ザ・ダイハード・マスターピース 作:EXTERMINATION
夜が明けようとしていた。
南国の海の向こうに、薄い光が差し始めている。
綾小路清隆、朝霧海斗、七瀬翼は、船橋から甲板へ出た。
海風が吹いた。
硝煙と潮の匂いが混ざっている。
遠くでは、燃え尽きかけたコンテナ港が黒煙を上げていた。
ホテルも、マリーナも、商業エリアも、ジャングルも傷だらけだ。
海斗は欄干にもたれ、胸ポケットの文庫本を取り出した。
角は折れ、表紙は少し焦げている。
だが、読める。
「……よく生き残ったな」
七瀬が横から言う。
「朝霧さん自身のことですか。本のことですか」
「両方だな」
綾小路は海斗の手元を見る。
「ひよりに返すのか」
「返すんじゃねぇ。感想を言う約束だ」
「読んでいないだろ」
「これから読む」
「忙しいな」
「ようやく読書の時間だ」
やがて、救助艇が到着した。
二階堂グループの緊急対応部隊。
高円寺コンツェルン側の保安部隊。
そして、ようやく外部と連絡が復旧し、
警察と海上保安関係の部隊も動き出していた。
コマンダーの部隊は次々と制圧、拘束されていく。
生死が曖昧だった傭兵たちも、多くは戦闘不能や拘束で済んでいた。
綾小路はそれを見て、短く息を吐いた。
「全員ではないが、最悪は避けられた」
海斗が隣で言う。
「今回は、それで十分だろ」
「ああ」
クルーズ船から島へ戻ると、第二シェルター前には仲間たちが集まっていた。
最初に飛び出してきたのは軽井沢恵だった。
「ちょっと!遅い!遅すぎ!」
海斗が手を上げる。
「悪いな。船を運転してた」
「普通の言い訳じゃないんだけど!?」
森下藍も駆け寄ってくる。
「本当に迷子にならず帰ってきましたね」
ツキがにやりと笑う。
「藍が迷子になる前に戻れて何より」
森下は少し考えた。
「確かに危なかったです」
「認めるんだ」
軽井沢が吹き出す。
ツキが続ける。
「第二シェルター内で三回逆方向へ歩いたのを忘れたか」
「探索です」
「便利な言葉を覚えたね」
「成長しました」
「前向きです」
「前向きでした」
森下は真面目に頷く。
「探索の結果、自動販売機を発見しました」
「成果です」
「成果ですね」
「迷子ではありません」
「研究活動です」
「立派です」
軽井沢がお腹を抱える。
「何その理論!」
海斗が笑う。
「お前ら、最後まで元気だな」
ツキは少し得意げに言う。
「藍を観察する体力は温存していた」
森下は腕を組んだ。
「私は観察対象だったんですね」
「人気者です」
「光栄です」
「前向きすぎるでしょ」
軽井沢が即座にツッコむ。
ツキは続ける。
「ちなみに観察記録は増えている」
「何ページですか」
「五ページ」
「大作ですね」
「力作です」
森下は少し満足そうに頷いた。
「完成したら読ませてください」
「本人が読むんだ……」
一之瀬帆波はゆっくり近づき、安堵した表情で言った。
「本当に……帰ってきてくれてよかった」
坂柳有栖はゆっくり歩きながら、綾小路を見た。
「お疲れさまでした、綾小路くん」
「坂柳もな」
「私は端末の前にいただけです」
「それがなければ全員戻れなかった」
坂柳は少しだけ目を伏せた。
「……そう言っていただけるなら、悪くありませんね」
その隣で、麗華が海斗を見ていた。
海斗は少し困ったように笑う。
「十割で戻ったぞ」
麗華は何も言わずに近づき、海斗の胸元を軽く叩いた。
「遅い」
「悪かった」
「本当に、遅い」
「……悪かった」
麗華は息を吐き、それから微笑んだ。
「お帰りなさい」
海斗も静かに答える。
「ただいま」
彩も駆け寄ってきた。
「海斗さん、綾小路さん、七瀬さん、本当にありがとうございました!」
尊徳はその少し後ろで、穏やかに頭を下げる。
「無事で何よりだ。正直、途中で何度か胃が痛くなった」
海斗が笑う。
「苦労かけたな」
「本当に。あとで少しだけ説教させろ」
「少しだけか?」
尊徳は苦笑した。
「長くすると彩様に止められそうだからな」
彩が少し笑う。
「止めません。今回は私も聞きたいです」
海斗は肩をすくめる。
「味方が多いな」
「当然です」
その場に、小さな笑いが生まれた。
ようやく戻ってきた日常の気配。
だが、その中心で、堀北鈴音だけは少し離れた場所に立っていた。
綾小路はそれに気づいた。
堀北は、無事だった。
傷もない。
それなのに、表情はどこか張り詰めている。
綾小路が近づく。
「堀北」
堀北は顔を上げる。
「お帰りなさい」
「ああ。ただいま」
それだけの言葉。
だが、堀北はすぐには続けなかった。
周囲の声が少しずつ遠くなる。
朝の光が、壊れたリゾート島を照らしていく。
堀北は拳を軽く握った。
「綾小路くん」
「何だ」
「私は、ずっと考えていたの」
綾小路は黙って聞く。
「四年前、私は命を失いかけた。あなたは何度も私を守ろうとしてくれた。
今回もそう。あなたはまた、危険な場所へ行って、戻ってきた」
「今回は全員で動いた」
「ええ。分かっているわ」
堀北は静かに息を吸う。
「でも、私はもう、待っているだけは嫌なの」
綾小路の目が少しだけ変わる。
堀北はまっすぐに彼を見た。
「私は、あなたと一緒にいたい」
その言葉に、周囲の空気が止まった。
軽井沢が固まる。
「……え?」
ひよりの手から文庫本が少し滑りそうになる。
「……」
坂柳の微笑みが、一瞬だけ静止する。
「これは……」
一之瀬が目を見開く。
「堀北さん……」
森下が小声で叫ぶ。
「告白ですか?これは告白ですよね?」
ツキが森下の口を軽く押さえる。
「藍、実況音量を下げて。世紀の瞬間が台無し」
「むぐっ」
海斗は少しだけ口笛を吹く。
「ついに来たか」
麗華は嬉しそうに微笑む。
「いいじゃない」
彩も目を輝かせる。
「素敵です……!」
尊徳は腕を組み、しみじみ言う。
「いやぁ、こういう終わり方なら説教は後回しだな」
堀北は頬を赤くしながらも、視線を逸らさなかった。
「私は、あなたのことが好き」
はっきりした言葉だった。
逃げも誤魔化しもない。
綾小路はその言葉を受け止めた。
かつての自分なら、合理性で整理していたかもしれない。
好意。
関係性。
今後の影響。
周囲の反応。
だが今は違う。
彼女がここまで来るまでに、どれだけのものを抱えてきたかを知っている。
そして、自分自身も変わった。
失いかけたからこそ。
取り戻したからこそ。
今、答えなければならない。
綾小路は静かに言った。
「オレもだ」
堀北の目が揺れる。
「……本当に?」
「ああ」
「同情ではなく?」
「違う」
「責任感でもなく?」
「違う」
綾小路は少しだけ表情を緩める。
「オレも、堀北と一緒にいたい」
堀北は一瞬、言葉を失った。
そして、ゆっくりと笑った。
その笑顔を見た瞬間、軽井沢が両手で顔を覆う。
「うわぁぁぁ……マジかぁ……!」
ひよりも静かに目を伏せる。
「おめでとうございます……と言うべきですね」
だが声は少しだけ沈んでいた。
坂柳は微笑みながらも、肩をすくめる。
「完敗、というところでしょうか」
一之瀬は胸に手を当て、少し寂しそうに笑った。
「堀北さんなら……うん。よかった」
森下はツキの手を外し、叫びかける。
「こ、これは大事件です。恋愛特別試験級の――」
ツキがすかさず言う。
「今そのタイトルを持ち出すと場がややこしくなるから」
「でも絶望している方々が」
軽井沢が涙目で叫ぶ。
「絶望って言うな!」
坂柳が微笑む。
「いえ、かなり的確です」
ひよりが小さく頷く。
「否定は難しいですね」
一之瀬が困ったように笑う。
「みんな素直すぎるよ……」
海斗は腹を抱えて笑いそうになるのを堪えていた。
「いやぁ、すげぇ空気だな」
麗華が横で微笑む。
「でも、素敵よ」
彩も頷く。
「はい。堀北さん、とても綺麗です」
尊徳が軽く拍手する。
「おめでとうございます。いや、本当に。こういう報告なら大歓迎だ」
ツキも拍手しながら、森下へ言う。
「藍、祝福と絶望が同時に発生する珍しい現象だね。観察しよう」
森下は少し考えた。
「確かに珍しいですね」
「認めた」
「貴重です」
「天然記念物かもしれない」
「登録できますかね」
「難しい」
「残念です」
ツキは頷く。
「では記録だけ残そう」
「写真ですか」
「スケッチ」
「味がありますね」
「味があります」
軽井沢が吹き出した。
「何で二人とも普通に話進めてるの!?」
ツキは堀北を見る。
「現在、祝福七割」
森下も真剣に観察する。
「照れ二割」
「混乱一割」
「良好」
「良好ですね」
堀北は顔を赤くした。
「あなたたち……!」
森下は感心したように言う。
「反応しました」
「観察成功」
「成功ですね」
「おめでとうございます」
「何がですか!?」
堀北は周囲の騒ぎに気づき、さらに頬を赤くした。
「少し静かにしてくれないかしら……」
軽井沢が叫ぶ。
「静かにできるわけないでしょ!?」
坂柳が静かに笑う。
「これは歴史的瞬間ですから」
綾小路は少し困ったように言う。
「騒ぎすぎだ」
海斗が肩を叩く。
「主役がそれ言うな」
「主役ではない」
「完全に主役だろ」
麗華も言う。
「今日くらい認めなさい」
綾小路は答えない。
ただ、堀北を見る。
堀北も彼を見る。
言葉は多くなかった。
だが、それで十分だった。
長い戦いの末に、ようやく辿り着いた答え。
誰かを失う物語ではない。
誰かと共に生きる物語。
その象徴のような場面だった。
一之瀬は堀北へ微笑んだ。
「堀北さん、おめでとう」
堀北は少し照れながら頷く。
「ありがとう」
ひよりも海斗から受け取った文庫本を見ながら言う。
「綾小路くんも、堀北さんも、お幸せに」
坂柳は杖をつきながら微笑んだ。
「この勝負は、私の負けですね。ですが、悪くない敗北です」
軽井沢はまだ複雑な顔をしていた。
「うー……でも、まあ……堀北さんなら……うん……おめでと」
堀北は少し驚き、それから静かに言う。
「ありがとう、軽井沢さん」
軽井沢はそっぽを向く。
「別に。ちゃんと幸せになんなよ」
その言葉に、堀北は柔らかく笑った。
「ええ」
海斗は綾小路の隣へ来る。
「よかったな」
「そうだな」
「もっと嬉しそうにしろよ」
「している」
「分かりづれぇ」
「よく言われる」
海斗は笑った。
「でもまあ、今度こそって感じだな」
綾小路は堀北を見る。
「そうだな」
麗華が海斗の隣へ来る。
「私たちも負けていられないわね」
海斗が眉を上げる。
「何にだ?」
麗華は少し笑う。
「平穏な日常を守ることによ」
海斗は一瞬黙り、そして頷いた。
「それなら負けられねぇな」
麗華は海斗の腕へそっと自分の手を重ねた。
「それだけじゃないわ」
海斗が首を傾げる。
「ん?」
麗華は深く息を吸う。
そして、静かに自分のお腹へ手を添えた。
「……家族が増えるもの」
その場の時間が止まった。
海斗の表情が固まる。
「……は?」
麗華は照れくさそうに笑う。
「海斗の子よ」
数秒。
誰も言葉を発しなかった。
海斗は何度か口を開きかけ、ようやく声を絞り出す。
「……本当か」
麗華は優しく頷く。
「ええ、医者にも確認してもらったわ」
「……そうか」
海斗はしばらく何も言えなかった。
どれほど激しい戦場でも変わらなかった男が、初めて明らかに動揺していた。
ツキが目を丸くする。
「これは予想外」
森下も思わず叫ぶ。
「これは中……」
「ストップ」
「むぐっ」
彩は両手を口元へ当てる。
「お、お姉様!」
尊徳も思わず目を見開いた。
「それは……本当におめでとうございます」
軽井沢は飛び跳ねる。
「ちょっと待って待って待って!一日におめでたいこと多すぎない!?」
一之瀬は満面の笑みで拍手する。
「本当におめでとう!」
ひよりも柔らかく微笑む。
「素敵なお話ですね」
坂柳は杖をつきながら上品に拍手した。
「今日という日は祝福の日になりましたね」
堀北も麗華へ歩み寄る。
「おめでとう」
麗華は少し照れながら微笑む。
「ありがとう」
綾小路は海斗を見る。
「ようやく本当に守れたな」
海斗はまだ少し現実を飲み込めていない様子だった。
「……ああ」
そして照れ隠しのように頭を掻く。
「参ったな……」
麗華が笑う。
「何が?」
「銃より難しい仕事ができちまった」
周囲から笑いが起こる。
ツキがすかさず言った。
「海斗、護衛から父親へ昇進だね」
森下が勢いよく頷く。
「昇進ですね」
軽井沢が笑いながら肩を叩く。
「ちゃんとパパしなよ!」
海斗は苦笑しながら麗華のお腹へ静かに視線を落とした。
「……もちろんだ」
その返事には、今までどんな戦場でも見せなかった優しさが宿っていた。
麗華はそっと海斗の肩へ寄り添う。
「今度こそ、本当に平和な毎日を守りましょう」
海斗はゆっくり頷いた。
「ああ。今度は家族ごとな」
ツキが横から言う。
「海斗、今の台詞は少しだけまとも」
「少しだけかよ」
森下が続く。
「でも確かに、今のは良かったです」
ツキがにやりと笑う。
「藍に褒められると価値が暴落する」
森下は少し考えた。
「なるほど」
「納得するんだ」
麗華が吹き出した。
森下は真面目に続ける。
「つまり私は市場に影響を与える存在なんですね」
「悪い方向に」
「影響力があります」
「あるある」
「すごいですね」
「すごい」
海斗が肩を震わせる。
「そこ喜ぶところじゃねぇだろ」
ツキは頷く。
「藍は前向き」
「長所です」
「たぶん」
「たぶんです」
麗華は笑いを堪えきれなかった。
森下は腕を組む。
「では今後は褒める頻度を調整します」
「市場操作」
「大人っぽいですね」
「成長した」
「褒められました」
「褒めてない」
海斗が笑う。
「お前ら、最後までそれかよ」
尊徳も苦笑する。
「でも、こういう騒がしさなら悪くない」
彩が頷く。
「はい。すごく安心します」
港湾エリアの仮設指揮所では、傭兵集団の拘束と搬送が進んでいた。
戦闘不能になった者。
負傷して動けない者。
武器を捨てて投降した者。
撤退に失敗して拘束された者。
それぞれの形で、巨大傭兵集団は壊滅していた。
生死の線引きは曖昧だった。
けれど、今回は過去の事件のような大量退場ではない。
終わったのは命ではなく、戦いだった。
綾小路は、警察関係者と短く状況確認をしていた。
「船内の残存兵は全員確認済みか」
「はい。抵抗した者も含め、制圧済みです」
「コマンダーは」
「現在、医療確認後に身柄を移送します」
少し離れた場所で、コマンダーは拘束されたまま座っていた。
傷だらけだった。
顔には煤がつき、戦闘服も破れ、肩や腕には応急処置が施されている。
それでも、男は笑っていた。
「いやぁ、派手な夜だったな」
海斗が近づく。
「お前のせいでな」
コマンダーは肩をすくめる。
「半分くらいは認めるぜ」
「全部認めろ」
「残り半分は高円寺って奴の趣味だろ」
綾小路も近づく。
「お前の作戦目的は新技術の奪取だった」
「ああ。だが、途中から妙な試験に巻き込まれた。俺としても不本意だ」
海斗が呆れる。
「不本意に見えなかったぞ」
「楽しまなきゃ損だろ」
「最悪の前向きさだな」
コマンダーは笑った。
「刑事さん、護衛さん。今回は俺の負けだ」
綾小路は静かに見る。
「投降するなら、余計な真似はするな」
「しねぇよ。逃げる船もヘリもねぇ。
何より、ここまで遊んだ後に泥臭く逃げるのは趣味じゃない」
海斗が言う。
「趣味で戦場を選ぶな」
「それもそうだな」
コマンダーは少しだけ海の方を見た。
「ただ、楽しかったぜ。ベネットとやり合った時以来の興奮と感動だった」
「最後まで誰だよベネット」
「最低最悪の男だった。俺の娘を誘拐しやがったんだぜ」
「聞いてねぇ。てかおまえ、子供いたんかよ」
コマンダーは笑い、そして拘束隊に連れて行かれた。
敵だった。
危険な男だった。
だが、最後に船を戻すため手を貸したことも事実だった。
それが罪を消すわけではない。
だが、この島で起きた全ては、単純な善悪だけでは語れない。
その象徴のような男だった。
一方、ジャングル保護区の入口では、ジャンボーが立っていた。
頭にはまだハチマキ。
背中には弓。
腰には巨大なサバイバルナイフ。
M60二丁は港に置いてきた。
彼は誰にも別れを告げず、森へ帰ろうとしていた。
七瀬翼が声をかける。
「本当に行くんですか」
ジャンボーは振り返らない。
「……森へ戻る」
海斗が腕を組む。
「事情聴取くらい受けろよ」
「……足音が大きい者とは長く話さない」
「だから足音関係あるのかよ」
綾小路はジャンボーを見た。
「お前は傭兵集団に雇われていた。だが最後は船を止める側に回った」
ジャンボーは少しだけ沈黙する。
「……船が森を焼く」
「だから止めたのか」
「森は見ている」
海斗が肩をすくめる。
「最後まで詩人だな」
ジャンボーは一歩、森へ踏み込む。
その前に、海斗が言った。
「助かった」
ジャンボーは足を止めた。
返事はない。
だが、少しだけ顔を横に向ける。
「……次は足音を小さくしろ」
「努力はしねぇ」
「騒がしい」
「よく言われる」
ジャンボーは森へ消えた。
彼の生死も行方も、最後まで曖昧だった。
ただ、黒いジャングルの中へ、静かに帰っていった。
怪物は倒されるのではなく、自分の領域へ戻った。
それが、彼に一番似合っていた。
第二シェルター前では、避難民の搬送と保護が進んでいた。
一之瀬は最後まで避難民に声をかけ続けていた。
「足元に気をつけてください。水はあちらです」
ひよりは負傷者へ毛布を渡し、
軽井沢は子供たちを安心させるために明るく振る舞っていた。
「ほら、もう大丈夫!帰ったら絶対、普通の旅行で来直すから!」
子供が聞く。
「また事件起きない?」
軽井沢は固まった。
「え、えーっと……起きない!たぶん!」
ツキが横から楽しそうに言う。
「軽井沢様、たぶんが入りました。信頼度が下がりましたね」
森下がすぐに頷く。
「確かに98パーセントくらいです」
「具体的」
「2パーセントは何ですか」
「運命です」
「強敵ですね」
軽井沢が頭を抱える。
「何の話!?」
一之瀬が笑う。
「でも、すごく助かったよ」
ひよりも頷く。
「不思議と、みなさん笑っていました」
森下は少し照れる。
「理解しました」
ツキがにやりとした。
「藍、褒められてふにゃふにゃだね」
森下は真面目に考える。
「確かに少し柔らかいかもしれません」
「自己申告」
「弾力があります」
「高評価」
軽井沢が吹き出した。
「何の評価なの!?」
海斗がその様子を見て笑う。
「お前ら、もう漫才コンビでいいだろ」
森下は首を傾げる。
「コンビですか」
ツキも考える。
「収益化できる?」
「大事ですね」
「夢があります」
「あります」
海斗は額を押さえた。
「前向きすぎるだろ」
麗華が笑いながら近づく。
「ツキ、ほどほどにしなさい」
「はい、麗華様」
ツキは森下を見る。
「藍は壊れやすいので、弱火で炙ります」
森下は少し考えた。
「香ばしくなりますね」
「なる」
「では中火で」
「危険」
彩が吹き出した。
「乗っかるんですね!?」
ツキは頷く。
「では蒸します」
森下も頷く。
「ヘルシーです」
「調理前提なんだ!?」
尊徳も苦笑する。
「森下さん、完全に場を明るくしているな」
彩も笑顔で頷いた。
「はい。本当にすごいです」
森下は少し考える。
「私は照明担当だったんですね」
「避難所を照らしていた」
「比喩的に」
「比喩的です」
ツキが頷く。
「褒めると元気になる」
「燃料です」
「補給完了」
「完了しました」
一之瀬が笑った。
「二人とも本当に仲良しだね」
森下とツキは顔を見合わせる。
そして同時に頷いた。
「業務です」
「業務です」
軽井沢はお腹を抱えて笑った。
「絶対違うでしょ!」
尊徳は彩の肩越しに避難民の様子を確認する。
昨夜、彩は最後まで逃げずに誘導を続けた。
尊徳はそのことをきちんと見ていた。
「彩様、本当に頑張りましたね」
彩は少し驚いたように彼を見る。
「そうでしょうか」
「はい。怖くても前に出すぎず、ちゃんと人を見て動けていました。
護衛としては心配でしたけど、頼もしかったです」
彩は嬉しそうに俯く。
「お姉様に少しは近づけたでしょうか」
尊徳は柔らかく笑う。
「少しどころじゃありません。彩様は彩様の形で、ちゃんと誰かを守っていました」
彩は目を潤ませる。
「ありがとうございます」
「でも、無茶はしないでくださいね。そこは本当にお願いします」
「はい。尊徳さんも、無茶はしないでください」
「俺は仕事柄、少しは無茶します」
「ずるいです」
「護衛ですから」
彩は笑った。
その横で麗華が海斗を見ていた。
海斗は文庫本を乾かしていた。
表紙は焦げ、ページの端は折れている。
だが、読めないことはない。
ひよりが近づく。
「朝霧くん、その本……本当に無事でしたね」
「中身は読める。外側は戦歴がついた」
「戦歴ですか」
「ボート、ホテル、水上バイク、ジャングル、港、クルーズ船を越えた本だ」
ひよりは小さく笑う。
「すごい本になりましたね」
「感想、遅くなるかもしれねぇ」
「待っています」
麗華が少し不満げに見る。
「海斗、まず休みなさい」
「本くらい読ませろよ」
「休んでから」
「はいはい」
ツキが横から言う。
「麗華様、海斗は放っておくと本を読みながら倒れます」
海斗が顔をしかめる。
「倒れねぇよ」
「過去に二回、寝落ちしました」
「それは倒れたんじゃなく寝たんだ」
「床で?」
「床だったな」
森下が感心したように頷く。
「朝霧海斗、本当に変人ですね」
海斗が言い返す。
「お前に言われたくねぇ」
森下は少し考えた。
「確かに」
「認めるんだ」
彩が吹き出した。
森下は真面目に続ける。
「私は普通ではありません」
「進歩した」
ツキが頷く。
「自己分析能力が上がった」
「成長です」
「成長ですね」
海斗が額を押さえる。
「何で満足そうなんだよ」
ツキが言う。
「藍が普通なら、世の中はかなり豊か」
森下は少し考える。
「私は経済効果だったんですね」
「たぶん違う」
「地域活性化かもしれない」
「規模が縮小した」
麗華が肩を震わせる。
「何の話なのよ……」
森下は腕を組む。
「では観光資源ですかね」
「珍しいので」
「納得しました」
「納得するな」
海斗が笑った。
ツキも続ける。
「ちなみに褒めてはいない」
森下は頷く。
「やや応援ですね」
「違う」
「やや励ましですか」
「もっと違う」
「難しいですね」
「難しい」
二人は同時に頷いた。
海斗は呆れながら笑う。
「お前ら本当に会話成立してんのか?」
「しています」
「たぶん」
「たぶんです」
その瞬間、周囲から笑い声が広がった。
その少し離れた場所で、綾小路と堀北鈴音は並んで海を見ていた。
恋人になった。
そう言葉にすると、妙に現実味が薄い。
昨夜まで銃声と爆発の中にいた。
その直後に告白され、答えた。
あまりに非日常的な流れだった。
けれど、二人の間にある空気は不思議と静かだった。
堀北は頬をわずかに赤くしたまま言う。
「昨日のこと、後悔していないわよね?」
「していない」
「即答なのね」
「迷う理由がない」
堀北は一瞬黙り、少しだけ目を逸らした。
「そういうところ、ずるいわ」
「そうか」
「ええ」
綾小路は海を見る。
「堀北こそ、後悔はないのか」
堀北はゆっくり首を振る。
「ないわ」
「そうか」
「ただ……少し恥ずかしいだけ」
「そう見える」
「見ないでくれる?」
「無理だな」
堀北はさらに赤くなる。
「あなた、変わったわね」
「よく言われる」
「昔なら、そんなことを言わなかった」
「今なら言う」
堀北は少しだけ笑った。
二人の少し後ろでは、軽井沢、ひより、坂柳、一之瀬が複雑な顔をしていた。
そのやり取りを、海斗が見ていて笑っていた。
「綾小路、罪な男だな」
綾小路は振り返らない。
「何の話だ」
「分かってねぇなら重罪だぞ」
堀北が横から冷静に言う。
「少しは自覚した方がいいわ」
「そうなのか」
軽井沢が遠くから叫ぶ。
「そうだよ!」
森下も便乗する。
「綾小路清隆、鈍感主人公です」
ツキがにやりとする。
「急に評論家になったね」
「今のは正しいでしょう」
「珍しく正しい」
「珍しく……」
一之瀬が笑い、ひよりも少しだけ笑った。
坂柳も目を細める。
絶望と祝福。
寂しさと安心。
敗北と納得。
その全部が同時にある。
けれど、誰も本気で壊れてはいない。
彼らは長い夜を越えた。
誰かを祝福できるだけの強さを、もう持っていた。
その時、海辺の向こうから一人の男が歩いてきた。
高円寺六助だった。
白いシャツに、傷一つない余裕の表情。
昨夜の惨状を見ても、まるで上質な舞台を観終えた観客のように笑っていた。