ザ・ダイハード・マスターピース   作:EXTERMINATION

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第51話 失敗作との戦闘

巨大シャッターが、ゆっくりと開いていく。

 

旧格闘訓練施設の奥。

 

長い間封じられていた区画。

 

その扉が動き始めた瞬間、施設内の空気が変わった。

 

銃声が止んだわけではない。

 

ホワイトルーム精鋭の足音も消えていない。

 

警報も鳴り続けている。

 

それでも、その場にいた全員が一瞬だけ意識を奪われた。

 

白い冷気が、シャッターの隙間から流れ出してくる。

 

雪山の冷たさとは違う。

 

空調で作られた冷気。

 

人間の体温を拒絶するような、人工的な冷たさ。

 

旧実験体保管区画。

 

その文字が中央モニターに浮かんでいた。

 

雅樹の顔が険しくなる。

 

「……最悪だな」

 

その声には、今までの威圧とは違うものが混じっていた。

 

焦り。

 

あるいは、嫌悪。

 

海斗はそれを見逃さなかった。

 

「おい、雅樹」

 

「何だ」

 

「あそこには何がある」

 

雅樹はすぐには答えなかった。

 

答えたくないのではない。

 

答える言葉を選んでいるようだった。

 

いや、違う。

 

どの言葉を選んでも、ろくな説明にならないことを理解している顔だった。

 

「ホワイトルームが、表に出せなかったものだ」

 

「分かりやすく言え」

 

「失敗作だ」

 

その言葉で、ツキの顔色が変わった。

 

森下藍も、綾小路清隆の横でわずかに眉を動かした。

 

志朗の表情はさらに硬い。

 

龍園翔だけが、喉の奥で低く笑った。

 

「クク……いかにもって名前じゃねえか」

 

「笑い事じゃない」

 

相馬が短く言った。

 

龍園は相馬を見る。

 

「お前も知ってんのか」

 

「噂だけだ」

 

「なら十分だろ」

 

舞はシャッターの奥を見つめていた。

 

いつもなら好戦的に笑う彼女の顔にも、少しだけ真剣さが混じっている。

 

「変な匂いがするわね」

 

「匂い?」

 

ツキが聞く。

 

舞は肩をすくめた。

 

「人を壊した場所の匂い」

 

「……趣味悪い言い方ですね」

 

「事実よ」

 

舞の声は軽い。

 

だが、冗談ではなかった。

 

海斗は前方を見据えた。

 

シャッターの奥は暗い。

 

照明が落ちている。

 

しかし、完全な闇ではない。

 

奥の方で、青白い非常灯がいくつか点滅している。

 

その光の中に、いくつものガラスケースが並んでいるのが見えた。

 

人間が入るには大きすぎるようにも、小さすぎるようにも見える。

 

まるで医療用の保管装置。

 

あるいは、研究対象を閉じ込めるための容器。

 

ツキが海斗の袖を掴む。

 

「海斗」

 

「下がってろ」

 

「分かってる」

 

「本当に分かってるか」

 

「海斗よりは」

 

「何でだよ」

 

「すぐ突っ込むから」

 

「今は突っ込まねぇ」

 

「信用できない」

 

「信用しろ」

 

「無理」

 

二人のやり取りを、森下が遠くから見ていた。

 

「朝霧海斗とツキさんは、緊張感の中でも通常運転ですね」

 

綾小路は淡々と答える。

 

「そういう関係なのだろう」

 

「綾小路清隆も、少し見習いますか?」

 

「何を」

 

「緊張を軽くする会話術です」

 

「必要ない」

 

「そういうところです」

 

「どういうところだ」

 

森下は少しだけ笑った。

 

「今の返しが、もう少しだけ面白くなれば完璧です」

 

「求めていない」

 

志朗が低く言う。

 

「話している場合じゃない」

 

「分かっている」

 

綾小路は旧実験体保管区画を見た。

 

その目に、過去の記憶が重なる。

 

ホワイトルームでは、成功例だけが価値を持つ。

 

結果を出した者。

 

耐えた者。

 

残った者。

 

そういう者だけが記録される。

 

だが、その裏には必ず失敗がある。

 

脱落。

 

廃棄。

 

調整不能。

 

不適合。

 

そう呼ばれた人間たち。

 

自分は成功例と呼ばれた。

 

なら、その反対側に何があったのか。

 

見るべきなのだろう。

 

そう思った。

 

一方で、見たくないとも思った。

 

ホワイトルームに戻ったわけではない。

 

終わらせるために来た。

 

だが、終わらせるためには、ここにあるものを見なければならない。

 

篤臣が作ったもの。

 

篤臣が隠したもの。

 

ホワイトルームが犠牲にしてきたもの。

 

すべてを。

 

「綾小路清隆」

 

森下が静かに言った。

 

「大丈夫ですか?」

 

「問題ない」

 

「問題ある人ほど、そう言いそうですね」

 

「そうかもしれない」

 

森下は少しだけ目を丸くした。

 

「否定しないんですね」

 

「否定する材料がない」

 

「では覚えておきます」

 

「何を」

 

「綾小路清隆も、問題ないと言いながら問題があることがある」

 

「当たり前だ」

 

「当たり前を認めるのは、少し人間らしいです」

 

綾小路は答えなかった。

 

その沈黙を、森下は満足そうに受け取った。

 

その時、旧実験体保管区画の奥から音がした。

 

金属が擦れるような音。

 

何かが床を引きずる音。

 

海斗が身構える。

 

相馬が銃を構える。

 

舞はナイフを握る。

 

龍園は笑みを消さないまま、重心を低くした。

 

志朗は綾小路の隣へ並ぶ。

 

雅樹は低く言った。

 

「来るぞ」

 

奥から現れたのは、人間だった。

 

少なくとも、人間の形をしていた。

 

白い拘束衣。

 

痩せた身体。

 

長く伸びた髪。

 

顔は俯いていてよく見えない。

 

一人。

 

その後ろに、もう一人。

 

さらに、三人目。

 

数は多くない。

 

だが、彼らから発せられる気配は異様だった。

 

怒りではない。

 

殺意でもない。

 

意思が薄い。

 

まるで、何かの命令にだけ反応するような空虚さ。

 

ツキが息を呑む。

 

「何……あれ」

 

雅樹が答える。

 

「旧世代の実験体だ」

 

「人間ですよね?」

 

「人間だ」

 

「本当に?」

 

雅樹はツキを見た。

 

「そこを疑いたくなるようにしたのが、この施設だ」

 

海斗の拳が握られる。

 

「ふざけてんな」

 

「ふざけてはいない」

 

雅樹の声は低い。

 

「本気でやったから救いようがない」

 

旧実験体の一人が、突然動いた。

 

速い。

 

見た目からは想像できない速度だった。

 

床を蹴り、盾を持ったホワイトルーム精鋭の一人へ突っ込む。

 

精鋭が反応する。

 

盾を構える。

 

だが、その上から押し潰すように体当たりが入った。

 

盾ごと後方へ吹き飛ぶ。

 

周囲の精鋭たちが一斉に動く。

 

銃口が向く。

 

相馬が叫んだ。

 

「撃つな!跳弾する!」

 

だが遅い。

 

銃声。

 

旧訓練施設に弾丸が飛び交う。

 

旧実験体は銃撃を避けるというより、痛みを無視して前へ出た。

 

致命傷を避ける動きではない。

 

そもそも痛みを恐れていない。

 

いや、感じていない可能性すらある。

 

海斗は舌打ちした。

 

「面倒なタイプだな」

 

龍園が笑う。

 

「お前と似てるじゃねえか」

 

「一緒にすんな」

 

「被弾前提で前に出るところなんざ、そっくりだろ」

 

「オレは痛いの嫌いだ」

 

「嘘つけ」

 

「本当だ」

 

ツキが横から言う。

 

「海斗は痛いの嫌いなくせに避けないだけ」

 

「余計な解説すんな」

 

森下が少し遠くから呟いた。

 

「なるほど。朝霧海斗は痛覚を無視しているのではなく、

痛いことを嫌がりながら突っ込むんですね」

 

綾小路が答える。

 

「その方が厄介だな」

 

「どうしてですか?」

 

「痛みを理解した上で前に出るなら、判断が残っている」

 

森下は頷いた。

 

「旧実験体は、判断が薄い」

 

「そう見える」

 

志朗が言った。

 

「命令で動いている。おそらく、管制系統から直接行動指令が出ている」

 

「篤臣か」

 

綾小路が聞く。

 

志朗は首を振る。

 

「いや。もっと古いシステムだ。篤臣が直接動かしているというより、

旧実験体保管区画の開放に反応して自動起動している」

 

雅樹が端末を見ながら言う。

 

「その通りだ」

 

海斗が叫ぶ。

 

「お前、説明してる暇あったら止めろ!」

 

「やっている!」

 

「遅い!」

 

「ならお前が端末を叩け!」

 

「壊すぞ!」

 

「壊したら余計に暴走する!」

 

「先に言え!」

 

「言っている!」

 

ツキが頭を抱える。

 

「こんな時まで喧嘩しないで!」

 

舞が笑う。

 

「いいわねぇ。賑やかで」

 

「お前も笑ってないで動け」

 

相馬が言う。

 

「動いてるわよ」

 

舞はその言葉通り、すでに旧実験体の一人の背後へ回り込んでいた。

 

ナイフは使わない。

 

代わりに足を狙う。

 

膝の裏へ蹴り。

 

旧実験体の体勢が崩れる。

 

だが倒れない。

 

舞は目を細めた。

 

「痛覚、かなり鈍いわね」

 

「遊ぶな」

 

相馬が銃を撃つ。

 

狙いは胴体ではない。

 

天井の配管。

 

撃ち抜かれた配管から冷却水が噴き出し、床を濡らす。

 

旧実験体の足元が滑る。

 

そこへ相馬が近づき、関節を固める。

 

「力はあるが、重心は単純だ」

 

旧実験体は腕を振り回し、相馬を引き剥がそうとする。

 

だが相馬は正面から力を競わない。

 

相手の肘を外側へ捻り、肩の可動域を封じながら、濡れた床へ体重を逃がした。

 

旧実験体の足が滑る。

 

片膝が床へ落ちる。

 

その瞬間、舞が横から踏み込んだ。

 

「そこね!」

 

踵が旧実験体の側頭部へ直撃する。

 

鈍い音。

 

それでも相手は倒れ切らず、空いた手で舞の足首を掴んだ。

 

「しつこい男は嫌われるわよ」

 

舞は掴まれた足を無理に引かず、自分から身体を回転させた。

 

反対の脚が弧を描き、旧実験体の顎を打ち抜く。

 

相馬が関節を固めたまま重心を崩す。

 

旧実験体の身体が横倒しになった。

 

だが、背後から別の個体が相馬へ迫る。

 

拳が振り下ろされる。

 

相馬は舞を押し退け、自分も横へ転がった。

 

拳が床へ叩きつけられ、濡れたコンクリートにひびが走る。

 

「危ないじゃない」

 

「避けさせた」

 

「もう少し優しくできないの?」

 

「戦場で求めることではない」

 

相馬は立ち上がると、迫ってきた旧実験体の懐へ入った。

 

肘を胸元へ押し込み、足を掛ける。

 

旧実験体は踏ん張る。

 

相馬はすぐに投げを諦めた。

 

代わりに相手の腕を脇へ抱え、肩を支点にして前方へ引く。

 

動かないなら、動く方向を限定する。

 

旧実験体の上半身が僅かに傾く。

 

その隙を舞は逃さなかった。

 

濡れた床を滑るように接近し、膝へ二度蹴りを入れる。

 

一度目で踏ん張りを崩し、二度目で完全に軸を折る。

 

旧実験体が前へ倒れ込む。

 

相馬はその勢いを利用し、顔面を床へ叩きつけた。

 

舞が髪を払いながら笑う。

 

「息ぴったりじゃない」

 

「お前が勝手に合わせているだけだ」

 

「照れなくてもいいのよ」

 

「黙って次を見ろ」

 

相馬の視線の先では、倒れたはずの旧実験体が再び立ち上がろうとしていた。

 

舞の笑みが少し深くなる。

 

「本当に頑丈ね」

 

相馬は銃を構え直した。

 

「なら、立てなくなるまで崩す」

 

舞も腰を落とす。

 

「賛成」

 

二人は同時に動いた。

 

龍園は別の旧実験体へ向かっていた。

 

正面から拳を叩き込む。

 

鈍い音が白い廊下へ響く。

 

旧実験体の首が僅かに傾いた。

 

だが倒れない。

 

龍園は口元を吊り上げる。

 

「いいねぇ。頑丈じゃねぇか」

 

返答はない。

 

旧実験体は無機質な瞳のまま拳を突き出した。

 

一直線。

 

無駄のない最短軌道。

 

龍園は半身になって躱し、その腕を叩き落とすと肘を顎へ打ち上げる。

 

乾いた音。

 

旧実験体の身体が仰け反る。

 

しかし、それでも膝をつかない。

 

「そうこなくちゃ面白くねぇ!」

 

龍園は笑いながら一歩踏み込んだ。

 

拳。

 

掌底。

 

膝蹴り。

 

三連撃。

 

その全てを旧実験体は腕で受け止める。

 

受け流すのではない。

 

真正面から受け切る。

 

龍園はすぐに理解した。

 

「力任せじゃねぇな」

 

攻撃のたびに旧実験体の足運びを見る。

 

右足に体重を残す癖。

 

左肩が僅かに前へ出る癖。

 

攻撃前に視線が一瞬だけ腰へ落ちる癖。

 

龍園は殴りながら観察していた。

 

ただ暴れているように見えて、その実、一つひとつの情報を頭へ叩き込んでいる。

 

旧実験体が右の回し蹴りを放つ。

 

龍園は半歩引いて空振りさせる。

 

蹴り足が戻る瞬間を狙い、軸足へ低いローキックを叩き込んだ。

 

体勢が崩れる。

 

そこへ肩からぶつかり、胸倉を掴む。

 

「寝てろ!」

 

頭突き。

 

額と額が激しくぶつかる。

 

旧実験体の身体がよろめいた。

 

だが、そのまま龍園の腹へ膝を突き上げる。

 

「ぐっ……!」

 

鈍い衝撃が腹を貫く。

 

龍園は二歩下がる。

 

息が詰まる。

 

それでも笑みは消えなかった。

 

「そういう反撃、嫌いじゃねぇ」

 

再び距離を詰める。

 

今度は殴らない。

 

右拳を見せておいて途中で止める。

 

旧実験体が腕を上げた瞬間、龍園は身体を沈め、足払いを放った。

 

足首を払われた旧実験体が僅かに浮く。

 

龍園はその身体を両肩で押し込み、壁へ叩きつけた。

 

コンクリートに亀裂が走る。

 

それでも旧実験体は立ち上がる。

 

「やっぱり簡単には終わらねぇか」

 

少し離れた場所では、綾小路も別の旧実験体と向き合っていた。

 

相手は龍園と戦う個体より一回り大柄だった。

 

拳を握る。

 

一歩踏み込む。

 

旧実験体も同時に動いた。

 

拳と拳。

 

互いに真正面からぶつかる。

 

衝撃が腕を伝う。

 

旧実験体はそのまま左拳を放つ。

 

綾小路は最小限の動きで首を傾ける。

 

紙一重。

 

拳が頬を掠める。

 

その瞬間、綾小路の右手が旧実験体の肘へ触れた。

 

押したわけでもない。

 

掴んだわけでもない。

 

ほんの僅かに軌道を変えただけだった。

 

旧実験体の重心が崩れる。

 

綾小路は踏み込み、肩を入れる。

 

体当たりにも見える動きだった。

 

しかし実際には、相手の重心を利用した崩しだった。

 

旧実験体の身体が横へ流れる。

 

綾小路は逃がさない。

 

肩を掴み、そのまま床へ叩きつけた。

 

畳ではない。

 

硬いコンクリート。

 

鈍い衝撃音。

 

旧実験体がすぐに起き上がる。

 

綾小路は冷静に呼吸を整えた。

 

「耐久力は高い」

 

呟きながら相手を見る。

 

筋肉の動き。

 

肩の可動域。

 

足裏の接地。

 

呼吸。

 

一つとして見逃さない。

 

旧実験体が今度は連続で拳を放つ。

 

右。

 

左。

 

右。

 

左。

 

綾小路は全てを最小限の動きで躱す。

 

避けるたびに距離が縮まる。

 

相手は気付いていない。

 

気付いた時には遅い。

 

綾小路は胸元へ掌底を叩き込み、その反動で顎へ肘を打ち上げた。

 

さらに足を払う。

 

旧実験体が倒れかける。

 

綾小路はその腕を掴み、背負うように身体を返した。

 

一本背負い。

 

旧実験体が宙を舞う。

 

床へ激突。

 

その勢いで天井の照明が揺れた。

 

一方、海斗も激しい格闘を繰り広げていた。

 

旧実験体は二人。

 

左右から同時に襲い掛かる。

 

海斗は銃をホルスターへ戻した。

 

「だったら付き合ってやる」

 

右の敵が拳を突き出す。

 

海斗はその拳を受け止めるのではなく、自分から前へ出た。

 

肩がぶつかる。

 

距離を消す。

 

肘打ち。

 

鳩尾。

 

続けて膝蹴り。

 

右の旧実験体が一瞬だけ動きを止める。

 

そこへ左側の敵が蹴りを放った。

 

海斗は振り向かない。

 

背後から来る気配だけで身を沈める。

 

蹴りが頭上を通過する。

 

その足首を片手で掴み、思い切り引いた。

 

旧実験体の身体が宙へ浮く。

 

海斗はそのまま壁へ投げ飛ばした。

 

「一人ずつ来いって教わらなかったか?」

 

返事はない。

 

二人同時に立ち上がる。

 

「そうだよな。そんな教育じゃねぇか」

 

今度は海斗から動いた。

 

床を蹴る。

 

一直線。

 

右拳。

 

左拳。

 

フェイントなし。

 

実戦で磨いた無駄のない連撃だった。

 

右の旧実験体が腕で防ぐ。

 

その瞬間、海斗は拳を止めた。

 

代わりに肩からぶつかる。

 

相手の身体が浮く。

 

そこへ肘。

 

さらに回し蹴り。

 

旧実験体が床を滑った。

 

だが、もう一体が背後へ迫る。

 

海斗は振り返らない。

 

右足だけを後ろへ蹴り上げる。

 

踵が腹へめり込む。

 

敵が僅かによろける。

 

海斗は身体を回転させ、その勢いのまま後ろ回し蹴りを放った。

 

側頭部へ直撃。

 

旧実験体が壁へ叩きつけられる。

 

海斗は息を吐いた。

 

「さすがにタフだな」

 

その様子を見た龍園が口笛を吹く。

 

「やるじゃねぇか」

 

海斗は横目だけを向ける。

 

「そっちもな」

 

龍園が笑う。

 

「惚れたか?」

 

「殴るぞ」

 

「後にしろ」

 

「今でもいい」

 

「忙しいんだよ」

 

「だろうな」

 

二人が笑った、その瞬間だった。

 

綾小路が静かに口を開く。

 

「まだ来る」

 

廊下の奥。

 

複数の足音。

 

新たな旧実験体が姿を現す。

 

龍園は首を鳴らした。

 

「今日は本当にサービスがいいじゃねぇか」

 

海斗は拳を握り直す。

 

「帰ったら腕上がらねぇな、こりゃ」

 

綾小路は前だけを見ていた。

 

「終わらせるぞ」

 

「ああ」

 

「当然だ」

 

「最後まで付き合うぜ」

 

三人は互いに頷き合う。

 

そして再び、それぞれの敵へ向かって駆け出した。

 

白い廊下に、拳と拳がぶつかる重い音が何度も響き渡った。

 

三人の会話の横で、ツキが呆れた顔をしている。

 

「何で戦いながら喋れるの……」

 

森下が近づきすぎない距離で答える。

 

「慣れではないでしょうか」

 

「森下さんも冷静ですね」

 

「怖いですよ」

 

「そう見えません」

 

「見えないようにしています」

 

ツキは森下を見る。

 

森下藍。

 

敬語。

 

落ち着いた表情。

 

観察眼。

 

毒舌。

 

そして、こういう場所に来ても折れない妙な胆力。

 

ツキは少しだけ思った。

 

確かに、気が合うかもしれない。

 

ただし、仲良くなると綾小路清隆と海斗が苦労するだろう。

 

それは少し面白い。

 

「ツキ」

 

森下が言った。

 

「はい」

 

「今、何か良からぬことを考えましたね」

 

「考えてません」

 

「嘘ですね」

 

「森下さん、綾小路清隆みたいなこと言いますね」

 

「それは少し不本意です」

 

「そこなんですか?」

 

「はい」

 

二人の会話を、海斗と綾小路がほぼ同時に聞いていた。

 

海斗が言う。

 

「おい、何であいつら仲良くなりそうなんだ」

 

綾小路が答える。

 

「相性がいいのだろう」

 

「最悪だな」

 

「同感だ」

 

「お前と意見が合うと嫌な予感がする」

 

「それはこちらも同じだ」

 

龍園が笑った。

 

「お前ら全員、緊張感ねぇな」

 

舞が旧実験体をかわしながら言う。

 

「私は好きよ、この空気」

 

相馬が即座に返す。

 

「お前に好かれる空気は危険だ」

 

「酷い」

 

「事実だ」

 

戦場は混乱していた。

 

旧実験体。

 

ホワイトルーム精鋭。

 

海斗たち。

 

綾小路たち。

 

本来なら三つ巴どころではない乱戦になるはずだった。

 

だが、状況は少しずつ変わっている。

 

旧実験体は敵味方の区別が曖昧だ。

 

近くで動く者へ反応している。

 

ホワイトルーム精鋭も、旧実験体の制御に手を焼いている。

 

つまり。

 

利用できる。

 

綾小路はそれを見ていた。

 

「志朗」

 

「何だ」

 

「旧実験体の反応条件は?」

 

「移動速度、熱源、音、そして特定の命令信号だと思う」

 

「音に反応するなら誘導できる」

 

「できるが危険だ」

 

「危険でない選択肢があるか?」

 

志朗は少しだけ笑った。

 

「ないな」

 

森下が端末を見ながら言う。

 

「綾小路清隆、旧実験体の制御信号らしきものがあります。

ただ、暗号化されています」

 

「解除できるか」

 

「時間があれば」

 

「どれくらい」

 

「この状況では、かなり無理があります」

 

「なら一部だけでいい」

 

「一部?」

 

「誘導信号をずらせるか」

 

森下は画面を見つめた。

 

「……可能性はあります」

 

「やれ」

 

「はい、綾小路清隆」

 

森下は端末を操作し始めた。

 

ツキがそれを覗き込む。

 

「手伝えることありますか」

 

「この配列、見てください。繰り返しになっている箇所があります」

 

「こことここ?」

 

「そうです。ツキ、観察力ありますね」

 

「森下さんほどではないです」

 

「では二人で綾小路清隆と朝霧海斗を観察しますか」

 

「面白そうですね」

 

「やめろ!」

 

海斗の声。

 

「やめてくれ」

 

綾小路の声。

 

二人同時ではなかったが、意味は同じだった。

 

ツキと森下は顔を見合わせる。

 

そして同時に、少しだけ笑った。

 

「これは」

 

森下が言う。

 

「仲良くなれそうですね」

 

「ですね」

 

ツキが頷く。

 

海斗は旧実験体を避けながら言った。

 

「最悪だ」

 

綾小路も短く言う。

 

「同感だ」

 

龍園が笑う。

 

「お前ら、本当に面白ぇな」

 

相馬が旧実験体の腕を押さえながら言う。

 

「笑っている場合ではない」

 

「笑える時に笑っとくんだよ」

 

龍園は旧実験体の膝を蹴り、体勢を崩す。

 

「死にかけると分かるぜ」

 

その言葉には、軽さと重さが同居していた。

 

綾小路は一瞬だけ龍園を見る。

 

龍園も気づいた。

 

二人の視線が交差する。

 

高育時代から続く因縁。

 

白銀禁止区域を越えて生き残った執念。

 

そして今、同じ戦場にいる。

 

龍園は笑った。

 

「後でやろうぜ、綾小路」

 

「今は先に片づけるものがある」

 

「分かってるよ」

 

「ならいい」

 

「つまらねぇ返しだな」

 

「面白さは求めていない」

 

「そういうところだぜ」

 

海斗が割り込む。

 

「お前ら、今度はこっちで漫才か?」

 

龍園が言う。

 

「お前に言われたくねぇ」

 

綾小路は何も言わなかった。

 

森下が呟く。

 

「綾小路清隆、今のは否定しないんですね」

 

「否定する余裕がない」

 

「余裕があれば否定するんですね」

 

「そうだな」

 

「覚えておきます」

 

その間に、森下とツキの操作で制御信号が一部ずれた。

 

旧実験体の動きが変わる。

 

近くの音ではなく、特定方向の警報音へ反応し始めた。

 

綾小路が即座に判断する。

 

「海斗、右奥の警報器を壊せ」

 

「命令すんな」

 

「必要だ」

 

「分かったよ!」

 

海斗は近くの精鋭を蹴り飛ばし、右奥へ走る。

 

旧実験体が反応して追う。

 

海斗は警報器の下へ滑り込み、拳銃を抜く。

 

撃つ。

 

警報器が破壊され、別の警報器へ信号が移る。

 

旧実験体の進行方向が変わる。

 

そこへ相馬が冷却水で足場を滑らせ、

龍園が横から崩し、志朗が関節を押さえ、綾小路が動きを止める。

 

連携。

 

即席とは思えない連携だった。

 

ただし、綺麗ではない。

 

海斗は雑。

 

龍園は荒い。

 

舞は危険。

 

相馬は冷静。

 

志朗は柔らかい。

 

綾小路は最小限。

 

森下とツキは観察と補助。

 

全員が違う。

 

ホワイトルームが嫌う種類の強さ。

 

統一されていない。

 

管理されていない。

 

だが、だからこそ予測しづらい。

 

旧実験体の一体がついに床へ沈んだ。

 

殺してはいない。

 

動けないようにしただけだ。

 

残り二体。

 

だが、動きは鈍っている。

 

ホワイトルーム精鋭も大きく崩れている。

 

戦況は傾き始めた。

 

その時。

 

施設全体に、別の音が響いた。

 

低周波のような音。

 

耳ではなく、頭の奥に直接響くような不快な振動。

 

全員の動きが一瞬止まる。

 

海斗が顔をしかめる。

 

「何だ、これ」

 

ツキも耳を押さえる。

 

「気持ち悪い……」

 

森下が端末を見る。

 

「新しい信号です」

 

「旧実験体用か?」

 

綾小路が聞く。

 

森下の顔が強張る。

 

「違います」

 

志朗が壁のスピーカーを見上げる。

 

「まさか」

 

雅樹の顔色が変わった。

 

「篤臣……!」

 

低周波音が強くなる。

 

旧実験体の動きが止まる。

 

ホワイトルーム精鋭たちも膝をつく者が出る。

 

そして、相馬が頭を押さえた。

 

舞の笑みが消える。

 

龍園が舌打ちする。

 

雅樹の手が震える。

 

海斗がそれに気づく。

 

「おい」

 

相馬の目が変わった。

 

冷静な目から、別のものへ。

 

命令を受けた兵士の目。

 

舞の口元がゆっくりと歪む。

 

好戦性が増幅されていく。

 

龍園の視線が綾小路へ固定される。

 

執着が、濃くなる。

 

雅樹は歯を食いしばっている。

 

だが、その目にも危険な光が宿り始めていた。

 

森下が震える声で言った。

 

「綾小路清隆……これは……」

 

綾小路は低く答えた。

 

「洗脳装置か」

 

志朗が呻く。

 

「感情と闘争本能を増幅している……完全支配じゃない。本人の根を利用している」

 

海斗が相馬を見る。

 

「相馬!」

 

相馬は銃を構えた。

 

狙いは海斗。

 

舞がナイフを握り直す。

 

龍園がゆっくり綾小路へ向き直る。

 

雅樹が志朗を睨む。

 

篤臣の声がスピーカーから流れた。

 

『外の強者とやらを、互いに潰し合わせる』

 

低く、冷たい声。

 

『証明してみろ、清隆』

 

ホワイトルームが、次の牙を剥いた。




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