ザ・ダイハード・マスターピース 作:EXTERMINATION
ホテル裏口の扉が開いた瞬間、潮風と焦げた匂いが同時に流れ込んできた。
さっきまでそこにあったはずの南国リゾートの空気は、もう半分ほど失われていた。
商業エリアへ続く白い遊歩道には、倒れた案内板、割れたガラス、
放置されたキャリーバッグ、ひっくり返ったカートが散乱している。
遠くでは黒煙が上がっていた。
港湾エリア。
そしてマリーナ。
島を囲む海の出入口が、敵の手に落ちつつある。
綾小路清隆はアサルトライフルを構えたまま、周囲を確認した。
朝霧海斗も隣でショットガンを手にしている。
「ひでぇ有様だな」
「まだ序盤だ」
「序盤でこれかよ」
「だから止める」
「違いねぇ」
二人はホテルを背にして、商業エリアへ入った。
中央通りは広い。
両側にはブランドショップ、カフェ、土産物屋、レストランが並んでいる。
本来なら観光客で賑わっていたはずの道。
今は、静かすぎた。
人の気配が消えている。
代わりに、遠くからエンジン音とヘリのローター音が聞こえる。
綾小路の無線に坂柳有栖の声が入った。
『綾小路くん、朝霧さん。現在位置を確認しました。
中央商業エリアに敵の小隊が複数展開しています』
「数は」
『確認できる範囲で二十前後。ですが、建物内にも潜んでいる可能性があります』
海斗が小さく笑う。
「歓迎されてるな」
坂柳は淡々と続ける。
『歓迎というより、誘導ですね。
敵はお二人を中央エリアからマリーナ側へ追い込もうとしているように見えます』
綾小路は通りの先を見る。
「こちらを研究施設から遠ざける気か」
『あるいは、別の目的地へ運ぶつもりかもしれません』
「罠だな」
『はい』
海斗が肩をすくめる。
「罠と分かって進むのか?」
綾小路は短く答える。
「敵の配置を確認する必要がある」
「刑事さんは真面目だな」
「護衛も真面目にやれ」
「やってるだろ」
二人は建物の影を利用して進む。
ガラス張りの店内には、落ちた商品や倒れたマネキンが散乱していた。
数時間前なら、軽井沢が騒ぎ、一之瀬が笑い、
ひよりが静かに店内を眺めていたかもしれない場所。
それが、今は戦場の前段階になっている。
海斗は一瞬だけ視線を落とす。
足元には、子供用のサンダルが片方だけ転がっていた。
「胸糞悪ぃな」
綾小路も見ていた。
「ああ」
海斗は低く言う。
「全部終わったら、あいつらに弁償させようぜ」
「請求書が長くなるな」
「麗華に書かせるか」
「二階堂グループの法務が喜ぶ」
「喜ばねぇだろ」
その時だった。
前方のカフェ二階から、銃口が覗いた。
綾小路が先に気づく。
「上」
海斗は反射的に横へ飛ぶ。
銃声。
弾丸が二人の立っていた床を砕く。
綾小路は柱の陰へ入り、二階の窓へ短く撃ち返す。
敵の銃が弾かれた。
海斗はその隙にショットガンを構え、店先の看板を撃ち倒す。
看板が倒れ、敵の視界を遮った。
「二階に二人」
「奥にもいる」
綾小路は店内のガラスに映った影を見る。
敵は二階だけではない。
右側のレストラン内。
左側の土産物店。
前方の噴水広場。
包囲する形だ。
「海斗、右を崩せ」
「おう」
海斗はレストランへ向けて走る。
敵が射撃する。
海斗はテラス席のテーブルを蹴り倒して盾にしながら前進し、ベレッタ二丁を抜いた。
二つの銃口が別々の方向を向く。
一発目で敵のライフルを弾き、二発目で別の敵の足元を撃つ。
敵が体勢を崩す。
そこへ海斗が踏み込み、肘で一人を倒し、もう一人の腕を捻って床へ叩きつける。
「観光客に迷惑かけんな」
敵兵は呻くだけだった。
綾小路は左側の土産物店へ滑り込む。
棚が倒れ、ぬいぐるみや置物が床に散らばっている。
敵がカウンター奥から銃を向ける。
綾小路は先に床の鏡面反射で位置を読み、弾丸を撃つ。
敵の銃のスリングが切れ、武器が落ちる。
すぐに接近し、手首、肘、首元を押さえて制圧。
動きに無駄がない。
刑事として逮捕するための動き。
だが、相手に反撃の余地は残さない。
「動くな」
冷たい声。
敵は悔しそうに歯を食いしばった。
無線からコマンダーの声が割り込む。
『おいおい、もう中央小隊が崩されてるのか?
刑事さんと護衛さん、働きすぎだぜ!』
海斗が敵の無線機を拾う。
「休暇を邪魔したのはそっちだろ」
『ははっ!言うじゃねぇか、読書家さん!』
「本を読む時間を奪われるのは嫌いなんだよ」
『ならいい本を紹介してやる。タイトルは楽園炎上だ』
「趣味が悪い」
『ベストセラーになるぜ』
海斗は無線機を床に投げ、踏み潰した。
「会話するたびに疲れるな、あいつ」
綾小路が戻ってくる。
「相性は良さそうだ」
「最悪の間違いだろ」
「軽口同士だ」
「同類扱いするな」
二人は噴水広場へ進む。
その瞬間、噴水の向こうから発煙弾が投げ込まれた。
白い煙が一気に広がる。
視界が奪われる。
綾小路は立ち止まらず、耳で周囲の音を拾った。
足音。
三人。
左から二人。
右から一人。
さらに後方の屋上に気配。
海斗も同じように動きを止めた。
「見えねぇな」
「聞け」
「言われなくても」
煙の中から敵が飛び出す。
綾小路は銃を使わず、敵の腕を掴み、体を回転させて地面へ叩きつける。
海斗は右から来た敵をショットガンの銃床で弾き、膝を蹴って倒す。
もう一人がナイフを抜く。
海斗が低く言う。
「南国で刃物か。物騒だな」
敵が突っ込む。
海斗は体を半歩ずらし、相手の手首を打ってナイフを落とす。
そのまま襟を掴み、噴水へ投げ込んだ。
水柱が上がる。
「少し冷やせ」
煙が晴れ始めた。
その時、屋上から狙撃の気配。
綾小路が反応するより一瞬早く、別方向から銃声が響いた。
屋上の敵狙撃手のスコープが砕ける。
敵が姿勢を崩す。
綾小路は視線だけで狙撃元を追う。
遠くの商業ビル屋上。
一瞬だけ、七瀬翼の姿が見えた。
黒い傭兵装備。
スナイパーライフル。
彼女はこちらへ一切合図を送らない。
すぐに身を低くして移動する。
海斗も気づいていた。
「七瀬だな」
「ああ」
「敵のフリして味方撃ってるわけか」
「危険な立場だ」
「無茶しやがる」
綾小路は小さく頷く。
「今は気づかないふりをする」
「了解」
二人はさらに進む。
だが、敵の目的は明らかだった。
中央通りの敵は、二人を完全に止めるつもりではない。
撃ち合いながら、少しずつ進路を変えさせている。
左右の通路を塞ぎ、背後を圧迫し、開けた道を一つだけ残す。
マリーナ方面。
坂柳の声が無線に入る。
『お二人とも、敵の誘導が強くなっています。マリーナへ向かわされています』
綾小路は地図を確認する。
「分かっている」
『避けますか?』
「いや、乗る」
海斗が横目で見る。
「罠に?」
「敵が何を用意しているか確認する」
「刑事の好奇心か」
「必要な情報だ」
「ま、嫌いじゃねぇけどな」
坂柳が続ける。
『マリーナには観光用ボートと水上バイクが残っています。
ただし、敵も武装艇を展開しています』
「港へ抜けられるか」
『可能ですが危険です。敵の海上封鎖ラインと接触します』
◯
その頃、地下シェルターでは、堀北鈴音が坂柳の隣で状況を見ていた。
画面上の綾小路と海斗の位置が、少しずつマリーナ方面へ移動している。
堀北は眉を寄せる。
「かなり危険ね」
坂柳は頷く。
「ですが、敵の海上戦力を確認できれば、島全体の封鎖状況が分かります」
「二人を囮にしているわけね」
「本人たちも理解しています」
「理解しているからといって、心配しないわけじゃないわ」
坂柳は少し微笑んだ。
「素直ですね」
「今はそういう場面ではないでしょう」
「失礼しました」
近くでは、一之瀬帆波が避難民へ水を配っていた。
軽井沢恵は子供たちの相手をしている。
椎名ひよりは怪我をした従業員の手当てを手伝っていた。
森下藍は避難者リストを確認しながら、ツキに何度も話しかけている。
「ツキ」
「何ですか」
「この人、二人いる」
「一人です」
「でも似てる」
「同じ人だからです」
「なるほど」
森下は納得したように頷いた。
ツキがリストを見る。
「こちらも同じ人を三回数えてる」
「人気者ですね」
「違う」
「四人分の働きをしている可能性があります」
「ないない」
軽井沢が横から覗き込む。
「何やってんの?」
森下は真顔で答えた。
「人数を増やしています」
「増やすな!」
ツキも頷く。
「避難者は増やしてはいけない」
「お前も止めるの遅い!」
森下は腕を組む。
「難しいですね」
ツキも腕を組む。
「人類は複雑です」
「避難者名簿の話だよ!?」
軽井沢は頭を抱えた。
「森下さんたち、ほんとブレないよね」
一之瀬は小さく笑う。
「でも、みんな少し安心してる」
ひよりも頷く。
「笑える空気があるだけで、違いますね」
堀北はその会話を聞きながら、改めて思う。
この戦いは綾小路と海斗だけのものではない。
武器を持つ者。
頭脳で支える者。
人を落ち着かせる者。
場を明るくする者。
迷子になりそうで、なぜか人を笑わせる者。
全員に役割がある。
だからこそ、全員で帰るという言葉に意味がある。
一方、麗華は研究施設の遠隔ロックを維持しながら、
別画面で港湾側の状況を見ていた。
「港が完全に制圧されている……」
彩が隣で不安そうに聞く。
「お姉様、研究施設は大丈夫ですか?」
「今はね。でも敵が物理的に侵入すれば、時間の問題になる」
尊徳が低く言う。
「だったら、綾小路たちが港の状況を見に行く意味は大きいな」
麗華は画面を見る。
マリーナ方面へ移動する二つの信号。
綾小路。
海斗。
「分かっているわ」
分かっている。
でも、心配は消えない。
海斗は約束した。
九割戻ると。
麗華はその言葉を思い出し、小さく呟く。
「十割で帰ってきなさいよ」
マリーナへ続く通路に出た瞬間、空気が変わった。
潮の匂いが強くなる。
視界の先には、白い桟橋と並んだモーターボート群。
高級クルーザー。
観光用高速ボート。
水上タクシー。
水上バイク。
その先の海には、敵の武装艇が複数浮かんでいた。
桟橋には傭兵たちが展開している。
綾小路と海斗が姿を現すと、敵が一斉に銃を向けた。
「いたぞ!」
「撃て!」
弾丸が桟橋の木材を削る。
二人は左右に散る。
綾小路はボートの陰へ。
海斗は積まれた救命具のラックの裏へ滑り込む。
「歓迎第二弾か!」
海斗が叫ぶ。
綾小路は敵の配置を確認する。
桟橋上に八人。
ボート上に四人。
海上の武装艇が三隻。
さらに遠くに大型船。
正面突破は無理。
だが、ボートを使えば海上へ出られる。
敵もそれを狙っているのかもしれない。
「海斗、左のボートを使う」
「操縦は?」
「お前だ」
「当然みたいに言うな」
「できるだろ」
「できるけどよ」
「なら問題ない」
「お前のそういうところ、相変わらずだな」
海斗は救命具ラックを蹴り倒し、敵の視界を遮った。
同時に綾小路が閃光弾を投げる。
白い光。
傭兵たちが怯む。
二人は桟橋へ走った。
敵が回復する前に、綾小路は二人の武器を撃ち落とし、
海斗はショットガンで桟橋上の敵を吹き飛ばすように倒す。
あくまで制圧。
だが、容赦はない。
「ボートに乗れ!」
海斗が叫ぶ。
綾小路が先に飛び乗り、後部座席から周囲を警戒する。
海斗は操縦席に滑り込み、エンジンをかけた。
低い唸り。
ボートが震える。
「動けよ……」
敵が桟橋から撃ってくる。
弾丸が船体を叩く。
海斗は舌打ちしながらスロットルを押し込んだ。
高速ボートが一気に前へ飛び出す。
桟橋を離れ、海へ。
潮風が顔を打つ。
背後で敵が叫ぶ。
「追え!」
武装艇が動き出す。
マリーナの静かな海が、一瞬で戦場になった。
海斗はハンドルを握りながら叫ぶ。
「掴まってろ!」
「分かってる」
ボートは桟橋の間をすり抜ける。
左右には停泊中の高級クルーザー。
狭い。
だが海斗は速度を落とさない。
敵の武装艇が後ろから追ってくる。
機関銃が火を噴く。
弾丸が水面を叩き、水柱が上がる。
綾小路は後部から応戦する。
敵の船体ではなく、武器。
銃座。
エンジン部の外装。
狙う場所を絞る。
一隻目の武装艇の機関銃が火花を散らして停止した。
海斗が笑う。
「いい腕だな、刑事さん」
「前を見ろ」
「見てる」
その直後、前方に観光用の大型クルーザーが停泊していた。
海斗はギリギリでハンドルを切る。
ボートが大きく傾き、クルーザーの側面をかすめる。
綾小路は片手で縁を掴みながら体勢を維持する。
「見ているとは」
「避けただろ」
「紙一重だ」
「紙でも避けりゃ勝ちだ」
背後の武装艇は避けきれず、クルーザーの横腹に衝突しかけて急旋回する。
その隙に海斗は水路の狭い方へ入った。
マリーナの内側。
停泊船の間を縫うように進む。
敵の大型武装艇は追いにくい。
だが、小型艇が二隻、速度を上げて迫ってきた。
綾小路の無線に坂柳の声。
『現在、海上へ出ましたね』
海斗が叫ぶ。
「実況どうも!」
坂柳は冷静に続ける。
『前方三百メートルに可動橋があります。
通常なら閉じていますが、遠隔で上げられます』
綾小路が言う。
「上げてくれ」
『タイミングが重要です。早すぎると敵も通ります。遅すぎるとお二人が衝突します』
海斗が顔を引きつらせる。
「さらっと怖いこと言うな!」
坂柳が涼しく言う。
『朝霧さんの操縦技術に期待します』
「期待が重い!」
綾小路は淡々と言う。
「速度を上げろ」
「お前まで!」
「追いつかれる」
「分かってるよ!」
海斗はスロットルをさらに押し込む。
ボートが跳ねる。
水面を叩くたびに衝撃が体に響く。
可動橋が見えてきた。
低い橋。
このままでは通れない。
背後には小型艇が迫る。
綾小路は敵の進路を撃ち、水柱で視界を乱す。
敵も撃ち返す。
弾丸がボートの後部に当たり、破片が飛ぶ。
海斗が叫ぶ。
「坂柳!」
坂柳の声。
『三、二、一』
可動橋が上がり始めた。
遅い。
まだ低い。
海斗は速度を落とさない。
綾小路が横を見る。
「通れるか」
「通す!」
橋が上がる。
ボートがその下へ突っ込む。
ギリギリ。
上部がかすめるほどの距離。
金属音。
アンテナが折れる。
だが、ボートは通過した。
背後の小型艇は同じタイミングで通ろうとして、橋の端に接触し、大きくバランスを崩した。
一隻が桟橋へ乗り上げる。
もう一隻は急旋回して衝突を避けるが、速度が落ちた。
海斗が笑う。
「通ったぞ!」
坂柳が答える。
『予想より雑でしたが成功です』
「褒めろよ!」
『生きているので十分です』
綾小路が言う。
「同感だ」
「お前もかよ」
ボートはマリーナを抜け、外海へ出た。
そこには、さらに広い戦場が待っていた。
港湾エリアの方角には黒煙。
敵の武装艇が封鎖線を作っている。
大型輸送船が沖合に停泊し、ヘリが低空を飛んでいる。
島は完全に包囲されていた。
綾小路はその光景を見て、無線に言う。
「坂柳、見えた。海上封鎖は少なくとも十隻以上。
大型船が三。ヘリ搭載艦らしき船もある」
『やはり本格的ですね』
「外部救援は簡単には入れない」
『警察や海上保安庁への通信は遮断されています。
こちらから突破口を作る必要があります』
海斗が口を挟む。
「今まさに突破口探し中だ!」
その瞬間、前方から敵の武装艇が二隻回り込んできた。
挟み撃ち。
海斗は左へ切る。
綾小路は後部から撃つ。
敵艇の銃座を狙うが、波で揺れる。
簡単ではない。
敵の機関銃が水面を薙ぐ。
水柱が連続して上がり、ボートに降り注ぐ。
海斗は叫ぶ。
「濡れるだけなら南国らしいけどな!」
「冗談を言う余裕はあるのか」
「なくても言うんだよ!」
前方の武装艇が進路を塞ぐ。
海斗は急旋回する。
ボートが大きく横滑りし、波を切る。
綾小路は体を低くしながら、手榴弾を取り出した。
海斗が横目で見る。
「それ使うのか?」
「船体は狙わない」
「じゃあどこだ」
「前方の浮標」
海上には航路を示す大型の金属浮標があった。
綾小路はピンを抜き、タイミングを測って投げる。
手榴弾は浮標の横で爆発した。
瞬間、海面が内側から持ち上がった。
白い水柱が爆炎に押し上げられ、
巨大な浮標が鎖ごと悲鳴を上げるように跳ねる。
オレンジ色の火球が海風に潰されながら広がり、
黒煙と水飛沫が一斉に空へ噴き上がった。
砕けた金属片が水面を跳ね、固定ワイヤーが弾けるように暴れ回る。
爆圧を受けたボートが横殴りに揺れ、
海斗は歯を食いしばってハンドルを押さえ込んだ。
背後では追跡していた武装艇が視界を奪われ、
炎と水柱の壁に突っ込む寸前で進路を乱した。
一隻がもう一隻に接触し、速度を落とした。
海斗が感心する。
「器用な使い方すんな」
「爆破は最小限だ」
「刑事さんらしいな」
「お前なら船を直接狙ったか」
「場合による」
「否定しないんだな」
「護衛だからな」
「便利だな」
「お互い様だ」
その時、遠くの屋上から再び狙撃音。
七瀬だった。
彼女は商業エリアの高層ビル屋上から、海上の敵艇を狙っていた。
距離はある。
風も強い。
それでも七瀬の弾丸は、敵艇の照準装置を正確に撃ち抜いた。
武装艇の機関銃が沈黙する。
敵側通信が荒れる。
『スナイパー、今の射撃は何だ!』
七瀬は平然と答える。
「誤射です。波と風の影響で照準がずれました」
『ふざけるな!味方の装備を撃ったぞ!』
「次は修正します」
七瀬は次弾を装填する。
そして、また別の敵艇のアンテナを撃ち抜いた。
「修正しました」
無線の向こうで怒号が響く。
七瀬は表情を変えない。
だが、心の中では時間を数えていた。
綾小路たちが港の封鎖状況を確認し、無事に戻るまで。
敵の指揮系統を乱す。
通信を乱す。
狙撃で装備を壊す。
殺さずに、戦力を削る。
海上では、綾小路と海斗のボートが港湾エリアへ近づいていた。
巨大なコンテナクレーンが夕暮れの空に影を落としている。
コンテナ港は既に敵の制圧下だった。
黒装備の兵士たちがコンテナの間を移動し、クレーン上には監視員。
港の管制塔には敵の旗。
綾小路は双眼鏡で確認する。
「港湾管制は敵の手に落ちている。コンテナ倉庫に装備を集めているな」
海斗が操縦しながら言う。
「つまり、港を取り返せば補給線を切れるってことか」
「そうなる」
「でも今は無理だな」
「ああ。数が多すぎる」
その時、港側から大型武装艇が出てきた。
先ほどまでの小型艇とは違う。
装甲が厚い。
銃座も二つ。
正面にロケットランチャー。
海斗が顔をしかめる。
「ボスキャラ来たぞ」
綾小路は冷静に言う。
「戦うな。逃げる」
「賛成」
大型艇がロケットを発射する。
海斗はボートを急旋回させる。
ロケット弾が横を通過し、水面で爆発。
巨大な水柱が上がり、ボートが大きく揺れる。
綾小路は縁を掴んで耐える。
「速度は」
「出してる!」
「もっと出せ」
「エンジンに言え!」
海斗は港の外周を回り込むように進む。
前方にはコンテナ船の影。
巨大な船体が壁のように立ちはだかる。
海斗はその脇の狭い隙間へ向かう。
綾小路が言う。
「通れるのか」
「通す!」
「さっきも聞いた」
「じゃあ二回目だ!」
ボートはコンテナ船と防波堤の間へ突っ込む。
狭い。
波が反射して荒れている。
少しでもミスれば船体にぶつかる。
大型武装艇は追ってこられない。
だが、小型艇が二隻、後ろから入ってきた。
狭い水路での追跡戦。
逃げ場は少ない。
綾小路は後ろを向き、敵艇の先頭を狙う。
「海斗、少し右へ寄せろ」
「何かあるのか?」
「ある」
綾小路は水路脇に積まれていた燃料ドラム缶へ向けて数発撃ち込んだ。
次の瞬間――。
轟音と共に巨大な爆炎が噴き上がった。
狭い水路全体が揺れ、赤い火球が壁のように広がり、
吹き飛んだドラム缶や破片が雨のように海面へ降り注ぐ。
爆風を真正面から浴びた一隻目の小型艇は船首が跳ね上がり、
二隻目も避けきれず横腹へ激突した。
衝突した二隻の間からさらに火花が散り、連鎖するように二度目の爆発が起きる。
巨大な水柱と黒煙が夜空へ噴き上がり、水路全体が炎に照らされた。
海斗が思わず笑う。
「おいおい、今回は随分派手じゃねぇか!」
綾小路は淡々と答えた。
「たまには映画映えも必要だろ」
海斗はニヤリと笑った。
「違いねぇ。南国アクション映画らしくなってきたな」
水路を抜けると、再び開けた海に出た。
だが、そこには別の敵艇が待っていた。
三隻。
扇形に展開している。
中央の艇に、通信スピーカーが付いていた。
コマンダーの声が響く。
『おいおい、逃げ足も速いな!
刑事さん、護衛さん、ボートの運転までできるのかよ!』
海斗が怒鳴る。
「うるせぇ!観光中だ!」
『最高の観光ルートだろ?左に港、右に爆炎、後ろに追手だ!』
「レビューは星一つだ!」
『厳しいな!』
綾小路が海斗を見る。
「会話しながら操縦するな」
「向こうが話しかけてくるんだよ」
「無視しろ」
「腹立つだろ」
「分かるが」
敵艇が一斉に迫る。
綾小路は残りの弾数を確認する。
アサルトライフルは残り少ない。
ショットガンも限られている。
手榴弾も無駄に使えない。
海斗のボートも被弾している。
長くは走れない。
その時、坂柳の声が入る。
『お二人とも、右前方に観光用の洞窟水路があります。
島の岩礁地帯を抜けて、ホテル裏の小型桟橋へ戻れます』
海斗が反応する。
「洞窟?」
『狭く、急カーブが多いですが、大型艇は入れません』
綾小路が即答する。
「そこへ向かう」
海斗は笑う。
「南国アトラクションだな」
坂柳が涼しく言う。
『安全基準では低速走行推奨です』
海斗がスロットルを押し込む。
「高速で行く!」
『でしょうね』
綾小路が前方を見る。
岩礁地帯。
その中に黒い洞窟の入口が見える。
波が白く砕けている。
入口は狭い。
敵艇は後ろから迫る。
機関銃が再び火を噴く。
ボートの後部が撃たれ、煙が上がり始めた。
海斗が舌打ちする。
「エンジンやられかけてる!」
「持たせろ」
「無茶言うな!」
「できるだろ」
「できるけどよ!」
ボートは洞窟入口へ突入した。
一瞬で光が減る。
岩壁が左右に迫る。
天井から水滴が落ちる。
反響するエンジン音。
海斗はハンドルを細かく切り、岩壁をかわして進む。
綾小路は後ろを見る。
敵の小型艇が一隻だけ追ってきた。
他は入口で速度を落としている。
「一隻来た」
「しつこいな!」
洞窟内は射撃しづらい。
跳弾の危険がある。
綾小路は銃を下げ、周囲を見る。
前方に低い岩棚。
海斗がそれに気づく。
「頭下げろ!」
二人は同時に身を低くする。
ボートは岩棚の下をギリギリで通過した。
背後の敵艇は反応が遅れ、上部装備を岩にぶつけて火花を散らす。
速度が落ちる。
綾小路はその隙に、洞窟壁に取り付けられていた観光用照明の支柱を撃った。
支柱が倒れ、水面に落ちる。
敵艇は避けようとして岩壁に接触し、停止した。
海斗が叫ぶ。
「よし!」
だが、その瞬間。
彼らのボートのエンジンが大きく咳き込むような音を立てた。
速度が落ちる。
「まずいな」
綾小路が言う。
海斗は計器を見る。
「まずいどころじゃねぇ。あと少しで止まる」
「出口は」
「見えてる!」
洞窟の先に、夕焼けの光が見えた。
出口。
だが、ボートの速度は落ち続ける。
背後からは、洞窟入口に入れなかった敵艇の声と銃声が反響している。
海斗はスロットルを最大にする。
エンジンが悲鳴を上げる。
ボートは最後の力で前へ進む。
出口を抜けた。
視界が一気に開ける。
ホテル裏手の小型桟橋が見える。
だが、そこでエンジンが完全に止まった。
ボートは惰性で進む。
速度が足りない。
桟橋まで届かない。
海斗が舌打ちする。
「泳ぐか?」
綾小路は前を見る。
小型桟橋の近くに係留ロープが垂れている。
「ロープを取る」
「どうやって」
綾小路は立ち上がり、ボートの先端へ移動する。
海斗が叫ぶ。
「落ちるぞ!」
「操縦しろ」
「もう止まってる!」
綾小路はボートの先端から身を乗り出し、ロープへ手を伸ばす。
ギリギリ届かない。
その瞬間、海斗が後ろから綾小路のベルトを掴んだ。
「行け!」
綾小路がさらに身を伸ばし、ロープを掴む。
ボートが大きく揺れる。
二人はバランスを崩しそうになりながらも、ロープを使って船体を桟橋へ引き寄せる。
なんとか接岸。
二人は桟橋へ飛び移った。
次の瞬間、ボートの後部から煙が上がり、小さな爆発音を立てた。
海斗が振り返る。
「レンタル代、どうなるんだ」
綾小路が息を整えながら言う。
「敵に請求だ」
「便利な答えだな」
二人は桟橋の影へ身を隠す。
遠くの海では、敵艇がまだ捜索している。
だが、洞窟を抜けたことで一時的に追跡は切れた。
綾小路は無線を入れる。
「坂柳、戻った。海上封鎖の規模を確認した」
坂柳の声が返る。
『無事で何よりです。映像データも受信しました。
これで敵の海上配置をかなり把握できます』
海斗が無線に向かって言う。
「次から観光案内に高速ボートで銃撃戦って書いとけ」
坂柳は淡々と返す。
『不評になるので遠慮します』
「だろうな」
堀北の声が割り込む。
『綾小路くん、怪我は?』
「ない」
少しの沈黙。
『本当に?』
「ボートが壊れた」
『あなたのことを聞いているのよ』
「擦り傷程度だ」
『それは怪我よ』
前回と同じやり取り。
海斗が隣で笑う。
「怒られてるぞ」
綾小路は淡々と返す。
「いつものことだ」
麗華の声も入る。
『海斗、無事?』
「九割な」
『十割と言ったでしょう』
「じゃあ九・五割」
『海斗』
「無事だよ」
麗華は小さく息を吐いた。
『よかった』
海斗は一瞬だけ黙り、少し柔らかい声で言った。
「すぐ戻る」
『信用していいの?』
「今度は九・七割」
『刻まないで』
「善処する」
通信の向こうで、麗華が呆れながらも笑った気配があった。
綾小路と海斗は桟橋からホテル方面へ移動する。
夕陽はほとんど沈みかけている。
空は赤から紫へ変わり始めていた。
常夏の楽園は、夜を迎えようとしている。
その夜が、平穏なものになるはずはなかった。
遠くの港では、敵の大型船がライトを点け始めている。
海上封鎖は完成しつつある。
コンテナ港は敵の補給拠点。
マリーナは封鎖。
通信施設は沈黙。
ジャングルにはジャンボー。
そして、コマンダーはまだ本気を出していない。
海斗は胸ポケットの文庫本を軽く叩いた。
ひよりから受け取った本。
まだ読めていない。
「戻って読む時間、あると思うか?」
綾小路は歩きながら答える。
「作るしかない」
「読書時間まで守るのか」
「それも日常だろ」
海斗は少しだけ笑った。
「ああ。違いねぇ」
その頃。
港湾エリアの大型船上。
コマンダーはボートチェイスの報告を聞いて、愉快そうに笑っていた。
「逃げ切ったか。やるじゃねぇか」
部下が苛立った声で言う。
「追跡艇三隻が損傷。小型艇二隻が行動不能。ホテル制圧も遅れています」
「いいじゃねぇか。退屈しない」
「作戦に支障が」
コマンダーは部下を見た。
笑っていたが、目は冷たい。
「目的は忘れてねぇ。麗華を押さえる。研究施設を奪う。島を封鎖する。それはやる」
「では、次は」
コマンダーは港の奥、巨大コンテナ群を見た。
「ホテルで遊びすぎた。次は派手に行く」
彼は無線を取る。
「ジャンボー。聞こえるか」
しばらく沈黙。
そして、低い声が返る。
『……聞こえている』
「刑事さんと護衛さんが戻った。次は森を使うか?」
『森は急がない』
「相変わらずだな」
『獲物は必ず足跡を残す』
コマンダーは笑った。
「じゃあ俺は港で花火を準備する。あいつらをこっちへ引きずり出す」
『騒がしい』
「俺の長所だ」
『短所だ』
「ひでぇな!」
コマンダーは豪快に笑った。
そして、島の中心部を見た。
「さあ、刑事さん。護衛さん。次の観光スポットはコンテナ港だ」
同じ頃、商業ビルの屋上。
七瀬翼はスナイパーライフルを分解し、移動準備をしていた。
敵通信では、彼女への疑いが強まりつつある。
長くは続かない。
だが、まだ動ける。
七瀬は遠くのホテルを見た。
「綾小路先輩。朝霧さん」
彼女は小さく呟く。
「私は私の場所で、戦います」
その背後で、敵兵の足音が近づいていた。
「おい、スナイパー。さっきの誤射について確認がある」
七瀬は表情を変えず、振り返った。
「分かりました」
右手は自然に腰の拳銃へ近づいている。
彼女の潜入もまた、限界に近づいていた。
ホテル裏手。
綾小路と海斗は、ようやく地下シェルターへ戻る通路に入った。
遠くから軽井沢の声が聞こえる。
「ちょっと!二人ともびしょ濡れじゃん!」
森下の声も響く。
「綾小路清隆!朝霧海斗!迷子どころか海水浴ですか!」
ツキが静かに言う。
「南国を満喫してる」
海斗は疲れた顔で呟いた。
「満喫してねぇよ」
綾小路は少しだけ口元を緩めた。
「少なくとも、情報は得た」
「代償はボート一台だな」
「敵に請求する」
「はいはい」
二人は歩き続ける。
ボートチェイスは終わった。
だが、戦いは始まったばかりだった。
島を封鎖する敵。
狙われる研究施設。
森に潜むジャンボー。
港で待つコマンダー。
そして、敵の中で孤独に動く七瀬。
全員で帰るためには、まだ足りないものが多すぎる。
それでも。
綾小路と海斗は戻ってきた。
約束通りに。
全員で帰るという言葉を、ただの願いにしないために。
常夏の夜が、戦火の匂いを帯びて迫ってくる。
次の戦場は、リゾートホテル。
そして、その先に待つのは、さらに大きな戦いだった。