本当の価値を抱きしめて編(前編)
――夕飯時。新宿の極秘アジト、リビング。
「はい、お待たせー! 今日は特製チャーハンだよ!」
エプロン姿のリルが、湯気を立てる大皿をテーブルの中央にドンと置いた。
パラパラに炒められた黄金色の米粒に、香ばしいネギとチャーシューの匂いが食欲をそそる。
最近は任務で経済的にゆとりもあり、外食や宅配なども多かったが、アジトではリルが料理を作ることも多い。
漆黒のコートを脱いだスレイは、黙々とレンゲを動かし、その大盛りチャーハンを口に運ぶ。
そして、咀嚼を終えると、短く一言だけ呟いた。
「……うまい」
「えへへーっ! やったぁ!」
スレイからの不器用な、しかし確かな賛辞に、リルは花が咲いたような笑顔を見せた。
その横でメイコも「んんーっ、マジ美味いっしょ!」と頬を張らせながらレンゲを進める。
「アタシ、家のごはんより、ここのごはんが好き〜!」
屈託なく笑うメイコに、モニカが苦笑しながら紅茶のカップを置いた。
「メイコ。毎日のようにここに来ているけど……親は何も言わないの? 一応、現役の大物議員でしょうに」
「そうよ。あんな立派なお屋敷に住んでいるんだから、実家のほうが専属のシェフとかいて、美味しいもの食べられるんじゃないの?」
マリアも、不思議そうに首を傾げる。
しかし、メイコはチャーハンを飲み込むと、真剣な顔で首を横に振った。
「そんなことないよ。……ごはんってさ、お金をかければいいってもんじゃないっしょ。誰と食べるか、どういう気持ちで作ってくれたかが一番大事なんだから」
その真っ直ぐな言葉に、マリアとモニカも優しい目つきで微笑み合った。
「そうね。お酒も、何を飲むかではなく、誰と飲むかって言うしね」
「気を使わない相手との楽しい会話は、最高のスパイスってね」
「やった〜! おかわりもあるからね!」
リルがご機嫌でフライパンを掲げる。
スレイは無言で立ち上がり、自分でチャーハンのおかわりを皿に山盛りに盛った。
――夕食後。
すっかり満腹になったはずのリビングで、パリッ、ポリッ、という軽快な音が響き始めた。
「……リル! またお菓子食べている!」
PC作業に戻ろうとしていたマリアが、呆れた声を上げる。
「えー、だって甘いものは別腹だもん! 今日はもう、このボッキーだけにするから〜」
リルが手に持っていたのは、赤い箱に入った棒状のチョコレート菓子だった。
「……ボッキー? ポッキーじゃないの?」
モニカが、そのあまりにも卑猥な響きを持つ商品名に眉をひそめる。
「あははっ! モニカ細かいこと気にしなーい! 濁点と半濁点の違いくらい、誤差っしょ誤差〜!」
メイコがケラケラと笑いながらフォローを入れる。
(……誤差で済ませていい単語ではない気がするのだが)
スレイは無言のまま、サングラスの奥でツッコミを我慢した。
「もう。そんな食後にボッキーなんて食べてたら、太るよ!」
マリアが母親のようにたしなめるが。リルはふんと鼻息を荒くして、自分の幼児体型(真っ平らな胸部)を見下ろした。
「太るくらいがちょうどいいの! だって、アタシだけ圧倒的に足りてないんだもん!」
リルが悔しそうに見つめる先にあるのは、このPCU世界における絶対的な胸のサイズ格差社会のヒエラルキーであった。
頂点に君臨するのは、スレイに異常な執着を燃やすアイドル・サヨリと、最凶のブラコン姉・シルビアの爆乳組。
それに次いで、目の前で豊かな胸の谷間を揺らしているマリアと、ぼんきゅぼんのナイスバディを誇るメイコの巨乳組。
(※ドM部隊を統べる環萌美総理もここに属している)
さらにその下に、標準的で美しいスタイルのモニカがいる。
そして。そこから見えない壁(越えられない壁)を遥かに隔てたどん底に、リルの幼児体型(まな板)が位置しているのだ。
「やっぱり、もっと食べないとスレイのお嫁さんになれないもん!」
「いや、胸の脂肪の前に絶対お腹につくからやめなさい」
「そうよリル。夜のお菓子は肌にも悪いのよ」
ムキになってボッキーをかじろうとするリルを、マリアとモニカが総出で全力でたしなめる。
平和で、騒がしくて、温かい夜の時間が過ぎていった。
「あははっ、じゃ〜ね〜! また明日!」
やがて時間が遅くなり、メイコは楽しそうに手を振ってアジトから実家へと帰っていった。
そんな、穏やかな夜のこと。
スレイたちの預かり知らない場所で、静かに凶行の火の手が上がっていた。
――東京都内、下町情緒が色濃く残るエリア。阿佐ヶ谷。
トタン屋根の家々がひしめき、昭和の面影を色濃く残す寂れた商店街の片隅に、その店はあった。
色褪せた暖簾と、店先に掲げられた手書きのこども食堂という看板。
そこは単なる古い定食屋ではない。
親の帰りが遅い子どもたちや、一人きりで夕飯を食べる子どもたちが身を寄せ合い、温かいご飯と笑顔を分け合う、地域のオアシスとして長年愛され続けてきた場所だった。
丑三つ時の冷たい静寂を切り裂くように、その年季の入った木造店舗から、突如として赤黒い炎が天高く噴き上がった。
最初は乾燥した柱が弾けるパチパチという小さな音だった。
しかしそれは、数分のうちに全てを舐め尽くさんとする、ゴォォォォッという暴力的な猛火の轟音へと変貌を遂げる。
うだるような熱風が狭い路地を吹き抜け、周囲のアスファルトを不気味なオレンジ色に染め上げていった。
誰もいないはずの深夜の厨房——いつもなら、腹を空かせた子どもたちのために、名物の大鍋カレーやハンバーグが仕込まれているはずの場所——から上がった、不自然な出火。
容赦なく這い回る炎は、皆で肩を並べて囲んだ傷だらけの長机を、次々と無慈悲に飲み込んでいく。
子供たちの笑顔が溢れていた場所は。
いまや凄惨な業火の餌食となり、下町の夜空を絶望の黒煙でドス黒く焦がし始めていた。
――翌日。
阿佐ヶ谷の下町で長年愛されていた、古びた大衆食堂。
そこが深夜の火災で全焼したというニュースは、翌朝のローカルな報道で小さく取り上げられた。
店内に寝泊まりしていた老店主が逃げ遅れて死亡し、警察と消防による実況見分の結果、火災の原因は厨房の劣化したタコ足配線による漏電と断定された。
しかし。広々とした執務室でその詳細な報告書に目を通していた大物議員Aは、ふと眉をひそめてペンを止めた。
(……阿佐ヶ谷の食堂、か。最近も、似たような件があったような気がするな)
老朽化した下町の店舗での、漏電やタバコの不始末による深夜の全焼火災。
一つ一つはよくある痛ましい事故だが、長年の政治家としての直感が、妙に引っかかる。
(……一応、萌美総理に報告しておこう)
オタクの顔を隠した有能な政治家の顔で、彼は直通ラインの受話器を取った。
――同日。首相感貞・極秘地下作戦室。
大物議員Aからの不穏な報告を受け、秘密裏に呼び出されたスレイたちPCU(裏の掃除屋)5人は、円卓を囲んでいた。
「阿佐ヶ谷の下町の食堂の火事の件について、君たちに調べてもらいたい」
神妙な面持ちで語る大物議員Aの言葉に、漆黒のコートを着たスレイが低くしゃがれた声で問い返す。
「……裏の人間(放火魔か地上げ屋)の仕事か?」
「今のところは、ただの事故として処理されているわ。……だからこそ、スレイ達にお願いしたいの」
赤いルージュを引いた環萌美内閣総理大臣が、腕を組んで冷徹に言い放つ。
「というのも。似たような不審な件が、ここ最近で2、3件相次いでいるのよ。……もし本当に何もない、ただの事故だというならそれでいいわ。でも、もしも誰かが意図的に仕組んだものだとしたら」
「……警察の目を誤魔化す、完全犯罪のプロがいるってことね」
モニカが、静かに目を細めた。
「まずは、警視庁トップの山田相姦が作ってくれた調査報告書から目を通しましょう」
マリアがモニターに資料を展開し、スレイたちは現場の写真や出火元の状況を頭に叩き込んでいく。
証拠だけ見れば、放火とは言い切れない報告書。しかし、有能な山田相姦は、そこに拭いきれない違和感を感じていたのだ。
「……書類だけじゃ、匂いは嗅ぎ取れないな。早速、明日いってみよう」
スレイが安物の百円ライターをカチャリと鳴らし、現場百回の鉄則を口にした。
かくして、新たな事件への捜査方針が固まり、重苦しい空気が漂う会議……の、はずであった。
「ん〜っ、やっぱりこのチョコ美味しい〜!」
円卓の端で、リルがエロルチョコの包み紙を剥いて、幸せそうに頬張っている。
「アタシはこのクッキー派っしょ! サクサクでまじウマー」
メイコは、エロフォートをかじってご機嫌だ。
そして、この国の最高権力者である萌美総理自身もまた、優雅に紅茶のカップを傾けながら、個別包装されたパイ生地のお菓子ホームパイズリをサクサクと上品に口に運んでいた。
(……相変わらず、この国のお菓子メーカー(特にネーミングセンス)は、多様性の波に飲まれて完全に終わっている)
スレイは無言のまま、深々とため息をついた。
その時。
萌美総理が食べているお菓子のパッケージ(ホームパイズリ)をじっと見つめていたリルが、何か閃いたようにバンッと身を乗り出した。
「総理、総理! アタシ、どうやったらパイズリできますか!?」
純真無垢な瞳をキラキラと輝かせ、スレイの正妻(自称)としてさらなる奉仕のテクニックを身につけようとする、あまりにも直球で恥じらいのない質問。
横でコーヒーを飲んでいたスレイが、危うく盛大に吹き出しそうになって咳き込んだ。
「う〜ん……」
萌美総理は、リルの真っ平らな(幼児体型の)胸部と、マリアやメイコの豊かな胸の谷間を交互に見比べた後。
少し困ったように美しく微笑んで、この世で最も残酷な真実を口にした。
「それは、ちょっと……努力とかで、変わるものじゃないかな」
技術の問題ではない。質量(物理)の問題であると。
国家のトップから下された「お前には一生無理だ」という容赦のない死刑宣告に、リルは雷に打たれたようにショックを受けて硬直した。
「びええええええええんっ!!」
アジトの地下室に、阿佐ヶ谷の火事よりも悲痛なリルの号泣が響き渡る。
メイコが「どんまいどんまい!」と笑いながら背中をさすり、マリアとモニカがため息をつき、スレイが静かにこめかみをおさえる。
下町の連続火災というシリアスな謎と、理不尽な胸の格差社会。
裏の掃除屋たちの新たな一日が、また幕を開けたのであった。
焦げ臭い匂いが未だに色濃く立ち込める、阿佐ヶ谷の下町。
火事のあった食堂の焼け跡に、裏の掃除屋たちが足を踏み入れていた。
スレイは漆黒のサングラスの奥で、黒焦げになった厨房跡を冷徹に観察する。
そこには、無惨に溶け落ちた配電盤(ブレーカー)と、真っ黒に焦げたコンセントタップが転がっていた。
警察と消防の現場検証が弾き出した通り、確かに見た目は劣化したタコ足配線による漏電事故にしか見えない。
しかし、その周囲では。リルとメイコが、近所の住人たちを相手に、お得意の聞き込み調査を行っていた。
「なるほどなるほどー! それで、火が出た時はどんな感じだったんすか?」
「うんうん、おばちゃん、もっと詳しく教えて!」
メモ帳を片手に熱心に相槌を打つ二人。
本人達は昭和の刑事ごっこをしているつもりなのだろうが、その無警戒で人懐っこい態度は、ショックを受けている近隣住民の口を滑らかにする最高の効果を発揮していた。
「……一瞬で、青っぽい、あるいは緑っぽい炎がドッと上がった……って言ってたよ!」
リルが得意げにスレイたちへ報告に走ってくる。
その証言を聞き逃さず、モニカが、焼け跡の灰や煤をピンセットで慎重にガラスの小瓶へと採取し始めた。
木材や食用油が燃えただけの自然な火災なら、青や緑の炎にはならない。何かの特殊な化学成分が反応(炎色反応)を起こした証拠が出ると踏んだのだ。
スレイは大股で焼け跡を歩きながら、思考を深めていく。
(……もし、これが事故ではなく、何者かによる他殺(放火)だとするなら、どう殺す)
スレイはふと立ち止まり、天井付近で熱によりひしゃげていた火災報知器に手を伸ばし、カバーを力任せに外した。
そして、その内部を確認した最強の暗殺者の目が、鋭く細められた。
(……電池が入っていない)
火を扱う飲食店において、消防の点検をクリアするためにも、報知器の電池を抜きっぱなしにするなど絶対にあり得ないことだ。火災の熱で焼け落ちたわけでもない。
最初から鳴らないように、意図的に外されていたのだ。
「……スレイ。発火地点は厨房だけじゃないと睨んでいるわ」
マリアが、建物の見取り図のデータと現在の炭化状況を照らし合わせて指摘する。
「裏口……つまり、寝泊まりしていた店主が外へ逃げ出そうとする逃げ道の部分も、随分と不自然に激しく炭化しているわ。火の回りが早すぎるのよ」
「昨日の風速と風向きは……脱出路(裏口)のほうは向いていないし、風速も1メートル未満だね」
メイコが、環境データ(DB)からマリアの推測を裏付ける。
新宿のアジトに戻ると、モニカが専用の科学機材を用いて、現場から回収したサンプルを解析にかける。
やがてモニターに弾き出された成分データを見て、彼女は確信に満ちた声を上げた。
「出たわ。微量だけど、工業用溶剤……強力な塗料剥離剤などに使われる成分よ。こんなものが、下町の大衆食堂の厨房にあるはずがないわ」
テーブルの上に、スレイたちが見つけ出した四つの不審な事実が並べられた。
リル「おばーちゃん(目撃者)が言ってた、一瞬で燃え広がる『青っぽい(または緑っぽい)炎』!」
マリア「逃げ道を完全に塞ぐように、燃焼が激しかった『脱出路(裏口)』」
モニカ「そして、食堂にはふさわしくない発火の要、『工業用溶剤(塗料剥離剤)』」
スレイ「事前に意図的に外されていた『火災報知器の電池』」
メイコ「ばいやー! 完全にクロじゃん!」
証拠隠滅を完璧に計算し尽くした、鮮やかな手口。
スレイはジッポライターでタバコに火をつけ、低くしゃがれた声で言い放った。
「……表の警察の目から見れば、これだけだと他殺(放火)とは言い切れないかもしれない。……しかし、俺たちからすれば、これは99パーセント他殺だ」
誰かが、老店主を焼き殺すために周到な罠を張った。
ただの事故として片付けられようとしている下町連続火災の裏に潜む、冷酷なプロの放火魔の影。
裏の掃除屋たちの次なる標的が、完全に定まった瞬間であった。