ザ・ダイハード・マスターピース   作:EXTERMINATION

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第68話 地獄へのハイウェイ

雨が降っていた。

 

東京の夜を覆う冷たい雨は、街灯の輪郭を曖昧にし、

信号機が放つ赤や青の光を濡れたアスファルトの上へ長く滲ませていた。

 

無数の車が行き交うたびにヘッドライトの白い光が黒い道路を滑り、

ワイパーによって一度は拭い去られた雨粒が、すぐにまたフロントガラスを覆っていく。

 

その光の流れの中を、一台の黒い大型バンが走っていた。

 

外見だけなら、医療機関や研究施設が機材を輸送するために使う、

ごく一般的な車両にしか見えない。

 

しかし、その車体には通常の輸送車とは比較にならない防弾処理が施され、

車内の低温保管装置には、世界に一基しか存在しない

次世代型人工心臓、N-HEART 01が収められていた。

 

それは、堀北鈴音を救えるかもしれない最後の希望であり、

二階堂麗華を救えるかもしれない最後の希望でもあった。

 

同時に、これまで幾度も背中を預け合ってきた綾小路清隆と朝霧海斗を、

完全に異なる道へ引き裂く最後の火種でもあった。

 

輸送ルートは極秘に指定されていた。出発時刻、護衛車両の数、経由地点、

最終保管場所のすべてが厳重に秘匿され、

その全容を知る人間は二階堂グループと医療機関の内部でもごく限られている。

 

それでも、綾小路は情報を掴んでいた。

 

そして海斗もまた、同じ輸送ルートへ辿り着いていた。

 

雨に煙る首都高速の合流車線へ、一台の黒いセダンが滑り込んだ。

 

速度を上げても車体の動きには無駄がなく、

周囲の車両との間隔を読み切りながら、最短の軌道で走行車線へ入っていく。

 

運転席にいるのは綾小路清隆だった。

 

表情に大きな変化はない。だが、前方だけを見据える目は、

普段よりも深く沈み、その奥には決して口に出さない覚悟が宿っていた。

 

助手席にはスパス12が置かれ、

後部座席にはコルト・ガバメントと複数の弾倉が用意されている。

 

ラジオも音楽も流れていない車内に響くのは、ワイパーが雨を払い続ける規則的な音と、

加速に応じて低く唸るエンジン音だけだった。

 

同じ頃、別の入口から黒いスポーツカーが首都高速へ駆け上がった。

 

低い車高のボディが路面の水を切り裂き、

後輪から大きな飛沫を巻き上げながら、先行車両を次々と追い越していく。

 

運転席には朝霧海斗がいた。

 

黒いロングコートを羽織り、片手でハンドルを握っている。

 

助手席にはベレッタM92FSが二丁並び、

後部座席にはイングラムM11と予備弾倉が収められていた。

 

普段の海斗なら、こんな状況でも何かくだらない冗談を口にしたかもしれない。

 

緊張を笑い飛ばし、ツキがいれば呆れた声を引き出し、

危険な状況さえいつもの軽口で押し流そうとしたはずだった。

 

だが、今の海斗は笑っていなかった。

 

庭園の木の上で本を読み、

ツキと漫才のような言い争いを繰り返していた男の面影は、その横顔から消えていた。

 

「悪いな、綾小路」

 

誰もいない車内で、海斗は前方を見据えたまま呟いた。

 

同じ時、黒いセダンを走らせる綾小路も、

まるでその言葉が聞こえたかのように小さく息を吐いた。

 

「オレもだ、海斗」

 

二人の声は、それぞれの車内を叩く雨音に呑まれて消えた。

 

数分後、医療輸送車の後方へ二台の黒い車が迫った。

 

右車線から海斗のスポーツカーが加速し、

左車線からは綾小路のセダンが速度を上げていく。

 

二台は偶然とは思えないほど同じタイミングで輸送車との距離を縮めた。

 

異変に気付いた護衛車両が動く。

 

輸送車の前後を固めていた二台が車線を変更し、

左右からの接近を妨害するように広がった。

 

しかし、海斗と綾小路は、そのわずかな動きの中に生まれた同じ隙を見ていた。

 

海斗が先にアクセルを深く踏み込んだ。

 

スポーツカーが激しい水飛沫を巻き上げながら、護衛車両の右側へ滑り込む。

 

ほとんど同時に綾小路も左側の狭い隙間へセダンを押し込み、

二台の黒い車が医療輸送車を左右から挟む形で並走した。

 

次の瞬間、海斗が助手席のベレッタを抜いた。

 

運転席の窓が下がり、雨と高速走行の風が一気に車内へ吹き込む。

 

黒いロングコートの襟が激しく揺れ、

伸ばされた右腕の先で銃口が綾小路のセダンへ向けられた。

 

発砲。

 

高速道路に乾いた銃声が響き、綾小路の車のサイドミラーが粉々に砕けた。

 

細かな破片が雨粒とともに後方へ飛散し、

すぐ後ろを走っていた一般車両が驚いて急ブレーキを踏む。

 

タイヤが濡れた路面を擦り、甲高い音を上げる。

 

車体が左右に揺れ、連続するクラクションが夜の首都高速に広がった。

 

それでも綾小路は眉一つ動かさなかった。

 

ハンドルを海斗側へ切り込み、車体そのものを使ってスポーツカーへ横から圧力をかける。

 

二台のボディが激しく接触し、金属が削れる耳障りな音とともに、

雨の中へ鮮やかな火花が飛び散った。

 

海斗の車が車線の外側へ押し出され、ガードレールへ急速に近づいていく。

 

しかし、海斗は怯むどころか、口元を歪めながらハンドルを切り返した。

 

「やるじゃねぇか!」

 

スポーツカーの側面がガードレールへ触れる寸前で進路を戻し、

逆にセダンへ車体をぶつけ返す。

 

綾小路は答えなかった。

 

左手でハンドルを制御しながら助手席へ右手を伸ばし、スパス12のグリップを掴む。

 

片手で銃身を持ち上げ、そのまま窓の外へ突き出した。

 

雨に濡れたショットガンの黒い銃身が、街灯の光を鈍く反射する。

 

それを見た海斗の表情が変わった。

 

「おい、マジかよ」

 

綾小路は躊躇しなかった。

 

スパス12が轟音とともに火を吹いた。

 

散弾がスポーツカーの後部へ叩き込まれ、リアガラスが内側へ粉砕される。

 

無数のガラス片と雨粒が海斗の車内へ吹き込み、トランク周辺の金属板が大きく歪んだ。

 

衝撃を受けたスポーツカーは激しく蛇行した。

 

海斗は歯を食いしばり、両手でハンドルを押さえ込む。

 

「いきなり本気かよ、綾小路!」

 

後輪が濡れた路面で横滑りし、車体が進行方向に対して斜めを向く。

 

目の前にガードレールが迫ったが、海斗はアクセルを踏み直し、

滑っている車体をエンジンの力で強引に前へ引き戻した。

 

タイヤが悲鳴を上げ、黒いゴムの跡を濡れた路面へ刻む。

 

そのすぐ後ろを走っていた一般車は、海斗の車を避けるために急ハンドルを切った。

 

車体が隣の車線を走るミニバンへ接触し、ミニバンも大きく揺れて進路を失う。

 

さらに後続車が急ブレーキを踏み、避けきれなかった別の車が前方車両の後部へ衝突した。

 

一台の接触から始まった事故は、瞬く間に玉突き衝突へと広がった。

 

金属が潰れる音とクラクションが重なり、雨の中で誰かの悲鳴が聞こえた。

 

それでも、綾小路と海斗は止まらない。

 

医療輸送車は状況の悪化を察し、さらに速度を上げた。

 

残る護衛車両が綾小路と海斗の間へ割り込もうと車体を寄せる。

 

海斗は片手でベレッタを構え、護衛車のフロントタイヤを正確に撃ち抜いた。

 

乾いた破裂音とともにタイヤが潰れ、護衛車が激しく車体を揺らす。

 

そのまま複数の車線を跨いで横滑りし、後方から来た大型トラックの進路を塞いだ。

 

トラックの運転手が急ブレーキを踏む。

 

重い車体が前方へ沈み、荷台が大きく左右へ振られた。

 

固定が外れた金属ケースが道路へ次々と落下し、

火花を散らしながら濡れたアスファルトを滑っていく。

 

後続車が散乱した積み荷を避けようとして車線を変え、さらに別の車両と接触する。

 

事故は背後で連鎖的に拡大し、

首都高速の複数車線が瞬く間に混乱へ呑み込まれていった。

 

綾小路は散乱した金属ケースの位置と速度を一瞬で見切り、

その隙間へセダンを滑り込ませた。

 

車体の底部が一つのケースを擦り、激しい火花が後方へ尾を引く。

 

それでも綾小路はアクセルを緩めず、医療輸送車との距離を保った。

 

海斗も同様だった。

 

リア部分を損傷し、砕けた窓から雨を吹き込ませながら、

黒いスポーツカーは輸送車へ食らいついていく。

 

二人の視界には、前方を走る医療輸送車しか映っていなかった。

 

背後で何台の車が衝突したのか。何人が車外へ逃げようとしているのか。

 

事故によってどれほどの混乱が広がっているのか。

 

見えていないわけではない。

 

理解していないわけでもない。

 

それでも、止まることができなかった。

 

綾小路の脳裏には、病室で弱々しく笑った鈴音の姿が浮かんでいた。

 

『私は、まだ生きたい』

 

その言葉が耳の奥から消えない。

 

海斗の胸には、麗華が初めて恐怖を認めた時の声が残っていた。

 

『私は死にたくない』

 

その一言が、内側から海斗を焼き続けている。

 

だから、二人はアクセルから足を離せなかった。

 

やがて高速道路の出口が迫った。

 

医療輸送車は予定ルートを変更し、首都高速から市街地へ降りていく。

 

高速上で銃撃戦を続けることは危険すぎると判断し、

工業地区を抜けた先にある教会の一時保管地点へ退避するつもりなのだろう。

 

だが、綾小路も海斗もその選択を読んでいた。

 

輸送車と二台の黒い車は、ほとんど速度を落とさないまま出口レーンへ突入する。

 

料金ゲートの横を強引に抜け、遮断バーを車体でへし折る。

 

砕けた部品が雨の中へ飛散し、停車していた一般車両の運転手たちが驚いて身を伏せた。

 

三台はそのまま市街地へ飛び出した。

 

正面の信号は赤だった。

 

しかし、医療輸送車は減速せずに交差点へ進入する。

 

左右から来ていた車が一斉にブレーキを踏み、タイヤの悲鳴とクラクションが響いた。

 

海斗のスポーツカーは衝突寸前の車両同士の隙間へ車体を捻じ込み、

わずかな間隔を縫うように突破する。

 

綾小路のセダンもその後を追った。

 

横を通過したタクシーのドアミラーを吹き飛ばしながら、さらに狭い空間を走り抜ける。

 

遅れて交差点へ入った護衛車両は回避が間に合わなかった。

 

一般車と正面近くで接触し、衝撃によって車体が半回転する。

 

雨に濡れた路面を横滑りしながら街灯へ激突し、

根元から折れた街灯が火花を散らして道路へ倒れ込んだ。

 

その火花が雨に消えるより早く、後続車が倒れた街灯へ突っ込む。

 

道路は完全な混乱状態へ陥った。

 

海斗は前方の輸送車を見据えながら、後部座席からイングラムM11を引き寄せた。

 

「しつこいんだよ!」

 

運転席の窓から銃口を突き出し、短い連射を浴びせる。

 

イングラムの弾丸が輸送車の後部装甲へ次々と命中し、

走行する車体の周囲へ連続した火花を散らした。

 

装甲は貫けないものの、輸送車の車体が大きく揺れる。

 

その瞬間、綾小路のセダンが横から迫った。

 

海斗の車へ強く体当たりし、銃口の向きを逸らす。

 

照準を失ったイングラムの弾丸が道路標識を撃ち抜き、

支柱を破壊された標識が道路中央へ倒れた。

 

後続の車が標識へ乗り上げる。

 

前輪が跳ね上がり、車体が一瞬だけ宙へ浮いた。

 

激しく着地した車は制御を失い、隣の車両を巻き込みながら歩道側へ滑っていく。

 

海斗はハンドルを切り返しながら怒鳴った。

 

「邪魔すんな、綾小路!」

 

綾小路は前方を見たまま、冷静に答える。

 

「お前が退け」

 

「退けるかよ!」

 

二台は再び激しく接触した。

 

バンパーが歪み、ヘッドライトが砕け、衝撃によってボンネットが大きく跳ね上がる。

 

それでも互いに速度を落とさず、医療輸送車を追い続けた。

 

しかし、このままでは埒が明かないと判断した海斗は、

前方を走る医療輸送車から一瞬だけ視線を外し、道路の右側へ目を向けた。

 

そこには黄色と黒の縞模様が入った工事用バリケードが並び、

その奥には建設途中の高架道路へ続く仮設進入路が延びていた。

 

本来なら工事関係車両しか入ることのできない区画であり、

入口には大きく「関係者以外立入禁止」と書かれた看板が設置されていたが、

海斗にとって重要なのは、その先の道路が数百メートル先で、

もう一度一般道へ合流しているという一点だけだった。

 

正規の道路を走り続ければ、綾小路を引き離すことは難しい。

 

ならば、普通の人間なら入ろうとも思わない場所へ行けばいい。

 

「ついて来られるもんなら、来てみろ!」

 

海斗はアクセルを深く踏み込み、前を走っていた一般車両の横を一気に抜くと、

ブレーキを踏むことなくハンドルを右へ切った。

 

黒いスポーツカーが歩道との境界に設けられた低い段差を乗り越え、

工事現場の入口へ突っ込んでいく。

 

作業員たちが異変に気づいて振り返った直後、

スポーツカーは工事用バリケードを弾き飛ばし、

赤い誘導灯やカラーコーンを巻き上げながら仮設道路へ進入した。

 

車体の下から激しい火花が散り、

弾き飛ばされた看板が空中で何度も回転しながら路面へ落下する。

 

「なっ……!」

 

交通整理をしていた作業員が慌てて飛び退き、

そのすぐ横を海斗のスポーツカーが猛烈な勢いで駆け抜けていった。

 

綾小路は一瞬だけ工事区間の奥へ視線を向けた。

 

舗装は途中までしか終わっておらず、

むき出しになったコンクリートの路面には資材が積まれ、

巨大なクレーンやショベルカーが何台も停止している。

 

道幅も一定ではなく、場所によっては大型車一台がようやく通れる程度しかない。

 

普通なら追跡を諦める状況だった。

 

しかし、綾小路はアクセルから足を離さなかった。

 

「そう来るか」

 

セダンが海斗と同じ場所から工事区間へ飛び込む。

 

先ほど海斗が破壊したバリケードの残骸を前輪が踏み越え、車体が大きく跳ねた。

 

着地と同時にサスペンションが激しく沈み込み、

車体の底部が路面を擦って火花を噴き上げるが、

綾小路はハンドルを取られることなく、そのまま海斗を追った。

 

バックミラーを確認した海斗が、呆れたように口元を歪める。

 

「やっぱ来るよな、お前なら!」

 

二台の黒い車が、建設途中の道路を猛烈な速度で駆け抜けていく。

 

ここでは一般道のように車線など存在しない。

 

白線もなければ信号もなく、道路の両側には鉄骨、足場、コンクリートブロック、

鋼材、ドラム缶といった大量の建設資材が無造作に並んでいる。

 

海斗はその間を縫うようにスポーツカーを走らせた。

 

前方に巨大なショベルカーが現れると、

ほとんど減速することなく左へハンドルを切り、

その脇に残された僅かな空間へ車体を滑り込ませる。

 

右側のドアミラーがショベルカーの巨大なタイヤを掠め、甲高い金属音とともに吹き飛んだ。

 

それでも海斗は振り返らない。

 

さらに前方には、道路を横切るように長い鋼材を運んでいる作業車がいた。

 

海斗は一瞬だけアクセルを緩めたが、停止するつもりなどなかった。

 

作業車が完全に道路を塞ぐ直前、その鼻先を紙一重で横切る。

 

黒いスポーツカーのリアバンパーすれすれを巨大な鋼材が通過し、

作業員たちの怒号が背後へ流れていった。

 

しかし、綾小路は海斗と同じ軌道を走らなかった。

 

前方の障害物だけでなく、工事現場全体の配置を瞬時に把握し、

海斗よりも短い経路を選んでいく。

 

積み上げられたコンクリートブロックの左側ではなく右側を抜け、

資材運搬車を避けるために大きく迂回した海斗とは対照的に、

綾小路は停車していたロードローラーと、

仮設フェンスの間に残された僅かな隙間へセダンを突っ込ませた。

 

左右の余裕はほとんどない。

 

少しでもハンドル操作を誤れば、車体の側面を削るだけでは済まなかった。

 

それでも綾小路は躊躇しない。

 

ステアリングを必要最小限だけ修正しながら狭い空間を一直線に通過すると、

迂回していた海斗との距離を一気に縮めた。

 

バックミラーの中で急速に大きくなるセダンを見て、海斗が目を見開く。

 

「そこ通るのかよ!」

 

海斗が再びアクセルを踏み込んだ。

 

スポーツカーのエンジンが唸りを上げ、濡れたコンクリートの上で後輪が僅かに滑る。

 

その先では道路の舗装工事が行われており、路面には大きな段差が生じていた。

 

海斗は速度を落とさない。

 

前輪が段差へ乗り上げた瞬間、車体全体が大きく跳ね上がった。

 

黒いスポーツカーが一瞬だけ四輪すべてを路面から離し、数メートル先へ飛ぶ。

 

着地した瞬間にはタイヤが激しく路面を叩き、車体が左右へ振られたものの、

海斗はカウンターを当てて強引に姿勢を立て直した。

 

その直後、綾小路のセダンも同じ段差へ到達する。

 

綾小路は海斗とは違い、直前で僅かに進入角度を変えた。

 

跳躍そのものを避けるのではなく、

着地した後に最短距離で次の障害物を抜けられる角度を選んだのだ。

 

セダンが宙へ浮き、海斗のスポーツカーよりも低い軌道を描いて前方へ飛ぶ。

 

着地。

 

激しい衝撃によってボンネットが震え、

すでに亀裂の入っていたフロントガラスがさらに大きく割れたが、

綾小路はそのままアクセルを踏み込んだ。

 

二台の距離が再び縮まる。

 

「本当に嫌になるな……!」

 

海斗はバックミラーを睨みながら悪態をついた。

 

自分は危険を承知で工事区間へ飛び込み、綾小路を撒こうとしている。

 

それなのに、後ろの男は同じ無茶をするのではなく、

こちらが選んだ経路そのものを分析し、より効率的な道を見つけて追いついてくる。

 

そこが綾小路清隆という男の厄介なところだった。

 

前方で警告灯が点滅した。

 

建設途中の高架道路が、そこで大きく左へ曲がっている。

 

しかも外側にはまだ正式な防護壁が設置されておらず、

仮設の金属フェンスが並べられているだけだった。

 

海斗は一瞬だけブレーキを踏み、同時にハンドルを左へ切った。

 

後輪が流れる。

 

スポーツカーが横を向き、濡れた路面を滑りながら巨大な弧を描いた。

 

車体後部が仮設フェンスへ接触し、何枚もの金属板を薙ぎ倒して火花を散らす。

 

それでも海斗はアクセルを踏み込み、車体が出口を向いた瞬間に一気に加速した。

 

綾小路も同じカーブへ入る。

 

だが海斗より僅かに手前から減速し、最小限の横滑りだけで曲がっていく。

 

派手さはない。

 

しかし速い。

 

海斗が作った数十メートルの差が、また縮まった。

 

「そういうところがムカつくんだよ!」

 

海斗は誰に聞かせるでもなく叫び、再びアクセルを床まで踏み込んだ。

 

工事区間の終端が見えてきた。

 

仮設道路の先には下り坂があり、その向こうで再び一般道へ合流している。

 

しかし、出口には工事車両の侵入を防ぐための鉄製ゲートが閉じられていた。

 

海斗は止まらなかった。

 

むしろ、さらに加速した。

 

「開いてねぇなら、開けりゃいい!」

 

スポーツカーが鉄製ゲートへ真正面から突っ込んだ。

 

凄まじい衝突音とともにゲートの固定部分が引き千切れ、

鉄柵がボンネットの上を滑ってフロントガラスすれすれを通過すると、

そのまま車体の後方へ吹き飛んだ。

 

海斗のスポーツカーは段差を越えて一般道へ飛び出し、

着地と同時に大きく蛇行したものの、すぐさま姿勢を立て直して加速する。

 

数秒後、同じ出口から綾小路のセダンが飛び出した。

 

すでに海斗が破壊したゲートの残骸を避けながら一般道へ復帰し、

そのまま何事もなかったかのように追跡を再開する。

 

バックミラーを見た海斗は、しばらく何も言わなかった。

 

あれだけ危険な工事区間へ飛び込み、何度も障害物を利用し、

強引な運転で距離を作ったにもかかわらず、綾小路はまだ後ろにいる。

 

しかも、ほとんど距離が開いていない。

 

やがて海斗は諦めたように息を吐き、ほんの僅かに笑った。

 

「……ったく。撒ける気がしねぇ」

 

綾小路もまた、前方を走る海斗の車から視線を外さなかった。

 

海斗の運転は大胆で、常識的な安全圏というものを最初から考慮していない。

 

だが、それは単なる無謀ではない。

 

自分の技量で突破できる限界を正確に理解したうえで、

その限界ぎりぎりを迷わず選択している。

 

だからこそ厄介だった。

 

だからこそ、ここまで追ってこられた。

 

そして、ここまで追わせられた。

 

二人の前方では、逃走を続ける医療輸送車が再び視界に入っていた。

 

工事区間を利用して綾小路を撒こうとした海斗だったが、

結局、二人の位置関係はほとんど変わっていない。

 

それでも海斗は諦めず、綾小路も追跡を止めず、

人工心臓を積んだ医療輸送車を巡る争いは、

再び夜の市街地へと舞台を戻していった。

 

市街地を抜ける道路の先に、明るく照らされたガソリンスタンドが見えた。

 

雨と闇に包まれた街の中で、

白い看板と給油所の照明だけが異様なほど鮮明に浮かび上がっている。

 

輸送車はガソリンスタンド前の道路を通過しようとしていた。

 

海斗は一瞬で判断した。

 

給油所の敷地を斜めに横切れば、輸送車の前へ回り込める。

 

「行くぞ」

 

誰に聞かせるでもなく呟き、海斗はハンドルを大きく切った。

 

黒いスポーツカーが縁石を乗り越え、

車体を激しく跳ねさせながらガソリンスタンドの敷地へ突入する。

 

底部から火花を散らしつつ、複数の給油機の間を縫うように走り抜けた。

 

店内にいた従業員たちが驚いて身を伏せ、開いたドアから雨水と燃料の匂いが流れ込む。

 

綾小路も迷わず後を追った。

 

助手席からスパス12を取り、海斗のスポーツカーの後輪へ銃口を向ける。

 

ここで止める。

 

これ以上進ませれば、被害はさらに大きくなる。

 

そう判断し、引き金を引いた。

 

轟音とともにショットガンが火を吹く。

 

しかし、海斗の車は給油機の間で段差を踏み、車体を大きく跳ねさせていた。

 

わずかに弾道が逸れ、散弾は後輪ではなく給油設備の金属部分へ叩き込まれる。

 

金属板が裂けた。

 

燃料が霧状に噴き出す。

 

一瞬だけ、周囲から音が消えたように感じられた。

 

ガソリンスタンド全体が、内側からゆっくりと膨れ上がる。

 

まるで巨大な怪物が地中で息を吸い込み、目覚めようとしているかのようだった。

 

次の瞬間。

 

夜そのものを引き裂くような大爆発が発生した。

 

巨大な火柱が数十メートルの高さまで噴き上がり、

赤、橙、白の炎が混ざり合いながら夜空を焼いた。

 

降り続いていた雨が爆心地周辺で一瞬にして蒸発し、白い水蒸気が炎の周囲へ広がる。

 

爆風が四方へ炸裂した。

 

給油所の屋根が支柱から引き剥がされ、巨大な鉄板が紙切れのように宙へ舞う。

 

回転する鉄骨が火の粉を散らし、白く照らされていた看板が根元から引き千切られた。

 

燃え上がる巨大看板は道路へ叩きつけられ、

停車していた車のフロント部分を押し潰した。

フロントガラスが粉々に砕け、金属の屋根が大きく陥没する。

 

直後、破壊された給油設備が次々と爆発した。

 

二次爆発、三次爆発、四次爆発、五次爆発。

 

連続した爆発が互いの炎を呑み込み、さらに巨大な爆炎へ膨れ上がっていく。

 

漏れ出したガソリンへ火がつき、炎の帯が地面を這った。

 

蛇のようにうねりながら道路を横切り、植え込みや街路樹へ次々と燃え移る。

 

ガソリンスタンドに併設されていた店舗の窓が、内側から押し広げられるように砕け散った。

 

無数のガラス片が炎と雨の中へ吹き飛び、

近隣のコンビニや建物の窓も衝撃波を受けて連続して割れていく。

 

停車していたワゴン車が爆風によって横転した。

 

横倒しになった車体へ、避難しようとしていたセダンが突っ込む。

 

さらに後ろから別の車両が衝突し、金属が潰れる音とクラクション、

悲鳴が一つの巨大な騒音となった。

 

道路上では車が次々と進路を失っていた。

 

セダンが横へ弾かれ、ミニバンが回転し、大型トラックが急ハンドルを切る。

 

重いトラックは濡れた路面で止まりきれず、

中央分離帯へ激突して荷台を大きく跳ね上げた。

 

積み荷が夜空へ放り出され、炎の光を浴びながら道路へ降り注ぐ。

 

さらに後方では十台を超える車両が玉突き衝突を起こし、

道路全体が瞬く間に動かなくなった。

 

炎と煙と警報音が街を包み、雨に濡れたビルの窓へ赤黒い爆炎が映り込む。

 

道路標識は熱によって歪み、頭上の電線が火花を散らした。

 

その爆炎の中心から、海斗の黒いスポーツカーが飛び出した。

 

炎の壁を突き破り、爆風に後部を押されながらも加速を続ける。

 

続いて、綾小路のセダンも灼熱の炎の中から現れた。

 

フロント部分は焦げ、車体の側面には多数の破片が突き刺さっている。

 

それでもエンジンは止まらず、海斗の車を追い続けた。

 

二人は背後を振り返らなかった。

 

何台の車が炎に巻き込まれ、何人が混乱の中を逃げているのか。

 

分かっていても、今の二人には視線を戻す余裕がなかった。

 

綾小路の頭にあるのは堀北鈴音だけだった。

 

海斗の胸にあるのは二階堂麗華だけだった。

 

守るべき一人だけを見据え、二台の黒い車は炎上する市街地を駆け抜けていく。

 

だが、地獄はそれで終わらなかった。

 

ガソリンスタンドの奥から、誰かが叫んだ。

 

「逃げろォォォ!」

 

その声を掻き消すように、これまでとは異なる低い警報音が鳴り響いた。

 

燃え盛る炎の向こう側に、大型タンクローリーが停車していた。

 

燃料補給のために数万リットルものガソリンを積んだ巨大車両だった。

 

炎はすでにその車体へ到達していた。

 

最初にタイヤが破裂する。

 

一つ、二つと連続する破裂音が響き、車体側面の鉄板が炎に炙られて赤く変色していく。

 

内部で膨張する燃料の圧力を受け、金属製のタンクがゆっくりと歪み始めた。

 

悲鳴に似た金属音が周囲へ響く。

 

そして、限界が訪れた。

 

それまでの爆発とは比較にならない巨大な爆発が発生した。

 

一瞬だけ夜空が真昼のように白く染まり、

次いで巨大な爆炎の半球が地上から膨れ上がった。

 

凄まじい衝撃波が街の一角を押し潰す。

 

道路脇の街路樹が根元からへし折れ、信号機が支柱ごと吹き飛ぶ。

 

停車していた複数の車が横方向へ跳ね上げられ、

まるで見えない巨大な拳に殴り飛ばされたかのように道路上を転がっていった。

 

炎の津波が周囲へ押し寄せる。

 

コンビニ、マンション、オフィスビルの窓が一斉に砕け、

数百枚のガラス片が雨の夜空へ放たれた。

 

中央車線で横転していたワゴン車が衝撃波を受け、車体ごと宙へ浮かび上がる。

 

一回転、二回転、三回転。

 

燃え盛る炎を纏いながら夜空を舞い、数十メートル先のアスファルトへ激突した。

 

着地の衝撃で車体が潰れ、漏れ出した燃料へ引火して再び爆発する。

 

その火球が周囲の車両を巻き込み、さらなる連鎖爆発を引き起こした。

 

逃げようとしていた車同士が次々と衝突し、

セダン、ミニバン、トラック、タクシーが折り重なるように道路を塞いでいく。

 

ブレーキ音は悲鳴のように響き、鳴り続けるクラクションが混乱をさらに増幅させた。

 

その中へ、制御を失った一台のスポーツカーが突っ込んだ。

 

車体は中央分離帯へ乗り上げ、その傾斜を踏み台にするように大きく跳ね上がる。

 

炎の壁を背景に、車が夜空を飛んだ。

 

数メートルの高さまで舞い上がった車体は、燃え盛る火柱の光を反射し、

砕けたガラスを周囲へ散らしながらゆっくりと回転する。

 

やがて道路へ墜落した。

 

衝突の瞬間、車体中央が折れるように歪み、ボンネットが前方へ吹き飛ぶ。

 

無数の火花が雨の中へ散り、そこへ後続車が避けきれずに突っ込んだ。

 

二重、三重と衝突が重なり、道路全体が巨大なスクラップ置き場へ変わっていく。

 

黒煙が空を覆い、炎が降り注ぐ雨を次々と蒸発させる。

 

熱風が道路を吹き抜け、遠く離れたビルの壁面まで赤く染めていた。

 

消防車と救急車のサイレンが遠くから近づき、警察無線の声が周囲に響き始める。

 

それはもはや単なる交通事故ではなかった。

 

都市災害だった。

 

戦場と呼ぶべき光景だった。

 

しかし、その中心を二台の黒い車だけが走り抜けていく。

 

海斗のスポーツカー。

 

綾小路のセダン。

 

爆風に煽られ、炎に照らされ、

飛散する破片の雨を浴びながら、それでもアクセルを踏み続ける。

 

後方で地獄が広がっていても、二人は振り返らなかった。

 

二台の車は炎の海を抜け、市街地のさらに奥へ進む。

 

その先に、雨の夜空を背負う古い尖塔が見え始めた。

 

静寂に包まれた石造りの教会。

 

本来ならば祈りと赦しのために存在し、銃声も爆発も持ち込まれるべきではない場所。

 

しかし今夜、そこは綾小路清隆と朝霧海斗の友情が葬られる場所になろうとしていた。

 

海斗のスポーツカーは側面を焦がし、リア部分から黒い煙を噴いていた。

 

砕けたリアガラスから雨が吹き込み、熱で頬が焼けるように痛む。

 

それでも海斗は生きていた。

 

そして止まらなかった。

 

バックミラーへ視線を向けると、炎の向こうから綾小路のセダンが現れる。

 

フロントガラスには大きな亀裂が走り、ボンネットの隙間から白い煙が上がっている。

 

左側のヘッドライトは完全に消えていたが、それでも海斗との距離を縮め続けていた。

 

その姿を見て、海斗は小さく笑った。

 

「本当に、嫌になるくらい止まらねぇな」

 

綾小路も、前方を走る海斗を見据えていた。

 

あれほどの爆発を抜けても止まらない。

 

最初から分かっていた。

 

海斗なら止まらない。

 

それを理解しているからこそ、綾小路は苦しかった。

 

二台は再び並走する。

 

道路の左右では複数の車が燃え、人々が車外へ逃げている。

 

消防車のサイレンも近づきつつあった。

 

その中で、二台の黒い車だけがさらに速度を上げていく。

 

医療輸送車は教会へ続く道へ入った。

 

古い石造りの教会は、

二階堂グループによって人工心臓の一時保管地点として用意されていた。

 

強固な石壁と地下保管室を備え、人の出入りも少ない。

 

あまりにも静かで、皮肉なほど美しい場所だった。

 

そこへ、銃声と爆炎を引き連れた二人が向かっていた。

 

海斗は片手でベレッタを構えた。

 

綾小路もスパス12を持ち上げる。

 

二台の車が並走したまま、互いへ銃口を向ける。

 

海斗が撃った。

 

弾丸が綾小路のフロントガラスを穿ち、蜘蛛の巣状の亀裂をさらに広げる。

 

綾小路が撃ち返す。

 

スパス12の散弾が海斗の運転席側のドアへ叩き込まれ、金属板を大きく陥没させた。

 

二台は同時にブレーキを踏み、同時にハンドルを切り、

そしてほとんど同じ瞬間に再加速する。

 

まるで互いの思考を完全に読んでいるようだった。

 

かつて共闘したからこそ、次の動きが分かる。

 

どこを狙うのか。

 

どのタイミングで仕掛けるのか。

 

どこへ逃げるのか。

 

すべてが読めるから避けられる。

 

読めるから追いつける。

 

そして、読めるからこそ殺しきれない。

 

海斗が叫んだ。

 

「退け、綾小路!」

 

綾小路は即座に返す。

 

「お前が退け」

 

「麗華が死ぬ!」

 

「堀北もだ」

 

「分かってる!」

 

海斗の声が割れた。

 

「分かってるから、止まれねぇんだろ!」

 

その叫びは、これまで響いたどの銃声よりも深く綾小路の胸へ突き刺さった。

 

綾小路は一瞬だけ目を伏せる。

 

だが、次の瞬間にはハンドルを握る手へ力を込めていた。

 

止まれないのは、綾小路も同じだった。

 

前方に教会の尖塔が大きく見えた。

 

雨に濡れたステンドグラスが、街灯の光を受けて鈍く輝いている。

 

医療輸送車が教会の門へ近づく。

 

最後に残った護衛車両が左右へ広がり、二台の黒い車の進路を塞いだ。

 

海斗はアクセルを踏み込む。

 

綾小路も同時に加速した。

 

二台は左右から護衛車両へ突っ込む。

 

海斗のスポーツカーが右側の護衛車へ激突し、

その車体を石造りの門柱側へ弾き飛ばした。

 

綾小路は左側の護衛車の進路へセダンを割り込ませ、窓からスパス12を発砲する。

 

散弾がタイヤを撃ち抜いた。

 

護衛車両は車体を大きく傾け、そのまま横転する。

 

濡れた石畳の上を火花を散らしながら滑り、門の鉄柵へ激突した。

 

医療輸送車は教会敷地内へ入る。

 

海斗の車が門柱を掠めながら続き、綾小路もその後を追った。

 

破壊された鉄柵が雨の中へ跳ね飛び、石畳へ甲高い音を立てて落下する。

 

教会前広場。

 

濡れた石畳。

 

二台の黒い車が、ほとんど同時に広場へ突入した。

 

海斗がサイドブレーキを引く。

 

スポーツカーは後輪を滑らせながら大きな弧を描き、教会正面へ車体を向けて停止する。

 

綾小路のセダンも反対側から旋回し、海斗の車と向かい合う位置で止まった。

 

二台のエンジンが低く唸る。

 

雨がボンネットを叩き、遠くで今なお爆発音が響いている。

 

炎の赤い光が低い雲を不気味に染め、教会の白い壁にも揺れる赤を映していた。

 

海斗が車から降りた。

 

黒いロングコートが雨水を吸い、重くなった裾を風に揺らす。

 

両手にはベレッタM92FS。

 

反対側で、綾小路もセダンのドアを開いた。

 

右手にガバメントを持ち、左手にはスパス12を下げている。

 

二人は雨の中で向かい合った。

 

ほんの少し前まで友人だった。

 

いや、今でも互いを憎んでいるわけではない。

 

海斗は綾小路の事情を理解している。

 

綾小路も海斗の事情を理解している。

 

だからこそ、どちらも相手を悪と呼べなかった。

 

それでも、もう同じ道へ戻ることはできない。

 

雨音が二人の間へ降り続ける。

 

海斗が静かに口を開いた。

 

「酷ぇ夜だな」

 

綾小路は答える。

 

「そうだな」

 

「高速は滅茶苦茶で、街も燃えた。ガソリンスタンドまで吹っ飛んだ」

 

「ああ」

 

「それでも止まらねぇんだな、オレたちは」

 

綾小路は答えなかった。

 

答える必要がなかった。

 

海斗も分かっていた。

 

自分も綾小路も、止まりたくても止まれない場所まで来てしまった。

 

海斗は小さく笑った。

 

「昔なら、お前と一緒に逃げる側だった」

 

綾小路は教会の扉へ視線を向ける。

 

「今は違う」

 

「分かってる」

 

海斗の笑みが消えた。

 

「だから最悪なんだよ」

 

二人の背後では、車のエンジンから煙が上がっている。

 

遠くでは救急車と消防車のサイレンが重なり、燃え上がる街が夜空を赤く染めていた。

 

そして目の前には、静かな教会がある。

 

祈りの場所。

 

赦しの場所。

 

本来ならば、二人が銃を持って踏み込むことなど許されない場所。

 

それでも。

 

人工心臓は、その中にある。

 

堀北鈴音の命。

 

二階堂麗華の命。

 

二人はほぼ同時に教会へ視線を向けた。

 

海斗が低く言った。

 

「もう戻れねぇな」

 

綾小路は雨に濡れたまま、静かに答えた。

 

「そうだな」

 

その瞬間、教会の鐘が鳴った。

 

低く。

 

重く。

 

冷たい雨の夜へ、何度も反響しながら広がっていく。

 

それは祈りを告げる鐘ではなかった。

 

赦しを与える鐘でもなかった。

 

綾小路清隆と朝霧海斗にとって。

 

それは、友情の終わりと、最後の戦いの始まりを告げる開戦の鐘だった。




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