境界線PCU~多様性ワールドへようこそ~   作:トナカイ粉砕

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見えない首輪編(後編)

――東京都内、某所。雑居ビルの一室。

 

ドアプレートには、悪趣味なフォントで『株式会社インビシブル・カラー』と記されている。

 

『……配置についたわ』

マリア、モニカ、メイコは雑居ビルの外の車で待機している。

一方、薄暗い廊下には、スレイ、リル、そして警視庁の山田相姦が手配した精鋭部隊が、音もなく乗り込む準備を整え、完全に息を潜めていた。

 

『――中には何人いるか、わかる? マリア』

首相感貞から通信を繋いでいる環萌美総理が、冷徹な声で尋ねる。

『ええ。壁越しのサーモグラフィの熱源反応……ターゲットは7人ね』

 

『よし! 奴らのアジトには、サヨリたんの両親を不当に縛り付けている借用書なるものが必ずあるはずだ! 一枚残らず回収してくれ!』

大物議員Aが、推しを救うために鼻息を荒くして叫んだ。

 

その時、スレイのインカムに別回線から通信が入る。

『――こちら山田相姦。たった今、裏から手を回して公文書偽造および恐喝の罪状(逮捕状)が確定した。……突撃開始!』

 

警察トップからのGOサイン。

「行くぞ」というスレイの低い声に頷き、リルがトテトテと扉の前へと歩み出た。

 

『――コンコンッ』

 

「はーい!」

中から、足音と共に鍵の開く音がする。

ガチャリと扉が半開きになり、いかにも柄の悪い、詐欺グループの男が顔を覗かせた。

 

「すいませーんっ! オンラインの英語の授業で、ここがわからないんですけどぉ?」

リルが、テキストを片手に、無邪気な中学生のように首を傾げて尋ねた。

 

【挿絵表示】

 

「……あ? はぁ!? てめぇ、どこから入ってき……」

男が眉をひそめて怒鳴ろうとした、次の瞬間。

 

リルの小さな背中の後ろから。

身長2メートルに迫る巨体と、ヤクザ顔負けの傷だらけの顔面凶器が、ヌルリと姿を現した。

 

「…… I'LL KILL YOU(アイル・キル・ユー)」

「……へ?」

 

ネイティブスピーカーも裸足で逃げ出すような、地獄の底から響くドス黒い発音。

最強の暗殺者による完璧なアンサーと共に、スレイの丸太のような巨大な拳が、男の顔面へと容赦なく叩き込まれた。

 

『――メキョォォォンッ!!』

 

「あべばァッ!?」

扉ごと吹き飛ばされた男は、鼻血を噴き出しながらオフィスの奥へと転がっていった。

「なっ……!? なんだお前ら!! 」

突然の襲撃と爆音に驚き、オフィスの奥から残りの6人の男たちが、慌ててバールや警棒を手に飛び出してきた。

 

「えいっ♡」

『――バチバチバチバチッ!!』

「ぎゃあああッ!?」

先頭の男の首筋に、リルが嬉々として高出力のスタンガンを押し当て、白目を剥かせて一撃で沈める。

 

「て、てめぇら……ッ!」

「……チッ」

スレイは、襲いかかってくる残りのクズ共の動きを鼻で笑うと。

瞬きする間もない神速で懐に潜り込み、顔面への容赦ない鉄拳と、肋骨を砕く凶悪な蹴りを次々と炸裂させた。

 

『――ドゴッ! バキィッ!!』

「がはァッ!?」

「ごぼァッ……!!」

 

スレイとリルの圧倒的な暴力の前に、詐欺グループの男たちは完全に戦意を喪失し、床に這いつくばって胃液を吐き散らした。

 

「あと1人だな」

スレイが、残った1人……詐欺グループの女に歩み寄っていく。

 

「ふんっ! 女に手をあげるのかい? 情けない男だね!」

女が強がって喚き散らす。

「噂の小料理屋さんの偽バイトでしょ、あなた?」

『――バチバチッ!』

容赦なくリルが、スタンガンMAXを女の首元にあてる。

「ギャアアアア!!」

泡を吹いて倒れた女に、そのまま重い足蹴りをくらわすスレイ。

 

「……お前みたいなのは女とは言わない。豚だ」

スレイが氷のように冷たく言い放つ。

「えー! 豚さんは清潔だし、美味しいんだよ! 豚さんに失礼だよ!」

リルが真剣に抗議する。

「……確かにそうだな。訂正する。……ただのゴミだ」

 

「そこまでだ、動くな!!」

待機していた山田の部下たちがオフィスへと雪崩れ込み、呻き声を上げるクズ共を、手慣れた動作で次々と結束バンドで縛り上げていく。

 

「……制圧完了」

スレイがインカム越しに告げると、マリアとモニカとメイコが車内から降りてオフィスへと入ってくる。

 

「よし! この端末がメインね。USBを接続して、全てのデータを吸い上げるわ!」

マリアが即座にPCに飛びつく。

「さて、メイコと私は紙媒体のほうを探るわよ」

モニカが指示を出す。

 

数分後。

「……プロテクト突破。よし、中身は吸い出せそうね」

マリアがハッキングを完了させる。

 

一方、モニカは巨大な電子金庫のロックと格闘していた。

『ガチャリ』と音を立てて金庫が開く。

「よし、開錠完了ね。中には……あったわ、借用書と印鑑登録証の原本ね。これで、サヨリの両親の首輪は完全に外せるわ」

 

「こんなのもあったよ〜? 顧客リストかな? 何かわからないけど持っていっておこうっしょ!」

メイコが、ガサゴソと事務所の書類棚をあさっていく。

「メイコちゃん! なんかノートみたいなのもあるよ!」

リルが分厚い束を見つける。

「とりあえず、全部持っていこう!」

各自が証拠保全をしていく。

 

かくして、一人のアイドルと家族の人生を食い物にしていた悪辣な詐欺グループの本星は。

裏の掃除屋たちの圧倒的な武力と情報力によって、瞬く間に完全制圧されたのである。

 

「歩け! 抵抗するな!」

 

制圧完了から数分後。

警視庁トップ・山田相姦が手配した精鋭部隊によって、ボコボコにされた7人の詐欺グループの男女は、次々と手錠を掛けられ、警察車両へと連行されていった。

 

『……おい! なんであいつらを死刑にしないんだ!! 撃て! 銃殺だ! 撃ち殺せーッ!!』

インカムの向こうから、推しのアイドルを苦しめたクズ共への怒りでおかしくなった大物議員Aが、よだれを垂らさんばかりの勢いで絶叫している。

 

「……はいはい、パパ落ち着いて。日本は一応法治国家だから、ちゃんと裁判で裁かれるっしょ」

ギャル大生のメイコが、極彩色のネイルを弄りながら、実の父親である大物議員Aを呆れ顔でいなした。

 

『ふふっ。モニカにメイコちゃん。回収したその書類(借用書や偽造証拠のデータ)は至急、首相感貞に送るように』

環萌美総理が、確かな勝機を確信した声で指示を出す。

 

「りょーかいっ! あと総理、金庫からこんなのも見つけたよ! これは何だろ?」

メイコが、回収した分厚い黒革のノートをカメラに向かってヒラヒラと揺らす。

 

「……ビンゴね。たぶん、奴らが隠していたいけない帳簿(裏帳簿)よ」

マリアが、悪魔のような笑みを浮かべて頷いた。

「どのタイミングでサヨリの実家に罠を仕掛けたか、そしてファンからいくら貢がせていたか、金の流れが全部記録されているはずだわ」

 

――数時間後。首相感貞・極秘地下作戦室(通信回線)。

 

『うぅぅ……よかった……。よくやってくれた、君たち……ッ!』

大物議員Aが、ハンカチで顔を覆いながら号泣していた。

『これで、サヨリたんの実家も救われる……。あの子の、心からの笑顔が戻るんだ……ッ! うぇぇぇ……!』

 

『ええ。まずはご苦労様ね、スレイたち』

萌美総理が、優雅に紅茶のカップを傾ける。

『その借用書の偽造証拠と裏帳簿があれば、まずは恐喝・公文書偽造の線で完全に実刑が確定するわ。そこから芋づる式に、オンラインスクールを隠れ蓑にした詐欺の線でいけそうね。株式会社インビシブルカラーは、これで完全に壊滅よ』

 

「……了解した」

スレイが短く答え、通信を切る。

 

アジトの女性陣たちも、深く安堵の息を吐き出した。

これで、田無の小料理屋への不当なヤミ金の借金は無効化され、サヨリを縛り付けていた見えない首輪は、跡形もなく砕け散ったのだ。

 

「よしっ! 悪い奴らも捕まったし、帰ってご飯を食べよう!」

リルが両手を挙げて元気に提案する。

「今日は、お好み焼き〜!」

「……リルたそ、それ数日前にしたばっかじゃーん!」

メイコがケラケラと笑いながらツッコミを入れ、アジトにいつもの平和な日常の空気が戻ってきた。

 

「夕飯の買い物があるから、私たちはスーパーに寄って帰るわ。スレイはどうするの?」

モニカが尋ねると、スレイは漆黒のコートの襟を立てた。

「……俺は、仕入屋(裏社会の銃火器ディーラー)に寄ってライフルの新しいパーツを買う。先に戻っててくれ」

「わかったわ。じゃあ、後でね」

 

女性陣4人は連れ立って夕暮れの街へと買い物に向かい、スレイは一人、裏路地へと消えていった。

 

「……さて。今日の夕飯、何にしようかしら?」

スーパーの食品売り場で、マリアとモニカが献立に悩んでいると。

 

「ねぇねぇ! サヨリちゃんの実家みたいに、小料理屋さんのご飯がいいんじゃない!?」

リルが、目を輝かせて提案した。

「おっ、名案っしょ! じゃあ、みんなで1品ずつ、小料理屋風のおかずを作ろう〜!」

メイコもノリノリで賛同し、4人はキャベツや新鮮な魚、お酒のつまみになりそうな食材を次々とカゴに放り込んでいった。

 

――一方、その頃。

 

仕入屋での銃器のメンテナンスを終え、新しいパーツも新調したスレイは、一人でアジトへの帰り道を歩いていた。

タバコを咥え、安物のライターで火を点けようとした、その時。

 

ふと、路地裏にひっそりと佇む古い質屋のガラスケースが、スレイの目に留まった。

 

「…………」

 

スレイの足が、ピタリと止まる。

薄汚れたガラスケースの奥。

そこに陳列されていたのは、かつてマリアから貰い、いつの間にか自分がどこかでなくしたジッポライターと、全く同じモデルの銀色のライターだった。

 

その鈍い銀色の輝きを見た瞬間。

スレイの脳裏の奥底に沈んでいた、分厚い記憶の扉がガチャリと音を立てて開いた。

 

(……そういえば)

 

6年前。

とあるターゲットを狙撃するため、たまたま陣取った、田無の中学校の屋上。

そこで、今にも飛び降りようとしていた中学生の少女から、涙ながらに依頼を受けた。

彼女の全財産である3,548円をポケットにねじ込み、そのまま体育館裏にいたクズ教師をボコボコにして再起不能にした、あの日(屋上)の記憶。

 

そして、依頼を終えて立ち去る際、コートのポケットからお気に入りのジッポライターを落としてしまったこと。

 

「…………あっ」

 

スレイの脳内で。

屋上のフェンスにしがみついて泣いていた、あの中学生の少女の顔と。

今日、アイドル事務所の応接室で、「また私を助けてくれるのね」と自分にすがりついて泣き崩れた、あのグラマラスなアイドルの顔が、完全に重なり合った。

 

「……あの時の子が……サヨリだったのか」

 

最強の暗殺者は、咥えていたタバコに火を点けるのも忘れ、夕暮れの路地裏で静かに呟いた。

完全に忘却の彼方にあった、うっすらとした過去の因縁。

 

自分がかつて3,548円で救った少女が、アイドルとして気丈に戦い続けていたという事実を、スレイはここに来てようやく、完全に結びついたのであった。

 

 

――後日。新宿アジト。PCルーム。

 

『……くそっ! 今回の奴らの罪状は、恐喝、公文書偽造、そして詐欺! これでどう頑張っても、懲役15年がいいとこか!』

メインモニターの向こう側で、推しのアイドルを苦しめられた大物議員Aが、日本の法律の限界に悔しそうにデスクを叩いていた。

 

「ええ。サヨリのご両親を精神的に追い詰めたとはいえ、殺人などの重罪は入っていないですからね」

マリアが、冷静に起訴状のデータを眺めながら同意する。

「法律上は、複数の罪を合算する併合罪として扱われる場合でのマックスね。……それ以上は、表の裁判じゃどうやっても無理っしょ」

メイコが、チート級の頭脳で刑法の限界を的確に解説した。

 

「……他人の人生をめちゃくちゃに食い物にしておきながら、たったの15年でシャバに出てこられるなんて。……なんだか、やるせないですね」

のモニカが、静かにため息をついた。

サヨリがこの数年間、どれだけの恐怖と絶望の中で見えない首輪に繋がれていたかを思えば、15年という刑期はあまりにも軽すぎる。

 

その重苦しい空気を切り裂くように、通信回線から、ひどく艶めかしく、そして底知れぬ悪意を孕んだ声が響いた。

 

『……そうなの、仕方ないのよ。法律の壁は、私でもすぐにはどうにもならないわ』

首相感貞の執務室から通信を繋いでいた、環萌美内閣総理大臣である。

彼女は、赤いルージュの唇を三日月のように歪めて、こう続けた。

 

『……だから。刑期が短い彼らには、私から特別な借用書をプレゼントしておいたわ♡』

 

「……はい?」

その突拍子もない言葉に、リルが目を丸くした。

「ええっ! 悪い人に、プレゼントなんてしていいんですか総理!?」

無邪気なリルの抗議に対し、萌美総理はクスクスと意地悪な笑い声を漏らす。

 

『ええ、とっても素敵なプレゼントよ。……先日、インビシブル・カラーの金庫から回収した、サヨリちゃんのご両親を縛っていた違法な借用書。……あれ、全部で21枚あったのよ』

「……ええ、そうですね」

マリアが頷く。

 

『だから、捕まった7人の犯人たちに、仲良く3枚ずつプレゼント(名義変更)しておいてあげたわ♡』

 

「「「…………えっ?」」」

 

アジトの女性陣の動きが、完全にピタリと止まった。

 

「……えぇ……。それって……まさか……」

「……もしや……」

マリアとモニカの顔から、サーッと血の気が引いていく。

 

あの借用書は、ただの借金ではない。裏社会のヤミ金や、極悪非道な反社組織から引っ張ってきた、絶対に逃げられない血の借金である。

国家の最高権力者である萌美総理が、その気になれば、公文書偽造の捜査のドサクサに紛れて、裏の契約書の名義を『サヨリの両親』から『詐欺グループの7人』へと完全に(法的に)書き換えることなど、造作もないことだ。

 

つまり。

15年の刑期を終えて彼らが刑務所から出てきた瞬間。

その足元には、雪だるま式に膨れ上がった何億円というヤミ金の借金(地獄)が、彼ら自身の首に巻き付く『見えない首輪』として待ち構えているということだ。

 

『ふふっ……。10年やそこらで出てくるんだもの。これくらいのオマケ(地獄)はしてあげないとね!』

萌美総理は、さも当然の心遣いのように、とびきり美しい悪魔の笑顔で言い放った。

 

『おおお……!! さすがは総理!! これでこそ我が国のトップだ!! サヨリたんの仇!!』

モニターの向こうで、大物議員Aが感動のあまりスタンディングオベーションをしている。

 

「……マジばいやー。この国の総理大臣、マジで怒らせちゃいけない人間ナンバーワンっしょ……」

メイコが引き攣った笑顔で呟き、マリアとモニカも完全に同意して無言で頷いた。

他人を利用して甘い汁を吸っていたクズ共は、自分たちが作り出した『首輪』によって、一生涯、裏社会の闇に縛り付けられながら飼い殺される運命が確定したのである。

 

「…………」

その極悪非道な(しかし最高に痛快な)国家元首の裁きを聞きながら、スレイは一人、部屋の隅で静かにタバコの煙を吐き出していた。

 

――数日後。西武新宿線・田無駅近く。

 

「ここね。サヨリの実家の小料理屋」

モニカが、年季の入った渋い暖簾を見上げて頷く。

見えない首輪の事件が完全に解決した折角の機会だからと、裏の掃除屋たち5人は、夕食をとるためにその店へと足を運んでいた。

 

カラカラと引き戸を開けると、活気のある声が出迎えてくれた。

 

「いらっしゃ〜いっ!」

カウンターの奥で板前着を着た初老の男性と、割烹着姿のふくよかな女性――サヨリの両親が、満面の笑顔で5人を迎え入れた。

その顔には、数日前までマリアがデータで確認していたような「ヤミ金の借金に追い詰められた暗い影」は微塵もなく、憑き物が落ちたように明るく晴れやかだった。

 

(……よかった)

アジトの女性陣は、顔を見合わせてホッと息を吐く。

 

「いらっしゃ〜い! 何名様ですか……って、あれれ!?」

お茶を持ってきたエプロン姿の若い店員が、スレイたちの顔を見て驚きの声を上げた。

「えっ、サヨリちゃん!? なんでこんなところに!」

リルが目を丸くする。そこにいたのは、テレビで見るような華やかな衣装ではなく、すっぴんに近い顔にエプロンを締めた多様性坂69の絶対的エース・サヨリであった。

 

「……ふふっ。実は昔から、アイドル活動に影響がない程度に、お店を手伝っていたの」

サヨリが、少し照れくさそうに笑う。

 

これまでは両親の莫大な借金を少しでも返すために、身を粉にして働いていたのだろう。

しかし、今は違う。環萌美総理の裏権力により、ヤミ金の借金は国庫からの特別枠で全額救済された。

もちろん、その補填分はインビシブル・カラーのクズ共が、この先何十年も獄中のお勤め(強制労働)で国に返済し続ける完璧なシステムが完成している。

 

サヨリがスレイたちをテーブル席へと案内しようとした、その時。

彼女の視線が、最後尾を歩いていた漆黒のコートの大男を捉え、ハッと息を呑んだ。

 

「…………」

サヨリの瞳が、みるみるうちに潤んでいく。

そして、周囲の客に聞こえないほどの小さな、しかし確信に満ちた声で囁いた。

 

「……また、助けてくれたんでしょ。……わかってる」

 

6年前の屋上と、今回のオンライン詐欺事件。

救ってくれた……いや、見えない首輪を外してくれたのは、目の前に立つこのぶっきらぼうな男だと、少女は完全に理解していた。

 

しかし、スレイはサングラスの奥の瞳を微塵も揺らさず、冷徹な声で突っぱねた。

「……いや。何度も言うが、誰かと勘違いしている」

 

「……ううん。勘違いなんかじゃない」

サヨリは首を横に振り、胸に大事に忍ばせていた『お守り』――年季の入った銀色のジッポライターを取り出し、スレイの目の前に差し出した。

 

「これ……。あの時、あなたが落としたもの。ずっと、渡せずにいたの」

 

6年前のあの日、3,548円の依頼料と引き換えに、彼が屋上に落としていった証拠。

サヨリは、ついに恩人にこれを返す時が来たのだと、涙ぐみながら微笑んだ。

 

だが。

「……いや、俺のではない」

スレイはそう言い放つと、おもむろに自分のコートのポケットから。

サヨリが持っているものと全く同じモデルの銀色のジッポライターを、さっと取り出して見せた。

 

先日、路地裏の質屋のガラスケースで見つけ、買い戻しておいた代物だ。

 

「えっ……?」

サヨリが、手元のライターとスレイのライターを交互に見比べて、困惑に目を見開く。

 

「そういう型のライターは、世の中にいくらでも出回っているし、無くした記憶もない。……すまんが、それは俺のではない」

スレイは、手の中でカチャリと冷たい音を立てて蓋を閉めると、これ以上は語らないというように、そっぽを向いてテーブル席へと歩いていってしまった。

 

「…………」

その一連のやり取りを横で見ていた最年長のマリアは、スレイの嘘に完全に気づきながらも、ただ優しく微笑んで黙っていることしかできなかった。

 

――数時間後。

 

「あー、美味しかった〜っ!」

リルがぽっこり膨らんだお腹をさすりながら、大満足で声を上げる。

「やっぱり、こういうとこの料理は穴場なんだよ〜! だし巻き卵、最高だったっしょ!」

メイコもジョッキのお茶を飲み干し、絶賛した。

新鮮な魚の煮付けに、女将さん手作りの惣菜。どれも、気取らないが温かくて、涙が出るほど美味しい料理ばかりだった。

 

「……お会計を頼む」

スレイが立ち上がり、レジに立つサヨリに声をかける。

「……はい、ありがとうございます」

サヨリは、レジのパネルを操作し、スレイの顔を真っ直ぐに見つめて、とびきり美しい、心からのアイドルの笑顔で金額を告げた。

 

「お会計は、3,548円になります」

 

「…………ッ」

その数字を聞いた瞬間、最強の暗殺者の屈強な肩が、一瞬ピクッと震えた。

6年前のあの日、絶望の淵にいた少女から受け取った、あの全財産(依頼料)と、一円の狂いもない全く同じ金額。

 

「えっ? ちょっと待って」

モニカが、慌てて伝票を覗き込む。

「……なんか計算が合わないような!? 安すぎじゃない!? 私たち、お酒も料理もあんなにたくさん頼んだのに!」

いくら良心的な店でも、5人で腹一杯食べてその金額はあり得ない。

 

しかし、サヨリは首を横に振り、天使のような笑顔で「にっこり」と笑った。

「いや、いいんですよ〜。今日は、特別ですから」

 

それは、かつて自分の命と人生を救ってくれた「ぶっきらぼうな男」への、6年越しの不器用な恩返し(お釣り)。

スレイは無言のまま、きっちり3,548円をレジのトレイに置き、深く帽子を被り直して店を後にした。

 

――店の外。夜の田無の路地。

 

すっかり上機嫌で前を歩くリルたちを後ろから見守りながら、マリアが、隣を歩くスレイにポツリとこぼした。

 

「……よかったの、あれで」

「……何がだ」

「ごまかしたって無駄よ。……あの子が持ってたジッポ、昔、私があなたにあげたやつでしょ。……ずっと前に、戦闘で落としたって言ってたじゃない」

 

天才ハッカーの観察眼と、長年連れ添った相棒としての記憶を誤魔化すことはできない。

スレイがわざわざ質屋で同じ型のライターを買い直してまで、あの子に「自分の物じゃない」と嘘をつき通した理由。

スレイは、夜空に向かって紫煙を細く吐き出し、ぽつりと、ハードボイルドに呟いた。

 

「……いいんだ」

「……スレイ」

「あいつは、光の当たる場所で笑っているべき人間だ。……俺のような、裏の人間に関わっちゃいけない」

 

二つのジッポライター。

一つは、少女の胸の中で、これからも彼女を災厄から守る「光のお守り」として輝き続ける。

もう一つは、最強の暗殺者のポケットの中で、二度と彼女の人生に交わらない「影の証明」として、冷たく静かに眠り続けるのだ。

 

秋の夜風が、漆黒のコートを優しく揺らしていた。

 

――後日。新宿アジト。リビング。

 

「あーっ! サヨリちゃんがTV出てるよ〜!」

リルが、ポテトチップスをかじりながら大型モニターを指差した。

画面には、見えない鎖から解放され、心からの輝く笑顔を取り戻した国民的アイドル・サヨリが、音楽番組のステージの中央でスポットライトを浴びている姿が映し出されていた。

 

「……よかったわね。でも、またあの最低な多様性ソングじゃないでしょうね?」

マリアが、嫌な予感に眉をひそめてマグカップを置く。

「ちょっと待って。画面の右下……最前列で、ペンライト両手に持って全力でヲタ芸しているの、大物議員Aじゃないの!?」

モニカが、客席の最前列で常軌を逸した動きで踊り狂っている恰幅の良い中年の姿を発見し、絶句した。

 

「やだー、パパ! マジうけるーっしょ!!」

メイコは、父親の放送事故レベルの醜態をスマートフォンで連写し、ケラケラと笑っている。

 

『ピッ』

TVを消す乾いた電子音が、リビングに響いた。

 

「…………」

モニカが、青筋を立てながら無言でリモコンを下ろした。

マリアが深くため息をつき、スレイはソファーの隅で無言で頭を抱えていた。

 

――一方、その頃。TV局のバックステージ。

 

「おつかれ〜!」

「おつかれさま〜!」

最低の多様性ソングを完璧な笑顔で歌い切った多様性坂69のメンバーたちが、楽屋へと戻ってきていた。

 

「サヨちゃんってさ、いつもライブ前は、その銀色のジッポライター大事そうに持っているよねー?」

着替えをしながら、メンバーの一人が不思議そうに尋ねた。

サヨリは、胸元で両手で大切に包み込んでいたそれを、愛おしそうに見つめる。

 

「そう。これね、私の命の恩人がくれた、大切なお守りなんだ」

「へ〜〜〜! 何それエモい! サヨちゃん、その人のこと大好きなんだ〜!」

冷やかすメンバーたちに向けて。

サヨリは、一切の躊躇いも照れ隠しもなく、満面の、世界で一番可愛い笑顔で力強く頷いた。

 

「うんっ! 大好きだよ!」

 

――同刻。新宿アジト。

 

「……くしゅんっ!」

ソファーに座っていたスレイが、唐突に盛大なくしゃみをした。

「どうしたのスレイ? 風邪?」

リルが首を傾げると、スレイは訝しげに鼻をこすり、「……いや。誰かに噂されているような、悪寒がしただけだ」と呟いた。

 

――新宿アジト。ある日の夜。

 

「今日は焼肉ーっ! 焼肉ーっ!」

リビングで、リルがエプロン姿でバンザイをしてはしゃいでいた。

国家の裏仕事や数々のスポンサー(変態総理など)からの報酬により、スレイたちのチームは経済的には全く困っていない。今日の夕食は、超豪華な自宅焼肉パーティである。

 

【挿絵表示】

 

「はいはい、お肉の準備できたわよ。カルビ、タン塩、ハラミ、ロースね」

「野菜も切ったわ。ピーマン、たまねぎ、にんじん、とうもろこし。焦がさないように焼くのよ」

アイランドキッチンから、マリアとモニカが皿に山盛りになった高級食材を次々とダイニングテーブルへと運んでくる。

スレイも、いつもの漆黒コートを脱いで黒いシャツ一枚のラフな姿になり、ホットプレートの電源を入れて肉を焼く準備を整えていた。

 

『――ピンポーン』

 

その時、アジトのインターホンが軽快な音を鳴らした。

「あっ、メイコちゃんきた〜!」

リルが小走りで玄関に向かい、ガチャリと重厚な扉を開ける。

しかし、そこに立っていたのはメイコではなかった。

 

「……こんばんは。夜分遅くに、すいません」

「…………えっ?」

 

扉の向こうに立っていたのは、帽子を目深に被り、大きなサングラスとマスクで完全に顔を隠した不審な……いや、変装を解いたその顔は、間違いなく多様性坂69の絶対的エース、サヨリ本人であった。

 

(……なぜ、トップアイドルがここに!?)

リビングの奥でその顔を見たスレイ、マリア、モニカの三人は、一瞬で警戒レベルを引き上げ、完全に思考を停止させた。

 

「あの……これ、この間の御礼がきちんと出来ていなかったので」

サヨリは、基本的に静かで、極めて丁寧な口調だった。

彼女はペコリと頭を下げると、有名デパートの高級なお菓子の詰め合わせをリルへと差し出した。

 

「え、あ、うん……?」

リルが戸惑いながら受け取ると、モニカがハッと我に返り、愛想笑いを浮かべて立ち上がった。

「あ、ええと……わざわざご丁寧にありがとう。……ちょうど今から夕飯のところだったの。折角だから焼肉、一緒に食べていきなさい」

 

追い返すわけにもいかず、モニカの提案により、まさかの国民的アイドルを交えたアジトでの焼肉パーティという異常な空間が幕を開けた。

 

「うぃーっす! アタシも来たっしょー! ……って、マジばいやー!? なんでサヨリちゃんがいんの!?」

数分後、遅れて合流したメイコが目を丸くして驚愕したが、すでにサヨリはスレイの正面の席にちょこんと座り、ウーロン茶の入ったグラスを握りしめていた。

 

ジュージューと高級肉が焼ける香ばしい匂いの中。

サヨリは、意を決したように真っ直ぐな瞳でスレイを見つめ、静かな、しかし爆弾のような質問を投げかけた。

「……あの。はっきり聞いていいですか?」

 

「……何かしら?」

肉を裏返していたマリアが、嫌な予感を覚えて眉をひそめる。

 

「スレイさんとお付き合いされているのは、どなたですか?」

 

「「「「…………」」」」

 

『――ぶふぉぉッ!?』

ウーロン茶を飲んでいたリルが、盛大に吹き出した。

スレイは完全に無表情のまま、トングでカルビをひっくり返す手をピタリと止めた。

 

「つ、付き合うとか、そういうの以前に……妻です!! 私が、スレイの正妻ですッ!!」

リルが顔を真っ赤にして立ち上がり、バシッとテーブルを叩いてスレイの隣に陣取った。愛の巣に乗り込んできた泥棒猫に対する、正妻(自称)の最大の威嚇である。

 

「……いやいや、リルたそ。まだ結婚してないじゃーん。戸籍上は真っ白っしょ」

隣でハラミを頬張っていたメイコが、冷静すぎるツッコミを入れた。

 

その言葉を聞いた瞬間。サヨリの顔にパッと希望の光が差した。

「……残念です。でもまだ結婚はしていないんですね!」

「うぐっ……! そ、そうだけど、よく一緒に寝てるし、もう結婚しているようなものだよ!!」

「事実婚ですね。でも、法的にはまだ『誰のモノでもない』ということですよね!」

「むきーーっ!!」

 

現役トップアイドルと、裏掃除屋少女による、スレイを巡る高度な牽制とマウントの取り合い。

そんな修羅場のような会話が飛び交う中、当の本人であるスレイは完全に気配を消し、無言のままひたすらにタン塩にレモン汁をつけて胃袋へと流し込んでいた。

 

――数時間後。

 

「……ごちそうさまでした。とっても美味しかったです」

お腹いっぱい焼肉を食べたサヨリは、深々と頭を下げてアジトの玄関に立っていた。

そして帰り際、彼女は見送りに来たスレイの顔を真っ直ぐに見上げ、ニコリと可憐な笑みを浮かべて、こう言い残した。

 

「……私、諦めませんから!」

 

バタン、と扉が閉まる。

後に残されたのは、嵐が去った後のような静寂と、焼肉の匂いだけだった。

 

「……マジばいや〜。スレイ、過去に一体何したん? アイドルがあんなにガチ惚れするなんて」

メイコが、呆れ半分、尊敬半分でスレイを見上げる。

「あら〜。モテていいじゃない。リルはウカウカしてられないわね」

マリアがクスクスと笑いながらからかう。

「それにしても……現役のトップアイドルがこんな極秘アジトに出入りして、いいのかしら。スキャンダルになったら事務所が吹き飛ぶわよ」

モニカが、プロファイラーとして現実的な心配をしてため息をついた。

 

「……ところで。ある意味、とんでもない問題がある」

スレイが、疲労困憊の顔でポツリと疑問を口にする。

「……あいつは、なんでこの極秘アジトの場所を知っているんだ?」

 

その答えは、つい数日前の出来事に隠されていた。

 

――数日前。都内某所、多様性坂69 握手会。

 

「おおお! サヨちゃん! よかった〜、本当に元気になってよかった〜!!」

推しとの十秒間の握手タイム。

大物議員Aは、涙と鼻水で顔をグシャグシャにしながら、サヨリの小さな手を両手で包み込んでむせび泣いていた。

 

「……ありがとうございます。あの、古参ファンの大物議員Aさん。……実は、一つお願いがあるんですが」

サヨリが、周囲に聞こえないようにそっと声を潜める。

「なんだね!? 私にできることなら、国を動かしてでもなんでもするぞ!」

「……私を助けてくれた、スレイさんにお礼がしたくて。もし連絡先か、ご住所をご存知なら……」

 

上目遣いでお願いしてくる、世界で一番可愛い推しからの頼み事。

オタクの脳の処理能力は、完全に限界を突破(ショート)した。

 

「……そうかそうか! それなら、ここへ行きなさい!!」

 

大物議員Aは、国家の最高機密レベルである裏の掃除屋(PCU史上最強の暗殺者)たちの極秘アジトの住所を、いともあっさりと、笑顔で推しに手渡してしまったのである。

 

身内のオタク(スポンサー)のガバガバすぎる情報管理によって。

スレイの胃痛の種は、また一つ確実に増えてしまったのだった。

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