ザ・ダイハード・マスターピース   作:EXTERMINATION

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第59話 ホワイトルームとの決別

第一の扉が開いた。

 

中央管制区画へ続く通路は、狭かった。

 

白い壁。

 

赤い警告灯。

 

揺れる床。

 

背後ではまだ爆発音が続いている。

 

海斗は走りながら舌打ちした。

 

「くそったれ」

 

綾小路は前だけを見る。

 

「龍園は自分で選んだ」

 

「分かってる」

 

「なら進むしかない」

 

「分かってるって言ってんだろ」

 

海斗の声は荒い。

 

だが足は止まらない。

 

左から迫る敵の銃口を読み、海斗はあえて真正面から距離を詰めた。

 

普通なら避ける。

 

だが海斗は違う。

 

撃たれる前に、撃ちにくい距離へ入る。

 

盾兵が前へ出る。

 

海斗は床に転がっていた金属製の訓練器具を足で蹴り上げた。

 

鈍い音。

 

器具が盾へ激突する。

 

盾兵の視線が一瞬だけそちらへ向く。

 

海斗はその瞬間を逃さない。

 

真正面から肩をぶつけた。

 

体格では相手が上。

 

だが勢いはこちらが上だった。

 

盾がわずかに浮く。

 

海斗はその下へ足を差し込み、無理やり持ち上げる。

 

「邪魔だ!」

 

盾兵の身体が後ろへ仰け反る。

 

そのまま盾ごと押し込み、後列の射手へ叩きつけた。

 

二人まとめて倒れる。

 

海斗は倒れた盾を踏み台にして飛び越え、そのまま次の敵陣へ突っ込んだ。

 

ツキは息を呑んだ。

 

「海斗、相変わらず雑……」

 

森下が冷静に言う。

 

「ですが効果的です」

 

坂柳は静かに頷いた。

 

「綾小路くんとはまるで違う戦い方ですね」

 

「もちろん、海斗の方が強いです」

 

ツキが即答する。

 

森下も即答する。

 

「綾小路清隆です」

 

「海斗」

 

「綾小路清隆」

 

坂柳は小さく笑った。

 

「この状況で議論できるのは、ある意味すごいですね」

 

相馬が綾小路と海斗の横へ並んだ。

 

「前方、上部通路に狙撃兵」

 

綾小路は視線を上げる。

 

赤い光の奥に、細い射線が見えた。

 

相馬が先に撃つ。

 

一発。

 

狙撃兵の照準がずれる。

 

海斗がその隙に走り、壁を蹴って上部通路へ飛び移る。

 

「相馬!」

 

「右だ」

 

相馬の声に合わせ、海斗が身体を捻る。

 

右側の兵士が構える前に、海斗が銃を弾いた。

 

相馬は下から援護する。

 

特殊部隊仕込みの動きだった。

 

海斗の直感。

 

相馬の戦術。

 

二つが噛み合う。

 

海斗は笑った。

 

「おっさん、やるじゃねえか」

 

「おっさんではない」

 

「今そこ訂正するか?」

 

「重要だ」

 

相馬は淡々と撃つ。

 

海斗は思わず笑った。

 

その一瞬、二人の息が完全に合った。

 

狙撃兵がさらに現れる。

 

一人。

 

二人。

 

三人。

 

相馬は通路の奥を見た。

 

「ここで止める」

 

海斗が振り返る。

 

「何言ってんだ」

 

「上を潰さなければ全員撃たれる」

 

「なら一緒にやる」

 

「お前は清隆と行け」

 

「ふざけんな」

 

相馬は海斗を見た。

 

その目は静かだった。

 

「朝霧海斗。お前は前へ行く人間だ」

 

海斗の顔が歪む。

 

「勝手に決めんな」

 

「合理的判断だ」

 

「だからおっさんのそういうとこ嫌いなんだよ」

 

相馬はわずかに笑った。

 

「おっさんではない」

 

それが最後の軽口だった。

 

相馬は上部通路へ単独で走った。

 

狙撃兵の射線が彼へ集中する。

 

海斗は一歩踏み出しかけた。

 

綾小路が肩を掴む。

 

「行くぞ」

 

「……くそ」

 

相馬の銃声が背後で響く。

 

一発ずつ。

 

確実に。

 

狙撃兵が倒れていく。

 

だが相馬の身体も撃たれていた。

 

それでも彼は膝をつかない。

 

最後の狙撃兵が銃を構える。

 

相馬はそれより早く撃った。

 

相手が倒れる。

 

同時に、相馬も壁にもたれた。

 

「上は……潰した」

 

声は通信越しに届いた。

 

海斗は走りながら歯を食いしばる。

 

「相馬!」

 

返事はなかった。

 

相馬が潰した射線の先に、第二の道が開いた。

 

舞はそこで立ち止まった。

 

管制区画へ続く分岐路。

 

その先に、敵司令班がいた。

 

戦闘員ではない。

 

だが指揮を執っている。

 

彼らが残れば、まだ部隊は動き続ける。

 

舞はナイフを握り直した。

 

肩から血が流れている。

 

足も引きずっている。

 

それでも目は死んでいない。

 

ツキが彼女を見る。

 

「舞さん」

 

舞は一瞬だけツキを見た。

 

かつて自分が傷つけた少女。

 

今は同じ側にいる少女。

 

舞は小さく笑った。

 

「変な顔しないで」

 

「……してません」

 

「してるわよ」

 

舞は敵司令班のいる通路を見た。

 

「私は、私の意思で行く」

 

海斗が言う。

 

「戻れよ」

 

「命令?」

 

「お願いだ」

 

舞は少しだけ驚いた顔をした。

 

そして笑った。

 

「朝霧海斗がお願いね。明日は雪でも降るかしら」

 

「もう降ってる」

 

「そうだったわね」

 

舞は通路へ向かった。

 

「ツキ」

 

「はい」

 

「前にしたことは消えない」

 

ツキは黙って聞いた。

 

舞は続ける。

 

「だから、最後くらい役に立つわ」

 

「……最後なんて言わないでください」

 

「優しいのね」

 

舞は背を向けた。

 

「でも、嫌いじゃない」

 

敵司令班が気づき、銃口を向ける。

 

舞は走った。

 

負傷しているとは思えない速度だった。

 

弾丸が壁を叩く。

 

舞は低く潜り、机を蹴り、敵の懐へ飛び込む。

 

ナイフが閃く。

 

通信機が壊れる。

 

制御端末が火花を散らす。

 

敵が爆薬を起動しようとする。

 

舞はその腕を掴んだ。

 

そして笑った。

 

「悪いけど、一人では行かせないわ」

 

爆発。

 

通路の奥が炎に包まれた。

 

舞の姿は見えなくなった。

 

ツキは唇を噛んだ。

 

森下が静かに言う。

 

「行きましょう」

 

坂柳も頷く。

 

「彼女が作った時間を無駄にしてはいけません」

 

舞が壊した司令系統の先に、第三の道が開いた。

 

最深部へ近づくほど、施設は激しく揺れていた。

 

綾小路、海斗、志朗、雅樹。

 

そして後方に森下、ツキ、坂柳。

 

人数は減った。

 

音も減った。

 

だが重みだけが増していた。

 

志朗がふと笑った。

 

「清隆」

 

「何だ」

 

「外は面白かった」

 

綾小路は歩みを止めない。

 

「ああ」

 

「コンビニで飲み物を選ぶだけで30分かかった」

 

「長すぎる」

 

「友達に笑われた」

 

「そうか」

 

「でも、悪くなかった」

 

志朗の声は穏やかだった。

 

その直後、隔壁が降りた。

 

綾小路たちの前後を分断するように、厚い白い壁が落ちる。

 

志朗だけが向こう側に残された。

 

向こうの通路に、敵が大量に現れる。

 

海斗が叫ぶ。

 

「志朗!」

 

志朗は振り返らなかった。

 

ただ、隔壁越しに声だけを返した。

 

「清隆」

 

「何だ」

 

「一生分楽しんだ。だから後悔はない」

 

綾小路は少しだけ目を伏せた。

 

「ああ」

 

「なら良かった」

 

敵の足音が迫る。

 

志朗は構えた。

 

銃は持っていない。

 

拾った警棒だけ。

 

それでも彼は笑っていた。

 

「俺は先に外へ出た。でも、お前はもっと先へ行け」

 

綾小路は拳を握る。

 

「志朗」

 

「振り返るな」

 

志朗の声は強かった。

 

「俺も龍園と同じだ。見送られる趣味はない」

 

海斗が歯を食いしばる。

 

綾小路は前を向いた。

 

「行くぞ」

 

背後で志朗の戦いが始まった。

 

鈍い衝突音。

 

足音。

 

倒れる音。

 

志朗は最後まで通路を守り続けた。

 

かつて自由を求めて白い部屋を出た男は、

 

最後に、他人を前へ進ませるために白い部屋へ残った。

 

志朗が残した沈黙の先に、第四の道が開いた。

 

中央管制区画。

 

そこは、ホワイトルームの心臓だった。

 

巨大なモニター。

 

無数の端末。

 

施設全体を管理する制御卓。

 

そして、その中央に綾小路篤臣がいた。

 

白い照明の下で、彼は一切動揺していなかった。

 

背後には職員が数名。

 

だが雅樹が一歩前へ出ると、彼らは退いた。

 

雅樹の顔には深い疲労があった。

 

だが、それ以上に長年積もった怒りがあった。

 

「篤臣」

 

篤臣は視線だけを向ける。

 

「雅樹か」

 

「長い付き合いだったな」

 

「無駄に長かった」

 

「そうだな」

 

雅樹は銃を構えた。

 

「お前は人間を作ろうとした」

 

篤臣は即座に言った。

 

「違う」

 

「違わない」

 

「私は人間を完成させようとした」

 

雅樹の目が細くなる。

 

「違う」

 

一歩。

 

「お前は人間を壊しただけだ」

 

篤臣の表情がわずかに変わった。

 

雅樹は続ける。

 

「才能のない者を壊した」

 

一歩。

 

「才能のある者も壊した」

 

さらに一歩。

 

「綾小路清隆すら、お前にとっては息子ではなく成果物だった」

 

篤臣は冷たく言った。

 

「成果を出す者に価値がある」

 

「だからお前は失敗した」

 

雅樹と篤臣は、ほぼ同時に引き金を引いた。

 

二つの銃声が重なり、中央管制区画へ鋭く反響する。

 

放たれた弾丸は互いの肩口を正確に捉え、血飛沫が白い床へ散った。

 

しかし二人とも苦痛に顔を歪めることなく、そのまま次の動作へ移っていた。

 

篤臣は片腕を負傷しながらも照準を乱さず、

身体を半歩だけ横へ流して制御卓を遮蔽物として利用する。

 

一方の雅樹も撃たれた肩を庇うことなく前へ出ると、

砕けた端末を蹴り上げ、その破片を目くらまし代わりに篤臣へ浴びせた。

 

火花を散らしながら液晶モニターが割れ、飛び散ったガラス片が二人の間を舞う。

 

篤臣は迷わず残っていた端末へ発砲し、

制御卓そのものを破壊しながら雅樹の退路を断つ。

 

その判断は冷酷かつ合理的で、

長年ホワイトルームを率いてきた男らしい迷いのないものだった。

 

「ホワイトルームは必要だ」

 

篤臣は静かに言い放ちながら、破壊された制御卓を飛び越えて一気に間合いを詰める。

 

「凡人に世界を任せれば、やがて組織は腐敗する。

感情で判断する者は必ず誤り、不完全な教育は不完全な人間しか生み出さない。

だからこそ、私は人間を最適化する必要があった。」

 

その言葉と同時に放たれた掌底を雅樹は辛うじて受け止めたが、

衝撃に押されて数歩後退する。

 

篤臣はその隙を逃さず、肘打ちから膝蹴りへと流れるように攻撃を繋げ、

まるで長年鍛え続けた武術家のような滑らかな連撃で雅樹を追い詰めていく。

 

雅樹は腕で受けながら苦笑した。

 

「相変わらずだな……理屈ばかりは一流だ」

 

篤臣は容赦なく右拳を突き出す。

 

雅樹はその拳を外側へ流し、懐へ潜り込むと肩から体当たりを仕掛けた。

 

二人の身体が激しくぶつかり合い、制御卓の残骸が音を立てて崩れ落ちる。

 

篤臣はすぐさま雅樹の襟元を掴み、体勢を崩そうとする。

 

しかし雅樹も負けじと腕を絡め、互いに重心を奪い合うような力比べへ持ち込んだ。

 

「愚かな真似だ」

 

篤臣が低く言う。

 

「愚かでいいんだ」

 

雅樹は血の滲む口元を拭いながら笑った。

 

「人間は最初から完成品じゃない。

不完全だから失敗して、不完全だから悩んで、

不完全だから誰かを支えようとする。その積み重ねが、人間ってもんだ」

 

篤臣の表情がわずかに険しくなる。

 

「だから弱い」

 

「違う」

 

雅樹は首を横へ振った。

 

「だから強くなれるんだ」

 

叫ぶと同時に、雅樹は最後の力を振り絞って

篤臣の銃を持つ腕を掴み、そのまま身体ごと制御卓へ叩きつけた。

 

凄まじい衝撃と共に端末が粉々に砕け、火花が二人を包み込む。

 

篤臣は苦悶の表情を浮かべながらも雅樹の腹へ膝を突き上げ、

その勢いで身体を捻ると雅樹を強引に振り払った。

 

雅樹は床を転がり、壁へ激突する。

 

肩から流れる血はさらに増え、呼吸も乱れていた。

 

それでもなお立ち上がろうとする。

 

篤臣もまた腕を押さえながらゆっくりと身体を起こしたが、

先ほどの激突で重心は大きく崩れ、呼吸も明らかに荒くなっていた。

 

雅樹はその姿を見て、小さく笑う。

 

「それでいい……」

 

篤臣が眉をひそめる。

 

「何だ」

 

「俺の役目は、お前を倒すことじゃない」

 

雅樹は震える足で立ち上がり、静かに綾小路と海斗へ視線を向けた。

 

「お前を……二人に繋ぐことだ」

 

その言葉を合図にするように、綾小路と海斗がゆっくりと前へ歩み出る。

 

篤臣は二人を見据えながら静かに構えを取り直した。

 

「清隆」

 

綾小路は父を見る。

 

「終わりだ」

 

「終わりではない」

 

篤臣の目は鋭かった。

 

「ホワイトルームこそ最高峰だ。人間は管理され、教育され、導かれて初めて完成する」

 

綾小路は静かに言う。

 

「違う」

 

「外は不完全だ」

 

「だから面白い」

 

篤臣の眉が動いた。

 

海斗が横から吐き捨てる。

 

「そもそも人間を製品みたいに扱ってる時点で気持ち悪いんだよ」

 

篤臣の目が海斗へ向く。

 

「朝霧海斗。お前のような不規則な存在が、清隆を歪めた」

 

海斗は口元に笑みを浮かべたまま、篤臣を真っ直ぐ見据えた。

 

「歪んだんじゃねえよ。人間に戻ったんだ」

 

その一言は、篤臣の中で何かを確実に揺さぶった。

これまで一切表情を崩さなかった男の眉が僅かに動き、

冷徹だった瞳に初めて怒りの色が宿る。

 

「……黙れ」

 

低く押し殺した声と同時に銃口が跳ね上がり、

乾いた発砲音が中央管制区画へ鋭く響き渡った。

 

しかし海斗は引き金が引かれるより早く身体を横へ流していた。

 

弾丸は肩先を掠めただけで背後の制御盤へ突き刺さり、

激しい火花を散らしながら計器を破壊していく。

 

「まだ速ぇな」

 

海斗は余裕の笑みを浮かべたまま距離を詰める。

 

篤臣は何も答えない。ただ無駄のない動作で二発、三発と撃ち続ける。

 

その射撃には一切の焦りがなく、

胸部や頭部など急所だけを正確に狙い続ける冷酷さがあった。

 

海斗は射線を見切りながら前進するが、

あと数歩で間合いへ入るという瞬間、篤臣はあっさりと拳銃を床へ捨てた。

 

「……!」

 

海斗の目が僅かに見開く。

 

次の瞬間、篤臣は地面を蹴り、一気に肉薄してきた。

 

その踏み込みは年齢を微塵も感じさせないどころか、

長年鍛え続けた武人だけが持つ鋭さと重さを兼ね備えていた。

 

一直線に伸びた拳を海斗は咄嗟に両腕で受け止めたが、

その衝撃は予想を遥かに上回り、身体が半歩後方へ押し戻される。

 

「重っ……!」

 

篤臣はそこから休む間もなく肘打ち、掌底、膝蹴りと間断なく攻撃を繋げてくる。

 

どの技にも無駄がなく、一撃ごとに相手の体勢を崩し、

次の攻撃へ自然と移行する流れは、

まさにホワイトルームが積み上げてきた格闘理論そのものだった。

 

海斗は後退しながらも笑みを消さない。

 

「なるほどな……創設者が弱いわけねぇか」

 

篤臣は静かに言い放つ。

 

「教える者は、誰よりも強くなければならない」

 

その言葉が終わるより早く、背後から綾小路が踏み込んだ。

 

篤臣は振り返ることなく気配だけで察知すると、

身体を半回転させながら綾小路の手首を掴み、その勢いを利用して豪快な投げへ移る。

 

綾小路の身体が一瞬宙へ浮いた。

 

「投げた!」

 

海斗が思わず声を漏らす。

 

しかし綾小路は空中で身体を捻り、

受け身を取りながら床を滑るように着地すると、すぐさま立ち上がる。

 

篤臣はその隙を逃さず追撃し、喉元を狙った掌底を突き出す。

 

綾小路は腕を交差させて受け止めるが、

衝撃は腕の奥深くまで響き、思わず重心が揺らいだ。

 

篤臣はそのまま肩で押し込み、一気に体勢を崩そうとする。

 

そこへ海斗が横合いから鋭い回し蹴りを放った。

 

篤臣は左腕一本でその蹴りを受け流すと、

逆に海斗の脚を掴み、そのまま壁へ叩きつけようと身体を捻る。

 

海斗は空中で身体を丸め、壁を足場にして跳ね返ることで着地し、大きく息を吐いた。

 

「はっ……さすが親父さんだ」

 

篤臣は二人を順番に見据え、静かな声で言う。

 

「清隆、お前は技術を磨いた。そして朝霧海斗、お前は実戦を積んだ。

だが、その程度では私の理論を超えることはできない。

どちらも所詮、私が築いた戦闘理論の延長線上に過ぎん」

 

海斗は鼻で笑いながら肩を鳴らした。

 

「勘違いすんな。オレはテメェには教わっちゃいねえ」

 

綾小路も静かに一歩前へ出る。

 

「オレも違う」

 

その一言に、篤臣は初めて僅かに表情を変えた。

 

しかし、動揺は一瞬で消えた。

 

篤臣は綾小路と海斗の間へ視線を走らせると、

どちらか一方へ狙いを絞るのではなく、

二人の距離そのものを利用するように一歩踏み込んだ。

 

最初に狙われたのは海斗だった。

 

篤臣は真正面から右拳を放つ。

 

海斗は受けるのではなく、腕の外側へ流そうとした。

 

だが篤臣は、海斗がそう動くことを読んでいた。

 

拳が触れる直前に手首の角度を変え、流される力を利用しながら海斗の腕へ絡みつく。

 

次の瞬間には肘関節を制され、海斗の身体が無理やり前へ引き出されていた。

 

「っ……!」

 

海斗は踏ん張る。

 

力で外そうとする。

 

しかし篤臣は正面から競わない。

 

海斗の足が床を捉えるより先に、

その膝裏へ自分の足を差し込み、重心を斜めへずらした。

 

海斗の身体が傾く。

 

篤臣はその勢いのまま肩を入れ、海斗を制御卓へ叩きつけた。

 

金属製の卓が大きく軋み、モニターが揺れる。

 

海斗はすぐに反撃へ移ろうとした。

 

だが篤臣の掌底が先に胸元へ入り、呼吸を一瞬止められる。

 

さらに肘が肩口へ落ち、海斗の右腕が痺れた。

 

「こいつ……!」

 

海斗は歯を食いしばりながら距離を取る。

 

篤臣は追わなかった。

 

その代わり、すでに綾小路へ向き直っていた。

 

綾小路は真正面から踏み込む。

 

篤臣の懐へ入り、手首を制し、肩の動きを止めようとする。

 

通常なら、その時点で相手の攻撃は封じられる。

 

だが篤臣は、関節を取られるより早く自ら肘を畳み、綾小路の腕を内側へ巻き込んだ。

 

綾小路の体勢が僅かに崩れる。

 

篤臣はそこへ腰を入れ、綾小路を持ち上げるようにして投げた。

 

綾小路は空中で身体を捻り、背中から落ちるのを避ける。

 

それでも完全には衝撃を逃がせず、床を滑りながら数メートル後退した。

 

篤臣は間を置かない。

 

着地した綾小路へ一気に距離を詰め、喉元へ指先を揃えた鋭い突きを放つ。

 

綾小路は首を傾けて避ける。

 

しかし、その回避先へ篤臣の膝が待っていた。

 

腹部へ鈍い衝撃が入る。

 

綾小路の呼吸が乱れる。

 

篤臣はさらに肩を押し込み、壁際まで追い詰める。

 

綾小路は腕を差し込み、篤臣の重心を崩そうとした。

 

だが篤臣は逆にその腕を利用し、綾小路の身体を壁へ固定するように押さえ込む。

 

綾小路はすぐに抜け出したものの、今の一連の攻防で理解した。

 

篤臣は強い。

 

単に速いのではない。

 

力があるだけでもない。

 

相手がどう崩すかを知り、その崩しへ先回りしている。

 

海斗が横から篤臣へ蹴りを放った。

 

篤臣は振り向かず、片腕だけで受け流す。

 

そのまま海斗の足首を掴み、引き寄せる。

 

海斗は倒れないように身体を回した。

 

だが、その回転方向へ篤臣の拳が飛ぶ。

 

頬へ直撃。

 

海斗の身体が横へ弾かれる。

 

それでも海斗は倒れず、床へ片手をついて踏み止まった。

 

綾小路がその隙に背後へ回り込む。

 

篤臣の肩を取り、腕を背中へ回そうとする。

 

篤臣は身体を沈め、綾小路の重心を前へ引き出した。

 

次の瞬間、篤臣の背中が綾小路の胸元へ入り、再び投げへ移る。

 

今度は綾小路も完全に読んでいた。

 

腰へ乗る前に足を外し、篤臣の動きを止める。

 

だが篤臣は投げを途中で捨て、後ろへ肘を打った。

 

綾小路は腕で受ける。

 

重い衝撃が骨へ響く。

 

そのまま篤臣は反転し、拳を綾小路の胸へ叩き込んだ。

 

綾小路が後退する。

 

海斗が前へ出る。

 

篤臣は今度は海斗の攻撃へ合わせ、拳を外側へ逸らしながら肘を脇腹へ入れた。

 

海斗の身体が折れる。

 

そこへ掌底。

 

顎を狙う。

 

海斗は辛うじて首を引くが、完全には避けられず、視界が揺れた。

 

「一人ずつなら、確実に潰せる」

 

篤臣は冷静に言った。

 

その言葉には誇張がなかった。

 

綾小路も海斗も同じことを理解していた。

 

綾小路は篤臣の技術へ対応できる。

 

海斗は篤臣の圧力に耐えられる。

 

だが、どちらも単独では決定打を作れない。

 

篤臣は相手の強みを見抜き、その強みが最大限発揮される前に崩してくる。

 

綾小路が技術で制しようとすれば、その技術を逆用する。

 

海斗が実戦的な勢いで押し切ろうとすれば、その勢いを利用して投げる。

 

篤臣はホワイトルームの理論を知っているだけではない。

 

その理論が通じない相手への対処まで、すでに自分の身体へ刻み込んでいた。

 

海斗は口元の血を拭いながら笑った。

 

「なるほどな」

 

綾小路も呼吸を整えながら篤臣を見据える。

 

二人とも、同じ結論へ辿り着いていた。

 

一人では勝てない可能性の敵手。

 

綾小路と海斗は言葉を交わさないまま左右へ散開する。

 

綾小路が真正面から篤臣を引きつけ、海斗が死角へ回り込む。

 

篤臣は合理的な判断で綾小路を優先し、その喉元へ鋭い突きを放つ。

 

しかし、それこそが二人の狙いだった。

 

篤臣が攻撃に意識を向けた瞬間、海斗が背後から肩ごと体当たりを浴びせる。

 

篤臣は即座に身を沈めて衝撃を逃がそうとしたが、

その回避動作は綾小路の読みの中にあった。

 

「そこだ」

 

綾小路は篤臣の肘へ僅かに掌を添えて軌道を逸らし、

その一瞬の崩れを逃さず関節を制する。

 

篤臣は強引に振りほどこうとするが、海斗が横から脚を払って重心をさらに乱す。

 

「一人なら……」

 

篤臣は歯を食いしばる。

 

「勝てた」

 

海斗は息を整えながら笑った。

 

「だろうな」

 

綾小路は篤臣の腕を完全に極めながら静かに言う。

 

「だが今は二人だ」

 

篤臣はなおも最後まで抵抗を続け、肘打ちや足払い、

肩による体当たりで強引に体勢を立て直そうとする。

 

しかし、その動きは綾小路が制し、海斗が崩し、

海斗が乱したところを綾小路が確実に締め上げるという連携の前では、もはや通用しなかった。

 

二人は一言も指示を出さない。

 

それでも互いの動きを完全に理解し、

まるで長年組み続けてきた相棒のように攻撃と制圧を繋げていく。

 

やがて篤臣の拳銃が床を滑り、海斗がそれを遠くへ蹴り飛ばすと、

綾小路は篤臣の腕を背中へ回して床へ押さえ込んだ。

 

どれだけ力を込めても、どれだけ身体を捻っても、もう逃れることはできない。

 

ホワイトルームの創造主は、ホワイトルーム最高傑作と外の世界を生き抜いた男――

その二人の連携の前に、ついに完全に制圧された。

 

篤臣は床に倒れたまま、綾小路を見上げていた。

 

「清隆」

 

「何だ」

 

「お前は失敗作ではない」

 

「知っている」

 

「だが、完成品でもない」

 

「それでいい」

 

篤臣は笑った。

 

初めて、心の底から愉快そうに。

 

「ならば、証拠は残さない」

 

綾小路の目が細くなる。

 

篤臣の手が、袖の内側に隠していた小型端末へ触れていた。

 

雅樹が叫ぶ。

 

「止めろ!」

 

だが遅かった。

 

篤臣はスイッチを押した。

 

直後。

 

施設全体に警報が鳴り響く。

 

赤いランプが点滅する。

 

【自壊プロトコル起動】

 

【全区画封鎖解除】

 

【爆破処理開始】

 

【退避推奨】

 

海斗が叫ぶ。

 

「こいつ、施設ごと消す気か!」

 

篤臣は笑っている。

 

「ホワイトルームは、誰にも渡さん」

 

綾小路は篤臣から手を離した。

 

もう止める意味はない。

 

篤臣は動けない。

 

だが勝った顔をしていた。

 

いや。

 

勝敗ではない。

 

彼は最後まで、ホワイトルームの管理者として終わろうとしている。

 

雅樹が血を流しながら言った。

 

「清隆……行け」

 

綾小路は雅樹を見る。

 

「お前は」

 

「俺は残る」

 

「動けないだろ」

 

「だからだ」

 

雅樹は篤臣を見た。

 

「こいつを一人にはしない」

 

篤臣が笑う。

 

「最後までくだらん情だな」

 

雅樹は静かに返す。

 

「お前に足りなかったものだ」

 

天井が揺れた。

 

照明が落ちかける。

 

海斗が叫ぶ。

 

「清隆!」

 

綾小路は頷いた。

 

「行くぞ」

 

管制室のモニターには各区画の映像が映っていた。

 

龍園が残った第四格闘訓練室は炎に包まれ、

 

相馬のいた上部通路も崩落警報で途切れている。

 

旧実験体たちも精鋭部隊も、もはや戦う余裕などなく、

生き残るための撤退を始めていた。

 

森下、ツキ、坂柳と合流したのは、崩れかけた連絡通路だった。

 

森下は坂柳の腕を支え、ツキは周囲の状況を見ていた。

 

坂柳は白い息を吐きながら言う。

 

「本当に最後まで忙しいですね」

 

森下が即座に返す。

 

「綾小路清隆の人生は毎回こうなんですか」

 

ツキが海斗を見る。

 

「海斗も似たようなもん」

 

海斗は走りながら言った。

 

「失礼な。オレはもっと平和主義だ」

 

「どこが?」

 

「気持ちが」

 

「一番信用できない」

 

綾小路は端末を見た。

 

非常用の施設図。

 

赤い表示が次々と消えていく。

 

「出口まで三分」

 

海斗が叫ぶ。

 

「走れ!」

 

天井が崩れた。

 

火花が散る。

 

白い壁が割れ、黒い煙が流れ込む。

 

遠くで爆発。

 

近くで警報。

 

足元が揺れる。

 

坂柳は転びかけたが、自分の足で踏みとどまった。

 

森下が支える。

 

「大丈夫ですか」

 

坂柳は微笑む。

 

「ええ。杖なしでも、意外と走れるものですね」

 

「今それを証明する場面ではないと思います」

 

「ふふ、確かに」

 

ツキが前を指す。

 

「右、通路が生きてる!」

 

綾小路が確認する。

 

「そちらだ」

 

海斗が先頭に出る。

 

崩れた金属扉を蹴り開ける。

 

「行け!」

 

五人は白い通路を走った。

 

背後で、ホワイトルームが崩れていく。

 

龍園が開けた道。

 

相馬が潰した射線。

 

舞が壊した司令系統。

 

志朗が止めた追撃。

 

雅樹が残した決着。

 

そのすべてが、今この五人を出口へ押し出していた。

 

外の冷気が近づく。

 

吹雪の音が聞こえる。

 

白い人工の世界の終わりに、

 

本物の白が待っている。

 

海斗が叫んだ。

 

「出口だ!」

 

その瞬間、背後で巨大な爆発が起きた。

 

衝撃が通路を突き抜ける。

 

五人の身体が前へ押し出される。

 

綾小路は坂柳の腕を掴む。

 

海斗はツキを引く。

 

森下は転びながらも前へ手を伸ばす。

 

そして、白い扉の向こうへ飛び出した。

 

外は、吹雪だった。

 

ホワイトアウト。

 

視界は真っ白。

 

背後では、山に埋め込まれた巨大な施設が炎を噴き始めている。

 

白い壁が崩れ、赤い光が雪に滲む。

 

ホワイトルームが、崩壊を始めていた。

 

綾小路は振り返った。

 

海斗も振り返った。

 

ツキも。

 

森下も。

 

坂柳も。

 

誰も言葉を発しなかった。

 

そこには、かつて人間を完成させようとした白い牢獄があった。

 

そして今、その白は炎と雪の中で崩れていく。

 

綾小路は静かに息を吐いた。

 

「終わったわけではない」

 

海斗が隣で笑う。

 

「でも、始まったんだろ」

 

「何がだ」

 

「終わりの始まりってやつだ」

 

森下が小さく言う。

 

「それ、言い方としては少しややこしいですね」

 

ツキが頷く。

 

「海斗だし」

 

「お前ら、こういう時くらい褒めろ」

 

坂柳は吹雪の中で微笑んだ。

 

「ですが、悪くない言葉です」

 

その直後、山全体が低く唸った。

 

雪が揺れる。

 

遠くの斜面から、巨大な音が響く。

 

海斗の顔が変わる。

 

「……おい」

 

綾小路も同じ方向を見る。

 

「雪崩だ」

 

森下が息を呑む。

 

「まだ終わらないんですか」

 

坂柳は静かに笑った。

 

「本当に最後まで、退屈しませんね」

 

ツキが海斗の腕を掴む。

 

「走るよ!」

 

海斗は前を向いた。

 

吹雪の向こうに、脱出用の車両がうっすらと見える。

 

「全員、乗れ!」

 

白い世界の背後で、ホワイトルームが爆ぜた。

 

巨大な炎が雪山を赤く染める。

 

そして五人は、崩壊する白い牢獄を背に、吹雪の中へ走り出した。

 

ホワイトルームの終わりは、まだ完全には見えない。

 

だが、確かに始まっていた。

 

白い箱の中で止まっていた時間が、

 

ようやく外へ流れ出したのだった。




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