ザ・ダイハード・マスターピース 作:EXTERMINATION
希望という言葉は、時に残酷だった。
何もない絶望なら、人は諦めることができる。
終わりだと分かれば、泣くことも、怒ることも、受け入れることもできる。
だが、わずかにでも助かる可能性がある時、人はその光から目を逸らせなくなる。
どれほど細く。
どれほど遠く。
どれほど不確かなものでも。
それが希望と呼ばれた瞬間から、人はそこへ手を伸ばさずにはいられない。
そして。
その希望が一つしかない時。
それは救いではなく、選別になる。
坂柳有栖は、二階堂グループ医療研究棟の最上階にいた。
壁一面のモニター。
机に積まれた医療資料。
人工心臓の設計図。
海外研究機関との通信記録。
ブラックルーム残存データ。
そして、堀北鈴音と二階堂麗華の検査結果。
全てが一つの結論に向かっていた。
次世代型人工心臓。
N-HEART 01。
現時点で唯一、二人の命を繋げる可能性がある装置。
しかし、完成済みの実機は一基のみ。
坂柳は資料を閉じた。
その表情には疲労が滲んでいた。
彼女は徹夜だった。
坂柳有栖という人間は、基本的に無駄を嫌う。
無意味な努力。
感情的な抵抗。
合理性のない願望。
そうしたものを冷静に切り捨てられる人間だった。
少なくとも、高度育成高等学校にいた頃の彼女なら。
だが今は違う。
切り捨てられない。
堀北鈴音を。
二階堂麗華を。
綾小路清隆を。
朝霧海斗を。
誰一人として、単なる盤面の駒として処理できない。
「……厄介ですね」
坂柳は小さく呟いた。
その時、扉が開いた。
入ってきたのは宮川尊徳だった。
「少しは休んだか」
「その質問に意味はありますか?」
「ないな」
「なら聞かないでください」
尊徳は苦笑した。
「君らしい」
「褒め言葉として受け取っておきます」
尊徳は机の資料を見る。
「状況は」
「悪化しています」
坂柳は即答した。
「堀北鈴音さん、二階堂麗華さん。どちらも心筋細胞の壊死が進行中。
薬剤投与による進行抑制効果は限定的。
補助循環装置で時間を稼ぐことはできますが、根本解決にはなりません」
「残された時間は」
「長く見積もって数ヶ月。ですが、このまま進めばもっと短いでしょう」
尊徳は黙った。
重い沈黙だった。
「人工心臓は?」
「N-HEART 01は動作可能です。ただし、使用には複数の条件があります」
坂柳は資料を一枚差し出した。
尊徳が読む。
そこには、細かい項目が並んでいた。
適合検査。
免疫反応。
神経同期。
循環制御。
手術成功率。
術後管理。
そして。
使用可能患者一名。
尊徳は眉を寄せる。
「やはり一人だけか」
「ええ」
「二基目は」
「現状では不可能です」
「金でも時間でも人員でも無理か」
「全て投入しても間に合いません」
坂柳は淡々と答えた。
「中核部品である生体制御コアの製造に最低でも八ヶ月。
しかも成功率は未知数。二人の症状進行を考えれば、現実的ではありません」
「別の人工心臓は」
「汎用品は適合しません。補助装置としての使用なら可能ですが、
心筋壊死が進行すれば限界が来ます」
「移植は」
「待機時間、適合、倫理、手続き、全ての面で間に合いません」
尊徳は資料を机に置いた。
「つまり、最後の希望は本当に一つだけか」
坂柳は目を伏せる。
「現時点では」
その言葉が、部屋の空気を重く沈めた。
現時点では。
それは諦めていないという意味でもある。
だが同時に、ほとんど絶望だという意味でもあった。
「綾小路と海斗には?」
尊徳が聞いた。
「一基しかないことは、既に双方が知っています」
「その先は?」
「まだです」
坂柳は椅子にもたれた。
「今はまだ、二人とも二人を助ける方法を探すという建前で動いています」
「建前か」
「ええ」
坂柳の声は冷たい。
「本心でもあるでしょう。ですが、同時に彼らは分かっている。
最終的に選ばなければならない可能性があることを」
尊徳は窓の外を見た。
東京の街が広がっている。
無数の建物。
無数の人間。
その中で、たった一基の人工心臓が二つの命を分けようとしている。
「止められると思うか」
坂柳は答えなかった。
尊徳は振り返る。
「君なら盤面を読むだろう。どう見ている」
「最悪です」
即答だった。
「黒幕がいない。交渉相手もいない。倒せば解決する敵もいない。
あるのは医療的制約と時間制限だけ。これほど厄介な盤面はありません」
「盤面の外に出る方法は」
「二人とも助けることです」
「それ以外は」
「ありません」
坂柳は静かに言った。
「どちらか一人を選ぶ局面になれば、綾小路くんと朝霧さんは止まりません」
同じ頃。
大学病院。
堀北鈴音は精密検査を受けていた。
狭い検査室。
機械音。
医師の指示。
息を吸ってください。
止めてください。
楽にしてください。
そんな言葉が、何度も繰り返される。
鈴音は指示に従った。
弱音は吐かない。
不安も見せない。
だが、検査が終わって病室へ戻る頃には、体力をかなり消耗していた。
ベッドに座ると、思ったより息が乱れた。
「大丈夫か」
綾小路が聞く。
「大丈夫よ」
「大丈夫には見えない」
「そう見えるなら、あなたの観察力が落ちたのね」
「落ちていないから聞いている」
鈴音は反論しようとして、やめた。
疲れていた。
言い合う体力すら惜しい。
「少し休むわ」
「ああ」
綾小路は椅子に座ったまま動かない。
鈴音は彼を見る。
「ずっといるつもり?」
「邪魔なら出る」
「邪魔ではないわ」
「ならいる」
鈴音は目を閉じた。
少し前なら、この距離感に戸惑ったかもしれない。
今は不思議と自然だった。
病室の静けさ。
心電図の音。
外から聞こえる廊下の足音。
その中で、綾小路がそこにいるという事実だけが、鈴音を少しだけ落ち着かせた。
「綾小路くん」
「何だ」
「人工心臓の件、詳しく教えて」
綾小路は黙った。
鈴音は目を開ける。
「隠さない約束でしょう」
「約束はしていない」
「屁理屈ね」
「そうだな」
鈴音は小さく息を吐く。
「私は自分の命の話をしているの。聞く権利はあるはずよ」
「分かっている」
綾小路は静かに話し始めた。
次世代型人工心臓。
試作機。
一基のみ。
理論上は鈴音にも麗華にも使用可能。
だが二基目の製造は間に合わない可能性が高い。
既存の人工心臓や移植は根本解決にならない。
全てを淡々と。
誤魔化さず。
鈴音は最後まで聞いた。
表情は変えなかった。
だが指先がシーツを握っていた。
「成功率は?」
「まだ確定していない」
「高くはないのね」
「低くもない」
「便利な言い方」
「不確定という意味だ」
「そう」
鈴音は天井を見る。
「私か、麗華さんか」
「まだそう決まっていない」
「でも、そうなるかもしれない」
「ああ」
「あなたはどうするの?」
綾小路は答えない。
鈴音は彼を見る。
「私は前にも聞いたわ」
「二人とも助ける方法を探す」
「それが無理だったら?」
「無理だと決まるまでは考えない」
「決まったら?」
沈黙。
鈴音は苦笑した。
「頑固ね」
「そうかもしれない」
「私も人のことは言えないけれど」
鈴音は目を閉じた。
「私は麗華さんに死んでほしくないわ」
綾小路は黙って聞く。
「でも、自分も死にたくない」
その声は震えていなかった。
だが、その分だけ痛々しかった。
「こんな単純なことを認めるのに、ずいぶん時間がかかった気がする」
「それでいい」
「いいの?」
「ああ」
「私は醜くない?」
「生きたいと思うことは醜くない」
鈴音は少しだけ笑った。
「あなたに言われると、妙な説得力があるわね」
「そうか」
「ええ」
鈴音は窓の外へ視線を向ける。
「もし私が助かったとして、その結果として麗華さんが死んだら」
そこで言葉が止まる。
「私は、その後を生きられるのかしら」
綾小路の表情がわずかに硬くなる。
「生きるしかない」
「あなたらしい答え」
「綺麗な答えは持っていない」
「知っているわ」
鈴音は静かに言った。
「でも、その時はあなたも背負うことになるのね」
綾小路は鈴音を見る。
「何を」
「私を助けた結果を」
重い言葉だった。
鈴音は続ける。
「あなたが私を助けようとするなら、
その先で麗華さんの死も、海斗さんの怒りも、全部受け止めることになる」
「分かっている」
「本当に?」
「ああ」
鈴音はしばらく彼を見つめた。
「あなたは怖くないの?」
「怖いかどうかは重要じゃない」
「重要よ」
鈴音ははっきり言った。
「あなたはいつもそうやって、自分の感情を一番後ろに置く。
でも今は違う。これは計算だけで済む話じゃない」
綾小路は答えなかった。
鈴音は小さく息を吐いた。
「私は、あなたが壊れるのも見たくない」
その言葉に、綾小路は少しだけ目を伏せた。
鈴音はそれ以上言わなかった。
言えば、自分の方が崩れてしまいそうだった。
二階堂家系列病院。
麗華の病室では、源蔵が人工心臓の説明をしていた。
資料は既に麗華も読んでいる。
だが、父の口から聞くことで、現実がさらに重くなる。
「N-HEART 01は使用可能な状態にある」
源蔵は言った。
「ただし、正式承認前だ。使用には緊急措置としての手続きが必要になる」
「手続きは?」
「進めている」
「成功率は?」
「医師団は慎重な言い方しかしない」
「つまり確実ではない」
「ああ」
麗華は静かに頷いた。
「堀北さん側にも同じ説明が?」
「近いうちに正式に行われる」
「そう」
海斗は病室の隅に立っていた。
腕を組み、壁にもたれている。
口を挟まない。
だがその目は鋭かった。
麗華は彼を見る。
「海斗」
「何だ」
「黙っていると怖いわ」
「喋ったら怒るだろ」
「内容によるわね」
「じゃあ黙っとく」
麗華はため息を吐く。
「あなたらしくない」
「最近そればっか言われるな」
「事実だもの」
海斗は少し笑った。
だがすぐ真顔に戻る。
「麗華」
「何」
「使え」
病室の空気が止まる。
彩が海斗を見る。
ツキも。
源蔵も。
海斗は続けた。
「人工心臓。お前が使え」
麗華の表情は変わらない。
「それを決めるのは私ではないわ」
「お前が生きたいって言えばいい」
「海斗」
「言えよ」
海斗の声が少し荒くなる。
「死にたくねぇって言え。助けてくれって言え。
堀北には悪いが、私は生きたいって言えよ」
彩が涙を浮かべる。
ツキは唇を結ぶ。
麗華は静かに海斗を見つめた。
「あなたはそれを聞きたいの?」
「ああ」
「聞いてどうするの」
「助ける」
「どうやって」
「どうにかする」
「それは答えではないわ」
「答えなんか知らねぇよ!」
海斗が叫んだ。
「でもお前が生きたいって言わねぇと、こっちは何を守ればいいか分からなくなるだろ!」
麗華の目が揺れた。
海斗の声は怒りではなかった。
必死だった。
麗華は目を伏せる。
「……生きたいわ」
その言葉は小さかった。
けれど確かに聞こえた。
「私は死にたくない」
彩が口元を押さえる。
ツキが目を伏せる。
海斗は息を止めたように麗華を見た。
麗華は続ける。
「彩を残していきたくない。お父様にこれ以上背負わせたくない。
ツキにも、あなたにも、まだ言っていないことがある」
声がわずかに震える。
「私は、まだ生きたい」
海斗は拳を握った。
その言葉を聞きたかった。
だが聞いた瞬間、彼の中で何かが決定的に傾いた。
麗華は生きたいと言った。
なら、自分はそれを叶えなければならない。
どんな手段を使っても。
誰に恨まれても。
綾小路清隆と敵になるとしても。
「分かった」
海斗は低く言った。
麗華が顔を上げる。
「海斗?」
「分かった」
それだけ言って、海斗は病室を出ていった。
ツキがすぐに追う。
廊下。
海斗は速足で歩いていた。
「海斗」
ツキが呼ぶ。
止まらない。
「海斗!」
ようやく海斗が足を止める。
ツキは彼の前に回り込んだ。
「何をするつもりだ」
「何もしねぇよ」
「嘘だ」
「またそれか」
「今の海斗は危ない」
「危なくねぇ」
「嘘だ」
ツキははっきり言った。
「今の海斗は、誰かを撃つ時の顔をしている」
海斗は黙った。
「綾小路様と戦うつもりか」
「まだだ」
「まだ?」
ツキの表情がわずかに強張る。
海斗は目を逸らす。
「今はまだ、二人とも助ける方法を探す」
「本当に?」
「本当だ」
「なら、その後は?」
海斗は答えなかった。
ツキは震える声で言う。
「海斗、やめろ」
「まだ何もしてねぇ」
「だから今止めている」
「ツキ」
海斗の声が低くなる。
「麗華は生きたいって言った」
「聞いた」
「ならオレは助ける」
「鈴音様は?」
海斗は唇を噛む。
「分かってる」
「分かっていない」
「分かってるって言ってんだろ!」
廊下に声が響く。
通りかかった看護師が驚いて振り返る。
海斗はすぐに声を落とした。
「悪い」
ツキは首を横に振る。
「海斗が壊れる」
「壊れねぇよ」
「壊れる」
ツキの声は震えていた。
「私は、ホワイトルームでも、いままでも、海斗を見てきた。今の海斗はその時より怖い」
海斗は何も言えなかった。
ツキは続ける。
「敵がいないのに、戦おうとしている」
その言葉は、海斗の胸に刺さった。
敵がいない。
本当にそうだった。
山内は死んだ。
ブラックルームは壊れた。
ホワイトルームも終わった。
なのに、戦わなければ麗華を救えないかもしれない。
その矛盾が、海斗を追い詰めていた。
「ツキ」
「何だ」
「もしオレが間違えそうになったら」
海斗は一瞬だけ言葉を止めた。
「止めろ」
ツキは目を見開いた。
海斗は苦笑する。
「できるかは知らねぇけどな」
ツキはしばらく海斗を見つめた。
そして小さく頷いた。
「止める」
「ああ」
「殴ってでも止める」
「それは勘弁しろ」
「無理だ」
「お前、本当に容赦ねぇな」
いつものような会話。
だが、二人とも笑わなかった。
その日の夜。
二階堂グループの極秘会議が開かれた。
参加者は限られている。
源蔵。
坂柳。
尊徳。
堀北学。
複数の医療責任者。
そしてオンラインで海外研究者たち。
議題は一つ。
N-HEART 01の二基目、あるいは代替手段の確保。
「生体制御コアの複製が最重要課題です」
研究者の一人が説明する。
「ただし、現行コアは患者個別の神経信号と
循環パターンに対応するため、手作業での微調整が必要です」
坂柳が聞く。
「AIによる調整短縮は?」
「理論上は可能ですが、訓練データが不足しています」
学が問う。
「未承認機器を緊急使用する場合、法的手続きにどれほどかかる」
「通常なら数ヶ月以上です」
「特例は」
「政治的判断が必要になります」
源蔵が即座に言う。
「政治側はこちらで動かす」
尊徳が続ける。
「海外の研究施設に同型コアは本当に存在しないのか」
「少なくとも完成品はありません」
「未完成品は」
研究者が少し黙る。
坂柳の目が動く。
「あるのですね」
「……欧州の共同研究施設に、初期型の試作コアが残っている可能性があります」
部屋の空気が変わった。
源蔵が低く言う。
「なぜ先に報告しなかった」
「完成度が低く、臨床使用に耐えません」
「改修すれば?」
「時間が足りない可能性が高い」
「可能性の話をしている」
研究者は沈黙する。
坂柳が資料を求めた。
数分後、画面に初期型コアのデータが映し出される。
未完成。
不安定。
だが、完全なゼロではない。
坂柳の目が細くなる。
「これを改修できれば、二基目の可能性が出ます」
学が身を乗り出す。
「どれくらいかかる」
「最短でも六週間」
「二人の猶予は」
医師が答える。
「補助循環装置で維持できれば、
理論上は持つ可能性があります。ただし病状次第です」
尊徳が言う。
「賭けだな」
坂柳は静かに頷いた。
「非常に分の悪い賭けです」
源蔵は即断した。
「そのコアを確保しろ」
「しかし、欧州側の承認が」
「買収でも交渉でも政治でも何でも使え」
源蔵の声は冷たかった。
「金額は問わない」
学も言った。
「法的手続きはこちらで調べる。緊急輸送のルートも確保する必要がある」
尊徳が頷く。
「俺は現地との連絡役を探す」
坂柳は画面を見つめた。
これが最後の希望かもしれない。
完成済みの人工心臓一基。
そして、未完成の初期型コア。
二人とも助ける唯一の可能性。
ただし、それは薄氷の上を走るような計画だった。
失敗すれば終わり。
遅れれば終わり。
病状が進めば終わり。
それでも。
動かない理由にはならなかった。
翌朝。
綾小路と海斗は再び顔を合わせた。
場所は二階堂グループ医療研究棟。
坂柳の招集だった。
部屋には、坂柳、学、尊徳、源蔵もいる。
空気は重い。
だが、そこには昨日までとは違うものがあった。
わずかな光。
坂柳が説明する。
「欧州の共同研究施設に、
N-HEART初期型の生体制御コアが残っている可能性があります」
海斗が反応する。
「二基目か」
「正確には二基目の材料です」
綾小路が聞く。
「完成までの時間は」
「最短六週間。ただし、輸送、改修、患者適合調整、全てが成功した場合です」
「成功率は」
坂柳は少しだけ間を置いた。
「低いです」
海斗が笑う。
「低いだけなら十分だ」
綾小路も言った。
「ゼロではない」
坂柳は二人を見た。
「ええ。ゼロではありません」
その言葉だけで、二人の表情がわずかに変わった。
まだ戦わずに済む。
まだ敵にならずに済む。
まだ、二人とも助けられるかもしれない。
尊徳はその変化を見逃さなかった。
この希望は危険だ。
叶えば救いになる。
だが、折れた時の反動は計り知れない。
源蔵が言う。
「欧州側との交渉は私が進める。資金、政治ルート、輸送手段、全て投入する」
学が続ける。
「国内使用の法的手続きは俺が調べる。鈴音側の医師とも連携する」
坂柳が言った。
「私は改修計画と適合調整を進めます」
尊徳が二人を見る。
「綾小路、海斗。お前たちはどうする」
綾小路は答える。
「必要な情報を集める」
海斗も言う。
「邪魔する奴がいたら排除する」
坂柳が即座に言った。
「できるだけ合法的にお願いします」
「できるだけな」
「朝霧さん」
「分かってるよ」
少しだけ、以前の空気が戻った。
だがそれは一瞬だった。
全員が理解している。
この計画は、最後の共同戦線だ。
これが成功すれば、綾小路と海斗は敵にならずに済む。
鈴音も麗華も助かるかもしれない。
だが、もし失敗すれば。
残る人工心臓は一基。
その時、全てが崩れる。
会議が終わった後。
綾小路と海斗は廊下に残った。
二人きり。
海斗が壁にもたれる。
「六週間だとよ」
「ああ」
「長いのか短いのか分かんねぇな」
「病状次第だ」
「嫌な答えだ」
「事実だ」
海斗は天井を見た。
「綾小路」
「何だ」
「この計画、成功させるぞ」
「ああ」
「絶対にだ」
「ああ」
「失敗したら」
そこで海斗は言葉を止めた。
綾小路も何も言わない。
二人とも分かっている。
失敗したら。
その先の言葉は、まだ口にしてはいけない。
海斗は無理に笑った。
「ま、失敗しなきゃいいだけだ」
「そうだな」
「簡単に言いやがる」
「お前もだ」
「違いねぇ」
短い沈黙。
その後、海斗が右手を差し出した。
「もう一回だけ共同戦線だ」
綾小路はその手を見る。
「一回だけか」
「何回もやりたくねぇよ、こんなの」
「同感だ」
綾小路は手を握った。
二人の握手。
前回よりも重い。
それは友情の確認ではなかった。
戦争を先送りにするための同盟だった。
それでも。
この瞬間だけは、確かに二人は同じものを見ていた。
鈴音を助ける。
麗華を助ける。
二人とも助ける。
それが最後の希望だった。
だが。
遠く離れた欧州の研究施設では。
その初期型コアを巡って、既に別の問題が起き始めていた。
保管記録の欠落。
責任者の急な失踪。
輸送承認の停止。
そして、何者かによるデータアクセスの痕跡。
黒幕はいないはずだった。
敵はいないはずだった。
だが、山内の遺産は、ただの病だけでは終わらない。
過去に封じられたブラックルームの研究は。
まだ誰にも知られていない形で。
最後の希望にまで、静かに手を伸ばしていた。
モチベ維持のために感想・評価をもらえると幸いです。