見えない首輪編(前編)
「…………チッ」
新宿の路地裏。
漆黒のコートを着た男・スレイは、口にくわえたタバコに火をつけようと、コンビニで買った安物の百円ライターを何度も弾いていた。
しかし、ビル風が強いせいか、あるいはフリント(発火石)が摩耗しているのか、火花が散るだけで一向に火がつかない。
(……そういえば、俺の愛用していたジッポライターは、どこにいったのか)
スレイは苛立ちながら、ふと過去の記憶を探った。
それは昔、チームの最年長であるマリアから貰ったもので、スレイ自身もひどく大事にしていた代物だった。
しかし、いつかの激しい戦闘中にでも落としてしまったのか、気づけば数年前から手元からなくなっていた。
「……まあいい。今は安物で我慢するか」
数回目のフリントの摩擦で、ようやく点いた火をタバコに移し、紫煙を深く吸い込んだところで。
インカム越しに、「スレイ、首相感貞呼び出しよ」とマリアの声が掛かった。
――数時間後。首相感貞・極秘地下作戦室。
「……本日は集まってもらって感謝する。環萌美総理は今、連日飛び回るほど忙しくてね。今日は私から話がある」
円卓の上座で、大物議員Aが極めて深刻な面持ちで腕を組んでいた。
呼び出されたスレイたち裏の掃除屋の5人は、その只ならぬ空気に、自然と緊張を走らせた。
「今日は……国家の一大事である!!」
大物議員Aが、バンッ! とテーブルを叩いて立ち上がる。
(……来るか)
スレイは漆黒のサングラスの奥で目を細め、モニカとマリアも身構えた。
国家の一大事。先日のロシアンマフィアとの狂乱など、国際的なレベルの超特大の危機が再び訪れたというのか。
ゴクリと、リルとメイコが息を呑む。
大物議員Aは、血を吐くような悲痛な叫びを上げた。
「私の推しであるアイドルグループ、多様性坂69の『サヨリちゃん』の様子がおかしいのだッ!!」
「…………」
「…………」
地下室に、数秒の完全な沈黙が落ちた。
「……よし。今日は帰って、お好み焼きパーティにしよう」
リルが、何事もなかったかのようにくるりと背を向ける。
「さんせーいっ! アタシ、明太もちチーズがいいっしょ!」
メイコが弾んだ声で同意する。
「豚玉も捨てがたいわね。スーパーでキャベツ買っていきましょう」
モニカが優雅にハンドバッグを手に取る。
「さてと。では、帰りましょうか〜」
マリアが先陣を切って歩き出す。
鶴の一声ならぬ、総スカンの一声に、全員がノータイムで同意し、5人は揃って踵を返し、颯爽と出口に向かって歩き出した。
「あぁぁーッ!? 頼む、待ってくれ!! 帰らないでくれぇ!!」
大物議員Aが、半泣きになりながら円卓を飛び越え、スレイの漆黒のコートの裾にすがりついた。
「ただのキモいオタクの妄言じゃないんだ! 彼女の背後に、反社(反社会的勢力)関連の影がちらついているかもしれないのだッ!」
「……反社、だと?」
その言葉に、スレイたちの足がピタリと止まった。
モニカが、胡散臭そうに眉をひそめて振り返る。
「どういうこと? アイドルの様子がおかしいって……熱愛発覚とか、メンタル不調とか、そういう次元の話じゃないの?」
「多様性坂69って、サルーンソニックでシルビアお姉ちゃんの前に出てた人達だよね?」
リルが思い出す。
「断じて違う! サヨリちゃんはそんな子じゃない!」
早口でオタク特有の擁護を挟みつつ、大物議員Aは慌ててモニターにサヨリ(推し)のSNSアカウントを映し出した。
「これを見てくれ。最近のサヨリちゃんが、明らかに怪しいオンラインビジネススクールの宣伝を、自分のアカウントで頻繁に行っているんだ。……しかも『短期間でペラペラ』『聞き流すだけ』『カリスマに教われば英語を話せる』といった、詐欺まがいの文言でね」
「……うわぁ。完全に情報商材詐欺のテンプレっしょ。これ、アカウント乗っ取られてるんじゃないの?」
メイコが、ドン引きした顔で画面を指差す。
「いや、動画でも本人が直接喋って宣伝しているから乗っ取りではない。……だが! SNSでの日々の書き込みの様子……文体や絵文字の使い方、行間の空け方が、何やら以前と違う気がするのだ……。古参のファンである私にはわかる!!」
キリッと、無駄なドヤ顔で言い切る大物議員A。
「……なるほどね。何らかの脅迫か、洗脳に近い形で、反社グループの広告塔として利用されている可能性があるってことね」
マリアがハッカーとしての視点で、事態の深刻さを理解する。
「しかし、それなら表の警察……山田相姦のサイバー犯罪対策部隊に相談すればいいじゃない」
「それが……現段階では、サヨリちゃん本人が『自分の意思でやっている』と主張している以上、山田の部隊は動けるほど確たる証拠(事件性)がないのだ」
大物議員Aは悔しそうに唇を噛んだ。
事件化されていないグレーゾーン。
だからこそ、法に縛られずに動ける裏の掃除屋であるスレイたちに白羽の矢が立ったというわけだ。
「……ふむ」
スレイは腕を組み、一つだけ重要な確認を取った。
「……それで? 今回のこの依頼は、萌美総理には話しているのか?」
「…………」
大物議員Aが、スッと目を逸らした。
「……いや。総理には話していない。完全に私の独断(趣味)だ。だから、報酬は国庫からではなく、私のポケットマネーから出す!」
「とりあえず、報酬は現金のみだ。いかがわしい多様性関連の物品での支払いは固くお断りするぞ」
スレイが呆れたように念を押し、大物議員Aは「も、もちろんだ!」と必死に首を縦に振った。
「……まぁ、今は前回の任務を終えて、特に他の案件も入っていないしねぇ」
マリアが肩をすくめる。
「……引き受けようか。マリア、モニカ」
スレイが結論を出す。
「お好み焼きの材料を買いに行くついでに、スマホで調べられるしね!」
メイコが笑う。
「アイドルと反社ビジネス……。プロファイリングのしがいがありそうね」
モニカが優雅に微笑む。
呆れつつも。裏の掃除屋たちは、新たな「見えない首輪」への調査へと乗り出すことにした。
――新宿アジト。リビング。
大物議員Aの個人的かつくだらない依頼(推しのアイドルの異変調査)を引き受けた裏の掃除屋たちは、アジトに戻るなり、予定通りホットプレートを囲んでお好み焼きパーティを開催していた。
ソースが焦げる香ばしい匂いが、部屋いっぱいに立ち込めている。
「とりあえずさー、大物議員Aがそこまで推してる多様性坂69ってグループの曲、BGMで流して聞いてみようよ!」
リルが、スマートフォンをスピーカーに繋ぎながら提案する。
「いいね! どれにする? えーっと……有名な曲だと、ヘビー○ーションとか、上からマ○コとかがミリオンヒットしてるね〜」
メイコが、チート級の検索速度で代表曲を読み上げた。
「……ストップ!! 流さなくていい! 絶対に流すな!!」
マリアとモニカが、血相を変えて全力で音源の再生を阻止した。
((……あのド変態の大物議員Aが推しと言っている時点で、まともな清純派アイドルグループじゃないと察するべきであった……ッ!!))
常識人枠の二人は、そのあまりにも最低で直球すぎる曲名に、深い深いため息をついた。
「とりあえず、曲はいいから! 食べ終わったら、そのサヨリって子について詳しく確認してみましょう」
モニカが額を押さえながら、強引に話を食事へと戻す。
「そうね、そうしましょ。……って、ちょっとリル! あなたマヨネーズかけすぎよ! お好み焼きが見えなくなってるじゃない!」
マリアが、ボトルの腹を思い切り握りしめているリルを注意する。
「えへへー! だって、これが美味しいんだもん! 見て見て、まるでゴブリンとトロルの特濃ドバァーッ!みたいでしょ♡」
「マジばいや〜! それって総理の薄い本のやつでしょ〜!」
「…………」
リルがマヨネーズをぶち撒けながら放った最低の無邪気なシモネタに、メイコが嬉しそうに乗っかり、マリアとモニカは完全にぐったりとした。
――食後。
「はい、お茶とコーヒー淹れたわよ」
モニカが人数分のマグカップをテーブルに並べる中、マリアはすでに自身のコンソールに向かい、猛烈な勢いでターゲットの経歴を探っていた。
「……サヨリのバックボーン、大体洗えたわ」
マリアがメインモニターに、アイドルの公式プロフィールと、裏からハッキングして引き抜いた個人情報を並べて表示する。
「結論から言うと、本人には特に黒いところ(犯罪歴や反社との繋がり)は全くないわね。過去のトラブルといえば、中学生の頃に少し不登校だった時期があるくらい。交友関係の通信履歴も洗ったけど、特に不審な点は見当たらないわ」
「……家族構成は?」
スレイがブラックコーヒーを啜りながら尋ねる。
「兄弟などはなし、一人っ子ね。ご両親は、西武新宿線の田無駅から少し歩いたところで、小さな小料理屋をやっているみたい」
マリアが、年季の入った小料理屋の外観写真をモニターに映し出した。ごく普通の、善良な一般家庭で育った少女のようだ。
「うううう……。どうして、どうしてこう大きい人ばっかりなの……ッ!」
スレイたちが真面目にブリーフィングを進めている横で。
リルは、サヨリのグラビア画像やSNSの自撮り写真をスクロールしながら、悔しそうに唸り声を上げていた。
そして、自分の平坦な胸と、サヨリの豊満な胸、さらにはアジトにいる女性陣の胸をジト目で交互に見比べる。
「……別に、女の魅力は大きさじゃないでしょ〜。リルたそはリルたその可愛さがあるっしょ」
豊満な双丘を揺らしながら、メイコが余裕の笑顔で慰める。
「そうよ、マリアとメイコが規格外に立派すぎるのよ〜。……ほら、私なんてリルとそんなに変わらないじゃない?」
スレンダーな体型のモニカが、気を遣ってリルの肩を叩く。
「……モニカでも、十分大きいもん! 少なくとも私よりはあるもん!! びええええええんッ!!!」
モニカの優しいフォローも虚しく、リルは絶望の涙を流してソファに突っ伏した。
「…………」
泣き喚く正妻(自称)の姿を横目に、スレイはモニターに映るサヨリのプロフィール画像を冷静に分析していた。
(……確かに。サヨリのプロフィールとしては、相当なグラマラス体形ということになるな)
男性ファンを熱狂させる、規格外に豊満な肉体。
過去に黒い交友関係がなく、実家も普通の小料理屋であるならば、自分から進んで詐欺まがいのオンラインビジネスの広告塔になる理由がない。
(……となれば。何者かに弱みを握られているか……あるいは、このグラマラスな肉体を利用した性的な嫌がらせ(脅迫やリベンジポルノなど)によって、見えない首輪を繋がれている線が濃厚だな)
最強の暗殺者は、大物議員Aの推しを絡め取っている闇の正体へ向けて、静かに思考のピントを合わせていくのであった。
――新宿アジト。リビング。
胸の格差社会に絶望して泣き伏すリルをそのままに、モニカが、冷徹な仕事の顔に切り替わってメインモニターを指差した。
「……さて。大物議員Aが言っていた、SNSの様子がおかしいという点について、実際に見てみましょうか」
「了解よ。サヨリの公式アカウントの直近のタイムラインを表示するわ」
マリアがキーボードを叩き、巨大な画面に多様性坂69・サヨリのSNSアカウントを映し出した。
画面には、キラキラとした自撮り写真と共に、
『今日のネイル♡』や『いつも応援してくれてるファンのみんなに感謝!』といった、ごく普通のアイドルらしい無難な書き込みが並んでいる。
「……その、怪しいオンラインビジネススクールとやらの宣伝(ポスト)はないか?」
漆黒のサングラスの奥で目を細め、スレイが低い声で尋ねる。
「ええっと……あったわ、これね。数日おきに定期的に投稿されているわ」
マリアが、いくつかの特定の書き込みをピックアップして画面の中央に拡大表示した。
それは、いかにも情報商材めいた胡散臭いリンクと共に投稿された、サヨリ本人の満面の笑みの写真と、短い宣伝文句だった。
『みんな、私と一緒に「カモ」ン! 』
『このスクールは、絶対にみんなの人生の「養分」になるからね!』
「…………」
それを見た瞬間、モニカが紫色の瞳を鋭く光らせた。
「……なるほど。わざわざ『カモン』のカモを強調して、さらに『養分』ね」
「マジばいやー。これ、普通に応援してるファンに対しては、絶対に使っちゃいけないワードっしょ」
メイコがドン引きする。
『カモ(詐欺に騙されやすい標的)』、そして『養分(悪徳業者の利益のために搾取されるだけの存在)』。
どちらも、ネットの裏社会やギャンブル界隈で使われる、極めて悪意のある隠語だ。
「……明らかに、意図的に不自然な言葉を選んで、何かメッセージを発しているわね」
モニカが確信を持って頷く。
「マリア、その次の宣伝の書き込みも見てみましょう」
マリアが即座に、最新の宣伝ポストを開いた。
そこには、一見すると明るく前向きな、ファンへの呼びかけの文章が綴られていた。
『【サ】イコウの仲間と一緒に、』
『【ギ】スギスしない素敵な関係を作ろう!』
『【ダ】レでも絶対に成功できるし、』
『【ニ】ッコリ笑顔になれる場所だよ!』
『【ゲ】キテキな人生の変化を、私と一緒に』
『【テ】に入れようね!待ってるよ!』
「…………ああっ!!」
その不自然な改行を見た瞬間。今まで泣き伏していたリルが、弾かれたように顔を上げてモニターを指差した。
「これ! 詐欺だ逃げてって書いてあるよ!!」
「……ほんとだ〜。見事な縦読みっしょ!」
メイコが、文章の行の『一番最初の文字』だけを縦に繋ぎ合わせ、チート級の頭脳で即座にその暗号を解読した。
【サ】【ギ】【ダ】【ニ】【ゲ】【テ】――『詐欺だ逃げて』。
「……大物議員Aが言っていた『いつもと様子が違う』というのは、嘘(ただの妄言)ではなかったようだな」
スレイが、深く感嘆の息を吐いた。
推しの些細な違和感を絶対に見逃さない、古参オタクの異常な執念と直感。それが、この見事なSOSメッセージを暗闇の中からすくい上げたのだ。
「ええ。サヨリは、自分のアカウントを使って、騙されようとしているファンたちに向けて、必死にメッセージ(警告)を発しているのよ」
モニカが、画面に映るアイドルの作り笑いの奥にある恐怖をプロファイリングする。
「……しかし、これだけあからさまな警告を出しているということは、彼女自身も相当追い詰められているはず。誰かが彼女を、見えない首輪で繋いで、無理やり宣伝塔として操っているのね」
アカウントを乗っ取るのではなく、あえて本人の顔と言葉で喋らせることで、ファンの信用を金に換える極悪非道な手口。
(……ヤクザや詐欺グループのニオイがしてきたな)
スレイは、新しく買ってきた百円ライターでタバコに火をつける。
一人の少女を縛り付け、その夢とファンへの想いを食い物にする、見えない恐怖の鎖。
(……ならば、俺たちが。その薄汚い首輪を、根元から断ち切ってやる)
最強の暗殺者は、モニターの中で必死にSOSを発し続けるアイドルの笑顔を見つめた。
そして漆黒のサングラスの奥で静かに、そして確かな殺意の炎を燃え上がらせるのであった。
――新宿アジト。
「……とりあえず、その怪しいオンラインビジネススクールとやらに、実際に参加(潜入)してみてはどうかしら?」
モニカが、サヨリのSNSを分析しながら提案した。
「おそらく、ZOOMか何かを使ったリモート講義でしょう。予算(受講料)は、大物議員Aのポケットマネーがたっぷりあるんだし」
「賛成よ。……しかし、これ、ただのオンライン英会話教室という名目になっているわね」
マリアが、スクールの実態が書かれた裏サイトの情報を引き出す。
ファンたちは『サヨリと繋がれる』という理由だけで高額な費用を払い、「サヨリちゃんの英語可愛い!」「僕の人生の養分にします!」などと喜んで書き込んでいる。
「……なるほど。ファンビジネスと教育を盾にして、ギリギリ詐欺ではない、ただの高額な英会話教室ですという言い逃れができるシステムにしているわけか」
スレイが呆れたようにタバコの煙を吐き出した。巧妙に法網を潜り抜ける、反社特有のグレーゾーンビジネスだ。
「……しかし、誰がこのスクールに参加(潜入)するんだ?」
スレイが尋ねると、モニカとマリアの視線が、自然とリビングにいる『少女コンビ』へと向けられた。
「もちろん、リルとメイコにお願いするわ。……私やマリアのような大人の女が、多様性坂69の熱狂的なファンを装うのは、少し考えにくい(無理がある)もの」
モニカが言う。
「アタシたちが行くっしょ! 女子高生と女子大生のコンビなら、アイドルに憧れて入会したって設定で、バッチリ不自然じゃないよ!」
メイコがウインクを決め、リルも「潜入だー!」と両手を挙げて喜ぶ。
「……待て。俺は行かなくていいのか?」
漆黒のコートを着た大男が、真面目な顔で尋ねるが。
「「「スレイは顔面凶器(ヤクザ)だから、ZOOMに映った瞬間に通報されるから即却下!!」」」
女性陣全員からノータイムで理不尽な事実を突きつけられ、最強の暗殺者は無言で引き下がるしかなかった。
――翌日。アジトのPCルーム。
『――それでは皆さん、今日はよろしくお願いします。講師のタカハシです』
大物議員Aのブラックカードで決済を済ませ、指定されたZOOMのミーティングルームに入室すると、画面の向こうに『いかにも人の良さそうな、若い素人の男』が映し出された。
「は〜い、先生っ! Fuck You(ファック・ユー)!!」
開口一番。リルが、天使のような満面の笑みで、カメラに向かって元気よく中指を立てて最悪の挨拶をぶちかました。
『……はい? ふ、ふぁっく……?』
講師の男が、あまりのギャップに言葉を失い、完全にフリーズする。
「リルたそ……挨拶からエンジン全開っしょ……」
隣に座るメイコが、引き攣った笑顔で小声でツッコミを入れた。
気を取り直した講師によって、授業はたんたんと進んでいく。
画面には、サヨリのファンと思われる他の生徒たち(オタクの男たち)の顔も映っているが、彼らはただ推しが所属しているスクールというだけで満足しており、英語の授業など全く聞いていない様子だった。
『――えー、ここまでの文法で、何か質問はございますか?』
講師がマニュアル通りに尋ねた、その時。
「はーい! 先生、すいませーん」
ギャル大生のメイコが、極彩色のネイルを施した手をひらひらと挙げた。
彼女の見た目は完全に派手なギャルだが、その頭脳は日本最高峰の花弁大学の主席という、チート級の知能を誇っている。
「先生、さっきから気になってたんだけど。テキストのあそことあそこの構文、根本的に間違ってるっしょ。それだと、関係代名詞の修飾がおかしくなっちゃうよ」
『……えっ? あ、あっ、そうですかね……ちょっと、確認してみます……』
講師が冷や汗を流してテキストをめくる。
「あとさー、その慣用句! 現代のスラングじゃそんな言い回ししないし、こっちの表現の方が正しいと思うんだけどー?」
『あわわ……っ、そ、そうですかね……ええと、運営に確認してみます……!』
日本一の天才ギャルによる、容赦のない「英語のガチ論破」。
講師の男は完全にタジタジになり、他の生徒たち(オタク)は全く質問もせずにただポカンとしているだけだった。
『そ、それでは……今日の授業は、ここまでとします……お疲れ様でした……』
講師が、逃げるようにZOOMの終了ボタンを押そうとした、その直前。
「は〜い、先生っ! Son of a Bitch(サノバビッチ)!!」
リルが再び、とびきり愛らしい笑顔で最悪の別れの挨拶(罵倒)を叩きつけ、通信はブツンと途絶えたのである。
――オンライン講座、終了。
「……リル。なんであんな汚い言葉ばっかり言ったの?」
呆れ顔のモニカが尋ねると、リルは「えへへ」と照れ笑いをした。
「だって、英語の授業よくわからなかったから、知ってる言葉(海外の映画でよく見てるやつ)をとりあえず言ってみただけだよ!」
「それにしても、とにかくレベルの低い英会話だったね〜。アタシが指摘した構文のミス、中学生レベルっしょ」
メイコがチート級の頭脳でため息をつく。
「おそらく、あの講師はただの学生か何かのバイトね」
「ええ。英語が少し喋れる程度の一般人を、高時給で雇ってマニュアル通りに喋らせているだけ……。典型的な詐欺のダミー講師よ」
マリアとモニカが、瞬時にスクールの薄っぺらい実態をプロファイリングする。
「……しかし、こんな中学生レベルの講義で、120分・週1回で〇〇万円という価格設定は、明らかに狂っている(おかしい)な」
スレイが、大物議員Aが支払った異常な金額を思い出し、眉をひそめた。
完全に、サヨリのファンを食い物にするだけの集金システム。
だが、この無駄とも思える最悪のZOOM授業は、裏の掃除屋たちにとって決して無駄ではなかった。
「……まぁ、授業のレベルはどうでもいいのよ。本命はこっちだから」
コンソールに向かっていたマリアが、悪魔のような笑みを浮かべてキーボードを叩く。
「ZOOMの通信パケットを逆探知して……あれ? こうもあっさりと見つかるもの!? 配信先(運営元)のIPアドレスと物理サーバーの位置情報、完全に掴んだわよ!」
アイドルを脅迫し、ファンから金を巻き上げる見えない首輪。
その首輪の根元(アジト)へと繋がる完璧な座標が、ついに天才ハッカーの手によって暴き出されたのである。
マリアが逆探知したIPアドレスを辿り、スレイたち裏の掃除屋は、とある雑居ビルの一室へと辿り着いた。
「……なるほど。ただのレンタルスタジオだったか」
漆黒のコートを着たスレイが、入り口の看板を見上げて低く呟く。
「だから、マリアのハッキングも一瞬で終わったのね。セキュリティなんてあってないようなものだわ」
モニカが言う。
「ええ。とりあえず施設のネットワークにハッキングをかけてみたけど、特に目ぼしい情報は残っていなかったわ。予約の管理システムは、どこか別の外部アプリを使っているんでしょうね」
マリアがタブレットを操作しながら首を振る。
そこは、あのふざけた詐欺のダミー講師(タカハシ)が配信を行っていた拠点。
「昨晩、このスタジオを借りていた団体(予約者)を調べられれば、確実にその先(反社のアジト)に繋がりそうね」
モニカが、受付に立つ女性職員を見つめる。
しかし、スレイのような顔面凶器が真正面から「昨日の利用者を教えろ」と凄んでも、警察の令状がない以上、職員も守秘義務を盾にして絶対に口を割らないか、警察を呼ばれるのがオチだろう。
「……さて、どうするか」
スレイが腕を組んだ、その時だった。
「は〜いっ! お姉さん!」
リルが、とびきり愛らしい天使のような笑顔を浮かべて、受付の女性職員へと駆け寄った。
「昨日ここを使っていた、タカハシ講師に渡すもの(忘れ物)があって来たんです!」
「そうなんですー! すっごく大事な忘れ物なんですけど、アタシたち、先生の住所がわからなくて……! お姉さん、どうにか助けてくれませんか!?」
ギャル大生のメイコが、申し訳なさそうに眉を下げ、完璧な困っている生徒の演技で追撃をかける。
「えっ……? あら、そうなの?」
女性職員は、可憐な少女と人懐っこいギャルの必死な(演技の)お願いに、すっかり毒気を抜かれてしまった。
「うーん……本当は、利用者の情報を教えちゃダメなのよ? でも、大事な忘れ物なら困っているだろうし……」
職員は周囲をキョロキョロと見回した後、声を潜めて昨晩の予約者の団体名と住所を、あっさりと二人の耳元で教えてくれた。
「……チョロいっしょ」
「ふふっ、ありがとうお姉さん!」
完璧な情報収集(ソーシャル・エンジニアリング)を成功させた二人は、満面の笑みでスレイたちの元へと戻ってきた。
「……聞き出したわ。昨晩ここを予約していた法人の名前は、株式会社インビシブル・カラーよ」
マリアがその社名を聞いて、鼻で笑う。
「見えない色?」
モニカが首を傾げる。
「たぶん、カラー(色)は、カラー(首輪)のほうじゃないかな」
メイコがチート頭脳で即座に訳す。
「インビシブル・カラー……直訳すると見えない首輪ね。自分たちが情報弱者やアイドルを縛り付けている自覚が、たっぷりあるってわけね。本当に胸糞悪い連中だわ」
マリアが吐き捨てる。
「うわー! 悪趣味な詐欺団体だねー!」
リルが顔をしかめる。
「これで、敵の本星(反社)は割れた。……しかし、次に抑えないといけないのは、サヨリ本人は、一体どんな弱みを握られているのか!という点ね」
モニカが、プロファイラーの思考を深める。
「ええ。そしてもう一つの疑問。……彼女が所属しているアイドル事務所は、なぜ自社のタレントがこんな反社の広告塔にされているのに、ストップをかけないのか。ここも異常よ」
マリアの指摘に、スレイも無言で頷いた。
「とりあえず、株式会社インビシブルカラーの件は、依頼主の大物議員Aにまず連絡しておこう」
スレイは懐の特殊な通信機を取り出し、首相感貞の極秘回線へとダイヤルした。
『――ガチャ』
「大物議員Aか。例のオンラインスクールの件だが――」
『……ひどいわ、スレイ』
通信の向こうから聞こえてきたのは、大物議員Aの野太い声ではなく。
ひどく艶めかしく、そして悲痛に震える女性の声だった。
『私というものがありながら……よりによって、あんな若いアイドルなんかに浮気しているのね……ッ! ぐすっ……』
「…………は?」
スレイの顔面が硬直する。
通信に出たのは、大物議員Aではなく、この国の最高権力者である環萌美 内閣総理大臣であった。
彼女は、スレイたちが大物議員Aの依頼で、勝手にアイドルの身辺調査をしていることをすでに完全に把握した上で。
ハンカチを噛み締めるようにわざとらしく泣くフリをして、最強の暗殺者をからかっているのだ。
「……総理。誤解だ。これは大物議員Aからの依頼で……」
『うっ、うぅ……私の身体じゃ、もうスレイは満足できないって言うの……!?』
「…………」
(……この女、本当にタチが悪い)
スレイは激しい頭痛に耐えながら、総理の極上の茶番劇(セクハラ)を冷徹にスルーし、本題(要求)を突きつけた。
「……総理。インビシブルカラーという詐欺会社と、サヨリの所属事務所を調べる。山田の部隊を動かすための、令状をお願いする」
『……ふふっ、冗談よ。……いいわ、裏からすぐに手配してあげる』
萌美総理は一瞬で泣き真似を止め、氷のような冷徹な国家元首の声へと切り替わって、通信を切った。
「さて。まずは事務所の方が近いな」
令状の確約を取り付けたスレイは、アジトの女性陣を振り返る。
見えない鎖の全貌を暴くため、裏の掃除屋たちは、サヨリが所属するアイドル事務所へと足を踏み入れることにした。