ザ・ダイハード・マスターピース 作:EXTERMINATION
同じ頃。
ホワイトルーム本部、第三隔離区画。
そこは、施設の中でも地図に表示されない場所だった。
上層の白い廊下とも違う。
地下研究棟の古い灰色とも違う。
その区画だけは、白と灰色の境界に取り残されたように、どこか中途半端だった。
壁は白い。
だが、その白は新しくない。
何度も塗り重ねられ、ひび割れ、ところどころ剥がれ落ちている。
天井の蛍光灯は規則正しく並んでいるが、
半分ほどが点滅を繰り返していた。
床には訓練用のマットが敷かれ、
その上に乾いた擦過音の跡がいくつも残っている。
訓練室。
いや。
処分場に近かった。
成功例を作るために、失敗例を壊す場所。
反抗した者を黙らせる場所。
外へ出してはいけないものを、白い壁の内側に閉じ込める場所。
その中央で、少女が目を開けた。
天沢一夏。
死んだはずの少女だった。
「……あーあ」
天沢は天井を見上げ、掠れた声で呟いた。
「最悪」
身体が重い。
腕が痛い。
腹も痛い。
呼吸をするたびに胸の奥が軋む。
それでも、生きていた。
死んでいない。
殺されていない。
利用価値があると判断されたのか。
それとも、処分する前に情報を抜くつもりだったのか。
理由はどうでもいい。
天沢にとって重要なのは一つだけだった。
綾小路清隆が、この施設にいる。
その事実だけで、意識は十分に戻った。
「先輩……来ちゃったんだ」
小さく笑う。
嬉しそうに。
苦しそうに。
そして、どこか狂おしそうに。
その隣で、別の拘束台が軋んだ。
「気色悪い声を出すな、一夏」
八神拓也だった。
こちらも死んだはずの少年。
かつて綾小路清隆を超えることに執着し、
敗れ、壊されかけ、それでもなお目の奥に炎を残した男。
天沢は横目で八神を見る。
「生きてたんだ、拓也」
「君もね」
「残念?」
「少し」
「ひどいなぁ」
天沢は笑った。
八神も笑った。
だが、その笑みは穏やかではない。
二人とも、満身創痍だった。
だが、壊れてはいない。
むしろ壊れたからこそ、残った芯だけが露出していた。
天沢は綾小路への崇拝。
八神は綾小路への憎悪。
それだけが、白い施設の中で焼け残っていた。
天井のスピーカーが鳴る。
『第三隔離区画、拘束対象二名の覚醒を確認』
無機質な声。
天沢は顔をしかめた。
「うるさいなぁ」
八神が拘束具を見る。
手首。
足首。
腰。
首元。
すべて固定されている。
普通の人間なら動けない。
ホワイトルーム生でも、簡単には抜けられない。
だが、八神は笑った。
「雑だな」
「え?」
「僕たちを殺す気なら、意識を戻させるべきじゃなかった」
次の瞬間。
八神の右手首が、あり得ない角度で沈んだ。
骨を外したのではない。
関節の遊びを極限まで使い、拘束具の隙間を抜けた。
天沢は目を細める。
「うわ、痛そう」
「痛いよ」
八神は平然と答えた。
「でも、綾小路清隆に負けた時よりはマシだ」
「本当にしつこいね」
「君に言われたくない」
「私は先輩を守りたいだけだもん」
「僕は倒したいだけだ」
「方向性は違うけど」
天沢が笑う。
八神も笑う。
「目的地は同じだね」
八神の右手が自由になる。
拘束具のロックへ指を伸ばす。
鍵はない。
電子式。
外部制御。
だが、完全ではない。
拘束台の裏側に非常解除用の細い隙間がある。
八神はそこへ指を差し込み、痛む腕で内部のレバーを探った。
金属音。
一つ目のロックが外れる。
二つ目。
三つ目。
八神が起き上がる。
その顔は青白い。
だが、目だけは爛々としていた。
「一夏」
「何?」
「動けるか」
「先輩がいるなら」
天沢は笑った。
「死んでも動くよ」
「死なれると邪魔だ」
「ひどいなぁ」
八神は天沢の拘束具を外す。
天沢は床へ落ちるように降り、膝をついた。
息が荒い。
足に力が入りきらない。
それでも、立った。
白い床に、二人の影が揺れる。
その瞬間、扉の向こうで足音が響いた。
一人ではない。
十人でもない。
もっと多い。
統制された足音。
ホワイトルーム生。
天沢が口元を歪めた。
「歓迎?」
八神は首を鳴らした。
「処分だろうね」
スピーカーが鳴る。
『拘束対象二名に反逆の兆候あり』
『第三隔離区画へ制圧班を投入』
『対象、天沢一夏』
『対象、八神拓也』
『必要に応じて発砲を許可』
扉のロックが外れる。
重い金属音。
白い扉が左右へ開いた。
廊下の奥から、ホワイトルーム生たちが現れる。
数は三十。
年齢は近い。
全員が白い戦闘服を着ている。
手には警棒。
一部は拳銃。
さらに後方には捕縛用のワイヤーとシールドを持つ者もいる。
その目に迷いはない。
感情もない。
命令を実行するためだけに動く目だった。
天沢は、それを見て笑った。
「多いなぁ」
八神も笑った。
「多いだけだ」
先頭の一人が言う。
「第五期成功例、天沢一夏、八神拓也」
その言葉に、天沢の目が細くなった。
八神の笑みが深くなる。
「投降しろ」
「嫌」
天沢は即答した。
八神も続ける。
「断る」
「反逆と判断する」
「判断が遅いね」
八神が一歩前へ出る。
「もう反逆している」
天沢も並ぶ。
「ねえ、拓也」
「何だ」
「ここで死んだら、先輩に会えないよ」
「死ぬつもりはない」
「勝てる?」
八神は前方の三十人を見た。
負傷した身体。
武器なし。
相手は武装済み。
普通なら絶望的だった。
だが、八神は笑った。
「僕たちは第五期成功例だ」
天沢の笑みが、悪戯っぽく変わる。
「ホワイトルーム5期成功例の力を見せてやるぞ、ってやつ?」
「その安い言い方はやめろ」
「でも好きでしょ?」
「嫌いじゃない」
二人は同時に構えた。
その瞬間。
ホワイトルーム生たちが動いた。
最初の五人が前に出る。
警棒。
拳。
足払い。
捕縛ワイヤー。
一人が銃口を向け、牽制する。
天沢は低く沈んだ。
警棒が頭上を通過する。
その下を滑るように抜け、相手の膝裏を蹴る。
体勢が崩れた瞬間、肩をぶつけ、壁へ叩きつける。
続けて背後から来た警棒を肘で受け、腕を絡め、相手の力を利用して床へ転がした。
痛みが走る。
天沢の顔が歪む。
だが、笑みは消えない。
「遅いよ」
三人目が銃を向ける。
天沢は倒れた一人の身体を盾のように挟み、射線を塞ぐ。
相手が撃てない一瞬。
天沢は床を蹴った。
距離を詰める。
拳銃を持つ手首を掴む。
上へ逸らす。
発砲音。
弾は天井へ消えた。
天沢は銃を奪わない。
奪うより早く、相手の肘を壊さない程度に捻り、顎へ掌底を入れる。
相手が崩れる。
その横で、八神が二人を同時に捌いていた。
八神の動きは綺麗だった。
無駄がない。
天沢のような獣じみた勢いではない。
相手の攻撃を読む。
誘導する。
外す。
崩す。
必要最低限の接触で、相手を床へ沈める。
警棒を振り下ろした相手の手首を受け、回転しながら背後へ回る。
膝裏を軽く蹴る。
倒れた瞬間、首元へ短い打撃。
意識を奪う。
次の相手が銃を構える。
八神は床の警棒を蹴り上げた。
警棒が銃口に当たり、照準がずれる。
発砲。
壁に火花。
八神はその間に踏み込み、相手の腕を取る。
「銃を使うなら」
八神が囁く。
「距離を取るべきだったね」
相手を投げる。
白い床に身体が滑る。
八神は奪った拳銃の弾倉を抜き、床へ捨てた。
天沢が横から叫ぶ。
「使わないの?」
「邪魔だ」
「真面目だなぁ」
「君ほど乱暴じゃないだけだ」
「褒めてる?」
「貶してる」
「じゃあ褒め言葉だね」
二人の軽口の間にも、敵は止まらない。
今度は十人が同時に広がった。
前衛がシールドを構える。
後衛が拳銃。
横から警棒。
さらに一人が天井近くの監視装置へ指示を出している。
床のラインが赤く光った。
訓練室の区画が分割される。
逃げ道を限定する仕掛け。
八神がそれを見て舌打ちした。
「面倒な」
天沢は笑った。
「ホワイトルームって感じ」
「だから嫌いなんだよ」
「私は好きだよ」
「君は綾小路清隆がいた場所なら何でも好きなんだろう」
「うん」
即答だった。
八神は一瞬だけ呆れた顔をした。
その隙に、後衛が撃つ。
天沢が八神の肩を掴み、引いた。
弾が八神のいた場所を掠める。
八神の目が細くなる。
「助けたつもりか」
「先輩にリベンジする前に死なれたら困るから」
「余計なお世話だ」
「お互い様」
天沢はシールド持ちへ突っ込む。
正面からでは勝てない。
だから、正面から行くふりをした。
直前で床を滑り、シールドの下へ足を差し込む。
重心を崩す。
相手が踏ん張る。
その瞬間、天沢は自分の身体を捻り、相手の足首を巻き込むように倒した。
シールドが傾く。
八神がそこへ飛び込む。
倒れかけたシールドを踏み台にし、後衛へ一気に近づいた。
拳銃を構えた二人が反応する。
だが遅い。
八神は一人の腕を押さえ、もう一人の銃口を外へ逸らす。
二発の銃声。
弾は互いの背後の壁に消える。
八神は両者の間に入り、肘と膝を短く入れた。
二人が崩れる。
さらに横から警棒。
八神は受けない。
避けない。
一歩だけ前に出た。
警棒の威力が乗る前に、間合いを潰す。
相手の胸元へ肩を当て、呼吸を奪う。
倒す。
振り返る。
そこに三人。
八神は笑った。
「足りない」
一方、天沢はすでに傷だらけだった。
脇腹に警棒を受けている。
肩も打たれた。
頬には赤い線。
呼吸も乱れている。
だが、動きは止まらない。
むしろ、痛みで意識が研ぎ澄まされていく。
「先輩なら」
天沢は呟いた。
「このくらい、もっと簡単にやるんだろうなぁ」
その声を聞いた一人が言う。
「綾小路清隆は対象だ。排除命令が出ている」
天沢の笑みが消えた。
空気が変わる。
「今、何て言ったの?」
相手は答えない。
天沢が踏み込んだ。
速い。
それまでよりも明らかに速い。
警棒が振られる。
天沢は避けず、肩で受けた。
鈍い音。
痛み。
だが、距離は詰まった。
相手の襟を掴む。
「先輩を」
膝。
「排除?」
肘。
「誰が?」
相手の身体が床へ沈む。
天沢はその上を踏み越え、次の相手へ向かう。
「ねえ」
笑っている。
だが、目が笑っていない。
「誰が綾小路先輩を排除するって?」
三人が同時に襲う。
天沢は一人目の警棒を奪い、二人目の腕を絡め、三人目の膝を蹴る。
奪った警棒で銃口を弾く。
手首を打つ。
拳銃が床を滑る。
天沢はそれを蹴り飛ばした。
八神が横から言う。
「熱くなりすぎだ」
「うるさいなぁ」
「動きが荒い」
「荒くても勝てばいいでしょ」
「綾小路清隆ならそうはしない」
天沢の動きが一瞬だけ止まった。
「……それ言う?」
「効くだろうと思って」
「性格悪いね」
「君ほどじゃない」
天沢は笑った。
それで、少しだけ冷静さを取り戻す。
残りはまだ多い。
倒した数は十数人。
だが、三十人規模の制圧班は簡単には尽きない。
負傷した身体に対して、相手は交代しながら攻めてくる。
合理的だった。
一人一人で勝つ必要はない。
疲れさせる。
削る。
囲む。
捕らえる。
ホワイトルームらしいやり方だった。
八神はそれを理解していた。
「一夏」
「何?」
「中央から外れるな」
「囲まれるよ?」
「だからだ」
八神は呼吸を整える。
「囲ませる」
天沢は一瞬で意図を理解した。
「いいね」
二人はあえて中央に立った。
敵が半円状に広がる。
前後左右。
逃げ場はない。
後衛の銃口がこちらへ向く。
スピーカーから指示が飛ぶ。
『対象二名、制圧優先』
『銃撃は足部を狙え』
『生体反応維持』
殺すな。
捕らえろ。
その命令が、逆に隙になる。
八神が笑った。
「まだ利用価値があるらしい」
天沢が肩を回す。
「嬉しい?」
「不愉快だ」
「同感」
最初の発砲。
天沢と八神は同時に動いた。
左右ではない。
前でもない。
互いに向かって動いた。
二人の身体が交差する。
敵の照準が一瞬だけ迷う。
天沢が八神の肩を踏んだ。
八神が体勢を低くし、その勢いを支える。
天沢の身体が宙へ跳ねる。
空中で身体を捻り、後衛の銃持ちへ飛び込む。
着地と同時に一人の腕を払い、銃を落とす。
そのまま足払い。
倒れた相手を盾にし、次の射線を塞ぐ。
同時に、八神は低い姿勢のまま前衛の足元へ入った。
警棒を持つ相手の足を払う。
倒れた身体が別の相手の進路を塞ぐ。
そこへ八神が警棒を奪い、床へ叩きつけるように振るった。
骨を狙わない。
意識とバランスを奪う。
痛みで止める。
動けなくする。
殺さない。
だが、容赦はない。
天沢が後方で叫ぶ。
「拓也!」
八神は見ずに身を沈めた。
背後から飛んできた警棒が頭上を通過する。
天沢がそれを受け止め、相手の腕を捻る。
「貸し一つね」
「返す気はない」
「最悪」
「君に言われたくない」
二人は背中合わせになった。
周囲には倒れたホワイトルーム生。
残りは十人ほど。
だが、その十人は明らかに強かった。
最初から様子を見ていた者たち。
制圧班の中でも上位。
第五期ではない。
だが、後期の成功例に近い生徒たち。
動きが違う。
呼吸が違う。
無駄な焦りがない。
八神は目を細めた。
「ようやくまともなのが来た」
天沢は血の混じった息を吐く。
「こっちはもうボロボロなんだけど」
「奇遇だね。僕もだ」
「じゃあ、ちょうどいいね」
「何が」
「不利なくらいが、先輩っぽい」
八神は少しだけ笑った。
「君は本当に、全部あいつ基準だな」
「拓也もでしょ」
八神は否定しなかった。
綾小路清隆。
天沢にとっては崇拝の対象。
八神にとっては越えるべき壁。
理由は違う。
感情も違う。
だが、二人の中心には同じ男がいた。
だからこそ、今だけは並べた。
敵の一人が踏み込む。
速い。
天沢は反応が遅れた。
警棒が肩に入る。
膝が揺れる。
追撃。
だが、八神が横から入る。
相手の腕を押さえ、天沢の代わりに受ける。
八神の顔が苦痛に歪む。
天沢が目を見開く。
「庇った?」
「勘違いするな」
八神は相手を押し返す。
「君が倒れると、僕が囲まれる」
「素直じゃないね」
「黙れ」
天沢は笑い、前へ出る。
今度は天沢が八神の死角を潰す。
横から来た銃口を蹴り上げる。
弾が天井へ消える。
天沢はそのまま相手の懐へ入り、短く打つ。
八神は別の相手の警棒を奪い、天沢へ投げた。
天沢が受け取る。
「ありがと」
「使い潰せ」
「了解」
天沢の動きが変わる。
警棒を武器として使うのではない。
相手の武器を絡め取る道具として使う。
警棒同士がぶつかる。
手首を滑らせる。
相手の力を外へ逃がす。
八神が作った隙へ、天沢が踏み込む。
天沢が荒らした場へ、八神が正確に止めを入れる。
二人の連携は、決して美しくない。
信頼でもない。
友情でもない。
ただ、互いの性能を理解しているだけ。
互いの歪みを利用しているだけ。
だが、それで十分だった。
最後の三人が残る。
一人は拳銃。
一人は警棒。
一人は素手。
天沢は笑う。
「もう終わり?」
拳銃の相手が撃つ。
八神が倒れたシールドを蹴り上げる。
弾が弾かれる。
天沢が低く走る。
警棒の相手が止めに入る。
天沢はあえて止まらず、肩からぶつかる。
二人とも倒れかける。
その瞬間、八神が横を抜け、拳銃の相手へ接近した。
腕を取る。
銃を外す。
膝を入れる。
床へ落とす。
残り二人。
素手の相手が八神へ迫る。
動きが速い。
八神は受ける。
だが、受けきれない。
腹に一撃。
息が詰まる。
追撃。
八神の膝が折れかける。
天沢が警棒の相手を倒しながら叫ぶ。
「拓也!」
八神は笑った。
「叫ぶな」
相手の拳が来る。
八神はそれを紙一重で外し、相手の胸元へ額をぶつけた。
綺麗な技ではない。
ホワイトルームらしくもない。
外の喧嘩のような乱暴な動き。
だが、相手は一瞬止まった。
その一瞬で、八神は腕を絡め、床へ引き倒した。
最後の一人。
天沢の前に立つ。
互いに息が荒い。
天沢はもう限界に近かった。
視界が揺れている。
足も震えている。
それでも、笑う。
「そこ、どいて」
相手は答えない。
警棒を構える。
天沢は一歩踏み出す。
警棒が振られる。
天沢は避けない。
腕で受ける。
痛みで顔が歪む。
だが、止まらない。
一歩。
もう一歩。
相手が後退する。
天沢は笑う。
「先輩のところに」
さらに一歩。
「行かなきゃいけないんだよ」
最後の力で踏み込む。
警棒を持つ手を掴む。
額が触れそうな距離。
天沢は囁いた。
「邪魔」
短い打撃。
相手が崩れる。
白い床に倒れた。
静寂。
警報だけが鳴っていた。
倒れた三十人のホワイトルーム生。
散らばった警棒。
弾倉を抜かれた拳銃。
割れたシールド。
赤く点滅する照明。
その中央に、天沢一夏と八神拓也が立っていた。
いや。
立っているだけだった。
次の瞬間、天沢の膝が落ちた。
床に手をつく。
八神も壁にもたれ、ずるずると座り込む。
二人とも限界だった。
天沢は息を吐く。
「……勝った?」
八神は天井を見上げる。
「少なくとも、負けてはいない」
「何それ」
「君こそ、嬉しそうだね」
「だって」
天沢は顔を上げる。
傷だらけの顔で笑う。
「先輩を守れたかもしれないから」
八神は鼻で笑った。
「僕は、綾小路清隆にリベンジするまで死ねない」
「じゃあ同じだね」
「違う」
「同じだよ」
「違う」
「面倒くさいなぁ」
天沢は笑った。
最初は小さく。
やがて、大きく。
八神もつられるように笑った。
乾いた笑い。
不敵な笑い。
敗北を知らない笑いではない。
敗北してもなお、立ち上がる者の笑い。
白い施設の中に、二人の高笑いが響く。
「はは……あはははははっ!」
「くく……はははははっ!」
スピーカーの向こうで誰かが沈黙している。
監視カメラが二人を映している。
その映像は、管制区画の端末にも一瞬だけ表示された。
だが、すぐにノイズで消えた。
天沢は床に倒れ込んだ。
もう受け身を取る力もなかった。
背中が白い床に叩きつけられ、視界に天井の蛍光灯が滲む。
身体は動かない。
痛みだけが、まだ自分が生きていることを知らせていた。
隣で、八神も仰向けに倒れていた。
壁にもたれる力すら残っていない。
胸が上下している。
だが、その呼吸は浅く、細く、今にも途切れそうだった。
「……綾小路先輩」
天沢は天井へ手を伸ばそうとした。
けれど、腕は途中で止まった。
指先だけが、かすかに震える。
その声は、誰にも届かない。
それでも、彼女は笑っていた。
「見て……ました?」
八神は隣で目を細めた。
顔を動かすこともできない。
それでも、唇だけが不敵に歪む。
「待っていろ……綾小路清隆」
息は荒い。
身体はもう動かない。
致命傷を負った身体は、立ち上がることを許してくれなかった。
だが、声だけは折れていなかった。
「僕は……まだ……」
言葉は途中で途切れた。
それでも八神は笑っていた。
天沢も笑っていた。
警報が鳴り続ける。
白い廊下の向こうで、別の戦いが始まろうとしていた。
天沢一夏と八神拓也。
死んだはずの第五期成功例二人は、
ホワイトルームの奥底で反逆し、三十人の制圧班を打ち倒した。
そして、致命傷を負いながら。
仰向けに倒れたまま。
最後まで、不敵に笑い続けていた。
モチベ維持のために感想・評価をもらえると幸いです。