不要なカーテンコール編(前編)
「ウェ〜イ! リルたそ、そのリップの色マジで神! ちょー盛れてるっしょ!」
「ほんと!? メイコちゃんが選んでくれたやつ、すっごく可愛い! ねぇスレイ、わたし可愛い!?」
「……ああ」
「……感情がこもっていないわね」マリアが呟く。
「そう見えるけど、安心しなさいリル。あれはスレイなりの最大限の賛辞よ」モニカのフォローである。
珍しく首相感貞ではなく、大物政治家・大物議員Aの広大な私邸(つまりメイコの実家)の応接室。
PCUの面々が、豪華なソファでくつろぎながらそんな他愛もないやり取りをしていると。
バタン、と重厚なマホガニーの扉が開き、大物議員Aが足早に入ってきた。
いつものようなふざけた態度や、親バカな笑顔はない。
大物議員Aは表情を引き締め、重々しい声で口を開いた。
「……実は、君たちに『私自身の護衛』を頼みたいのだ」
「議員ご本人の、ですか」
マリアが、オペレーターの冷徹な顔に切り替わる。
「……それで、首相感貞ではなく、ここ私邸だったんですね」
モニカが優雅に足を組み替えて納得する。
大物議員Aが、テーブルの上に数枚の隠し撮りされた写真を並べる。
そこには、怪しい車や、異様な殺気を持った柄の悪い男たちの姿が写っていた。
「私の息のかかった、公安の裏部隊からの情報によると、どうやらキナ臭い動きがある。……ターゲットは、間違いなく私だ」
「……暗殺(テロ)か。それとも、スキャンダルをでっち上げての社会的な失脚狙いか」
スレイが、漆黒のサングラスの奥で写真を冷たい目で見下ろす。
「えー? パパ狙われてんの? ウケるー。まあ、スレイっちたちがいるから余裕っしょ!」
後ろで実の娘であるメイコが呑気に笑っているが、議員の顔は真剣だった。
「うん! 私たちがパパさんを必ずお守りするよ!」
リルが力強く拳を握る。
「……問題は、来週の私のスケジュールのことだ」
大物議員Aが、苦虫を噛み潰したような顔をする。
「どうしても外せない観劇の予定が入っていてね。後援会の重鎮たちも集まる公的な場で、今さらキャンセルすれば、敵にテロに屈したと有権者に弱みを見せることになるのだ」
「……観劇、ですか。最も警備が難しく、暗殺者(テロリスト)が紛れ込みやすい閉鎖空間ですね」
マリアが即座に難易度を弾き出す。
「ええ。暗闇、大勢の観客、複雑な照明機材に、巨大な大道具。……どこから狙撃されてもおかしくないし、爆発物を仕掛ける死角も無数にあるわ」
モニカが、劇場の危険性を浮き彫りにする。
スレイは無言のまま、脳内の戦術データベースを瞬時に展開し、劇場の構造をシミュレーションし始めていた。
「その通りだ。……しかも、私が観劇するのは、今最もチケットが取れないと言われている、超人気劇団ダイバーシティのミュージカル公演でね」
「物々しいSPの警備にするわけにはいかないから、裏からこっそり守れるウチら(PCU)の出番だね!」
リルが納得する。
「私もパパの警護をするよ〜! それで、演目は何なの?」
メイコが尋ねる。
「オペラ座の地下深くに住む、仮面を被った謎の怪人の話だよ」
大物議員Aが答える。
「あ〜、それなら知っている!」
「それめっちゃ有名なやつだもんね! 映画でも見たことあるっしょ!」
リルとメイコが頷く。
(……怪人、ね。俺たちにとっては、テロリストのほうがよっぽど怪人だがな)
スレイは安物のライターをカチャリと鳴らし、静かに迎撃の準備を整えるのだった。
――数時間後。新宿のアジト。
「……よし、議員の来週のスケジュールと、劇場の設計図面(ブループリント)は完全に手に入れたわ」
リビングの巨大モニターに、マリアがハッキングで取得した複雑な劇場の見取り図が展開される。
「……客席上部の照明のキャットウォーク(足場)は、狙撃の絶好のポイントだな」
スレイが、図面の高所を指差して低い声で言う。
「ステージ裏の音響設備と、演出用のスモークマシン。……爆発物や毒ガスを仕掛ける隠し場所には事欠かないわね」
モニカが死角の多さを指摘する。
「よし、配置を決めるわよ」
マリアがモニター上でアイコンを動かす。
「私はいつも通り、劇場の監視カメラ網とシステムを完全にジャックして、モニタールームから全体の司令塔(指示出し)に回るわ。……モニカは、全体が見えるところがいいわね」
マリアの指が、見取り図の最上階、客席の最後方にあるガラス張りのブースを指し示した。
「音響室なら、劇場全体を俯瞰で見下ろせるわ。私は音響室のスタッフに扮して待機するわ」
モニカが即答する。
「はーい! 私は顔が見えるところがいいと思うので、ステージ袖から観客席全体を見守るね! 当日のお客さんの顔は、チケットのデータと照らし合わせて全て把握できるし」
メイコの超記憶力(瞬間記憶能力)なら、不審な顔の人間を即座に洗い出せる。
「ええ、そうね。チケットは全てファンクラブの会員制だし、顔認証はあんたに任せる。メイコはステージ袖で待機ね」
マリアが了承する。
「メイコちゃんがステージ袖なら、私は?」
リルが手を挙げる。
「リル。あんたの身体能力と隠密性なら、狭い場所でも自由に動ける。……あなたもステージ袖(舞台袖)に潜入して。役者や裏方に紛れた犯人の微かな殺気を、議員の一番近くで感じ取って頂戴」
「任せて! 悪いヤツが来たら、スタンガンでバリバリしちゃう! 偵察用のドローンも待機しておくね!」
「俺はどこにいけばいい?」
スレイが尋ねる。
「スレイ、あなたは一番高い照明のキャットウォークのところね。今回は、客席の議員を守るために、上空からの狙撃(カウンタースナイプ)が必要になる可能性がある」
「……成程。照明の隙間からなら、銃口(マズルフラッシュ)が光っても不自然じゃないな」
最強の暗殺者は、静かに己の役割を理解した。
これで、PCUメンバーの完璧な布陣(配置)は決まった。
マリアが、モニターの画面を切り替えた。
そこに映し出されたのは、爽やかな笑顔を浮かべた、今をときめくイケメン俳優の宣材写真だった。
「今回のミュージカルの主演は、最近テレビでも引っ張りだこの若手売れっ子俳優『下義摩 仁阿(したぎま にあ)』よ」
「したぎまにあ……? なんか変な名前」
リルが首を傾げる。
「彼に熱狂的なマダムのファンが大量に押し寄せるから、その喧騒を利用して、テロリストが武器を持ち込む可能性が高いわ」
マリアが警告する。
「……まずは現場(劇場)に向かって、事前の調査と潜入ルートの確保だな」
スレイの合図で、一行は事前の下見へと向かった。
まだ公演の準備段階であり、周囲には大道具を運ぶスタッフたちが忙しなく行き交っている。
PCUメンバーは劇場の中をくまなく確認し、各配置での分担と死角を最終チェックした。
――そして、観劇の当日。
満席となった、熱気渦巻く超大型劇場。
『……議員の入室、確認した。最前列のど真ん中(特等席)だ』
天井付近のキャットウォークから、スレイがインカムで報告する。
大物議員Aは、後援会の重鎮たちに囲まれ、リラックスした様子でふかふかの特等席に腰を下ろしている。
『了解。監視カメラの映像もすべて掌握したわ』
モニター前で、マリアがキーボードを叩きながら答える。
『リル、メイコ。そっちの様子はどう?』
『ステージの横(上手側の袖)の暗がりに隠れてるよ! ドローンも待機中。いつでも飛び出せる!』
リルが、黒い裏方用の服を着て息を潜める。
『チケットの枚数と、関係者パスの枚数は一致しているよ。お客さんの席には、データにない不審者はいない感じ〜!』
メイコが、客席全体をスキャンして答える。
『今のところ、客席にも舞台裏にも、不審な動きは見当たらないわね』
音響室から、モニカが全体を俯瞰して報告を上げる。
「……まもなく、開演だ」
スレイが、愛銃のスコープ越しに劇場全体を睨みつける。
ジリリリリリッ……!
劇場に開演を告げるブザーが鳴り響き、客席の照明がゆっくりと落とされた。
華やかな狂気のステージが、今、幕を開ける。
深い暗闇の中。誰もが一度は耳にしたことがあるであろう、あのパイプオルガンの重厚で恐ろしいイントロが、劇場の巨大スピーカーから大音量で鳴り響いた。
ジャジャジャジャジャーン……!!
『さあ、来るわよ。動くとしたら、暗転したこのタイミングの可能性が高い……!』
アジトのモニターを睨むマリアの声に、全開の緊張が走る。
ステージの中央にスポットライトが当たり、スモークが焚かれる。
醜い顔を白い仮面で隠した、孤高の音楽の天才……怪人(ファントム)の登場シーンである。
「おおぉぉ……!!」
客席から割れんばかりの拍手と歓声が沸き起こった。
怪人が、上手の暗闇から、マントを翻して堂々とステージへと歩み出てきたのだ。
『……マリア! 状況がおかしいわ!』
音響室から俯瞰で見ていたモニカが、優雅な声を完全に裏返らせて叫んだ。
『ねえねえ、やっつけていいのあれ?』
上手袖に潜むリルが、スタンガンを構えて困惑している。
『ちょっと、仮面のせいで顔認証できないんだけど……っていうか衣装!!』
メイコが信じられないものを見たように声を上げる。
『どうしたの!? もう敵が出たの!?』
監視カメラの映像だけを見ている(直接ステージを見れていない)マリアが焦る。
「……いや」
キャットウォークから狙撃銃のスコープを覗き込んだスレイが、絶対零度の声で報告した。
「……ステージに現れた怪人だが。タキシード姿ではなく……『女性モノの赤いブラジャーと、フリフリのショーツ』しか身につけていない。……完全に、ただの変質者だ」
『…………』
『……は?』
インカムの向こうで、超天才敏腕ハッカーであり、誰もが認める最高司令塔マリアの思考が数秒間、完全にフリーズした。
『客席は熱狂しているわ! これは新手のテロか!? 議員の精神(モラル)に直接ダメージを与えるための、女装した過激派の作戦なの!?』
モニカのプロファイリングが完全に明後日の方向へバグるしかない。。。
『待って待って待って!! どういうこと!? なんでブラとショーツ一丁の男がステージに出てきて、マダム客が拍手喝采してんのよ!!』
マリアがパニックに陥りかけた。
――その時だった。
ステージ袖(上手)に潜伏していたメイコから、さらに切羽詰まった通信が入った。
『マ、マリア大変!! 怪人が……怪人が二人いるよ!!』
『二人!? どういうことよメイコ!!』
『上手からブラとショーツのおじさん(怪人)が出たんだけど、反対側の下手の暗闇にも、仮面を被った別の怪人が隠れているの! メイコちゃんのパパの席を、ジッと狙ってる気がする!』
リルが、暗闇の奥の微かな殺気を捉えて報告する。
『……ッ! その下手側の怪人の服装は!? 武器は持ってる!?』
マリアが血相を変えて叫ぶ。
『ええとね……乳首の部分に穴を空けた、スケスケのネグリジェ姿だよ!!』
メイコの絶望的な報告に。
『…………』
PCUのインカム回線に、地獄のような沈黙が落ちた。
『……どちらが本物の主演俳優(下義摩 仁阿)で、どちらが暗殺者(テロ)よ! この舞台はダブルキャストではないはずよ!』
モニカが頭を抱える。
『ダブルキャスト?』
リルが首を傾げる。
『一つの役に、二人の俳優が配役されることだよ。でも、同じシーンに同時に出るわけないっしょ!』
メイコが解説する。
『分かるかァァァァァァッ!!!!』
マリアの絶叫が、暗号化されたインカムの回線を焼き切らんばかりに響き渡った。
『なによこの究極の二択!! どっちが本物でも、日本の演劇界は完全に終わってんでしょ!! ……いや待ってマリア、すぐに主演俳優の下義摩 仁阿の裏の経歴を洗って! どっちが俳優の趣味(性癖)か突き止めるのよ!』
モニカが、狂気のプロファイリング(消去法)を提案する。
『ディープウェブまでハッキングして、過去の余罪を洗うわ!!』
マリアがキーボードを叩き壊す勢いでハッキングを開始する。
「……念のため、俺は両方狙撃できるように照準を合わせておく」
スレイが、スコープの中で『赤ブラ』と『乳首穴あきネグリジェ』を交互にロックオンしながら、死んだ魚のような目で告げた。
『変態が2人いるけど、下手のスケスケのネグリジェ姿は、骨格と筋肉の付き方が日本人じゃないよ!』
メイコの瞬間記憶と観察眼が、致命的な違和感を看破する。
『……下義摩 仁阿は芸名よね? でも、おそらく日本人よ。リル! ステージ袖から、こっそり下手にまわって!』
モニカが指示を飛ばす。
『ほーい! バリバリ準備おっけー!』
リルが、暗がりに紛れてネグリジェ男の背後へと忍び寄る。
『……出たわ!! 下義摩 仁阿の裏の顔!』
数十秒後。マリアが血を吐くような声で叫んだ。
『こいつ、過去に何度も逮捕歴があるわ! 罪状は下着ドロ! 自宅からは、女性モノの上下下着(ブラとショーツ)が複数発見されているっていう、真っ黒な前科よ!!』
「……なるほど。ということは」
キャットウォークのスレイが、静かに狙撃銃のセーフティを解除した。
『ええ! 堂々と客席の前に出ている赤いブラとショーツの変態が、本物の下義摩 仁阿よ!! 敵は、下手に隠れている乳首穴あきネグリジェのほうね!!』
マリアの、怒りと絶望と疲労に満ちた号令が下った。
「……了解した」
プスッという、か細い発射音。
スレイが放った麻酔弾が、下手の暗闇に潜むネグリジェの怪人の首筋に正確に突き刺さった。
「あべばっ!?」
ネグリジェ怪人が、奇妙な声を上げて痙攣する。
『はーい! じゃあバチバチで確保でーす!』
背後に回り込んでいたリルが、男の股間にMAX電圧のスタンガンをフルパワーで押し当て、完全に無力化した。
スレイがキャットウォークから素早く飛び降り、下手の袖へと駆けつける。
「……対象を確保した。任務完了だ」
スレイが、気絶したネグリジェの男を乱暴に縛り上げながら報告する。
『……よくやった。……もう、ホントに疲れた……』
マリアが、デスクに突っ伏して力尽きた。
ちなみに、客席から見れば、暗闇の下手側で何かがドスンと落ちた音しか聞こえておらず。
大物議員Aを含む観客(マダム)たちは、ステージ中央で情熱的に歌い踊るブラとショーツの怪人の美声と肉体美に、ただひたすら熱狂し、酔いしれていたのであった。
――数時間後。劇場のエントランス。
無事に(?)、大物議員の命を守り抜いたPCUメンバーが合流した。
「いや〜、しかし。あれって、本当に暗殺者かテロだったの?」
メイコが、気絶したネグリジェ男を見て首を傾げる。
「ただの、さらに過激な変態さんだったのかなぁ?」
リルが不思議そうにする。
「……暗殺の意図があったかは不明だけど。議員の精神的ブラクラ(トラウマ)狙いの可能性も、まだ捨てきれないわね」
モニカが真面目な顔で答える。
そこへ、大物議員Aに警護完了の報告をしにいっていたスレイとマリアが戻ってきた。
「……いったい、今日の任務は何だったのよ……」
マリアの顔は、かつてないほどゲッソリとやつれていた。
PCUの面々は、どっと疲れた足取りで劇場の外へと出る。
ふと、マリアとモニカが、エントランスの壁にデカデカと貼られた今日の公演のポスターを、無言で見上げていた。
「何か、私が知っているオペラ座の怪人と違う〜」
リルがポスターを指差す。
「ファントムって、絶対にこんなのじゃなかったよねっしょ」
メイコが同意する。
そこには、爽やかな笑顔の下義摩 仁阿の写真と共に、金色の明朝体でこう書かれていた。
劇団ダイバーシティ 情熱の最新ミュージカル!
『 オペラ座の変態〜愛と下着の狂詩曲〜 』
「…………」
「…………」
堂々たるオペラ座の変態のポスターを前に、重すぎる沈黙が落ちた。
「……ねえ」
マリアが、ピクピクと引きつる笑顔で、震える声を出した。
「……劇団ダイバーシティという名前の時点で、変態政府の息がかかっていると気づくべきだったわ……。最初から、こういう演目だったのよ」
モニカが、優雅な顔を両手で覆う。
「……結果的に、任務は完遂した。大物議員Aは多様性の芸術に感動したと言って、涙を流して帰っていったぞ」
スレイが、感情の死んだ声で報告を補足する。
「感涙する場所が、根本的に狂ってんのよあのオッサンは!!」
マリアが夜空に向かって絶叫した。
「……今日はもう、帰りましょう。これ以上、この劇場の空気を吸っていたら頭がおかしくなるわ」
モニカが、疲労困憊の様子でワゴン車へと向かう。
気絶したネグリジェの変態(暗殺者?)を山田相姦の部隊に引き渡し、アジトへと戻るメンバーたち。
「そういえば、犯人の変態(ネグリジェ)は、日本人じゃなかったんだね」
リルが、車内で思い出したように言う。
「うん。たぶん、あの顔の彫りの深さとか骨格は、ロシアか東欧系の人間じゃないかな。……ただの変態じゃなくて、プロの匂いがしたよ」
メイコの瞬間記憶が、男の特徴を正確に分析する。
大物議員Aの警護の任務自体は、カオスの中で終わった。
しかし、なぜ東欧系のプロの暗殺者が、あんなふざけたネグリジェ姿で潜入していたのか。
このふざけたテロ未遂の裏には、まだ何か、厄介な裏の事情が隠されていそうであった。