ザ・ダイハード・マスターピース   作:EXTERMINATION

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第50話 地下室の亡霊 後編

旧格闘訓練施設の空気は、重かった。

 

地下七階。

 

ホワイトルーム本部の奥底。

 

白く整えられた上層とは違い、そこは灰色の古い施設だった。

 

壁には細かな亀裂が走り、

床には過去の訓練で刻まれた傷が残り、

天井の照明は半分ほどしか生きていない。

 

広い空間のはずなのに、息苦しい。

 

まるで、ここで積み重ねられた暴力と失敗と隠蔽が、

空気そのものに染みついているようだった。

 

その暗がりの中から、男は現れた。

 

龍園翔。

 

死んだと思われていた男。

 

少なくとも、そう扱われていた男。

 

高度育成高等学校で暴力と策略を武器にクラスを支配し、

高育の事件で戦場と化した校舎を掻き回し、

次に白銀禁止区域の地獄に呑まれたはずの男。

 

その龍園が、そこに立っていた。

 

以前より髪は短い。

 

頬には薄い傷がある。

 

左の眉の近くにも新しい傷が走っている。

 

制服ではない。

 

黒いコート。

 

動きやすい戦闘服。

 

足元は雪山用のブーツ。

 

その姿は、かつて学校の廊下を歩いていた龍園翔ではなかった。

 

もっと荒い。

 

もっと重い。

 

もっと危険な場所を潜ってきた男の姿だった。

 

だが、笑みだけは変わらない。

 

人を見下すような。

 

場の空気を壊すような。

 

秩序を嘲笑うような。

 

あの笑みだった。

 

「……生きてたのか」

 

朝霧海斗が言った。

 

龍園は口元を歪める。

 

「勝手に殺すなよ」

 

「いや、普通は死んだと思うだろ」

 

「俺もそう思った」

 

「思ったのかよ」

 

「死にかけたからな」

 

龍園は何でもないことのように言った。

 

その軽さが逆に重かった。

 

海斗は龍園から視線を外さない。

 

ツキは海斗の少し後ろに立ち、龍園を警戒している。

 

相馬は銃を下げてはいない。

 

舞は面白そうに目を細めている。

 

雅樹だけは、明らかに不機嫌だった。

 

「出てくるなと言ったはずだ」

 

雅樹の声は低かった。

 

龍園は肩をすくめる。

 

「知るかよ」

 

「予定が狂う」

 

「予定通りに進む戦場なんざ退屈だろ」

 

「お前はいつも余計なことをする」

 

「褒め言葉として受け取っとくぜ」

 

「褒めていない」

 

「だろうな」

 

龍園は笑った。

 

この場にいる誰もが、龍園の登場で空気が変わったことを理解していた。

 

海斗も。

 

相馬も。

 

舞も。

 

ツキも。

 

雅樹も。

 

龍園翔という男は、単に強いだけの人間ではない。

 

場を乱す。

 

計算を壊す。

 

敵味方の境界線を濁らせる。

 

盤面にいるだけで、すべての駒の意味を変えてしまう。

 

それが龍園だった。

 

海斗は一歩前へ出た。

 

「で、何で生きてる」

 

「説明が雑だな」

 

「面倒くせぇからな」

 

「気が合うじゃねえか」

 

「合ってねぇ」

 

二人の声が重なるように響く。

 

ツキが小さく呟いた。

 

「……海斗と同類っぽい」

 

龍園の目がツキへ向く。

 

「それは嫌だな」

 

海斗も即答する。

 

「オレも嫌だ」

 

「息ぴったりじゃん」

 

ツキが言う。

 

「うるせぇ」

 

海斗。

 

「黙ってろ」

 

龍園。

 

ほぼ同時だった。

 

舞が声を出して笑った。

 

「何この二人。初対面なのに仲良すぎない?」

 

「仲良くねぇ」

 

また二人同時。

 

舞はさらに笑った。

 

相馬は呆れたように息を吐いた。

 

「似た者同士というやつだな」

 

「おっさん、余計なこと言うな」

 

海斗が言う。

 

龍園が相馬を見る。

 

「おっさん呼びされてるぞ」

 

「30代後半は、18歳から見ればおっさんらしい」

 

相馬は冷静に答えた。

 

「事実だろ」

 

海斗。

 

「否定はしない」

 

龍園。

 

「お前も敵に回すぞ」

 

相馬が淡々と言う。

 

この状況で、妙な会話が成立していた。

 

地下研究棟は封鎖されている。

 

篤臣が動いている。

 

白いガスが別区画を満たしている。

 

ホワイトルーム精鋭がいつ来てもおかしくない。

 

それでも、ここにいる者たちは一瞬だけ会話をしていた。

 

それは余裕ではない。

 

戦場の中で、呼吸を整えるための数秒だった。

 

海斗は龍園を見た。

 

「死にかけたって言ったな」

 

「ああ」

 

「誰に拾われた」

 

「色々だ」

 

「答えになってねぇ」

 

「最初に拾ったのはホワイトルーム側の連中だ」

 

その言葉で、空気が変わった。

 

ツキが眉を寄せる。

 

海斗も目を細めた。

 

龍園は続ける。

 

「白銀禁止区域で死にかけた後、まともな病院に運ばれたと思うか?」

 

「思わねぇな」

 

「だろうな」

 

龍園は笑う。

 

「身体はボロボロ。意識は飛び飛び。普通なら死んでた。

だが、死ななかった。死ねなかった、と言った方が正しいかもしれねぇ」

 

「ホワイトルームが治したのか」

 

ツキが聞く。

 

「治した、ねぇ」

 

龍園は楽しそうに笑う。

 

「人聞きが良すぎるな。連中は使えるかどうかを見ただけだ」

 

海斗は黙って聞いていた。

 

龍園は胸元を軽く叩く。

 

「骨は折れてた。内臓もやられてた。血も足りなかった。

まともに動ける身体じゃなかった。だが、連中は生かした」

 

「何のために」

 

相馬が尋ねた。

 

龍園は相馬を見る。

 

「お前、相馬か」

 

「知っているのか」

 

「名前だけな。禁止区域から流れた傭兵。特殊部隊上がり。雅樹の使い走り」

 

「使い走りではない」

 

「似たようなもんだろ」

 

相馬は表情を変えない。

 

だが、銃を持つ手にわずかな力が入る。

 

龍園はそれを見て楽しそうに笑った。

 

「そういう顔するなよ。別に馬鹿にしてるわけじゃねえ」

 

「十分馬鹿にしている」

 

「癖だ」

 

「悪い癖だ」

 

「直す気はねぇ」

 

海斗が呆れたように言う。

 

「本当に面倒な奴だな」

 

「お前に言われたくねぇな」

 

龍園は海斗へ視線を戻す。

 

「何のために生かされたか、だったな」

 

「ああ」

 

「研究だろうよ」

 

「ホワイトルームらしいな」

 

「暴力でクラスを支配した男。綾小路清隆に敗れた男。

死にかけてもまだ目が死んでいない男。連中から見れば、面白い素材だったんだろうな」

 

龍園の声は軽い。

 

だが、その奥には確かな怒りがあった。

 

「素材」

 

ツキが小さく呟く。

 

「嫌な言葉」

 

「この施設じゃ褒め言葉みてぇなもんだろ」

 

龍園が言う。

 

「人間じゃねぇ。材料だ。駒だ。数字だ」

 

海斗は龍園を見た。

 

「それで?」

 

「逃げた」

 

「だろうな」

 

「だが、ただ逃げるだけじゃつまらねぇ」

 

龍園はゆっくり歩いた。

 

古い訓練施設の床に、靴音が響く。

 

「死にかけて分かったことがある」

 

「何だ」

 

「暴力だけじゃ足りねぇ」

 

龍園の目が鋭くなる。

 

「頭だけでも足りねぇ」

 

海斗は黙る。

 

「両方要る」

 

龍園の声には、以前より重みがあった。

 

「相手を殴る力。相手に殴らせない頭。自分が死なねぇための勘。

逃げる判断。利用する判断。捨てる判断。裏切られる前に裏切る判断」

 

ツキが顔をしかめた。

 

「嫌な成長ですね」

 

「綺麗な成長が見たかったのか?」

 

「見たくはないですけど」

 

「ならこれで十分だ」

 

龍園は笑う。

 

「俺は生き残った。生き残るために、色々見た。裏社会。傭兵。

犯罪組織。格闘家。用心棒。情報屋。殺し屋崩れ。ホワイトルームの失敗作」

 

「よく生きてたな」

 

海斗が言う。

 

「しぶといんでな」

 

「それは分かった」

 

「だが、目的は変わってねぇ」

 

龍園の視線が鋭くなる。

 

「綾小路清隆」

 

その名前だけが、旧訓練施設に重く落ちた。

 

「アイツをもう一度引きずり出す」

 

海斗は腕を組む。

 

「面倒くせぇな」

 

「お前も大概だろ」

 

「オレはツキを連れ戻しに来ただけだ」

 

「ホワイトルーム本部までか?」

 

「そうだ」

 

「十分面倒くせぇよ」

 

ツキが小さく言う。

 

「否定できない」

 

海斗がツキを見る。

 

「お前が言うな。原因だろ」

 

「そうだけど」

 

「そうだけどじゃねぇ」

 

「あとで説教?」

 

「あとで説教」

 

「短めでお願い」

 

「長めにする」

 

「最悪」

 

そのやり取りを見て、龍園が喉の奥で笑った。

 

「クク……綾小路とは違うタイプだな」

 

「当たり前だ」

 

海斗は言う。

 

「アイツと一緒にすんな」

 

「だが、アイツはお前を見ている」

 

「見なくていい」

 

「そういう意味じゃねぇよ」

 

龍園は言った。

 

「綾小路は、人間に興味を持たねぇ。少なくとも、昔のアイツはそうだった」

 

海斗は少しだけ沈黙した。

 

龍園は続ける。

 

「俺だろうが、堀北鈴音だろうが、坂柳有栖だろうが、

あいつにとっては盤面上の要素でしかなかった」

 

「今は違うのか」

 

「知らねぇ」

 

龍園は笑う。

 

「だから確かめに来た」

 

「わざわざ雪山のホワイトルームまで?」

 

「ああ」

 

「暇人か」

 

「お前に言われたくねぇ」

 

ツキが思わず笑った。

 

「やっぱり同類」

 

「違う」

 

また二人同時だった。

 

舞が手を叩く。

 

「いいわね。私、この二人好きかも」

 

相馬が横から言う。

 

「お前に好かれるのは不幸だな」

 

「酷い」

 

「事実だ」

 

「相馬、あとで刺す」

 

「やめろ」

 

舞は笑っていた。

 

だが、その笑みの奥には本気が混じっている。

 

海斗はそれを見逃さなかった。

 

舞はふざけているが、危険だ。

 

龍園とも違う。

 

海斗とも違う。

 

人が傷つくことを本当に楽しむ種類の人間。

 

今は味方側のように立っているが、信用はできない。

 

相馬は逆だ。

 

冷静。

 

必要なら敵にも味方にもなる。

 

雅樹が雇った理由も分かる。

 

強さの種類が違う人間を並べている。

 

海斗。

 

龍園。

 

相馬。

 

舞。

 

全員がホワイトルームとは別の場所で作られた強者だ。

 

そして篤臣にとっては、それが不愉快なのだろう。

 

ホワイトルームの外にも強者はいる。

 

その事実を、これ以上ないほど分かりやすく突きつけているからだ。

 

雅樹が端末を見ながら言った。

 

「無駄話は終わりだ」

 

龍園が鼻で笑う。

 

「仕切るなよ」

 

「お前が勝手に出てきたせいで予定が狂っている」

 

「予定予定ってうるせぇな。予定通りに行かねぇから面白ぇんだろ」

 

「お前の面白さに付き合う義理はない」

 

「じゃあ何でまだ殺してねぇ?」

 

雅樹の目が細くなる。

 

龍園は笑う。

 

「できねぇんだろ」

 

施設の空気がさらに張り詰めた。

 

相馬が無言で銃口を下げる。

 

舞の目が輝く。

 

海斗は二人の間に入れる位置へ少しだけ重心を移した。

 

ツキもそれに気づき、後ろへ半歩下がる。

 

雅樹は低く言った。

 

「龍園」

 

「何だ」

 

「今この場でお前を殺すことはできる」

 

「ならやれよ」

 

「だが、それをすれば盤面が崩れる」

 

「崩せよ」

 

龍園は笑った。

 

「お前らは盤面盤面とうるせぇ。綾小路もそうだ。

坂柳もそうだ。月城もそうだった。全員、盤面を見てやがる」

 

一拍。

 

「だから俺は盤面を蹴り壊す」

 

その言葉だけで、龍園翔という人間の本質が分かった。

 

海斗は少しだけ口元を上げた。

 

「嫌いじゃねぇな」

 

「気が合うじゃねぇか」

 

「そこだけだ」

 

「十分だろ」

 

ツキが呆れたように言う。

 

「やっぱり仲良い」

 

「だから違う」

 

また二人同時。

 

舞は楽しそうに笑い、相馬は完全に呆れていた。

 

だが、雅樹だけは笑っていなかった。

 

彼は端末に視線を落とし、何かを確認している。

 

その表情がわずかに険しくなった。

 

「来るぞ」

 

短い言葉だった。

 

海斗がすぐに周囲を見る。

 

「精鋭か」

 

「それだけじゃない」

 

「何だ」

 

雅樹は答えない。

 

その代わり、旧訓練施設の壁面モニターが自動で起動した。

 

そこに映ったのは、地下研究棟の周辺図。

 

複数の赤い点が、この施設へ向かっている。

 

10。

 

20。

 

30。

 

さらに増える。

 

「多いな」

 

相馬が静かに言う。

 

「囲むつもりか」

 

舞は嬉しそうに肩を回した。

 

「やっと?」

 

相馬が冷たく言う。

 

「喜ぶな」

 

「無理」

 

「知っている」

 

海斗はツキを見た。

 

「下がってろ」

 

「どこに?」

 

ツキは周囲を見回す。

 

旧訓練施設は広い。

 

だが四方の扉から敵が来るなら、安全地帯はない。

 

「隠れる場所ないんだけど」

 

「作る」

 

「どうやって」

 

「知らん」

 

「雑!」

 

龍園が笑う。

 

「お前ら、戦場でも漫才してんのか」

 

「してない!」

 

ツキが言う。

 

「してるだろ」

 

龍園。

 

「してねぇ」

 

海斗。

 

「見事にしてるな」

 

相馬。

 

舞は腹を抱えて笑っている。

 

この状況で笑える人間が多すぎた。

 

だが、だからこそツキは少しだけ呼吸を整えられた。

 

怖い。

 

敵が来る。

 

ホワイトルームの精鋭が大量に来る。

 

自分は戦闘員ではない。

 

それでも、完全に膝が折れるほどではない。

 

海斗がいる。

 

相馬がいる。

 

舞がいる。

 

龍園がいる。

 

雅樹がいる。

 

まともな人間が少ない。

 

むしろ、まともではない人間しかいない。

 

でも、その異常さが今は頼もしかった。

 

 

その頃。

 

地下研究棟へ向かう連絡通路。

 

綾小路清隆、森下藍、志朗の三人は、旧訓練施設へ近づいていた。

 

通路の空気は冷たい。

 

上層とは違い、人の気配が濃い。

 

いや。

 

人の気配だけではない。

 

戦場の気配だ。

 

遠くで聞こえる足音。

 

金属の扉が開く音。

 

通信機から漏れる指示。

 

その全てが、一つの場所へ向かって集まっている。

 

森下は拾った端末を見ながら歩いていた。

 

「綾小路清隆」

 

「何だ」

 

「反応が増えています」

 

「数は」

 

「30以上。まだ増えています」

 

「旧訓練施設へ向かっているのか」

 

「はい」

 

志朗が表情を引き締める。

 

「篤臣がまとめて潰す気だな」

 

「地下研究棟ごと?」

 

森下が聞く。

 

「可能性はある」

 

「人がいても?」

 

「ホワイトルームは、必要なら切り捨てる」

 

その言葉に、森下は一瞬だけ黙った。

 

彼女はもう、それが大げさではないと理解している。

 

この施設は、人間を人間として扱わない。

 

必要か。

 

不要か。

 

使えるか。

 

使えないか。

 

ただそれだけで判断する。

 

「朝霧海斗たちは?」

 

森下が聞く。

 

「旧訓練施設にいる」

 

綾小路は端末の表示を見た。

 

朝霧海斗。

 

ツキ。

 

雅樹。

 

相馬。

 

舞。

 

識別不能反応。

 

一つ。

 

その反応の位置は、海斗たちの近くだ。

 

綾小路はその表示を見つめた。

 

「やはりいるな」

 

森下がこちらを見る。

 

「龍園翔ですか」

 

志朗がわずかに反応した。

 

「分かるのか」

 

森下は頷いた。

 

「確証はありません。

ただ、これまでの綾小路清隆と志朗の反応から推測すると、その可能性が高いです」

 

「鋭いな」

 

志朗が言う。

 

「ありがとうございます」

 

森下は端末を閉じた。

 

「ですが、問題はそこではありません」

 

「何だ」

 

綾小路が聞く。

 

「仮に龍園翔が生きていたとして、彼が敵なのか味方なのか分かりません」

 

「龍園は味方ではない」

 

綾小路は即答した。

 

森下は少しだけ笑った。

 

「では敵ですか?」

 

「それも状況による」

 

「面倒な人ですね」

 

「龍園だからな」

 

志朗が小さく言う。

 

「彼はホワイトルームの人間ではない。

だが、ホワイトルームを利用することはできる。

敵にも味方にもならず、自分の目的で動く」

 

「目的は綾小路清隆?」

 

森下が聞く。

 

綾小路は答えなかった。

 

だが、森下はその沈黙を答えとして受け取った。

 

「人気者ですね、綾小路清隆」

 

「嬉しくはない」

 

「でしょうね」

 

その時、通路の先から二人のホワイトルーム精鋭が現れた。

 

逃げ遅れた増援ではない。

 

待ち伏せ。

 

志朗が前へ出ようとしたが、綾小路が先に動いた。

 

一人目の視線が森下へ向く。

 

狙いは戦闘員ではない彼女。

 

合理的だ。

 

だが、分かりやすい。

 

綾小路はその間に入る。

 

相手の腕を取り、壁へ押しつける。

 

二人目がナイフを抜く。

 

志朗が横から入り、相手の重心を崩す。

 

森下はその間に端末を操作し、近くの扉を開けた。

 

「こちら、抜け道です」

 

「いつ見つけた」

 

綾小路が聞く。

 

「今です」

 

「有能だな」

 

「後で褒めると言いましたよね」

 

「覚えている」

 

「期待しています」

 

緊張の中でも、森下は軽口を忘れない。

 

だが、その目は真剣だった。

 

彼女も分かっている。

 

旧訓練施設で何かが始まる。

 

そしてそこに、海斗もツキもいる。

 

急ぐ必要がある。

 

三人は抜け道へ入った。

 

壁の向こうから、低い警報音が聞こえる。

 

戦場は近い。

 

 

旧訓練施設。

 

最初の扉が開いた。

 

重い金属音と共に、ホワイトルーム精鋭たちが入ってくる。

 

一人ずつではない。

 

隊列を組んでいる。

 

前列は盾。

 

中列は銃。

 

後列は制圧装備。

 

単なる生徒ではない。

 

訓練された部隊だ。

 

相馬が即座に言った。

 

「前列の盾を崩す。銃持ちは後回しにするな。撃たせる前に動け」

 

「指示すんな、おっさん」

 

海斗が言う。

 

「必要だから言っている」

 

「分かってるよ」

 

龍園が笑う。

 

「隊長経験者は違うな」

 

「茶化すな」

 

「お前の指揮、悪くねぇ」

 

「褒めているのか」

 

「半分な」

 

「残り半分は?」

 

「癖だ」

 

相馬はそれ以上返さなかった。

 

舞は両手に小型ナイフを持っている。

 

その顔には、心底嬉しそうな笑みがある。

 

「やっと遊べる」

 

ツキが嫌そうに言う。

 

「本当に怖い人ですね」

 

舞は振り返る。

 

「ツキちゃん」

 

「ちゃん付けしないでください」

 

「後ろにいてね。あなたは壊す対象じゃないから」

 

「さらっと怖いこと言わないでください」

 

「大丈夫。味方はあまり壊さないわ」

 

「少しは壊すんですね!?」

 

海斗がツキの前に出る。

 

「舞」

 

「何?」

 

「ツキに近づいたら殴る」

 

舞は目を輝かせた。

 

「嫉妬?」

 

「警告」

 

「残念」

 

「本当に残念そうにするな」

 

龍園が横で笑う。

 

「お前も苦労してんな」

 

「お前に言われると腹立つな」

 

「だろうな」

 

二つ目の扉が開く。

 

三つ目も。

 

四方から精鋭が入ってくる。

 

完全包囲。

 

旧訓練施設は、逃げ場のない戦場になった。

 

雅樹は端末を操作し、何とか一部の隔壁を遅らせようとしている。

 

だが、篤臣の権限が上回っているのだろう。

 

操作は弾かれている。

 

「面倒だな」

 

雅樹が低く言う。

 

海斗は拳を握った。

 

「いつものことだ」

 

龍園が首を鳴らす。

 

「いいじゃねぇか。数が多い方が潰しがいがある」

 

相馬が銃を構える。

 

「無駄に殺すな」

 

舞が笑う。

 

「努力する」

 

「お前は信用できない」

 

「知ってる」

 

精鋭たちの先頭に、一人の男が出た。

 

教官服。

 

海斗が地下へ来る途中で戦った男。

 

冷たい目。

 

研究者と戦闘教官が混ざったような男。

 

「排除対象を確認」

 

男は静かに言った。

 

「朝霧海斗。ツキ。雅樹。相馬。舞。龍園翔」

 

龍園が口元を歪める。

 

「名前が残ってるとは光栄だな」

 

「お前は本来、廃棄予定だった」

 

「ひでぇ言い方だな」

 

「事実だ」

 

龍園は笑った。

 

だが、その目は笑っていなかった。

 

「廃棄され損なったゴミが戻ってきたってわけか」

 

「そう認識している」

 

「なら教えてやるよ」

 

龍園は一歩前へ出た。

 

「ゴミはな、燃やせば火種になる」

 

海斗が隣に並ぶ。

 

「上手いこと言ったつもりか?」

 

「今のは悪くねぇだろ」

 

「まあまあだな」

 

「評価低いな」

 

「ツキなら三点って言う」

 

ツキが即答する。

 

「二点」

 

「ほらな」

 

「下がってんじゃねぇか」

 

舞が笑い、相馬ですらわずかに口元を緩めた。

 

教官服の男は表情を変えない。

 

「全員、拘束する」

 

「やってみろ」

 

龍園が言う。

 

「同感だ」

 

海斗が続ける。

 

次の瞬間。

 

精鋭部隊が動いた。

 

盾持ちが前へ出る。

 

銃口が上がる。

 

ワイヤーが飛ぶ。

 

催涙弾のような小型弾が撃ち込まれる。

 

海斗はツキを後ろへ押し、横へ跳んだ。

 

相馬が銃で盾の端を撃ち、前列の動きを崩す。

 

舞がその隙間へ滑り込む。

 

龍園は真正面からではなく、横の支柱を蹴って高く跳び、盾の上を越えた。

 

海斗はそれを横目で見る。

 

「派手だな」

 

龍園が空中で笑う。

 

「お前に言われたくねぇ」

 

乱戦が始まった。

 

旧訓練施設に、銃声と金属音と怒号が響く。

 

海斗は被弾を避けるのではなく、最小限の傷で前へ出る。

 

ツキの位置を常に確認しながら、近づく敵を叩き落とす。

 

相馬は冷静に射線を潰し、味方が動ける隙を作る。

 

舞は笑いながら敵の懐へ入り、過剰なほど鋭い動きで相手の戦意を折る。

 

龍園は暴力と知略を混ぜ、敵の陣形をわざと崩させ、混乱を増幅させる。

 

雅樹は端末を操作しながら、施設ロックと篤臣の制御を奪い合っている。

 

ツキは壁際で身を守りながら、敵の動きと扉の位置を見ていた。

 

戦えない。

 

だが見える。

 

「海斗、右上!」

 

ツキの声。

 

海斗は反応した。

 

上階の足場から狙っていた敵の銃口を、寸前で避ける。

 

海斗は近くの警棒を拾い、それを投げた。

 

警棒が敵の腕に当たり、銃が落ちる。

 

「助かった!」

 

「あとで感謝して!」

 

「今しただろ!」

 

「足りない!」

 

「要求が多い!」

 

龍園が敵を蹴り飛ばしながら笑う。

 

「本当に漫才してんじゃねぇか!」

 

「してねぇ!」

 

また二人同時。

 

旧訓練施設の乱戦は、完全な混沌へ変わっていく。

 

だが、その時だった。

 

施設の奥。

 

巨大なシャッターの向こうから、重い音が聞こえた。

 

金属が軋む音。

 

何かが起動する音。

 

雅樹の顔が変わった。

 

「……まずい」

 

海斗が叫ぶ。

 

「何だ!」

 

雅樹は答えない。

 

代わりに、中央モニターに文字が浮かぶ。

 

旧実験体保管区画。

 

開放準備。

 

相馬の表情が険しくなる。

 

「雅樹」

 

「俺じゃない」

 

「篤臣か」

 

「いや」

 

雅樹は画面を睨んだ。

 

「これは……もっと古い権限だ」

 

龍園が笑う。

 

「まだ隠し玉があんのかよ」

 

舞が楽しそうに言う。

 

「最高じゃない」

 

ツキは不安そうに海斗を見る。

 

海斗は舌打ちした。

 

「次から次へと」

 

その時。

 

反対側の通路から、別の足音が近づいてきた。

 

三人分。

 

綾小路清隆。

 

森下藍。

 

志朗。

 

旧訓練施設の入口に姿を現した綾小路は、乱戦の中を見渡した。

 

海斗。

 

ツキ。

 

龍園。

 

相馬。

 

舞。

 

雅樹。

 

そして、奥で開こうとしている謎の区画。

 

森下が隣で小さく呟く。

 

「……随分と賑やかですね」

 

綾小路は静かに答えた。

 

「そうだな」

 

海斗がこちらに気づく。

 

「遅ぇぞ、綾小路!」

 

綾小路は乱戦の中へ歩き出す。

 

「そちらが早すぎるだけだ」

 

龍園が笑った。

 

「よう、綾小路」

 

その声に、綾小路の視線が動く。

 

「龍園」

 

短い呼び名。

 

だが、その一言で十分だった。

 

死んだはずの因縁が、再び目の前に立っている。

 

龍園は笑う。

 

「会いたかったぜ」

 

綾小路は言った。

 

「面倒な相手が増えたな」

 

「褒め言葉か」

 

「褒めていない」

 

海斗が横から言う。

 

「お前らも漫才できるじゃねぇか」

 

ツキが頷く。

 

「同類が増えたね」

 

森下が微笑む。

 

「綾小路清隆、友達が多くて何よりです」

 

綾小路は一瞬だけ沈黙した。

 

「友達ではない」

 

「沈黙しましたね」

 

「否定の前に整理しただけだ」

 

森下は楽しそうに笑った。

 

その直後。

 

奥の巨大シャッターが、ゆっくりと開き始めた。

 

乱戦の音すら一瞬だけ遠のく。

 

白い霧のような冷気が流れ出す。

 

暗い区画の奥で、何かが動いた。

 

ホワイトルームが隠していた、さらに古い何か。

 

龍園が笑う。

 

海斗が拳を握る。

 

綾小路が目を細める。

 

志朗の表情が険しくなる。

 

雅樹が低く呟く。

 

「……最悪だな」

 

地下の亡霊は、龍園だけではなかった。




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