第14話、いよいよ解決編となる後編です。
奪われた過去、引き裂かれた未来。
すべての因縁を終わらせるため、大洗の巨大拠点へと突入するPCU。スレイの咆哮と、リルが子供たちにかけた優しい言葉が交差する、魂の決戦をお送りします。
――翌朝。
薄暗い大洗港の大型船ドックで、暗殺者チームは身を潜めながら『愛家丸』の様子を監視していた。
「……来たわね。夜通しで積み込みを終えた連中よ」
マリアのインカム越しの声と共に、白装束の上に作業着を羽織った教団の男たちが、足早に愛家丸へと乗り込んでいくのが見えた。
彼らはすぐに出航の準備に取り掛かったが……その直後、船上は騒然となった。
『おい、エンジンが動かねーぞ!?』
『計器も真っ暗だ! 故障か!?』
『クソッ、これじゃ使い物にならねえ! すぐに闇の修理業者を呼べ!!』
甲板の上でパニックに陥り、怒号を飛ばし合う男たちの姿を双眼鏡で確認し、マリアがニヤリと悪戯っぽく笑った。
「……作戦成功ね。物理的に配線(システム)をズタズタにしておいたから、どんな凄腕の修理業者が来ても、今日中の出航は絶対に無理よ」
「あぁ。これ荷物が海外へ逃げるルートは完全に塞がれた。……一度、旅館に戻るぞ」
スレイの合図で、彼らは音もなく港を離脱した。
大洗の老舗旅館へと帰還したPCUメンバーたち。
深夜の尾行と船の破壊工作でほとんど寝ていなかった彼らは、今夜決行される『本拠地襲撃』に備えて、深い眠りにつくことにした。
――しかし。
昼下がりの静かな和室。
波の音と、スレイたちの規則正しい寝息が響く中、リルだけはパッチリと目を覚ましていた。
(……あの子たち、きっとお腹空かせてるよね)
リルは音を立てないようにそっと布団を抜け出すと、こっそりと旅館を抜け出した。
そしてしばらくして、コンビニの巨大なビニール袋を両手に提げて、再び一人で大洗港へと向かっていった。
――昼下がり。愛家丸の暗い船倉。
甲板やエンジンルームで修理業者が悪戦苦闘している隙を突き、リルは小柄な身体と身軽さを活かして、音もなくコンテナの並ぶ船倉へと忍び込んだ。
そこには、巨大な鉄格子の檻の中に押し込められ、怯えて身を寄せ合って震えている十数人の幼い子供たちの姿があった。
「……みんな、こっちだよ。しーっ、絶対声出さないでね」
リルが檻の隙間からそっと声をかけると、怯えきっていた子供たちが、ビクビクしながら集まってきた。
「はい、これ。……マリアには『遠足のおやつは300円まで』って怒られたけど、わたし、約束破っちゃった! ドドーンと10000円分、買ってきちゃったもんね!」
リルが重いビニール袋から取り出したのは、温かいお弁当、たくさんのおにぎり、甘いチョコレート、そしてフルーツジュースの山だった。
「……た、たべていいの……?」
小さな男の子が、信じられないという顔でリルを見上げる。
「うん! いっぱいたべて! これ、ちゃんと全部食べるんだよ。いっぱいたべて栄養つけないと、逃げられないからね」
リルは鉄格子の隙間から、子供たち一人ひとりの手に、お弁当とお菓子を丁寧に渡していった。
むさぼるようにご飯を頬張る子供たちの頭を、リルは優しい手つきで撫でる。
「……ねえ、お姉ちゃん。ぼくたち、おばけみたいな白い服のひとたちに、どこかに連れていかれちゃうの……?」
おにぎりを口の周りにつけた女の子が、ポロポロと涙をこぼしながら尋ねた。
「大丈夫」
リルは、自分を地獄から救い出してくれたスレイの強さを思い出しながら、力強く微笑んだ。
「明日には、ここから絶対に出られるからね。……今夜、すっごく大きくて、ぶっきらぼうで、鉄仮面で、手加減を知らなくて……えっと、とにかく『すっごく怖いオジちゃん』が、みんなを助けに来るから」
リルの言葉に、子供たちがポカンと口を開ける。
「こ、こわいオジちゃん……?」
「うん。見た目は死神みたいで怖いけど……あのオジちゃんは、絶対にみんなの味方だから。信じて待っててね」
安心したようにご飯を食べ進める子供たちを見届け、リルは船倉の出口へと向かって歩き出した。
そして、階段に足をかけたところで、クルッと振り返った。
「あ、そうだ!」
リルは照れ隠しのように、えへへと顔を真っ赤に染めながら、自慢げに胸を張って宣言した。
「ちなみにわたしは……そのすっごく強いオジちゃんの、『正妻』だからね! 覚えといてね!」
子供たちが「せいさい……?」と首を傾げるのを背に、リルは足取りも軽く、最高に満足げな顔で旅館へと帰っていくのだった。
――そして、太陽が太平洋の水平線へと沈み、大洗の町が夜の闇に包まれる。
『愛の家』の亡霊たちを完全に殲滅するための、最後の夜が幕を開けた。
「……準備はいいな」
漆黒のコートを羽織り、多数の重火器を装備したスレイが、低く尋ねる。
「ええ。いつでも行けるわ」
マリアがハッキング用のコンソールを立ち上げ、不敵に笑う。
「わたしも! スレイの正妻として、バッチリだよ!」
リルがサブマシンガンを構えて胸を張る。(スレイは「正妻?」と微かに眉を動かしたが、ツッコミは保留した)
「私は萌美総理に、今までの流れとこれからの作戦を報告しておくわ」
モニカが暗号化端末を耳に当てながら、事後処理を見据えて動く。
「私もパパ(大物議員A)に連絡しておくっしょ! たぶん、山田相姦の部隊がもう近くに待機しているみたいだからね!」
メイコもスマホをタップし、政府の裏部隊との連携を整える。
退路はない。手加減も必要ない。
重武装を整えた死神たちは、決戦の地である大洗海鮮市場の『卸売業者ビル』へと、静かに、そして絶対の殺意を胸に歩みを進めるのであった。
深夜二時。
大洗港の海鮮市場の裏手にそびえる、『聖家卸売センター』と偽装された要塞ビル。
「……準備はいいわね。システムの掌握、開始するわ」
少し離れた路地裏に停めたワンボックスカーの中で、マリアがノートPCのエンターキーを静かに叩いた。
画面上のプログレスバーが一気に100%に達し、卸売ビルのセキュリティ網が音もなく沈黙する。
「監視カメラのループ処理完了。赤外線センサー、および生体認証ロックの全無効化に成功。……道は開いたわ」
『……了解した』
『ほ~い!』
漆黒のタクティカルギアに身を包んだスレイとリルが、闇に溶け込むように音もなくビルへと侵入していく。
『愛の家』という、自らとモニカから過去を奪い、人生を引き裂いた地獄のルーツ。
普通であれば、怒りで我を忘れ、正面から銃弾をばら撒いて狂戦士のように突撃してもおかしくない状況だ。
しかし、今のスレイの心は、氷点下よりも冷たく、そして恐ろしいほどに澄み切っていた。
(……怒りに呑まれて判断を誤れば、幹部を取り逃がす可能性もある)
何としてでも、この外道どもを確実に『殲滅』する。最強の暗殺者としての本能が、彼に完璧な冷徹さとステルスを要求していたのだ。
「……一人目」
シャッターの裏口でタバコを吹かしていた白装束の警備員の背後に、スレイの巨躯が音もなく忍び寄る。
銃は使わない。巨大な手が男の顎と後頭部を捉え、ゴキッという鈍い音と共に、一切の悲鳴を上げさせることなくその首を捻り折った。
「……二人目」
廊下を巡回していた男の死角から、リルが軽やかにジャンプして接近し、スタンガンを首筋に叩き込んで意識を刈り取る。
「……三人、四人」
まるで実体のない死神の影のように。
スレイはフロアに配置された教団の警備兵たちを、一人、また一人と、暗闇の中でゆっくりと、そして確実に始末していった。
血一滴、銃声一発すら立てない、完璧なステルス・アサシネーション。
「……五人目」
別の死角から接近し、スタンガンを当てるリル。
しかし、ここで流石にHOL側も異常に気づいたのか、奥の通路からアサルトライフルを持った数人の増援が駆けつけてきた。
「見つけたぞ! 侵入者――」
男が叫んだ瞬間、リルがすかさずドローンを起動し、通路に高濃度の催涙ガスをばらまいた。
「ぐはっ!? 目が……っ!!」
むせ返り、視界を奪われた男たちの隙を突き、スレイが風のように間合いを詰め、たった数秒で全員の骨を砕いて制圧する。
やがて、スレイとリルは敷地の最深部、厳重な防音扉で仕切られた『小部屋』を発見した。
『見張りは制圧完了! 奥に小部屋があったよ!』
リルがインカムで短く通信を入れる。
『……おそらく、そこに諸悪の根源(幹部)と最後のリストがあるわ』
マリアの声を受け、スレイはゆっくりとその防音扉のノブを回した。
豪華な革張りのソファと、マホガニーのデスクが置かれたその部屋。
デスクの奥で、大量の裏帳簿と札束をアタッシュケースに詰め込んで逃亡の準備をしていた初老の男が、ドアが開いた音にビクッと肩を揺らした。
「な、なんだ貴様は!? なぜ警備の者たちが……っ!」
男は慌てて引き出しから護身用の拳銃を取り出そうとしたが、リルの操作するドローンが弾丸のように飛び込み、その手を弾き飛ばした。
さらに、目の前に立つ巨漢から放たれる圧倒的な『死の気配』に当てられ、男は腰を抜かして床にへたり込んだ。
「……お前が、今の『愛の家(HOL)』の院長か」
スレイが、氷のように冷たく見下ろす。
その醜く歪んだ顔には、見覚えがあった。
幼い頃、あの地獄の施設で子供たちを「商品」として品定めし、値踏みしていた幹部の一人だ。
「ヒッ……!!」
院長は後ずさりしながら、スレイの顔を凝視し、そして信じられないものを見るように目をひん剥いた。
「ま、まさか……。その目つき、その異常な体格……!! お前は、『最高ランク』の実験体……スレイ・ギンスバークか!?」
院長が驚愕の声を上げる。
「バカな、お前は十年以上前に施設から逃げ出した欠陥品の実験体!! なぜ、ここに……!」
「……一つだけ、聞く」
スレイは男の戯言を完全に無視し、一歩、また一歩と距離を詰めた。
「俺と一緒に施設に捨てられた、赤い髪の姉……ルビー・ギンスバークを、どこへ売った」
その低く、地獄の底から響くような声に、院長はガタガタと震えながら命乞いをするように叫んだ。
「し、知らない! 私はただの管理職で……っ、いや、待て、思い出した! あいつだ、あの異常に美しい赤い髪の娘は……海外の富豪に、超高値で買われたんだ!!」
「どこだ」
スレイの声が、さらに一段低くなる。
「ポ、ポルトガルだ!! ヨーロッパの裏ルートを通じて、ポルトガルのマフィアか貴族の元へ『愛玩用』として売られていった!! だから生きてる保証なんてどこにも……ひっ!?」
「それって本当なの!?」
嘘を許さないリルが、スタンガンを低めの設定にして院長の首筋に押し当てた。
「アガガガ!! アババッ!! ほ、本当だ! 信じてくれ、嘘じゃない!! リストにポルトガル行きの記録がある!!」
男が白目を剥きかけながら絶叫する。
それを聞いたスレイは、目を細め……静かに、肩から提げていたアサルトライフルを床に落とした。
ガチャン、という重い金属音が部屋に響く。
『……スレイ?』
車内のマリアが、インカム越しに訝しげな声を上げる。
「……マリア。少し、通信を切る」
スレイはインカムのスイッチを切り、腰のハンドガンも、タクティカルナイフも、すべて床に投げ捨てた。
丸腰になった。
「な、なんだ……私をどうするつもりだ……?」
院長が、恐怖で顔をひきつらせて後ずさる。
「……お前のような外道を殺すのに、銃弾(道具)は勿体ない」
「自業自得だよ~、悪いおじさん」
リルが冷たく言い放つ。
スレイの分厚い両手が、ギリッ、と恐ろしい音を立てて強く握り込まれる。
任務のために完璧に制御し、冷徹な死神の奥底でドロドロに煮えたぎっていた怒りが。
ここで初めて、純粋な『暴力』として解放されたのだ。
「あ、悪魔……くるな、来るなァァァァァッ!!」
ドゴォォォォォンッ!!!
スレイの岩のような拳が、院長の顔面を完全に粉砕する。
「あぎゃああああッ!!」
「……これは、商品として消費された、名もなき子供たちの分だ」
バキッ!! メチャッ!!
肋骨が折れ、内臓が破裂する凄惨な音が部屋に響き渡る。
「……これは、内臓を奪われ、未来を奪われた者たちの分だ」
スレイは一切の感情を交えず、まるでただの作業のように。
自らの『拳』だけを使って、現院長を原型を留めないほどの肉塊に変え、完璧な地獄へと叩き落とした。
――翌朝。
『……続いてのニュースです。本日未明、茨城県は大洗港の「聖家卸売センター」の倉庫にて、大規模なガス爆発とみられる火災が発生しました。建物は全焼し、焼け跡から身元不明の遺体が複数発見され……』
新宿のタワーマンション、PCUのアジト。
テレビから流れるアナウンサーの無機質な声を背に、大洗から帰還したメンバーたちは、泥のように疲れた身体をリビングのソファに深く沈めていた。
「……山田相姦の部隊が、綺麗に証拠隠滅してくれたようね」
モニカがコーヒーカップを片手に、ニュース映像の黒煙を見つめる。
「うんうん。愛家丸の船倉に捕まってた子供たちも、無事に海上保安庁に保護されたみたいだよ。リルの差し入れのおかげで、みんな元気だったって」
メイコがスマホの裏ニュース速報を確認しながら、ホッと胸を撫で下ろした。
「……これで、本当に終わりね。愛の家の亡霊は、完全に大洗の海に消えたわ」
マリアが冷めたコーヒーを一気に飲み干し、積年の重圧から解放されたように深く息を吐き出す。
「……あぁ」
スレイもまた、シャワーを浴びて幾人もの血の匂いを落とし、ソファに深く腰掛けて静かに目を閉じていた。
「スレイ、お疲れ様」
リルがトコトコと歩み寄り、巨漢の暗殺者の太い腕にギュッと抱きつく。
「……お姉ちゃん、ポルトガルにいるかもしれないんだね。絶対、いつか探しに行こうね!」
その温かい言葉に、スレイは目を閉じたまま、そっとリルの頭を撫でた。
――数日後。
首相感貞の特別地下室から、正式な事後報告の連絡が入った。
『おかげで愛の家(HOL)は完全に壊滅したようだ。残党どもが街の小さな教会などに潜伏していたが、その悪党たちもすべて山田の部隊が確保した』
大物議員Aが、満足げに頷く。
『ええ。拉致されていた子供達は皆無事よ。そして、出荷前の各地の子供や臓器のドナー候補たちも、無事に安全を確保したわ。よくやってくれたわね』
環萌美総理の労いの言葉と共に、彼らの過去の清算は、ひとまずの終わりを迎えた。
しかし。
彼らには、一つだけまだ終わっていない『因縁』が残されていた。
「……ポルトガルの裏業者ね。洗ってみるけど、正直厳しいわよ」
新宿のアジト。マリアはメインモニターに向かい、キーボードを叩きながら大きなため息をついた。
「なにせ30年も前の児童売買の取引記録よ。当時のブローカーがまだ生きている保証もないわね」
モニカがプロファイラーとして、追跡の困難さを指摘する。
「でも、スレイのお姉ちゃんでしょ~? 絶~対に強いと思うんだよね!」
リルが無邪気に笑う。
「確かに! 今頃生き延びているどころか、どこかの国の政治家とか、トップアスリートとかになってそうっしょ!」
メイコも明るく同意した。
「はぁ……。末端の組織や個人まで追跡するのは、至難の業だわ」
マリアが頭を抱える。
「……あぁ。分かっている」
スレイはソファで愛銃のメンテナンスをしながら、静かに頷いた。
『愛の家』という巨大な売り手(供給源)は、確かに大洗で完全に殲滅した。しかし、彼らから子供や臓器を買っていた『買い手』は、世界中の富豪やマフィアに散らばっており、そのすべてを潰して回るのは物理的に不可能に近い。
それでも、最大の元凶を断ち切ったという事実の重みと成果は、計り知れないものだった。
その時。
『ピリリリリッ!』
マリアの専用端末が鳴り響いた。
「……はい、マリアよ。……シルビア? ええ、護衛ね。スケジュールは空いてるわよ。今度は何? ……えっ、試写会?」
「もう映画完成したんだ~! 早い! でもいきたいねそれ!」
リルが飛び跳ねる。
「とんでもないB級映画キボンヌ~! いや、パロディ詰め込みすぎだったからD級かな!?」
メイコも大はしゃぎだ。
「丁度いいんじゃない。例のサブリミナル集団(HOL)を殲滅させたことも、彼女に話さないといけないしね」
モニカが微笑みながら促し、マリアは二つ返事でその依頼を快諾した。
――数日後。都内の巨大シネマコンプレックス。
この日は、世界的歌姫シルビアが主演を務めるサイコスリラー映画『羊たちの沈没』の、関係者限定の特別試写会だった。
PCUのメンバーたちも、それぞれの個性に合わせてドレスコードをバッチリと決め、華やかな映画館へと足を踏み入れていた。
彼らは一般客の喧騒を避け、関係者専用の通路を抜けて、試写会前のシルビアが待つVIP控室へと向かった。
厳重な警備の扉の前に立ち、スレイが静かにノックをして、重いドアノブを回す。
「……入るぞ」
スレイが短く声をかけ、部屋の中へと足を踏み入れた。
「ええ。いらっしゃい」
部屋の中央。
豪奢な真紅のドレスを身に纏った世界的歌姫が、窓の外の景色からゆっくりとこちらへ振り返った。
「…………えっ」
マリアとモニカが、同時に小さく息を呑む。
リルとメイコは、驚きのあまり目を丸くして固まった。
スレイの足が、ピタリと止まる。
そこにいたのは、いつも彼女を彩っていた、あの月光のように美しい『銀色の髪』ではなかった。
燃えるような、地毛の『紅い髪』を下ろした。
シルビアの姿だった。
「その赤毛、すごく似合ってるけど……今回の映画の役作りのためなのよね?」
モニカが、グラスを片手に微笑みながら尋ねる。
マリアも、一瞬だけ心の奥底で『何か』が引っかかるような気がしたが、深くは気に留めなかった。
「ええ、一瞬誰かと思って驚いたわよ」
「ふふっ、監督の強いこだわりよ。『ヒロインの髪が赤くないと、このホラーでは絶対に映えない!』って」
燃えるような紅い髪を揺らし、シルビアがクスクスと笑う。
「わぁー、わたしはすっごく好き! 銀色のお姉ちゃんも綺麗だけど!」
「赤毛のシルビアお姉ちゃんも、すっごくかっこいいっしょ!」
リルとメイコは、無邪気にシルビアの赤い髪に目を輝かせ、手放しで絶賛した。
その後行われた試写会と舞台挨拶は、ゲートでの厳重な手荷物検査と金属探知機のチェックも功を奏し、全くトラブルは起きなかった。
流石に大きな問題が起こるとは思えず、ただ熱狂的なファンが多く集まったせいで少し時間が押した程度で、イベントは無事に幕を下ろした。
――数時間後。都内の高級レストラン。
巨大なカルト教団『愛の家』を完全に殲滅させたという安堵感があったのだろう。
大きな事件がひと区切りついたせいか、今夜のPCUメンバーたちは、いつもより明らかに酒のペースが早かった。
テーブルに並べられた美味しい料理も次々と平らげられていく。
「ふわ~~~……。お肉もお魚も、美味しかったぁ……むにゃ~」
限界まで食べ尽くしたリルが、ついにウトウトと船を漕ぎ始めた。
「ちょっとリル! もう寝かけてるじゃないの。油断しすぎよ」
モニカが苦笑しながら肩を揺する。
「パパ(大物議員A)の迎えの車が来るから、今日はリルたそ、うちに連れていくよ~。大人はまだ、シルビアお姉ちゃんの護衛のお仕事あるでしょ?」
メイコが、手慣れた様子でリルの世話を焼く。
「じゃあ、お願いしようかしら。リルを頼んだわよ」
マリアが微笑んで見送ると、メイコは笑いながら父親に連絡を入れ、眠るリルを背負って一足先に帰路についた。
「……例のカルトも殲滅したようで、本当に安心したわ。私も、今日で一区切りだったせいか、流石に飲みすぎちゃったみたい」
ほんのりと頬を染めたシルビアが、妖艶なため息をつく。
「……今日の最後の仕事だ」
スレイが静かに立ち上がり、迎えのリムジンを呼びつける。
シルビアを後部座席に乗せ、ボディガードとして自らも同乗した。
「スレイ、送り狼になっちゃダメよ~」
マリアがからかうように手を振る。
「さて、私たちもアジトに戻りましょうか。今日は流石にお酒飲んでいるから、タクシーね」
モニカもヒールを鳴らし、夜の街へと歩き出した。
――スレイ側(リムジン内)
深夜の都内を滑るように走るリムジン。
後部座席では、すっかり酔いの回ったシルビアが、スレイの太い腕にぴったりと絡みついていた。
「……飲みすぎたけど、いい気分ね。色男さんも、隣にいるし」
シルビアが甘い吐息を漏らし、スレイの肩に頭を預ける。
スレイは無言のままだが、彼もまた、今夜は過去の因縁に決着をつけた解放感からか、かなりの量の酒を飲んでいた。
やがて、超高級ホテルに到着。
ドアマンが開けた扉から降りようとしたシルビアだったが、足元がおぼつかずに大きくよろけた。
「あっ……」
転びそうになる彼女を、スレイの分厚い手が咄嗟に支え、肩を貸す。
「……このまま、部屋まで連れて行って」
シルビアが、スレイの胸元を見上げてトロンとした瞳で甘えた。
「……」
スレイは一瞬ため息をつくと、酔っ払いを歩かせるのも面倒臭くなったのか、その場であっさりとシルビアを『お姫様抱っこ』で抱き上げた。
「いやんっ、流石、色男さんね!」
シルビアが嬉しそうに首に腕を回す。
最強の暗殺者は、世界的歌姫を軽々と抱えたまま、ホテルのスイートルームへと無言で足を踏み入れていった。
――マリア・モニカ側(シネマコンプレックス周辺)
「……ふぅ。流石に今日は飲みすぎたわね。明日はゆっくりしましょう」
「えぇ、そうね……」
夜風に当たりながらタクシーを探していたモニカの言葉に、マリアは生返事をした。
マリアの視線は、テラスの入り口にデカデカと飾られている、巨大な映画の宣伝ポスターに釘付けになっていた。
怯えながらも、どこか狂気を孕んだ妖艶な表情を浮かべる『赤毛のヒロイン』。
そして、そのタイトルロゴ『羊たちの沈没』の下に、大きく印字された『主演女優』の名前。
『 主演:ルビー・ギンスバーク 』
「…………えっ」
マリアの心臓が、ドクン、と嫌な音を立てて跳ねた。
「どうしたの、マリア?」
モニカが不思議そうに振り返る。
マリアは声を出せず、震える指でゆっくりと宣伝ポスターを指さした。
それに釣られ、モニカもポスターの文字を見つめる。
「何? ただのB級ホラー映画のポスターじゃない。主演……ルビー・ギンスバーク……!!」
モニカの酔いが、一瞬にして醒めた。
大洗へ向かう直前、あの忌まわしいカビ臭い『生徒名簿』で見た、スレイの名前のすぐ下にあった文字。
スレイと生き別れた、赤い髪の姉の名前。
(……ちょっと待って。ルビー? ギンスバーク?)
マリアとモニカの脳裏に、数日前のディナーでのシルビアの言葉が、強烈なフラッシュバックとなって蘇る。
『歌手と女優で、名義を分けようかと思っているのよ』
『女優業の時は、私の「本名」をそのまま使おうかしらって』
『銀髪は染めてるだけ。地毛は赤なの』
「……シルビアの本名が、ルビー・ギンスバーク……?」
マリアが、信じられないものを見るように後ずさる。
「スレイの姉と、同姓同名? それとも……」
「い、いや! 偶然でしょう……! いくらなんでも、そんなドラマみたいな……」
モニカが必死に否定しようとするが、プロファイラーとしての彼女の顔からは、滝のような冷や汗が吹き出していた。
年齢、赤い髪、そしてその名前。すべての条件が、致死量の毒のように完璧に一致している。
「……確か、彼女の『自伝』がアジトにあったわね!」
マリアが血相を変えて叫ぶ。スレイがテーブルの端に置きっぱなしにしていた、あの本だ。
「ね、念のため確かめましょう……! そう、念のためよ!!」
最悪の、あるいは最高の奇跡の可能性に気づいてしまった二人は、大慌てで道路に飛び出し、手を振った。
しかし、こんなパニックの時に限って、深夜の都内ではタクシーの『空車』が全く捕まらないのであった。
――新宿アジト
深夜の都内。
タクシーを飛ばし、新宿のアジトに駆け戻ったマリアとモニカは、息を切らしながら薄暗いリビングへと飛び込んだ。
彼女らの視線は、一直線にダイニングテーブルの端へと向けられる。
大洗へ向かうあの日。誰にも読まれることなく放置されていた、一冊の分厚い本。
マリアは震える手で、その本に触れた。
表紙には、美しく微笑むシルビアの写真。
マリアはごくりと生唾を飲み込み、ゆっくりと、その『自伝』を手に取った――。
『……私の幼少期は、決して煌びやかなものではありませんでした』
自伝のテキストページが始まる。マリアの瞳が、活字の上を猛スピードで滑っていく。
『物心ついた頃から、私は海外の富豪の元で、まるで奴隷のように働かされていました。毎日が地獄のような日々……』
(……海外で、奴隷のように。まさか、児童売買の……)
モニカの額から、一筋の冷や汗がツーッと流れ落ちた。
――高級ホテル
一方、都内の超高級ホテルの一室。
シルビアを無事に送り届けたスレイは、ミネラルウォーターを一気に飲み干し、酔った頭を冷やしていた。
やがて、バスルームの扉が開き、シャワーから上がったシルビアが姿を現す。
スレイは何も言わず、任務完了とばかりに背を向けて帰ろうとした。
しかし。
その大きな背中に、シルビアが後ろからしなやかな腕を絡め、ぴたりと抱き着いてきた。
燃えるような赤い髪から、極上の香水と甘いシャンプーの匂いが漂う。
――新宿アジト
ペラッ。
静寂のリビングに、マリアの震える指がページを捲る音だけが響く。
『……成長した私は、街の路上で歌を歌い、小銭を集めることで日々のパンを食いつなぎました。私の唯一の救いは、この声だけでした。……しかしある日、私を囲っていた雇い主が、突然の心臓発作で倒れたのです。私はこれまでに貯めた小銭をすべて使い、なんとか日本へと逃げ戻りました』
「日本へ、戻った……? じゃあ、彼女の生まれは……」
モニカが息を殺し、マリアの肩越しにさらに活字を追う。
――高級ホテル
「……まだ、帰っちゃダメよ」
スレイの分厚い胸板に、シルビアがそっと身を寄せ、その無精髭の生えた頬に甘いキスを落とした。
スレイもかなりの酒を飲んでいるせいか、あるいは長きにわたる死闘のアドレナリンがまだ抜けきっていないせいか。正常な判断ができず、彼女を強く拒むことはしなかった。
――新宿アジト
『私は孤児でした。……物心つく前に、とある日本の施設で、商品として売られたのです』
「……ッ!!」
二人は呼吸を忘れ、限界まで目を見開いた。
『私には、たった一人の家族がいました。……私が売られた時、まだ幼かった、小さな弟です。……私は今でも、彼に会いたいと願っています』
幼い弟。施設で売られた過去。
すべてのピースが、最悪の形で組み上がっていく。
――高級ホテル
床に、漆黒のコートが滑り落ちる。
常に肌身離さず持ち歩いていたハンドガンが、鈍い音を立てて分厚い絨毯の上に転がった。
「……後悔するぞ」
スレイの掠れた低い声。
それを塞ぐように、シルビアの熱い吐息と、深く甘いキスが重なる。
もつれ合うように、二人はそのままふかふかのベッドへと倒れ込んだ。
――新宿アジト
「嘘よ……嘘よ、そんなの……っ!!」
視線が、自伝のある一文に完全に釘付けになる。
孤児として売られ、路上の歌手として育ち、そして雇い主の死によって逃げ出した、その海外の国の名前。
大洗で、愛の家の院長が『赤い髪の少女を売った』と吐き捨てた、その場所。
――高級ホテル
月明かりだけが差し込むホテルの部屋。
床には、二人の衣服が乱雑に散乱している。
シーツの波打つベッドの中で、決して交わってはならない二つの影が、静かに重なり合っていく。
――新宿アジト
『……私が青春時代を過ごし、地獄を見た国。それは——』
――高級ホテル
部屋には、男女の甘く、そして荒い呼吸だけが静かに溶け合っていた。
――新宿アジト
『——ポルトガルです』
これにて、「愛の家」の亡霊たちはすべて大洗の海に沈みました。
スレイの拳による因果応報、そしてリルが子供たちに伝えた「正妻」としての誇らしい姿……。
ですが、事態はここから、誰も望まなかった形での「奇跡」を呼び起こしてしまいました。
世界的歌姫シルビアの地毛、本名、自伝の内容。マリアたちが真実に辿り着いたその時、スレイが犯してしまった生涯最大の、あまりにも皮肉な過ち。
次回、この最悪のボタンの掛け違いがPCUに何をもたらすのか。