斗は受ける。

 

重い。

 

身体能力も高い。

 

次の蹴り。

 

海斗は腕で受け流す。

 

その瞬間、少年は膝を入れてくる。

 

連続。

 

速い。

 

海斗は一歩下がる。

 

二歩下がる。

 

壁が近い。

 

少年はそこへ追い込む。

 

正しい判断。

 

相手の逃げ場を奪う。

 

ホワイトルームらしい合理性。

 

だが。

 

海斗は自分から壁へ背中をつけた。

 

少年の拳が迫る。

 

海斗はしゃがむ。

 

拳が壁を叩く。

 

鈍い音。

 

海斗はその腕の下を潜り、相手の脇腹へ肘を入れた。

 

少年は耐える。

 

反撃。

 

海斗は額で受けた。

 

普通ならやらない。

 

自分も痛い。

 

だが、距離を潰すには十分だった。

 

海斗は相手の襟を掴み、床へ引き倒す。

 

少年は受け身を取ろうとする。

 

また綺麗な受け身。

 

海斗はそこへ乗った。

 

片膝で相手の肩を押さえ、拳を寸前で止める。

 

「終わりだ」

 

少年は動かない。

 

負けを理解した。

 

その目には怒りではなく、困惑があった。

 

「なぜ止める」

 

「あ?」

 

「なぜ殴らない」

 

海斗は鼻で笑った。

 

「殴ったら手が痛ぇだろ」

 

少年は理解できない顔をした。

 

海斗は立ち上がる。

 

「殺しに来たわけじゃねぇ。ツキを迎えに来ただけだ」

 

その時。

 

奥にいた少女が口を開いた。

 

「ツキ」

 

海斗の目が動く。

 

「知ってるのか」

 

少女は静かに答えた。

 

「地下へ連れて行かれた」

 

「雅樹か」

 

少女は頷く。

 

海斗は拳銃をしまった。

 

「案内しろ」

 

「できない」

 

「なら地図を寄越せ」

 

少女は少しだけ沈黙した。

 

そして、壁の端末を操作した。

 

射撃訓練場の一角に、施設の簡易図面が表示される。

 

地上訓練棟。

 

模擬市街地区画。

 

格闘訓練施設。

 

管制室。

 

地下研究棟。

 

地下七階。

 

海斗は地下研究棟の表示を見た。

 

「深いな」

 

少女が言った。

 

「普通の侵入者なら到達できない」

 

「普通じゃねぇから来たんだよ」

 

海斗は歩き出す。

 

背後で少年が言った。

 

「朝霧海斗」

 

海斗は振り返らない。

 

「何だ」

 

「お前は、ホワイトルームにいれば完成品になれた」

 

海斗は足を止めた。

 

そして、肩越しに笑った。

 

「悪いな」

 

一拍。

 

「完成品って言葉、嫌いなんだ」

 

そう言って、海斗は射撃訓練場を出た。

 

 

同じ頃。

 

ホワイトルーム外周の裏手。

 

綾小路清隆と森下藍は、志朗に案内される形で施設内部へ入っていた。

 

通されたのは、正面ゲートではない。

 

崖沿いの補助通路から続く、関係者用の細い入口だった。

 

扉を抜けた瞬間、外の吹雪の音が消えた。

 

白い壁。

 

白い床。

 

白い照明。

 

温度管理された空気。

 

消毒液に似た匂い。

 

綾小路にとってそれは記憶の奥に沈めていたものを強制的に引き上げる匂いだった。

 

ホワイトルーム。

 

戻ってきた。

 

そう表現するのは正しくない。

 

自分は戻ったわけではない。

 

ここへ来た。

 

自分の意思で。

 

その違いは大きい。

 

森下は隣で周囲を見回していた。

 

「想像以上に白いですね」

 

「そういう場所だ」

 

「色がないと、人間の感覚はおかしくなりそうです」

 

「実際、そういう効果もあるだろうな」

 

「綾小路清隆は、ここで育ったんですね」

 

「本部ではないが、似たような環境ではある」

 

森下は少しだけ口を閉ざした。

 

普段ならすぐに軽口を返すところだ。

 

だが、今は違った。

 

彼女は興味本位で見ているだけではない。

 

綾小路清隆という人間がどう作られたのか。

 

その一端を、目で確認している。

 

志朗は前を歩いていた。

 

背中に隙はない。

 

しかし、敵意もない。

 

案内している。

 

同時に、試している。

 

そういう歩き方だった。

 

「ここは訓練棟の外縁だ」

 

志朗が言った。

 

「正面側では朝霧海斗が派手に暴れている」

 

「予想通りだな」

 

綾小路が言うと、森下が少し笑った。

 

「朝霧海斗は便利な人ですね」

 

「本人が聞いたら怒るぞ」

 

「怒られるほど親しくありません」

 

「親しくても怒る」

 

「それはそれで面白そうです」

 

志朗が振り返った。

 

「朝霧海斗に興味があるのか?」

 

森下は頷いた。

 

「あります」

 

「なぜ?」

 

「綾小路清隆が外で認めた人間だからです」

 

志朗は綾小路を見る。

 

「認めたのか」

 

「低く見積もっていないだけだ」

 

「それを認めたと言うんだ」

 

「言葉の問題だ」

 

「昔より言い訳が増えたな」

 

「外で覚えた」

 

志朗は笑った。

 

「いいことだ」

 

三人は廊下を進む。

 

途中、ガラス越しにいくつもの訓練室が見えた。

 

反応速度測定室。

 

記憶力試験室。

 

戦術シミュレーション室。

 

格闘訓練室。

 

どの部屋も整然としている。

 

無駄がない。

 

人間の能力を測り、伸ばし、削るためだけの空間。

 

森下は一つ一つを観察していた。

 

「ここでは、全員が同じように育てられるんですか?」

 

「完全に同じではない」

 

志朗が答えた。

 

「適性に応じてメニューは変わる。

だが、根本は同じだ。不要なものを削り、必要なものを伸ばす」

 

「不要なものとは?」

 

「感情、迷い、執着、無駄な好奇心」

 

森下は小さく笑った。

 

「私は真っ先に不適格ですね」

 

「だろうな」

 

志朗は否定しなかった。

 

「でも、その不適格が外では意味を持つこともある」

 

森下は志朗を見た。

 

「あなたは、ホワイトルームを嫌っているんですか?」

 

志朗は少しだけ考えた。

 

「嫌っている」

 

「なのにここにいる」

 

「終わらせるためだ」

 

「綾小路清隆と戦うことが?」

 

「それも一部だ」

 

森下はさらに質問しようとした。

 

だが、綾小路が先に口を開いた。

 

「志朗」

 

「何だ」

 

「篤臣は何を考えている」

 

志朗は足を止めなかった。

 

「清隆を戻すこと」

 

「それだけか」

 

「それだけで十分大きい」

 

「ホワイトルーム本部を晒してまで?」

 

志朗は沈黙した。

 

数歩。

 

三人分の足音だけが廊下に響く。

 

やがて志朗は言った。

 

「篤臣は焦っている」

 

その言葉は、少し意外だった。

 

綾小路篤臣。

 

常に支配する側にいる男。

 

計画を立て、他人を動かし、必要なら切り捨てる。

 

焦りという感情から遠いように見える人間。

 

だが、志朗はそう言った。

 

「何に焦っている」

 

「外だ」

 

「外?」

 

「お前だよ、清隆」

 

志朗は振り返る。

 

「お前が外へ出た。それだけなら、篤臣はまだ管理できると思っていた。

いずれ戻せる。いずれ従わせられる。そう考えていた」

 

「今は違うのか」

 

「ああ」

 

志朗の視線が、少しだけ遠くなる。

 

「お前は外で変わった。そして、朝霧海斗のような人間と出会った」

 

森下が静かに聞いている。

 

志朗は続ける。

 

「ホワイトルームの外にも、ホワイトルームの想定を超える人間がいる。

それをお前が知ってしまった」

 

「それが篤臣にとって不都合なのか」

 

「不都合だろうな」

 

志朗の声は低い。

 

「ホワイトルームは最高峰でなければならない。

人間を作る最良の方法でなければならない。

そうでなければ、あの場所の存在意義が揺らぐ」

 

綾小路は黙っていた。

 

それは理解できた。

 

ホワイトルームは、単なる教育施設ではない。

 

思想だ。

 

人間は環境によって完成させられる。

 

才能も感情も偶然も、すべて管理によって超えられる。

 

篤臣はそう信じている。

 

だから外の世界に海斗のような人間がいることは、彼にとって認めがたい事実になる。

 

「朝霧海斗は、篤臣さんにとって邪魔な存在なんですね」

 

森下が言った。

 

志朗は頷く。

 

「清隆が外へ興味を持つ理由になる」

 

「なるほど」

 

森下は綾小路を見る。

 

「綾小路清隆は、朝霧海斗に興味がありますか?」

 

「あると言えばある」

 

「珍しく素直ですね」

 

「事実だからな」

 

「では本の話もできますね」

 

「なぜそこに戻る」

 

「大事なことなので」

 

志朗が少し笑った。

 

「本?」

 

森下が説明する。

 

「朝霧海斗は本の虫だそうです。綾小路清隆も読書が好きです」

 

志朗は意外そうに綾小路を見た。

 

「清隆が、本の話を誰かと?」

 

「まだしていない」

 

「する予定は?」

 

「ない」

 

森下がすぐに言う。

 

「あります」

 

「勝手に決めるな」

 

「移動中の話題に困りますから」

 

志朗は笑った。

 

先ほどより、少しだけ自然に。

 

「本当に変わったな」

 

「本の話で判断するな」

 

「昔のお前なら、そんな会話の余地もなかった」

 

綾小路は何も言わなかった。

 

外に出て変わった。

 

そう何度も言われる。

 

自分では大きく変わったつもりはない。

 

だが、外の人間たちはその変化を見つける。

 

それが少し不思議だった。

 

三人はさらに奥へ進んだ。

 

途中、壁面のモニターに施設状況が映る。

 

外周ゲート破損。

 

射撃訓練場異常。

 

警備班再編成。

 

侵入者A、訓練棟内部。

 

侵入者B、外縁区画。

 

侵入者C、同行。

 

森下がモニターを見上げる。

 

「侵入者Cは私でしょうか」

 

「そうだろうな」

 

「少し地味ですね」

 

「侵入者に派手さを求めるな」

 

「朝霧海斗は派手ですよ」

 

「比較対象が悪い」

 

その時、警報音が変わった。

 

短く、鋭い音。

 

志朗の表情がわずかに変わる。

 

「何だ」

 

綾小路が聞く。

 

「訓練棟のロックが切り替わった」

 

「海斗か」

 

「おそらく」

 

志朗は壁の端末を操作する。

 

映像が切り替わる。

 

射撃訓練場。

 

そこに映っていたのは複数のホワイトルーム生を倒し、奥の扉へ向かう海斗の姿だった。

 

森下が感心したように言う。

 

「本当に派手ですね」

 

志朗はモニターを見つめたまま、低く呟いた。

 

「強いな」

 

「意外か」

 

綾小路が聞く。

 

志朗は首を振る。

 

「いや。だが、想像とは違う」

 

「どう違う」

 

「ホワイトルームの強さじゃない」

 

「当然だ」

 

「完成されていないのに、強い」

 

志朗はその言葉を噛みしめるように言った。

 

「いや、違うな」

 

少しだけ笑う。

 

「あれは、清隆とは別の完成形だ。だから強い」

 

森下はその表現を聞いて、目を細めた。

 

「面白いですね」

 

「篤臣が嫌がるわけだ」

 

志朗は端末から手を離した。

 

「急ごう。朝霧海斗が地下へ向かうなら、こちらも管制区画を抜ける必要がある」

 

「ツキは地下か」

 

「おそらく雅樹が連れている」

 

「雅樹は何者だ」

 

志朗は少しだけ表情を曇らせた。

 

「面倒な男だ」

 

「信用できるか」

 

「できない」

 

即答だった。

 

「だが、敵と決めつけるのも早い」

 

「便利な立場の人間が多いな」

 

「この施設はそういう人間ばかりだ」

 

志朗は歩き出す。

 

綾小路と森下も続く。

 

白い廊下の奥で、扉が開く。

 

その先には、巨大な空間が広がっていた。

 

模擬市街地。

 

ビルの外壁。

 

道路。

 

信号機。

 

路地。

 

階段。

 

屋内戦を想定した訓練施設。

 

本物の街を切り取って、白い箱の中に押し込めたような空間だった。

 

森下が足を止める。

 

「これは……」

 

志朗が言う。

 

「ホワイトルームの戦場だ」

 

綾小路はその空間を見た。

 

無人の街。

 

人工の空。

 

白い照明。

 

そこには、人間が暮らす気配だけが存在しなかった。

 

「ここを抜ける」

 

志朗が言った。

 

「ただし、簡単ではない」

 

その言葉と同時に、模擬市街地の奥で照明が落ちた。

 

一部の区画だけが赤く染まる。

 

スピーカーから機械音声が流れた。

 

『模擬市街地訓練、起動』

 

森下が小さく息を吐いた。

 

「綾小路清隆」

 

「何だ」

 

「やっぱり遠足ではありませんね」

 

「今さらか」

 

「はい」

 

彼女はそれでも笑った。

 

少しだけ怖がりながら。

 

それでも前を見て。

 

「でも、面白くはあります」

 

志朗が前へ進む。

 

綾小路も歩き出す。

 

人工の街。

 

白い牢獄の中の戦場。

 

そこへ、三人の足音が吸い込まれていった。

 

 

地下七階。

 

旧計画資料室。

 

ツキは、震える手で資料をめくっていた。

 

そこに書かれていたのは、数字だった。

 

住民数。

 

移送対象。

 

処理対象。

 

建設予定。

 

予算。

 

リスク評価。

 

人的損耗。

 

言葉は冷たい。

 

冷たすぎる。

 

人が暮らしていた場所が、計画用語に置き換えられている。

 

家族がいた。

 

子供がいた。

 

老人がいた。

 

店があった。

 

道があった。

 

祭りがあった。

 

笑い声があった。

 

それらすべてが、資料の中では数字になっている。

 

「……こんなの」

 

ツキは声を絞り出した。

 

「こんなの、ただの紙じゃないですか」

 

雅樹は腕を組み、壁にもたれていた。

 

「そうだ」

 

「私たちの故郷は、こんな紙で決められたんですか」

 

「そうだ」

 

「あなたはそれを止めなかった」

 

「止められる立場じゃなかった」

 

「言い訳です」

 

「そうだな」

 

雅樹は否定しない。

 

だから余計に腹が立った。

 

責めても、受け止めるだけ。

 

謝らない。

 

慰めない。

 

逃げない。

 

ただ、そこに立っている。

 

「あなたは何がしたいんですか」

 

ツキは聞いた。

 

「私にこれを見せて、何をさせたいんですか」

 

雅樹は静かに答えた。

 

「選ばせる」

 

「何を」

 

「怒りだけで動くか、真実を背負って動くか」

 

「偉そうに」

 

「偉そうにしているんだ」

 

雅樹はツキを見下ろす。

 

「お前はここへ一人で来た。海斗に黙ってな。

その時点で、お前はもう巻き込まれた側じゃない。選んだ側だ」

 

ツキは言い返せなかった。

 

雅樹は続ける。

 

「なら最後まで見ろ。都合のいい被害者で終わるな」

 

「……最低ですね」

 

「よく言われる」

 

「海斗が聞いたら殴ります」

 

「だろうな」

 

雅樹は笑った。

 

「だが、その前にあいつは資料を見る」

 

ツキは資料を握る。

 

「見せたくない」

 

「ならなぜ来た」

 

「……」

 

「一人で抱えられると思ったか」

 

ツキは黙った。

 

思った。

 

少しだけ。

 

海斗に知らせずに済むなら。

 

自分だけが知ればいいなら。

 

それでいいと思った。

 

だが、そんなことは無理だった。

 

海斗は来た。

 

あの人はいつもそうだ。

 

来てほしくない時でも来る。

 

危ないから来るなと言えば来る。

 

面倒だから来るなと言えば、文句を言いながら来る。

 

そして最後には、当然のように隣に立つ。

 

「……怒られますね」

 

ツキが呟く。

 

雅樹は言った。

 

「怒られろ」

 

「ひどいですね」

 

「自業自得だ」

 

「否定できません」

 

ツキは小さく息を吐いた。

 

その時、資料室のモニターに新たな映像が映った。

 

射撃訓練場。

 

そこを突破する海斗。

 

模擬市街地へ入る綾小路清隆たち。

 

ツキは画面を見た。

 

森下藍の姿もある。

 

「あの人まで来てるんですか」

 

雅樹が聞く。

 

「知り合いか」

 

「森下藍さんです。綾小路清隆にくっついてきたんでしょうね」

 

ツキは白銀禁止区域事件の参考人として警察に赴いた際に、

同じく綾小路清隆を高育視点から知る人物として森下とは会ったことがある。

 

「戦えるのか」

 

「戦闘員ではありません」

 

「ならなぜ来た」

 

ツキは少しだけ考えた。

 

「面白そうだから、だと思います」

 

雅樹は眉を動かした。

 

「正気か」

 

「かなり正気です」

 

「面倒な女だな」

 

「はい」

 

ツキはそこで、ほんの少し笑った。

 

「でも、たぶん気が合います」

 

雅樹は呆れたように息を吐いた。

 

「類は友を呼ぶか」

 

「私はあそこまで変ではありません」

 

「十分変だ」

 

「失礼ですね」

 

「海斗も苦労しているな」

 

「苦労しているのは私です」

 

ツキは即答した。

 

その瞬間だけ、重い空気が少しだけ緩んだ。

 

だが、長くは続かなかった。

 

モニターの端に、別の映像が映った。

 

一瞬だけ。

 

ノイズ混じり。

 

廊下の暗がり。

 

そこに、誰かが立っていた。

 

顔は見えない。

 

だが、立ち方に見覚えがあるような気がした。

 

雅樹の表情が変わった。

 

ほんの一瞬。

 

だが、確かに。

 

ツキはそれを見逃さなかった。

 

「今のは?」

 

雅樹は答えない。

 

「雅樹」

 

ツキは敬称を外した。

 

雅樹はモニターを切った。

 

「今は気にするな」

 

「気にします」

 

「まだ表に出す時じゃない」

 

「誰なんですか」

 

雅樹はツキを見た。

 

威圧するように。

 

「知らない方がいいこともある」

 

「それで納得すると思いますか」

 

「思っていない」

 

「なら答えてください」

 

「駄目だ」

 

短い言葉。

 

それだけで、ツキはそれ以上踏み込めなかった。

 

雅樹の声には、先ほどまでと違う硬さがあった。

 

まるで、その人物だけは予定外だったかのように。

 

「ホワイトルームには」

 

雅樹が低く言う。

 

「死んだと思われた人間が、まだ何人かいる」

 

ツキの背筋に、冷たいものが走った。

 

「どういう意味ですか」

 

「言葉通りだ」

 

雅樹は扉へ向かう。

 

「来い。ここもじきに戦場になる」

 

「海斗は」

 

「向こうから来る」

 

「綾小路清隆たちは」

 

「模擬市街地を抜ければ管制区画だ」

 

雅樹は扉を開ける。

 

「全員、ここに引き寄せられている」

 

ツキは資料を抱えたまま立ち上がった。

 

ホワイトルーム。

 

白い要塞。

 

その中で、過去と現在が動き出している。

 

そして、まだ誰も知らない影が、暗がりの中で息を潜めている。

 

 

模擬市街地。

 

人工の街に、警報灯が赤く灯った。

 

綾小路清隆は、足を止めずに周囲を見た。

 

建物の配置。

 

路地の角度。

 

遮蔽物。

 

上階の窓。

 

階段。

 

地下道への入口。

 

森下藍は隣で小さく言った。

 

「ここ、本物の街みたいですね」

 

「本物ではない」

 

「生活感がありませんね」

 

「訓練用だからな」

 

「だから余計に気味が悪いです」

 

それは正しい感覚だった。

 

街の形をしている。

 

だが、人が暮らした痕跡がない。

 

店の看板はある。

 

だが商品はない。

 

ベンチはある。

 

だが誰かが座った温度はない。

 

窓はある。

 

だが外の景色は映らない。

 

すべてが戦うためだけに作られている。

 

志朗が前方を見た。

 

「来るぞ」

 

その瞬間、建物の影から複数の人影が現れた。

 

ホワイトルーム生。

 

十人。

 

全員が無表情。

 

武器は訓練用ではない。

 

警棒。

 

ナイフ。

 

短銃。

 

それぞれ距離を取っている。

 

綾小路は森下を背後へ下げた。

 

「森下、壁際へ」

 

「はい、綾小路清隆」

 

森下はすぐに動いた。

 

余計な質問はしない。

 

その判断は良い。

 

志朗は隣に立つ。

 

「共闘か」

 

綾小路が聞く。

 

「今はな」

 

「後で敵になるのにか」

 

「後で敵になるからこそ、今は味方でもいい」

 

「便利だな」

 

「便利だろ」

 

敵が動いた。

 

三人が綾小路へ。

 

三人が志朗へ。

 

残りが森下を狙う位置へ回ろうとする。

 

綾小路は先に動いた。

 

最短距離。

 

無駄のない踏み込み。

 

一人目の手首を押さえ、武器を落とさせる。

 

二人目の膝を崩す。

 

三人目の攻撃を一人目の身体で遮る。

 

相手を傷つけすぎず、動けない状態へ持っていく。

 

志朗も同時に動いていた。

 

綾小路とは少し違う。

 

動きが柔らかい。

 

相手の力を流し、誘導し、崩す。

 

かつてホワイトルームにいた頃より、外の癖が混じっている。

 

綾小路はそれを横目で見た。

 

志朗も変わっている。

 

昔のままではない。

 

森下の方へ一人が回る。

 

綾小路が動こうとした瞬間、森下が手に持っていた本を投げた。

 

本は相手の顔面ではなく、足元へ落ちる。

 

相手の視線が一瞬だけ下がる。

 

その瞬間、森下は横へ逃げた。

 

相手が追おうとする。

 

だが、そこへ綾小路が入った。

 

腕を取り、壁へ押さえる。

 

「本を投げるな」

 

綾小路が言う。

 

森下は少し息を切らしながら答えた。

 

「非常時です」

 

「本が傷む」

 

「そこですか?」

 

「そこだ」

 

森下は一瞬きょとんとした後、笑った。

 

「綾小路清隆、今のは少し天然ですね」

 

「何の話だ」

 

「いえ、何でもありません」

 

志朗が敵を倒しながら笑う。

 

「本当に変わったな」

 

「今言うことか」

 

「今だから言うんだ」

 

最後の一人が後退する。

 

だが、その背後から新たな影が現れた。

 

今度はホワイトルーム生ではない。

 

白衣の職員でもない。

 

黒いコートを着た長身の男。

 

顔は影で見えない。

 

その男は倒れた生徒たちを見下ろし、低く笑った。

 

「相変わらず化け物じみてんな、綾小路」

 

綾小路の目がわずかに細くなった。

 

声。

 

聞き覚えがある。

 

だが、その姿はすぐに赤い警報灯の影へ消えた。

 

森下が振り返る。

 

「今のは?」

 

志朗の表情も硬かった。

 

「予定より早い」

 

綾小路は静かに言った。

 

「誰だ」

 

志朗は答えなかった。

 

ただ、模擬市街地の奥を見つめていた。

 

白い要塞の中に、さらに別の獣が入り込んでいる。

 

まだ姿は見えない。

 

名前も出ない。

 

だが、その存在だけが、戦場の匂いを変えていた。

 

そして遠く。

 

射撃訓練場の方角から、再び銃声が響いた。

 

ホワイトルームは、完全に戦場へ変わり始めていた。




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