ザ・ダイハード・マスターピース   作:EXTERMINATION

92 / 94
第92話 全員で帰る

船は炎に囲まれていた。

 

大型クルーズ船の周囲では、

高円寺六助によって爆破された敵の高速艇が燃え続けている。

 

夜の海面には赤い炎が揺れ、黒煙が白い船体を汚していた。

 

船底に仕掛けられた三つの爆薬は止めた。

 

エネルギー干渉装置も停止した。

 

最上甲板の爆薬も解除した。

 

それでも、まだ終わっていない。

 

船は海上に取り残されている。

 

操船システムは混乱し、船内には敵の残存部隊がいる。

 

このまま放置すれば、船は漂流し、やがて制御を失う。

 

そして何より、島へ戻らなければならない。

 

綾小路清隆と朝霧海斗は、バラスト制御室から船橋へ向かって走っていた。

 

七瀬翼は貨物区画から上層へ戻り、別ルートで合流を目指している。

 

ジャンボーとコマンダーも第一機関区から上がってくる。

 

敵か味方か曖昧な二人まで巻き込んだ、奇妙な総力戦だった。

 

海斗は階段を駆け上がりながら言う。

 

「まさかコマンダーとジャンボーと一緒に船を戻すことになるとはな」

 

綾小路は前を見たまま答える。

 

「目的が一致している間だけだ」

 

「便利な言い方だな」

 

「事実だ」

 

「それもそうか」

 

無線に堀北鈴音の声が入る。

 

『船橋は最上層前方よ。ただし、敵の残存部隊がそこを押さえている』

 

坂柳有栖が続ける。

 

『船橋を占拠しているのは、コマンダーとは別系統の部隊です。

高円寺さんの仕掛けを利用して、船を奪って逃げようとしている可能性があります』

 

麗華の声も緊迫している。

 

『船橋を取れれば、私の認証で操船補助システムへ入れる。

島の港へ戻すにはそれしかないわ』

 

海斗が眉をひそめる。

 

「コマンダーの部下じゃない敵まで残ってるのかよ」

 

綾小路は短く言った。

 

「統率が崩れた組織は、最後にバラバラに動く」

 

「厄介だな」

 

「だから早く止める」

 

その頃、第二シェルターでは全員が緊張の中で通信を聞いていた。

 

避難民の多くはようやく落ち着き始めているが、船の状況が分からない不安は大きい。

 

一之瀬帆波は避難民へ声をかけ続けていた。

 

「大丈夫です。もう少しだけ、ここで待ちましょう」

 

椎名ひよりは子供たちに水を渡す。

 

「ゆっくり飲んでくださいね」

 

軽井沢恵は両手を腰に当てて言う。

 

「ほら、ここまで来たら絶対大丈夫だから!あの二人、しぶといし!」

森下藍は何度も人数を確認していた。

 

「一、二、三……」

 

ツキが隣で楽しそうに見ている。

 

「藍、今回は数え方が真剣だね」

 

「いつも真剣です」

 

「でも顔が必死すぎて、避難民の方が逆に心配しているよ」

 

「えっ、そうなんですか?」

 

「はい。森下藍見守り隊が結成されつつある」

 

森下は少し考えた。

 

「隊長は誰ですか」

 

「現在調査中」

 

「重要ですね」

 

軽井沢が吹き出した。

 

「そこ気にするの!?」

 

ツキは続ける。

 

「副隊長候補も募集中」

 

「立候補できますか」

 

「できます」

 

「では立候補します」

 

「本人参加型です」

 

「画期的ですね」

 

軽井沢はお腹を抱えて笑った。

 

「何その組織!」

 

森下は胸を張る。

 

「自分を見守ることで弱点を分析できます」

 

「効率的」

 

「効率的です」

 

一之瀬も思わず笑う。

 

ひよりも肩を震わせた。

 

「でも、本当に助かってるよ」

 

「はい」

 

「森下さんとツキさんのおかげで、みんな少し笑えています」

 

森下は少し考えた。

 

「そうなのですか」

 

「理解した」

 

「私は避難所娯楽担当だったんですね」

 

「兼任です」

 

「管理担当と兼任ですね」

 

「多忙です」

 

「忙しいです」

 

ひよりが吹き出した。

 

ツキが続ける。

 

「森下藍、褒められると少し元気になる」

 

「確かに」

 

「メモした」

 

「私もメモします」

 

「自己分析です」

 

「向上心があります」

 

一之瀬が笑う。

 

「二人とも、そこは否定しないんだね」

 

森下とツキは少し考えた。

 

そして同時に頷いた。

 

「褒められるのは嬉しいです」

 

「人類です」

 

「人類ですね」

 

軽井沢は笑いながら言った。

 

「もうこの二人ダメだって!」

 

少し離れた場所では、尊徳が彩の隣に立っていた。

 

彩は避難者名簿と施設図を見ながら、従業員へ指示を出している。

 

「第二シェルターの奥は子供たちを優先してください。医療キットは右側の棚にあります」

 

尊徳はその様子を見て、軽く笑った。

 

「彩様、かなり板についてきましたね」

 

彩は少し驚いたように振り向く。

 

「そう見えますか?」

 

「はい。最初は手が震えていましたけど、今はちゃんと周りを見ています」

 

「まだ怖いです」

 

「怖くても動けているなら十分です。

無理だけはしないでくださいね。そこは俺が止めますから」

 

彩は小さく頷いた。

 

「はい。ありがとうございます、尊徳さん」

 

「どういたしまして。まあ、海斗たちが戻ったら少し文句は言いましょう。無茶しすぎです」

 

彩は少しだけ笑った。

 

「それは私も言いたいです」

 

麗華はその会話を聞きながら、端末に向かっていた。

 

船橋の遠隔制御を取る準備。

 

エネルギーコアの監視。

 

クルーズ船の船内図。

 

一つでも間違えば、帰還が難しくなる。

 

坂柳は隣で淡々と解析を続けている。

 

堀北は状況を整理し、各所へ指示を出している。

 

武器は持っていない。

 

だが、ここも戦場だった。

 

船内上層。

 

綾小路と海斗は前方ラウンジへ出た。

 

船橋へ続く最後の通路。

 

そこは敵の残存部隊によって完全に封鎖されていた。

 

バリケード。

 

机。

 

金属棚。

 

防弾盾。

 

銃座。

 

敵の数は十数人。

 

さらに船橋の扉前には爆薬らしきものも見える。

 

海斗が顔をしかめる。

 

「最後まで丁寧に塞いでるな」

 

綾小路は敵の配置を見る。

 

「船橋を人質にしている。こちらが強引に突破すれば操船設備ごと壊すつもりだ」

 

「面倒くせぇ」

 

「だが、時間はない」

 

その時、反対側の通路から七瀬が合流した。

 

息は荒いが、目はまだ鋭い。

 

「遅れました」

 

海斗が笑う。

 

「いいタイミングだ」

 

七瀬は船橋前を見る。

 

「高所がありません。狙撃は難しいです」

 

綾小路が言う。

 

「なら、照明を落とす」

 

海斗がにやりとする。

 

「いつものやつだな」

 

七瀬が頷く。

 

「了解です」

 

敵が三人を見つける。

 

「来たぞ!」

 

銃撃が始まった。

 

弾丸がラウンジの壁を削り、ガラス装飾を砕き、床に火花を散らす。

 

綾小路は柱の裏へ、海斗はソファを蹴り倒して遮蔽物へ、

七瀬は観葉植物の影へ滑り込む。

 

七瀬が最初に撃った。

 

天井照明の一つが砕ける。

 

綾小路が続けて反対側を撃つ。

 

海斗は敵の投光器を二丁拳銃で同時に撃ち抜く。

 

通路が一気に暗くなる。

 

赤い非常灯だけが残る。

 

海斗が叫ぶ。

 

「突っ込むぞ!」

 

綾小路が閃光弾を投げた。

 

白い光。

 

敵の動きが止まる。

 

三人は同時に前へ出る。

 

海斗が正面で敵の盾を撃ち、七瀬が盾の隙間から覗く武器を撃ち落とす。

 

綾小路はバリケードの横へ回り込み、敵の足元を狙う。

 

敵の隊列が崩れる。

 

だが、船橋前の敵が爆薬へ手を伸ばした。

 

七瀬が気づく。

 

「爆薬!」

 

綾小路は角度が悪い。

 

海斗も敵に塞がれている。

 

その瞬間、通路の奥から矢が飛んだ。

 

ジャンボーだった。

 

ハチマキを巻き、弓を構えたまま歩いてくる。

 

矢は爆薬に触れず、起爆装置のスイッチだけを弾き飛ばした。

 

海斗が叫ぶ。

 

「器用すぎるだろ!」

 

ジャンボーは低く言う。

 

「……静かに狩る」

 

その隣から、コマンダーが大型ナイフを担いで現れた。

 

「遅刻したか?」

 

海斗が言う。

 

「派手に来ると思ったら意外と地味だな」

 

コマンダーは笑う。

 

「弾が少なくてな。刃物の時間だ」

 

ジャンボーが敵の武器を矢で弾き、コマンダーがバリケードへ突っ込む。

 

大型ナイフの背で敵の銃を払い、盾を蹴り倒す。

 

「悪いな。今は俺もそっちへ行く用がある」

 

敵が混乱する。

 

「コマンダー!?」

 

「裏切ったのか!」

 

コマンダーは笑う。

 

「裏切りじゃねぇ。方針変更だ!」

 

海斗が呟く。

 

「便利な言い方しやがって」

 

綾小路はその混乱を逃さない。

 

船橋扉前へ到達し、爆薬の状態を確認する。

 

麗華の声。

 

『それは扉破壊用。起爆装置だけ外せば無力化できるわ。右側の金具を開けて』

 

綾小路が操作する。

 

海斗、七瀬、ジャンボー、コマンダーが敵を抑える。

 

銃声。

 

矢。

 

大型ナイフ。

 

拳。

 

全てが混ざり合う。

 

船橋前は一気に乱戦になった。

 

七瀬が敵の武器を撃ち落とす。

 

海斗が二丁拳銃で敵を下がらせる。

 

ジャンボーの矢が敵の通信機を壊す。

 

コマンダーが敵を壁へ叩きつける。

 

「後で反省会だ!」

 

敵が呻く。

 

海斗が叫ぶ。

 

「反省するのはお前もだろ!」

 

「俺は反省しない主義だ!」

 

「最悪だな!」

 

綾小路が起爆装置を外す。

 

爆薬は沈黙した。

 

「解除」

 

麗華が答える。

 

『確認したわ。扉を開けられる!』

 

船橋の扉が開いた。

 

中には、敵の最後の指揮官がいた。

 

通信担当の男。

 

高円寺の仕掛けを利用し、船を奪おうとしていた残党。

 

彼は操船端末の前で銃を構えていた。

 

「近づくな!この船を座礁させるぞ!」

 

海斗が眉をひそめる。

 

「最後に小物が出てきたな」

 

男は叫ぶ。

 

「黙れ!」

 

綾小路は冷静に船橋の状況を確認する。

 

操船端末。

 

レーダー。

 

通信装置。

 

自動航行システム。

 

どれも一部破損している。

 

男が撃てばさらに壊れる。

 

「銃を下ろせ」

 

綾小路が言う。

 

「お前に逃げ道はない」

 

男は笑った。

 

「なら全員道連れだ!」

 

その瞬間、七瀬が動いた。

 

床に落ちていた金属片を蹴る。

 

男の視線が一瞬ずれる。

 

海斗がベレッタを撃つ。

 

銃そのものではなく、男の足元。

 

男がバランスを崩す。

 

綾小路が一気に距離を詰め、手首を掴み、銃を奪った。

 

男は床へ押さえ込まれる。

 

「終わりだ」

 

短い言葉だった。

 

船橋は奪還された。

 

だが、すぐに次の問題が来る。

 

船は進路を失っている。

 

自動航行は壊れかけている。

 

手動操船が必要だった。

 

麗華の声が飛ぶ。

 

『綾小路くん、船橋端末に接続して!』

 

綾小路が端末へ接続機を差し込む。

 

坂柳が解析する。

 

『操船補助に入れました。ですが、推進制御が不安定です』

 

堀北が地図を見ながら言う。

 

『島の東側港湾に戻すには、

右舷を大きく回り込む必要があるわ。でも速度が落ちない』

 

海斗が操舵輪を見る。

 

「誰が動かす?」

 

コマンダーが一歩前に出る。

 

「俺がやる」

 

海斗が疑う。

 

「できるのか」

 

「大型船は少しだけな」

 

ジャンボーが言う。

 

「……少しだけ」

 

海斗が即座に言う。

 

「お前は黙ってろ。少しだけが怖い」

 

コマンダーは操舵輪を握る。

 

「安心しろ。沈むのは趣味じゃない」

 

麗華が指示する。

 

『船首を南東へ。速度を落とすために左舷側の推進を絞って』

 

コマンダーが操作する。

 

船が大きく揺れる。

 

七瀬が手すりを掴む。

 

海斗が操船補助パネルを見る。

 

「反応鈍いぞ!」

 

坂柳が言う。

 

『推進系統の一部が破損しています。手動でバランスを取る必要があります』

 

綾小路は別の端末へ向かう。

 

「海斗、右舷推進を見ろ」

 

「了解!」

 

二人は端末を操作する。

 

麗華が指示を出し、坂柳が数値を読む。

 

堀北が進路を整理する。

 

船橋は一気に戦場とは別の緊張に包まれた。

 

銃撃ではない。

 

爆発でもない。

 

巨大な船を島へ戻すための戦い。

 

高円寺の声はもう聞こえない。

 

だが、最後の試練はまだ続いている。

 

船首の先に島が見えてきた。

 

燃える港。

 

崩れたクレーン。

 

破壊されたマリーナ。

 

その奥に第二シェルターがある。

 

仲間たちがいる。

 

避難民がいる。

 

その時、船尾側で爆発音が響いた。

 

残っていた敵の弾薬が誘爆したのだ。

 

船が大きく傾く。

 

操船数値が乱れる。

 

麗華が叫ぶ。

 

『右舷推進が落ちた!』

 

坂柳が続ける。

 

『このままだと港ではなく浅瀬へ流されます!』

 

海斗が歯を食いしばる。

 

「まだ来るのかよ!」

 

綾小路は端末を見る。

 

「左舷推進を一瞬だけ上げる」

 

麗華が叫ぶ。

 

『上げすぎると横転しかけるわ!』

 

「一瞬でいい」

 

堀北が言う。

 

『三秒だけ。四秒なら危険よ』

 

綾小路が頷く。

 

「三秒」

 

海斗がレバーに手を置く。

 

「数えろ」

 

堀北が言う。

 

『三、二、一、今!』

 

海斗がレバーを上げる。

 

船体が軋む。

 

巨大な船が海面を押しながら、ゆっくり向きを変える。

 

一秒。

 

二秒。

 

三秒。

 

「戻せ!」

 

海斗がレバーを戻す。

 

船は大きく揺れたが、進路を取り戻した。

 

コマンダーが操舵輪を握りながら笑う。

 

「いいねぇ!最後は船の運転か!」

 

海斗が叫ぶ。

 

「楽しんでる場合か!」

 

「楽しまなきゃ損だろ!」

 

ジャンボーは静かに船首を見ていた。

 

「……島へ戻る」

 

七瀬は疲れた声で言う。

 

「戻れます」

 

綾小路は無線を入れる。

 

「第二シェルター、聞こえるか」

 

一之瀬の声。

 

『聞こえてる!』

 

軽井沢の声。

 

『戻ってこれるの!?』

 

ひよりの声。

 

『皆さん、ご無事ですか?』

 

森下の声。

 

『綾小路清隆、朝霧海斗、七瀬翼、

どこですか?船ですか?船ですよね?』

 

ツキが楽しそうに言う。

 

『藍ちゃん、船にいる人へ船ですかと聞くのは、なかなか斬新』

 

少し沈黙。

 

『確認です』

 

『何の確認?』

 

『もしかしたら船じゃないかもしれません』

 

『現在進行形で乗ってる』

 

『偽装船の可能性もあります』

 

『どんな状況』

 

『油断は禁物です』

 

『藍ちゃんの想像力が一番危険』

 

『安全第一です』

 

『方向性が違う』

 

尊徳の声も入る。

 

『こちらも準備できている。戻ったらすぐ誘導する。あと少しだ』

 

彩が言う。

 

『お姉様、見えます!船が戻ってきています!』

 

麗華の声が震えた。

 

『海斗……』

 

海斗は操船補助パネルを握りながら笑った。

 

「十割だ」

 

麗華は小さく笑う。

 

『今回は先に言っても許すわ』

 

堀北も静かに言った。

 

『綾小路くん』

 

「何だ」

 

『帰ってきなさい』

 

綾小路は島を見た。

 

燃えている。

 

壊れている。

 

それでも、帰る場所だった。

 

「ああ」

 

船は港へ近づく。

 

完全な接岸は難しい。

 

だが、浅瀬に乗り上げる形なら止められる。

 

麗華が指示する。

 

『船首を少し右。速度を落として。もう少し……』

 

坂柳が言う。

 

『衝撃に備えてください』

 

堀北が続ける。

 

『全員、何かに掴まって!』

 

船橋内の全員が身構える。

 

コマンダーは操舵輪を握り、海斗は端末を押さえ、綾小路は手すりを掴む。

 

七瀬は壁際に身を寄せ、ジャンボーは無言で足を踏ん張る。

 

次の瞬間。

 

クルーズ船が浅瀬へ乗り上げた。

 

巨大な船体が海底を擦り、凄まじい振動が船全体を走る。

 

ガラスが割れ、残った荷物が滑り、警報音が鳴る。

 

鋼鉄と海底が激しく擦れ合い、耳をつんざく金属音が島中へ響き渡る。

 

船全体がまるで巨大地震に襲われたように激しく跳ね上がった。

 

「掴まれ!!」

 

コマンダーが操舵輪へしがみつきながら怒鳴る。

 

直後。

 

船首が海底の岩礁へ激突。

 

衝撃で船橋の窓ガラスが一斉に砕け散る。

 

警報音がけたたましく鳴り響き、照明が何度も点滅した。

 

床を固定していたコンテナや家具が次々と滑り出し、

壁へ激突して轟音を響かせる。

 

「まだ止まらねえ!」

 

海斗が叫ぶ。

 

船は勢いを失わないまま、

巨大な船体を軋ませながら浅瀬を何百メートルも削り続ける。

 

船底が悲鳴を上げる。

 

甲板が左右へ大きく傾き、立っている者は次々と床へ叩きつけられた。

 

ジャンボーですら柱を掴み、七瀬も壁へ身体を預ける。

 

綾小路は操船卓へ身体を押し付けながら叫ぶ。

 

「右舷が流される!」

 

麗華の声が無線から飛ぶ。

 

『船首が横を向いたら転覆する!左舷推進を維持して!』

 

「了解!」

 

海斗がレバーを押し込む。

 

エンジンが最後の力を振り絞るように唸りを上げた。

 

だが、その直後だった。

 

今度は船尾が巨大な岩礁へ激突し、

船全体が後ろから殴り飛ばされたような衝撃に包まれる。

 

船尾が大きく跳ね上がり、数万トンもの巨体が悲鳴を上げながら激しく捻じれた。

 

床は波打つように隆起し、立っていた全員の身体がふわりと宙へ浮き上がる。

 

天井から配管や照明が次々と落下し、壁という壁が激しく軋み、

船内中へ爆発にも似た轟音が連続して響き渡った。

 

衝撃で積み荷や家具が一斉に前方へ雪崩れ込み、

鋼鉄同士が激突する凄まじい金属音が船全体を震わせる。

 

まるで巨大な怪物が最後の悪あがきをするかのように、

クルーズ船は止まることを拒むように激しく暴れ続けた。

 

「うおおおおっ!」

 

コマンダーが操舵輪ごと身体を持っていかれそうになる。

 

ジャンボーが咄嗟に操舵輪の支柱を掴み、船体を睨みつける。

 

「……まだ暴れる」

 

綾小路は歯を食いしばった。

 

「最後の抵抗だ……!」

 

船首はなおも砂浜を削りながら進み続ける。

 

海水と砂煙が巨大な壁となって左右へ噴き上がり、夕陽を覆い隠した。

 

船底が火花を撒き散らす。

 

赤熱した鋼鉄が削れ、長い火花の尾が夜空へ伸びる。

 

船体全体が悲鳴を上げる。

 

「止まれぇぇぇっ!!」

 

海斗が叫ぶ。

 

コマンダーも操舵輪を握り締める。

 

「止まれ、この化け物!!」

 

同時に船体が突然、大きく右へ傾く。

 

「まずい!」

 

綾小路が叫ぶ。

 

右舷側が海底の岩礁へ乗り上げたのだ。

 

数万トンの巨体がゆっくりと持ち上がる。

 

床に散乱していた瓦礫や荷物が一斉に右側へ滑り落ちた。

 

船内のテーブル、ソファ、コンテナまでもが雪崩のように流れていく。

 

「横転するぞ!」

 

海斗が手すりへ飛びつく。

 

右舷の窓から見える景色が変わっていた。

 

海ではない。

 

空だ。

 

巨大なクルーズ船が本気で倒れようとしている。

 

誰もが終わりを覚悟した。

 

船首はなおも止まらない。

 

巨大な船体が砂浜を削り取りながら前進を続ける。

 

最初に進路上のヤシの木が飲み込まれた。

 

直径数十センチはある幹が、まるでマッチ棒のように次々とへし折られていく。

 

何十本ものヤシの木が連続して倒れ、砂煙と葉を巻き上げながら吹き飛んだ。

 

さらに船首は海辺の展望デッキへ激突する。

 

木製の展望台が一瞬で粉砕され、柱や手すりが空高く舞い上がる。

 

その残骸を踏み潰しながら、巨大船はなおも進む。

 

次に無人の売店へ突っ込んだ。

 

建物そのものが船首へ押し潰され、壁も屋根も紙細工のように吹き飛ぶ。

 

ガラス片や看板が雨のように降り注いだ。

 

それでも止まらない。

 

巨大な噴水広場へ到達する。

 

船首が中央の石像へ激突した。

 

何トンもある石像が砕け散り、大量の水が爆発したように夜空へ噴き上がる。

 

噴水の配管が破裂し、白い水柱が何本も乱立した。

 

だが、それすら巨大船の前では障害にならない。

 

船は水と瓦礫を押し流しながら進み続ける。

 

まるで島そのものを削り取る巨大ブルドーザーだった。

 

誰もが呆然と見上げる。

 

ここまで来ても。

 

これだけ破壊しても。

 

まだ止まらない。

 

数万トンの質量と慣性が、常識そのものを踏み潰しながら前進を続けていた。

 

更に船底が岩盤へ激突した。

 

衝撃で船体が大きく跳ねる。

 

右へ傾いていた巨体が無理やり押し戻される。

 

床が波打つ。

 

壁が軋む。

 

鋼鉄の骨組みが悲鳴を上げる。

 

それでも船は止まらない。

 

なおも前へ進み続ける。

 

「冗談だろ……」

 

コマンダーですら顔を引きつらせた。

 

巨大な岩盤へ激突したはずなのに、

 

数万トンの質量はそれすら押し潰すように前進を続ける。

 

船首の鋼鉄が削れ、

 

真っ赤な火花が滝のように夜空へ吹き上がった。

 

耳を塞ぎたくなる金属音が響く。

 

まるで巨大な怪物が断末魔を上げながら大地を這っているようだった。

 

ジャンボーですら柱を握り締める。

 

「……大きい」

 

その低い呟きには、初めて恐怖が混じっていた。

 

そして船は最後の慣性を振り絞るように、

 

なおも数十メートル前進し続ける。

 

誰もが祈る。

 

止まれ。

 

止まってくれ。

 

もう十分だ。

 

だが巨大な船は、その願いすら振り切るように軋み続ける。

 

そして――。

 

最後に船首が巨大な岩盤へ真正面からぶつかった。

 

まるで隕石が落下したかのような衝撃が船首から船尾まで一瞬で突き抜ける。

 

船全体が数メートル跳ね上がり、全員の身体が宙へ投げ出された。

 

船橋の分厚い防弾ガラスが一斉に爆ぜ、無数の破片が嵐のように舞い散る。

 

天井の照明は根元から吹き飛び、壁という壁に亀裂が走り、

鋼鉄の骨組みが悲鳴を上げるような轟音を響かせた。

 

甲板では係留設備やコンテナが玩具のように宙を舞い、

激突するたびに爆発にも似た衝撃音が何度も連続して鳴り響く。

 

機関室では巨大な配管が弾け飛び、蒸気が白煙となって一気に噴き上がる。

 

船底を削る鋼鉄の断末魔のような金属音が島全体へ響き渡り、

火花の奔流が船首から一直線に夜空へ吹き上がった。

 

それでも巨大な船はなお惰性で前へ進み続け、

岩盤を削りながら最後の力を振り絞るように激しく軋み続ける。

 

誰もが「まだ止まらないのか」と息を呑み、

その圧倒的な質量と慣性に言葉を失った。

 

船橋。

 

客室。

 

甲板。

 

機関室。

 

全てが一斉に震えた。

 

数秒。

 

いや、永遠にも思える静寂。

 

ギシ……

 

ギシ……

 

巨大な船体が最後に一度だけ軋む。

 

そして。

 

完全に止まった。

 

沈まない。

 

流されない。

 

巨大なクルーズ船は傷だらけになりながらも、最後の最後で島へ辿り着いた。

 

船橋には誰も声を出さなかった。

 

激しい息遣いだけが静かに響いていた。

 

島へ戻った。

 

一瞬、誰も声を出さなかった。

 

そして。

 

第二シェルター側から歓声が上がった。

 

軽井沢の声。

 

『やったぁぁぁ!』

 

一之瀬の声。

 

『戻ってきた……!』

 

ひよりの声。

 

『よかったです……』

 

森下の声。

 

『全員帰還です、たぶん』

 

ツキがすぐに言う。

 

『藍、最後にたぶんを添える癖は直しましょうね』

 

『おそらく、直します』

 

尊徳の声。

 

『彩様、船は止まりました。皆さん戻ってきますよ』

 

彩の泣きそうな声。

 

『はい……!』

 

船橋で、海斗は息を吐いた。

 

「終わった……のか?」

 

綾小路は周囲を見る。

 

敵の多くは制圧、拘束、または撤退不能。

 

船は停止。

 

研究施設も無事。

 

避難民も無事。

 

「まだ確認は必要だが、大きな危機は越えた」

 

海斗は笑った。

 

「そういう言い方しかできねぇのかよ」

 

コマンダーが操舵輪から手を離し、肩を回した。

 

「いやぁ、最高のクルーズだったな」

 

海斗が睨む。

 

「お前は後で捕まる側だぞ」

 

「分かってる。まあ、少し休ませてくれ」

 

ジャンボーは弓を背負い、船橋の窓から島の森を見ていた。

 

「……森へ戻る」

 

七瀬が言う。

 

「逃げるつもりですか?」

 

ジャンボーは答えない。

 

ただ、静かに歩き出す。

 

海斗が言う。

 

「おい」

 

ジャンボーが少しだけ振り返る。

 

海斗は短く言った。

 

「助かった」

 

ジャンボーはしばらく黙っていた。

 

そして、低く言う。

 

「……足音を小さくしろ」

 

海斗が苦笑する。

 

「最後までそれかよ」

 

ジャンボーは船橋を出ていった。

 

敵か味方かは、最後まで曖昧だった。

 

だが、この夜、彼が船を止めるために戦ったのは事実だった。

 

コマンダーは床に座り込む。

 

「俺もそろそろ投降ってやつか?」

 

綾小路が見下ろす。

 

「逃げなければな」

 

「逃げる船もねぇしな」

 

海斗が言う。

 

「泳げば?」

 

コマンダーは笑った。

 

「休暇中くらい休ませろよ」

 

海斗は呆れて笑った。

 

「お前が言うな」

 

やがて、船橋に堀北たちからの通信が入る。

 

麗華。

 

『海斗、綾小路くん、七瀬さん。本当にありがとう』

 

堀北。

 

『戻ったら、全員の無事を確認するわ』

 

坂柳。

 

『高円寺くんの件は、また別問題として追及が必要ですね』

 

軽井沢。

 

『とにかく早く帰ってきなよ!もう待ちくたびれた!』

 

一之瀬。

 

『みんなで迎えます』

 

ひより。

 

『朝霧くん、本、無事ですか?』

 

海斗は胸ポケットを確認した。

 

濡れ、焦げ、角は折れている。

 

だが、読める。

 

「ギリギリ無事だ」

 

ひよりは小さく笑った。

 

『それならよかったです』

 

森下。

 

『綾小路清隆、朝霧海斗、七瀬翼迷子にならず帰ってきてください』

 

ツキ。

 

『藍ちゃんも迎えに行く途中で迷子にならないよう、私が管理する』

 

『管理されるのって意外と悪くないんですよ……じわぁ』

 

尊徳。

 

『お疲れさま。戻ったらまず休んでくれ。説教はその後だな』

 

彩。

 

『お姉様、皆さん、待っています!』

 

船橋に、静かな安堵が満ちた。

 

海斗は窓の外を見た。

 

常夏の島。

 

燃えた港。

 

崩れたホテル。

 

煙を上げるジャングル。

 

破壊されたマリーナ。

 

ひどい有様だった。

 

それでも、誰も失われていない。

 

少なくとも、彼らの仲間は全員戻れる。

 

海斗が小さく言った。

 

「今度こそ……か」

 

綾小路はその言葉を聞いた。

 

「まだ帰還途中だ」

 

「余韻壊すなよ」

 

「事実だ」

 

海斗は笑う。

 

「でもまあ、悪くねぇ事実だな」

 

七瀬も静かに頷いた。

 

「はい」

 

船の外では、夜明けの気配が少しずつ海の向こうに見え始めていた。

 

長い夜が終わる。

 

楽園は傷ついた。

 

だが、守られた。

 

奪われた日常は、もう一度取り戻せる。

 

そのために戦った。

 

そのために、誰も諦めなかった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。