今回PCU(裏の掃除屋)が挑むのは、華やかな出版業界の裏で起きた「若き編集者の不審死事件」です。
来年度の教科書採用を巡る陰謀と、美しすぎるベストセラー絵本。
その裏に隠された、泥のようにどす黒い大人の欲望へと迫ります。
(※今回も挿絵表示にて、現場の様子やキャラクターの活躍をお楽しみください!)
境界線010-王子様とお姫様編(前編)
――新宿、極秘アジト。
平和な昼下がり。
「……ふふっ。素晴らしいわ。メインサーバーの処理速度も、以前とは段違い。これならどんな暗号化通信も一瞬で丸裸にできる」
マリアは巨大なマルチモニターの前で、ハッカーとしての喜びに満ちた笑みを浮かべながらキーボードを叩いていた。
一方で、その超高画質モニターと最新の音響設備を、完全に「娯楽」として消費している少女がいた。
「えへへー。これでいつでも見られるね!」
リビングのローテーブルで、リルは油性ペンを握りしめ、ダビングを終えたばかりのDVD-Rのレーベル面に文字を書き込んでいた。
「……ちょっとリル。あんた、何をそんなに熱心にダビングしてるの?」
マリアがコーヒーを片手に振り返る。
「ん? この間借りてきたDVD! 返却期限が来ちゃったから、面白かったやつだけコピーしておいたの!」
リルが自慢げに見せてきたディスクには、それぞれ油性ペンでデカデカと『一文字(あるいは数字)』だけが殴り書きされていた。
『14日の土曜日』には、「14」。
『着信なし』には、「着」。
マリアとモニカの顔が引きつる。
「……あんたね。私が構築した最新鋭のマルチメディア機材を使って、そんなしょうもないD級映画のダビング作業をしないでちょうだい。ディスクの無駄よ!」
マリアが呆れ果ててピシャリと叱り飛ばす。
「そうよリル。そんなくだらない映像作品ばっかり見てないで、たまには活字でも読んで教養を身につけなさいな」
モニカも呆れ顔で、やれやれと肩をすくめた。
「えーっ!? つまんないの。……むー、わかったよぉ。じゃあ活字読む!」
リルは不満げに口を尖らせて油性ペンとディスクを放り出すと、今度はふんふんと鼻歌を歌いながら、スマートフォンをスクロールし画面の文章を音読し始めた。
「むか~しむか~し、あるところに、クソジジイとクソババアがおりました」
リビングのソファーにちょこんと座り、リルがを無邪気な声で読み上げている。
「ちょっと待ちなさい。なんで最初からお爺さんとお婆さんの好感度がマイナススタートなのよ」
コーヒーを淹れていたモニカが、即座に眉をひそめてツッコミを入れた。しかしリルは気にする様子もなく、楽しそうにスクロールしていく。
「おじいさんは山へ買春に、おばあさんは川へ売春に行きました」
「どんな山と川よ!! 芝刈りと洗濯はどうしたのよ!!」
コンソールに向かっていた、たまらず席から立ち上がって激しいツッコミを飛ばした。
児童書に対するモラルすら崩壊しているこの国の惨状に、三十路の美女達は頭を抱える。
「あははっ! マジでばいや~な童話っしょ。このあと桃太郎とか何するんだろ~」
メイコが、極彩色のネイルでポテトチップスをつまみながらケラケラと笑う。
「…………結局、その酷すぎる多様性桃太郎は、どういうオチになるの?」
モニカが、優雅にコーヒーを啜りながら、半ば呆れつつも興味本位で尋ねた。
「うーんとね。お金で屈強な『傭兵』を雇って、その人たちに鬼を退治してもらうみたいだよ!」
リルが無邪気な笑顔で物語の結末を読み上げる。
「あははははっ!! ばいやー! それ、もう別に桃太郎じゃなくてもいいじゃん! ウケる?!」
メイコが、腹を抱えてソファの上で転げ回って大爆笑した。
しかし、メイコが大笑いする横で、リルはそっとスマホの画面を消し、少しだけしょんぼりとした顔で俯いた。
「……でも、私。メイコちゃんみたいに、難しい本は読めないし。こういう変なお話しか……」
かつて不登校で、社会や学校のレールから外れてしまったリル。
持ち前の明るさでカバーしてはいるものの、「勉強ができない」というコンプレックスは、時折こうして彼女の胸に小さな影を落とすことがあった。
その様子を見たメイコは、笑うのをピタリとやめ、優しい瞳でリルの隣に座り直した。
「……何言ってんの。難しい本を読むよりも、ちゃんと『人に伝わる本』のほうが、アタシはずっといいと思うけどなぁ」
メイコは、リルの小さな肩をそっと抱き寄せる。
「それに……もっと大事なものを、リルたそはいっぱい持ってるっしょ」
アジトの大人たちはみんな知っている。
リルには学力こそないかもしれないが、モニカのようなロジカルなプロファイリングとは全く違う、純粋で直感的な『人の観察眼』や『モノへの気づき』がある。そして何より、誰の懐にも自然と入り込み、相手の心の扉を開いてしまうという、誰にも真似できない天才的な天賦の才(才能)を持っているのだ。
「……人はそれぞれ、得意・不得意があるんだよ。自分がやれることを、精一杯やればいいの。ね?」
「……うんっ!」
メイコの温かいお姉ちゃんのような抱擁と励ましに、リルの顔にパッといつものひまわりのような笑顔が戻った。
「……まったく、メイコは本当にいいお姉さんね。でも、リルの情操教育のためにも、たまにはちゃんとした『名作文学』に触れさせてあげなさいよ」
その心温まるやり取りを見ていたマリアが、微笑みながら自分のスマホを取り出した。
「ほら、青空文庫とかで検索すれば、有名な小説の冒頭なんてすぐに出てくるわ。……ええと、これなんてどう? 日本が誇る、超有名な名作の冒頭よ」
マリアは、画面に表示された美しい日本語の羅列を、朗々と読み上げ始めた。
「――『国境の長いトンネルを抜けると……石鹸の国(ソープランド)であった』。……ん?」
「…………は?」
コーヒーカップを口に運ぼうとしていたモニカの手が、ピタリと止まった。
「ちょっと待って、マリア。その小説……タイトルが『雪国』じゃなくて、『イキ国』になってるわよ!!」
「な、何よこれ!? 日本初のノーベル賞作家の文章って、こんな最低な下ネタじゃなかったはずよ……!?」
マリアとモニカが、スマホの画面に表示された文字を何度も二度見して絶叫する。
誰もが知る歴史的な名作文学のデジタルデータが、根底から下劣なパロディへと『改ざん』されていたのだ。
「あはははっ! なにそれ、ウケる!! イキ国だって!」
「トンネル抜けたらお風呂屋さんだったんだね!」
メイコとリルが、再び腹を抱えて大爆笑する。
美しいヒューマンドラマの余韻は、川端康成の最低なデジタル・バンダリズムによって、たった一瞬で木端微塵に粉砕されてしまった。
その時だった。
マリアのメインモニターに、首相感貞の極秘回線からの着信を知らせるランプが点灯した。
「……総理と、大物議員Aからよ」
マリアが咳払いをして通信を繋ぐと、画面の向こうには、少し疲れたような顔をした環萌美総理と大物議員Aが並んで座っていた。
『……くつろいでいるところ悪いわね。超急ぎの案件というわけではないのだけれど……明日、少し話したいことがあるの。全員で首相感貞(地下室)に来てちょうだい』
萌美総理からの、静かな招集命令。
名作文学を汚す謎のサイバーテロ?と、国家のトップからの呼び出し。果たして、この不可解な事象は繋がっているのだろうか。
「……わかったわ。明日、お伺いするわね」
『イキ国』の画面をそっと閉じながら、裏の掃除屋たちは新たなる奇妙な事件の足音を、新宿のアジトで静かに聞き届けるのであった。
――翌日。首相感貞・特別地下室。
円卓を囲む裏の掃除屋たちの前に、一枚の凄惨な現場写真が映し出された。
「……数日前。都内のマンションの一室で、大手出版社『HHH(スリーエイチ)』の若き編集者が、首を吊って死んでいるのが発見されたわ」
環萌美総理が、冷たい声で事の端緒を語り始める。
「所轄の警察による初動捜査での見立ては、『仕事の激務によるノイローゼでの自殺』。……しかし、山田相姦の率いる優秀な捜査部隊が現場を洗い直した結果、極めて不審な点が浮かび上がってきたのよ」
萌美総理はそう言うと、手元にあった一冊の美しい絵本を、テーブルの中央へと静かに滑らせた。
表紙には、夜空を思わせる深い群青色を背景に、繊細なタッチで『星降る夜の王子様』というタイトルが金色の箔押しで刻まれている。
「……この絵本の作者は、現在ベストセラーを連発している気鋭の『作家A』よ」
萌美総理は、ワイングラスを優雅に揺らしながら言葉を続けた。
「そして……肛門部科学省の決定によると、この絵本は来年度の、全国の小学校の国語の教科書への採用候補にノミネートされているわ」
「…………」
「…………」
その荘厳な響きを持った単語に、凄腕プロファイラーのモニカと天才ハッカーのマリアが、同時に頭を抱えて机に突っ伏した。
「……ちょっと待って。今、なんて言ったの」
「ついに国の教育機関(文部科学省)まで、この最低な多様性(下ネタ)の餌食になったっていうの……!?」
マリアとモニカの悲痛なツッコミが、重苦しい地下室の空気を一瞬にして粉砕する。
「あははははっ! 肛門部科学省だって! ばいやー!」
ギャル大生のメイコが、またしてもツボに入って腹を抱えて笑い転げた。
「……おい」
スレイが、紫煙をくゆらせながら話を本筋へと引き戻した。
「……つまり、現時点では明確な『他殺の証拠』は出ていないということだな?」
「そのとおりだ」
オタク気質を完全に引っ込め、真剣な顔つきになった大物議員Aが、手元の検死報告書を読み上げる。
「体内から検出されたのは、ごく微量の『筋弛緩剤』。そして、首を吊るために蹴り倒されたと思われる踏み台の椅子の『倒れる角度』が、被害者の物理的な体重移動のシミュレーションと、わずかに矛盾している」
「なるほど。誰かに薬で抵抗を奪われ、首に縄をかけられて椅子を蹴られた……偽装殺人というわけね」
モニカがプロファイラーの目を光らせて推論を口にする。
「ああ。プロの犯行だ」
大物議員Aが忌々しそうに頷く。
「部屋からは、犯人に繋がる物証――毛髪や指紋、足跡の類は一切発見されていない。表の警察組織では、これを他殺事件として立件するのは不可能に近いだろう」
「……しかし、偶然にしては出来すぎているわね。この教科書にも載るような美しい絵本(星降る夜の王子様)の担当だった若き編集者が、採用決定の直前になって不審死を遂げた」
モニカが、テーブルの上の絵本を見つめながら目を細める。
「もし、その作者である『作家A』が、何らかの理由でこの編集者の死(黒)に関わっていたとしたら……」
マリアがPCを叩き、作家Aの経歴をモニターに映し出す。
「殺人事件の容疑者なんてことになれば、当然、そんな人間の作品を小学校の教科書なんかに載せられるわけがないわ」
「うーん……いくら中身が良いお話でも、書いた人が悪い人だったら、なんだか読むの嫌だなぁ」
リルが、純粋な子供の視点で首を傾げる。
「まぁ、才能と人格は一致しないとか、芸術の世界じゃよくある話だよね?」
メイコが、自分のネイルを眺めながら冷めた声で言った。
絵本という純粋な子供の世界と、大人たちの薄汚れた殺人事件。
その二つの相反する事実を前に、萌美総理はスレイたち裏の掃除屋を見据え、氷のように冷たく、そして最高権力者としての威圧感を放つ笑みを浮かべた。
「……この美しい絵本に、もし汚い『泥』がついているというのなら。……子供たちの手に渡る前に、あなたたち(PCU)が綺麗に拭き取る必要があるわね」
国家のトップからの、静かで、しかし絶対的な命令。
スレイは無言のまま、安物のタバコを深く吸い込み、紫煙を細く吐き出した。
教科書採用という輝かしい栄誉の裏で、若き編集者はなぜ死ななければならなかったのか。
そして、謎に包まれた『作家A』の正体とは。裏の掃除屋たちは、美しい絵本に隠されたどす黒い真実を暴くため、出版業界の闇へとその足を踏み入れるのであった。
――数時間後。新宿、極秘アジト。
萌美総理からの重い依頼を携え、スレイたちは新宿の雑居ビルにあるアジトへと戻った。
「……はい、いつものパン。少し並んでたわよ」
モニカが、馴染みの高級パン屋で買ってきた紙袋をテーブルに置く。
サングラスを外し、いつもの優雅なセレブの顔に戻った彼女は、慣れた手つきでコーヒーメーカーをセットした。
「わーい! ここのメロンパン、最高っしょ!」
「私はクロワッサンにしよーっと!」
メイコとリルが、すぐにパンに飛びつく。
コートを脱いだスレイは、無言で安物の百円ライターをカチャリと鳴らし、タバコを指に挟んでソファの定位置に腰掛けた。
お昼ご飯のパンを頬張りながら、テーブルの中央には、あの美しい絵本『星降る夜の王子様』が置かれていた。マリアがPCを立ち上げるまでの間、4人は順番にその絵本を手に取り、静かにページを捲った。
「…………凄く、伝わるお話。私は、このお話、好きだな?」
読み終えたリルが、パンの屑を口元につけたまま、純粋な瞳で感想を口にする。
「うんうん、シンプルでいいよね。難しい言葉がなくて、心にスッと入ってくる感じっしょ」
メイコも、自分のネイルを眺めるのをやめて同意した。
「そうね……。王子様がお姫様を助けるという、とても古典的でわかりやすい物語。子供の情緒には、これくらい真っ直ぐな毒のなさが良いのかもしれないわ」
モニカも、絵本の出来栄えそのものには一定の評価を与えた。
「……とにかく、お話がどうあれ、肝心の『作家A』を調べてみないとね」
マリアが、コーヒーを一口啜り、PCのキーボードに指を置いた。
「お昼ご飯の後、徹底的に洗うわよ」
――数十分後。マリアのメインモニターに、作家Aに関するデータベースが展開された。
「……ビンゴよ。作家A。独身の中年男性。……経歴が面白いわ」
マリアが苛立たしげにキーボードを叩き、データを整理する。
「彼、元々は今回死んだ編集者と同じ出版社『HHH』で、全く別のペンネームで活動していた、売れない作家だったのよ。難しい文章や難解なテーマばかり書いていて、全然人気が出なかった」
「それが、ここ一昨年のことね。急に路線を180度転換したわ」
マリアがグラフを指差す。
「以前の難しい作風を完全に封印し、シンプルでわかりやすい絵本や子供向けの物語を書き始めたの。……そうしたら、それが子供たちの親の世代に大ウケして、一気にベストセラー作家にのし上がったわ」
「……以前は同じ会社(HHH)で、死んだ若き編集者と一緒に仕事をしていたこともあるみたい。さらに、作家として売れる前は、HHH社内で『子供向けコンクール』や、教科書採用の『予備審査員』なんかも担当していた形跡があるわ」
モニカが、その経歴の「繋がり」にプロファイラーの目を光らせた。
「編集者との過去の因縁。そして、教科書採用に関する知識……。怪しい要素は揃っているわね」
「金銭面はどうだ?」
スレイが、紫煙を吐き出しながら低くしゃがれた声で尋ねる。
「……それが、口座の履歴を完全に洗ってみたけれど、おかしいところは『一切ない』のよ」
マリアが眉をひそめて、完璧にクリーンな数字が並ぶ口座情報をモニターに映し出す。
「ABCエンターテインメントや他の反社組織との黒い金の動きもない。驚くほど真っ白な、教科書通りの優良作家の口座よ」
「……じゃあ、猥TUBE(多様性動画配信サイト)で、作家Aのインタビューでも見てみる?」
メイコがスマートフォンを操作し、今、巷で人気の多様性パロディ動画サイト『猥TUBE(ワイチューブ)』に投稿されている、作家Aの公式インタビュー動画をメインモニターに転送した。
画面には、優しそうな、いかにも子供たちの味方といった風貌の中年男性――作家Aが、インタビューに応えている姿が映し出された。
『……ええ。私は、この残酷な社会で、最も弱い立場にある子供たち……特に、孤児院の子供たちの心に、少しでも寄り添えるような物語を書きたい。……そう、常に願っているんです』
作家Aは、カメラに向かって、聖者のような穏やかな笑みを浮かべた。
『……私の本の売り上げの一部は、全て、昔から交流のある孤児院に寄付させていただいています。……実は、私は売れる前からずっと、個人的に孤児院の訪問を続けているんですよ。……子供たちの笑顔こそが、私の物語の力の源なんです……』
動画のコメント欄には、『素晴らしい!』『本当の聖者だ!』といった、称賛の言葉が溢れかえっている。
しかし。
その美談に満ちたインタビュー動画を見終えた瞬間。新宿のアジトには、死のような不気味な静寂が訪れた。
「…………なんか、信用ならないね」
真っ先に口を開いたのは、金髪の少女・リルだった。子供のような直感が、何らかの「違和感」を捉えていた。
「わかる~。なんとなく裏がありそうっしょ。アタシこういう『良い人アピール』する大人、マジで嫌いなんだよね?」
メイコも、自分の派手なネイルをフッと吹き、冷めた目で画面を見つめた。
「……ええ。何とは言えないけれど……私も、この男は好きになれないわね」
天才ハッカーのマリアも、冷酷な目で作家Aの笑顔を否定した。
「……自分から進んで美談を語り、聖者を演じる人間は、その裏に絶対に他人には見せられないドス黒い闇を隠している。……プロファイラーとして、その気持ちはよくわかるわ」
モニカが、コーヒーカップを置き、静かに、しかし断定的に結論を下した。
調査結果は真っ白。経歴もクリーン。語る言葉は美談。
けれど、裏の掃除屋(PCU)の4人の女性陣が、直感的に感じた「何か違う」という不気味な違和感。……その直感こそが、今回の事件の、真実への唯一の鍵となる。
スレイは無言のまま、、腰の古いコンバットナイフの柄を撫でながら、紫煙を吐き出した。
「……綺麗すぎて、反吐が出るな。……まずは、若き編集者の『自殺』とされている現場に向かう必要がある」
萌美総理から下された命令。
美しい絵本に泥がついているのなら、拭き取らなければならない。
スレイは、警視庁トップ・山田相姦の専用暗号回線へ連絡を入れ、偽装工作された死の現場であるマンションへの潜入許可を取り付けた。
裏の掃除屋たちは、作家Aの語る「美談」の裏に隠された、どす黒い真実を暴くため、新宿のアジトを後にし、夕暮れの街へと静かに繰り出していくのであった。
――夕暮れ。都内、某マンションの一室。
警視庁トップ・山田相姦の手引きにより、所轄の警察によって「自殺現場」として封鎖されていた若き編集者の部屋へ、スレイたち裏の掃除屋(PCU)は静かに潜入した。
部屋の中は、驚くほど整然としていた。
床に物が散乱した様子もなく、壁や家具に争った形跡(擦れ跡)は一切ない。山田相姦からの事前情報通り、遺体の手や衣服からも、犯人のものと思われる血液や皮膚片(DNA)は検出されていない。一見すれば、それは完璧な「激務によるノイローゼ自殺」の現場だった。
しかし。スレイは、安物の百円ライターをカチャリと鳴らし、サングラスの奥で冷徹な視線を這わせた。
(……プロの犯行だとしても。他殺(バラシ)の場合は、必ず、何か『小さいもの』が現場に残るはずだ)
「……おかしいわね」
部屋の中央、首を吊るために使われたパイプ椅子の踏み台を見つめていたモニカが、優雅に脚を組み替え、眉をひそめた。
「……このパイプ椅子の座面。踏み台として使われたはずなのに……不自然なほど『綺麗』すぎるわ」
「ああ」
スレイが、直立不動で遺体の真下に置かれたパイプ椅子を一瞥する。
「随分と、行儀よく直立不動(・・・・・)だ。死ぬ間際の人間が蹴り飛ばしたにしては、倒れ方も、置かれ方も、あまりに整いすぎている」
「……つまり。犯人は、被害者を筋弛緩剤か何かで気を失わせた後、この椅子の上に『丁寧に乗せて』、首に縄をかけ……それから、椅子を蹴り飛ばして自殺を偽装した」
マリアが、PCのキーボードを叩く手を止め、冷酷に死のメカニズムを解明する。
「だから、椅子の上で暴れた痕跡(靴の擦れ跡や汚れ)が、一切残っていないのよ」
「……そうだよね。いくら死のうと思ってても、最後の一瞬は、絶対に足がすくんじゃうよね……」
リルが、パイプ椅子を見つめながら、悲しげに首を傾げる。
「それに……死ぬ直前って、後悔とか、走馬灯とか……。いろんな感情が溢れて、もっとメチャクチャになるはずっしょ」
メイコも、自分の派手なネイルを眺めながら、冷めた声で自殺時の心理状態と現場の静寂との矛盾を指摘した。
現場は、綺麗すぎるのだ。まるで、誰かが「美しい死」を演出したかのように。
スレイは無言のまま、山田相姦の専用暗号回線へと連絡を入れた。
「……スレイだ。現場の資料にない、被害者の『爪の状態』の写真を見せてくれ。至急だ」
数秒後。
マリアのタブレットに、現場で撮影された、被害者の両手のアップ写真が送られてきた。
「…………あら」
モニカがタブレット画面を覗き込み、驚きに目を細めた。
「随分と……丁寧に『ケア』されているわね」
「ええ……。深爪ギリギリまで、本当に綺麗に切り揃えられているわ。甘皮の処理も完璧。……男の編集者の爪としては、異常なほどの手入れね」
マリアが、そのクリーンな指先を見て冷静に分析する。
「わあ……! 爪の間が、ピカピカ(・・・・)だ! 汚れなんて、一つもついてないよ!」
リルが目を輝かせて、指先の異常な清潔さに気づく。
「……こんなの、手入れに凄い時間かかるよ?」
メイコが、自分のド派手なラインストーンが施されたネイルを見つめながら、プロの視点で断定した。
「激務でノイローゼになってる人間が、死ぬ直前に、自分の爪を深爪ギリギリまで、何十分もかけてピカピカに磨き上げるなんて……マジで意味不明っしょ」
座面も、爪も。あまりにも綺麗で、清潔で、クリーンすぎる。
それは、犯人が被害者の抵抗(爪の中に残る皮膚片)を恐れ、気を失わせた後に、指先まで完璧に『掃除(クリーンアップ)』したという、決定的な証拠(泥)だった。
99%他殺。
しかし、表の警察組織では、残りの1%を崩せず「自殺」として処理せざるを得ない、完璧な偽装殺人。
スレイは安物のタバコを深く吸い込み、紫煙を細く吐き出した。
そして、部屋の奥にある、被害者の仕事机へと歩み寄った。
机の上には、一冊の絵本が置かれていた。
昨夜、アジトで読んだ、あの『星降る夜の王子様』だ。
スレイが無造作にその本を取り、中を捲ってみると――。
「……ん?」
あるページで、スレイの手が止まった。
そのページの文章の中に、赤いボールペンで、いくつかの『数字』にだけ、〇がつけられていたのだ。
「……何らかの『マーキング』ね」
後ろから覗き込んだモニカが、プロファイラーの目を光らせた。
「被害者が死の直前まで、この絵本の編集作業をしていた証拠。……そして、この数字の〇が、犯人に繋がる決定的なメッセージ(ダイイングメッセージ)かもしれないわ」
「……ああ。これは、アジトに持ち帰って徹底的に調査する必要があるな」
スレイはライターをしまい、赤い〇がついた絵本を漆黒のコートの懐へとしまい込んだ。
不気味なほどクリーンな死の現場。深爪ギリギリまで磨かれた指先。そして、美しい絵本に残された、謎の赤い数字。
裏の掃除屋たちは、この綺麗すぎる死の演出を暴き、赤い〇に隠されたドス黒い真実へと迫るため、静寂に包まれたマンションの一室を後にするのであった。
前編、お読みいただきありがとうございました。
『イキ国』や『肛門部科学省』という、この国ならではの多様性ワードに頭を抱えつつも、事件は本格的なサスペンスへ。
偽装自殺の現場で見つかった、異常なほどクリーンな爪の処理。
そして、被害者が遺した絵本の「赤い〇のマーキング」。
明日(木曜20時)の中編では、この美しい絵本に仕込まれた“恐るべき暗号”の解読が始まります。明日の更新もどうぞお楽しみに!
【お知らせと次回予告】
『境界線PCU~多様性ワールドへようこそ~6月は毎日20時更新』
6月は毎日20時に最新話を公開していきます。明日の20時もぜひお待ちしております!
▼イラスト・設定資料について▼
劇中の挿絵や、キャラクターの詳細な設定資料をPixivにて公開しています。
【Pixiv】https://www.pixiv.net/users/124951524
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