ザ・ダイハード・マスターピース   作:EXTERMINATION

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第49話 地下室の亡霊 前編

地下研究棟が、閉じていく音がした。

 

それは一つの扉が閉まる音ではなかった。

 

右から。

 

左から。

 

前方から。

 

背後から。

 

重い金属が噛み合う音が、いくつも連続して響き、

地下七階の通路そのものが巨大な檻へと姿を変えていく。

 

天井の非常灯が赤く点滅する。

 

白かったはずの壁が赤く染まり、

古いコンクリートの亀裂が血管のように浮かび上がる。

 

次の瞬間、天井の噴出口から白いガスが噴き出した。

 

煙ではない。

 

もっと細かい。

 

もっと軽い。

 

空気に溶けるように広がり、音もなく視界を奪っていく。

 

朝霧海斗は、考えるより早くツキの腕を掴んでいた。

 

「走るぞ」

 

「分かってる!」

 

ツキも即座に反応した。

 

さっきまで資料を抱えていた手で口元を押さえ、

海斗に引かれるまま通路を駆け出す。

 

その後ろで、雅樹が端末を睨みながら舌打ちした。

 

「篤臣め。地下ごと切り捨てる気か」

 

「今さら驚くことかよ!」

 

海斗は振り返らずに返した。

 

「そうだな」

 

雅樹の声は低かった。

 

「この施設に、まともな奴はいない」

 

「自分も含めてか?」

 

「当然だ」

 

「開き直るな、腹立つ」

 

白いガスが背後から迫ってくる。

 

毒性があるかどうかは分からない。

 

だが、ホワイトルームが無意味な煙を出すはずがない。

 

意識を奪う。

 

判断力を鈍らせる。

 

筋肉の反応を遅らせる。

 

そういう類のものと見るべきだった。

 

相馬が横の通路から合流した。

 

銃を片手に、周囲を見ながら走っている。

 

動きに無駄がない。

 

年齢は海斗よりずっと上だが、足は速い。

 

戦場で生き残ってきた男の走り方だった。

 

その後ろから舞も来る。

 

彼女はこの状況でなお、楽しそうに笑っていた。

 

「いいじゃない。閉じ込められて、ガスまで撒かれて、追手も来る。最高の舞台ね」

 

「お前、頭のどこか壊れてるだろ」

 

海斗が言う。

 

舞は笑みを深めた。

 

「褒め言葉として受け取っておくわ」

 

「褒めてねぇ」

 

「分かってる」

 

ツキが息を切らしながら言った。

 

「この人、森下さんと別方向に面倒くさい」

 

「森下って誰よ」

 

舞が聞く。

 

「綾小路清隆についてきた人」

 

「へぇ、女?」

 

「女です」

 

「戦えるの?」

 

「戦闘員じゃないです」

 

「じゃあ何で来たの?」

 

ツキは少しだけ考えた。

 

「面白そうだから、だと思います」

 

舞は一瞬きょとんとした後、声を上げて笑った。

 

「いいじゃない、その子。気が合いそう」

 

「嫌な予感しかしない」

 

ツキが本気で嫌そうな顔をする。

 

海斗はその横顔を見て、ほんの少しだけ安堵した。

 

ツキは怖がっている。

 

傷ついている。

 

さっき見た資料や映像で、間違いなく心は揺れている。

 

だが、それでも喋れる。

 

毒を吐ける。

 

海斗に文句を言える。

 

それならまだ大丈夫だ。

 

少なくとも、今すぐ折れてはいない。

 

「海斗」

 

ツキが呼んだ。

 

「何だ」

 

「前」

 

「分かってる」

 

前方の通路にシャッターが下り始めていた。

 

完全に閉まるまで、あと数秒。

 

海斗は速度を落とさない。

 

むしろ上げた。

 

「ちょっと、間に合うの!?」

 

「間に合わせる」

 

「雑!」

 

「いつも通りだろ」

 

「いつも通りだから不安なの!」

 

海斗はツキの腕を引き、最後の数メートルで身を低くした。

 

シャッターが半分ほど下りる。

 

海斗は床を蹴り、ツキごと滑り込むように下を抜けた。

 

金属の縁が背中すれすれを通る。

 

ツキの髪がわずかに触れた。

 

二人が向こう側へ転がると同時に、シャッターが完全に閉じた。

 

重い音が響く。

 

その直後、向こう側から舞の声がした。

 

「ちょっと、置いていく気?」

 

「勝手についてこい!」

 

海斗が叫ぶ。

 

シャッターの向こうで銃声が鳴った。

 

相馬だろう。

 

続けて金属が軋む音。

 

そして小さな爆発音。

 

数秒後、シャッターの横にある非常用ハッチが吹き飛び、相馬と舞が姿を現した。

 

舞は肩に付いた埃を払う。

 

「もう少し優しく待てないの?」

 

「待ってたらガス吸うだろ」

 

「薄情ね」

 

「初対面の奴に情を求めるな」

 

相馬が周囲を確認しながら言った。

 

「急げ。ガスの濃度が上がっている。長く吸えば意識が落ちる」

 

「やっぱりか」

 

海斗はツキを見る。

 

「平気か」

 

「平気じゃないけど走れる」

 

「それでいい」

 

「よくない」

 

「文句言えるなら大丈夫だ」

 

「判断基準が雑」

 

「褒めるな」

 

「褒めてない!」

 

そのやり取りを聞きながら、相馬は少しだけ目を細めた。

 

舞は面白そうに二人を眺めている。

 

雅樹は端末を操作しながら別の通路へ向かった。

 

「こっちだ」

 

「どこへ行く」

 

海斗が聞く。

 

「旧訓練区画だ。ガスの遮断設備が生きている」

 

「信用できるのか」

 

「信用しなくていい。ついてこい」

 

「命令すんな」

 

「なら死ぬか?」

 

「案内しろ」

 

「最初からそうしろ」

 

雅樹の口調は威圧的だった。

 

丁寧さも、柔らかさもない。

 

この施設で自分が上にいると理解している男の声。

 

海斗はそれが気に入らない。

 

だが、今は進むしかない。

 

ツキを連れて、ガスから逃げる必要がある。

 

「海斗」

 

ツキが小声で言った。

 

「雅樹さん、昔と違う」

 

「知ってるのか」

 

「少しだけ。私たちを助けた人、だと思ってた」

 

「今は?」

 

ツキは少し沈黙した。

 

「分からない」

 

「そうか」

 

「海斗は?」

 

「気に入らねぇ」

 

「それは見れば分かる」

 

「なら聞くな」

 

「でも、悪いだけの人にも見えない」

 

海斗は答えなかった。

 

雅樹は敵に見える。

 

だが、完全な敵ではない。

 

相馬と舞もそうだ。

 

ホワイトルーム側のようで、ホワイトルームそのものとは違う。

 

この地下には、敵と味方という単純な線では分けられない人間が多すぎる。

 

それが面倒だった。

 

そして面倒なものほど、大抵ろくでもない。

 

 

同じ頃。

 

綾小路清隆、森下藍、志朗の三人もまた、地下研究棟へ向かっていた。

 

管制区画を抜けた後、志朗が案内したのは、施設の整備用通路だった。

 

上層の白い廊下とは違い、ここは灰色のコンクリートが剥き出しになっている。

 

天井には配管。

 

壁には古い配電盤。

 

床には何度も補修された跡。

 

ホワイトルームが白で覆い隠してきたものが、ここでは隠しきれていなかった。

 

「綾小路清隆」

 

森下が言った。

 

「何だ」

 

「息苦しい場所ですね」

 

「ガスはまだ来ていない」

 

「そういう意味ではありません」

 

森下は壁を見た。

 

「白い場所も嫌でしたけど、ここはここで嫌です。

上が作り物の清潔さなら、ここは隠していたものを見せられている感じがします」

 

「観察としては正しい」

 

「褒めました?」

 

「事実を言った」

 

「綾小路清隆は、褒め方が下手ですね」

 

「褒めたつもりはない」

 

「なお悪いです」

 

志朗が前方を見ながら小さく笑った。

 

「森下藍、だったか」

 

「はい」

 

「よくこの状況で喋れるな」

 

「怖いので喋っています」

 

志朗は少しだけ振り返った。

 

森下は表情こそいつも通りだが、その手はわずかに震えていた。

 

それを隠すつもりもないらしい。

 

「怖いと認められるのは強い」

 

志朗が言う。

 

森下は少し意外そうに目を瞬かせた。

 

「ホワイトルーム出身者に言われると、不思議ですね」

 

「俺は失敗作だからな」

 

志朗の声は軽かった。

 

だが、その言葉は軽くなかった。

 

「自由が欲しい。友達が欲しい。そんな理由で自分から脱落した」

 

「それを失敗と言うんですか?」

 

「ホワイトルームではな」

 

「では外では?」

 

志朗は少しだけ考えた。

 

「まだ答えを探している」

 

森下は静かに頷いた。

 

「綾小路清隆もそうですか?」

 

「オレに振るのか」

 

「流れとして自然です」

 

「自然ではない」

 

「では不自然に聞きます。綾小路清隆は、自由の答えを見つけましたか?」

 

綾小路は少しだけ沈黙した。

 

自由。

 

今回の事件の中心にある言葉。

 

志朗は自由が欲しくて先に外へ出た。

 

自分はホワイトルームから外へ出た後、自由というものを少しずつ知った。

 

海斗は最初から、誰かに作られたわけではない自由な強者だった。

 

森下は怖さを認めながら、自分の意思でついてきた。

 

「まだだな」

 

綾小路は答えた。

 

「答えは出ていない」

 

「そうですか」

 

森下は少しだけ微笑んだ。

 

「では、見つけるところを観察します」

 

「やはり観察目的か」

 

「はい」

 

「堂々としているな」

 

「隠しても仕方ありませんから」

 

その時、前方の角から足音が聞こえた。

 

志朗が立ち止まる。

 

綾小路も足を止め、森下を背後へ下げる。

 

「またか」

 

志朗が低く呟いた。

 

現れたのは6人。

 

ホワイトルーム精鋭。

 

先ほどまでの生徒たちとは違う。

 

体格。

 

立ち方。

 

視線。

 

明らかに実戦投入を前提にした人間だった。

 

「侵入者を確認」

 

先頭の男が言った。

 

「綾小路清隆。志朗。森下藍」

 

森下が小さく言う。

 

「私まで名前で呼ばれると、少し嫌ですね」

 

「慣れろ」

 

綾小路が返す。

 

「慣れたくありません」

 

精鋭たちが一斉に動く。

 

銃は使わない。

 

通路が狭いからだ。

 

警棒。

 

ナイフ。

 

ワイヤー。

 

制圧用の装備。

 

殺すより捕らえるための配置。

 

だが、先ほどよりも迷いがない。

 

篤臣の命令で、制限が緩んだのだろう。

 

志朗が前へ出る。

 

「清隆、森下を守れ」

 

「言われなくても」

 

一人目が志朗へ向かう。

 

二人目と三人目が綾小路へ。

 

残りが側面から回り込もうとする。

 

通路が狭いため、同時に来られる人数は限られる。

 

だが、その分逃げ場も少ない。

 

綾小路は森下を壁際へ寄せ、一人目の腕を取った。

 

警棒が振り下ろされる。

 

手首を押さえ、身体を入れ替え、相手の勢いを使って壁へ叩きつける。

 

二人目のナイフ。

 

避ける。

 

刃が服の袖をかすめる。

 

三人目のワイヤーが足元へ飛ぶ。

 

綾小路は小さく跳び、着地と同時に一人目の警棒を蹴り上げた。

 

警棒が宙を回り、三人目の手元へ当たる。

 

ワイヤーが逸れる。

 

森下が声を上げた。

 

「綾小路清隆、右上!」

 

天井の配管上に小型ドローン。

 

麻酔針のようなものを撃ち出そうとしている。

 

綾小路は近くの敵から奪った警棒を投げた。

 

ドローンに直撃。

 

火花を散らして落ちる。

 

「助かった」

 

「どういたしまして」

 

森下はすぐに視線を別方向へ向ける。

 

「後ろから二人来ます」

 

志朗が反応した。

 

振り返らずに足元の敵を蹴り、背後の一人の膝を崩す。

 

もう一人は綾小路へ向かう。

 

綾小路は一歩踏み込み、相手の重心を崩し、最短の打撃で呼吸を止めた。

 

相手が膝をつく。

 

殺さない。

 

壊さない。

 

だが、動けなくする。

 

その判断は一瞬で行う。

 

志朗も同じだった。

 

数十秒。

 

それだけで、六人の精鋭は通路に倒れていた。

 

森下が息を吐く。

 

「二人とも、人間を処理する速度がおかしいですね」

 

「処理と言うな」

 

綾小路が言う。

 

「綾小路清隆が前に言いました」

 

「そうだったか」

 

「そうです」

 

志朗が小さく笑った。

 

「森下藍がいると、緊張感が少し削られるな」

 

「褒めています?」

 

「褒めている」

 

「なら受け取ります」

 

森下はそう言った直後、急に顔を上げた。

 

「下の方から大きな動きがあります」

 

「何が見える」

 

綾小路が聞く。

 

森下は倒れた敵の端末を拾い、画面を見ていた。

 

「地下研究棟の旧訓練区画が開放されています。複数の反応が集まっています」

 

「海斗か」

 

「朝霧海斗、ツキ、雅樹、相馬、舞。さらに……」

 

森下が言葉を止めた。

 

「どうした」

 

「識別不能の反応があります」

 

志朗の表情が変わる。

 

綾小路も端末を見る。

 

表示は不安定だった。

 

ノイズ。

 

一瞬だけ映る影。

 

名前は出ない。

 

だが、そこにいる。

 

死んだはずの誰かが。

 

「急ぐぞ」

 

綾小路は言った。

 

森下も頷く。

 

「はい、綾小路清隆」

 

三人は再び走り出した。

 

 

地下研究棟。

 

海斗たちは、雅樹の案内で旧訓練区画へ向かっていた。

 

ガスの届かない区画。

 

古い扉。

 

錆びたレール。

 

壁に残る訓練用の弾痕。

 

そこは、現在のホワイトルーム本部から取り残された場所だった。

 

雅樹が扉の前で止まる。

 

「ここだ」

 

海斗は扉を見上げた。

 

旧格闘訓練施設。

 

表示は半分剥がれている。

 

「何でこんな場所が残ってる」

 

「使い道があるからだ」

 

雅樹が言う。

 

「古い施設ほど、記録に残らない動きができる」

 

「つまり悪いこと用か」

 

「そう言っておけば分かりやすい」

 

「本当に悪い大人だな」

 

「今さらだ」

 

雅樹が扉を開ける。

 

中は広かった。

 

天井が高い。

 

壁は灰色。

 

床には古いマットの跡。

 

格闘訓練施設というより、廃棄された体育館のようにも見えた。

 

照明は半分ほどしか点いていない。

 

奥は暗い。

 

空気は冷たく、長い間使われていなかった場所特有の埃っぽさがあった。

 

ツキが小さく言った。

 

「嫌な場所」

 

「同感だ」

 

海斗は答える。

 

舞が笑う。

 

「私は好きよ」

 

「だろうな」

 

「分かってきたじゃない」

 

「分かりたくなかった」

 

相馬は入口付近で銃を構え、背後を警戒している。

 

舞は逆に奥の暗がりを見ていた。

 

好戦的な笑み。

 

だが、その笑みがふと止まった。

 

「……誰かいる」

 

海斗も気づいていた。

 

奥の暗闇。

 

そこに人の気配がある。

 

一人。

 

いや、気配の濃さは一人だが、圧がある。

 

ホワイトルーム生の整った気配ではない。

 

相馬のような軍人の気配でもない。

 

もっと荒い。

 

もっと獰猛。

 

雅樹が低く言った。

 

「出てくるなと言ったはずだ」

 

暗闇の奥で、笑い声がした。

 

「クク……」

 

ツキが海斗の袖を掴む。

 

相馬が銃口を向ける。

 

舞の口元がわずかに上がる。

 

海斗は目を細めた。

 

その声には覚えがある。

 

前に直接深く関わった相手ではない。

 

だが、何度も名前を聞いた。

 

綾小路清隆の因縁。

 

高度育成高等学校の暴君。

 

前回、前々回を通して、何度も戦場を掻き回した男。

 

死んだと思われていた男。

 

暗闇の中から声がした。

 

「随分と楽しそうな面子じゃねえか」

 

照明が一つ、点いた。

 

男の靴が見える。

 

次の照明。

 

黒いズボン。

 

傷の残る手。

 

さらに照明。

 

黒いコート。

 

そして最後に、顔が見えた。

 

龍園翔。

 

生きていた。

 

以前より少し痩せている。

 

頬には薄い傷。

 

髪は前より短く、目つきはさらに鋭い。

 

だが、笑い方だけは変わらない。

 

人を挑発し、場を支配し、混沌を楽しむような笑み。

 

海斗はしばらく龍園を見ていた。

 

そして言った。

 

「……生きてたのか」

 

龍園は口元を歪めた。

 

「勝手に殺すなよ」

 

その声に、旧訓練施設の空気が変わった。

 

地下に眠っていた亡霊が、ついに姿を現した。




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