ザ・ダイハード・マスターピース 作:EXTERMINATION
教会の尖塔を冷たい雨が絶え間なく叩き、
先ほどの突入によって砕かれた鉄製の門を濡らし続けていた。
遠くの街では、ガソリンスタンドとタンクローリーを巻き込んだ爆発の名残が、
いまだ赤黒い光となって低い雲を照らしている。
雨はまるで、その爆炎も、路上に残された破壊の痕跡も、
何もかも洗い流そうとしているように降り注いでいたが、
どれほど激しく降ったところで、
綾小路清隆と朝霧海斗の間に生まれた亀裂だけは、もはや消えることがなかった。
教会前の広場では、二台の黒い車が濡れた石畳の上に停止していた。
海斗が運転してきたスポーツカーは、散弾を受けた後部から濃い煙を吐き、
砕けたリアガラスの縁から雨水を車内へ流し込んでいる。
綾小路のセダンも無事ではなく、フロントガラスには蜘蛛の巣状の亀裂が走り、
歪んだボンネットの隙間から白い蒸気が上がっていた。
車体の側面には幾筋もの擦過痕が刻まれ、
割れたヘッドライトが雨に濡れながら明滅している。
どちらの車も、首都高速から市街地を駆け抜けてきたカーチェイスが、
どれほど苛烈なものだったのかを物語っていた。
運転席の扉が開き、海斗が外へ降りた。
黒いロングコートは雨水を吸い込み、普段よりも重く身体へまとわりついている。
裾はカーチェイスの爆風や破片によって裂け、
黒い布の端から水滴が絶え間なく落ちていた。
それでも、両手に握られたベレッタM92FSの銃口は揺れていない。
反対側では、綾小路もセダンから降りた。
右手にはコルト・ガバメントを持ち、左手にはスパス12を下げている。
肩口の服は一部裂けていたが、その表情は普段と変わらず、
感情を読み取らせることを拒むように静かだった。
二人は雨の中で向かい合った。
数秒間、どちらも動かなかった。
海斗が先に口を開く。
「酷ぇ夜だな」
綾小路は短く答えた。
「そうだな」
「高速は滅茶苦茶で、街も燃えた。
ガソリンスタンドまで吹っ飛んで、何台車が巻き込まれたのかも分からねぇ」
「ああ」
海斗は自嘲するように息を吐き、遠くで燃えている街へ一瞬だけ視線を向けた。
「それでも止まらねぇんだな、オレたちは」
綾小路は答えなかった。
止まれない理由は、互いに分かっていた。
海斗は麗華を救わなければならず、綾小路は鈴音を救わなければならない。
どちらも相手の事情を理解し、
それが間違っていないことも認めているからこそ、言葉で止めることなどできなかった。
海斗は小さく笑った。
「昔なら、お前と一緒に逃げる側だった」
「今は違う」
「ああ。分かってる」
海斗の笑みが消える。
「だから最悪なんだよ」
その瞬間、教会内部から銃声が響いた。
最初は一発だけだったが、すぐに複数の発砲音が連なり、
重厚な石壁を通して教会前広場まで届いてきた。
N-HEART 01を守る特殊部隊が、
輸送車の到着と同時に内部で防衛態勢を固めているのだろう。
綾小路と海斗は、ほとんど同時に教会へ顔を向けた。
次の瞬間には二人とも走り出していた。
互いに一歩も譲らず、巨大な木製扉へ向かって濡れた石畳を駆け抜ける。
海斗が右側へ回り、綾小路が左側へ入った。
二人は同時に扉へ到達した。
海斗は足を大きく振り上げ、鍵の周辺へ強烈な蹴りを叩き込む。
綾小路も肩から体当たりし、扉全体へ衝撃を加えた。
厚い木材と金属製の蝶番が耐え切れず、重厚な扉が内側へ吹き飛んだ。
轟音が教会全体を揺らした。
床へ落ちた扉は、そのまま濡れた石床を滑り、
正面に並んでいた長椅子の列へ激突する。
複数の椅子がまとめて砕け、木片と聖書が周囲へ吹き飛んだ。
その衝撃に驚き、教会内部にいた無数の鳩が一斉に飛び立った。
白い翼が天井近くへ広がり、
色鮮やかなステンドグラスから差し込む光を受けながら旋回する。
赤、青、緑の光が鳩の羽根の上を流れ、舞い落ちる白い羽根と混ざり合っていた。
戦場には似つかわしくないほど幻想的で、あまりにも美しい光景だった。
だが、その美しさは次の瞬間に銃声によって破壊された。
祭壇と二階ギャラリーに配置されていた特殊部隊が、
侵入してきた二人へ一斉に発砲した。
銃口炎が暗い教会内部を断続的に照らし、弾丸が長椅子を次々と貫通していく。
乾いた木材が弾け、細かな破片が床を滑り、
壁面のステンドグラスにも複数の弾丸が突き刺さった。
色鮮やかなガラスが内側へ砕け、赤、青、緑の破片が雨のように降り注ぐ。
綾小路は身を沈め、最も近い長椅子の陰へ滑り込んだ。
海斗は反対側へ跳び、巨大な石柱の裏へ身体を隠す。
直後、弾丸の列が二人のいた位置を走り抜けた。
長椅子の背が削られ、石柱の角が砕け、白い石片が周囲へ飛び散る。
海斗はわずかに顔を出し、ギャラリーの配置を確認した。
「左二階に三人!」
「見えている」
綾小路は遮蔽物から身体を半分だけ出し、ガバメントを構えた。
発砲。
銃声が一度だけ響き、二階ギャラリーの隊員が構えていた銃の側面へ弾丸が命中する。
武器は隊員の手から弾き飛ばされ、手すりを越えて一階へ落下した。
その一瞬に、海斗が石柱の陰から飛び出した。
両手のベレッタがそれぞれ異なる方向へ向けられる。
左右同時射撃。
二つの銃口炎が連続して教会内部を照らし、
ギャラリーの隊員たちが構えていた武器へ弾丸が命中する。
銃が手から離れ、別の隊員は欄干の陰へ身を伏せた。
海斗は立ち止まらず、そのまま中央通路へ走り込んだ。
長椅子の背へ片足を掛け、身体を空中へ投げ出す。
黒いロングコートが翼のように大きく広がり、その周囲を白い鳩と羽根が横切っていく。
落下しながらも、海斗の二丁拳銃は別々の標的を正確に追い続けていた。
綾小路も動いた。
海斗のような派手さはない。
身体を低く保ち、長椅子の陰から次の長椅子へ最短距離で移動しながら、
射線が開いた瞬間だけガバメントを撃つ。
一人目の隊員が持つ銃の照準器が砕ける。
二人目の銃が手から弾き飛ばされる。
三人目は足元へ撃ち込まれた弾丸によって後退を余儀なくされ、
その隙に綾小路はさらに祭壇へ近づいた。
綾小路は人間の身体そのものを狙っていない。
進路を開くため、武器と足場だけを正確に破壊している。
殺傷を避けながらも一切速度を落とさず、次に撃つべき対象を瞬時に選び続ける。
その冷静さは、無秩序に弾丸を撒き散らすよりもはるかに特殊部隊の恐怖を煽った。
部隊を率いる隊長が祭壇前から叫ぶ。
「ケースを守れ!侵入者を祭壇へ近づけるな!」
その声に反応し、綾小路と海斗はほとんど同時に祭壇の奥へ目を向けた。
そこには防弾ケースが設置されていた。
銀色の保護容器。
周囲を囲む冷却装置。
複数の電子ロック。
青白い照明に照らされたケース内部には、
世界に一基だけの人工心臓、N-HEART 01が収められている。
堀北鈴音を救うか。
二階堂麗華を救うか。
どちらか一人の命だけを繋ぐ、最後の希望。
人工心臓を視界に捉えた瞬間、教会内部の空気が変わった。
それまで二人は、特殊部隊という共通の障害を排除するため、
結果的には同じ方向へ進んでいた。
互いの射線を補い、相手の作った隙を利用しながら、人工心臓へ近づいていた。
しかし、ケースが見えた瞬間。
綾小路と海斗の目的は、完全に衝突した。
海斗が走った。
綾小路も同時に走り出した。
特殊部隊の銃撃が二人の背後を追う。
海斗はロングコートの内側からイングラムM11を抜き、片手で後方へ弾幕を張った。
激しい連射音が教会内部へ響き渡る。
短機関銃の弾丸が長椅子を横一列に削り、祭壇周辺の装飾へ次々と突き刺さった。
蝋燭台が根元から折れ、燃えていた蝋燭が床へ転がり、
砕かれた木材の間で小さな炎を上げる。
綾小路はその弾幕が作った一瞬の空白を縫うように前進した。
横の通路から一人の隊員が銃を向ける。
綾小路はそちらへ顔さえ向けず、腕だけを動かしてガバメントを撃った。
弾丸が隊員の銃へ命中し、武器が回転しながら宙を舞う。
前方では海斗が石柱を蹴り、身体を横方向へ跳ばした。
両手のベレッタがそれぞれ別の隊員を捉える。
左右からほとんど同時に銃声が響き、発射炎がロングコートの輪郭を照らした。
教会内部で反響した銃声は幾重にも重なり、
まるで複数の鐘が狂ったように鳴り続けているかのようだった。
その瞬間、天井付近から再び大きな羽音が響いた。
爆発音と銃声によって混乱していた鳩たちが、
残っていた梁や窓枠から一斉に飛び立つ。
砕けたステンドグラスの向こうから差し込む月光が、
白い翼と舞い上がる羽根を照らした。
まるで時間そのものが引き延ばされたようだった。
隊員が引き金を引く。
銃口から閃光が走り、薬莢が回転しながら空中へ飛び出す。
海斗が跳躍する。
黒いロングコートが空中で大きく広がり、その周囲を白い鳩の群れが横切っていく。
両手のベレッタが左右同時に火を吹き、
二つの銃口炎が白い羽根を一瞬だけ橙色に染めた。
綾小路も前へ出る。
身体を捻りながらガバメントを発砲し、
祭壇横から照準を合わせていた隊員の銃を撃ち抜く。
弾かれた金属製の武器が、ステンドグラスの破片とともに宙で回転した。
海斗は床へ着地すると同時に膝を曲げ、衝撃を吸収しながら再び発砲する。
排出された薬莢が石床へ落ち、甲高い音を立てて跳ねる。
頭上からは色彩を持ったガラス片が降り続けていた。
赤細かな光の欠片が鳩の白い羽根、銃口炎、硝煙、薬莢と混ざり合い、
空中で奇妙なほど美しく煌めいている。
銃声。
羽音。
薬莢が床を叩く音。
砕けたガラスが落ちる音。
それらすべてが一つに重なり、そこだけが戦場ではなく、
一篇の挽歌であるかのような光景を作り出していた。
祭壇まで残り十メートル。
八メートル。
五メートル。
三メートル。
海斗と綾小路は並ぶように中央通路を駆け抜ける。
白い鳩の群れが二人の間を横切った。
次の瞬間。
二人は防弾ケースの前へ、ほとんど同時に到達した。
そして同時に足を止めた。
海斗のベレッタが綾小路へ向けられる。
綾小路のガバメントが海斗の胸元を捉える。
教会内部を支配していた銃声が、嘘のように途切れた。
聞こえるのは、割れたステンドグラスから吹き込む雨音と、
頭上を旋回する鳩の羽音、遠くの街から近づいてくるサイレンだけだった。
海斗が静かに問いかける。
「本当にやるのか」
綾小路は銃口を下げずに答える。
「お前が引かないなら」
「引けねぇよ」
「分かっている」
海斗は悲しげに苦笑した。
「オレも分かってた」
沈黙が落ちる。
二人の間を一羽の白い鳩が横切った。
海斗の脳裏に、雪山での戦いが浮かぶ。
崩れ落ちるホワイトルーム。
背後から迫る雪崩。
低空を飛ぶ戦闘機。
燃え上がる施設。
ヘリから垂れ下がる梯子。
死の直前まで、綾小路と背中を預け合って戦った時間。
綾小路の脳裏にもまた、同じように過去がよぎっていた。
白銀禁止区域。
暗い施設内で響いた銃声。
山内との死闘。
夜空を裂いたステルス戦闘機。
遠距離から敵を撃ち抜いた海斗の狙撃。
自ら放ったロケットランチャー。
共に潜り抜けた数え切れない死線。
すべてが、もう過去だった。
海斗が小さく言った。
「どうしようもねえ」
綾小路も答える。
「ああ」
次の瞬間、二人は同時に引き金を引いた。
銃声が重なる。
綾小路と海斗は同時に横へ跳び、弾丸は互いが一瞬前まで立っていた場所を貫いた。
そのまま背後のステンドグラスへ突き刺さり、残っていた赤や青のガラスを粉々に砕く。
色鮮やかな破片が降り注ぎ、床へ落ちた光が無数に分裂した。
本当の決闘が始まった。
海斗は二丁拳銃を連射しながら長椅子の上へ飛び乗り、
その背を足場にして祭壇脇へ走る。
黒いロングコートが大きく翻り、足元の木材が綾小路の弾丸によって次々と砕かれた。
綾小路はスパス12を持ち上げ、躊躇なく発砲する。
轟音とともに散弾が長椅子を粉砕した。
海斗は直撃する寸前に跳躍し、身体を捻りながら石柱の陰へ転がり込む。
散弾が背後の木材と石壁へ叩き込まれ、無数の破片がロングコートの裾へ降りかかった。
「危ねぇな!」
海斗が柱の陰から叫ぶ。
「避けただろう」
「そういう問題じゃねぇ!」
海斗は口元を歪めた。
「なら、お返しだ!」
ロングコートの内側へ手を入れ、一個の手榴弾を取り出す。
親指で安全ピンを抜き、ためらうことなく綾小路のいる長椅子の列へ投げ込んだ。
黒い手榴弾が回転しながら空中を飛ぶ。
綾小路はその軌道を見た瞬間、
爆発までの時間と周囲の遮蔽物を同時に計算していた。
最も近い長椅子を蹴り倒し、分厚い背板の陰へ身体を滑り込ませる。
直後、教会全体を揺らす爆発が起きた。
爆風が長椅子を持ち上げ、木材を内側から粉砕する。
長い背板や脚が複数の方向へ吹き飛び、床を滑りながら他の椅子へ激突した。
ステンドグラスの残骸が大きく震え、
天井付近に残っていた鳩が再び一斉に舞い上がる。
白い羽根が爆風に巻き上げられた。
その幻想的な光景の中心で、海斗は二丁のベレッタを構える。
「そこだ!」
二つの銃口が連続して火を噴いた。
閃光が白い羽根の群れを照らし、
弾丸が綾小路の隠れている長椅子を次々と削っていく。
木片と聖書の紙片が弾け、白い紙が鳩の羽根に混ざって教会中へ舞い広がった。
綾小路は身を低くしたまま、射線のわずかな隙間を読んで前進する。
右へ。
左へ。
海斗が引き金を引く間隔と、
弾丸が通過する位置を正確に読み取りながら、少しずつ距離を詰めていく。
弾丸が頬のすぐ横を通過し、髪が風圧で揺れた。
それでも綾小路は止まらない。
海斗はその動きを見て、苦しげでありながらどこか楽しそうにも見える笑みを浮かべた。
「相変わらず避けるのが上手ぇな!」
「お前も相変わらず撃ちすぎだ」
「当たらねぇから撃ってんだよ!」
海斗はさらに連射しながら柱の反対側へ回り込む。
綾小路もガバメントで反撃し、柱の角を撃ち砕いた。白い石片が海斗の頬を掠める。
海斗は反対側から飛び出し、二丁拳銃を胸元で交差させるように構えて連射した。
弾丸が綾小路の足元へ一列に並ぶ。
綾小路は横にあった長椅子を蹴り倒し、即席の遮蔽物として前方へ押し出した。
海斗の弾丸が背板を貫通し、木材を削り続ける。
破れた聖書から白い紙片が大量に飛び出し、
鳩の羽根、硝煙、ガラス片とともに教会内部へ漂った。
その時、教会入口から鋭い声が響いた。
「綾小路清隆!」
森下藍だった。
その後ろから、堀北学、二階堂彩、ツキ、坂柳有栖、宮川尊徳が駆け込んでくる。
森下は教会内部の惨状を目にした瞬間、顔から血の気を失った。
砕けたステンドグラス。
折れ重なった長椅子。
石床に散乱する数百発分の薬莢。
硝煙の中を飛び回る白い鳩。
そして、その中心で互いに銃口を向けている綾小路と海斗。
「何をやっているんですか!」
森下の叫びが教会全体へ響いた。
「綾小路清隆!朝霧海斗!今すぐやめなさい!」
海斗は彼らの存在に気付くと、戦いながら叫び返した。
「来るな!」
綾小路も低い声で告げる。
「下がれ」
だが森下は止まろうとしなかった。
「下がれるわけがないでしょう!二人とも何をしているのか分かっているんですか!」
前へ出ようとする森下の肩を、学が強く掴んだ。
「森下、前に出るな。今近づけば巻き込まれる」
「でも、このままでは二人が!」
坂柳も険しい表情で戦場を見つめていた。
「今あの間へ入れば、どちらかの弾丸を受ける可能性があります。
残念ですが、無理に割って入ることはできません」
彩は海斗の姿を見ながら、身体を震わせていた。
「海斗さん……お願いですから、もうやめてください……」
ツキも海斗から目を離さない。
「海斗」
その声は、決して大きくなかった。
しかし、銃声の切れ目を縫って、確かに海斗の耳へ届いた。
海斗の動きが一瞬だけ止まりかける。
綾小路は、そのわずかな隙を見逃さなかった。
スパス12を構え、海斗を正面から捉える。
引き金へ指が掛かる。
だが、撃たなかった。
海斗も、綾小路が撃たなかったことに気付いていた。
「今、撃てただろ」
「ああ」
「何で撃たなかった」
綾小路は少しだけ沈黙した。
「分からない」
海斗は苦く笑う。
「お前にも分からないことがあるんだな」
「ある」
短い会話が終わった直後、海斗は再びベレッタを撃った。
綾小路は横へ跳び、弾丸を避ける。
戦いは終わらなかった。
森下たちの声が聞こえていても、二人は止まることができなかった。
海斗は祭壇横の階段へ駆け込み、二階ギャラリーを目指して上り始める。
綾小路も後を追った。
階段の中ほどで海斗が振り返り、両手のベレッタを連射する。
綾小路は手すりを掴み、身体を階段の外側へ投げ出した。
弾丸が足元の石段を砕き、細かな破片が下へ降り注ぐ。
綾小路は腕の力で身体を引き上げ、手すりを蹴って階段上部へ一気に飛び乗った。
海斗が目を見開く。
「相変わらず無茶するな!」
「お前ほどではない」
二人は二階ギャラリーへ飛び出した。
古い木製の床が足元で軋み、その下には祭壇と人工心臓のケースが見える。
鳩はまだ教会上部を旋回し、
砕けた窓から吹き込む雨と風が白い羽根を舞い上げていた。
海斗はギャラリーの通路を走りながら後方へ撃つ。
綾小路は柱から柱へ移動し、海斗の射線を外しながらガバメントで反撃した。
一発の弾丸が、壁際に設置されていた巨大なパイプオルガンへ突き刺さる。
金属管が震え、低く濁った音が教会内部へ響いた。
続く弾丸が鍵盤部分を砕き、複数の音が無秩序に鳴り重なる。
その不協和音は、まるで教会そのものが、
二人の戦いに耐え切れず悲鳴を上げているかのようだった。
海斗は片方のベレッタの弾倉を捨てた。
空になったマガジンが床へ落ちるより早く、
ロングコートの内側から新しい弾倉を取り出し、流れるような動作で装填する。
綾小路もガバメントの弾倉を交換した。
互いの動作を視界に入れながら、次に銃口がどこを向くのか、
どの遮蔽物を使うのかを読み合っている。
二人は強すぎた。
そして、互いを知りすぎていた。
海斗が銃を構える時の肩の動き。
綾小路が回避へ移る直前の重心。
互いが次に何をするのかを予測できるからこそ、簡単には決着がつかない。
綾小路は柱の陰からガバメントを撃つ。
海斗は身体を捻って弾丸を避け、手すり越しに撃ち返しながら続けた。
弾丸が綾小路の隠れる柱を削る。
綾小路が撃つ。
弾丸が海斗の身体を外れ、ロングコートの裾を切り裂いた。
黒い布が舞う。
海斗は銃弾を避けながら笑った。
「今のは本気か?」
「当てるつもりだった」
「なら外すなよ」
「次は外さない」
「やってみろ」
二人は再び距離を詰める。
発砲。
回避。
接近。
そしてまた発砲。
弾丸がギャラリーの手すりを撃ち砕き、細長い木材が一階へ降り注ぐ。
森下は下から何度も叫んでいた。
「二人とも、もうやめてください!」
だが、その声は銃声とオルガンの不協和音に掻き消されていく。
学は拳を握り締め、妹を助けたいという願いと、
綾小路を止めなければならないという思いの間で動けずにいた。
坂柳は冷静に状況を見ているように見えたが、指先は白くなるほど強く握られている。
尊徳も何度か前へ出ようとしたものの、射線の交錯する階段へ入ることができない。
ツキは海斗から一度も目を逸らさず、
彩は涙を流しながら祈るように両手を握り合わせていた。
誰一人として、この戦いを望んでいない。
それでも止めることができなかった。
海斗はギャラリーの奥へ到達し、鐘楼へ続く古い扉を蹴破った。
綾小路も迷わず追う。
狭い螺旋階段を上へ駆け上がるにつれ、外で降り続く雨音が近づいてくる。
鐘楼へ飛び出した瞬間、二人の身体へ冷たい夜風が吹きつけた。
中央には巨大な鐘が吊り下げられ、床の石材は吹き込んだ雨によって濡れている。
眼下には教会前広場が広がり、
遠くの街ではガソリンスタンドの爆発による黒煙が、いまだ夜空へ昇り続けていた。
海斗がベレッタを構える。
綾小路もガバメントを構えた。
狭い鐘楼では十分な距離を取ることができず、一発の判断ミスがそのまま致命傷へ繋がる。
海斗が言った。
「ここで終わらせるか」
綾小路は銃口を向けたまま答える。
「まだ終わらない」
「強情だな」
「お前もだ」
「知ってる」
二人は同時に撃った。
弾丸の一発が巨大な鐘へ命中する。
ゴォォォン、と腹の底まで響く重い金属音が、雨の夜空へ広がった。
それは礼拝を告げる鐘ではなかった。
まるで、これから失われる何かを悼む葬送の鐘だった。
二人は鐘を挟んで反対方向へ動く。
海斗が右から飛び出して撃つ。
綾小路は左へ身を沈め、鐘の下を抜ける。
綾小路が低い位置から発砲し、海斗は横へ跳んだ。
しかし、着地した先の石床は雨に濡れていた。
靴底が滑り、海斗の体勢が崩れる。
その瞬間、綾小路はスパス12を構えた。
海斗の目が黒い銃口を捉える。
一瞬だけ、死が現実の距離まで近づいた。
綾小路は引き金を引いた。
だが、銃口の角度は海斗の身体からわずかに外されていた。
轟音。
散弾が海斗のすぐ横にある石壁を粉砕し、鋭い破片が頬を掠める。
海斗は床を転がりながらベレッタを撃ち返した。
弾丸が綾小路の肩口を掠め、服を切り裂く。赤いものが滲んだが、傷は深くない。
海斗もまた、致命傷となる位置を外していた。
二人とも、本気で相手を止めようとしている。
だが、最後の一線で殺し切ることができない。
その矛盾が、二人の心をさらに追い詰めていた。
「何で外す!」
海斗が怒鳴った。
綾小路は肩口を押さえながら返す。
「お前もだ」
「殺したくねぇんだよ!」
海斗の声が雨の中へ響く。
「でも、お前を止めなきゃ麗華が死ぬんだよ!」
綾小路は何も言わない。
海斗はベレッタを再び構える。
「お前も同じだろ!オレを殺したくない。
でも止めなきゃ堀北が死ぬ。だから撃ってるんだろ!」
その通りだった。
あまりにも正しく、反論の余地がなかった。
だから綾小路は答えられない。
次の瞬間、二人は同時に動いた。
鐘楼から教会内部へ戻り、螺旋階段を駆け下りていく。
海斗は階段の曲がり角で下へ撃ち、綾小路は手すりを盾にして避けながら追う。
綾小路が撃ち返せば、海斗は次の踊り場へ飛び込み、再び距離を作る。
互いに追い、互いに追われながら、一階の本堂へ戻った。
残っていた特殊部隊員のほとんどは武器を失い、
あるいは負傷して戦闘を続けられなくなっている。
祭壇前には、人工心臓のケースが変わらず置かれていた。
海斗が一歩先に到達し、電子ロックへ手を伸ばす。
綾小路はスパス12を構えた。
海斗は振り返らず、片手のベレッタだけを背後へ向けて発砲する。
綾小路は横へ動いて弾丸を避けた。
しかし、スパス12を撃つことはできない。
この距離から散弾を撃てば、海斗だけでなく、
背後の防弾ケースや冷却装置まで破損する可能性があった。
海斗もそれを理解している。
「撃てねぇよな」
「お前もだ」
「ああ」
綾小路が距離を詰める。
海斗が振り返る。
二人の距離が一瞬で消えた。
銃を撃つには近すぎる。
最初に飛んだのは綾小路の拳だった。
海斗は前腕で受け、横から肘を返す。
綾小路は首を傾けて回避し、そのまま海斗の脇腹へ蹴りを入れようとする。
海斗は膝で受け、ベレッタの銃把を綾小路の側頭部へ振り下ろした。
綾小路は腕で打撃を受け止め、その手首を掴む。
海斗は反対の手で殴り、続けて膝を突き上げる。
綾小路は身体を半歩ずらして膝を外し、海斗の腕を引きながら祭壇側へ投げようとする。
海斗は足を絡めて体勢を崩し、二人はもつれるように祭壇へ激突した。
装飾台が大きく揺れ、蝋燭台が床へ倒れる。
火のついた蝋燭が白い羽根の上へ落ち、一瞬だけ小さな炎を上げたが、
割れた窓から吹き込んだ雨によってすぐに消えた。
海斗は肩で息をしている。
綾小路も、普段なら見せないほど呼吸を乱していた。
それでも二人は互いから目を逸らさない。
海斗が低く言う。
「綾小路」
「何だ」
「お前が退けば、全部終わる」
「お前が退いても同じだ」
「だよな」
海斗は悲しげに笑った。
「本当に似た者同士だな、オレたち」
綾小路は少しだけ眉を寄せる。
「認めたくはないが」
「そこは認めろよ」
二人は再び銃を構えた。
今度は、ほとんど銃口を触れ合わせるほどの至近距離だった。
外すことはできない。
避けることもできない。
引き金を引けば、どちらかが確実に倒れる。
森下が叫んだ。
「やめて!」
学も声を上げる。
「綾小路!」
彩が泣きながら海斗の名を呼ぶ。
「海斗さん!」
ツキの声も震えた。
「海斗!」
坂柳は目を伏せ、尊徳は歯を食いしばった。
それでも、二人の指は引き金へ掛かったままだった。
その時、教会の奥から鋭い警告音が鳴った。
全員の視線が人工心臓のケースへ向く。
輸送時の激しい振動。
教会内部での銃撃。
手榴弾の爆発。
ケース周辺への衝撃。
それらが重なり、冷却装置の一部に異常が発生していた。
赤い警告ランプが激しく点滅している。
坂柳が顔色を変えた。
「ケースから離れてください!」
全員が反応した。
だが、すでに遅かった。
冷却装置の圧力弁が破裂し、白い蒸気が一気に噴き出した。
祭壇周辺の視界が白く覆われる。
海斗と綾小路は同時に動いた。
今度は互いを撃つためではない。
人工心臓を守るために、二人とも同じ方向へ手を伸ばした。
しかし、海斗にとっては麗華のために確保すべき人工心臓であり、
綾小路にとっては鈴音を助けるために必要な人工心臓だった。
二人の手はケースへ触れる寸前でぶつかった。
海斗が叫ぶ。
「放せ!」
綾小路も力を緩めない。
「お前が放せ」
「麗華が死ぬ!」
「堀北もだ」
「分かってる!」
「オレも分かっている」
二人はケースを挟んで睨み合った。
周囲には白い蒸気が立ち込め、赤い警告灯が霧の中で点滅している。
頭上では鳩が飛び続け、砕けたステンドグラスから雨が吹き込み、
石床には数え切れない薬莢とガラス片が散乱していた。
その光景は、教会全体が二人のために用意された巨大な墓場であるかのようだった。
綾小路が先に口を開く。
「このままでは人工心臓が壊れる」
海斗は歯を食いしばった。
分かっている。
ここで奪い合えば、冷却装置が完全に停止する。
そうなれば、鈴音も麗華も救えない。
海斗はゆっくりとケースから手を離した。
綾小路も、ほとんど同じ瞬間に手を離す。
ほんのわずかな時間だけ。
二人は再び同じ判断へ辿り着いた。
人工心臓を守る。
それだけは、今も一致していた。
坂柳たちがケースへ駆け寄った。
坂柳は冷却装置の制御端末を確認し、
学と尊徳は残っていた特殊部隊員を後退させる。
ツキは彩を危険な場所から下がらせ、
森下はその場で立ち尽くしたまま、綾小路と海斗を見つめていた。
「もう……やめてください」
森下の声は泣いていた。
「二人とも、もうやめてくださいよ……」
海斗は答えられない。
綾小路も何も言わない。
警告音が止まり、教会に静寂が戻り始めた。
数羽の鳩がまだ天井付近を旋回している。
割れたステンドグラスから雨が吹き込み、床に落ちた白い羽根を濡らしていた。
海斗はベレッタを下げる。
綾小路もガバメントの銃口を床へ向けた。
だが、それは和解ではなかった。
人工心臓を破壊しないために、戦いを一時的に止めただけだった。
海斗が息を整えながら言う。
「今日はここまでだな」
綾小路は静かに答えた。
「そうだな」
「次は止まらねぇかもしれない」
「ああ」
「今度こそ、本当に撃つかもしれない」
「分かっている」
海斗は綾小路へ背を向けた。
雨を吸ったロングコートが重く揺れる。
ツキがその背中へ声を掛ける。
「海斗」
海斗は振り返らなかった。
「悪い」
それだけを残して、教会の出口へ歩き始める。
綾小路も人工心臓のケースから離れた。
学が彼を見る。
「綾小路」
「分かっている」
「本当に分かっているのか」
綾小路は少しだけ足を止めた。
「分かっている」
その声には迷いがなかった。
坂柳は冷却装置の数値が安定したことを確認しながら、静かに目を伏せた。
今夜、人工心臓は守られた。
堀北鈴音と二階堂麗華を救う最後の希望は、辛うじて壊れずに残った。
だが。
綾小路清隆と朝霧海斗の友情だけは、完全に守り切ることができなかった。
教会の鐘が、雨の夜へ低く響いた。
その音は祈りを告げるものではなく、二人を赦すためのものでもなかった。
ただ。
かつて背中を預け合った二人の男が、
もう同じ場所へ戻れなくなったことを告げる、決別の鐘だった。
モチベ維持のために感想・評価をもらえると幸いです。