ザ・ダイハード・マスターピース 作:EXTERMINATION
模擬市街地の空は、偽物だった。
天井の高い位置に設置された照明パネルが、
昼とも夜ともつかない白い光を落としている。
そこに雲はない。
太陽もない。
風もない。
だが、ビルの外壁があり、路地があり、横断歩道があり、
信号機があり、ベンチがあり、コンビニのような外装の建物まである。
街の形はしている。
けれど、人間が暮らす場所ではない。
生活の匂いがない。
誰かが歩いた熱もない。
子供の声もない。
買い物袋を提げた人影もない。
ここにあるのは、戦うために作られた街だった。
オレ――綾小路清隆は、路地の角で足を止めた。
背後には森下藍。
少し離れて志朗。
三人の前方には、無人の道路が続いている。
信号機は赤。
だが、車は一台も走っていない。
信号を守る意味はない。
それでも、赤い光だけが律儀に点滅し、白い街に不気味な色を落としていた。
「綾小路清隆」
森下が小さな声で言った。
「何だ」
「ここ、気味が悪いですね」
「そうだな」
「街なのに、人が住んでいない。人がいないのに、街の形だけがある」
森下は周囲を見回す。
「ホワイトルームらしいです」
その感想は的確だった。
ホワイトルームは人間を作る場所だ。
だが、人間が生きる場所ではない。
人間らしさを削り、機能だけを残す。
この街も同じだ。
生活を削り、戦闘だけを残している。
志朗が前方を見たまま言った。
「この区画は市街戦訓練用だ。遮蔽物、死角、高低差、複数経路、
民間施設を模した建物。それらを利用した戦闘判断を学ぶ場所だ」
「民間施設を模しているのに、民間人はいないんですね」
森下が言う。
志朗は薄く笑った。
「ホワイトルームは、そういうところが苦手だ」
「人間を想定しているようで、人間を見ていない」
「そういうことだ」
森下は何か言いたげだったが、それ以上は続けなかった。
空気が変わったからだ。
前方の建物の二階。
窓の内側。
影が動いた。
オレは森下の腕を引き、壁際へ寄せた。
直後、乾いた音が響く。
弾丸が近くの壁に当たり、白い破片が散った。
「撃ってきましたね」
森下の声は落ち着いていた。
だが、呼吸は少し速い。
恐怖を押さえている。
その自覚があるだけ、むしろ冷静だ。
「森下、ここから離れるな」
「はい、綾小路清隆」
志朗が反対側の壁へ移動する。
二階の窓。
道路奥のバス停。
右側の路地。
三方向に敵の気配がある。
数は少なくとも六人。
いや、もっといる。
「志朗」
「分かってる」
志朗は短く答えた。
「挟む気だ」
「ここで消耗させるつもりか」
「おそらくな」
再び銃声。
今度は二方向から。
オレは森下を押し込み、路地の奥へ入る。
志朗は道路側へ飛び出す。
危険な動きだ。
だが無謀ではない。
敵の射線を一度引き受け、こちらの移動を通すための動き。
志朗は銃弾を避けるのではなく、撃たせる位置を操作している。
昔の志朗なら、もっと合理的に処理した。
今の志朗には、外の世界で覚えた揺らぎがある。
それが強さになっている。
オレは路地を進みながら、周囲の構造を確認する。
左に非常階段。
右に店舗風の建物。
前方に曲がり角。
上階からの射線。
地面には人工の段差。
この区画は、追い込むために作られている。
ならば、追い込まれているふりをする方が早い。
「森下」
「はい」
「走れるか」
「長距離でなければ」
「十分だ」
「置いていかないでくださいね」
「努力する」
「そこは約束してください」
「約束は不確実だ」
「綾小路清隆は本当にそういうところがありますね」
森下は文句を言いながらも、足は止めなかった。
後方から足音。
二人。
路地の入口から追ってくる。
オレは角を曲がり、森下を建物の陰へ入れた。
そのまま壁際にある金属製のゴミ箱を倒す。
大きな音。
追ってきた二人が一瞬だけ警戒する。
その瞬間に、上から影が落ちた。
志朗だった。
非常階段から飛び降り、二人の背後に着地する。
一人目の首筋へ手刀。
二人目の腕を取り、壁へ押しつける。
流れるような動き。
無駄がない。
だが、ホワイトルーム式の無機質さだけではない。
相手を壊さない程度に、しかし確実に動きを奪う。
「派手だな」
オレが言うと、志朗は苦笑した。
「朝霧海斗ほどじゃない」
「比べる相手が悪い」
森下が建物の陰から顔を出す。
「朝霧海斗は今頃、もっと派手にやっていそうですね」
「おそらくな」
「綾小路清隆も少し派手にしてみますか?」
「必要ない」
「残念です」
「なぜ残念なんだ」
「意外性があります」
「意外性のために戦い方は変えない」
「堅実ですね」
「生き残るためだ」
森下は小さく頷いた。
冗談のような口調でも、理解は早い。
彼女は戦闘員ではない。
だが、場の空気を読む力はある。
問題は、この区画がただの戦闘訓練場ではないことだ。
敵の数。
配置。
こちらの誘導。
すべてが誰かに操作されている。
管制室。
あるいは別の場所から。
その時、スピーカーにノイズが走った。
『模擬市街地訓練、第二段階へ移行』
機械音声。
直後、街の照明が変わった。
一部の街灯が消え、建物の窓に明かりが点く。
赤、青、白。
影が増える。
死角が増える。
道路の一部から低い機械音が響き、遮蔽物が床下からせり上がった。
車両の模型。
コンクリートブロック。
屋台のような構造物。
街が変形していく。
森下が呟いた。
「街が戦場に変わりましたね」
「最初から戦場だ」
「より分かりやすく、です」
志朗が言った。
「この区画は状況を変化させながら判断力を見る。ルートも安全地帯も固定されない」
「つまり、覚えても無駄か」
「完全にはな」
「なら、その場で読むしかない」
オレは前方を見る。
新たに出現した遮蔽物の陰に、敵が移動している。
三人。
その後ろに二人。
さらに上階に一人。
こちらを完全に包囲するには足りない。
だが、誘導するには十分だ。
「志朗」
「何だ」
「この区画の出口はどこだ」
「三つある」
「安全な出口は」
「ない」
「正直だな」
「俺が設計したわけじゃない」
森下が言う。
「一番近い出口は?」
志朗は右奥の建物を指した。
「商業ビル風の建物の地下。そこから管制区画側の連絡通路へ出られる」
「罠ですね」
「罠だろうな」
「では行くんですね」
オレは頷いた。
「罠なら、作った側の意図がある」
森下は少し笑った。
「綾小路清隆らしいですね」
「何がだ」
「罠を避けるのではなく、罠を読もうとするところです」
志朗が先に動いた。
オレは森下を連れて後に続く。
敵が撃ってくる。
弾は近い。
だが、狙いは急所ではない。
足止め。
誘導。
こちらを殺すより、特定の場所へ追い込もうとしている。
つまり、まだ殺すつもりは薄い。
ならば利用できる。
オレは道路中央へ一瞬だけ出る。
敵の射線が集中する。
その直前に、せり上がった車両模型の影へ入る。
弾が車体を叩く。
森下が隣で身を縮める。
「綾小路清隆」
「何だ」
「心臓に悪いです」
「生きている証拠だ」
「そういう返しは朝霧海斗に任せた方がいいと思います」
「そうか」
「少し天然が出ています」
「出ていない」
その時、車両模型の下から小型のドローンが滑り出した。
森下が最初に気づく。
「下です」
オレは即座に森下を引き寄せ、ドローンを蹴り飛ばした。
ドローンは道路へ転がり、直後に白い煙を噴き出した。
催涙ではない。
視界妨害用の煙幕。
だが、吸い込めば動きは鈍る。
「なるほど」
志朗が煙の向こうで言った。
「森下さんがいる意味が分かった」
森下が咳き込みながら答える。
「褒められているのでしょうか」
「褒めている」
「では素直に受け取ります」
煙が広がる。
視界が悪くなる。
敵の足音が近づく。
ここで立ち止まれば包囲される。
オレは森下の手首を掴み、煙の薄い方へ走る。
志朗は逆方向へ動いた。
分断される形。
だが、意図的な分断だ。
敵の数を割る。
三人が志朗へ。
四人がこちらへ。
森下を抱えている分、こちらに多く来る。
予想通りだった。
「森下」
「はい」
「十秒だけ隠れていろ」
「綾小路清隆は?」
「処理する」
「言い方が物騒です」
「事実だ」
森下は近くの店舗風の建物へ入り、カウンターの裏へ身を沈めた。
オレは道路へ戻る。
四人のホワイトルーム生が迫る。
武器は警棒。
ナイフ。
ハンドガン。
そしてワイヤー。
一人は捕縛役か。
こちらを殺さず捕らえるつもりが見える。
篤臣の意向か。
志朗の仕掛けか。
あるいは管制室の判断か。
一人目がワイヤーを投げる。
腕ではなく足を狙っている。
オレは踏み込みを止めず、ワイヤーを跨ぐ。
二人目の警棒が横から来る。
手首を取る。
力を流す。
三人目のハンドガン。
銃口を外側へ逸らしながら、一人目の身体を射線へ入れる。
撃てない。
その一瞬で、距離は詰まる。
膝。
肘。
肩。
壁。
短い動きで、相手のバランスを壊す。
ホワイトルームの生徒は強い。
判断も早い。
身体能力も高い。
だが、目的が明確すぎる。
捕らえる。
誘導する。
殺さない。
その制約が、動きをわずかに遅らせる。
オレはそれを利用した。
一人の手首を押さえ、もう一人の足を払う。
銃を奪い、弾倉を抜いて床へ落とす。
警棒を持つ相手を壁に押し込み、呼吸を止めるだけの打撃を入れる。
最後の一人がナイフを構えた。
動きが止まる。
こちらを測っている。
オレも動かなかった。
「綾小路清隆」
カウンターの裏から森下の声。
「何だ」
「後ろです」
迷わず身を低くする。
背後から飛んできたゴム弾が頭上を通過し、前方の壁に当たった。
狙撃役。
上階。
森下が気づかなければ、避けられても対応が一瞬遅れた。
「助かった」
「どういたしまして」
森下の声は少し震えていた。
それでも、よく見ている。
オレはナイフの相手を制圧し、上階へ視線を向ける。
狙撃役はすでに移動していた。
追う必要はない。
今の目的は突破だ。
志朗が煙の向こうから戻ってくる。
彼の足元にも三人が倒れていた。
「そっちは終わったか」
「一応な」
「森下さんは?」
「無事だ」
森下がカウンターの裏から出てきた。
手には、さっき投げた本を持っている。
カバーに少し傷がついていた。
彼女はそれを見て、残念そうに言う。
「本が傷みました」
「非常時だろ」
オレが言うと、森下は少し驚いた顔をした。
「綾小路清隆がそれを言うんですか?」
「何かおかしいか」
「成長ですね」
「本の扱いで成長を測るな」
志朗が小さく笑った。
「本当に、外に出たんだな」
「今ので判断するな」
「いや、今ので分かることもある」
志朗はそう言って、商業ビル風の建物へ向かった。
出口は近い。
だが、そこに何が待っているかは分からない。
模擬市街地は、まだこちらを通す気がないようだった。
◯
射撃訓練場を抜けた海斗は、地下へ続く連絡通路を進んでいた。
通路は長い。
白い壁。
赤い警報灯。
天井のスピーカーから断続的に指示が流れている。
『侵入者A、訓練棟下層へ移動』
『第三班、封鎖線を再構築』
『地下研究棟への経路を遮断』
海斗はその放送を聞きながら、面倒そうに耳をほじる真似をした。
「うるせぇ施設だな」
角を曲がる。
前方に防火シャッター。
完全に閉じている。
電子ロック付き。
隣には認証端末。
海斗は少しだけ見て、すぐに工具を取り出した。
「開けろって言われて開ける扉は嫌いだが」
パネルを外す。
配線を確認。
「開けるなって言われると開けたくなる」
工具を差し込む。
内部構造は先ほどより複雑。
だが、完全ではない。
どれだけ厳重でも、メンテナンス性を残さなければ施設は動かない。
その隙間を突く。
これが海斗のやり方だった。
数秒後。
端末にエラー表示。
さらに数秒。
ロックが一部解除される。
だが、シャッターは開かない。
「半分か」
海斗は顔をしかめる。
「性格悪ぃな」
その時、背後から足音。
今度は静かだった。
一人。
ゆっくり近づいてくる。
海斗は工具を持ったまま振り返る。
通路の向こうに、男が立っていた。
白い訓練服。
年齢は二十代半ばほど。
ホワイトルーム生というより、教官側に近い雰囲気。
目は冷たい。
手には武器を持っていない。
だが、素手で十分という立ち方だった。
「朝霧海斗」
「今日はよく名前を呼ばれるな」
「外部完成体」
「その呼び方やめろ。虫唾が走る」
男は表情を変えない。
「ホワイトルームは、お前を研究対象として見ている」
「あっそ」
「お前のような人間が、どのように形成されたのか。
環境か。実戦か。遺伝か。偶然か」
「知らねぇよ」
海斗は工具をポケットにしまう。
「オレはオレだ」
「その返答は非科学的だ」
「お前らは何でも科学にしないと飯食えねぇのか」
男が一歩踏み出す。
「確かめる」
次の瞬間、男は距離を詰めていた。
速い。
海斗は腕を上げて受ける。
重い。
さっきのホワイトルーム生より明らかに上。
拳の質が違う。
訓練だけではない。
教える側。
潰す側。
海斗は壁に背中を打ちつけられた。
「ぐっ……!」
男の膝が腹へ入る。
海斗は息を吐きながら、相手の首元へ額をぶつける。
男がわずかに下がる。
その一瞬で海斗は横へ抜ける。
「いいねぇ」
海斗は口元を拭った。
「やっと硬いのが出てきた」
「痛覚反応は正常。恐怖反応は薄い。攻撃性は高い」
「観察してんじゃねぇよ」
海斗が踏み込む。
右拳。
男は受ける。
左肘。
かわされる。
蹴り。
腕で止められる。
男の反撃。
速い。
海斗は避けきれず肩で受ける。
痛みが走る。
だが止まらない。
むしろ前へ出る。
男の目がわずかに動いた。
「被弾前提の前進」
「お前らにはないだろ」
海斗は笑った。
「痛いの嫌いそうだもんな」
男の拳が顔面へ伸びる。
海斗は避けず、頬でかすらせる。
同時に相手の懐へ入る。
肋骨へ拳。
男は耐える。
だが、呼吸が一瞬乱れる。
海斗はそこへ膝を入れた。
男が後退。
初めて距離が開く。
「なるほど」
男が呟く。
「非効率だが、実戦では有効か」
「だから観察やめろって言ってんだろ」
海斗はシャッターの前へ戻る。
男はそれを阻止しようとする。
だが、海斗は拳銃を抜かなかった。
代わりに、腰から小型の工具を投げた。
男は避ける。
工具は男を狙ったものではなかった。
壁の消火装置に当たる。
破裂。
白い消火剤が噴き出す。
視界が潰れる。
男が即座に後退し、距離を取る。
判断は正しい。
だが、海斗の目的は戦うことではない。
シャッターの制御盤に戻り、先ほど解除した半分のロックへ物理的に工具を噛ませる。
力任せに引く。
火花。
金属音。
シャッターがわずかに持ち上がる。
人一人が滑り込める隙間。
男が煙の向こうから現れる。
「逃げるのか」
海斗は床に伏せながら笑った。
「違ぇよ」
シャッターの下へ滑り込む。
「先に行くだけだ」
向こう側へ抜ける。
すぐに非常停止レバーを蹴る。
シャッターが落ちる。
男との間を遮断する。
金属の向こうで、男の拳がシャッターを叩いた。
鈍い音。
海斗は肩を回した。
「硬ぇな、あいつ」
頬から少し血が流れている。
腹も痛い。
肩も痺れている。
だが、動ける。
問題ない。
海斗は通路の奥を見る。
案内表示。
地下研究棟。
「ツキ」
低く呟く。
「もうちょい待ってろ」
その時、通路脇の小型モニターが点いた。
映ったのは雅樹だった。
威圧感のある目。
薄い笑み。
『随分と遅いな』
海斗は足を止めた。
「なら迎えに来い」
『ここまで来る価値があるか、見ている』
「偉そうだな」
『偉いんだよ、ここではな』
海斗の目が細くなる。
「ツキに何を見せた」
雅樹は答えない。
その沈黙で十分だった。
海斗の声が低くなる。
「おい」
『怒るなと言ったはずだ』
「質問に答えろ」
『お前の過去だ』
空気が冷える。
『お前とツキの故郷が、どう壊されたのか。その紙を見せた』
海斗は黙った。
表情は変わらない。
だが、目の奥だけが変わった。
雅樹はそれを見て、満足そうに言う。
『来い、朝霧海斗』
一拍。
『逃げずに見ろ』
通信が切れた。
海斗はしばらく動かなかった。
それから、ゆっくりと息を吐く。
「言われなくても」
拳を握る。
「見てやるよ」
海斗は地下研究棟へ向かって走り出した。
◯
地下七階。
旧計画資料室の奥には、さらに別の部屋があった。
古い映像記録室。
雅樹は無言で扉を開けた。
ツキはその後ろに続く。
部屋の中は暗かった。
中央に古い再生機。
壁一面のモニター。
棚には大量の記録媒体。
ラベルには日付と番号だけが記されている。
雅樹が一つを取り出し、再生機へ差し込んだ。
「何ですか」
ツキが聞く。
雅樹は短く答える。
「お前たちの故郷が壊された日の記録だ」
ツキの身体が固まった。
「見るか」
「……」
「見ないなら今出ろ」
雅樹は振り返る。
その目は冷たい。
「ここから先は、見た後で知らなかった頃には戻れない」
ツキは唇を噛んだ。
怖い。
はっきりと怖かった。
資料を見るのとは違う。
数字ではない。
文字ではない。
映像。
そこには、失ったものが映るかもしれない。
壊される前の場所が。
壊される瞬間が。
自分が忘れようとしていた音が。
「見ます」
ツキは答えた。
声は震えていた。
だが、逃げなかった。
雅樹は再生ボタンを押す。
モニターに映像が映った。
粗い画質。
白黒に近い色。
山間の小さな区域。
建物。
道。
人影。
ツキは息を呑んだ。
知っている道だった。
幼い頃に歩いた道。
海斗と一緒に走った場所。
大人たちに叱られた路地。
壊れる前の故郷。
その映像の中で、何も知らない人々が普通に歩いている。
誰も、自分たちの場所が消されるとは思っていない。
ツキの目が揺れた。
「止めるか」
雅樹が聞く。
「止めないでください」
映像は続く。
そして。
画面の端に、黒い車両が映った。
複数。
人々が振り返る。
映像に音はない。
それでも、混乱は分かった。
ツキの手が震える。
雅樹は何も言わない。
画面の中で、白い煙が広がる。
人々が倒れていく。
爆発ではない。
最初は制圧。
次に搬出。
そして、破壊。
ツキは目を逸らさなかった。
逸らしたかった。
でも逸らさなかった。
その中に、幼い自分と海斗が映った。
小さな二人。
瓦礫の陰。
誰かに手を引かれている。
映像が乱れる。
次の瞬間、画面が激しく揺れた。
煙。
炎。
崩れる建物。
ツキの喉から、小さな声が漏れた。
雅樹は再生を止めた。
「ここまでだ」
「最後まで」
「ここまでだ」
雅樹の声は強かった。
「今のお前にはここまでで十分だ」
「勝手に決めないでください」
「倒れたいのか」
ツキは言い返せなかった。
足が震えていた。
呼吸も浅い。
自分で思っていた以上に、身体が限界に近い。
雅樹はモニターを消す。
部屋が暗くなる。
「泣くなら泣け」
「泣きません」
「強がるな」
「強がります」
ツキは震える声で言った。
「海斗の前で泣いたら、絶対に変な顔をします」
雅樹は一瞬だけ黙った。
それから、低く笑った。
「本当に面倒な二人だ」
「あなたに言われたくありません」
「そうだな」
その時、遠くで衝撃音が響いた。
地下通路の方角。
海斗が近づいている。
ツキは顔を上げた。
雅樹が言う。
「来たな」
ツキは拳を握った。
「怒ってますね」
「相当な」
「ですよね」
「だが、逃げるな」
雅樹は扉へ向かう。
「お前が呼んだようなものだ」
「呼んでいません」
「結果的には同じだ」
ツキは何も言えなかった。
その通りだった。
海斗は来た。
自分が黙って消えたから。
なら、向き合わなければならない。
ツキは資料を抱きしめ、雅樹の後を追った。
◯
模擬市街地。
商業ビル風の建物の地下へ続く階段の前で、綾小路たちは足を止めた。
階段の下から、誰かの気配がする。
一人ではない。
だが、先ほどまでのホワイトルーム生とは違う。
もっと重い。
もっと荒い。
訓練された気配ではなく、死線を潜った人間の気配。
志朗の表情が硬くなる。
「下がれ」
「誰だ」
綾小路が聞く。
志朗は答えない。
森下も空気の変化を察したのか、口を閉ざした。
階段の下から、ゆっくりと足音が聞こえる。
一段。
また一段。
姿は見えない。
だが、声だけが届いた。
「クク……」
低い笑い声。
綾小路は、その声を聞いた瞬間、目を細めた。
聞き覚えがある。
忘れるはずがない。
だが、その人物は死んだはずだった。
少なくとも、そう思われていた。
影が階段の下に揺れる。
志朗が小さく言った。
「今は出るな」
誰に向けた言葉なのか。
その答えは返ってこなかった。
次の瞬間、施設全体にさらに強い警報が鳴り響いた。
『地下研究棟付近にて侵入者Aを確認』
『模擬市街地区画、第三段階へ移行』
階段下の影が、すっと消えた。
まるで最初からそこにいなかったかのように。
森下が小さく息を吐く。
「今のは……」
綾小路は階段の下を見つめたまま言った。
「まだ分からない」
嘘だった。
分からないわけではない。
ただ、ここで口にするには早すぎた。
志朗も同じ顔をしている。
予定外の存在。
死んだと思われていた影。
因縁が、白い牢獄の奥で再び動き始めている。
だが今は、進むしかない。
地下では海斗がツキに近づいている。
管制区画には篤臣がいる。
志朗との決着もまだ先だ。
綾小路は森下へ視線を向けた。
「行くぞ」
森下は頷いた。
「はい、綾小路清隆」
三人は階段を下り始めた。
白い街の下へ。
管制区画へ。
そして、さらに深い過去へ。
ホワイトルームは、まだすべてを見せていなかった。
モチベ維持のために感想・評価をもらえると幸いです。